水上の地平線   作:しちご

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あきつ退魔録 零ロ

端的に言えば、運が悪かったという事なのであろう。

 

敵がいて、味方が居て、どこかで戦端が開かれると言うのならば、彼の纏める部隊が

その位置に在ったのも、死守を命じなければならない場面であった事も、

 

―― 彼だけが生き残り、英雄と称えられたことも。

 

折からの開戦に至る経緯の内、戦友も、肉親も、彼にとって大事な悉くが失われている事も

 

やはり運が悪かったとしか表現が出来ない事柄でしかない。

 

「ありがとうございます、司令官の為に私、頑張りますねッ」

 

後に艦娘と呼ばれる、小柄な少女にしか見えないそれを引き連れた、凶相の小男。

 

一見すればただの事案であるのだが、朗らかな特型駆逐艦の笑顔が雰囲気を中和

 

―― できていないが。

 

まあ彼の普段の景気の悪い顰め面の端に、軽く含羞の色が浮かぶ程度に打ち解けていて、

不貞腐れたままに出向と成った英雄の、研究施設での生活は悪い物では無かった。

 

詰まる所、彼は運が悪いのだ。

 

そう、悪い処の生易しい表現で済む場所では無かった。

 

 

 

『あきつ退魔録 零ロ』

 

 

 

吹雪の姿で這いずる四ツ足は、ざりざりと擦るような音を立てては追い立てる。

 

千切れかけている頭の上半分が肉体に作用していないのか、それともただの擬態なのか、

障害物に当たる度に動きを止め、いちいちに牙を立てて、それが何なのかと確認をとっていた。

 

何にせよ様々な動作は速いものの、移動自体はかなり遅い。

 

逃走を続けるふたりは、僅かでも時間を稼ぐべく通りすがる度に備品、薬品棚などを

次々と引き倒しては、雑然とした倉庫の中で騒々しく埃を立て続ける。

 

「要点を纏めよう、そもそも捕まったら駄目なのか」

「鬼ごっこを知っているでありますか」

 

書類棚を倒しながらの短い問いには、書類を撒き散らしながらの短い答えが返って来た。

 

鬼に印を付けられれば、鬼と成る。

 

「ぞっとしないな」

 

そう言って、かなり大きめの棚をふたりで引き倒せば、その裏で逢ったのは笑み。

眼前に現れたのは、白いワンピース風のセーラーを纏った何か。

 

叢雲、の様である。

 

ただ、顔は従来のそれよりも縦にひしゃげており、耳元まで裂けた口元に

鼻先に寄った淀んだ眼窩、そして狭い額と、随分と異様な容貌をしている。

 

空白の時間は刹那、ふたりが反射的にとった行動は、拳を固めて顔面に突き出す事で

唸りを上げて叢雲の顔に迫る二組の拳は、そのまま何もない空間を通り空振りをする。

 

ぎゅちょんと、遅れて聞こえてきたのは泥沼に岩を投げ入れたかが如き湿った音。

 

見れば叢雲に、首が無い。

 

正しくは、胴体深くへと頭部が引き込まれ、肩口からは銀色の体毛が生えている有様。

 

―――― ッ

 

声にならない悲鳴の先で、腕と足も蛇腹の様に縮み胴体へと収納される。

 

何やら悪趣味な抱き枕の様に成った胴体は、取り込んだ質量の分だけ膨らみを増し

はち切れそうな制服を纏う肉塊を、思わず後ろへと蹴り飛ばす逃亡者。

 

それが滑るように転がって行った先には、吹雪の牙が待ち構えていた。

 

「叢雲殿カッコカリの犠牲は無駄にしないでありますよッ」

 

思ったより至近に居たと、慌てて逃走を再開する背中に届くものがある。

 

ヒトに似たモノとは思えない悍ましい色合いの声、当たりに飛び散った体液から

黴を擦り付けた鉄錆の如き悍ましい臭いが漂い、途端に倉庫へと充満を果たす。

 

鼻が曲がるような思いを堪えての逃走の果て、壁際の扉へと飛び込む頃、

背後からは途切れる事無く、肉を引き千切り汁を啜るような咀嚼の音が響いていた。

 

扉の鍵を閉め、暗闇に息を整えている内、扉越しに響く音が消える。

 

「何だったんだ、アレは艦娘なのか」

 

小声の問い掛けに、あきつ丸が首を振った気配が在った。

 

抑えた声で語る内容は、艦娘はヒトに近い分、僅かなりとも五行の全ての属性を抱えていると。

属性を持つと言う事は相克、その属性の特徴である強弱の関係も抱えると言う事。

 

「金の属性、つまりは弾丸がまったく効かないなどという事は、無いのでありますよ」

 

ならあれはと継いだ合の手に、内心のわからぬ平坦な言葉で応えがある。

 

「木の属性を持っていない、深海でこそ無いものの、完全にあやかし側ですな」

 

そう締めくくっては、壁際を探り照明を点ければ ―― 空気が凍り付いた。

 

そこは打ちっ放しのコンクリート壁に、質素な寝台と机の在る、

飾り気の無い仮眠室か何かの様な小部屋であった。

 

ただ、壁の低い所にびっしりと、

 

―― 尽忠報国 ―― 神州不滅 ―― 何が何でも南瓜を作るのです

―― 一日戦死 ―― 胸に愛国、手に連装砲 ―― 一億一心

―― ライスカレー ―― 己殺して国生かせ ―― 遂げよ聖戦

 

隙間なく刻みこまれた文字が在る。

 

音の無い部屋に、漸くに乾いた声が零れた。

 

「何の、呪いだ」

「不可解な事ばかり、であります」

 

互い、頭痛を堪える様に顔を覆い、力無く座り込む。

どちらともなく深く息を吐き、首を振り、口を開いた。

 

「で、あの化け物をどうにかする算段はあるのか」

「察するに、アレは水の属性のあやかしでありますな」

 

額狭く、口大きく、甲羅を有し、鱗無く、要は亀や蝦蛄などの水辺の生き物であり

水の属性を持つ何某かに現れやすい身体的特徴である。

 

そんな呆けた様な響きの声でのやり取りのうち、対策が段々と固まって行く。

 

「しかし問題はアレだな、使える状態だと思うか」

「研究で使っていた様ですし、そこまで分の悪い賭けでは無いでしょう」

 

そしてふたりが並び、扉の前に立つ。

 

勢い良く扉を引けば、視界に映ったのは倉庫では無く、何やら溝色に染まった衣服。

四ツ足を壁に引っ掛け、出口を塞ぐかの如く吹雪が広がっていた。

 

驚愕に固まった表情のまま、反射的に直蹴りを叩き込む艦娘と人間。

 

「へばり付いているのは反則だろうッ」

 

中身の詰まった麻袋の如く確かな重量を思わせる感触に鳥肌を立てながら、

言葉少なく、蹴り飛ばされ蹲る吹雪に向かってふたりが走り寄る。

 

爪を立て、獣の如き姿勢で威嚇の様に頭部を開く吹雪の手前、

全速で駆け付けた互いが、左右に分かれそのまま走り抜けた。

 

「やはり、標的が別れたら一瞬固まったでありますなッ」

「命令は遂行するが判断力は無い、という所か」

 

後ろを振り返る事無く、床を蹴り、薬品棚を飛び越え、慌ただしく逃走を再開する。

 

「ああ畜生走りにくい、誰だ、こんな所で薬品棚倒して放置した奴はッ」

「まったく、通行人の迷惑と言うものを考えて欲しいでありますッ」

 

倉庫の通路に引き倒された棚や、大量に撒き散らされた書類の惨状を作った誰かに

対する恨み言を吐きながら、ハードル走の如く軽やかに駆け抜ける。

 

漸くに目的の個所に至るあたりで、背中側から大きい音が響いた。

 

軽く後ろを伺う視界に入った物は、想像よりも遥かに高く、一足に飛び掛かって来た

捕食者の姿であり、そのままに獲物である人間の視界が牙で埋め尽くされる。

 

そのまま暴力的な運動エネルギーを得た質量に押し倒された形に、足が差し込まれる。

 

腕よりも強力な足を使う事、不格好でも投げるだけなら力で何とか成る事など、

いくつかの利点に因り、それは、実戦的な柔道技であると言われている。

 

飛び掛かる相手の肩を抑える形の両手、腹腔に全力で叩き込まれる蹴り足。

百年の恋も冷めるが如き牙の並ぶ大口を、口付けでもするかの至近に眺めながら、

 

変則の巴投げが、迫る異形を蹴り投げた。

 

間髪入れず、宙に浮いたその姿に、肩口からぶつかって跳ね飛ばす揚陸艦。

その先には、浴槽式の建造ドックがあり、薬品の飛沫を上げながら、怪物が叩き込まれる。

 

「今でありますッ」

 

銃床を引き抜き、起き上がろうとする異形を弾丸で釘付けにする憲兵の横で

起き上がった男が操作盤に駆け寄り、全てのメモリを引き上げ暴力的に起動させる。

 

電光を伴う轟音が、倉庫に響いた。

 

悲鳴であろう絶叫の元、件のあやかしが身もだえ、捻じれ、全身で何かを現しながら

その体躯が末端から黒く変色し、ボロボロと、風水を受けた砂像の如く崩れ始める。

 

加害の立場にあるふたりは糸が切れたかの様に座り込み、そして、あきつ丸が嘯いた。

 

「土克水、土の建造術式は水を留め、汚し、その在り方を失わせるであります」

 

長く轟いた悲鳴も耐え、激しい動きに撒き散らされる飛沫も途絶えた後には、

 

浴槽の中に、泥の様な何かが積もるだけ。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

容疑者の捕縛はあっさりとしたものであり、拍子抜けと言った塩梅であった。

 

鶏がらの如くにやせ細った初老の研究者は、さしたる抵抗も見せずに大人しく

縛につき、連絡を受けて回収に訪れた官憲の部隊へと引き渡す。

 

戯れに、あきつ丸が何をやりたかったのかと問うてみた。

 

「原初のバクテリアには、酸素は猛毒であったと言う事を知っているかね」

 

意味のわからない答えが返って来た。

 

「やがて彼らの中で、酸素を取り込む事に成功した個体が生き残り」

 

―― 旧きモノは駆逐された。

 

楽しそうな口調のご高説を賜る機会を得てしまった揚陸艦が、肩を竦める。

 

環境の変化に対応できた哺乳類しかり、文明と言う道具で様々を奪い尽す人類しかり。

 

「敵を取り込んだモノだけが、この惑星の主という地位に座れるのだよ」

 

不思議と、この言葉だけが記憶に残ったと言う。

 

何にせよ、近隣を襲っていた連続誘拐殺人の主犯であり、どうあがいても

死刑判決は免れまいと、遺言を聞く心持で引き渡しまでの時間を潰していた。

 

この時の判断を、あきつ丸は悔やむ事に成る。

 


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