水上の地平線   作:しちご

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59 小麦の蝋燭

その日、航空母艦加賀が空の茶碗を抱えて龍驤の部屋のドアを開けると

中には白く燃え尽きて灰と化した天津風の残骸が転がっていた。

 

本日も山城艦隊は絶好調で在った様だ。

 

どこからともなく零れる霊魂が、自由よと叫んでいるあたり、かなりの土壇場である。

 

そのままに冷蔵庫を漁り魚肉ソーセージを咥えては器用にも溜め息一つ、

天津風の足首を掴んでずるずると引き摺りながら退出を果たした。

 

行く道を見れば埠頭に初月が倒れており、道端には大鳳が力尽きている。

 

入渠ドックの在る工廠の入り口では、不知火に頭を踏み付けられた状態の陽炎が見え、

その腕は、逃がさんお前だけはと言わんばかりに不知火の足首を捕まえている。

 

言うまでも無いが、力尽きて久しい雰囲気であった。

 

一切合切を意識に乗せず、後ろにガコガコと何かが何かにぶつかる音を響かせながら

ドックへと辿り着いては足首を掴んでいた腕を振り上げて、ぶん投げる。

 

斧、琴、菊と見立てて殺人でも起こそうとしているのかと聞きたくなるような

そんな姿勢で入渠ドックへと沈んでいく天津風を見て満足そうに頷く加賀が居る。

 

そのまま仕事は終わったとばかり、ソーセージを齧りながら工廠を後にした。

 

「まあ、根性だけは認めて上げましょう」

 

ドックではなく龍驤の部屋を目指すあたり、業の深い娘ですねと嘆息が在った。

 

 

 

『59 小麦の蝋燭』

 

 

 

イスラム歴に於ける第9月、渇きの月(ラマダーン)に入った。

 

7世紀のバドルの戦いを記念して、イスラム教徒が断食(サウム)をする月として名が売れとる。

 

この場合の断食とは、仏教で言う苦行とは違い精神的な意味合いに比重を多く置いとって、

基本ルールとしては、日が沈むまでは飲食を控えると言うシンプルな内容やけど、

 

身体を害するほどに継続を望むものでは無く、必要に応じて水分の摂取も奨励されるし

病人、妊婦、老人、幼児などの理由の在る者は免除される傾向に在る。

 

つーか、ついうっかり飲食してしまっても別に断食失敗と判定されないぐらい良い加減や。

 

しかし、何かを食おう、飲もうとして探し始めるとその時点でアウトに成る。

例え結果として何も口にする事が出来なくとも、心の在り方が断食を否定したと言う事やな。

 

行では無く故人の功績を讃えて偲ぶための行動なんやから、さもありなんと。

 

そんなわけでブルネイでも日中は飲食が控えられ、日没と共にマーケットなどが動き始める。

 

夜には昼に飲み食いしなかった分だけ騒ぐのが通例と成っており、このところ

日没後はちょっとした夜市的な喧騒がブルネイを包んで外出許可申請が目白押し、やめれ。

 

とりあえず、ヤバそうな服装センスの艦娘には芋ジャージを支給しておいた。

 

まあそれはともかく、断食月に何が困るかというと非ムスリムのウチらみたいなコロニーやな。

 

開戦前の話やけど、ムスリムの飲食店舗は日中も営業すんな法なんかが通ってしもうて、

おかげで昼間に飯場の煙を出すのも決まりが悪く、最近の間宮の昼は作り置きお握り祭りや。

 

そんな微妙に不便なお八つ時、アメリカ産のホルスタインって感じの巨乳が提督室で

ゴロゴロと管を巻き、仕方無しに鳳翔の厨房を借りてこっそりとマカロニを茹でとる今現在。

 

マカロニやパスタを茹でるコツは、ここまで入れてええんかいってぐらい塩を入れる事やな。

 

席には提督と叢雲と、さっきからマカチーマカチーと煩い金髪が座っとる。

 

「けど、マカロニねえ、イタリアのうどんみたいな物だっけ」

 

それはどっちかっつーとパスタかなと言いつつ、茹でる前のマカロニを叢雲に渡した。

 

「……蝋燭?」

「乾麺や」

 

何かとぼけた事を言いだした叢雲の言葉に、死んだ魚の目をしたアメリ艦がぼやく。

 

「まさかマカロニが通じる艦娘がここまで希少だとは思わなかったわ」

 

まさかのウチ以外全滅とな、いや、探せば他にも居るやろうけど。

 

「明治には洋食とか在ったんだし、知って居そうな感じだったんだけどな」

「マカロニが普及したんは相当に最近やからな、ウチらの時代やとマイナー食材や」

 

提督の疑問に適当に受け答えをしとく。

 

「そもそも先の大戦で帰国した米兵が、イタリアにこんなもん在ったと広めたわけで」

 

日本に入って来たのはさらに後、進駐軍が多少は扱っとったが、商業的な意味での

普及はさらに後の時代に成ると言った塩梅、艦の時代とは噛み合わんわな。

 

「そしてステイツを代表する食材と成ったのよ、マカロニチーズ」

 

何かアメリ艦が酷い事を言いだした気もするが何もおかしい事は無かった、アメリカやし。

 

「アイオワには戦後の記憶が残っているんだな」

「21センチュリーまで浮いていましたから」

 

アイオワのドヤ顔が眩しい、マカチーにデスソースでも混ぜたろか。

 

茹で上がったマカロニをシーズニングで和えながら、最近のアメリ艦騒動を思い出す。

 

何もかもが急だったせいで、米国側に受け入れ用意など在るわけも無く、完全に

火中の栗と化したアイオワを引き取りたがる泊地、鎮守府なども在るはずも無し。

 

結論としてウチが引き取らざるを得ない事は初期から明白だったと言うのに、

そこに落ち着くまでにアレやコレやと言質を引き出そうと関係各所が面倒臭い事。

 

八つ当たり気味にチーズを乗せた後にパン粉を振って、オーブンに投入。

 

「え、ええとリュージョー、だっけ、何か凄く手間を掛けてない」

「掛けとらん」

 

茹でてオーブンに放り込むだけやん。

 

「茹でたマカロニにチーズスプレッド掛けたら出来上がる物じゃないの」

「まさかのスプレー式かい、キミにとって料理って何なんや」

 

ついうっかり怖い事を聞いてしまえば、沈思黙考する戦艦の姿。

 

「……トレーをレンジに放り込む事」

「はい、食事専門1隻入りまーすッ」

 

虚空に全力でツッコミを叩き付けつつ、いやわかってたけどなと負け惜しみを零す。

 

「サ、サラは、サラトガはきっと料理上手だからッ」

「ただでさえややこしいのに、これ以上アメリ艦が増えてたまるかーッ」

 

凄まじく不吉な事を言いだした巨乳に対し、魂の叫びが木霊する。

 

でも東南アジアで引いたらウチに回って来るよな、空母やし、つーか太平洋打通のルート的に

本土で引いてもコッチに押し付けに来るんやないか、いやいやいやいや。

 

「もう外務省の都合で本陣往復するのは嫌ーッ」

 

珍しく叢雲が心折れて頭を抱えとる、いや、穴掘って埋める拷問レベルの苦行やったからな。

ウチら泊地やから、受け答えの度に本陣通さなあかんねん、嫌がらせの様に。

 

何か錯乱が伝染したかの様な店内で、必死で宥めとる提督を横目に流しつつ

それなりに良い感じに焼けた様なのでオーブンから目当てのブツを取り出した。

 

焦げたチーズとパン粉の香ばしい香りが漂う中、喧しかった金髪から息を呑む音がする。

 

「……み、見るからにクリスピー」

 

何故に引く、ご要望のマカロニチーズやろうと。

 

「うん、お米じゃなくてうどん的な食感ね、讃岐の」

「さっきからの疑問なんだが、パン粉は通常で振る物なのか、振らないのか」

 

早速と食べ始めたふたりが適当な感想を言ってよこす。

 

「まあパン粉を振るかどうかは個人の好みやな、グラタンみたいなもんや」

 

そんなファジーな回答を返しつつ、見れば黙々と、それはもう黙々と食べ続けるアメリ艦。

 

一気呵成に食べ終わり、一息を吐いたら神妙な表情で言葉を紡いだ。

 

「貴女がワタシの守るべきエアキャリアーだったのね」

「何か変な事言いだしたで、この戦艦」

 

救けを求めるように視線を回せば、そこに在ったのはジト目の連なり、死んだ魚の様な色合いで。

 

「また巨乳を誑し込んでる」

「実はわざとやってるだろ」

 

神は死んだ、ならばウチは誰を殴れば良いのやろうか。

 

哲学的な方向に暴力衝動を向かわせたお八つ時の厨房やった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

入渠ドックでスケキヨっていた天津風ちゃんを引き上げていたら、思ったよりも時間が

かかってしまい、間宮の作り置き昼ごはんが無くなってしまったという私、島風です。

 

そんなわけで二隻で芋ジャージに着替え、港湾に食べ物を探しに来ました。

 

「……山城さんの笑顔を最後に記憶が無いわ」

 

頭を抑えてふらついている天津風ちゃんは、見るからに本調子では無い模様。

 

これは流石にご飯抜きはヤバそうだと思った物の、困った事に今は断食月(ラマダーン)

大手や目抜き通りのムスリム主体の飯店は法令で営業が禁止されているわけで、

 

そんなわけで出稼ぎ労働者主体の、つまりは非ムスリムのコロニーを訪れました。

 

少しばかり普段より大人しい感じですが、どこも普通に営業しています。

たまにハラール認証受けた店舗が休みを入れているのが見つかる感じ。

 

「えーと、焼き魚とライスで1ブルネイドル、安いわね」

「港湾だからねー」

 

しかし気分は肉と言った感じだったので、魚では無くチキンのナシカトックを注文する私。

 

カトックはドアをノックする音の意味で、お米(ナシ)と何か適当なおかずの料理、

深夜に食堂のドアをノックしても作ってもらえる簡単メニューって意味だとか。

 

定番の組み合わせとしては、私の頼んだごはん(ナシ)フライドチキン(アヤンゴレン)が多いかな。

ごはん部分はナシウドゥック、ココナツミルクで炊いて揚げ葱を散らしてある。

 

飲み物は断食月名物のバンドンジュース、バンドンシロップを何かで割った飲み物。

今回は炭酸水で割っただけのシンプルなソフトドリンク仕様だった、安いし。

 

甘口のお米にカリカリの揚げ葱が合うなあとか思っていたら、目の前でガジガジとワイルドに

魚を齧る天津風ちゃん、良いのだろうかこう、何と言うか乙女の恥じらい的に。

 

「乙女はジャージで港湾に1ドル飯を食いには来ない」

「それもそうか」

 

バンドンジュースで口の中の甘さをさらに甘くしていると、魚を齧り終えた感想が一言。

 

「甘酸っぱい」

 

焼き魚の感想としては結構ファンキーだと思う。

 

「トマトと言うか何か、酢豚的な味だったわ」

「ああ、イカンマサック(さかなとタレ)のタレを流用してたのかな」

 

イカンマサックサワーアンドスウィート、要するに豚肉の代わりに魚のから揚げを入れた酢豚。

中国の影響が見てとれるマレーシア料理で、ブルネイでも良く見かける。

 

「甘いお米に不思議と合うわね」

 

そう言っては器に少し残ったタレを掛けて、ナシを片付ける姿。

 

何だろう、今回はチャレンジャー的に負けた様な気がする。

 

コレが山城さんの教導の成果かと、戦慄を禁じ得ない昼下がりでした。

 


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