水上の地平線   作:しちご

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あきつ退魔録 零余

出会い頭に眉間を弾丸で撃ち抜いた。

 

硝煙の立ち昇る銃口の、奥の銃把を握る腕は、一隻の揚陸艦。

 

件の老学者の根城に、令状と共に踏み込んですぐの凶行である。

自らの小隊のみならず、公安、警察揃い踏みの中での凶行である。

 

痩せて鶏がらの様な、小枝の様な手足の老人が仰け反って吹き飛んで行く。

 

突然の展開に場に居る一同が、埴輪の様な顔に成って固まった。

 

「い、いきなり何をやっているのですかーッ」

 

いち早く正気を取り戻した副官の電が、全員の心の声を代弁する。

 

「不幸な事故でありますよ」

 

そんな魂の叫びを気にも留めず、飄々と受け流す姿。

 

一息、ようやくに状況を理解したであろう幾らかの部外者が、あきつ丸を咎める。

流石に目の前で殺人を行うのは、見過ごすわけにはいかないと。

 

しかしあきつ丸は、そんな非難の声も何処吹く風と、軽く銃先で指し示して嘯いた。

 

「せいぜいが、死体損壊程度でありましょう」

 

示した先に視線が集まれば、そこには額に穴を開け、蟲の様に蠢く人型の何か。

 

彊屍、などと言う言葉が観衆から漏れ聞こえはじめる。

 

「さて、動かないうちに漁るとしますか」

 

人いきれの割に静かな部屋の中、艦娘の声だけが高い音で響いた。

 

 

 

『あきつ退魔録 零余』

 

 

 

紫煙の立ち昇る密室、副流煙に眉を顰める陰陽師たちを余所に、

着々とあきつ丸小隊は自らの職務を遂行していた。

 

公安、陰陽寮との合同ではあるが、今回の強制捜査に於いてはかなりの数を原子力研究所

関連の警備に割かれており、現場に居るのは憲兵と数名の部外者と言う有様。

 

次々に小隊員が抵抗を確認と宣言し、やや乱暴に根城の活動家たちを捕縛していく

 

誰かが、いくら何でも強引すぎないかと口を出せば、

 

「拳を握れば公務執行妨害でありましょう」

 

などと手加減の無い言葉が返ってくる。

 

そんな報告を聞き流しながら、部屋の主が使っていたであろう椅子に腰かけ

揚陸艦は机の上にばら撒かれていた書類束に目を通し続けた。

 

幾らかの時間が過ぎる。

 

ようやくに再生が一区切りついたのか、鳥の骨を折る様な音を立てて起き上がる老人。

 

事此処に至って猶、不敵に口元を歪めては音を発した。

 

「あびゃらぶりめうらむえろきゃッ」

 

どうも脳髄の言語関連のあたりが再生しきれていなかったらしい。

 

無言で、向けていた視線を書類束に戻すあきつ丸と、少しばかり頬を染める動く死体。

 

肩透かしを受けた電はじめ数名が床に手を着いた。

 

どうにもならない、動きも無い、そんな居た堪れない空気のままの静寂が続き、

そしてようやくに言葉を取り戻したのか、研究者は仕切り直して口を開く。

 

「久しぶり、と言って覚えているかね」

「実に全く、忘れたかったでありますよ」

 

掛けられた言葉に、丸めた書類束で自分の肩を叩きながらあきつ丸が応える。

 

「しばらく見ないうちに、人間を止めてしまった様で」

 

老人に空けられた額の穴は、既に肉色と言うには少しばかり薄黒い何かで埋められている。

そんな盛り上がった傷跡を、指先でコリコリと掻きながら死体が語り出した。

 

「ヒトを越えた、とか、コレが私の答えだったのか、とか言わないのかね」

「どんな馬鹿でも死体には成れるでしょう」

 

違いないと苦笑して、肩を竦める老人。

 

「深海との繋がりが欲しくてね」

 

落ち着いた声色を受け、唐突にあきつ丸の脳裏に一つの結論が浮かんだ。

 

―― コイツは、既に全てを終わらせている

 

「何を、したのでありましょうか」

 

少しだけ詰まった言葉に、チャシャ猫の如き厭らしい笑いを浮かべての応えが在る。

 

言っていただろうと。

 

「人類の進化のお手伝いさ」

 

まあその結果、私は終わってしまったがと笑いながら、胸元を肌蹴て指し示した。

胸板には、刺青で何某かの符の如き模様が描かれている。

 

その中央に書かれた文字は ―― 随身保命。

 

「生きてる様に動き、命に従え、ですか」

 

彊屍のお札として有名な文言であった。

 

「詰まる所、もはや彼の国に背く事は出来ない身の上でね」

 

何が楽しいのか、死体はケラケラと笑いながら言葉を紡ぐ。

 

日本の利益に成る行動は何一つとれないのさと、尋問の無駄を嘯いた。

 

「地水火風の借り物を、と言うには重そうな身体でありますな」

 

あきつ丸の呆れた声色を受け、さらに年甲斐も無く騒がしい老人の有様。

 

が、唐突に

 

全ての感情を切り捨てた様な、能面の、死体の面持ちで問い掛けを出した。

 

「私を、処分するのかね」

 

たわいの無い会話が流れる横、幾人かの聴衆の中、室内の空気が少しばかり重くなった。

 

「既に死んでいるのでしょう」

 

気にも留めない様な、軽い色合いの言葉が在る。

 

「何をしたのか、もう聞かないのかね」

「無駄な気がするのであります」

 

けたたましい笑い声が響いた。

 

肯定、肯定と言葉が在り、洞察の裏付けを滔々と語り出した。

 

彊屍と成った折に、意思も記憶も捨ててきたと。

 

どれだけ問い掛けようと、どれだけ調べようと、もはや死体の中には何も無い。

脳内に残っているのはぼんやりとした動機と、生きていた頃に決めていた行動の手順だけ。

 

「私は既に、かつての私の残滓でしか無いのだよ」

 

言い終えて、魂の抜けた様な無表情と化した老人は言葉を区切る。

 

誰かしらの溜め息が響き、あきつ丸が書類を持って退出をしようとする。

入れ替わるように老人を包囲する陰陽師たち。

 

かざされた札の向こう、気の無い声色の言葉が響いた。

 

「そうそう、新しい人類とはどのような形になると思うかね」

 

振り返りもせずにあきつ丸は言う。

 

「人類は艦娘と言う形で深海を受け入れた、というのはどうでしょう」

 

いつぞやの言葉を受け、あきつ丸なりに考えていた返答であった。

 

「ああ、それは素敵だ」

 

室内に真言が響き、霊的な力場が成立し始めた。

 

素敵だ、本当に素敵だと。

 

封彊の法陣の中、夢見る様に繰り返す。

 

封じられるのか、処分されるのか、どちらにしても此処から先はただの悲惨。

老人の意識が染み出す様にやみわだに堕ちていき、消えて行く。

 

最後、何処も見ず、誰にとも無く言葉が零れた。

 

「進化に付いて行けなった旧人類は、ここで退場する事にしよう」

 

そしてそのまま、静寂に消えた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

あきつ丸は建物を抜け、大きく息を吐いては煙草を取り出して、空を仰いだ。

晩秋の風が宇津保を抜けて、高度を増した空で踊る音がする。

 

無言のままで火を点けては、ふとした拍子、心に無かった言葉が零れて、落ちた。

 

「吹雪殿、叢雲殿、終わったでありますよ」

 

蒼天に、亀の様に額の狭い叢雲と顔面が口に成っている吹雪が笑っている気がした。

 

五月雨の制服を着たゾンビも居た。

 

全員、中指が立っていた。

 

あきつ丸は近いうちにお祓いに行こうと決心した。

 

「結局、何だったのです」

 

建物の表で紫煙を燻らせる隊長に、副官が問い掛ける。

 

「下手人はとっくに死んでいて、アレはただのリモコンだったと言う事でありますよ」

 

謎だらけですかと諦めた様な言葉に、そうでもありませんと言葉が返って来る。

 

困惑する駆逐艦に、あきつ丸が書類束を渡した。

 

「ただ、情報が多すぎてどれが正解なのやら」

 

そのままに大きく伸びを打ち、首を鳴らし出す揚陸艦の姿。

 

「―― 少彦名命」

 

内容に目を通した電が、小さく言葉を零した。

 

「大洗で少彦名命と言えば、大洗磯前神社でありますな」

 

境内から臨んだ岬に大己貴命が降臨し、少彦名命と出会ったと伝えられている。

かくて二柱の出会いから、日本神話に於ける国造りの故事がはじまる事と成る。

 

「深海棲艦が岬に攻めて来る、とでも言うですか」

 

警戒は怠れませんねと、あきつ丸の苦笑が在る。

 

そのままに半分ばかりに短くなった煙草を咥え、深く吸いこんでは煙に巻いた。

僅かな静寂を、あきつ丸が再び、先ほど気付いたのですがと小さい声で乱す。

 

「本殿から岬の鳥居を望んで、それをずっと伸ばしていくのでありますよ」

 

太平洋をひたすらに南東に進み、南方の諸島を突き抜け、ついには其処へ到達する。

 

―― 南緯47度9分 西経126度43分

 

「ハワイ諸島から太平洋到達不能極へ、太平洋を縦断する方違え」

 

滔々と告げられた内容に、電が蒼褪めながら言葉を零した。

 

「中枢棲姫が、此処を目指していると」

 

そんな空気を何処吹く風と、飄々とした言葉が返って来る。

 

「いえ、距離が在り過ぎるので、おそらくは違うであります」

 

返答にすかされた副官の肩が、勢い良く落ちた。

 

それを見て、くつくつと笑いながらあきつ丸が副官に言葉を繋げる。

 

「何故、どの様にというのは断言できませんが」

 

それ関連の書類ばかり在る以上、狙いだけはわかっていると言う。

顔を上げた電の表情に、怪訝な色が乗った。

 

続いた言葉が、世界の空気を凍らせる。

 

―― 深海棲艦に因る、国造りの再現

 

いまだ動かない中枢棲姫に伝えられた内容は、それであると。

 


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