水上の地平線   作:しちご

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比翼の鳥 余

横須賀第二提督室が事件の概要を知ったのは、全てが終わった後の事であった。

 

事後承諾で悪いがと、第一提督から渡された書類に目を通し、判を押す。

 

「望んでも付けられない箔付け、ですか」

 

引き攣った笑顔でぼやいたのは第二提督、特徴の無い顔立ちの若者、引き締まった

肢体が防衛省の縁、第一提督室の予備、代理の立場にある由縁と伺わせる。

 

捺印されたのは一枚の書類、騒動の渦中に龍驤が記した艦隊編成の申請であった。

 

「これでまあ、下手すれば一生ブルネイには頭が上がらんな」

 

ああ本当にそつが無いと楽しそうに笑う声に、判を押した提督の表情は苦々しい。

 

早速に目敏い文屋が騒ぎ立てている救世の艦隊、その見出しは全てこの一枚の

書類に書かれた内容に帰結している、構成する6隻の横に記された一言。

 

旗艦 ―― 大和

 

書類の横に在る速報の見出しは、『軍神大和、世界ヲ救済ス』

経緯、実情はどうあれ、それが世間一般の真実と成っていた。

 

承認の判を所定の位置に戻して大きく息を吐き、表情を緩める。

 

功を成し、名を譲る、謙譲の美徳と言うにはあまりにも剛毅な行動に

 

ブルネイに、いや龍驤個人に返しきれないほどの借りを受けた形になったが

それを差し引いても横須賀が得た物は大きい、それこそ歴史に名が残るほどに。

 

「ブルネイの魔女、と言うよりは女神と言い換えたくなりますね」

 

多少の畏敬の色が見える戯けた言葉に、笑顔を崩さないままの返答がある。

 

「いや、アレはやはり魔女だよ」

 

訝しげな表情へ、楽しげな顔を崩さないまま、第一提督が1枚の書類を追加した。

判を押した以上はコレも第二提督室の受け持ちだなと、釘を刺しながら。

 

眼を通した責任者の動きが止まる。

 

此度の出撃に関わる、もしかしたらあまり関係ない所まで含まれていそうな

膨大な数字の必要経費、資材、装備、その他諸々が計上された請求書であった。

 

「そつが無い、と言っただろう」

 

横須賀鎮守府に、魔女への罵声が木霊した。

 

 

 

『比翼の鳥 余』

 

 

 

スコールの合間に青空が見えた。

 

埠頭の乾いた部分に腰を下ろし、紙巻で煙を空に吹かせば

龍驤は、何となく帰ってきたんやなあという気分になる。

 

雨上がりの日差しが空気の湿度を上げて、海沿いの風に飛ばされていく。

 

遠く提督執務室の方角から、聴き慣れた高速戦艦の悲鳴が聞こえてくる。

 

「吹き来る風が私に云う、ってのは少し違うか」

 

とりあえず、ケッコンとか指輪とか聞こえてくる喧騒がある以上

ほとぼりが冷めるまで執務室には近づかない方がええやろな、と思った。

 

 

 

提督執務室にて金剛の狂乱は、まあ予想通りであり、特筆すべき点と言えば

背後より放たれた霧島チョップを受け止め、金剛脇固めで返した事であろう。

 

開始5秒、霧島の高速タップで勝敗は決してしまった。

 

「気配の殺し方が甘かったのでしょうか、どう思います解説の叢雲さん」

 

万年筆をマイクに見立てた筑摩が叢雲へと話題を振る。

 

「いえ、ここは金剛さんを褒めるべきでしょうって誰が解説よッ!」

 

何だかんだで初期艦の叢雲は、龍驤や提督と最も長く付き合ってきた艦娘である。

とりあえず振られたらノリツッコミ、端的に言って、かなり染まっていた。

 

暴れるだけ暴れて一息ついたのか、大きく息を吐き、よし、ノーカンッ

などと叫んだ金剛が気持ちを切り替え、提督の方へと向いて宣言をする。

 

「こうなった以上、セカンドリングは私の ――」

 

その中途、突如に扉が開き入室してきた小柄な姿。

全体的に白い印象の制服を身に纏った駆逐艦、ヴェールヌイだった。

 

「司令官、練度を上げきったから指輪をくれたまえ」

 

金剛が、固まった。

 

何かタイミングが良いのか悪いのか、先程よりの話題に煽られて

机の上には意味も無く引き出しより出していた二つ目の指輪が鎮座していた。

 

そのまま流れるように受け取って左手の薬指に嵌めるヴェールヌイ。

 

僅かに頬を染め、少し俯いて口を開いた。

 

「司令官、愛とか恋とかって、何の事なんだ……」

 

何かを口にしようとした提督に、言わせず上目遣いを向けて言葉を続ける。

 

「えっ、教えてくれるのか」

 

執務室の空気が凍った。

 

 

 

仕込みの最中の居酒屋鳳翔に、入ってきた人影がある。

 

何も言わずカウンターに座った人影の前に、そっとぐい呑みが置かれる。

 

鳳翔は識っている、大食艦で名を馳せている故に目立たないが、

何か大きな出来事の後は、決まって胃を痛めつけるような呑み方をする。

 

赤城はそんな艦娘であった。

 

静かなままに口を付けた表情が、驚きに変わる。

 

ぐい呑みの中身が、尋常でなく冷えていた。

 

「以前、龍驤さんがお土産にくれたんです、しずく酒という名前だとか」

 

悪戯が上手くいったという感じの笑顔で、鳳翔が酒瓶を持ち上げる。

瓶の中身は半分ほどが凍っており、溶けた酒を注がれたと知る。

 

「凍結酒、ですか」

 

してやられたという苦笑を持って、再度に口を付けて中身を味わう。

 

アルコール飲料の凍結温度は水よりも低い、熱帯にあるブルネイの

温度と湿度にやられていた身体に未体験の清涼感が染み渡っていく。

 

冷え切った味は舌の上を滑り、上善は水の如しという言葉が自然に浮かんできた。

 

「あの娘は、贅沢と言うのを好くわかっていますね」

 

赤城は思い出す、龍驤がクーラーを買ったと聞いた時の衝撃を。

 

クーラーや冷蔵庫、それが個人の手の届く値段にまで価格破壊が起こっていた

という事実にも驚いたが、軍艦である自分たちが、そんな生活環境を整えるなど

 

まるで人間の様な発想を自然に行う事ができるとは、と。

 

事実、龍驤が家電製品を買い込むまで、泊地の艦娘は誰も

それらに思い至る事が出来なかった、誰しも歴史が艦の時点で止まっていたのだ。

 

意外性が人型になったような艦娘ですと、思わず口から零れてしまう。

 

「一緒にお店を、というのは我儘なんでしょうね」

 

それきりに訪れた静寂の後、ふと思い出したように赤城が口を開いた。

 

鳳翔さんと名前を呼び、静かに頭を下げる。

 

「ただいま戻りました」

 

鳳翔が身を正し、穏やかに言葉を受け取る。

 

「はい、お帰りなさい」

 

頬を水滴が伝っていた。

 

 

 

ぷかぷかと煙を浮かべていれば、喉がいがらっぽくなるのは当然の話で。

龍驤が一旦引き上げて喉でも潤すかと考えた頃、そっと差し出される珈琲缶。

 

「相変わらず空を見ているようですが、何が見えるんですか」

 

神通が笑っていた。

 

「雲の形が綿菓子にーってのはメルヘンが過ぎるかな」

 

似合いませんねと苦笑して問いを続ける。

 

「昔は赤城さんや加賀さんかと思っていたのですが、今はもう泊地に居ますし」

 

艦船の時代、神通が識る龍驤もまた、良く空を見上げていた。

その最後の姿とともに、強く心に残っている光景だと言う。

 

何か見られていた事実に決まり悪げと頬を掻き、軽い雰囲気で話し始めた。

 

「知っとるか、飛行機乗りの魂は三途の川には行かんのやと」

 

言葉に合わせ、二人で空を見上げる。

 

雲の切れ間に青い空が見えた。

 

「雲よりも遥かに高く、自分の愛機と一緒にいつまでも飛び続けるんや」

 

話しながら手を伸ばし、当然のように届かない。

何も掴めないままに軽く振り、やがて降ろして言葉を切った。

 

「そんな飛行機乗り達が作る河を、蒼天の河と言うらしいで」

 

あのお節介どもも、今頃は元の河に戻っとるんやろなと、笑った。

 

 

 

喧騒が高速で移動して、ついには埠頭にまで差し掛かる時が来た。

 

全力の逃走を続ける提督が埠頭の龍驤に声をかけた。

 

「龍驤、たすけろッ」

「無理ッ 何やねん一体」

 

そのままに通り過ぎ、次いで走るヴェールヌイが言葉を続ける。

 

「愛の逃避行中だよッ」

「そりゃ難儀なッ」

 

そしてやや離れた距離で、団子のように固まって追いかける高速戦艦四姉妹。

それぞれが何か別の思惑があるのか、どうにも喧騒に統一性が無い。

 

既成事実がどうこうと、何か若年層に悪影響がありそうな叫びがあった。

 

視界の端で小さくなっていく騒動に、神通が屈伸をして追撃準備をする。

 

「あー、行くんか」

「ええ、せっかくですから」

 

言うが早いか、そのままに疾走を開始して、龍驤の視界から消えていく姿。

 

「……司令官も、モテモテやなあ」

 

改めて紙巻を出し、煙を空へと浮かべ直した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

とりとめもない考えが浮かび続ける。

 

大和には悪い事をしたな、とか。

 

祭り上げられるのを嫌がっていた、まあ頼み込んで堪えてもらったが。

 

深海棲艦の手加減が無くなる以上、これからの戦線は悲惨に尽きるだろう。

ならば後ろに居るべき英雄は、ウチなんかよりは国の名を背負った大戦艦の方が良い。

 

泣かせてしまった事実には心が痛むが、それでも全ての艦娘のためにと

耐え難きを耐えながらも引き受けてくれた姿に、頭が下がる。

 

ああ、本当にあの娘は強くなった。

 

……まあこれ以上に仕事増やされてたまるかっつうのも本音なんやけどな。

 

そして、ええかげん埠頭から帰ろうかなと言う時に、何故か加賀が横に居る。

 

「せっかくですので、その指輪を沖に向けて全力投擲しませんか」

「なんでやねーん」

 

珈琲缶も空になり、手持無沙汰に二人で空を眺めている。

陽光を雲が遮り、日没が近い事を教えてくれた。

 

「龍驤とも付き合いが長いですしね、腕ごと吹き飛ばすのは避けたいのですが」

「待たんかいワレ」

 

何か隙を見せると物騒な事を言いだす青ラッコを窘める。

言われた馬鹿は僅かに沈思黙考し、覚悟を決めた声色で口を開いた。

 

「わかりました、私が龍驤の腕の代わりになりましょう」

「ウチの腕を消し飛ばす前提で話を進めんで欲しいなあ」

 

艤装を展開するほどに冗談が過ぎる馬鹿をシバいておく。

 

何にせよ、いつも通りに騒がしく、とりたてて何も無い一日やった。

 


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