第二十話 青鷺怪談
「どうだ、ギルドには馴れたか?」
「……そこそこ。けど、私はあれ、しなくていいの?」
青鷺はカウンターの向こう、食事をよそってくれる人の方を見る。
「サギはんは今までカフェテリアに来たことなんてないんどすから、もっと世間になれてから、ああいう仕事を手伝ってもらえばいいんどすよ」
笑いかける斑鳩に、青鷺は「でも」とだけ呟いて俯いた。
「そんなことをしなくても、お前はもうギルドの一員だ。そんな不安そうにするな」
「……別に、不安そうになんてしてないし」
カグラの言葉に青鷺は口を尖らせて目線をそらす。素直じゃない青鷺に、斑鳩とカグラは苦笑する。
それからしばらく談笑し、食事が終わる頃、カグラの懐から一枚の紙が取り出された。
「それは依頼書どす?」
「ええ」
頷いて広げた依頼書はとある劇団を山奥の村まで護衛する、というものだった。
「へえ、うちのお得意様の依頼どすか」
「……お得意様?」
「ああ、この劇団は町に拠点を置いているが、慈善活動で出張してひとけの少ない村で簡単な劇をするんだ。女子だけの劇団ということもあってよくうちのギルドを利用してくれている」
「……ふうん」
それで、と一息ついてカグラは言葉を継いだ。
「これをお前の最初の仕事にしようと思ってな」
「…………」
「不服か?」
「……別に。けど、ついに来たかと思って」
青鷺の手が無意識に強く握られる。その様子を見て、カグラが青鷺の頭にぽん、と手を乗せた。
「私たちもついている。お前は気負わず好きなように動いてくれればいい」
「……そ」
青鷺は拳に込められていた力を抜いた。様子を見守っていた斑鳩は、なんだか仲の良い姉妹のようだと微笑んだ。
*
町外れで斑鳩たちは劇団と合流した。馬車が何台か並び、いつでも出発できる準備ができている。
「本日もよろしくお願いしますね」
そう言って斑鳩たちに頭をさげたのは劇団の長をつとめる妙齢の女性だ。ローナというらしい。どこか、色気の漂う雰囲気を醸し出している。斑鳩とカグラが対応して挨拶を交わすと、「あら」とローナは青鷺の方に目をやった。
「初めて会う娘ね」
「……よ、よろしく、お願いします。青鷺です」
「新人なんどす。今日が初仕事なんどすよ」
「まあ、そうなの。よろしくね、青鷺ちゃん」
言って、ローナは柔和な笑みを向ける。青鷺はローナの笑顔に気後れしたように口ごもる。ローナは小さく笑うと斑鳩たちに向き直る。
「頼んでおいて言うのもなんですけど、何事もないと良いですね」
「ふふ、危険はない方がいいどすからなあ。護衛に来ておいてなんどすが」
ローナと斑鳩が笑い合う。しばし談笑した後、一行は目的地へ向けて出発した。
*
「……なにも、起こらないね」
出発してしばらく。列の最後尾でカグラと馬を並べていた青鷺はどこか拍子抜けしたように呟いた。
「ローナ殿や斑鳩殿も言っていただろう。何事もない方がいい。そもそも、頻繁に襲撃に遭うほど物騒ではない」
隊列は淀みなく進んでいく。先頭を斑鳩、後方をカグラと青鷺が行き、劇団の馬車を挟む形だ。左右の警戒は斑鳩が天之水分の探知範囲を広げることでカバーしている。
「……でも、最近は闇ギルドの動きが活発化してるって聞いてるけど」
「ふむ、確かにな」
眉を寄せてカグラが思案げに俯いた。例年、闇ギルドの活動による犯罪行為は少なくないが、それにしても近頃は被害件数が多くなっている。評議院が楽園の塔の一件でほぼ壊滅状態に陥っており、いまだ復興に至っていないのも大きな要因の一つだろう。
「髑髏会では何か言ってなかったのか?」
あまりおおっぴらに話して良い内容ではないので、カグラは青鷺に馬を近づけて囁くように尋ねる。
「……うんと、あまり詳しくは分からないけど、
「六魔将軍か。バラム同盟の一角、何を企んでいるのか」
闇ギルドの最大勢力、バラム同盟。六魔将軍、悪魔の心臓、冥府の門からなり、それぞれが幾つかの直属のギルドを持ち、闇の世界を動かしている。六魔将軍は噂ではたった六人で構成されている。裏を返せばたった六人で闇の最大勢力の一角を担う精鋭集団だ。
「なんにせよ、油断は禁物というわけだ」
「……うん」
話し込むうちに、なんだか嫌な予感がしてくる。しかし、嫌な予感とは裏腹に道中は何事もなく進んでいった。あまり気持ちのいい話ではなかったから、単純に気分が沈んでそんな気がしてきているだけかもしれない。村に到着し、そう思っていたとき、それは起こった。
*
「村に入れない!?」
「ええ、本当に申し訳ないんですが……」
言って目を伏せる老人、村長は心苦しそうに謝った。
「お手紙には快い返事を頂いたはずですが……。なぜか、お伺いしても?」
「いいえ、それもできません……」
ローナと村長のやりとりを、斑鳩たちは少し離れて聞いていた。ローナはなんとか説得しようと食い下がっているが、村長は頑なに首を横に振り続ける。その様子が本当に申し訳なさそうでローナも強く言えないでいた。やがて、心苦しそうにする村長をいじめているようでローナが耐えられなくなり、諦めて引き返してきた。
「ごめんね、みんな。今日は野宿ね」
日は沈み始め、空は赤く染まっている。これから引き返しても、闇の中の行進となり、非常に危険だ。元々、村側から空き家を貸し出してくれると言われていたこともあって、団員は少し残念そうだ。女性しかいないのだから尚更である。とはいえ、いつも空き家を提供してくれる村ばかりではないし、一日では辿りつけない程度の場所まで遠出するのもしばしばであるから、キャンプの道具はそろっているし馴れたものだ。
「斑鳩さんたちには夜の見張り、お願いします」
「ええ、もちろん。仕事どすからなあ」
当初の予定になかった夜番をたのむにあたってローナがすまなそうに頭をさげるのに笑って応じる。夜番だって護衛の範疇だ。それこそ、自分たちで夜番をやると言われてしまっては斑鳩たちの立場がない。
斑鳩たちも寝床の準備を済ませ、夜番に臨む。二人が見張り、一人が休む。ローテーションで三時間、一人あたり六時間を担当することになった。
「……こういうとき、人数が少ないと不便だね」
「確かに、人がいっぱいいれば休めますからなあ」
最初の担当になった青鷺と斑鳩は火を囲んで座っていた。カグラはテントで休んでいるはずだ。辺りは静まりかえって、生き物の気配一つしない。
「……ねえ、斑鳩はどう思う?」
「どうって、村のことどす?」
「……うん」
少し、考えるそぶりを見せ、たいして間を空けずに答えた。
「まあ、村長はんの様子からして良くないことが起きているのは確かでしょうなあ」
青鷺も同感だった。村長の様子はおかしい。言葉では拒絶しているのに、声色や仕草は助けを求めるように揺れていた。
「……なにが、起こってるんだろ」
「さあ、どうでしょうなあ。何が起きているのか分からない以上、うかつに動くに動けまへんし、劇団の皆さんを守るのが最優先どすからなあ」
「……そうだね」
二人の間に沈黙が落ちる。火がぱちぱちと弾ける音だけが聞こえる。
「ちょっと、見回りしてくる」
「いってらっしゃい」
青鷺は一人粛々と歩き回る。斑鳩が起きている間は天之水分を薄く広げて探知だけは行っているようなので、本来見回りは必要ではない。それでも、青鷺が歩くのは頭の中の考えが纏まらないからだ。
「……私の魔法、それだけじゃない。暗殺ギルドで磨いた技術を使えば……」
一人、口の中で小さく呟く。忍び込み、何が起きているのか探ってくることはできるだろう。そうするべきだ。そうするべきなのに、勇気が出ない。暗殺者としての技能。それは、青鷺が助かるために誰かを殺すつもりで磨いたものだ。そんな力を使っても、罰が当たって誰も守れずに終わるのではないか。そうなってしまったら、自分は立ち直れるのだろうか。不安ばかりが募る。
「……あれ?」
「あら?」
見回っていると、外にたたずむローナを見かけた。
「……眠らないの?」
「ちょっと、村がどうなっているのか気になってね。どうしても眠れないのよ」
起きてたところで何ができるわけじゃないけどね、と彼女は笑う。
「……ローナ、さんって、いい人だよね」
「青鷺ちゃん?」
不思議そうにローナは首をかしげる。
「……わざわざ、お金をもらえる訳でもないのにボランティアで各地を回って、村に入るのを断られて野宿することになったのに、村の方を心配してさ」
「ああ、なるほどね」
ううん、と少しうなってローナは言葉を継ぐ。
「私は特別いい人だとは思わないけどなあ」
「……そんなことない」
少なくとも、自分よりは。
「いいや、そんなことあるんだよ。私だって聖人じゃないからね。極限に迫られたら自分を優先すると思うよ。余裕があるからできるんだ」
「……余裕があっても、助けることができるのに、やらない人はたくさんいる」
「あはは、確かにね」
ローナは笑って、懐かしそうに目を細める。
「私もそうだったからねえ」
「……そうなの?」
少し、意外だった。
「私だって、最初からこういうこと、できてたわけじゃないんだ。でも、私はなれたから」
「……なれた?」
「そう、人に手を貸すのにね」
青鷺にはよく、理解できなかった。頭を悩ませていると、ローナが苦笑して座る。彼女は青鷺にも座るように促した。勧められるままにローナの隣に座り込むと彼女は話し出す。
「昔ね、町の通りで気分が悪そうに蹲っている人がいたの。どうしたんだろう、って心配になったけど、私は動くことができなかった。固まっちゃったのよ。周りにも人はいたけど、私と同じで動くことができなかった。助けを呼んだ方が良いんじゃないかとかひそひそ話す人はいたけれど、そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎていった。そこに、一人出てきてね、蹲る人を介抱して、私はほっとしたんだけど、その人は周りで固まる私たちに言ったの。お前たちには人を助けようと思うこともできないのか、ってさ」
ローナは照れたように頬をかく。
「そのときはむっとしちゃってさ。私だって助けようと思ったんだ、って。それで、次に町で重そうな荷物を持っているおばあちゃんがいたから、持ってあげようと思ったんだけど、いざ声をかけようとすると怖じ気ついちゃって声かけられなかったんだ。情けないけどね。何回もそんなことを繰り返して、一月したころ、ようやく道に迷ったようにしている人に声をかけることができたの。それから――」
「……それから?」
言葉をきって、ローナは青鷺の瞳をみつめて笑った。
「私は迷わずに困っている人に声をかけられるようになったんだ」
「……それが、なれたってこと?」
そう、とローナは頷いた。
「人ってさ、新しいこと、未知のことをするのに拒否反応を起こしちゃうのよ。困っている人が目の前にいてもね。かわいそうだと思っても未知に踏み出す勇気が出ない」
「……勇気」
「そうよ。話で蹲っている人を誰も助けてくれなかったんだって聞いて、誰もが酷いことだと思うでしょう。誰にも善意はあるからね。でも、実際にその場に居合わせたら行動できる人って少ないと思うんだ。それを偽善だとかいう人はいるけど、私はそういう問題じゃないと思うんだ」
「……その善意を行動に移せる勇気があるかどうか」
「そういうこと。そして、一歩目を踏み出すとね、二歩目を踏み出すのはもっと簡単なの。三歩四歩と踏み出していけば、すぐになれて自然に歩けるようになってるの。私はそうして、困っている人に声をかけるのになれて、自分からボランティアをするようになったんだ」
青鷺は空を仰ぐ。星が綺麗に瞬いていた。
「……私にも、踏み出せるかな」
「もちろんよ」
笑顔のローナにつられて、青鷺の口元も自然と綻んだ。青鷺はすくりと立ち上がる。
「行くの?」
ローナが尋ねる。どこに、とは聞かない。
「……うん。話、聞かせてくれてありがとう」
「気をつけてね」
「……大丈夫」
それから青鷺は斑鳩の所へと戻る。心がはやってかけだした。斑鳩は変わらず火に当たっている。
「……その、話があるんだけど」
「そうどすか、好きにするといいと思いますよ」
「……え?」
息をきらせてつめよる青鷺に、斑鳩はなにかを聞くことなく答えた。それが予想外だったのか、目を白黒させる青鷺に笑いかける。
「最初に言ったでしょう。うちらがついているから、サギはんは好きなように動くと良いって。護衛はうちに任せなさい」
「……ありがとう!」
青鷺は礼を言うと、背を向けて村の方に走っていった。やがて、闇の中に姿を見ることができなくなると、斑鳩は小さく呟く。
「さすがどす。うちはまだ、乗り越えられそうにありまへんなあ」
その呟きを拾った者は誰もいない。
*
青鷺は気配を殺して村に近づく。村に入る道には柄の悪い男が立っている。そのため、迂回して藪の中、道なき道を進む。風に鳴る木々の音に紛れ、時には短距離転移を使いながら誰にも気づかれずに村に入る。村の中にも見回りはいて、五人を確認した。多くはない家屋のほとんどが真っ暗に沈黙している中、一軒だけ明かりが灯り、賑やいでいた。
「……村長宅か?」
その家は村の中でも一際大きい。自然、誰の家かは特定できる。家の周囲にも柄の悪い男が二人たむろしている。音もなく近づき耳を立てる。
「くそっ! 羨ましいぜ。みんなして騒ぎやがって!」
「ほんとだよなあ。こんな村で見張りなんて意味ないっつーの」
「あーあ、オレも女の子にちょっかいかけてえぜ。こんな村でも可愛い娘の二、三人はいるもんなんだなあ」
「匿われてたっていう新しい娘も可愛かったな」
「くう、あの尻をなでてえぜ」
「バカか、お前。あの胸だろ」
会話からおそらく村人ではない。間違いなく今回の入村拒否に関わるだろう。男たちは娘の話から猥談に移行したので、ゴミを見る目で一瞥した後は屋敷の中に潜入した。転移で屋根裏に潜り込んで耳を澄ます。
「おいおい、嬢ちゃん。こっちにもついでくれよ」
「ちょ、や、やめてください!」
「ああん、口答えすんじゃねえよ!」
小さな悲鳴と誰かが倒れ込む音が聞こえる。青鷺の頭の中に髑髏会で下働きしていたころの記憶が思い起こされて暗い感情が浮かぶがすぐに振り切って他にも情報が手に入らないか耳を澄ます。
「まったくよお、やってられっかってんだ!」
すると、野太い声とともに食器が台に叩きつけた音がする。
「急に上納金増やしやがってよお。払えるかってんだ。何様だよ、全く」
「何様って、六魔将軍だからなあ」
「ああん!?」
六魔将軍、確かにそう聞こえた。昼間、カグラと話していたが、本当に闇ギルドに出くわすとは。話を聞く限り、六魔将軍への上納金が払えず、報復を恐れて逃げてきたらしい。なるほど、こんな辺境にいるのにも頷ける。
声の聞こえる場所からだいたいの位置関係を把握し、見つかり難いだろう天井の一カ所に短刀で小さく穴を空けて覗き込む。下には飲んだくれる男が十二人、若い娘が三人。屋敷の中には他にも気配がある。屋敷の奥の小さな一室、一人の見張りが立つその部屋に老夫妻が震えながら縮こまっている。男の方は村長のようだ。さらに、家の庭では八人ほどが騒いでいる。
これで、全ての情報が出そろった。村に入る道に二人、村内の見回りに五人、村長宅前の見張りに三人、宅内で飲んでいるのが十二人、村長たちの見張りが一人、庭で騒ぐのが八人の計三十一人を倒し、村長夫妻と若い娘のうち二人の計四人を助ければ良いのだ。客観的に見れば青鷺一人で挑むのは無謀に見える。しかし、忘れてはならない。青鷺は若干十四歳で三羽鴉に抜擢された天才である。これが無謀な行為だなどと、青鷺の頭の中には微塵もない。
男たちは道をふさぐように座り込んでいた。貧乏くじを引いて見張りをさせられている二人は眠たげにあくびをする。どっかの劇団が来たとかで警戒するように言われている。なんでも護衛に魔導士が三人ほどついているとか。しかし、たった三人で何ができるというのか。この村にギルドメンバー全員が集まっている以上、気にする必要もないことだろう。実際、命令したギルドマスターもそこまで重要視しているようではなかった。
「おい、誰か来たぞ」
見張りの相方の声に道の先に目をやると、誰かが近づいてくる。月明かりに照らされるその姿は小さな少女のようだ。みすぼらしい服装からして村人のようだ。一瞬、欲望が覗くがすぐに引っ込む。近づいてくるほどに違和感が増す。村の道路は舗装されておらず、荒れているというほどではないが、良い状態とは言えない。辺りには虫の鳴き声が響くものの、静かと言って良い。だというのに、足音一つ聞こえない。
「ひっ」
隣に立つ相方の息を呑む声が聞こえる。同じ考えに至ったのだろう。
「落ち着け、お化けなんてもんがでるわけないだろ」
と言おうとして、喉が張り付いて声にならないのに気づく。冷や汗が頬を伝って落ちる。隣に目配せをする。幽霊じゃない可能性だってあるのだから、見張りである以上、通すわけにはいかない。合図とともに、勢いで恐怖を隠して跳びかかろうとしたその瞬間、少女の姿が忽然と消える。
「――――」
体全体が金縛りに遭ったように動かない。瞬きすら忘れておぼつかない呼吸をしていると、首に冷たい手が触れる。心臓が破裂せんばかりに跳ね上がった。
「……おやすみ」
その声を最後に、二人の意識は暗闇へと落ちていった。
男は悄然と道を歩いていた。村人が抜け出して助けを呼びに行かないように、とのことだがそんな必要があるのか男には理解できない。占拠した当日に見せしめもかねて突っかかってきた若い男衆をえげつないほどに痛めつけてやって村人には反抗する気はないように見える。見せしめはギルドメンバーの男でも吐き気を催したほどだ。それも仕方のないことだろう。
「なんだ?」
ふと、道ばたに蹲る少女を見つける。子供、というにはやや育っている。蹲って顔は見えないが、月明かりに照らされた綺麗な髪に、白い肌。さも美しそうな少女だ。だとしたら、村長宅に呼ばれそうな者だが。そもそも、こんな夜に子供ひとりで道ばたに蹲っているなんて普通じゃない。侵入者なら道を見張っているヤツらが報告をよこさないのもおかしいし、脇から侵入してきたにしても、みすぼらしい格好で道ばたに蹲る理由がない。
「お、おい」
合点がいかなすぎて、僅かに恐怖を抱きながら少女に声をかける。少女はひたすらに「痛いよう痛いよう」と訴え続ける。
「何が痛いんだ」
尋ねても「痛いよう痛いよう」と少女は唱え続ける。いよいよ不気味になって、いけないとは思いつつもこんな奴が脅威になるはずがないと言い訳じみたことを思って少女を放って先に進むことにした。しかし、前の方十メートルほどにまた少女の姿が見える。驚いて後ろを振り返ればそこに少女の姿はなかった。おそるおそる再び振り返る。しかし、恐怖とは裏腹に前方に見えていた少女は消えていた。きっと見間違いだ、さっきの少女も自分の家に帰っただけなんだとほっとする。安心してため息とともに視線を下に落とせば、そこには少女が蹲っていた。
「ひい――」
驚きのあまり腰が抜けてへたり込む。立つこともできずに男は少女から逃げるように必死に這う。すると、背後からざっざっ、という足音とともに「痛いよう痛いよう」と声が追ってくる。後ろを振り返らずに必死に這う。しかし、しだいに足音は近づき、ずしりと何かが這いつくばる男の背に乗った。
「――――!」
声にならない悲鳴をあげてあがく男の首筋に冷たい手が触れ、心臓が破裂しそうなほどに跳ね上がる。
「……これで五人」
少女が何かを呟くと同時に男の意識は暗闇へと落ちていく。少女の呟きは半狂乱の男には聞き取れなかった。
村長宅前、二人の見張りは猥談に興じていた。やれ、尻がいいだの、足がいいだの。茶髪でショートの娘がいいだの、黒髪のロングの娘がいいだの。そんな話をして時間を潰していた。バカ騒ぎに混じれないのがバカ話をするのも悪くない。
「おててつなご」
突然、一人の男の袖が引っ張られる。そこに立つ少女を見て唖然とする。たった今まで男たちは二人しかいなかった。誰かが近づいてきた気配もない。唐突に、少女は現れた。少女は可憐な顔ににこにこと笑みを浮かべている。平時なら見とれていたであろうそれは、あまりに状況にそぐわなくて、男たちの思考を停止させるのに十分だった。村人が好意的に接してくれるはずがないし、何よりこんな少女、男たちは村の中で一度たりとも見たことがない。
「おててつなご」
相変わらず、にこにこと不気味な笑みを浮かべて少女が男の袖を引く。袖を引かれる男が涙を浮かべて仲間を見るが、仲間は顔を引きつらせるばかりで役に立たない。
「おててつなご」
あいかわらず、にこにこと笑顔で袖を引っ張っていた手を男の手に絡めた。男が心臓が破裂しそうなほど驚いたが息が詰まって声が出ない。少女の手を振り払うのも恐くてできない。
「おててつなご」
少女は反対の手をもう一方の男に差し出した。反射的に男は一歩後ずさるが手を握られている男に捕まれて踏みとどまる。一人だけ逃げることは許さないとばかりに睨まれ、しかたなく、にこにこと笑顔を浮かべる少女の手を恐る恐る握った。瞬間、男たちは宙に浮いていた。突如として浮遊感に包まれ、叫ぶより早く男たちは地面に頭を打って気絶した。
男たちは庭に机と椅子を出し、家からの明かりと月や星々の明かりを頼りに酒を酌み交わして大いに賑わっていた。すると、庭奥の藪から、家の中に戻るのは面倒くさいと用をたしに行った男がおぼつかない足取りで戻ってきた。誰かが飲み過ぎだと冷やかすが、その男は「違う」と首を横に振る。聞けば、幽霊が出たという。話を聞いていた男たちはなんだと呆れたが、肝試しもおもしろいと盛り上がる。戻ってきた男だけは止めたがそんなことは気にせず、ずかずかと男たちは藪の中に入っていった。
その中、一人の男は入ってすぐに後悔していた。藪の中には虫もいるし、草葉がちくちくと刺さってかゆい。俺は先に帰るぞ、と叫んで引き返そうとして違和感に足を止める。周囲に人の気配がしない。冗談はよしてくれ、と内心つぶやくと、どこからか歌声がしてくるのが聞こえる。歌詞は聴き取れないし、聞き覚えもない。童謡の様な不気味な歌。背後、目に見えない場所が恐くて首を必死にふって周囲を見渡す。急に、男の背に何かが負ぶさった。童謡が耳元で聞こえる。冷たい手が首に触れ、そのまま男は意識を失った。
仲間が帰ってこない。一人庭に残った男は震えていた。それなりの時間が経つのにいっこうに戻らない。かといって、中で飲んでいるギルドマスターたちに幽霊にやられたなんて言ったところで呆れられて殴られるのは目に見えている。しかたなく、再び藪の中に入っていく。おおい、と気弱に呼びかけるが反応はない。いいや、反応はあった。童謡が聞こえてきた。元々、気弱な男はそれだけで地面にへたり込む。這って逃げようとしたら、背に何かがのしかかった。童謡が頭上から聞こえる。恐怖のあまり、男は意識を手放した。
男は部屋の中でびくびくと震える村長夫妻を監視していた。早く眠ってしまえば良いものを恐怖からかいっこうに眠ろうとしない。おかげで男もまた監視に気を張っていなければならない。ふと、部屋の隅に蹲る少女を見つけた。唖然としていると、村長夫妻もそれを見つけたのか小さく悲鳴をあげて後ずさった。その様子から夫妻も知らないようだ。当然、男も知らない。まさか、幽霊かと思うがそんなものいるわけないと頭を振ると恐る恐る少女に近づく。おい、声をかけても反応しない。しかたなしに、つついてみるが反応しない。なんどつついても反応しないので、今度は肩を揺すってみる。しかし、それでも反応しない。だんだんと恐怖はいらだちに変わり、「おい!」と力強く肩を引いたその瞬間、少女が男に跳びかかった。男は絶叫を上げて気絶した。
「何事だ!」
突如響き渡った悲鳴に宅内で飲んでいたギルドマスターは杯を机に叩きつけて立ち上がる。まさか、侵入者か。見張りは何をしていたんだと苛立ちながら、三人ほどを残して声のした方向、村長夫妻の部屋に駆けつける。戸を蹴り破るようにして中に入れば、村長夫妻の姿は見当たらない。見張りに置いていた一人が泡を吹いて倒れていた。
「マスター、こいつ起きませんぜ」
一人の男が揺すったりといろいろしてみるが、男は何一つ反応を起こさない。そこで一つ違和感を覚える。悲鳴はかなりの大きさだったのに、庭から誰も駆けつけてこない。
「まさか」
嫌な予感を覚えて庭に出るとそこは閑散としていた。その光景を前に戦慄を隠せない。八人もいた仲間を交戦した痕跡すら残さずに消すなど、一体どうしたらそんな所行ができるのか。
「お、お頭……」
「なんだ」
震えた声音で話しかける男に訝しげに目をやると、顔を真っ青にして庭に出てきた戸を見つめている。
「フランクとジョンが、オレの後ろを走っていたはずの二人がいません!」
「なんだと!」
言われて人数を数える。十二人で飲んでいて三人を置いてきた。部屋を出てきたのは九人のはずなのに七人しかいない。
「どこだ! どこにいる!」
間違いなく刺客がいる。それも、かなりの凄腕だ。
「背を預けろ! 死角をつくるな!」
七人は背を向けて円を作る。全員に緊張が走る。どこからくるのか、息を呑んで待っていると、ギルドマスターは背後でどさどさと人が倒れる音を聞いた。驚いて振り返り、さらに驚きに口を開く。七人のうち四人を一斉に倒し、少女が立っている。驚いたのは刺客が少女だからではなく、少女が立っていたのが円の内側だったからだ。
「オレを守れえ!」
まだ残っていた二人に命じてギルドマスターは屋敷の中に駆け込んでいく。後ろで刃を交わす音を聞きながら転がり込んで元の部屋へとたどり着く。そこにはまだ三人仲間がいる。それに、人質になりそうな小娘が三人。まだ、助かる道はあるはずだと部屋の扉を開いたその先に信じられない光景が広がっていた。
「なにが、起こって……」
三人の仲間が倒れ込み、その中央に小娘が一人立っている。まるで、その娘が倒したとでも言うかのように。
「……ほんと、なにやってんだか。見つけたときは驚いた」
背後から少女の声が聞こえる。振り向くと同時に腹部に強い衝撃を感じて倒れ込んだ。
「出発前に言っただろう。私たちがついていると」
「……二人して性格悪い」
不満げに口をとがらす青鷺にカグラは悪戯が成功したとでも言わんばかりに口元を釣り上げる。二人がのんきに話していると蹲るギルドマスターが憎悪を込めて叫びだす。
「てめえら、調子に乗ってられんのも今のうちだぞ! 昼間のうちにオレたちの別働隊が迂回しててめえらの背後をとってたんだよ! 今頃劇団のヤツらは皆殺しだろうぜ!」
ありったけの負け惜しみを込めて哄笑する男にカグラと青鷺の反応は淡泊だった。
「……ふうん」
「それがどうかしたか」
「それがどうしたって、強がんじゃねえ。てめえらが三人しかいねえのは知ってんだ。戦力をこっちに集中させて、向こうが無事に済むとでも思ってんのか」
ああ、と二人は得心したように頷いた。
「……少し、勘違いしてる」
「私たちはこちらに戦力を集中させた覚えはない。余剰な戦力を割いただけだ」
ギルドマスターが二人の言葉を理解するのには少し、時間がかかった。
「うう、寂しい。カグラはんもサギはんも、早く戻ってこないかなあ」
斑鳩は焚き火に当たりながら呟いた。劇団員のテントは静まりかえり、起きているのは斑鳩だけだ。青鷺が出発前、最後に見た光景と変わらない。ただ一点、斑鳩のそばに縛り上げられた男たちが積み上げられているのを除けば。
*
明けて翌日、闇ギルドの連中は全員縛り上げられて、町から呼ばれた兵士に連れて行かれた。村では開放を大いに喜び、祝宴が開かれている。演劇も行われ、宴をさらに盛り上げている。
「……正直、昨日より疲れた」
「しかたありまへんよ」
演劇を遠目に見ながら、うんざりしたように呟く青鷺に斑鳩は苦笑する。青鷺は闇ギルドを退治してくれた英雄として歓待を受けた。ひっきりなしにやってきてはお礼を言ったり、礼の品をくれたりと休む暇がないほどだった。ようやく一段落し、人混みを外れて休んでいるのだ。
「そんなことを言って、まんざらでもなさそうだったではないか」
「……そんなことはない。だいたい、カグラだって戦ったのになんで全部私に押しつけるの」
「押しつけるも何も、ほとんど私は何もしてないだろう」
そういえば、と斑鳩がなにかを思い出したように声をあげる。
「捕まった連中の大半が、幽霊がどうとか言ってましたけど、何かあったんどす?」
闇ギルドの連中は兵士に連れられていくとき、驚くほどに従順だった。むしろ自分から進んで捕えられていくほどだ。兵士は不思議なこともあるものだ、と首を捻っていた。
「……ああ、それは私が襲撃するときに幽霊のふりをしたから」
「幽霊のふり? どうしてまた」
なんでそんなことをするのかよく分からなくて斑鳩は首を捻る。
「……そんなにバカにしたものじゃない。この村みたいに遮蔽物が全然ないと転移して不意打ちをかけられる距離に入るまでに見つかる可能性が高い。幽霊だって思わせれば、戦闘せずに近づける。そうでなくても、勝手に緊張したり、戦う意欲をなくしてくれるから無駄な労力を使わずに制圧できる」
「でも、驚いて声をあげられたらばれまへんか?」
「……そこは調整できる。突発的に驚かせれば悲鳴をあげるけど、じわじわと恐怖心を抱かせれば緊張して息が詰まる。失敗したとしても、刺客が来たって確定するより、幽霊騒ぎでもしかしたら刺客かもって思われる方がまだ警戒は少ない」
「お前、髑髏会では仕事をしてないんじゃなかったのか?」
「……うん。これはギルドの嫌なヤツを驚かして、うさばらしして磨いた。さすがに直接危害を加えるとばれるかもしれないから、驚かせただけだけど」
「……恐ろしいヤツだな」
得意げに語る青鷺に、カグラは呆れたように呟いた。斑鳩もまた、苦笑いを浮かべている。
*
さらに翌日、斑鳩たちはギルドへと帰還した。帰り道はこれといって問題はなく、進むことができた。劇団と別れる際には、いつの間にか仲良くなっていたのか、ローナが青鷺を家に招待しているようだった。
「ふう、帰ってきたぁ」
ギルドを目前に、ようやくといった風に斑鳩は言葉を漏らす。ギルドの入り口をくぐり、依頼達成の報告を行い、帰ろうとしたところで三人はリズリーに呼び止められた。
「お客さんが来てるよ。あんたらに用があるんだってさ」
「うちらに?」
斑鳩たちは顔を見合わせて首をかしげる。斑鳩とカグラならともかく、ギルドに入ったばかりの青鷺を含めた三人となると心当たりはない。青鷺とカグラも同様のようだ。不思議に思いながら客の待っているという席に向かうと、覆面で顔を隠した男が一人。いよいよ怪しいと思いながら席に着く。
「うちが斑鳩ど――」
「いい、知っている」
自己紹介を始めようとしたその声を男が遮る。その声を聞いて、全員が驚きに目を見開く。
「少し、頼みたいことがあるんだ」
言って、斑鳩たちだけに見えるようにさらした顔は忘れるはずもない、つい最近、知り合った男のものだった。
*
斑鳩たちが帰還するより少し前。
地方ギルド定例会において、