水上の地平線   作:しちご

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天籟の風 伍

サイパン奪還作戦、その作戦本部はパラオに置かれている。

 

今回の作戦に参加する各鎮守府の艦娘たちは、パラオに点在する泊地旗下の

番所に艦隊ごとに振り分けられ、開始の時を待っていた。

 

パラオ北端に位置するアルコロン州、現地の発音ではガラロンと呼んだ方が近い土地に

かつての大戦時の日本軍の灯台跡、TODAIと呼ばれる遺跡がある。

 

緑の呑まれ朽ち果てたそこに、それぞれ緑と黄色の着物を身に纏う、正規空母の姿。

 

「飛龍飛龍、アレはカヤンゲル島かな」

 

晴天の下の水平線上、空海の青に染まらぬ影を指さして蒼龍が言い、飛龍が息を吐く。

作戦前の僅かな余暇に、番所の外を散策していた二航戦組であった。

 

「何でまたそんなにテンション高いのよ」

 

手刀を使い蒼龍の停止ボタンを押した飛龍が、溜息と共に問い掛けていた。

頭頂を抑え苦悶の響きを漏らしていた蒼龍が、やがてか細い声で心中を零す。

 

「センパイが居ないとさ、何かこう、不安って言うか」

 

皆まで言わせず、蒼龍の頬を飛龍が引っ張った、それはもう力強く。

 

突きたての餅の如く容赦なく引き伸ばされた頬から、声と言うより音としか表現の出来ない

嘆きの何某かが響き渡り、歯牙にもかけない飛龍の澄ました声が耳元に届いた。

 

「はいここで質問です、私たちは何でしょう」

 

何か哲学的な意味でも勘ぐりそうな漠然とした言葉に蒼龍の困惑があり、頬に捻りが入る。

ようやくに解放され、破滅の音がと頬を抑え涙を零す相方に、飛龍が重ねて声を掛けた。

 

「私と貴女で、第二航空戦隊でしょう」

 

短く、それでいて様々な意図の籠もった言葉が在る。

 

受けた蒼龍は頬を擦る手を止め、やがて脳内に言葉が染み入ってから、表情を変えた。

そうだねと言葉、自らの頬を叩いて気合いを入れ、めっちゃ痛いとか言って蹲る。

 

気を取り直し膝を伸ばしたそこには、ただ一隻の正規空母の姿。

 

「いろいろ頑張って、センパイに私の武勇伝を聞いてもらわなきゃ」

 

相方のお道化た言葉に、蒼天の下で飛龍は溜息を吐いた。

 

 

 

『天籟の風 伍』

 

 

 

様々な番所から参加艦隊が続々と抜錨する中、作戦本部に訪れた艦娘が居た。

ドック上がりでホカホカと湯気を立てている、軽巡洋艦の五十鈴と乳置きの龍驤である。

 

何か奥義でも開眼しそうな哀しみを秘めた瞳の軽空母が、今回の随伴の軽巡洋艦に抱えられ

幾隻かの艦娘が忙しなく動く最中、作戦指揮を執る本陣第一提督へと報告を告げた。

 

「本日分のドラム缶押し終わったでー」

「ふむ、何で入渠しているのか聞いて良いかな」

 

精悍な色合いの残る初老の本陣提督が、困惑気味に問い掛ける。

 

何故にドラム缶を押すだけで被害が出ているのかと、そんな当然の疑問に対して龍驤は

どこか遠い世界へと視線を向けて、感情の籠もらない平坦な声で言葉を紡いだ。

 

「炎天下の下、乳とドラム缶に挟まれて過ごしてみるか」

「いやだから、悪かったってば」

 

朝からずっと五十鈴とドラム缶に挟まれていた龍驤であった。

 

そんな、返答によってはセクハラ扱いされかねない微妙な問い掛けに、冷や汗を流して

固まる本陣提督の向こう、参戦している妙高の代理で付いていた大淀へと書類の提出。

 

控えめに言って紙資源の無駄としか表現できないほど、不毛な内容しか書かれていない。

賽の河原の石積みの如き業務内容に目を通した大淀が、呆れた表情のまま口に出した。

 

「思うんですけど、最近龍驤さん、自分の足で歩いていませんよね」

 

言われてみれば、最近の龍驤は抱えられっぱなしの置かれっぱなしである。

 

「軟骨がすり減っとらんから、身長が1cmぐらい伸びとるで、きっと」

 

入院患者の様な強がりであった。

 

「んで、情勢はどないな感じなんや」

 

与太を適当な所で切り上げて、奪還作戦の進捗を問いかけるドラム缶担当。

 

「予想通りだな、深海棲艦がざっと30、一か所に集まっている最中だ」

 

本陣提督が軽く指し示した先では、舞鶴より参陣している秋津洲が、やや姦しく

海図の上に駒を置いて、長距離偵察の内容をリアルタイムに反映させていた。

 

パラオとサイパンの中間、ややサイパン寄りの地点、海上の瘴気が薄くなっている隙間

所謂、羅針盤の航路と呼ばれるそこへ続々と敵艦が集結しつつある状況である。

 

「こっちの艦隊に向かって各個撃破って感じか」

「返す返すも、新型の羅針盤が間に合わなかったのは痛恨事だな」

 

羅針盤の加護により艦娘は、瘴気の薄い個所、航路に居る限りは深海の汚染を防ぎ

例えば深海堕ちの危険性など、様々な霊的汚染から防護されている。

 

現行の羅針盤では、ひとつの羅針盤に登録できる艦娘の数は、6隻。

 

「向こうからも偵察機が飛んでいる、先遣隊が見つかった頃合いだな」

 

かもかもと言いながら次々と動かされる駒を眺め、龍驤が一言だけ感想を述べる。

 

「阿呆ちゃう」

「阿呆なんだろうなあ」

 

呆れ果てたような声色に苦笑交じりで応えながら、提督が一点を指し示した。

海図の上に置かれた駒は、深海棲艦を模したそれらとは違い、制帽を被るヒトガタ。

 

「舞鶴から消えた、元沖縄のアレか」

「何でも、海の上に立っているらしい」

 

端的な言葉に、しばらくの静寂がある。

 

「よっしゃ、とりあえず深海提督と名付けよう」

「そういう問題なのだろうか」

 

内容の無いやり取りで気を取り直し、龍驤が改めて本陣提督に問うた。

 

「哨戒の方は」

「何の問題も無い」

 

肩を竦めた軽空母が、自分を抱えている軽巡洋艦に指示して退出しようとする。

ほな、ドラム缶の所で待機しとるわという声に、軽い声色で伝達する一言。

 

「そうだ、お前の所の明石から荷物が届いていたぞ」

「あー…… ギリギリで間に合わせやがったかー」

 

最後に背中越しで、呆れた色の言葉だけがあった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

蒼天の下、ドラム缶の上で紫煙を燻らす軽空母が居る。

 

咥え煙草のままで触媒を艤装に装填し、幾つかの式鬼紙を書き直している。

 

気楽な風情なれど、どこか張り詰めた物のある艦載鬼整備の空気の中

同じドラム缶に横からもたれ掛かって居た五十鈴が声を掛けた。

 

「ねえ龍驤」

「なんやー」

 

気の無い返事。

 

「何で今回の随伴が、私なの」

 

重ねて問う、貴女は私に何を望んでいるのかと。

 

「ぶっちゃけ、肉の盾」

 

眉一つ動かさずに酷い返答が在った。

 

思わず足の力が抜けた五十鈴が、ドラム缶にしがみ付くような形で滑り落ちる。

 

「って、何よそれはッ」

「いやかましいッ、その駄肉を少しは削れっちゅう親切心や、親切心ッ」

 

にわかに騒々しくなった埠頭の先、近隣哨戒に出る艦隊が手を振っていた。

 


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