水上の地平線   作:しちご

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天籟の風 漆

言説は上滑りをしている。

 

数多の艦娘と深海棲艦の集う決戦海域は、唐突に深海提督の独壇場と化していた。

 

戦わないと言う本当の意味のでの理想だの、非暴力の覚悟だの、

随分と聞こえの良いだけの言葉が海域に響き、そのまま消えていく。

 

言争(ことばたたかい)の類かと思ったのだが」

 

狂人を見る目付きで長門がぼやいた。

 

防衛ラインの破綻、航路の分断、深海への様々な漏洩が齎した被害は多岐にわたる。

 

奪うだけ奪い、殺すだけ殺し、今も集団で艦娘を嬲ろうと出撃した当人の

事ここに至って開いた口から出た言葉である。

 

当然の事だが、深海側は艦娘に砲口を向けたままだ。

 

「撃ちこんだら駄目っぽい?」

 

可愛らしく聞く夕立を、頭痛を堪える風情の天龍が抑える。

 

「とりあえず口上が終わるまで待たないと、困るからな、報告書とかで」

 

声色に疲労が滲んでいた。

 

 

 

『天籟の風 漆』

 

 

 

隼鷹の機嫌は、加速的に悪くなっていった。

 

何の事は無い、件の深海提督が民間人を前線に置く非道、強制する卑劣と、

いちいち隼鷹や飛鷹を引き合いに出して、代弁者の如くに語っているからだ。

 

もはや演説は論説とは呼べないほどに万遍無く破綻している。

そのうえ支離滅裂かつ話が次々に飛び、詭弁と言うにもあたらぬほどの有様。

 

何でも、電信柱が高いのは総理の責任らしい、ファンキーな遺言である。

 

しかるに、はじめは狂人だと思った。

 

次に、以前に龍驤が語っていた平和ボケの成れの果てかと考えた。

 

そして、現実を理解できていないと想到するに至り ――

 

「武蔵サン、ちょっと頼まれてくれるか」

 

目の前の肉塊の哀れさに溜息を吐き、旗艦へと望みを告げる。

 

その結果、深海提督の前方に居た戦艦ル級の頭部が消し飛んだ。

轟音の後には、至近の惨劇に顔色を蒼褪めさせて口を開き、閉じる人影。

 

提督と呼ばれた酸欠の金魚に向かい、隼鷹の言葉が飛ぶ。

 

「どうした、続きをホザいてみろよ薄汚い邪魅が」

 

感情の籠もらない声が海原に響いた。

 

硝煙の漂う空間に今、海域の全ての視線を集めたのは、洋装にアレンジされた

狩衣とも、巫女ともとれる紅白の和装束に身を包む改装空母。

 

「ウチの提督なら、砲弾の2、3発じゃ舌は止まらないんだけどな」

 

訪れた静寂に息を吐き、吐き捨てる様に言葉を重ねた。

 

静寂は死に繋がると提督に思い知らせた暴虐軽空母の事は、そっと心の棚に上げる。

 

「どうせ理解も()()()()()()()()()のだから無駄だろうが」

 

因果は含めないとなと、小さく零して隼鷹は武蔵の前に立った。

 

「アタシも、確かに戦争は嫌いだよ」

 

呑まなきゃやってられないねぇ、などと些細な言葉を挟みながら

張り詰めた空気の中、飄々とした態度で頭を掻きながら言葉を紡ぐ。

 

「でもさ、やるべき事から目を逸らして駄々を捏ねる餓鬼とは一緒にされたくないね」

 

そもそもと、深海の勢力を指さして言葉を続ける。

示した指先に釣られる様に、様々な視線が深海提督へと集まった。

 

「何で戦艦に砲弾が当たったんだい」

 

前に戦艦が居たからである。

 

「何でさっきから時折視線を後ろに向けているんだい」

 

随分と薄い後方には、人ひとりがすり抜ける程度の隙間がある。

 

「味方を盾にして、囮にして、自分だけ逃げ出す算段かい」

 

意識しているか否かはともかく、結局の所はそういう事なのだろう。

 

手漕ぎ轟沈丸1世号と共に砲雷撃に参加した某提督は、実は艦娘間で伝説に成っていた。

馬鹿である、指揮官としては褒められたものではない、というか主に龍驤のせいだ。

 

だが、そんな馬鹿げた行いには隼鷹の胸を打つ物があった。

 

思えば、自分の知る軍人は誰もがそうであったと。

 

赤い水干の相方も、国の威信を背負った戦艦も、同じ工廠で不安を抱えていた大戦艦も。

改装空母である自分より、可能な限り、そう、可能な限り常に先に立っていてくれた。

 

別に、何某かの言葉が在った訳では無い。

 

だが、申し訳ないと、せめて元より軍属の自分たちが先陣を切るべきだと。

 

だから飛鷹は囮として使い潰されても、妄執を抱かなかったのだろう。

生き残った自分も、哀しみこそ在れど誰かを恨むような気にはなれなかった。

 

そう、比較する対象が居るが故に、ことさらにその不実が際立って見える。

 

「てめえの言葉には誠が無え」

 

是非は問わない。

 

魂魄の奥底より来たる、一切の迷いの無い言葉が海域の全ての心を穿った。

 

「くだらない問答は終わりだ」

 

宣言に合わせ大符を海上に広げる。

 

それを見た加賀と瑞鶴が、齧っていた軍用糧食(おにぎり)を頬袋に放り込んだ。

蒼天へと放たれる式鬼紙が滑走するのは、航空式鬼神召喚法陣隼鷹大符。

 

「手伝え飛鷹、一切合切を折伏し、この海域を浄化するッ」

 

声に促されるように次々と大符を広げ、あるいは弓を引く航空母艦たち。

 

「じゃ、そろそろ素敵なパーティはじめるっぽい?」

 

左翼前方、深海勢力の側面から響いた声に全軍が鳥肌を立てる。

 

続け様に上がる水柱、微塵に砕かれた漆黒が周囲へと散らばり轟音が海面を撃った。

 

「夕立、突撃するっぽいッ」

 

「既に突撃し終わっているのですッ」

「いや、ここからさらに征くつもりじゃないかな」

 

舞鶴より参戦していた電と響が暴走駆逐艦に追随する。

 

「あらあら、元気ねえ」

「二度とブルネイには関わらねえぞド畜生ーッ!」

 

肩を並べる龍田の声と、天龍の叫びが砲火の隙間を縫って空へと響いた。

 

何が起こったのかを誰も理解する事の出来なかった数瞬、その僅かな隙に

天龍水雷戦隊がどこまでも敵陣深くに切り込んでいく。

 

「―― ッ、 砲雷撃開始、空母は後ろに、演習通り階梯陣のまま2時方向に前進」

 

突然の凶行に呆けていた長門が、慌てて全軍に指示を飛ばした。

数多の艦載機が空を埋め、至る所で火砲の轟音が波紋を作る。

 

僅かな時間、位置の入れ替わりの折に隼鷹と擦れ違った長門が、憮然とした表情で零す。

 

「まったく、どうしてくれる」

 

怪訝な表情の航空母艦に、旗艦を務める戦艦が八つ当たり気味の恨み言を述べた。

 

「お前に見惚れていたせいで、先駆けされてしまったではないか」

 

虚を突かれた表情に、少しだけ溜飲の下がった本陣主席の満足が在った。

ヒーローの変身中に容赦なく攻撃する秘書艦魂の苦情を言われてもと、苦笑が在る。

 

「つまり、龍驤サンのせいだ」

「そうか、龍驤のせいか」

 

かつての相方を売り渡すのに何の躊躇いも無い元第四航空戦隊が居た。

 

「なら仕方ない」

 

どちらの言葉であったのか、さしたる違いも無く。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

南洋神社は北にバベルダオブ島との境海を臨み、南はコロール島の内海に面する

海岸に囲まれた高地、コロール島と形作る瓢箪の括れの様な個所に配置されている。

 

密林と呼ぶべき植生の木々の狭間、近年に拡張された境内に居るのは、龍驤。

 

人気のない空間で、やる事と言えば当然の如くに紫煙を吐いている。

 

「貴女は、まだ自分の事を認められないのですね」

 

境内へと届く声。

 

何時から其処に存在していたのか、境内の中を歩む青い正規空母の姿が在る。

 

「加賀、やないな」

「いいえ、加賀ですよ」

 

割れた空の如く弧を描く口元が、龍驤へと言葉を紡ぎ出した。

 

「貴女がそう呼んだのですから」

 

そのような言葉を投げかければ、意味が分からんと龍驤が韜晦する。

 

で、何の用やとお道化た返事が在れば、一息に踏み込んだ正規空母が龍驤の両手を抑える。

煙草が落ち、爪先が片足を踏み、鼻が付くような至近で瞳を覗きこみ、言った。

 

「呆けたふりをして北斗を踏む、油断も隙もありません」

 

見抜かれた様に、龍驤は振り返る振りをして禹歩、所謂反閇なる歩行呪術を仕掛けていた。

 

「で、ウチに何か用なんか、加賀カッコカリ」

「頑なですね」

 

悪びれもしない声に、苦笑が返る。

 

そのままに耳元へと口を寄せ、青い正規空母が言葉を伝えた。

 

覚えておきなさいと。

 

―― 思い知らせてあげますから

 

妖しの声に硬直した生贄に、唇が重なり、舌が絡まる。

 

数瞬、突如に龍驤を突き離し後ろへと飛び退る青い怪異。

 

口元から流れる鮮血を、舌で舐めとりながら忌々し気に睨む。

 

「煙草の火は、ちゃんと消しとかんとな」

 

足元で煙を立てているのは、崑崙符法が霊符のひとつ、闘法用符。

袖口、艤装の隙間などに常々仕込んでいる、焚焼して使う邪気払いの符である。

 

即座、改めて北斗を踏みなおし、場を清める赤い水干の陰陽師。

 

貪狼(一歩)巨門(二歩)禄在(三歩)文曲(四歩)廉貞(五歩)武曲(六歩)破軍(七歩)

 

行神たる禹の姿の歩みを真似、兼ねて北斗真君へと通神の縁を結ぶ

 

勅令(北斗真君が御名に於いて勅を下す)

 

天を我が父と為し、地を我が母と為す、六合中に南斗、北斗、三台、玉女在り。

左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後ろに玄武、前後扶翼す。

 

「急々如律令(疾くその命を果たせ)」

 

見て取れるわけではない、だが、確かに境内の中で何かが変わった感触が在った。

 

それを見た怪異が、少しばかり呆れた風情の声で言葉を掛ける。

 

「あれだけ大仰なのに、邪気払いの効果が弱すぎませんか」

「悪うござんしたな、ヘッポコでッ」

 

そもそも南方で北斗に通じる時点でアレである、しかし、龍驤に他の選択肢は無い。

 

深い理由は無い、単に技量と適性が無いのだ。

 

まあ、帰りますけどねと加賀の姿の何かは溜息を吐く。

 

「そうそう、貴女のお稚児さんが、大変な事に成っている様ですよ」

 

呆れたままに西の方を示す怪異。

 

刹那、身を翻し振り返る事も無く高地を駆け下りる軽空母。

その姿を見つめながら、陽炎の如くに揺らいで消える怪異が在り。

 

後に残るのは、くすくすとした笑い声だけ。

 


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