「――メルト」
予期せぬ魔獣の正体に、斑鳩の喉から驚愕とともに呟きが漏れて出る。
ありえない。目の前の現実を受け入れられず、敵を前にして動くことすら忘れてしまう。
頬を冷や汗が伝って落ちた。
「あれ、僕の名前をしってるの?」
隙だらけの斑鳩を前に、異形の男――メルトは攻撃を仕掛けることもせずに自らの名前が呼ばれたことにこてん、と首を傾けて不思議そうにしている。
だが、斑鳩からすれば問答無用で襲いかかられた方がよかったのかもしれない。
その反応こそが目の前の男こそがメルトであると確定づけたのだから。
「ああ、そうか。村の人たちに雇われたんだから知っててもおかしくないか」
「…………………なぜ」
「ん?」
メルトは一人納得したようにうなずいている。
だが、斑鳩にはそんなことは気にもならない。
ようやく混乱の渦中から抜け出した斑鳩は声を喉の奥からしぼりだして問う。
「なぜ、こんなことを……」
「こんなこと?」
要領を得ない斑鳩の問いにメルトはしばし、うーん、と頭を悩ませ、
「魔獣をたくさん殺したこと? 魔導士の人たちを追い払ったこと? それとも他に何かあったっけ?」
そう言うメルトからは邪気が一切感じられない。
それが斑鳩には不気味だった。
「あなたがその姿で暴れ回ったおかげで村の人たちは迷惑してます」
「うん、そうだね」
「そうだね、って――っ!」
メルトの淡泊な反応に斑鳩の頭は混乱とは打って変わって怒りが押し寄せた。
「みんないつ襲われるのか怖がってます! 行方不明になったあなたを心配してます! あの村にはあなたの家族がいるでしょう! なにも思うところはないんどすか!」
「…………うるさいな」
メルトは苛立ったように呟くとすでに再生させていた触手で攻撃をしかける。
それは無造作に横になぎ払われただけのものだったが、
「しまっ――!」
怒りにとらわれた斑鳩は反応が遅れる。
かろうじて触手と体の間に刀を入れ防ぐのには成功したものの、そのままの勢いで木に叩きつけられてしまった。
「がッ!!!」
衝撃で肺の中の空気が全て叩き出される。
体は痛むが、泣き言は言ってられない。
即座に体勢を整え、追撃に迫る触手を切り落とし、ゆっくりと呼吸を整える。
メルトは不快げに顔をゆがませていた。
「やっと、感情らしい感情を見せてくれましたね」
斑鳩は少し希望を見いだしていた。
メルトは先ほどの言葉に反応した。きっとまだ良心は残っているはず。
「こんなことは早くやめて母親のところに戻りなさい。ライラはんからは聞いてます。強くなって母を守りたかったんでしょう?」
「――――くだらない」
斑鳩の説得の言葉をメルトは吐き捨てるように拒絶する。
半分が異形と化した顔を先ほど以上に歪ませながら、
「暴力は暴力だよ。他人を傷つけることにしか役立たない」
――それは、聞き覚えのある言葉だった。
今でも思い出すことがある。
自身の強さをくだらないものであるかのように自嘲する師の姿を。
斑鳩はたまらなく悲しくなった。
ライラからメルトの話を聞いたとき、なんとなく自分と重なる部分があるように思った。
守るために、大切な人のために、力を求めた。
なにがあったのかは分からない。しかし、彼は師と同じ結論にたどり着いてしまった。
それがとても、悲しい。
「そんなことはありません。力は力、手段の一つに過ぎません。その手段を使って善を為すか、悪を為すかは使い手次第どす」
「は、はは、はははは!」
悲しみに暮れながらも、なんとか説得を試みようとした斑鳩に対して嘲笑うかのようにメルトは笑いだす。
「なにが、おかしいんどす?」
「これが、笑わずに、いられるかい? だって――」
訝しむ斑鳩に、メルトはこれ以上におかしいものがあろうかと言わんほどに笑った後、思いもよらない言葉を投げかけた。
「――あんたは昨日、戦ってるとき笑っていたんだ」
ぞわり、と斑鳩は悪寒に襲われた。
腹の底から覆い隠していた何かを引きずり出されたような気味の悪い感覚。
なぜだろうか。それ以上は聞いてはいけないと本能が警鐘を鳴らしている。
「…………それが、」
どうした、と言おうとするが声が出ない。
喉がふさがってしまったような錯覚に陥る。
その様子を見たメルトはさらに愉快げに笑って言う。
「だって、あれはどう見ても戦いを楽しんでいた! 手段? とんでもない! あんたは戦いそのものが大好きなんだ!」
「…………や、やめ」
「人を傷つけて! 自分の方が上だと証明して! 愉悦に浸る! そのくせ、戦いは手段と言う! これが笑わずにいられるかい!?」
視界が歪む。頭が痛い。
四肢の感覚はすでになく、自分が今立っているのかどうかすらも分からない。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、もうやめて!
斑鳩の意識は混沌の中に沈んでいく。
助けを求める思いは声にならず、メルトは斑鳩にとって致命となる言葉を告げた。
「――あんたはただ、適当に理由つけて戦いたかっただけだろう?」
「――――――!!」
その言葉を聞いた瞬間に斑鳩はメルトへと躍りかかった。
「あははははははは! 図星をつかれて怒ったかい!? でも、気にする必要なんてない、僕も戦いは大好きなんだ! 自分の方が強いと証明する! ああ、なんて血が踊る! これ以上の娯楽はこの世にない!」
「違う、違う、違う、違う! あなたとは違う! うちは本当にただ――っ!!」
否定したい、否定したいのに言葉が出ない。
「その様子じゃ、心当たりがあるんじゃない?」
「うちは――――」
斑鳩の脳裏にはガルナ島のことが思い浮かぶ。
――やめろ。
勘違いでエルザと戦った。
――やめてくれ。
すでに戦いが始まってしまったのだから仕方がなく戦った。
否――、
――それ以上考えたくない。
仕方がないと理由をつけて戦い、結果、エルザを傷つけたのだ。
「ちがああああああう!」
メルトの触手が斑鳩の体を幾度も斬りつける。
もはや、斑鳩は正気になく、無月流を使うことすらままならない。
涙すら流しながらただただメルトへの突進を繰り返す。
「予定とは違ったけど、楽しかったからもういいや。ばいばい」
ただ真っ直ぐと突っ込んでくる斑鳩へ、メルトは全ての触手を殺到させる。
もはや、斑鳩にはその攻撃に対処しようとする気すらなく、
「―――――――師匠」
その呟きを最後に、斑鳩は全身を触手に貫かれた。
大量の触手に包まれた斑鳩の体は見ることすら叶わない。
「あーあ、ノルシェ様が怒ってなきゃ良いんだけどなー」
もう、斑鳩のことはどうでもいいとばかりにこれから待ち受ける難事の心配をするメルトは無造作に廃棄場と呼ばれた穴へと斑鳩を投げ入れ、その場を立ち去ろうと身を翻し、
「あれ、思ったより傷が少なくなかった気がするけど……、ま、いっか」
+++++++
「でりゃああ!」
緑茂る山奥、素朴な、一見小屋のようにも見える家の前、一人の少女が手に持つ木刀を振り上げて壮年の男へと躍りかかった。
「隙が多すぎだ、ばか者」
「ぶべえ!」
男はため息交じりに足を引っかけると、少女は不細工な悲鳴を上げ、ものすごい勢いで転がっていった。
――それはかけがえのない記憶。師匠と過ごした十年間。
「足を引っかけるのはひきょうどす! 木刀でてあわせって言ったのに!」
「……別に足を使うななどと言っとらんだろうに。それに正しくは木刀もって手合わせするぞ、だ」
修行を初めて数年が経つも、修行は序盤も序盤。
無月流の技はいまだ習得できておらず、今は刀を使った戦い方を学び始めたところだった。
「あーあ、そんなへりくついってー。大人のくせに恥ずかしくないんどすか」
「……負け犬の遠吠えなど見るに堪えんな」
「もうっ!」
斑鳩は修羅への嫌みを嫌みで返され、顔を真っ赤にして手足をばたつかせて自分がどれほど不機嫌であるかアピールする。
そんな様子を前にして修羅はため息をつきたくなるが、それを斑鳩に見とがめられればめんどくさいことになるのはわかりきっていたのでぐっとこらえる。
斑鳩は勘違いしているが、無月流は剣と魔法を併用した戦闘法の流派であって剣術を極めた流派ではないので、別に足を使おうが問題ない。
「……元気が有り余っているならもう一回だ。文句があるならやり返してみろ」
「ええ、いいでしょう。目にもの見せてあげます!」
言うや否や、修羅へと飛びかかる。
どんな汚い手を使ってでも一矢報いてやろうと意気込み、
「ぶべえ!」
その後、斑鳩は何度となく地面に転がることとなった。
*
一ヶ月の手合わせで、斑鳩の動きに隙はだいぶ無くなっていた。
師匠に勝ちたいが一心で相手を観察し、その動きを自分に取り入れ、さらに自分に適するように改良した。
才能以上に斑鳩の執念がなした成果と言えるだろう。
だからといって、まだまだ修羅にかなうわけではない。
今日も今日とて不細工な悲鳴とともに斑鳩は地面に転がせられていた。
「くそう、ぜんぜんかなわない」
地面に仰向けで転がりながら、荒くなった息を整えつつ、どうやったら一泡吹かせることができるのか考えを巡らせていると、息一つ乱していない修羅が近づいてきた。
「どうしたんどす? 負け犬を笑いにきたんどすか」
「…………そうではない。そうではないのだが……」
口をとがらせて拗ねる斑鳩に、修羅はいつになく憂い顔で何かを言い淀む。
斑鳩は普段とは違う修羅の様子に気づき、黙ってその言葉を待つ。
「……斑鳩よ、お前は戦いが楽しいか?」
「……どうしてまたそんなことを」
斑鳩は突然の質問の意図が分からず、体を起こすと首を傾ける。
「……お前がバカ元気なのは今に始まったことではないが、手合わせの時はいつになく元気なのでな」
「今、さらっとうちのことバカにしたでしょう……」
いささか修羅の台詞に気になったものの、質問自体は割と真剣なようなので、斑鳩もまじめに考える。
戦いが楽しい、そうなのだろうか。
確かにいつになく力一杯取り組んでいるのは自覚しているが、それは修羅に一泡吹かせたいからである。
楽しいかどうかででいえば確かに楽しい。
でも、それはこの修行ばかりではないし、恥ずかしいので口に出さないが師匠と過ごす時間の全てが楽しい。……絶対に口には出さないが。
「楽しいことは楽しいどすが、別に戦いだけじゃなく、修行はなんでも楽しいどす」
「…………そうか、ならいい。ならいいんだ。――休憩は終わりだ。もう一本行くぞ」
「ち、ちょっと! 結局何だったんどす!?」
独りでに納得してすぐに修行に移ろうとする修羅にあわてて斑鳩は声をかける。
「……いいんだ。お前ならきっと、大丈夫だろう」
最後まで要領を得ない修羅に斑鳩は首を傾けたのだった。
+++++++
「…………ひどい臭い」
辺りに漂う腐臭に斑鳩は目を覚ました。
仰向けになる斑鳩の背には柔らかな感触。おそらく魔獣の死骸だろう。
上部にある死骸だからか比較的新しいようで腐ってはいないようだ。
穴の中なら見上げる空の景色は変わっていない。
おそらく気を失ったのは一瞬、そう時間は経っていないだろう。
「……今のは夢か」
師匠と山の中で過ごした日々の一部。
斑鳩にとってかけがえのない時間。
思い返すだけで心が温まる。だが、今回はあまりいい夢とは言えなかった。
「――ああ、師匠はすでに片鱗を感じ取ってたんどすなあ」
――まるで道化だ。
師匠のことをなんだかんだと言ってた癖に、自分のことはなにも見えちゃいなかった。
師匠を救いたい? 証明する?
どの口が言うのだろうか。戦いに心を奪われて、言い訳しながら人を斬る醜い人間。
ああ、師匠の目にはあの日、出て行った自分はどのように映っていたのだろう――。
「……う、うぐっ」
涙が溢れる。嗚咽が漏れる。
なんて未熟。どれだけ腕を磨いても中身がない。
ずっと山にこもって、世界を知らず、自分を知らず。
情けない、不甲斐ない、自分に呆れる。
終わりの見えない自己嫌悪。
いっそ死んでしまった方がいいのではないかとすら思う。
それなのに――、
「――――し、しょお」
斑鳩の心にあの、無愛想な顔が浮かぶ。
その度に、死にたくない、死んでたまるかと心が奮い立つ。
――ああ、そうだ。確かに自分は戦いを楽しむどうしようもないやつだろう。
「でも、それでも――」
一緒に暮らした十年間。
時折見せた師の憂いの表情。
なんとかしたい、救いたいと思った。――いや、これもきっと本心ではない。
――斑鳩はずっと心の底から笑う師の顔を見たかったのだ。
斑鳩の体の奥に熱いものがこみ上げる。
――師匠に後悔させないと誓った。
四肢の感覚がよみがえる。
――ここで倒れればさらに後悔させてしまう。
麻痺していた痛覚が甦る。全身を切り傷が覆うものの、致命傷は一つも無い。
ああ、そうだ。触手が体を貫くその瞬間、斑鳩の脳裏に甦ったのは師の姿。
その姿を見た瞬間、斑鳩は無意識に天之水分を展開し、致命傷を避けていた。
――絶対に、お前が弟子でよかったと言わせてやる!
それはこれまで掲げていたご大層な理由に比べればひどく個人的なものだった。
でも、今は自覚している。
目の前のことしか見えない単純で利己的な大馬鹿者、それが自分。
なんて浅ましいのだろう。とても褒められた人間ではない。
でも、やりたいことがある。死にたくない。
なら、怪我をしたままメルトと戦うまねなどしないでこのままやり過ごして逃げてしまおうか?
あり得ない。できるわけがない。
あの村を救いたい。いや、そんな大層なものじゃない。――あの村の人たちの笑顔が見ていたい。
それもまた、紛れもない斑鳩の真実で、
――なんだ、中身、ちゃんとあるじゃないか。
メッキは剥がれ落ち、自分の中身がよく分かる。
笑顔が好きだ。笑顔が見たい。
「……そのために、なんとかしなきゃ」
戦いを好むという本質に立ち向かうのは後回し。
今はただ、笑顔が見たいというもう一つの本質だけを支えに立ち上がろう――。
*
メルトはノルシェの隠れ家に向かって森の中を歩き進む。
ノルシェの怒りを買うだろうと思っているからか、その足取りは心なしか遅い。
ふいに、後方からごう、と音がした。
一体何事かと振り返るとそこには――、
「な――ッ!」
巨大な火柱が立っていた。
なにが起きたのか分からず、一瞬思考が停止し、――そして気づく。
――火柱の根元。そこは確かに廃棄場のある場所だと。
「まさか、まさか、まさか――!」
胸中を嫌な予感が埋め尽くす。
そうして立ち止まっている間にも何かが迫ってくる感覚。
事実、風に揺すられる木々の音とともに血濡れの夜叉が現れた。
*
「なんでだよ! お前は確かに僕が――!」
「あれじゃあ、うちの命を取るには足りません」
斑鳩の声色からは先ほどまでの激情は感じられない。
「なにが……」
斑鳩の内心の葛藤など知らぬメルトはあまりに早い立ち直りに面食らう。
あれは確かに、深く心が折れたはずだと思ったのだが。
「もう一度言います。こんなことはやめて村に戻りなさい」
「くどいッ!」
触手を展開し、斑鳩に攻撃をしようとし――、
「――は?」
襲いかかる暇無く全ての触手が切り落とされた。
「もう一度言います。こんなことはやめて村に戻りなさい」
斑鳩は先ほどと一言一句変わらぬ言葉を投げかける。
その言葉を耳にしながら、メルトは本能的に察していた。
――――戦いにならない。
いくら触手を出そうが、一瞬にして根元から斬り落とされる。
メルトの為すことは全て封じられた。
「もう一度言います。こんなことはやめて村に戻りなさい」
三度、同じ問い。
圧倒的実力差を前に初めてメルトに恐怖と言う感情が表れた。
勝てる気も、逃げられる気もしない。
彼に残されたのは、
「……戻れるわけ、ないだろ」
斑鳩と対話することのみであった。
「こんな姿で、戻ったところで、何にもなんないよ」
「……その姿を一度も変えないからまさかとは思いましたが、それは《
「ああ、そうだ――」
そうして、メルトはおぞましき真実を口にする。
「――今の僕は、魔獣の肉体を移植したキメラみたいなもんだ」
それは、斑鳩がなかば予感し、信じたくないと目をそらしていたことだった。
「……なぜ、そんなことを」
「力を求めた。その結果さ」
「……愚かな」
斑鳩は悲痛に顔を歪ませる。
「それでも、戻りなさい。あなたを必要とする人が居るんだから」
「おいおい、僕は魔獣騒ぎを起こした犯罪者だよ」
確かにその通りだ。だが、
「あなたを討伐しにいった魔導士は一人たりとも死んでない。まだ、取り返しのつかないことはしてはいません。まだ、つぐなえば――」
「く、くく、はは」
斑鳩の言葉にメルトは笑う。
斑鳩の中にあったわずかな希望。
笑い声を聞いた瞬間、それがもろくも崩されるのが直感的に分かった。
「村の行方不明者は僕だけじゃなかったはずだ。もう四人、どこへ行ったと思う?」
「まさか――」
「――そうさ、僕が殺した」
「あなたは――ッ!」
その言葉を聞いた瞬間、斑鳩はメルトに跳びかかると、そのまま地面に押し倒し、馬乗りになった。
「どうして、そこまで墜ちた! 始まりは、母親を守りたいからだったはず! それなのに、どうして、どこで道を誤った――!!」
「――うる、さい」
「――――」
思いの丈をぶつける斑鳩。しかし、メルトの反応に面食らう。
「あ、あれ、なんだ、これ?」
斑鳩に下敷きにされながら、メルトは異形化せず、人の形のままを保つ右目から涙を流す。
だが、その理由は本人すら分からないようだった。
「ふざけんな、なんだよ。何で涙が出るんだよ。なんでこんな、悲しい気分になるんだよ。ふざけんな、ふざけんな……」
――ああ、そうか。
斑鳩はなんとなく理解した。
この少年は力を求めて、魔獣の力を手にし、そして、心を魔獣に喰われてしまったのだ。
――ああ、なんて、哀れな怪物だろうか。
それは、メルトだけに向けた思いか、それとも――、
「はぁ……」
なんだかやるせなくなった斑鳩はメルトを離すと、立ち上がる。
斑鳩は訳も分からず泣き続けるメルトを見下ろし続けた。
その時、斑鳩はなにを思っていたのだろうか。
それは本人にも分からない。
メルトが泣き止んだころ、日はすでに沈み、辺りは暗くなっていた。
されど、夜空に浮かぶ満月が闇をかすかながら照らしだしていた。
「案内しなさい。あなたをそんな体にした人がいるはずでしょう」
*
メルトに案内されて暗い森の中を進む。
泣き止んだ後のメルトは嘘のように大人しくなっていた。
「ここだ」
やがて、二人は一つの洞窟にたどり着いた。
「ここの中で、ノルシェ様は隠れて研究を続けている」
「ノルシェ……」
その名の男こそがメルトの体を異形のものへと変えたという。
どういう男かは分からない。
だが、一方的に悪と決めつけず、話をしたいと思った。もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。
メルトは確かに悪虐をなしたろう。だが、その正体は力を求め、心を失った哀れな怪物。
そして、直接聞いたわけではないが、師匠もまた――、
「本当に、この世界はどうかしている……」
「何か言った?」
「何でも無いどす」
斑鳩の呟きに反応するメルトを言葉を濁してごまかした。
しばらく歩くと洞窟の中には不釣り合いな扉があった。
そこを潜れば、居住スペースであろう空間が現れる。
「なにしてんだ、こっちだ」
かすかながら驚いて立ち止まっている斑鳩にメルトはお構いなしに進んでいく。
あわててメルトについて行き、そして、
「この先だ」
これまた、居住スペースには不釣り合いな重厚な扉。
その異様な雰囲気にごくり、とつばを飲み込んだ。
「行きましょう」
「ああ」
ゆっくりと、鈍い音を立てて扉が開かれていく。
そして、その先には――、
「――ようやく来たか」
小汚い格好をした男――ノルシェが待ち構えていた。