水上の地平線   作:しちご

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58 波間に木霊する

「不幸だわ」

 

泊地より些か離れた近海で、艦隊を率いる山城から心の内が零れた。

 

「姉さまはマレー半島に常駐しているし」

 

後に続くのは大鳳、初月、最近ジェットストリームアタックを練習している

陽炎型の3姉妹、つまるところは引率付きで練度上げをしている艦隊である。

 

「時雨は船柱としてサイパンに連れ去られたし」

 

他に西村艦隊所属艦は、5番泊地に所属していない。

 

欝々とした空気の中で、それでも預けられたからにはと真面目な思考が訪れたのか

溜め息一つ、山城は後ろを振り向き頬に指を当てて艦隊に声を掛けた。

 

「とりあえず、笑顔を作る事からはじめましょうか」

 

言葉を受けて、僅かに軽くなった空気に安堵の音が響く。

 

和気藹々とした雰囲気を醸し出しながら、姉妹の疑問を陽炎が問うた。

 

「笑顔になると、何か効果があるんですか」

 

指先で頬を持ち上げた、形だけの唇を歪めた笑いのまま、山城が答える。

 

「どうせすぐ泣いたり笑ったり出来なくなるんだから、笑い納めは必要でしょう」

 

訓練の過酷さに於いてかの金剛と並び称された海軍横綱の双璧、戦艦山城。

 

鬼の山城、地獄の山城。

 

首括りの方がマシと謳われた、教務艦としても名高い一隻である。

 

 

 

『58 波間に木霊する』

 

 

 

青く、青い海原に広大な大空を臨めば、それはサモア島だと人は言うやろう。

 

残念ながらサイパンや。

 

晴天の下に若いココナツの実を持って、木陰で紫煙を吐きながらだらだらとすれば

マリアナブルーと呼ばれる透明度の高い青が視界を埋める。

 

海域断絶以降に人の途絶えたこの島は、往時を思わせる様な人混みは見当たらない。

随分と贅沢なプライベートビーチやなと、感想を煙に巻いた。

 

―― あはは、まってよ夕立ー

―― つかまえてごらんなさーい

 

少し離れた砂浜で、飼い犬を追い掛ける少女の様に時雨が夕立を追い掛けとる。

 

笑顔のまま砂浜ダッシュを続ける夕立を、魚雷を抱えた笑顔の時雨が追い掛けとる。

 

互いの迸る笑顔からからは隠し切れない殺気が漏れて、駆逐艦は元気やなぁなどと

現実から目を逸らしつつ氷をぶち込んだココナツジュースで喉を冷やす。

 

うん、轟沈丸が出るから船柱よーういとか言うたら夕立が時雨の簀巻きを持ってきたわけで

船室にげっそりとした幸運艦が吊るされ続けたんはウチのせいやない、きっと。

 

ふと気が付けば爆音が連鎖して、ココナツに混ざり血と硝煙の香りが漂う昼下がり。

熱に炙られた潮風が肌を過ぎ、半分焦げた駆逐艦2隻が波に浚われていった。

 

ひと騒ぎも静まり、蒸し暑い中に居心地の悪い静寂が在る。

 

不快な思考を後押しする様に、道路の果てより子供の囃子歌が風に乗って来た。

意味のとれない言葉の連なりが、甲高い声色を以って耳を苛む。

 

アップクチキリキアッパッパァ……

 

アッパッパァ……

 

「……昼間っから霊障が蔓延っとるなぁ」

 

無人の島から聞こえて来る白日夢の如き何某かの声色に、げんなりとした気分になった。

 

まあ深海の餌場に成っていた性質の悪い霊場を、無理に艦娘用に造り直したわけで

巷の明石の工廠の様に至れり尽くせりとはいかんのやろなと、嘆息する。

 

消えかけたシケ煙草の火で軽く印を切り、そのままに携帯用の灰皿に捻じ込んだ頃

香取神社側、湾岸道路より見覚えの無い外人が砂浜に降りて来るのが見えた。

 

そこそこに年齢の行った偉丈夫で、米軍仮設基地の司令をやっとるヒトやったか。

 

ヤアコンニチハなどと胡散臭い日本語で話しかけてきたので、ないすとうみいちゅうと

遠慮のないジャパニッシュで返答をして、少し笑う。

 

「先ほどパラオの提督の所に、練習巡洋艦が建造されたそうだよ」

 

進捗の報告やった、何や、結構ええヒトかもしかして。

 

まあ要するにこうやって時間を潰しとるのは、工廠の建造待ちなわけで

他と違って火力希望の5番泊地やから、たぶんウチらが一番最後やろう。

 

「カトリーヌか、鹿島かな」

「カトリと言っていたね」

 

香取か、香取神社の名に引っ張られでもしたんかね。

 

そんな事を言っていれば、軽くカップを渡してくるメリケン軍人。

安っぽいプラコップに琥珀色、これでもかと氷の入ったアイスティーが見えた。

 

「米軍御用達が一番甘くないという事実に驚愕するわ」

「ホント、赤道付近はどうしてああも砂糖漬けなんだろうな」

 

何かまた我ながらわけわからん組み合わせのまま、木陰で駄弁りはじめるわけで。

 

「祖父が南方に従軍していてね、航空母艦龍驤の事を良く話していたんだ」

 

軍人家系かと、そんな事もあるやろなと適当に相槌を打つ。

 

「聳え立つ糞は下水に流されやがれ、だったか」

「随分とエキセントリックな遺言やな」

 

それを、ウチに伝えてどうしろと。

 

「何か所属した拠点を3回ぐらいキミに堕とされたそうだ」

「運命を感じる相手やわ、随分と嫌な方向に」

 

まあ生き延びたからこその笑い話なんだがと、ブラックに笑い飛ばす基地司令。

 

「太平洋打通したら、墓に献花に行ったろか」

「勘弁してくれ、ゾンビになって這い出てきそうだ」

 

ユーラシアがゾンビハザードな昨今、洒落になっとらんなあと、

黒く笑いあってはアイスティーで口を湿し、僅かな静寂が訪れる。

 

「本土に、妻と息子が居てね」

 

ぽつりと零した様な言葉が、風に浚われる。

 

「何でも、今年に息子が海軍に入ったらしい」

「うん、思ったより年食っとった」

 

妻と息子という語感から、ちょい外れた感じやな。

 

そんなどうでも良い所感を感じながら、話題がぽつぽつと最近の情勢の事へとシフトする。

 

ようやくに流血の傍らで対話を始めたユーラシアの各勢力。

そもそも、いまだ休戦のままで止まっている日米と中国の戦乱。

 

そのためにもと、俄かに現実味を帯びはじめた太平洋打通作戦。

 

「上手い事に妻子と再会出来たのなら、孫には龍驤を褒め称えて伝えておくよ」

 

そんな話題の最後は、身近な話と良い笑顔で締め括られた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

「提督さん、お疲れ様です、練習巡洋艦鹿島、着任です」

 

やや幼さの残る、白銀の髪を二つ括りにした練習巡洋艦がヨー島提督へと挨拶をしていた。

 

「ヨー島は鹿島か、珍しいとこが連発しとんなあ」

「新規の駆逐艦も結構居るし、美味しいところだな」

 

そろそろ建造終了と聞いて、5番泊地提督と龍驤が工廠前で待機している。

 

西帆香取神社境内に設置された仮稼働の工廠は、機材こそ一般の工廠と違い無いものであるが

建物自体は鉄パイプや板、ブルーシートなどを組み合わせた、いかにもな造りと成っていた。

 

忙しなく走り回っている工廠妖精がふたりに告げる。

 

「お、ウチは高速戦艦が来るらしいぞ」

「比叡か霧島、比叡か霧島」

 

即座に祈りはじめた龍驤に苦笑して、いや金剛や榛名でもと口にしようとした提督が止まる。

停止ボタンを押した様な静止からの沈思黙考、そしておもむろに手を合わせ拝み始めた。

 

フォローの言葉が出て来なかったらしい。

 

突如に怪しげな宗教の舞台と成った建造ドッグ前に、ちらほらとヒトが集まって来る。

大半は戦艦目当ての野次馬だ、さきほどの仮設米軍基地司令も物見にとやって来ていた。

 

ふと、龍驤の背筋に嫌な予感が走る。

 

―― アレは北マリアナ諸島の霊脈に連なるので

 

いつぞやの、あきつ丸の言葉が脳裏をかすめて消えた。

 

それが何を意味するかもわからぬ内、視線を集める建造ドッグの鉄扉が開く。

 

戦艦の持つ、重厚な鋼の艤装が視界に入った。

 

ストライプのニーソックスに包まれた、タイトスカートから伸びる歩みが扉を潜る。

軽く癖のある黄金の長髪に、豊かな肉体を抑え込む様に纏う海軍の青。

 

「Hi! MeがIowa級戦艦、Iowaよッ」

 

日本海軍、米海軍の様々な思惑の視線が絡まる中、工廠の空気が凍り付く。

 

「……ああ、《米国領》サイパン、やもんなぁ」

 

龍驤の口から、超弩級厄ネタに打ちのめされた弱々しい言葉が零れる。

 

「Youがこの艦隊のAdmiralなの、いいじゃないッ」

 

提督の引き攣った表情に、米軍は後ろの方々ですッ、と叫びそうに成っている様が見て取れた。

 

「夕立、時雨を括りつけいッ、この海域(サイパン)から全速で離脱するッ」

「合点ぽいッ」

 

引き留めようとする様々に対して、弁護士を通せと無茶なボケを押し通し、押し切って

かくして5番泊地一行は全速力で泊地への帰還を果たした。

 

何ら言質も取られずアイオワの身柄だけを確保した判断は概ね称賛されていたが、

 

それでもやはり、関係諸氏は頭を抱える事態であったと言う。

 


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