第十話 不穏な影
ガルナ島から帰還すると斑鳩とカグラはマスターへと報告した。
カグラの危ぶんでいた通り斑鳩のS級昇格は認められることはなかったが、”妖精の尻尾”の介入は不慮の事故であったためにもう一度S級クエストを受けて達成することでS級に昇格できることとなった。
ちなみに、”妖精の尻尾”については斑鳩とカグラがマスターを説得したことで、評議員に抗議が出されることは免れた。
「それにしてもアネモネ村どすかぁ」
暖かな日が差し込む列車の中で次の仕事場となる村の名前を感慨深げにつぶやいた。
アネモネ村とは、一年前にカグラと出会った際に空腹に倒れた斑鳩がご飯を奢ってもらった場所であり、”人魚の踵”に入ることを決めた場所である。
仕事とはいえ、懐かしい場所へ足を踏み込むとなれば到着が待ち遠しくなり、列車の動きも心なしか遅いように感じられる。
しかし、気がはやっても到着が早まるわけもなく時間を持て余した斑鳩は此度の依頼内容を確認する。
――謎の魔獣出現。生態系が崩され、森は混乱中。早急に対処願う。
「せっかくだから、カグラはんと来たかったどすなぁ」
ため息混じりに呟く斑鳩の周囲に人影は見られない。
元々カグラは将来的にS級クエストを受けることを見越して経験を積ませるための付き添いであった。
そのため、2回目である今回は付き添いは許されなかった。
加えてガルナ島の時と違い、純粋に力が必要となるクエストであるため、斑鳩の得意分野であり、また、いまだ発展途上のカグラでは足手まといになりかねない。
とはいえ、一抹の寂しさを感じながら列車に揺られて行くのであった。
*
アネモネ村には直接線路は通っていない。
よって、隣町で下車した後は徒歩で向かった。
アネモネ村に到着した斑鳩はその足で村長宅へと向かっていた。
――懐かしい。
遠方には斑鳩の育った山が見える。
そこにいるであろう師を思うと胸が締め付けられる。
今すぐに駆けつけたい衝動に駆られるがいまだ約束を果たせない未熟の身で会ってはならないと戒める。
どうやら、早急に仕事を片づけた方が良さそうだ。来る前には浮かれていた気分もすぐに下がってしまった。
ふと、斑鳩の視界に見覚えのある建物が映る。
「……あれは」
脳裏に甦るのはいまだ新しい思い出。
カグラのごちそうになった場所であり、“人魚の踵”の一員としての出発点だ。
看板には“食事処イチリン”と書かれてあった。
「そういえば、名前も知らなかったんどすなあ」
入るときは空腹のあまり、出るときは就職先が決まっていたことで浮かれていたため、それ以外のことは頭になかった。
我ながらアホであるが、今はましになったと思いたい。いや、ましになっているに違いない。
今は丁度お昼時。食事がてら、死を覚悟するほどの空腹を満たしてもらったお礼にでも言ってこようかと思い、店に立ち寄ることにした。
もっとも、そんなこと店主は覚えてもいないだろうが――、
「ああ、一年前の食い倒れ!」
「ぶっ!!」
思いがけない言葉につい吹き出してしまった。食事前で本当によかったと思う。
声のする方向を見れば、日に焼けた肌をした四十代ほどの女性がいた。
彼女は戸惑う斑鳩のそばによると、快活な笑顔で出迎える。
「これはうれしい再会だね。ただでいいからちょっと話につきあっておくれよ」
*
「はあ、とてもおいしかったどす」
「そりゃ、よかった」
かかと笑う女店主の名前はライラというらしい。
彼女の作る料理はお世辞抜きで美味しかった。
「それにしてもよく覚えてますなあ。以前来たときは一言もお話しませんでしたのに」
「確かにねえ、あのときのあんたは食事に夢中だったかと思ったら大喜びで飛び出してったからねえ。でも、」
そこでいったん言葉が途切れる。
表情をうかがえば、その瞳はこちらを見ているようで、その実、どこか遠くを見ているようであった。
「仇を討ってくれたんだ。忘れるもんかい」
「仇……」
「ああ、あんたがエイリナスを討伐してくれる前に何人か行方不明になっちまったやつがいてね」
それは、横入りして結果的に討伐しただけの斑鳩には知り得ない情報だった。
斑鳩はなんと返せばいいのか分からず言葉に詰まる。
すると、ライラは重くなった空気を感じ取ると再び笑顔を作る。
「いや、すまんねえ。こんな辛気くさい話するつもりはなかったんだ。とにかく、あんたにお礼をしたかった。それだけだよ」
そう言うライラの笑顔は無理に作り出したものだとすぐに分かった。
「もしかして、今回もすでに被害が?」
「……ああ、五人ほど森に入ったっきり帰ってこねえやつらがいるな」
「そう、どすか……」
想定していなかった訳じゃない。
S級にまわってくるほどのクエストだ、楽なモノではない。
しかし、実際に村の人の思いに触れて、まだまだ認識が甘いことを思い知らされた気分だった。
こんなことでは師匠に笑われてしまう。
だから――、
「もう、安心どす。うちが来たからには魔獣、絶対に倒してみせます」
なんの根拠もない宣言をする。
これでもう、失敗なんてできない。
もし、失敗しても周囲は許してくれるかもしれない。でも、自分を許せなくなるに違いない。
ライラは斑鳩の瞳に強い意志が宿るのを見ると、ほう、と息を吐いた。
「――ああ、ありがとう」
そう言って彼女は柔らかく微笑んだ。
*
「ごめんくださーい。魔導士ギルド“人魚の踵”の者どす」
決意を固め、ライラのもとを後にすると、今度は依頼の代表者である村長のもとへと向かった。
村長の邸宅は村の中心部に位置し、豪華とはいえないまでも周囲の家々と比べれば一回りほど大きく、厳かな雰囲気を醸し出していた。
「はいはい、ちょっと待っててくださいね~」
玄関の前で来訪を告げれば、どこか気の抜けたような女性の声が聞こえてきた。
しばらくすると、扉が開かれ柔和な笑みを携えた老婆が出迎えてくれた。
「あなたが依頼を受けてくれた魔導士さんね。夫が待っておりますので奥に案内させていただきますね」
「よろしくお願いします」
案内されるまま、応接間へと通された。
装飾品のたぐいは少ないものの、よく手入れがされており客への気遣いは万全だ。
「あなた、お連れしましたよ」
「ああ、ありがとう」
老婆に声をかけられ、部屋の中心にある机を挟んで反対側に腰掛けていた老人が立ち上がり一礼する。
「このような村までようこそおいでくださいました。列車も通っている分けでもなく、たいそう不便だったでしょう」
「いえいえ、そんなことありません。このくらいの距離どうってことはありませんよ。それに、自然豊かで歩きながら景色も楽しめましたから」
「ははは……。そう言っていただけるとうれしいものです」
互いに挨拶を交わしているうちに、老婆が老父の隣に並ぶ。
互いに目を合わせて合図をとると、老父がゆっくりと口を開いた。
「それでは自己紹介を。私はこのアネモネ村の村長をやっておりますヴィンスと申します」
「妻のパメルです」
「わざわざどうも、うちは“人魚の踵”所属の斑鳩いいます」
互いに自己紹介を済ませ、それぞれ部屋の中央にある机を囲んで座すと、村長であるヴィンスが疲労を感じさせる表情で本題を切り出した。
「それでは今回の依頼について話させていただきます。今回、斑鳩殿にお願いしたいのは森の生態系を荒らす魔獣の捜査、発見、討伐です」
「ええ」
「簡単な依頼に聞こえるかもしれませんが、ですが、調査に赴いた魔導士の方々は一人たりとも無事で済んだ者はいません。亡くなった方がいないのが不幸中の幸いというべきか……」
やはり、相当に強力な魔獣であるらしい。寂しくはあるが、確かにカグラは置いてきて正解だったようだ。
前任の魔導士たちがいささか心配であるものの、さすがにプロというべきか。強力な魔獣と相対して一人も命を落とさないとは。
あまり、前任者たちを心配するそぶりを見せるのは無粋であろうと、斑鳩は質問を続けることにした。
「その魔導士の方々は魔獣のことをなんとおっしゃっておりました?」
「刃のような触手だったということです。本体を見せず、四方八方を木々の隙間から狙われたと」
「なるほど、その触手の生える本体を目撃した方は?」
「残念ながら。触手は斬ろうが焼こうが次から次へと生えてくるらしく、いずれの方々も襲われた場所から一歩も動くことが叶わなかったと」
なるほど、どうやら魔獣は物量で攻めてくるらしい。それも、再生もしてくるとなれば終わりの見えない戦いに精神まで疲弊してしまいそうだ。
さすが、S級というべきか。
「他には何かありますか?」
「いえ、これが私たちの持つ情報は全てです」
「なるほど、では早速今日中にでも見てこようと思います」
「は、はあ。いやしかしもう少し準備されてからでもよろしいのでは? 相手は量で攻めてくると聞いて他の魔導士の方は応援を呼ぶなど対策しておりましたが」
村長夫妻はこともなげに森に向かおうとする斑鳩に助言をする。
今度の魔導士はいままでよりもずっと実力が高いと聞いているが、これまで何度も失敗している以上不安はつきない。
村人たちも魔導士が敗れる度に不安を募らせている。
村長自身も自らの不安を隠しながら村人たちをなだめるのにも相当の労力を必要とし、最近では常に疲労を抱えている。
妻が慰めてくれなければとっくに倒れていたかもしれない。
そんな胸中の不安を隠しきれない村長を前に斑鳩は苦笑する。
「確かに強力な魔獣のようですが、幸いうちとの相性はいいようどすから。心配はいりませんよ」
「は、はあ」
自信満々に言う斑鳩に村長もこれ以上いうことはないようだ。
会話が途切れたところで斑鳩は席を立ち、退室しようと声をかける。
「では、うちはこれで」
「どうか、よろしくお願いします」
互いに礼を交わし、退室する。
玄関を出ようとしたところで、一枚の写真が目についた。
一人の娘とその両親が笑い合う微笑ましい写真だ。
「これは……」
「その写真がどうかされましたか?」
写真に見入っていると見送りに来ていた夫妻がどうしたのかと尋ねてきた。
「いや、この娘さん、どこかで」
「ああ、もしかして“イチリン”という店にいったのかね」
「そこの店主は私たちの娘がやってるの」
「ああ!」
なるほど、確かにどこか面影がある。
「ここに来る前に呼び止められて、ご飯をごちそうしてもらったんどす。そのときに今回の件もすぐに解決してくるって誓いましたから、いっそうがんばらないと」
「……そう」
娘の話をすると夫妻は沈鬱な表情をみせる。
気まずい沈黙があたりを包んだ7日。
「え、えと、その………え?」
どうしたのか、何かまずいことでも言ったのかと斑鳩があたふたしていると、パメラが陰りを帯びた顔に無理に笑みを浮かべた。
「気を遣わせてごめんなさいね」
「いえ、それはいいんどすが、何か? ……あ、いえ、話したくなかったらいいんどす」
気になってしまったがためについ口から疑問を投げてしまったが、すぐに失言だったと撤回する。
そんな様子の斑鳩を前に夫妻はうなずきあうとゆっくりと話し出した。
*
森の中は静寂に包まれていた。
人の気配どころか動物の気配が全くしない。
おそらく例の魔獣の影響だろう。
辺りを警戒しつつ、斑鳩は足をすすめながら先ほど夫妻に聞いた話を思い出していた。
『あの娘の息子、つまり私たちの孫でもあるんだけど、行方不明になっているのよ』
ライラの言っていた五人の行方不明者、最初の被害者が彼女の息子なのだという。名をメルトというらしい。
ライラの夫は病気で出産後すぐに死んでしまったという。
故に、ライラの愛情を一心に注がれ、元気な好青年に育ったらしい。
それが二ヶ月前ほどに行方不明となり、探しにいった村人のうちさらに四人が行方不明となった。
それからも捜索が続けられたが、ある日異常に気づく。
――魔獣の姿が少なくなっている。
最初は気のせいだとも思われたが、目に見えて魔獣の姿は減っていき、最後には一匹たりとも見ることは叶わなくなった。
そして、人間のものとは思えない破壊跡を見つけたときようやく自分たちの手には負えないとギルドに依頼が発注されたのだという。
思い浮かぶのは倒すと誓ったときのライラの安堵した顔。
「――――ふう」
そこまで思い返したところで息を一つついた。
斑鳩はギルドに入ってからは比較的安穏な日々を過ごしていた。
忘れたわけではないが、世界の残酷さを久しぶりに味わった。
斑鳩自身、終わりであり始まりである生家の闇ギルドの襲撃を経験している。
どうしようもない理不尽というものは世界に確かに存在する。
だからこそ、
「……うちが無月流の力で救ってみせる」
師が教えてくれた力でもって世界を照らす。
そして、無月流を、なによりその使い手たる自身を嫌悪している師に、あなたの教えた力で人を救ったのだと、嫌悪する必要はないのだと証明したい。
遠くに二人で過ごした山が見える。
「今はまだ戻れません。けれど、いずれかならず。ですから師匠、お元気で」
巣立ちの始まりであった決意を再確認する。
すると、ざわり、と周囲の木々が騒ぎ出した。
そして、数秒もしないうち四方から大量の触手が押し寄せる。
しかし、斑鳩は群れを前に微塵も焦る様子を見せず、腰に差してある刀に手をかけた。
迫り来る触手が斑鳩をとらえる、その瞬間――、
「無月流、夜叉閃空」
斑鳩が刀を抜けば、瞬きほど後には全ての触手がばらばらに切り裂かれていた。
なんということはない、触手の手数を斑鳩の剣速が圧倒的に上だっただけのこと。
「――――うちの誓いのためにも村を脅かす魔獣には退場してもらいましょうか」
触手が再生を始めるのを尻目に、斑鳩は触手を操る本体を探しにかけだした。
――数時間後、
「あれえ?」
本体を見つけられず、大量の触手の残骸の上で途方に暮れる斑鳩の姿があった。
*
窓一つない石造りの部屋の中を多数の魔導灯の光が昼間のように照らしている。
あまり掃除はされていないのか、本などが乱雑に散らかり、生活感に満ちていた。
「くそがっ!」
髪や髭を長く伸ばし、襤褸のような服に身を包んだ男は苛立たしげに机に拳を叩きつける。
「いやあ、危うくやられちまうところだった。今回の魔導士は格が違うな」
男の正面に立つ人影が軽い調子で話しかける。
黒い外套に身を包み、その姿を見ることは叶わない。
しかし、その声から男性であるとは判断できる。
「それはそれとして……、落ち着きなよノルシェ様」
ノルシェと呼ばれた汚ならしい格好の男はその態度が気にくわなかったのか、外套の男を睨み付けた。
「他人事のように言いおって! やつは一年前にも私の研究を切り捨てた女なんだぞ。これが落ち着いていられるか……」
苦々しげに呟くノルシェの表情からは憎悪と憤怒の心が見て取れる。
「どうされるので?」
「決まっている、これ以上はなにもしない。そうすればいずれ恐れをなして逃げ出したとでも思ってどこかへ行くだろう」
「ええ……」
残念そうに呟く外套の男に呆れたようにノルシェはため息をつく。
「貴様、さんざんにやられた後だろうに」
「でも、ピンピンしてるよ。あのまま戦ってても向こうの方が先に疲れて勝ってたさ」
あっけらかんとのたまう男にノルシェは再び深くため息をついた。
「確かに、俺の
「ちぇっ」
「くれぐれも軽率な真似はするなよ」
不満げな男をにらみつけると同時に釘をさす。
「わかったよ。もう、僕からは何もしないさ」
「ふん」
肩をすくめてやれやれと首を振る姿に鼻を鳴らすと、それを最後に身を翻してノルシェは部屋を出て行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、外套の男は小さく呟く。
「おっと、今日は廃棄場の蓋を閉めるのを忘れちゃった」
くつくつと、不気味な笑いだけが石室に響いていた。