水上の地平線   作:しちご

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比翼の鳥 過

龍驤たち陰陽系艦娘が遣う鬼神召喚大符は、極めて不完全な代物である。

 

およそ一切の後ろ盾も無く、如何なる加護も、命令すらも記されていない。

方位、鳥居に見立てた文字がその形を以って鬼を表しているだけである。

 

ただ、その名のみを以って常世の鬼と縁を結んでいる、それだけの符だ。

 

いや、符と呼べるかどうかも怪しい。

 

縁を置き、ここに甲板がありますよと知らせているだけの記号でしかない。

 

そう、艦載鬼の召喚は、ただ艦娘と鬼の関係性のみに依存して行われる。

 

だからこそ陰陽系艦娘は、本来は天の名に於いて下される勅をこう使う。

 

―― 龍驤の名に於いて勅令す

 

大符を、女の身を表す右の方位から展開する。

 

縁に因って喚びだされた式鬼神が、艤装スロットの触媒に反応して変化した。

 

それは、本来ならば龍驤とは何の縁も無かった鬼体。

 

艦上戦闘鬼「烈風」 艦上攻撃鬼「流星改」

 

喚ぶまでも無く、既にその鬼に憑いているのは ―― 龍驤隊が英霊46鬼

 

雲霞の如く空を埋め尽くす深海を前にして、誰もが笑っていた。

龍驤の如く我先に空へと翔け上がる鬼体に、ただ一言が告げられる。

 

―― 喰い尽くせ、と

 

 

 

『比翼の鳥 過』

 

 

 

曇天の下に雷火が咲き乱れる。

 

装備の差もあるのだろう、鎧袖一触とばかり削りに削れる深海の空は

無尽蔵と思えるほどに、次々と繰り出される後続に補充され、拮抗している。

 

制空権拮抗、それはやがて物量に圧され奪われてしまうのだろう。

 

たかだか軽空母2隻の戦果としては異常な物がある。

だが、それが何の決定打にも成らないという事もまた、事実であった。

 

現在の命運は、戦艦の上にのみ置かれている。

 

第三スロットの爆撃隊を喚び出せば、龍驤の仕事は、ほぼ全てが終わる。

 

自分が軽空母で有る事は良く理解している、火力を防ぐ装甲も、

数多を貫く砲撃も此の身に備えてはいない。

 

だからこそ、暴力の化身である戦艦に道を付け、空の露払いをしていた。

 

だが、それで本当に良いのだろうか。

 

良いはずだ、できる事は全て終わった、はずなのだが

 

心の奥にまだ、何か引っ掛かる物が残っている。

 

音が、消える。

 

次いで鼓膜を揺さぶる轟音が、艦隊を中心に巨大な波紋を作り出した。

 

46cm三連装砲 ―― 一斉射撃

 

棲姫の随伴にと数を揃えていた深海棲艦たちが、細かな破片となって飛び散っていく。

砲撃に合わせ、旗艦を庇った重巡が砕け散り、その奥にある姫の視線は冥い。

 

反撃が来る。

 

うかつに打撃を受け、召喚を途切らせるわけにはいかない。

理由のわからぬ焦燥を抱えたまま、隼鷹と共に後ろに下がる。

 

遠方より戦局を見上げ、舌打ちをした。

 

鬼たちは善く闘っている。

 

だがしかし、無尽蔵とも感じさせる物量の前に、僅かずつ、

僅かずつだが戦線を押し返されている。

 

徐々に空へと空いていく隙間に、棲姫の口元が歪んだ。

 

手繰り寄せた勝利を確信した笑み、それが龍驤の視界に入る。

 

何か、イラッとした。

 

この気持ちは、覚えがある。

 

だからというわけではないが、ああ、今だなと。

 

海面に水の尾を引くほどの低空を、大きく弧を描いて接敵する一群が居た。

 

龍驤隊、第3スロット艦上爆撃鬼「彗星一二型甲」6鬼

 

戦火を避け、制空の下を潜り ――

 

棲姫の完全な死角、およそ気狂い染みた練度が取らせた超低空飛行の末

突如に水滴を吹き散らし、標的を囲み螺旋を描き上空へと飛翔する。

 

間髪入れずの直上から急降下爆撃、4弾が命中。

 

黒染みた艤装が砕け散り、細かな怨念と化して水面に飛び散った。

 

血の如き瘴気を撒き散らす悍ましい身体が、吼える。

 

海上に此の世ならざる怨嗟の獅子吼が木霊した。

 

―― 姫級深海棲艦

 

残響が消えても残る圧力は、空気を鉛が流し込まれたかの如くに重い物に変え

およそ「あやかし」としての格の違いを戦場へと見せ付ける。

 

誰もが、足を止めた。

 

意識でもない、戦意でもない、ただ今更に肉体が理解してしまったが故の一瞬だった。

 

―― 姫級(コレ)は、相対して良い怪異ではない

 

いち早く長門が本能の警鐘を打ち破り、その主砲を持って対応する。

 

それでも僅かな隙に、かなりの戦場を圧し込まれていた、制空が劣勢へと傾いた。

雑然とした敵、散漫な砲撃、幾つかと抜けてきた艦載機。

 

爆撃を避け、戦域を迷走する龍驤の心中に疑問が募っていく。

そんな場合でも無いだろうにと、掠める水柱の横で思考が加速する。

 

覚えがある。

 

ああそうだ、全てに既視感がある。

 

このクセのある爆撃も、身に纏う独特の空気も。

わからない、深海棲艦とは、何だろう。

 

かつての艦船の魄に、負に染まった様々なモノが積載された

都合の良いものだけ入れた艦娘とは違う、言わば天然の付喪神。

 

ならば、空母棲姫は ―― 誰

 

戦場の、全ての意識の外から、先輩と叫ぶ声があった。

 

「飛龍、健在ですッ!」

 

後方、声を出し力尽きたか、海面へと倒れこむ緑、その後ろには黄が翻る。

 

弓を番え、引く。

 

その全ての艤装が常とは違うものばかりである。

 

蒼龍が瀕死の身体を引き摺り掻き集めた、赤城より回収した矢羽根、

逃走の邪魔と加賀が放り投げていた甲板、そして、飛龍が死守した弓。

 

艦娘って何ていい加減な生き物と、飛龍が小さく呟いた。

 

そして放たれる戦闘機、それは乾坤の一滴。

やや押され始めていた戦局を拮抗にまで押し返す。

 

砲火が、空の交差も全てが釣り合い、戦線が膠着する。

 

そして生まれた僅かな隙、血の凍るような間隙の中で、ついに龍驤は理解した。

 

ああ

 

そうか

 

呼んでいたのか

 

幾度も夢に見た

 

お前もまた、そうであったのか。

 

幾度も夢に見た、お前を沈める日を

 

お前もまた、そうであってくれたのか。

 

知り尽くした爆撃を避け続ける、避け様の無い致命の爆撃を

全てを予め知覚しているかのように、避け続ける。

 

水柱があがり続け、戦場に余裕が失われていく、騒々しき静寂の中で

およそ機会はこれが最後だろうと、全艦が突撃の意思を固めた頃 ――

 

戦場より距離のある飛龍からは、よく見えていた。

 

諦めたように息を吐き、苦笑する。

 

ああ本当に、と。

 

「これだから英雄って生き物は」

 

突如、棲姫の背骨に氷を突きたてられた様な悪寒が走る。

 

眼前の悉く、およそ一時たりとも気の抜けぬ敵たちを前に、視線を外す。

何をやっているのかと意識が叱咤するも、振り向く身体を止められない。

 

それから眼を離してはいけなかった。

 

棲姫の視界に映るのは、水を切り、海面を滑るように回り込んだ、何か。

その黒金の火口が、およそ内部まで視認できるほどの、至近。

 

視線が交差する。

 

互いの瞳は、不思議と落ち着いた色合いをしていた。

突き付けた砲塔、視界の中、銀色の指輪が在る。

 

「済まんな、キミと一緒には逝けんのや、()()

 

棲姫が伸ばした手は、何のためであったのか。

 

第四スロットの三連装砲

 

外しようの無い一斉射撃が、龍驤の眼前に爆炎を生み出した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

飛龍の笑いが止まる、砲火の酔いが少々に醒めて正気が戻ったのか。

 

冷静に考える、紙装甲の軽空母に因る、余りの非常識に飛龍の頬に汗が伝う。

そうだ、こんな無茶を通して死ぬ気かと、青ざめた温度に伝わる音がある。

 

これを機と見て全速の前進を開始した長門が、快活に笑いながら叫んだ。

 

「流石よな龍驤ッ 我らに先駆けるとはッ!」

 

その後ろに回った隼鷹が、指を指して馬鹿笑いをする。

 

「馬鹿だ、馬鹿が居るーッ!」

 

長門にやや遅れ吶喊する大和、砲撃を続けながら輝いた目で口を開く。

 

「流石です龍驤様ッ!」

 

手足を大きく振り棲姫へと駆けている武蔵が叫ぶ。

 

「まさに万夫不当の武勲艦よッ!」

 

右手をぐるぐると振り回し、陸奥が宣言する。

 

「よーし、お姉さん負けないわよーッ!」

 

飛龍の表情が固まる。

 

視線が宙を彷徨い、頭を振り眉間を抑えて、大きく息を吐く。

 

全力で、叫んだ。

 

脳筋(バカ)しか居ねーッ!」

 

海原にやるせないツッコミが響いた。

 


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