「わぁ、かわいい」
町中ではあまり見かけない衣装に身を包み、ルーシィは喜んで顔を綻ばせた。
「確かに、なかなか良い服だぜ」
「あんたは着てから言いなさいよ……」
いつのまに、と驚いて上裸になった自分を見下ろしてグレイは驚いた。ルーシィは呆れたように息をつき、ジュビアは顔を赤らめ手で覆う。ただし、指の間から瞳が興味深げに輝いているのは御愛嬌。
「ここは集落が全部ギルドになっていて織物の生産も盛んなんですよ」
騒ぐ三人に苦笑しながら少女がギルドの解説をしてくれた。少女の背丈はルーシィよりも随分と低く、歳は十二か十三といった頃合いに見える。藍色の髪を背の中程まで伸ばし、体は華奢だ。少女は名をウェンディといった。
「へぇ、そうなんだ。“
「うちのギルド、無名ですからね……」
「あ、そういうつもりで言ったんじゃないの!」
落ち込んだ様子を見せるウェンディに慌ててルーシィが弁明する。
楽園の塔消滅から明け、二日が経っていた。人里離れた場所に位置するギルド――“化猫の宿”――に関係者の面々が滞在していた。事情は、塔の消滅直後に遡る。
++++++++
エーテリオンは渦を巻き、星々が輝く夜空へと吸い込まれるように流れていった。それを、海上のグレイたちはただ呆然と見送った。正気に返ったのはその後、楽園の塔の跡地から近づいてくる人影をとらえての事だった。
「おい、あれ!」
最初に声をあげたのは誰だったのか、声をあげた本人すら覚えていない。それほど、全員の意識が人影へと向いていた。影は微かに発光し、ふらふらと飛んで近づいてくる。
「な、なんで――」
影が近づき、視認できるほどになると、楽園の塔側の勢力だった面々は目を見開いた。影の正体はジェラール。ジェラールはナツを背負い、両手にぐったりとした斑鳩とエルザを抱え込んでいた。
「てめえ、何しやがった。ジェラール!」
ショウが怒りをあらわに叫ぶと何事かとうろたえていた者たちも状況を理解し、全員が身構える。悲しそうに顔を伏せたジェラールに代わって答えたのは、右手に抱えられたエルザだった。
「……やめろ、ジェラールはもう敵じゃない」
「でも、姉さん!」
「事情は後で説明する。今は少し、話す余力も無い」
誰もが納得しきれず、不審そうにジェラールをねめつける。その中で、シモンはため息をひとつ吐いてジェラールに歩み寄った。ショウやウォーリーから制止の声がかかるがかまわず、ジェラールの前に立ち、じっとその瞳を覗き込んだ。ジェラールの瞳が不安にゆれる。シモンはもう一度ため息をついてかぶりを振ると、ジェラールの右手に抱えられていたエルザをおぶろうとしゃがみ込む。
「一人で三人抱えるのは重いだろ」
「シモン、お前」
「なにも言うな。オレはエルザを信じるだけだ。今までみたいにな」
話は事情を聞いてからだと、シモンはジェラールからエルザを受け取って立ち上がる。シモンは背で小さく呟かれたありがとう、という言葉に鼻をならしただけだった。次いで、カグラがジェラールに歩み寄って斑鳩を背負う。
「君は、シモンの……」
「ああ、私はシモンの妹だ」
「君にも、迷惑をかけた」
「……八年間、兄を塔に拘束していたことは思うところがないではないが、そも兄を攫ったのはそなたではない。後は兄やエルザ、仲間たちの問題だ。だから、私に関しては気にするな。斑鳩殿を運んで頂き感謝する」
カグラもまた、斑鳩を背負って立ち上がる。斑鳩はカグラの背でくすりと笑った。
ジェラールがなにか声をかけようとして言葉に迷っていると、ふいに背が軽くなった。
「このバカを運んでもらって悪かったな」
振り返れば、グレイがナツを肩に担いだところだった。
「……巻き込んで悪かった」
「ほんとだぜ。いらねえ面倒かけやがって」
吐き捨てるように言うグレイにもう一度ジェラールはすまないと謝った。謝罪をうけてグレイは頭をかいてジェラールから顔をそむけて呟いた。
「すまねえと思うならよ、もう、エルザ泣かすんじゃねーぞ」
それで許してやる、と言ってグレイはジェラールから離れていく。進んだ先で、意地悪げに口を歪めたルーシィと青鷺に何かを言われて、顔を赤らめてグレイが怒鳴っている。そばではジュビアがとろけたような瞳でグレイに見とれていた。
「――いい、仲間たちだろう」
「ああ、本当にな……」
感慨深げに呟くエルザの言葉が淀むことなくジェラールの胸に落ちた。胸の中のしこりがひとつ消えたような気がする。
「……それで、これからどうするんだよ」
アカネビーチに向かい、海上をジュビアの魔法によって移動する中、呟いたのはショウだった。
「とりあえず、病院だろ。エルザも斑鳩も怪我が酷い」
グレイが言って、二人に視線をやる。二人ともエーテルナノの浸食によって半身がひび割れたように亀裂が入っていた。意識こそあるものの、大陸有数の屈強な魔導士である二人がまともに身動きできないことからどれほどの痛みが伴うのか想像に難くない。
「…………でも、それじゃあジェラールの手当、できないだろ」
「――――」
ジェラールが驚いたようにショウに目をやるが、顔をしかめたまま背けている。言外に話す気はないという意思を表していた。
「つってもなあ、しょうがねえから自力で手当てしてもらうしかねえだろ。エルザや斑鳩ほどでもねえんだし」
「ああ、オレもそうするつもりだ。心配はいらない」
「本当にそうか?」
疑問を差し挟んだのはエルザだった。
「袖の下を見せてみろ」
「何を――」
「制御のために塔に干渉した際、少しとはいえお前も浸食を受けたはずだ。私たちを抱えたときも脂汗を流していたろう?」
ジェラールは眉をしかめて口ごもる。じっとエルザに見つめられて観念したように袖を引きちぎった。
「やはりな」
出てきたのはエルザや斑鳩ほどではないが、エーテルナノの浸食によってひび割れた肌だった。
「確かにオレも浸食を受けてはいるが本当に心配はいらない。現にエルザも斑鳩も抱えてきた」
あくまで、ジェラールは自分のことなど構うなと主張する。それに、斑鳩が口を挟んできた。
「エーテルナノの浸食なんて普通に生活してたらありえまへん。そこらで売ってるもので手当てできる範囲、超えてると思うんどすが」
なおも納得いかなげにしているジェラールにエルザが窘めるように言った。
「いい加減にしろ。ここまで来て自分だけ罰を受けようなど許さんぞ」
「……わかった」
観念したようにジェラールは頷いた。しかし、まだ問題は解決したわけではない。病院に行かずにエーテルナノ浸食の治療を施さなければ無い。話し合うも、なかなか意見は出ない。
「実は、ひとつ方法がないわけではないんだ」
言ったのはジェラールだった。
「あまり知られてはいないが、“化猫の宿”には天空の滅竜魔導士、天竜のウェンディという者がいると聞く。失われた魔法、治癒魔法が使えるらしい」
「よく知っているな、そんなこと」
「……個人的に滅竜魔導士に興味があってな。評議員で噂を聞けば調べるようにしていた」
なるほど、と全員が頷いた。
「直接会ったことは無いが、優しい少女だという。無下に扱われることは無いだろう」
「よし、それしかねえか。それしかねえが」
言って、グレイは胡乱げにジェラールを見やった。
「もっと早く言えや」
ジェラール以外の全員が深く頷いた。
「…………すまん」
++++++++
「でも、ウェンディとジェラールが知り合いだなんて驚いちゃった」
「……ジェラールは私のこと、覚えてませんでしたけどね」
言って、ルーシィにウェンディは力なく笑った。
「なんでさっきからおめえはそういうことばっか言ってんだよ」
「うう、悪気はないんだ。ごめんね……」
「いいんですよ。もう気にしてませんから」
グレイに注意されてルーシィが謝る。ウェンディは笑顔で答えるが、それが無理矢理作ったものだとは誰の目にも明らかだった。
「それにしても、ジェラールって最低ね。こんな小さい娘まで泣かせるなんて」
ルーシィは憤慨したように頬を膨らませた。“化猫の宿”に到着し、なんとかエルザ、斑鳩、ジェラールだけでも治してもらえるように説得しに言ったのだが、当のウェンディがジェラールを見たとたんに泣き出してしまったのだ。
何事かと思って事情を聞けば、以前、天竜グランディーネが姿を消して途方にくれていたウェンディはジェラールに出会い、ともに旅をしたのだという。それがある日、ジェラールはウェンディを“化猫の宿”に置いて行ってしまったのだという。
また会えて嬉しいと言われたジェラールはしかし、困惑したように記憶にないと言う。それによってウェンディはショックを受けてさらに泣いてしまったのだ。
「さすがに、あそこまで白い目で見られちゃ可哀想になったけどな」
言って、グレイは思い出したように見振いする。ウェンディを泣かせたうえに、ジェラールは人違いじゃないか、とのたまった。これに特に女性陣からは非難を浴びた。萎れたように身を縮めた姿は、本当にエーテリオン投下などという大事件を起こした人物とは、とてもではないが結びつかなかった。
「ナツさん、起きてきませんね」
ふいに呟かれたジュビアの言葉に、皆が視線を開かれた扉の奥、寝ているナツに目をやった。
「エーテリオン食べちゃったらしいからね。エルザは毒を食べたに等しいって言ってたし」
「最も、その毒に半身侵されたヤツらは、一日寝ただけでもうピンピンしてるけどな」
呆れたように首をすくめるグレイに、他の面々は苦笑した。グレイの言葉通り、ぐったりしていたはずの二人はウェンディに治癒魔法をかけてもらうと、一晩寝た翌日には元気になっていた。
「みんな外に出かけちゃって、ギルドの中は私たちだけだしね」
ギルドの中には寝ているナツとルーシィたちの他に人影はない。ジェラールは早朝から姿が見えず、エルザはかつての仲間たちとどこかへ出かけていった。斑鳩とカグラは青鷺をなかば拉致するようにどこかへ連れて行った。
「もう二人。いや、もう二匹いんだろ」
グレイが顎で指した方を見れば、ハッピーがシャルル――ウェンディの相棒の喋る猫――に話しかけてアピールをかけていた。その様子にグレイたちは目を合わせて苦笑した。
*
“化猫の宿”を形成する集落。背後は切り立った山々に塞がれ、前方は崖によって断絶している。崖下に広がる湖をジェラールは崖の縁に立って眺めていた。
「こんなところにいたのか。探したぞ」
背後から聞き覚えのある、凜とした声が聞こえて振り返る。そこにはエルザを先頭に、かつての仲間たちが立ち並んでいた。ジェラールは体が強ばるのを自覚する。
「そう緊張するな。落ち着いて話がしたい」
エルザは薄く微笑む。その言葉にジェラールは大きく息をして心を落ち着ける。
「事情はもう聞いた。洗脳を受けていたらしいな」
最初に口を開いたのはシモンだった。ジェラールはああ、と小さく頷いた。
「だが、洗脳されていたからオレは悪くないなどというつもりはない。オレがお前たちを縛り付けていたのは事実だからな」
ジェラールは自嘲するように笑うと言葉を継ぐ。
「今さら、仲間面するつもりはないさ」
「……昔、オレが脱走計画を立案したときのこと、覚えてる?」
「ショウ?」
唐突にショウが話を切り出し、ジェラールは怪訝にショウを見やる。
「脱走が失敗して、立案者は誰かと問い詰められたとき、真っ先に名乗り出たのはジェラールだった」
「……もっとも、結局、連れて行かれたのはエルザだがな」
「それでも、オレをかばってくれたのはジェラールだ。オレはジェラールが名乗り出たとき、少し安心したんだ。最低だろ」
ショウは苦笑してジェラールに歩み寄る。
「オレはガキだった。いや、今もそうだ。洗脳されたジェラールの言うことを疑いもせずに信じ込んで、騙されてたと分かればジェラールを恨む。主体性なんてひとつもない。そのくせ人のせいにするのは一人前だ。――オレの方がよっぽど、罪深いと思わないか?」
「そんなこと」
「あるんだよ、ジェラール。だから、自分だけが悪いみたいに言うのはやめろよ」
「ショウ」
「オレこそ悪かったんだ。今までごめん」
ショウは頭を下げる。意外だった。ショウは一番、ジェラールに対して憎しみを向けていた。憎まれるのは当然だと思っていたのに、それを謝られるとは思ってもみなかった。
「ごめんなさい、ジェラール」
「本当にすまねえ」
ミリアーナとウォーリーも駆け寄ってきて頭を下げた。
「ジェラールが洗脳されてたなんて思ってもみなかった」
「仲間の異変に気づけねえなんて、ダンディじゃねえよな」
「お前ら」
両頬を暖かいものが伝う。――まだ、仲間と呼んでくれるのか。
「ジェラール、お前がエルザを追い出したことを知って、オレはお前を恨んだ。だけど、本当はお前がそんなことするはずないんだと、信じるべきだったんだ。……すまなかった」
「シモン……」
シモンもジェラールに近づいて頭を下げる。頭を下げた四人に囲まれて、困ったようにエルザを見た。エルザは苦笑して口を開く。
「私も、八年間塔に近寄らなかった」
「それは、オレが脅したからで……」
「確かにそうかもしれない。でも、塔に近づくのが恐かったのも否定できない事実だ。どうだ? お前が一人で背負う必要なんてないだろう。誰か一人が悪いなんてことはない。誰もに落ち度があった。その結果だ」
「…………」
「みんな、頭をあげろ」
エルザの言葉に、四人は頭をあげてジェラールを真っ直ぐに見つめる。
「ここから、やり直そう。心から、私たちは仲間なんだと言えるように」
「ああ」
涙が止まらない。足に力が入らず崩れ落ちる。
――全て、失ったと思っていた。
みんなが心配したように囲んでくれたのが分かった。まだ、なにも終わってはいないのだ。
――未来がある。それだけのことが、こんなにも嬉しい。
*
集落には点々と木々が生えている。その中に、他の木々の数倍もの大樹があった。崖近くにあるこの樹には梯子がかけられ、上れるようになっている。足場にするには十分すぎる太さを持つ枝は、表面が削られ、展望台のようになっていた。
「カグラはんは混ざらなくてよかったんどすか?」
「さすがに、妹というだけであの輪に入ろうとは思いません」
木製の手すりにもたれかかって、斑鳩とカグラは眼下を眺める。エルザたちがなにやら話し込んでいるのが小さく見えた。
「……それで、こんなところに連れてきて何の用?」
背後から声を駆けられ二人は振り返る。反対側の縁で、青鷺が手すりに背を預けて訝しげに斑鳩たちを見やっている。やや警戒めに声を固くする青鷺に斑鳩は苦笑した。
「青鷺はんとは塔の中であまり接点がありまへんでしたから」
「……ふうん。グレイやショウから話は聞いたはずだけど」
青鷺たち三羽鴉はジェラール側の仲間であったが、ショウたちですら存在を隠されていた。そのため、戦いの場にいたエルザ、グレイ、ショウしか存在を知らなかった。故に“化猫の宿”に向かう道中、説明が為されたのである。
「なにか、すごい警戒してはりますなぁ」
「だから言ったじゃないですか……」
青鷺の言葉に距離を感じて斑鳩は肩を落とす。カグラは呆れたように呟くと青鷺に向き直った。
「突然、連れ出して悪かったな。つい数日前までは敵同士だった故に警戒するのは分かるが、本当に悪意はないんだ。少し、話を聞いてくれないか?」
「…………」
しばし、青鷺とカグラは見つめ合う。
――こんな澄んだ目、ギルドじゃ見なかったな。
髑髏会の雑用。それが十数年の生涯のほとんど全てを占めている。青鷺は使用人どころか、奴隷のように扱われた。ギルドのメンバーが青鷺に向ける目は、嘲笑、侮蔑といったものが七割。後の三割は無関心。
「……分かった。話を聞こう」
青鷺は顔を背ける。純粋に人を信じられない自分に僅かながら嫌悪を覚えた。
「礼を言う。斑鳩殿」
カグラは微笑むと斑鳩に視線をやる。斑鳩は一つ咳払いをすると、話し出す。
「青鷺はん、これからどうするか決めてはります?」
「…………」
斑鳩の質問に青鷺は黙り込む。実のところ、先のことは何も考えてはいなかった。髑髏会から解放された喜びに浸り、悩ましいことに関しては後回しにしていたのだ。斑鳩に突きつけられた問題は青鷺の頭を悩ませる。
「なにもないということでよろしいどす?」
「……ああ」
青鷺はなんだか恥ずかしくなって俯いた。
「なら、うちのギルドに来まへんか?」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか理解できずに呆けてしまう。そんな変なことは言ってないはずなんどすが、と斑鳩は頬をかいた。
「……いいの?」
青鷺はおずおずと小さく尋ねる。
「いいもなにも、青鷺はんほどの魔導士なら是が非でも欲しいもんどす。それに、きっと楽しいどすよ」
斑鳩は優しく微笑んだ。そうか、と青鷺は口の中で呟く。頭の中でたわいもない想像が膨らんで、それだけで幸福を感じた。青鷺が力を求められるのは初めてではない。
――イカす腕前してんじゃねーか! どうだい、オレたちとロックに殺しをしようぜ!
もっとも、以前は全くときめかなかったが。
「……私でよければ、よろしく頼む」
やった、と斑鳩は手を合わせて喜んだ。カグラが歩み寄って手を差し出す。
「これからよろしく頼む」
「……うん」
控えめに差し出された青鷺の手をカグラがしっかりと握る。掌から伝わる暖かみが体中に浸透するように感じた。
「……そういえば、勧誘ならこんなところに来なくても良かったんじゃ?」
ギルドの建物から大樹までの距離は歩いて数分といったところだ。遠くもないが、わざわざ勧誘するためだけに移動するものかと青鷺は首を傾ける。
「“妖精の尻尾”や“化猫の宿”と取り合いになる前に話をつけたかったんどすよ」
「……そう」
“人魚の踵”に来てくれて良かった、と斑鳩は笑う。青鷺はなんだか照れくさくて顔を背ける。誰かに自分という存在が求められるのが、こんなにも嬉しい。
*
ギルドを形成する集落の中央に位置する広場。そこにエルザたちは帰り支度を済ませて集まっていた。
「突然の訪問にも関わらず、受け入れて頂きありがとうございます」
「気にせんでええんじゃよ」
頭を下げるエルザにローバウル――“化猫の宿”のギルドマスター――は笑って答えた。楽園の塔消滅から三日が経ち、ウェンディの治癒の甲斐もあって万全とは言えないものの大分回復していた。
「ふん、ウェンディに無茶させて」
「シャルル、失礼だよ」
口を尖らせるシャルルをウェンディが窘める。治癒魔法は魔力を多く消費する。シャルルはウェンディに無茶をさせたのが気に入らないのだ。
「だいたい、折角ウェンディががんばったのに知らないってどういうことよ」
「すまない。本当に分からないんだ」
シャルルに睨まれたジェラールは帰還するエルザたちの対面、見送る“化猫の宿”の面々に混じって立っている。
「エーテルナノの浸食による記憶障害かもしれん。しばらくはここで療養しろ」
ジェラールは“化猫の宿”に残留することになった。ジェラールとてウェンディを泣かせるのは本意ではない。記憶にないのは本当なのだが、洗脳の影響で八年間の記憶が他人事のように思えることもあって、ジェラールも本当に忘れているのかもしれないと自信がなかった。それに、ジェラールが評議院からどういう扱いを受けているのかも定かではない。“化猫の宿”は森の奥にあり、交通の便も悪い。人目につかないことから様子見のためにかくまってもらう意味もある。
「ご迷惑をおかけします」
「いいんじゃよ。その方がウェンディも喜ぶ」
ジェラールは神妙に頭を下げる。
「さて、私たちはもう行こう」
名残惜しくも、エルザの一言を皮切りに“化猫の宿”に背を向けて帰途につく。
「元気でな」
「また会いましょう!」
互いに再会を祈って言葉をかける。姿が見えなくなるまで声をかけ続けた。
「さて、オレたちはここで別れるよ」
森を抜けて町に到着したとき、切り出したのはショウだった。
「ここから、オレたちは自由に生きるんだ」
崖の上で語り合い決めたことだ。ジェラールは“化猫の宿”に残って療養し、エルザは“妖精の尻尾”に戻り、ショウたちは自由に旅をする。
「折角会えたのにごめんな、カグラ」
そのメンバーの中にはシモンもいる。シモン自身、折角会えたのだから一緒にいるべきだと思ったのだが当のカグラが反対した。
「いい、もう生きてるって分かったのだから。私に気にせず好きなようにしてほしい。折角解放されたのに、また縛りつけるつもりなんてない」
そう言って笑うカグラの顔に悲しみはない。幼い頃に生き別れた兄の無事を確認できた。それだけでも奇跡に近い。死に別れるわけではないのだ。また会える。
「本当に強くなった」
シモンは寂しそうにしながらも口元を綻ばせた。手を振って笑顔で別れる。
「私たちもここでお別れだな」
駅舎で斑鳩たちもエルザたちと別れることとなった。それぞれのギルドは別方向。当然、乗る列車も違う。
「二度あることは三度ある。また、仕事が一緒になるかもしれんな」
「ええ、本当に」
エルザが冗談めかして言ったのを斑鳩はなんだか本当にそうなりそうな気がして頷いた。
「ナツはんにもよろしく」
そう言って、グレイにおぶられながらいびきをかいて眠っているナツを見る。
「結局、目覚まさなかったな。こいつ」
「食事の時は起きるから大丈夫だとは思うんだけどね」
うんざりしたようにグレイとルーシィがため息混じりに呟く。ハッピーも首をすくめて呆れたようだ。くすくすと笑って斑鳩たちは先に到着した“人魚の踵”に向かう列車に乗り込んだ。
「……あれだけいたのにもう三人か」
「なんだ、寂しいのか?」
「……別に」
強がる青鷺だったが、声には元気がない。本心は透けるように見えた。
「寂しがる必要はありまへん。同じ時、同じ大地に生きてます。それぞれ別の道に進もうと、きっとまた巡り会えますよ」
「……違うって言ってるのに。でも、まあ、うん」
青鷺が俯いて、隠すようにして口元を小さく釣り上げる。それが見えていた斑鳩は苦笑して窓の外に視線を向ける。流れていく景色を眺めながら斑鳩も薄く微笑んだ。