水上の地平線   作:しちご

61 / 152
38 ブルネイの涙

輸送船に明石宛ての荷物が在った。

 

「明石ー、荷物届いとるが、何やコレ」

 

積み下ろし手伝いの龍驤が問い掛ければ、狂喜を浮かべた工作艦が踊り狂い、

ひとしきり何某かの神霊、恐らくは邪神に感謝を奉げた後に、言葉を返した。

 

「ああ、一般企業からの提供資料ですよ」

 

プロペラ、遠心ポンプ、流体力学と、様々な分野の資料、論文が積載された箱であり

80年に渡る技術格差を埋めるための必須の文書、金塊の如き知識の箱であった。

 

「あれ、艦娘の艤装って、最近の技術は反映されとらんかったっけ」

「いえいえ、ある程度は反映されていますよ」

 

陰陽系の他人事の様な疑問に、軽い誤解を解こうと簡潔に説明がある。

現代技術はある程度習得しているが、各企業の機密クラスの技術は手持ちに無かったと。

 

「特に、高温高圧下の高回転は日本軍の泣き所ですからねえ」

 

独逸製艦娘の艤装整備や改装には、保有している技術力では不足が在ったと言う。

 

精度自体は妖精が居り問題が無い、足りないのは積み重ねた経験、知識であった。

 

5番泊地の工廠はタウイタウイ最寄りの明石の工廠でもあり、彼の地に先日に着任した

ビスマルク、プリンツオイゲンの存在が今回の申請を認められた要因でもある。

 

「グラーフ様、ビスマルク様々ですね」

 

プリンツはナチュラルにスルーされた。

 

 

 

『38 ブルネイの涙』

 

 

 

海老天を仕込む、それはもう次から次へと。

 

軽い残業明けの後、どうにも手持無沙汰やったから居酒屋鳳翔の厨房に入り

手伝いついでに適当に夜食でも集ろうとか考えたのが運の尽き。

 

押しかけ飲酒母艦組がこれでもかと言うほどに海老を持ち込んできた。

 

海老が大好きな極東の何かアレな民族のせいで、東南アジアでは海老の養殖が盛んや。

 

海老が増量と書かれただけでカップ麺の売上が2割増しになった某島国は

戦時下、海域断絶されとる昨今ですら容赦無くガンガンと輸入しとるとか。

 

まあ別に、ブルネイはそんな大いなる海老の流れの主流に在るわけではないが

端っこの方でもそれなりに流動する経済の恩恵は受けられるわけで

 

いずれ枯渇する油田に頼りきりの現状を憂い、新たな経済の柱を模索する中、

国内、国外流通のためにと21世紀に入ってから海老の養殖事業に手を染めた。

 

とりあえず、セリアとバンダルスリブガワンの中間あたりにデカい養殖場が在る。

 

「しっかし、火が通るとちゃんと海老になるもんだねぇ」

 

フライヤーに放り込まれた海老天を眺めながら、隼鷹が感心した様な口調で零した。

 

大量に持ち込まれた海老はブルーシュリンプ、青色一号でも餌にしとんのかいと

ツッコミを入れたくなるほどの青い海老である、少なくとも食い物には見えない。

 

「まあ、食っても海老やから安心せいや」

 

軽い受け答えにグラスを上げて、そのまま隣の飛鷹と塩だ汁だと算段を始める巨乳。

それを脇目に海老天を引き上げ油を切り、赤城が次々に口に入れた。

 

「またんかいコラ」

 

フライヤー横に生えてきた一航戦は踏み潰してもかまわんと思う、ウチが許す。

 

潰れた蛙の様な声を漏らした赤い方は、何時の間にやら厨房内に作られとった席に

座り直し、道着にクッキリと付いた足跡も気に留めず、滔々と持論を語り始めた。

 

「いいですか龍驤、天婦羅と言う物は曰く塩だ汁だと騒ぎがちですが」

 

何やらタイムリーな発言に飲酒母艦組が耳を傾け始める。

 

曰く、それはもう個人の好みであり、個人で楽しむ拘りでしか無いと。

天婦羅に対する誠意とは只一つ、揚げ立てを、間を置かずに頂く事。

 

「だから鍋の横に席を作りぶぎゅるッ」

 

とりあえず足の裏で停止ボタンを押した。

 

「キミは何処の文学系食通や」

 

改めて海老をフライヤーに入れつつ、首根っこを引っ掴んで店主に差し出しておく。

 

「鳳翔さん、この馬鹿叱っといて」

「ひ、卑怯ですよ龍驤ッ」

 

気を取り直し皿など用意し、大根おろしとか付けとこうかなと思った正面に加賀。

 

「えーとな、この海老は隼鷹たちのやからな、キミのちゃうからな」

 

鉄の爪の向こうでもがいている青い方にキチンと道理を説いておく。

横で爆笑している母艦組、何か既に随分と回っていやがる。

 

気を取り直し青い方には枝豆でも押し付けつつ、ひとしきりに海老天を並べまくった。

何やら正面で枝豆を摘まんでいる正規空母の視線が重いので、適当に揚げ続ける。

 

「ほい、天婦羅盛り合わせ」

「余り食材を無節操に揚げた感が凄いのですが」

 

よくわかっとるな。

 

まあ食っとる間は大人しかろうと、海老天作業を再開していると、その海老好きに

していいから、コッチにも野菜天チョーダイ、などと飛鷹が言う。

 

その向こうで千歳千代が芋だの南瓜だの騒ぎ出して大変煩いわけで。

 

後続の海老を揚げるついでに、野菜だの何だのを切っては揚げて切っては揚げて。

 

「流石に暫く、海老はええかな」

 

などと言うが早いか店の扉が開き、入ってくるのは二航戦組。

 

「センパイ、海老いっぱい貰ってきちゃいましたッ」

「飛龍、そのスカポンタンにチョップお願い」

 

パン粉とバッター液を取り出している向こうで、蒼龍が額を抑えながら嘆いとった。

 

「で、何や、海老追加かコンチクショウ」

「うう、お願いします、その海老全部あげますから」

 

何やら男心を擽りそうな涙目で言われてもな、などと思えば海老全部発言に魂でも

奪われたかの様相の妖怪冷蔵庫漁りが口を開いてフォローを入れる。

 

「龍驤、私からもお願いします」

 

喧しかったので青いのには天丼を渡しといた。

 

とりあえず殻を剥きつつ背ワタを取る、そのまま仕込んでは次々にバッター液へ。

 

「飛龍飛龍、エビフライだよエビフラぶぎゅるッ」

「少しは落ち着きなさい」

 

フライヤーの向こうで飛龍が手刀で蒼龍の額の停止ボタンを押していた。

 

「お、えんびフライか、イイねえ」

 

グラスを傾けながら隼鷹が言う。

 

「ほいほい、次はフライ盛り合わせな」

 

気軽に受け応えれば、喜色を浮かべた飲酒母艦組が揃って麦酒を追加注文し、

衣服を整え背筋を伸ばしては、居住まいを正す、無駄に息が合っている。

 

何や、昭和か、昭和やな。

 

「隼鷹と蒼龍はウスターで飛鷹と飛龍がタルタル、ちとちよは塩胡椒やったな」

 

飲酒母艦組が揃ってサムズアップする横で、あわてて追随する蒼龍。

 

海老ばかりで仕込み損になりそうやった烏賊だの魚だのをフライにしつつ、

皿だの何だのを用意しつつ、キャベツを切りながら適当な雑談に受け答えをする。

 

鳳翔さん止めて、さりげなくウチに店員名札付けようとせんといて。

 

「しっかし、この海老、青一色で買うヤツなんか居るのかね」

「日本にも輸出しとるで、ブルーシュリンプはそれなりに人気の品目や」

 

適当にご機嫌な隼鷹がそんな事を問えば、提督ゴーストの無駄知識が炸裂した。

 

想像もつかねえと苦笑する飲ん兵衛に、言葉を続ける。

 

「そもそもブルーシュリンプはこの海老の原種の名前で、コレとはちゃうんよな」

 

養殖用に品種改良された青い海老には、特にコレと言った名前などは無く、

流通上の都合で原種のブルーシュリンプという名前が使われている。

 

「だからまあ、天使の海老だの葵の煌きだの適当な名前が付くんよ」

「名前だけで買うヤツなんて居るのかい、見た目キツすぎだろ」

 

「名前が重要なとこもあるもんやで」

 

例えば、結婚式場。

 

「披露宴の品目が天使の海老のテリーヌとか、受けそうな名前やろ」

 

調理過程も人目に付かんし、火を通せば普通の海老やからな。

 

ブルーシュリンプが日本に輸入された当初、どの小売りも買い取り拒否して

問屋が困り果てた所に、大量に買い込んで行ったのが結婚式場だったとか。

 

同じ方向性で惣菜や料理屋、調理過程が人目に付かない場所で売れて行き、

 

そんなブルーシュリンプの成功を受けて、ブラックタイガーなどの色付きで

安価な海老が日本へと大量に輸入され、一般化する様に成ったと。

 

「はー、上手い事やるもんだねえ」

 

隼鷹がエビフライを眺めては、感心しきりと声を上げた。

その横で、3杯目の天丼を平らげていた加賀が思いついた感じで声を寄せる。

 

「そうするとこの海老も、ブルーシュリンプではなく商品名があるのですか」

 

そういえばあったなと、アルファベットに混ざって容器に書かれていた日本語は。

 

「ブルネイの涙、やったかな」

 

コッチは藍の海老ですと蒼龍が言い、モロに式場狙いだと隼鷹が笑っていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

昨今に日本海から死体が流れ着くと言う。

 

憎悪の壁とも呼ばれる日本海の瘴気を越えて、難民の成れの果てが流れ着く事例は

珍しい事では無かったが、今期に入ってからはそれが一段と増加している。

 

「難民の増加、という事で済んでくれるのなら話は楽なのでありますがね」

 

龍驤の巣(きつえんじょ)で、紫煙を空に上げながらあきつ丸が語った。

 

「つーと、何ぞ引っ掛かる事でもあると」

 

手元で丁子を鳴らしながら合の手を入れるのは、龍驤。

 

「最近の死体には、魄を留める処置がされていると」

 

幸いにも内部の陽気、想念は深海に食い尽され、言わば彊屍の死体とも言うべき

有様であり、動く死体の被害が増加する事は無かったが。

 

「検分に当たったのは横須賀第四提督室ですが」

「おっちゃんのとこか、何て?」

 

続きを促せば憲兵は軽く煙を吸い、一息を置いて語る。

 

「渡ると死ぬなら、はじめから死んでいても問題無いよねえ、と」

 

言葉を聞いて、龍驤が頭を抱えた。

 

ああ、やはり理解(わか)るでありますなと、情報元が苦笑を浮かべる。

 

日本とは事実上の休戦状態にある国からの攻撃、それも対効果は低く

殺意のみが伝わってくるような気持ちの悪い代物。

 

「つまり、中国が分裂しとるっつー事やろ」

 

東南、東アジアで予測可能の範囲で安定していた惨劇が、破綻する。

 

ユーラシアの戦火が混迷の果てに飛び火をはじめた、そういう話であった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。