水上の地平線   作:しちご

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天籟の風 肆

 

栗色の髪をポニーテールにした艦娘が、5番泊地提督執務室の扉を開ける。

室内へと掛けられた声に、応えたのはお手伝い席に座る黒髪の駆逐艦。

 

「お邪魔致しますわ」

「邪魔すんなら帰ってやー」

 

第二鎮守府より龍驤の穴埋めとして派遣された、熊野と黒潮であった。

 

「あら、失礼致しました」

 

そう言って身をひるがえす航空巡洋艦を、慌てて黒潮が呼び止める。

 

「ちょ、ちょい、何や用事があったんちゃうんかいな」

「ええ、本日の編成について変更がありまして」

 

「何で来る度に毎回同じやり取りしてんのよッ」

 

思わず飛んだ叢雲のツッコミに、小芝居を続けていた2隻が肩を竦めて溜息を吐く。

 

「やや冗長、まあ70点やな」

「龍驤さんの領域にはまだ達していませんのね」

 

「うがーッ!」

 

頭を抱えて錯乱する叢雲を必死で宥める利根が居る、そんないつもの光景。

 

 

 

『天籟の風 肆』

 

 

 

戦局の変化に伴い沖縄鎮守府跡施設の会議室からは、音が消え失せた。

 

状況の終了した折、其処に在ったのは鉛の如く固体化した空気の重さであり

見た物が信じられない不安、現実を見失った人間独特の不安定さであった。

 

常日頃の被害のせいか、平静を失わない様子でブルネイ第一本陣提督が零す。

 

「まさか、生きている内に完全包囲陣形に立ち会えるとはな」

 

息が詰まるほどの静寂に響いた声、それは、居並ぶ提督全ての心の声であり、

その内容ゆえに空気の重さを鉛から劣化ウランに変質させた。

 

陣形を学ぶ折にはじめに知らされる事実。

 

円周状完全包囲陣形、およそ2200年前に成立した包囲陣形の基本にして理想であり

歴史上ただ一人、ただ一度しか完全な形で成立させた事の無い、陣形戦の叶わぬ夢である。

 

それが、責任の押し付けの果てに一介の艦娘に見せつけられた。

 

自己嫌悪、絶望、嫉妬、先に被害に遭った覚えのある提督たちは、今回はじめて

魔女の非常識に曝された提督たちの、心をへし折られる音を聞いた気がした。

 

空気に耐えられなくなったのか、横須賀の席で第二提督が第一提督へと冗句を飛ばす。

 

「陸自にバレたら、あの手この手で引き抜きにかかるでしょうね」

「少なくとも、龍驤神社が建立されるのは確実だな」

 

陸戦に於いて神と崇められる、冗談の様でいて妙にリアリティのある話であった。

 

笑うに笑えない内容に、そこかしこでヤケ気味の色が有る乾いた笑いが漏れ

机に突っ伏し癇を起こしていたブルネイ第三へと、第一が小声で話題を振る。

 

「君の期待通りの結果では無かったのかね」

 

琥珀色の美丈夫が息を整え、噛み殺した笑いを苦笑へと変えて答えた。

 

「圧勝は期待していましたがね、まさかここまでやるとは」

 

何か思い当たる節でも無いものかねと気の無い問いに、そういえば磨り潰せと。

 

「それは、完全に君のせいではないかな」

「思い知りましたよ、アレは5番の提督に押し付けておくべきだ」

 

そう言っては気を取り直し、書類を片手に纏めて発言を表明する。

 

―― さて、次の大規模作戦に於いて、件の龍驤とも協議した内容なのですがね

 

さりげない枕詞に、凶悪なまでの圧力を込めてブルネイ第三鎮守府からの提案が成された。

 

 

 

様々な艦娘に囲まれて、天龍が悲鳴を上げていた。

 

目の前で見た無謀、明らかな奇跡、そんな演目の立役者の一員である天龍が

何はともあれと確保されては話題漬けにされ、目を白黒とさせている。

 

何故天龍が、簡単な話だ。

 

呉の3隻も、龍驤も、いつの間にか姿を消している。

 

要するに、逃げ遅れたのであった。

 

「もう、天龍ちゃんったら無謀が過ぎるんだから」

 

龍田が天龍の頬を摘まんでは強めに引っ張りながら言葉を掛ける。

 

「いや待て龍田、それは濡れ衣だ」

 

僅かに涙目で自らの無実を主張するも、騒々しい空気に掻き消された。

 

賛辞に、質問に、矢継ぎ早に繰り出されるそれらに忙しなく対応をする軽巡洋艦。

何か少し怒った空気の漏れ出す笑顔の龍田が、頬を引っ張ったままである。

 

「ド畜生ッ、龍驤は何処行ったああぁッ」

 

昼下がりの空に、生贄の嘆きが吸い込まれた。

 

 

 

小さな密室、喫煙室と呼ばれるそこに籠もっているのは、胡散臭い艦娘2隻。

 

「沖縄を潰したのが春、変化したのは夏か、時期が合わんな」

 

片方は、様々な艦娘のキラキラとした視線から一目散に逃げ出した龍驤。

 

「明確に情報が漏れていると確認できたのも夏以降であります」

 

相方は、涼し気な風に控えめな笑顔を張り付けた揚陸艦、あきつ丸。

 

「洗いましたが春先より、大陸との繋がりは完全に切れていた様なのですよ」

 

話題の中心は、消息不明の旧沖縄3番、舞鶴8番提督。

 

その言葉を受け、龍驤が座った目で呆れた風を煙に乗せて、吐き出す。

喫煙室の空調が、とぼけた煙を景気良く吸い込んだ。

 

「盤上にプレイヤーがもう一人居た、そういう事でありますな」

「最悪が、裏付けされていっとるなあ」

 

言い募る内容に、疲れた声が返った。

 

提督と言う駒を誰が所有していたのか。

 

見事な読みでと揶揄う声に、勘弁しろやと苦笑を乗せる。

要は大陸が深海を動かしたわけでは無く、真実は逆の位置にあったと。

 

「どのように、何故というのは不明ですが」

 

あきつ丸の言葉を、龍驤が継いだ。

 

「深海が、提督を取り込んだ」

 

声は消え、空調の音だけが室内に響いた。

 

 

 

随分と長引いた会議も終わり、敷地内、暮れなずむ埠頭に影が有った。

それは、龍驤へと懇願した人物であり、呉本陣第二提督室の提督である。

 

「厳重注意、か」

 

呉本陣第二提督室の暴走は、結果として被害も無く、同所属の黒潮が防空棲姫を

討ち果たした功もあり、処罰は異例とも言える軽さに落ち着いた。

 

溜息を吐き、懐より小物を取り出しては、軽く沖へと放り投げる。

 

「俺には、何も言わせなかったと責める資格は無いんだろうな」

 

そのまま海へ背を向けて立ち去る彼に、正面から走り寄る駆逐艦の姿。

 

「あ、提督はん、こないな所に居った」

「何だ、何か騒動でも起こったか」

 

駆け付けた黒潮が、騒動と言えば騒動なんやろなと歯切れ悪く言葉を置いた。

 

「いや、一航戦のお二人がな、何か虚ろな目で砲撃の素晴らしさを説きはじめてな」

「何がどうしてそうなったッ!?」

 

あきらかに、良くも悪くも深く影響を与える非常識の後遺症であった。

 

頭を抱える者、呆れを苦笑に乗せて冷や汗を垂らす物。

そして、提督と艦娘はどこか強がりを見せながらも、騒々しく場を離れる。

 

水底に、受け取られる事の無かった指輪だけが沈んでいた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

喫煙室の会話は続いている。

 

何の事は無い、外に出ると随分と綺麗な視線にあてられて、龍驤の正気度が下がって

しまうため、いっそ帰還までここに住み込もうかと言う勢いで引き篭もっている話。

 

「まあ、概要としては間違っていないでありますな」

 

ブルネイより本会議に提出した次期大規模作戦の素案に対し、あきつ丸はそう評した。

 

「憲兵以外には、本陣提督までしか知らされていない事実ですが」

 

国内に艦娘の建造の起点として使われている霊場は四か所。

 

伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、気比神宮

 

それは、国内に於いては日本列島を縦横に走る4本の龍脈(レイライン)の上にある社。

ブルネイ鎮守府群に所属する「5隻目の艦娘」については、南洋神社に起点がある。

 

「霊場だから何処でも良い、というわけでは無いのでありますよ」

「あー、南洋に含まれるなら南洋神社に食われかねんのか」

 

やらかしたかと顔を顰めた龍驤に、軽く笑いながら認識の齟齬を改める。

南洋神社は、パプアニューギニアに連なる系譜の霊場だと。

 

「アレは北マリアナ諸島の霊脈に連なるので、南洋総鎮守と分離は可能ですな」

 

そもそもに不可能ならば本陣の時点で止めるでしょうと、揚陸艦が笑う。

 

やがて、会議の結果が知らされて、無い胸を撫で下ろした軽空母が1隻。

 

龍驤の威嚇、様々な根回し、在米日本海軍基地と言う名目の餌を以って、

次期大規模作戦はブルネイ第三本陣の提案に沿って進められる運びと成った。

 

米国領、サイパン奪還作戦。

 

それは即ち、霊場、彩帆香取神社の工廠化に因る艦娘の増員計画である。

 


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