水上の地平線   作:しちご

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47 束の間の喜び

ある朝、龍驤が不安な夢から目を覚ましたところ、自分が寝床の中で、

一枚の巨大なまな板に変わっているのを発見した。

 

つまり、普段通りである。

 

適当に支度をしては、今朝は随分と静かな目覚めやったなと珍しく思い、

部屋の扉を開けてしまえば、足元に無造作に転がっている物体が、ふたつ。

 

頭にコブを作り倒れている、加賀と天津風と呼ばれている物体。

 

龍驤が天井を仰ぎ、足元を見て、深く息を吐いては改めて視線を向ける。

 

見れば何やら、互いに一言、床に血文字で書置きを残していた。

 

―― のじゃー

―― 残念カタパルト

 

倒れ伏して猶、全力で煽っていく姿勢には見上げた物が有る。

 

だがしかし、真実はいつも皆無、謎はすべて解けない。

 

真相は闇の中であった。

 

 

 

『47 束の間の喜び』

 

 

 

それは、白昼の夢であったか、それとも現実の出来事であったか。

 

熱帯の生暖い風が火照った頬に感ぜられる、そんな蒸し暑い日の誰そ彼である。

 

その日、浴衣を身に纏う人影が、こぞってテンガー通り(ジャラン・テンガー)、クアラブライトより伸び

セリアを縦断する大通りの上を、和気藹々とした空気で歩んでいた。

 

ぴいひゃらら、ぴいひゃららと囃子の音が鳴る近く、借り上げた競技場には櫓が組まれ、

其処へ訪れる道中に色とりどりの、様々な種別の屋台が軒を連ねては騒がしい。

 

ブルネイ日本人会主催の交流行事、秋祭り。

 

例年ならば七夕、盆踊りなどが夏季に手ごろな会場で小規模に行われる程度であったが、

近年は大使館の仲立ちも有り、海軍の協力の伝手を得てやや規模が大きくなったとか。

 

これまでは街中などで慎ましく行われていた各行事が、今回の様にセリアなどの土地を

大きく使い、大規模なイベントと化しているあたり、見て取れる変化がある。

 

今年は、夏に大規模作戦などで時間の取れなかった艦娘のために、秋祭りが企画された。

日本人会のみならず、秘書艦組、及び大使館が調整で地獄を見たのは言うまでもない。

 

さて、見れば浴衣を着ている者の半数近くは艦娘であり、残りは随分と様々な人種。

 

入口に設えられた浴衣の貸し出し所には、常日頃から着物を身に纏う機会の多い

幾人かの空母達がスタッフに混ざって着付けを手伝っている。

 

立ち並ぶ屋台もタコ焼き、焼きそば、魚介焼きなどと並んでバナナ揚げ、ケバブ、

チキンライスなど、土地柄故に随分と毛色の変わったものが混ざっていた。

 

そんなやや日本からズレた独特の空気の中、さりげなく混ざっている店舗がひとつ。

 

りゅうじょうや、此処一番やの如き微妙なネタの香りがする屋号であった。

 

そんな怪しい屋台の傍を、二つ括りの根元をお団子にした駆逐艦が通りすがる。

いや、細かく言えば金剛の如きフレンチクルーラー族か。

 

朝潮型駆逐艦3番艦、満潮。

 

縁日と言う事で訪れた満潮が、件の軽空母がタコ焼きでも焼いているのかと察して寄れば

やや意外、紅白の半被を纏った店主は長身の、色の薄い金髪碧眼の美丈夫であった。

 

「え、えくすきゅーず」

「ドイツ語でOK」

 

顔色一つ変えずに微妙に無理を言う、ドイツ艦グラーフ・ツェッペリンである。

球体状の焼き物をピックで刺しては引っ繰り返す姿が、中々に堂に入っていた。

 

何でも、本来の店主が大本営からの通達で急遽フィリピンまで出向する事に成ったと。

余った屋台と場所が勿体無いので借り受けて営業していると言う。

 

「ブルスト焼きだ、カレーソースがお薦めだな」

 

入っているのはタコではない、そう説明を受け、軽く香っていた香辛料の香りに納得する。

 

イスラム教国のド真ん中で良い度胸である。

 

屋台のタコ焼きの「たこ」の文字に、上から「ぶるすと」と書かれた紙が貼っており、

そんな無残な様は、下準備で悲鳴を上げていた軽空母の無念が漂ってくる様であった。

 

「ふむ、察するに朝潮を探している所か」

 

笹船に乗せたブルスト焼きを満潮に渡しながら、そんな事を言う店主。

 

「何それ、意味わかんない」

 

受け取りながらそんな事を言い、不機嫌な表情で焼き物を口に入れる。

 

それきりに会話は途切れ、生地の焼ける音だけが屋台に響いた。

 

騒がしい空気の中、櫓の上から馴染みの軽巡洋艦が水雷戦隊を組んで音声を奏で、

一航戦の青い方や、眼鏡の高速戦艦がマイク片手に順番待ちをしている。

 

「……えーとさ、あんたは仮に」

 

駆逐艦の言葉は途切れ、無言のままに頭を掻き毟る。

 

「考えたくも無い話だが、仮に、龍驤が沈んだとしたら」

 

無言に告ぐように、店主がピックでブルスト焼きを引っ繰り返しながら独り言つ。

 

「次の龍驤は、私の妹と言う事になるな」

「なんないわよ」

 

トボけた事を言う正規空母に、聞き手が思わずツッコミを入れていた。

 

「だいたい、朝潮は長女よ」

「良いじゃないか、長女が二隻居ても」

 

どうにも意思の読めないまったりとした表情のグラーフが、他人事とばかり気楽な口調で

そんな事を言っては、焼き上がったばかりの粉物を笹船に乗せて満潮に手渡した。

 

「頼んでないわよ」

「サービスだ」

 

礼は言わないわよと、染まる頬を隠すように立ち去る小柄な姿に、どこか思慮深げな

空気を纏った正規空母は、ふむと一息、ブルスト焼きを摘まみ食う。

 

何やらENKAが流れ始めた会場を、特に気に留める事も無く咀嚼しては思う。

カレーソースをケチャップベースで作ったのは正解だったかと。

 

「ああ、もし私たち影法師がお気に召さなければ、こうお考え下さい」

 

囃子の中、様々な音色が響く蒸し暑い世界で、白い店主が焼き物を焼く。

どこからか喧騒の中に歓声が上がり、聞き覚えのある声が響いて来た。

 

―― これが、朝潮型の力なんですッ

―― 何やってんのよあんたはああぁぁッ!

 

店主の顔が綻び、苦笑が漏れた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

フィリピン、ブルネイ第一鎮守府5番泊地工廠。

 

本土の紐付きと名高いフィリピン泊地群に設置されている、ブルネイ鎮守府群唯一の

大型艦建造に対応している工廠であり、重要拠点のひとつである。

 

そんな工廠の前、何やら休憩の席を作っては詰めている艦娘が2隻。

 

あきつ丸、そして龍驤であった。

 

「次は、軽巡洋艦の様でありますな」

「インドネシアの取り分やな、阿賀野型あたりか」

 

工廠妖精に話を聞いたあきつ丸がそんな事を言えば、龍驤が気の無い返事を零す。

 

先日の功績からブルネイ第三鎮守府に、かねてより申請していた大型艦建造の許可が通った。

 

大和型の建造許可こそ下りなかったが、早速に戦力増強と資材を持ち寄り

数日前から工廠を全力稼働させている最中である。

 

艦娘の契約上限があるので、基本全ての建造された艦娘は5番泊地所属となるが

必要に応じて各泊地に長期出向、実際の所属は各泊地に帰結する形になる。

 

さてと、改めた空気であきつ丸が書類を差し出した。

 

「なんや、元陰陽寮所属の科学者、って既に処刑されとるやん」

「艦娘建造術式開発に関わった人間なのですがね、まあ書類上は執行されていますが」

 

言葉を切り、あきつ丸はすっかりと冷えた茶を口に含んでから、言葉を続ける。

 

「単冠湾、ロシアからのリークですが、中華人民共和国で生存を確認したと」

 

随分といい加減な話やなと、軽空母がぼやけば、揚陸艦は苦笑交じりに零す。

 

「執行猶予が付いた後、亡命、書類上は処刑済に改竄と言った所で」

 

形だけの笑顔から出された声に、ふと、聞き手に気付いた風が有る。

 

「ああ、大陸が彊屍で溢れとんのは」

「コイツが、人間で艦娘を造ったせいでありますな」

 

飄々とした受け答えに、何処か暗い物が混ざっていた。

髪を軽く掻き毟った龍驤が、聞く、何を求めているかを。

 

「漣殿にお願いしたいのですが、憲兵側は見張られていましてね」

「帰ってくるとしたら、東南アジア経由かもって事か」

 

会話の途切れた折、互いに懐から紙巻を取り出して、火を点ける。

 

「ここ、禁煙やっけ」

「表示は無いでありますな」

 

言えば妖精が、数匹がかりで灰皿を運んで、置いて。

 

建造の音の響く空間に、紫煙がか細く揺れていた。

 


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