水上の地平線   作:しちご

79 / 152
49 影絵芝居の国

クラーケンと言う名称が初めて使われたのは、18世紀に記されたノルウェー博物誌である。

 

それ以前にも海洋の巨大生物の記述は様々な国、様々な時代に散見する事が出来る。

聖ブレンダンの航海記に記された、生きている島などが有名な所であろう。

 

そのような海の良く分からない生き物に、分類学の父と呼ばれるカルル・フォン・リンネは

主著「自然の体系」に於いて、ミクロコスムス・マリヌスと名を付けた。

 

そう、海のよくわからない生き物ミクロコスムス、とりあえずでかい。

 

頭足類じゃないか、などとほやほやした物言いをしていた所に、ノルウェー博物誌に於いて

奴は墨を吐く、などと書かれたものだから、何となく巨大烏賊のイメージが付いてしまった。

 

尤も、以降にコレがクラーケンとピシッとした物言いで定義されたわけでもないので

巨大蛸であったり、鯨であったり、海星であったり、様々なクラーケン像が生まれる事に成る。

 

要は、でかい海の生き物である。

 

巨大な身体を持つ海の怪異、例えばシーサーペント、リヴァイアサン、そしてクラーケン。

 

これらは邦訳する折に違う字が充てられたため、それぞれ違う海の怪異と扱われがちだか、

出典時に差異はあるものの、一般で使われる名称としては実の所、かなりの部分が被っている。

 

同じものを別の国の言葉で言っていた場合、翻訳の過程で別物になる、よくある話だ。

 

さて、話を戻してクラーケンである。

 

前述の聖ブレンダンの航海記に於いては、約2km程度の大きさの円形の島であった。

この航海記に限らず、円形の島に上陸したらそれは生き物であったという記録は幾つか有る。

 

それらの記録に散見する記述を纏めてみれば、とにかく巨大であり、時折草木が生え、

星のような模様、複数の触腕、このあたりがクラーケンは海星であるという主張の理由なのか。

 

そしてさらに、ブヨブヨとした感触、半透明の色合い ――

 

そんな巨大な生き物が、龍驤たちの目の前に浮かんでいた。

 

張り詰めた空気の中、龍驤とグラーフを航空戦力と置き、ついでに利根を付けた後に

随伴駆逐を入れた、通称、索敵には多分困らないんじゃないかな艦隊は臨戦態勢を取る。

 

「龍驤ちゃん」

 

随伴の島風が声を掛ける。

 

「ああ、間違いないわ」

 

言葉を受けた龍驤は、グラーフに縫い包みの様に抱えられたまま、深刻な表情で口を開いた。

 

「クラーゲンや」

「それが言いたかっただけじゃろ」

 

コラーゲンの親戚の様な名称であった。

 

どうでもいい話だが、ミクロコスムスの名称は17世紀、フランチェスコ・レディの

「生きている動物の観察」の記述、ミクロコスモ・マリノから採用している。

 

何か変な生き物を見た、岩みたい、小さな草木とか生えてるっぽい、などと書かれている。

 

後年、何でリンネがコレを巨大生物と勘違いしたのかわからないと言いながら、

とある生き物の学名として、ミクロコスムスの名称が採用された。

 

脊索動物門、尾索動物亜門、ホヤ綱、壁性目、マボヤ科、ミクロコスムス属。

 

つまりホヤである、ミクロコスムス属のホヤは可食らしい。

 

それはさておき、クラーゲンは通りすがっただけで、特に何の問題も無かった。

 

 

 

『49 影絵芝居の国』

 

 

 

グラ子に抱えられたままの姿でマレー半島に東側から入り、海岸に隣接する

ソンクラー湖のヨー島に辿り着いたあたりで、何か見覚えのある艦娘の姿があったわけで、

 

今回の呼び出しについて嫌な予感が湧き出て来た。

 

ブルネイ第二鎮守府3番泊地、通称ヨー島泊地。

 

マレー半島、タイ王国南部に位置しとって、マレーシアやシンガポールに関わらず、

つまりはマラッカ海峡を利用せず、陸路で横断する場合に重要な意味を持つ泊地や。

 

とはいえ、わざわざマレー半島を陸路で横断するような事態も限られているわけで

 

普段はタイ南部からマレーシア、タイランド湾から南シナ海あたりに出張する、

動かしやすい戦力として第二鎮守府にこき使われとる、まあ戦力の要やな。

 

そんな湖上の城塞に居たのは、タウイタウイのビスマルク。

 

相変わらずの黒と灰の脇出し制服やけど、何つうか艤装が随分ゴツくなっとる。

察するに、ビスマルク・ドライへの改装が終わったんやなとか。

 

「久しぶりねグラーフ、そして龍驤」

「ああ、見違えたなビスマルク」

 

眉一つ動かさずヒトの頭越しに旧交を温めとる、つーかグラ子もそろそろ離せやと。

 

何やら艤装を見せびらかせながら、良いのよ、もっと褒めてもとか言いだした

暁型の戦艦をスルーして、今日はプリンツは居らんのかと聞いてみれば、方向を示す。

 

見れば少し離れた所でプリンツが、利根や鈴熊と一緒に何やら盛り上がっとった。

 

「ドイツ艦だらけやな、何や問題でも起こったんか」

「トルコから中東に抜けて、オイルロード経由で来た娘が居るらしいのよ」

 

何となく互いに考え込む風を見せて、

 

「イタリアから?」

「イタリアから」

 

さもありなん。

 

「何や、イタリア艦娘の督促にでも出張って来たんかい」

「それとついでに、私たちの様子見かしらね」

 

面倒事が面倒事を持ってやって来たと、まあ本土に丸投げやけどな。

 

そんな会話を続けている内に影でも射したんか、これまた見覚えのある外観が姿を見せる。

 

「はじめまして、と言うのかしらね、イタリアから特使で派遣されたビスマルクよ」

 

でかい暁が増えた。

 

「あらはじめまして、日本へと譲渡されたビスマルク ―― ドライよッ」

 

ドライのあたりに随分と力が籠もっとる。

 

「その艤装 ―― そう、コレが日本の改装技術」

 

何やらドライに興味津々と言う風情でペタペタと触りまくるビスマルクと、得意げに

胸を張るビスマルク、何やろな、こういうんも自画自賛言うんやろか。

 

「凄いわね、ここまで強化されれば、もう世界最強の戦艦じゃない」

 

そんな手放しの称賛に、我らがビス子は随分と煤けた雰囲気で目を逸らした。

 

「うん、貴女も日本に行って大和型にへし折られればいいわ」

 

言葉に何か隠し切れない黒さが混ざっとる、合掌。

 

突然に真っ白な灰と化したビス子に動揺しつつ、ようやくに紹介が途中だったと気付いたか

軽く咳をしてコチラの方へと視線を向ける金髪きょにゅー、まあしゃあないな。

 

「ブルネイの泊地に所属しとる、軽空母の龍驤や」

 

「龍驤型航空母艦2番艦の、グラーフ・ツェッペリンだ」

「待たんかいドイツ製」

 

ヒトの頭の上で何か凄い事を言いだしたグラ子にツッコミを入れた。

 

目を白黒とさせてグラーフ、龍驤型、あれ、などと困惑する有名戦艦を尻目に

相も変わらずウチの後頭部に胸を押し付けながら、グラーフが口を開いた。

 

「龍驤、私は徒然に考えてみたのだが」

「言い回しが妙に日本的やな」

 

前から少し怪しいと思っとったが、小泉八雲症候群にでも罹患したのか、とか何とか。

 

ともあれ曰く、グラーフ・ツェッペリンは未成空母、即ち此の世に存在しない空母やと。

 

「つまりだな、実は言ったもの勝ちなのではないかと」

「ひたすら待ちやがれドイツ製」

 

誰やグラ子に阿呆な事仕込んだのは、うん、思い当たりが多すぎる。

 

とりあえず帰ったら隼鷹を吊るそう。

 

「グラーフが自己主張を、立派に成ったわね」

「その孫娘を微笑ましく眺める親戚の目付きは止めんかい」

 

ドライの脳みそ並に生温かい視線を咎めれば、アインスが釣られて口を開いた。

 

「え、ええと、おめでとう?」

「キミも空気に流されんな」

 

畳みかける様に重巡組からお下げ二つ括りのミニスカ重巡が駆け付ける。

 

「お姉さまが二隻、ココはヴァルハラですかッ」

「ややこしいから隅っこで萌えとれプリケツおでん」

 

何か心に響くもんでもあったんか、スカートを抑えて地面に沈み込むプリンツ。

いやさ、前を抑えると後ろが持ち上がって丸見えよね、そのスカートの短さだと。

 

そんな轟沈艦の向こうから、シルバーブロンドの日焼けしたスク水セーラーが駆けて来る。

 

「お久しぶりです皆さん、ろーちゃんです、はいッ」

「誰やキミ」

 

いや知っとるけどな。

 

「ろーちゃんはろーちゃんですって」

 

そんな謎の南国潜水艦を後頭部から鷲掴みにするのは、同じくスク水セーラーピンク髪、

川内と同じく、口さえ開かなければ美少女と名高い潜水艦、伊58。

 

「あー、ちょっと信じられないかもしれないけど…… U-511でち」

 

あ、ビスマルク組が固まった。

 

グラ子も意外過ぎたのか、ウチを抱えていた腕が解けた。

 

突如に訪れた天使の通行の如き静寂の内、伊58にドラム缶配達の礼を言っておく。

 

一息、途端に騒がしくなった一同の中、ただ一隻アインスの方のビスマルクが黙考の姿勢を

見せ、やがて何かに思い当たったのか、胸を張って解放されたウチに宣言した。

 

「つまり龍驤は、ツッコミねッ」

 

素晴らしく得意げな顔で言いきってくださいました。

 

「何、もしかしてビスマルクはどいつもこいつも脳味噌生温かいんか」

 

聞いては見た物の、ゴーヤにはわからないでちとか苦笑が返って来たわけで。

 

ソンクラー湖の水平線に、いつまでも喧騒が響いていたとか何とか。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

私、島風は、利根ちゃんからお昼ご飯代を渡されて、何でも経費で落とすとか

それはともかく、ヨー島所属の長波ちゃんと一緒に食べに出たのです。

 

波打つ長い髪のドラム缶マスターと、ああでもないこうでもないと騒ぎながら、

ヨー島から橋を渡ってソンクラーに。

 

龍驤ちゃん曰く、ソンクラーは特筆すべき何事も無い凄まじく微妙な土地と言う事に

定評があるとかで、強いて言えばイスラム教徒が多いとか。

 

タイ王国内のイスラム教徒がソンクラーの在るタイ王国南部に固まってるとかで

住人の2割強がイスラム教徒の地域だって言ってた。

 

見ればそこかしこの店は、ハラルかノンハラルかの区分けがしっかりとされている。

眺めて見るうちでは、中華料理系のお店はノンハラルのお店が主体みたい。

 

「ソンクラーは海産物が美味しいんだっけ」

「まあ海岸沿いだからなーって、私らの居る所は何処でもそうだろ」

 

身も蓋も無い長波ちゃんの言葉に納得しつつ、屋台を漁ってみる。

 

「あ、長波ちゃん、パッタイだよ、パッタイ」

「いや落ち着け、何でパッタイでそこまでテンション上がるんだよ」

 

パッタイ、タイを炒めるという意味の、米紛麺の炒め物。

 

私が艦の頃に生まれた料理で、未だ生き残っているのを見ると何か嬉しくなる。

 

「何というか、懐かしい戦友に会った気分なんだよ」

「あー、言われてみれば、そんなもんかねえ」

 

せっかくなのでと二人前を頼み、屋台前の席で昼食と洒落込む事に。

 

長波ちゃんが言うには、パッタイはタイ王国の代表的な料理と言われるほどに

その地位を確立しているとか、それはまた凄い出世だよね。

 

ついでにドリンク屋台でカフェ・イン(アイスコーヒー)を頼んで、軽く一口飲んでみる。

 

ギッシリと氷の詰まったカップに注がれたのは、インスタントコーヒーとミルク、

それにたっぷりの砂糖、凄まじく甘いけど、暑さの中だと何か美味しく感じる。

 

さてさてと、主役のパッタイに目を移せば、米紛麺の上に乗ったプリプリの海老も美しく、

酸味のある香りの中、もやしと豆腐、ライム、砕いたピーナッツが食欲をそそる。

 

軽く麺を啜って見れば、舌の上にタマリンドの酸味が踊った。

 

暑い中の酸味のある食べ物って、どうしてこんなに自然にお腹に入って来るんだろう。

正面の見慣れた顔も、海老を噛みながらどことなく表情を緩めている。

 

「うん、今回の屋台は当たりだな」

 

今日の長波ちゃんは案内役だと思っていたけど、挑戦者(チャレンジャー)だった模様。

 

「パッタイは、辛くないのが良いよな」

「タイの料理としては珍しいよねー」

 

キンキンに冷えた超甘口アイスコーヒーの冷たさもあって、酸味のある麺料理が皿の上から

見る見る内にその姿を消して、少し暑さにやられていた身体に活力を与えてくれた。

 

「んじゃ、まだ時間あるだろ、軽く摘まむ物でも漁って帰ろーぜ」

「おぅッ」

 

補充した活力を、屋台巡りで結構消費してしまったのは少し失敗だったかもしれない。

 

でもまあ、楽しかったからいいかな。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。