水上の地平線   作:しちご

90 / 152
天籟の風 余

 

炎天の下、海上を行く艦娘が居る。

 

ゴミ袋を背負う軽空母。

 

龍驤は複数曳航している長波たちと別れ、帰還の途を先行していた。

 

斜陽の近付く陽光に照らされた顔は、何の感情も感じさせない。

 

「―― 寒いわ」

 

ゴミ袋の中から、声がした。

 

「そういえば、冬なのよね」

 

背負われている天津風が、言葉を紡ぐ。

何処とも知れず、焦点の合わない瞳が虚ろを見つめている。

 

「いつか、雪を ―― 見たいな、貴女と ――」

 

再びの静寂。

 

天津風と、龍驤が声を掛けても何も答えない。

誰も居ない海原に、ただ一筋の航跡だけが残る。

 

「眠ったんか」

 

軽く息を吐き見上げれば、

 

南洋の空はどこまでも青かった。

 

 

 

『天籟の風 余』

 

 

 

空を見上げれば風が鳴っている。

 

5番泊地に帰投した龍驤に、待ち構えていたかの如く慌ただしく明石が寄って来る。

 

「秋水はどうでしたか」

 

戦果報告は届いているはずだしと、要点を抑えた感想を龍驤が口にした。

 

「オーバースペックすぎて、現時点じゃ使い物にはならんな」

 

活用した割に、酷い評価である。

 

ある程度は予想していたのか、天を仰ぎやっぱりかーなどと零す工作艦。

 

「泣き所は、やはり飛行甲板ですか」

 

そんな声に、肩を竦めて肯定するテスターの言葉が重なる。

 

「1鬼撃ち出すだけで、飛行甲板が吹っ飛んだわ」

 

実の所、防空棲姫を前にした時点で龍驤の大符には大穴が開いていた。

その折に1鬼でと強調していたが、実情は1鬼しか出せなかったと言う話である。

 

「使うなら、装甲空母ですか」

「つーか、カタパルトぶっ壊す前提なら水上機で運用する方向やないかな」

 

継戦を考えれば、空母が使う代物では無いのじゃないか、というのが結論であった。

 

「元は局戦ですからねえ」

 

軽く髪を掻き、肩を落として明石が言った。

 

 

 

舞鶴に帰投した天龍が缶珈琲に口を付けた折、近く、

新聞を広げていた龍田がその内容を口にする。

 

「天龍ちゃん、天龍ちゃん、今回の作戦で狂犬の二つ名が付いたってあるわよ」

 

青葉日報舞鶴版であった。

 

その言葉に、随分と無理無茶無謀を通した金髪の駆逐艦の姿が脳裏に浮かび

天龍の表情に僅かにげんなりとした物が混ざる。

 

「あー、まあ確かに狂犬って感じだったよな、あのぽいぬ」

 

もうブルネイには関わりたくねえ、などと遠い目をして虚ろに呟いている姉に

少しばかり困ったような表情で、新聞の見出しを指し示す龍田。

 

斜形の前で一当てした無謀なる水雷戦隊。

 

かつての沖縄消滅戦で吶喊部隊に参加していた軽巡洋艦の猛将。

 

―― 舞鶴の狂犬、天龍

 

「何でだああああぁぁッ!」

 

遣る瀬無い響きが舞鶴鎮守府に響き渡った。

 

 

 

宴席も騒々しく、間宮。

 

菓子だの酒だのが飛び交う5番泊地の奥底で、マイクチェックをしていた霧島から

マイクを受け取り、適当に設えた壇上で大淀が言葉を発した。

 

「えー、この度の作戦の功績で」

 

サイパン奪還成功と書かれた垂れ幕の前、光魔法かっこいいポーズを実践していた

夕立の頭を掴み、ずずいと騒々しい一団の方へと突き付ける。

 

「夕立さんに、駆逐艦夕立の二つ名「阿修羅」の襲名が決定されました」

 

水を打った様な静けさ。

 

一息の後、祝福を込めた万雷の喧騒が戻って来る。

 

すかさず録音機材を抱えた青葉が夕立へ、一言を貰いに近寄っていった。

 

「ソロモンの悪夢って呼んで欲しかったっぽい」

 

何とも微妙なコメントである。

 

「しかし、二つ名って有ると何か違うのかね」

 

ノリで祝福した隼鷹が、山盛りのスルメを噛みながら軽い疑問を零した。

 

「手当がつくんや」

 

ちょうど大皿の料理を運んでいた龍驤が、適当に並べながら受け答えをする。

 

そーなんだーとまったりとした空気の軽空母席に、吶喊する正規空母の姿が在った。

 

「りゅぶじょぶぜんばあああぁあぃッ」

 

暴走乳ダンプに撥ねられくの字に折れ曲がる龍驤、そのまま伊勢改転生する勢いである。

 

「って、何や何やって、酒臭ッ」

 

見れば涙だか何だかで酷い有様に成っている蒼龍を、引き剥がそうとするも

岩石の隙間にへばり付いた藤壺の如くに離れない、全力のしがみ付きである。

 

「何ていうか龍驤サン、相変わらず乳難の気があるよなあ」

 

胡瓜スティックを齧りながら、呆れた声を隼鷹が漏らした。

 

「あー、すいません、蒼龍って今回の作戦で相当気合い入ってたんですけど」

 

時間差で訪れた保護者こと飛龍が頭を掻きながらフォローを入れかけて、切った。

 

そして、どこか遠い目をして紡ぎなおす。

 

「第3艦隊で」

 

羅針盤で逸れた艦隊である。

 

「ふみいいいいいッ」

「ウチの水干があああぁぁッ」

 

宴席の騒々しさは混沌と化していた。

 

 

 

無人の孤島サイパンは香取神社の近く、海岸線に仮設の海軍基地が置かれている。

 

幾らかの引き渡し、受け継ぎも終わり、作戦参加艦娘の最後の艦隊

長門が旗艦を勤める第一鎮守府所属の第一艦隊が島を後にする。

 

入れ替わりに来た艦娘は、呉、舞鶴、佐世保より精鋭揃い。

 

複数の大和型、長門型、五航戦と、作戦参加艦よりも遥かに戦力として

評価の高い、錚々たる面子が集まっていた。

 

不自然なほどに。

 

「まあ、もはや我らは蚊帳の外だ、気にするものでも無いか」

 

どこか不穏な、張り詰めた空気を感じながらも艦隊は海を行く。

 

 

 

泊地の埠頭で、洗濯機に水干を突っ込んだ龍驤が紫煙を上げていた。

白いシャツにサスペンダー、何処から見ても朝潮型の駆逐艦である。

 

見上げれば年の瀬に、音がしそうな夏の空。

 

「それ大塊の噫気、その名を風と為す、か」

 

口を開け、エクトプラズムの如くにゆっくりと煙っている最中、左右に座る赤青が在る。

 

「荘子ですか」

 

がっちりと肩を組み、龍驤を引き寄せる加賀。

 

「ところで龍驤、私たちも長い付き合いですよね」

 

反対側から力を込めて肩を組む、赤城。

 

元戦艦2隻に挟まれ、固められた軽空母であった。

 

「いやいや、付き合いなら龍驤サンの相方的ポジションのアタシらだろ」

 

後ろから、効果音が出そうなほどにファッショナブルな姿勢で声を掛けたのは、隼鷹と飛鷹。

 

「私もよく代理とかで絡んでましたッ」

 

駆け付けてきた瑞鳳が言う。

 

うん、キミの代理で出撃して沈んだんよね、ウチ。

 

そんな言葉は流石に呑み込んだ龍驤であった。

 

見れば続々と航空母艦が集まっていて、埠頭が随分と騒々しい有様と化している。

姦しかったり酒臭かったり、ヒトを掻き分け何とか龍驤に乗せようと挑戦するグラ子が居たり。

 

どうでも良いが、蒼龍と飛龍は洗濯機の前で待機中なため混ざっていない。

 

龍驤は軽く煙草を吸い、やはりエクトプラズムの如くに無気力に吐き出しては、言った。

 

「秋水なら、明石に返したで」

 

そそくさと、じゃ、また後でとか適当な事を言いつつ工廠に向かう群。

ぽつねんと取り残されては、残っていた隣の青いのに声を掛ける。

 

「行かんの」

 

加賀は、特に表情を変える事も無く肩を竦めて答えた。

 

「あそこまで競争率が高いと、諦めておくべきかと」

 

言葉の無くなった埠頭に、紫煙だけが立ち昇っている。

 

「何か、落ち込んでませんか」

 

龍驤は加賀の言葉に、特に何の反応も見せない。

 

「気のせいやないか」

 

日差しの翳る気配の見えてきた中、ふたり座り込んでは海を眺めていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

陽炎が軽く窓を開けた。

 

欠損した肉体は高純度の霊的物質、所謂修復剤で補填する事は出来る。

 

しかし、新品に取り換えられた形に成る肉体が、思い通りに動くかと言えばそうでも無い。

詰まる所しばし、陽炎はリハビリと言う名の慣らし運転のため、病室に押し込められていた。

 

潮風が頬を過ぎ、潮騒が耳を揺らす。

 

遥かに高い空の先に、風の踊る様を見て、思う所を口にした。

 

「どこかの時点で死んでおけば、格好良かったわね」

「ぬぐうううううううぅぅぅぅ」

 

寝台の上でシーツに包まり悶えているのは天津風である。

 

「龍の住処に吹く風ですか」

 

陽炎の言葉を、隣の寝台の不知火が継ぐ。

 

「龍驤さんが真後ろに居る状態で宣言するとは、素晴らしい度胸ですよね」

「にゃああああああぁぁぁぁ」

 

シーツの悶えっぷりが倍速と成った。

 

長女は散々に揶揄われている妹の有様に頬を緩め、そして、何かを思い出すように嘯く。

 

「しっかし、何、ちょっと島風拾っただけで咄嗟にあそこまで組み上げるって」

 

話題変わって、長波様の事である。

 

島風を拾った後、輸送艦隊で露払い、龍驤と合流し進撃。

島風は最寄りの泊地に向かわせ、そして後に修復剤を抱えて戻って来た。

 

最寄り泊地から海域までの安全確保、作戦進行を把握していたからこそ可能な芸当。

 

海上で冥府に両足突っ込んでいた天津風が生き延びたのは、そのおかげと言える。

 

伊達や酔狂で様付けされているドラム缶マスターでは無かった。

 

「アレで中堅かあ、自信無くすわね」

「まあ、第二鎮守府は駆逐艦の激戦区ですからねえ」

 

悶える妖怪シーツ饅頭の横で、煤けた空気の姉二人が白くなっていく。

 

それを打ち破るように、景気良くドアが開いた。

 

何か大きめの紙袋を抱えた露出多めの兎の姿、つまりは島風である。

 

「夕立ちゃんの襲名祝いのお裾分け持ってきたよーッ」

 

そう言っては怪奇蠢くシーツの横で、袋の中身を取り出していく。

粽の様にニッパ椰子の葉で包まれた、外郎の様な質感を持つ緑色の物体。

 

セルルである、よくブルネイの道端で安く売っている菓子だ。

 

パンダンリーフで着色しているため、緑色に成っている。

 

「いつも思うけど、コレってずんだっぽいわよね」

「そう言えば、艦娘に成ってからずんだを食べた事無いですね」

 

もぎゅもぎゅと葉の中の菓子を消費しながら、恐怖のシーツからシーツを剥ぎ取る不知火。

 

「お茶も有るよー」

 

そして袋の中から、続々とテタリの缶紅茶を取り出す島風。

 

甘ったるいので霧島や龍驤には不評である、金剛は意外に気に入っていたそうだ。

 

結露の僅かに見える缶紅茶を一通り、いまだ呻き声が上がる天津風にも渡した頃

特に示し合わせたわけでも無いが、天使が通ったような静寂が訪れる。

 

「では、旗艦が乾杯の音頭を」

 

不知火の発言で、陽炎に視線が集まった。

 

何か押し付けてきた次女に対して、僅かに呆れた色を見せつつも、長女が缶を持ち上げる。

 

「本作戦、陽炎哨戒戦隊全艦の生還を祝って」

 

軽い声色に、缶を打ち鳴らす音が重なった。

 

途端に騒然とした病室で、頬を過ぎるものが在る。

 

南洋の果てより海原を渡った風が、窓の隙間で音を鳴らした。

僅かに髪を揺らすそれに、釣られるように陽炎が窓を向けば、どこまでも続く青。

 

「良い風ね」

 

釣られたままに窓際に腰掛けて、菓子の取り合いをしている皆を見ては、軽く笑った。

 

様々な場所で、様々な思惑が吹き抜ける風の如くに違う色を見せる。

 

人の奏でる音を聞くヒトは、大地の奏でる歌を聞かないのでしょうか。

大地を吹き抜ける風を知るヒトは、天籟の楽を聞きませんか。

 

そもそもに万に風が吹いていく様子に同じものは無いのですが、

しかし現象だけを見れば、単に風が吹いているだけなのです。

 

風を感じ音を奏でる、そのような事をするヒトは、いったい誰なのでしょう。

 

そんなものはありはしないと言うのに。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。