“夜叉姫”斑鳩   作:マルル

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第十三話 夜叉姫

「――ようやく来たか」

 

 扉の先は暗く、部屋の中の様子を伺うことは困難だった。部屋の奥に立つノルシェの手に持つランプと斑鳩たちの背後から差し込む通路の光だけが光源だった。

 彼我の距離は十メートル程。斑鳩は周囲を警戒しつつノルシェへと歩み寄る。

 

「無事だったか……」

 

 ノルシェは斑鳩の横に立つメルトに目をやると、心底安堵したように呟いた。斑鳩はその呟きを意外そうに聞いていた。

 人の体を魔獣と合成させるなどという所行を行った割に、人情というものは持っているようだ。

 

「廃棄場の方から火柱が見えたときは心臓が止まるかと思ったぞ」

「……ごめんなさい。僕が勝手な行動をしたばかりに」

「よい、過ぎたことだ。それに今は気分がいい、特に咎めはせん。さて――」

 

 ノルシェは一通りメルトへと声をかけると、斑鳩の方へと目をやった。

 

「久しぶり、と言っても貴様はわからんのだろうな」

「……久しぶり?」

 

 ノルシェの言葉に斑鳩は首を傾ける。これまでの人生を振り返るが、思い当たる節はない。頭に疑問符を浮かべる斑鳩をみやり、ノルシェはくつくつと笑った。

 

「一年前、この森で俺たちは出会ったのだ」

「一年前……。この辺ではエイリナスを討伐したくらいどすが――」

「そう、そのエイリナスこそ俺とメルトだ」

「は?」

 

 ノルシェの言葉は唐突すぎて、斑鳩には何のことだかわからない。ノルシェはにたり、と笑って言葉を続ける。

 

「正確には、エイリナスの中に入っていた、といったところだ」

「――中に」

「あの時、僕たちは憑依魔法の実験中だったんだ」

「憑依、魔法」

 

 メルトの説明にノルシェは自慢げな、誇らしげ表情だ。そんなノルシェの様子にお構いなしに、この男と相対してから抱いていた疑問をぶつける。

 

「えらく、饒舌どすな。こんなところで隠れて研究しはってるくらいなら、そう他人に話してもよろしいんどすか?」

「それはもっともだな。実際、公に私の研究が認められないために隠れたのだから。しかしな、先ほども言ったが今、私は気分がいい」

 

 加えて、先々日までは実験体であるエイリナスを討伐した斑鳩が憎くて仕方なかった。勝手に戦いに赴いたメルトに苛立った。それでも、多少のことには目をつむろう。

 

 

「なぜなら、ついに私の研究はひとまずの終わりを迎えたのだから」

 

 

 静かに、されど絶対の自信を持ってノルシェは告げる。

 

「終わり?」

「ああ、終わりだよ。憑依魔法と魔獣化実験。その行き着く先だ」

「それは――」

 

 なんだ、と続けようとしたところでノルシェからの制止が入る。

 

「まあ、そう慌てるな。せっかくの記念すべき日なのだ。もう少し話をさせてくれ」

「――――」

 

 斑鳩は無言をもって返答する。

 それを肯定と受け取り、ノルシェは語り出す。

 

「この世界に、魔力を持たない人間はどれほどいるか知っているか?」

「ええ、たしか魔力を持つ人間は全人類の一割ほどだと」

「ああ、その通りだ。――そして、私もメルトも魔力を持って生まれなかった」

 

 その言葉に斑鳩は無言で隣に立っていたメルトを見やる。その視線に気づくと、メルトは顔を悔しげに歪ませつつ頷いた。

 

「それで、魔力を持つ魔獣の体を移植することで魔力を――」

「…………」

 

 斑鳩の言葉に返答する者はいなかった。メルトはうつむき、ノルシェは不適に口元を釣り上げている。

 

「魔力が無くても、魔法は使えるでしょうに……」

「確かに、その通りだ。実際、私の実験に魔法は不可欠だった。全く、魔水晶(ラクリマ)とは便利なものだ」

 

 実際に、魔力を持たずに魔導士となっている者もいる。

 

「だがな、それでも魔力持ちより不利なのは変わりない。実際、魔水晶(ラクリマ)もしくは魔力を独自に持つ魔導具を使って大成した人間はどれほどいる?」

「それは――」

 

 斑鳩はノルシェの問いに言葉を詰まらせた。

 斑鳩の知る限り、強い魔導士は能力(アビリティ)系も所有(ホルダー)系も自前の魔力を持っているものばかりだ。

 

「否定、できんだろう?」

「――――」

「そう、この世界は不平等だ。――だからこそ、私は魔力を求めた」

「……確かに、その思想は理解できます。けど、こんな異形の体にする必要はなかったでしょうに」

 

 痛ましげに、メルトを横目に見る。

 魔力を使えるようにするだけならもっと目立たないようにすることもできたのではないのかとそう思う。魔獣の力が使いたいのなら《接収(テイクオーバー)》を使えるようになればいいだけの話ではないのか。

 

「確かに、お前の言うことも一理ある。――そうすることも可能だった」

「なっ――!!」

 

 ノルシェの言葉に反応したのは斑鳩ではなくメルトであった。それまで、苦々しげな表情をしつつも、沈黙をしていたメルトが急に声を荒げたことで斑鳩は虚をつかれる。

 

「あんたは、僕に言ったじゃないか! 魔力を得る代わりに人の姿を――」

「――黙れ」

「――――っ!」

 

 しかし、メルトの勢いもノルシェの一言ですぐに沈められる。ノルシェは一息つき、剣呑な雰囲気を払うと斑鳩に言った。

 

「なあ、お前は強い魔導士だ。その強さに至るまで、どれほどの努力があったのか、俺には想像もできん」

 

 十年、人生の半分は修行とともにあった。

 当然、斑鳩の強さはこれに裏打ちされた者である。

 

「お前ならおそらく強い魔獣と戦ったこともあるだろう。やつらの力は圧倒的だ。だが、やつらはお前ほどの努力をしてそこに至ったと思うか?」

「それは……」

「そんなことはない。やつらは生まれながらに強いんだ」

 

 ノルシェは先ほどまでとは打って変わって、無表情で言葉を続ける。

 

「それは絶対なる種族の差。埋めることのかなわない初めから存在する壁。魔力を持つか持たないか以上に大きな、な」

「それでも、倒すことはできる」

「ああ、そうだ。完全に劣っていたら人間は今頃滅亡している。人間には知能がある。努力しようと思えるのもまた、知能があるからこそだ。しかしな、――竜はどうだろうか? 知能を持ちながら、人を超える力を持ったやつらは?」

 

 伝説にうたわれる竜。

 この時代にはすでに滅んだと言われる存在。

 しかし、記録に残るその力は、

 

 

「竜は人間では及ばぬ程の力を持っている」

 

 

 その通り。人間が竜に勝利したなどと言う話は聞いたことすらない。それほどに絶対的な存在だった。そして、斑鳩は気づく。ノルシェの真意。

 

「――あなたの目的は」

 

 

「――ああ、俺は人間を超えるのだ(・・・・・・・・)

 

 

「そのための魔獣化実験……」

「その通り!!!!!」

 

 斑鳩の言葉にノルシェは我が意を得たりとばかりに拍手を送る。

 

「魔力を得るなど目的達成のための一つに過ぎん! 魔力を持たない一般人でしか無い俺は、超人へと生まれ変わるのだ!!」

 

 魔力なき者に魔力を。その話を聞いたとき、斑鳩はわずかながら感心していた。メルトを改造するなど、やり方は褒められたものではないが、ノルシェの研究は多くの魔力無き人々にとって希望となっただろう。

 

「そんなことのために、僕を利用したのか……」

「利用? ああ、確かにしたさ。だが、お前の願いどおりに魔力を与えてやった。文句を言われる筋合いは無いと思うが?」

「ぐ……」

 

 メルトは言葉を返すこともできない。ノルシェの言うことは正しく、望んだのはメルトなのだから。

 

「――その夢はもう終わりどす。大人しく捕まってもらいましょう。倫理を外れた研究に、アネモネ村に被害を出したこと。評議員に突き出すには十分どす」

 

 斑鳩はメルトへとさらに歩み寄る。見たところ、ノルシェは自らを改造した痕跡はない。正真正銘、なんの魔力も持たない人間だ。しかし、これから捕まり、夢が潰えようとしているのにノルシェには動揺した様子が全くない。その様子に斑鳩は訝しむと、ノルシェはにたりと笑って言った。

 

 

「――ところで、憑依魔法はなぜ、研究していたと思う?」

 

 

 同時にノルシェは懐に手を入れる。

 それを見た斑鳩が即座に接近し、取り押さえるが、

 

「――もう、遅い」

 

 声は後方から聞こえてきた。

 

「うぐっ――!」

 

 背後から蹴りをくらった斑鳩は痛みにうめきをあげつつ、メルトから距離をとる。

 いや、正確には――、

 

「あ、あれ? 僕は、なんで? さっきまで立っていたはずなのに」

 

 メルトの体に乗り移ったノルシェから。反対に先ほどまでノルシェだった男がメルトであろう。その困惑の声が証明していた。

 

「それが憑依魔法の目的とその研究成果――!!」

「ああ、そうだ。人間を別生物に改造しようというのだ。失敗の可能性もあるのに、初めから自分の体で実験するはず無かろう。そして、完全な憑依のためには、もとの体の持ち主に残っていられると困るのでな!」

 

 言って、ノルシェは触手を伸ばす。しかし、それは斑鳩ではなく、メルトを狙ったものだった。

 

「――――っ!」

「ふむ」

 

 即座に助けに入り、触手を切り払うとメルトを抱えて飛びずさる。

 

「あれ? 僕がひとに……」

「今は大人しくしなさい!!」

 

 追撃にせまる触手を避け、さらに後退。

 最奥の壁まで追い詰められる。

 

「やはり、もとの体よりは力は出るがどうしても馴れんな。特に触手がうまく動かせん」

「なぜ、メルトはんを」

「用済みなのだ、処分しても問題なかろう?」

「……あなたが初め、メルトはんを心配したのは」

「俺の体になるのだ。破壊されてたら嫌だろう?」

「――――そう」

 

 その一言で斑鳩は完全に同情の余地なしと判断する。

 即座に、ノルシェを仕留めようとし、

 

「なっ!!」

 

 頭上から降り注ぐ魔力光線に気づき足を止める。

 とっさによけるものの、それだけでは終わらない。

 斑鳩は頭上を見上げると暗い闇の中、数多の光が灯っていた。それは、明かりのためのものでなく、魔力光線が発射される直前の予兆。

 

「メルトが敗れたのに、今の俺がまともに戦って勝てるわけがないだろ」

 

 瞬間、斑鳩の頭上に何条もの光が降り注ぐ。

 どれも、生半可な威力ではない。

 

「無月流、天之水分(あめのみくまり)!」

 

 斑鳩は周囲に魔力流を展開。

 しかし、ノルシェの特性の魔導具か、一撃一撃がかなりの威力を持っている。魔力流だけでは流しきることは不可能。だが、それしきのこと、問題にならない。刀に魔力を纏わせ振う。完全に弾く必要は無い。天之水分のみでは流せないのならば、刀を使い流れに乗せる。

 

「――――!!」

「おわわ!!」

 

 降り注ぐ光を流す、流す、流す。着弾した衝撃音が部屋中に響く。足下から何か悲鳴のようなものが聞こえるがそんなことを気にしている暇はない。

 

「ようやく、打ち止めどすか」

「こ、怖かった……」

 

 見渡せば部屋の床はぼこぼこに破壊されており、辺りには煙が立ちこめている。

 

「逃げられたか……」

 

 天之水分で感知を行うが、部屋内にノルシェのいる気配はない。光弾を防いでいる間に逃げられたのだろう。だが、それも数秒のこと。すぐに走れば追いつくだろう。

 

「メルトはん、うちは村に向かいます。あなたは――」

「――まさかとは思ったが、生き残ったか」

「どこ!?」

「あ、あそこに何か置いてある」

 

 メルトの指す方向に顔を向ける。

 すると、先ほどまでノルシェが立っていた場所にスピーカーが置かれていた。

 

「今、どこにいはるんどす?」

「くく、アネモネ村に向かう途中だ。――この体をならすのに最適だと思わんか?」

「――――!」

「ノルシェ様」

 

 ノルシェの言葉にすぐさま斑鳩は扉へと駆けだした。

 それに対し、メルトはノルシェへと問いを続ける。

 

「なんでそんなことを教えてくれるの?」

 

「――そんなもの、お前らがこれから死ぬからに決まっているだろう?」

 

「扉が開かない!?」

 

 斑鳩の声と同時に、頭上で爆音が鳴り響く。

 今居るノルシェの隠れ家は洞窟内。

 斑鳩たちの頭上から今度は多くの岩盤が降り注ぐ。

 

「メルトはん、近くに!!」

「くそ!!」

「無月流、迦楼羅炎(かるらえん)!」

 

 圧倒的質量の前に、天之水分では無力。故に、斑鳩の修める無月流のうち、単純な破壊力ならばトップに立つ技を使う。斑鳩の振う刀からほとばしる火炎が降り注ぐ岩石を打ち砕く。

 しかし、

 

「あいたっ」

「――斑鳩!!」

 

 砕かれた岩石、その中でこぶし大ほどの破片が斑鳩の額に直撃。

 

(……あ、これはやばい)

 

 額に痛みを感じながら、斑鳩は意識が遠のいていくのを実感した。メルトとの戦いで斑鳩はすでに大量の傷を負っている。どれも、深い傷ではないが数が多すぎる。すでに斑鳩は多くの血を失い、平時にくらべて大幅に調子を落としている。額への衝撃をとどめに斑鳩の意識は限界を迎えた。

 視界には崩落する天井。迫る大岩。それは、斑鳩の迦楼羅炎では天井を貫けなかったことを意味していた。

 

(まだ、終わりたくない。誰か――)

 

 意識が落ちる寸前、斑鳩が感じたのは、とん、と誰かが自分の体を押す感覚だった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「うちは、死んだの?」

 

 斑鳩は目を覚ますと同時に周囲を見渡すが真っ暗でなにも見えない。

 

「つ――」

 

 だが、体中に痛みを感じる。目で見て確認したわけではないが、おそらくメルトとの戦いで負った傷そのままだろう。まさか、生きているのか。あの時、確かに自分の真上から大きな岩が降ってきたと思ったのだが。

 不思議に思い、迦楼羅炎の応用で手に持つ刀に炎を灯し松明代わりに利用する。そして、頭上を見上げると、

 

「なるほど、不幸中の幸いと言うべきか」

 

 斑鳩の周囲に立ち並ぶ大岩。その上に大きな岩盤が被さり人が動けるだけのスペースを作り出していた。おそらく、迦楼羅炎によって斑鳩の頭上の岩が砕けて散らばり、斑鳩の居る場所より、周囲の方が岩が高く積み重なっていた。

 そこに大きな岩盤が落ちて、蓋のようになったことで助かったのであろう。

 

「あれ?」

 

 そこで、斑鳩はある違和感を感じた。

 あの時見た岩はこんなに大きな岩盤ではなかった。その上から岩盤が降ってきたとして、あの大岩はどうなったのだろう?

 そう、思いずっと見上げていた視線を下に戻す。

 そこには、

 

「メルトはん!?」

 

 岩に下半身をつぶされたメルトの姿があった。

 

「し、しっかり! しっかりしてください!!」

 

 慌てて体を揺する。すると、ゆっくりとメルトが目を開く。

 

「いか、る、が」

「ええ、そうどす」

「よかっ、た」

 

 メルトは斑鳩を見て安堵する。思い返すのは意識を失う直前、誰かが自分の体を押す感覚。

 そう、それはメルトが斑鳩を岩の落下点から突き飛ばす感覚。

 

「どうして……」

 

 それが斑鳩にはわからない。メルトとは敵対していた。殺さなかったが、メルトからいい感情が向けられた覚えがない。理由がない。

 故に問う。その答えは――、

 

 

 

「さい、ごに、ひとに、もど、れ、た。――あり、がとう」

 

 

 

 そう言って薄く微笑むとメルトの体から、かくり、と力が抜けた。

 ――人に戻れた。それはどういう意味なのだろうか。

 涙の後、人の心が戻っていたのか、ノルシェの体にいれられたことでまごう事なき人間の肉体に戻れたことを指しているのか、それはもうわからない。

 涙は出ない。そのためには、触れ合った時間が、言葉を交わした時間が短すぎる。

 だが、一つだけ思うことがあるとすれば――、

 

 

「――うちは、こんな笑顔を見たかった訳じゃない」

 

 

 斑鳩を無力感が苛んだ。

 ようやく本質を理解したのに、理解しただけでなにもできちゃ居ない。

 刀を手に、ゆっくりと、立ち上がる。

 

「無月流――」

 

 先ほどは急な崩落により、十分な魔力を注ぐことができなかった。今度こそ、ゆっくりと、されど確実に刀へと魔力を注ぎ込む。

 それは、斑鳩に残るほぼ全ての魔力であり、

 

「――迦楼羅炎(かるらえん)

 

 豪火は頭上の岩盤を貫き、立ち上る。

 そこから斑鳩が這い出ると辺りはまだ暗かった。下半身をつぶされたメルトが生きていたことから考えても気を失っていたのは一瞬だろう。

 まだ、間に合うかもしれない。

 

「人に戻れたのならば、今までの罪を悔いなさい。それが、あなたにとっての罰になるでしょう。だから、

 

 

 ――――人として、殺してあげます」

 

 洞窟跡へと振り返り、そう呟く。

 そして、アネモネ村へと駆けていった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ノルシェは浮かれていた。長年の研究が完成を見たのだ。この肉体は魔法を習得しておらず、数ヶ月前まではただの村人だったメルトでさえ、並の魔導士に勝利することが可能な程だ。

 とはいえ、いまだに脆弱。斑鳩のような一流の魔導士には勝てないだろう。だが、それでも、まだこの肉体は上を目指せるだけの余地はある。

 いずれ、竜をも超えてみせよう。

 

「くくく、強い体はいいなあ」

 

 ノルシェは浮かれていた。念願の人を超える力を手に入れたのだ。触手一本動かすだけで、雄叫びを上げたいほどの歓喜につつまれる。

 

「ああ、楽しいィィィ!!!」

 

 ノルシェは浮かれていた。邪魔者の斑鳩ももう居ない。アネモネ村まで我慢できず、進みつつ、周囲の木々をなぎ倒し道草を食っていた。

 この瞬間こそ、ノルシェの人生の中で絶頂の時であった。――背後で破壊音が鳴り響く。

 

「なんだ!?」

 

 振り向いたノルシェが見たのは巨大な火柱。そう、それは日が暮れる前、廃棄場から上がったものと同じで、

 

「――ま、まさか」

 

 先ほどまでの興奮もどこへやら、一気にノルシェは恐怖の底へと突き落とされる。あの崩落が最後の切り札。もはやノルシェに策はない。

 

「――そうだ、先に村につければ!」

 

 村人を人質になんとか交渉ができるかもしれない。

 先ほどまでの興奮して無駄に時間を浪費した自分を殺してやりたい衝動にかられながら走り続ける。そして、村の明かりが目に入るところまで到達し、

 

「や、やっ――」

「そこまでどす」

 

 ――ついに、血濡れの夜叉に追いつかれた。

 

「く、くそがァァ!!」

 

 がむしゃらに伸ばした触手で薙ぎ払い、気づく。

 

「はあ、はあ――」

「――お前」

 

 斑鳩は触手をかわしたものの、息を切らしている。

 さらに、斑鳩からはほとんど魔力を感じない。

 

「すでに限界か」

「――――」

 

 ノルシェの言葉に斑鳩はなにも答えない。

 ただ、その瞳を向けるだけ。

 

「ばかめ、大人しく逃げていれば助かったものを」

 

 ノルシェに先ほどまでの恐怖はない。

 あるのは、自分が目の前の女の命を握っているのだという優越感ただ一つ。

 

「いいだろう! 最初に殺すのは貴様だァ!!!」

 

 そして、襲いかかるノルシェを斑鳩は見つめ続ける。

 ひたすら静かに、そして冷たく――。

 

 

 

 

 

 

 

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 ノルシェは幼い頃から天才と呼ばれ育った。事実、彼は優秀だった。頭脳も運動も誰にも負けたことがない。周囲の人間皆を見下していた。本当に同じ人間かと思うことさえあるほどに。

 しかし、彼にも持ち得ないものがある。それが魔力だった。魔法はとても素晴らしい。あらゆる可能性を秘めている。それを自分に劣る愚図が使え、自分に使えないのが我慢ならなかった。魔水晶を使った魔法行使は、ごっこ遊びのように感じられて虚しさが増すばかりだ。

 

「魔法は心より生ずるもの。信頼する仲間をつくり、思いやりをもちなさい。そうすればきっと君にも魔法が目覚める」

 

 名も知らない魔導士が言った。心底くだらない、そう思った。魔法は魔力と理論で行使するものだ。心が魔法に重要だなどと根拠のない言葉に相手の正気を疑った。そして、ノルシェは魔力を手に入れるための研究を開始したのだ。よりよい研究設備を使うために国立の研究機関にも所属した。

 

「愚図どもが、俺が魔力を使ってやった方が何倍もよかろうに」

 

 初めにしたのは他人の魔力を奪い取るものだった。当然、そんなことをしていることがばれれば追い出されるのは目に見えている。故に、表向きには世間体のいい研究目標をかかげていた。

 加えて、辺境のアネモネ村近くの森の洞窟に隠れ家をつくり、設備を整え、もしもの時に備えた。

 ある日、ノルシェは研究に必要な植物を採取するため、魔導士を護衛に森へ入る。そこで初めて、魔獣を目にすることになる。魔獣に苦戦する魔導士、その光景から目を離すことができなかった。

 それは、天恵のように閃いたのだ。

 

「俺は、人間を超える」

 

 その目標を実現したときのことを思うと心が躍った。しかし、あまりに浮かれたノルシェはミスを犯してしまう。ある日、魔獣化実験の様子を見られてしまった。なにより、見られたタイミングが悪かった。拾ってきた浮浪児に無理矢理魔獣の一部を移植して死なせてしまったのだ。

 その後、王国の警備隊に追われ、命からがら逃げ延びた。飲まず食わずで逃げ続け、隠れ家のある森にたどり着いた。

 しかし、そこが限界だった。ついに、隠れ家を前にして倒れてしまった。こんなところで終わっていいはずがない、そう思ったとき出会ったのだ。

 

「おわっ、おじさん大丈夫か?」

 

 その声を聞いたとき、神が研究を完成させろと言っているように感じられた。

 

「僕、メルトっていうんだ」

 

 死にかけのノルシェを救ってくれた少年はそう名乗った。このとき、死の淵から這い上がり、神を味方につけた気分だったノルシェはうっかり口を滑らせる。

 その研究内容を話してしまったのだ。

 

「すごい、すごいよ! 僕も魔法を使えるようになるかな!?」

 

 話を聞けば、母を守るために強くなりたい、そのために魔法を使いたいのだという。

 そして、ノルシェは思ったのだ。

 

 ――ああ、いい実験台が手に入った。

 

 メルトは村から度々、ノルシェのもとを訪れた。ノルシェのところへ通っていることは言わないように徹底させた。メルトが正義感を持った少年だということはわかっていた。だから、あまり倫理に触れない部分だけを見せていた。

 

「次はなにをするの、ノルシェ様」

 

 次第にメルトはノルシェを様付けで呼ぶようになった。敬われるのは悪い気はしない。憑依魔法の実験もだいぶ進み、メルトにエイリナスに憑依させ、森を徘徊させた。

 不完全であり、時間制限付きだったので、その時間いっぱい徘徊させる。そして、徘徊する魔獣の調査に赴いた村人を罠で捕らえ実験台とした。

 もちろん、メルトにばれないように。

 

「貴様が依頼にあった魔獣だな」

 

 そして、エイリナスに憑依したメルトの前に依頼を受けた魔導士が現れた。憑依魔法には憑依する側、される側の双方に手を加える必要がある。故に、エイリナス一体失うだけでも大きな損失だ。そこで、もう一匹手を加えていたエイリナスにノルシェは憑依し、メルトと協力して魔導士を追い払おうとした。

 メルトも憑依している状態とはいえ、死ぬのが怖いのか一心不乱に暴れている。そして、勝利を目前としたとき、あの女、斑鳩が現れた。突然現れ、二人、――正確には二匹のエイリナスを切り刻んだのだ。

 

「くそっ、あの女! もう少しで勝てたのに」

「まあまあ、ノルシェ様」

 

 なだめようと声をかけてくるメルトに腹が立つ。負けたというのに、あの女の強さに惚れ込んだらしい。だが、いつまでも悔しがってはいられないので研究を再開する。

 

「ああ、僕もあんな強い魔導士になりたいなあ」

 

 メルトはことあるごとにあの女の話をする。態度には出さないが、ノルシェのストレスは次第にたまっていく。

 そして、

 

「人をやめる代わりに魔力を得られるとしたらどうする?」

 

 ノルシェは悪意をもってささやいた。

 当然、メルトは躊躇する。

 

「この実験に成功すれば、お前は絶大な力を手に入れられるだろう。それこそ、あの時の女のように」

 

 ノルシェはメルトが揺れているのに気づき、さらに言葉を続ける。

 

「母を守るために強くなりたいのだろう? 姿形にこだわって目的を見失うつもりか?」

 

 そして、メルトは頷いた。頷いてしまった。長期にわたる信頼の積み重ね、そして、憑依魔法を応用したわずかながらのマインドコントロールを使ってメルトを頷かせたのだ。

 さも、自分の意思であるかのように。

 

「あ、ああ。ぼ、ぼく、は――――」

 

 そして、メルトは人間をやめた。だが、ここでノルシェに誤算が生じる。あまりにも人の形を外れた自分の姿にメルトの精神は耐えられなかったのだ。

 

「うわ、う、うわあああ!」

「ま、まて!」

 

 メルトは隠れ家から飛び出し森へと入る。ノルシェはあわてて追いかけ、森の中を探し回った。

 そして、見つけた――、

 

「は、はは、ははははは」

 

 倒れ伏す四人の村人を前に涙を流しながら笑い続けるメルトの姿を。状況から見て、村人たちが怪物と化したメルトに襲いかかり、返り討ちに遭ったのだろう。そして、メルトは新しい体を制御できずに殺してしまった。

 

「ころした。ぼくがころした。は、はは、ははは――!!」

 

 ――そして、メルトは心すら怪物と化したのだった。

 

 

 時は流れ、斑鳩がこの村を訪れ、物語は終わりへと収束していく。

 

 

 

 

 

 

 

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 なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ――――――――!

 

「ふざけるなァ――!!」

 

 ノルシェは目の前の理不尽な存在に吠えたてる。今の自分は人を超えた存在だ。いまだ竜に及ばずとも、かなりの力を持っているはずだ。並の魔導士すら肉体のスペックのみで勝利ができる。だというのに、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ――――、

 

「俺は貴様に勝てんのだァ――!」

 

 ――闇の中、夜叉は舞う。

 触手に囲まれた檻の中、体を捻り、伏せ、跳び、襲いかかってきた触手すら足場に、三次元に動き回る。

 

「こんなことが、あってたまるか!」

 

 斑鳩は一度たりとも魔法は使っていない。

 それどころか、刀を鞘に収めて抜いていない。斑鳩は居合いの構えをとり、じわり、じわりと距離を詰めていく。

 

「――――」

「認めん、認めん、断じて認めん! 魔力の尽きた貴様なんぞにィィィ――!」

 

 ノルシェは人間をやめた。人間を超えた。

 だというのに、目の前の女、魔力の尽きた魔導士、ただの人間に等しい存在、それも手負いに手も足も出ない。

 

「消えろォ!!!」

「――――」

 

 目の前の現実が受け入れられず、ノルシェは醜態をさらし続ける。

 それを、斑鳩は見つめ続ける。

 これが、他人を食い物にして手に入れた力。

 そこには、なんの信念も感じられず――、

 

 

「――なんて、無様」

 

 

 そして、ついに斑鳩はノルシェを間合いに入れ、

 

「ば、ばけ、もの」

「――終わりどす」

 

 一閃、ノルシェの首が落ちる。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「音ってこっちの方からしたよな?」

 

 森の中、七人の青年が茂みをかき分けつつ歩いていた。

 

「おいおい、本当にいくのかよ。戻ろうぜ……」

「ここまで来てなに言ってんだ。村に魔導士様が居ない今、魔獣が来たら俺らでなんとかしねーと」

 

 青年たちは森の奥手に火柱を見てから、もしもの可能性に備えて、魔導士様がかえって来るまで、自分たちで警備をしようと名乗り出た。夜になっても魔導士様は帰ってこず、二本目の火柱が上がった後、破壊音が近づいてくるのに気づき、様子を見に来たのだ。

 

「――音、やんだな」

 

 音の発信源にもう着こうというところで急に途絶える。

 

「一応、確認には行こうぜ」

 

 そして、茂みを抜けた先、そこにあったものは、

 

「魔導士、さま?」

 

 人型の魔獣と思しきものの首から吹き出る血を浴びながら、空に浮いた頭部を元の形が分からなくなるほどに切り刻んだ瞬間だった。

 

「――――」

「ひぃ!」

 

 魔導士様がこちらを振り向く。明るい満月と暗い森の木々を背景に、白い着物を赤く染め、血濡れの刀を片手に持つ。そして、首のない死体の前で立つ姿はどこか儚く、幽鬼のよう。

 その姿を見て青年たちは恐ろしく思うと同時にどこか美しいと思った。

 その姿はまるで――、

 

「あっ――」

 

 突然、斑鳩が糸の切れた人形のように倒れ込む。

 

「魔導士様!!」

 

 意識を現実に引き戻された青年たちは急いで魔導士様を抱えると村へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「やっぱり、ここのご飯はおいしいどすなぁ」

「なんど褒められてもうれしいもんだね」

 

 魔獣討伐から三日、斑鳩はイチリンでライラとともに食事をしていた。倒れた斑鳩はあの後、丸二日間も眠っていたのだ。目覚めた後、すぐに出て行こうとした斑鳩だったが、ライラに引き留められ、一日は安静にすることにしたのだ。

 そして、今日が出発の時である。

 

「服までいただいてすみませんなぁ」

「いいさ、あんな血濡れの格好で帰るわけにはいかないだろう?」

 

 今の斑鳩は和服を脱いでいる。

 あちこちが破れ、血で染まった和服はもう着れない。新しく買うしかないだろう。

 

「――――」

 

 ふと、メルトのことを思い出す。怪物になった少年。最後に人に戻れた少年。ライラには生きていたことは伝えていない。人として死なせると約束した。頭部を消したことで魔獣がメルトだということもばれていない。これでいいのだと、そう思う。

 

「どうしたんだい?」

 

 ライラの言葉に斑鳩の意識は現実に引き戻された。

 

「いえ、なんでもないどす。……さて、うちはそろそろ出発しましょう」

「そうかい、寂しくなるね」

 

 その言葉に胸の奥が締め付けられるような思いがする。今回の仕事では自分の未熟を思い知らされた。魔獣事件を解決した今もどこかしこりが残っている。それでも、進んでいくしかない。

 ライラに曖昧に微笑み返事とすると、食堂の扉を開けて外へ出る。

 そこには、

 

「え?」

 

「魔導士様が来たぞー!」「ありがとう!」「そんなぼろぼろになってまでありがとう……」「おいおい泣くなよ」「そうだよ、笑顔で送ろうぜ!」「うちの息子を婿にどうだい?」「母ちゃん、やめてくれよ恥ずかしい!」「結婚してくれええ!」「誰かそのバカを黙らせろ!」「また来てくれよ!」

 

 大勢の村人が見送りに来ていた。

 その先頭には村長夫妻が立っていた。

 

「ありがとうございます。あなたのおかげで救われました」

「また来てね。歓迎するわ」

 

 みんながみんなまばゆい笑顔だった。

 

「いい村だろう?」

「――ええ、本当に」

 

 後ろから来たライラが声をかける。

 

「そして、この村を守ってくれたのはあんただ。だから、」

 

 ――そんなに気負うことなんて無いんだよ。

 

 そう言って、ライラは華やかに微笑んだ。

 

「ライラはん、あなたは――」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」

「そうかい。じゃ、私は息子の墓参りにでも行こうかね」

 

 そういって、ライラは去って行く。

 途中、彼女は振り返り、

 

「また、ご飯食べにおいで」

「――ええ、是非とも」

 

 笑顔の村人たちに囲まれながら思う。

 自分の弱さを知った。

 だけど、ふさぎ込んではいられない。

 守れたものは確かにここにある。

 前を向き、進んでいこう。

 そうすれば、きっと強くなれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 斑鳩が村を出てからしばらく、村は日常の活動に戻っていた。ライラは墓参りの帰り道、そんな光景を見ながら嬉しく思う。数日前までの葬式のような雰囲気は欠片もない。家であるイチリンにたどり着き、中へ入る。

 そこには見知った人影ががあった。

 

「はあ、休業日なんだけどねえ」

「……斑鳩は、帰ったか」

「そんなに心配なら合えばいいのに。めんどくさいねえ、あんたは」

 

 そこには、黒い着物を纏った老境の男がいた。

 

「……誰も心配しているなどと言っとらんだろう」

「はいはい、あの子が来てから頻繁に訪れてたくせによく言うよ」

「……むう」

 

 ライラは呆れて肩をすくめる。

 それに男――修羅は不本意そうに顔をしかめた。

 

「それで、あの子はあんたの弟子なんだろう? なんか悩んでるみたいだけど、会っとかなくてよかったのかい?」

「……奴は私の元から去ったのだ。会いに行くわけにもいくまい」

「ああ、やだやだ。相変わらず頭の固いことで。――そんなんだと、もう、会えなくなるよ」

「…………」

 

 ライラの言葉に修羅は黙り込む。

 ライラはやれやれと首を振ると、話題を変えることにする。

 

「それで、なんの用で来たんだい?」

「……酒でも酌み交わそうかと思ってな」

 

 そう言って、机の下から酒瓶を引っ張り出す。

 

「はあ、あんたはまったく……」

 

 修羅の不器用な気遣いに苦笑しつつ、修羅と同じ席に着く。互いに杯を交わして飲み始めた。

 

「お前の息子の冥福と」

「あんたの弟子の将来を祝福して」

 

「乾杯」

 

 その日、二人は夜が明けるまで飲み明かした。

 互いに子供の話をしながら。

 正確には斑鳩は修羅の娘でないが似たようなものだ。

 

「あの娘はどうなるのかねえ」

「……神のみぞ知る、と言ったところか」

「この村の男たちの中で、実際にあの娘の戦ってるとこ見たやつらがいるんだけどさ、そいつら、あの娘のことなんて呼んでるか知ってるかい?」

 

 そう言われ、修羅は考えてみるが特に思いつくことはない。そんな修羅に、ライラは愉快そうに教えてあげた。

 

 

「――夜叉姫さま、だってさ」

 

 

 修羅は、それはまた因果な名前だと思った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 いつからか、ある噂がされるようになる。

 誰が言い始めたかは定かでないが、フィオーレ中に広がる噂。

 

 ――“人魚の踵”には夜叉がいる、と。

 

 

 

 

 


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