水上の地平線   作:しちご

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あきつ退魔録 零イ

―― 残念だが、君の退役は却下された

 

黄昏に染まる殺風景な執務室の会話は、単刀直入な言葉からはじまった。

 

その頬に年輪を浮かべた部屋の主が、凶相に近い容貌の小男に伝えた言葉は

かねてよりの要望を一蹴する内容であり、部屋の空気を白々しい物へと変える。

 

「英雄は、もう用無しでは無かったのですか」

 

苦虫を噛み潰した様な表情から漏れた言葉に、部外秘と判の押された書類が提示された。

 

書類に記された内容は、海域断絶を機に動いた交戦国を中心とした様々な事態の報告。

独英を主体とするヨーロッパ諸国からの、中華人民共和国への「人道支援」の数々と、

 

日米からの降伏勧告に対する、拒否。

 

「戦争が、終わらなかったのだよ」

 

不愉快そうな顔からは、明確な悪意の舌打ちが響いた。

 

「また飼い殺しですかね」

 

問い掛けとも言えないその言葉に、場の責任者は新たな書類を取り出して言う。

 

「オカルトだが、人造付喪神というものを知っているかね」

 

いまだ、日本国海軍が対深海棲艦対策室でしかなかった黎明の日 ――

 

 

 

『あきつ退魔録 零イ』

 

 

 

廃墟の中を駆けまわる人影が二つ。

 

灰色の陸軍制服に似た装束の艦娘と、いつの日か不機嫌であった小男であった。

 

途切れそうな蛍光灯の光、打ちっ放しのコンクリートに様々な薬品棚、壊れ、煤けたそれは

この施設が何某かの研究施設であったことを物語っており、喧騒に不気味な色合いを乗せる。

 

「何なんだ、何で死体が襲って来るんだ、ゾンビ映画か何かかコレはッ」

「知らないでありますよッ、ただの廃墟としか聞いてないのでありますッ」

 

見れば二人の後方より、白濁し糸を引いた眼窩のまま、随所に腐食の痕跡を見せる

かつて人間であった何かが追い掛けている、半開きの口から腐臭と唸りを零れさせながら。

 

「おい化け物、ちょっと囮に成って齧られて来い、巨乳だから適任だろ」

「セクハラとパワハラを強烈にミックスした命令でありますなッ」

 

姦しく騒ぎながらの逃走劇は、何某かの扉を見つけた事で一段落を見せる。

 

我先にと飛び込んだ逃亡者たちが即座に扉を閉め、間髪入れずに部屋の中に在った

本棚だのダンボールだの机などを積み上げバリケードを作る、この間実に5秒。

 

やがて扉の向こうから、何か柔らかい物を叩きつけ、潰れるような音がする。

息を飲み様子を伺い、扉の動く様の無い事を確認してから、崩れる様に座り込んだ。

 

「ああ、いやだいやだ、これだから艦娘なんて物に関わりたくなかったんだ」

「いやいや、アレは明らかに艦娘では無いでありましょう」

 

座り込み息を整えている内の会話に、どちらともなく溜息が漏れる。

 

草臥れたシャツのポケットから、皺くちゃに潰れた煙草を取り出しては、咥える。

火を点けてそのままに深く、肺に呑み込む様に吸っては、煙を吐き出した。

 

「煙草は身体に悪いでありますよ」

 

副流煙に顔を顰めた揚陸艦が、そんな他愛のない非難を男に届ける。

 

「知った事か」

 

発足したばかりの憲兵なる組織より、あきつ丸と名乗る艦娘が訪れた先は

陸上自衛軍の基地の片隅で、窓際勤務に精を出していた男へと協力の依頼が有った。

 

艦娘の試験機関に関わった「提督候補」の一員であった彼に、

 

内容は、廃棄されたかつての人造付喪神、艦娘製造の研究施設、

おそらくはそこを根城にしているであろう、一人の研究者の捕縛である。

 

「しかし何だ、電気も通っているし、薬品や書類まで並んでいる」

「ここを根城にしているという情報は、間違っていない様でありますな」

 

逃げ込んだ先は大きめの倉庫の様な場所で、各所へと抜ける通路の役割も兼ねている。

積み重なる書籍、書類、様々な薬品や触媒など、随分と年季の入った雑然さが見て取れた。

 

何故か置いてあった灰皿に、吸殻を捻じ込んでは感想を言葉にする。

 

「というか、どれだけ杜撰なんだよ我が国は」

「何分、戦時下でありますから、一応は」

 

手持無沙汰な互いは、戯れにいくらかの書類を抜き出しては、内容を斜めに読めば。

 

―― 少彦名と妖精、及び深海棲艦の類似性

―― 魄の消滅から発展する霊獣の生成の可能性

―― 裸身活殺拳と長門型、島風型の艦娘の関係性

―― 属性の変化に因る深海棲艦の変化

 

「件の研究者は」

「人間の進化の可能性、とかいう与太を研究している様ですな」

 

―― 駆逐艦はどこまでが犯罪なのか 睦月型に関する考察

 

男が書類を床に叩きつけると、即座にあきつ丸が踏み付けた。

 

―― 艤装に水着を適応させる術式について、第624考

―― 艤装に浴衣を適応させる術式について 第372考

―― 艤装にサンタ衣装を採用させる意義 再々々々提出

 

見れば棚の一つは、全てがこのような内容のもので。

 

「燃やして良いでありますな」

「止めてくれ、せめて脱出するまでは」

 

疲れた声のやり取りを経て、書棚を抜けていけば、大小様々な硝子容器の連なり、

中にはホルマリンに漬けられた肉片が浮かび、ラベル分けされていた。

 

「3日前の日付で14歳女性、形式は漣」

「こっちは先週でありますな、26歳男性、形式は電」

 

腕、指、髪、臓物、様々な部位が並べられ、倉庫の一角に薄暗く鎮座している。

 

「行方不明になっていた、何某かの成れの果てでありますか」

 

飄々とした言葉が、薄明に響いた。

 

「成れの果てだと」

 

言葉を聞きとがめた人間に、艦娘はそれとひとつの施設を指し示す。

 

様々な配線の沈み込む、怪しげな溶液に満たされた金属製のバスタブのような箱。

 

「旧式、最初期の建造ドックでありますな」

 

建造ドックと言う言葉に、訝しげなままで周囲を調べ始める。

わかった事は単純で、設備が生きている事、最近にも使われている事。

 

「何某かの特殊な方式で、艦娘を作っていたのかと」

 

薄明の中に、結論が響いた。

 

「お前らは、本当に何なんだ」

 

溜め息と共に吐き出された言葉に、あきつ丸は決まり悪げに応える。

 

「よく出来た、深海棲艦でありますよ」

 

曰く、深海棲艦は水妖であると。

 

水生木の相生に従い、五行に於いては木の属性を持つあやかしである。

木の性質は曲直、およそあやかしとしては権威に対する反逆の性質を持つ。

 

「そのままだと使えませんので、属性の移動を試みるわけで」

 

相生の巡りに合わせ属性をズラしていく、木生火、燃料、火の属性を持つ作業を通し

火生土、まずは土の属性に変異させる、土の性質は蓄積、及び誕生。

 

「そして属性が土に成ったソレを土台として、新たなあやかしを生み出せば」

 

即ち、数多の資材で作り上げた、土の属性を持つ建造術式を通せば土生金、

土より産まれた金の属性のあやかしとして成立する。

 

「金の属性が持つ性質は守護者、兵器として望ましい位置でありますな」

 

かくして艦船の魄を加工して作り上げた金の属性の器に、人造の霊魂を注ぎ

最終的に魂魄を、陰陽相を持つヒトに似たあやかしもどき、艦娘が完成する。

 

「というのが、陰陽系の受け売りであります」

 

適当に書類だの機材だのを取り上げては置きなおし、使えないものは放り棄て、

ながら作業の曖昧に滔々と述べていた話題は、そんな形で締め括られた。

 

「淡々と言うかと思えば、受け売りか」

「はてさて、神道系だとまた別の解釈がある模様で」

 

講者は肩を竦めて不明を詳らかにする。

 

「もともとは大陸の赶屍術由来の形式だそうで、そう間違ってはいないかと」

 

僅かばかりのフォローを入れれば、聞きなれない単語が付随している。

赶屍術とは何かと男が聞けば、揚陸艦の妖怪はさらりと答えた。

 

「動く死体を造る術でありますよ」

 

空気が、どこか漂白されたかの如き静寂が在る。

 

「結局さっきのやつのお仲間じゃないかッ」

「あっとしまった」

 

身も蓋も無い結論に、途端に騒々しくなる薄明の空間。

 

やはり齧られて来いだの、そんなご無体などと、中身の無い会話が飛び交う。

 

「何でそこまで艦娘を拒絶するでありますか」

 

聞けば男は、決まり悪げに頭を掻いて、唸る。

 

「振られた腹いせだ」

 

ようやくに零れた言葉に、凶相の薄れる気配が有った。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

倉庫も奥まった場所、何某かの小部屋に通じるであろう小さい扉の間に

黒髪を後ろに括った小柄な姿の人影が在る。

 

その姿が視界に入った時、石の如くに固まった人間から、零れた音が在る。

 

「……吹雪」

 

男とあきつ丸が辿り付いた折、特に感情の感じられない動作で、ゆるりと振り向いた。

 

「見張り、という事はここが当たりの様でありますな」

「ああ、というかどうしたものかね、これは」

 

何はともあれ意思の疎通を図ろうと、近寄るふたりを見つめていた吹雪が、口を開けた。

 

かぱりと。

 

蝶番で口を開ける貯金箱の様に、耳元まで裂けた口蓋には、鮫の如くビッシリと牙が ――

 

「うわあああああああああぁぁッ」

「のげえええええええええぇぇッ」

 

反射的に銃床を引き抜いたあきつ丸が、何の躊躇いも無く口の中に弾丸を叩き込む。

衝撃に吹き飛ばされた頭部に、付随するかのように大股開きで背中から倒れ込む何か。

 

「なんて嬉しくないパンチラでありますッ」

「余裕あるな貴様ッ」

 

だがしかし、その余裕もすぐに消える事になる。

 

それは、お座りをした熊のぬいぐるみの様に、足を開いたままの姿で起き上がった。

まるで身体の芯を固めたまま無理に動かしているかのように、肉体でL字を描いたまま。

 

勢いに釣られ、千切れかけた頭部の上半分がぐらぐらと揺れた。

 

そのままに立ち上がる、膝を曲げるなどの動作の一切無い、異様な飛びあがりであった。

 

「頭部、脳みそに叩き込んだのに効いてないでありますッ」

「見ればわかるよッ」

 

それは、わずかに飛び跳ね、前に倒れる。

 

そのまま地面に手をついて、ガサガサと、四つん這いのまま蜥蜴の様に動き始めた。

 

「て、転身転進てんしーんッ」

「畜生、これだから艦娘は嫌いなんだッ」

 

廃墟の奥で、何とも救いがたい響きが木霊した。

 


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