水上の地平線   作:しちご

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比翼の鳥 序

乾季を抜けたパラオは曇天続きで、時折降りしきるスコールのせいか

湿度は90%を越え、海面の透明度も下がっている。

 

およそ南国にあるまじき暗澹たる気配の中で、武蔵が見知った顔を見かけた。

 

「や、久しぶり」

「提督も来ていたのか」

 

横須賀第四提督、相も変わらず飄々とした風情である。

 

「龍驤ちゃんが大活躍でね、アリューシャン方面がサクサク終わってさ」

「ふむ、ウチの龍驤さんも隅に置けんな」

 

制海権を確保して、あとは露西亜との外交次第、外務省の管轄だと言う。

 

「元気でやっているみたいだね」

「うむ、南洋は素晴らしいな、次から次へと猛者が沸いてくる」

 

ここ最近の各泊地での手合わせを思い、武蔵の表情が楽しげな感を持つ。

 

出没する深海棲艦の練度が本土とは桁違いであり、故にそれに対応する艦娘も強い。

 

龍驤、長門などの前評判からして高い好敵手の他、近接無双の金剛、横須賀

には無い狂気を感じさせる赤城、ほぼ全ての性能が龍驤の上位互換にあたる加賀。

 

視界に入っていなかった面々にも恐ろしい者が居た。

 

川内型、利根型は言うに及ばず、最も意外であったのは第二鎮守府の皐月であろう。

艦種の差で押し切る事は出来たものの、内容では完全に後背を喫していた。

 

「まさか私に負けて本気で悔しがる駆逐艦が居るとはな」

「何ていうか、本気で人外魔境なんだねぇ、ブルネイ鎮守府群は」

 

提督のこめかみに冷や汗が流れる。

 

はて、この程度で怯む様な可愛らしい提督では無かったはずだがと、

武蔵が疑問を覚え、気が付く。

 

視線が自分を向いていない。

 

後ろから、武蔵の肩を叩く誰かが居る。

 

何用かと振り向いて、そのまま提督の方へと再度向き直る、表情が固まっていた。

見れば提督が何やら両手を合わせて拝んでいた、冥福を祈っているかの様で。

 

全て許さじと、向き直った身体を15万3千5百馬力が無理矢理に引き戻した。

 

そして視界に映るのは、溢れんばかりの鮮やかな笑顔。

 

「……お久しぶりです、姉上」

「元気そうね、武蔵」

 

肉食獣が獲物を前にする時に浮かべるのは、このような笑顔であろうかと、

武蔵は、草食動物の今際の際の感情を理解できた気がした。

 

 

 

『比翼の鳥 序』

 

 

 

スコールも上がり、やや落ち着いた気温に蒸し上がる湿気の海上。

 

記念パレードを終えて、パラオへと向かうウチら5番泊地一行ウィズながもん。

セレベス海を抜け、フィリピンの領海を抜けたあたりで立往生をしとる。

 

「あかんわ、安定せん」

 

轟沈丸の至近で、ぐるぐると回りっぱなしの羅針盤に匙を投げた。

 

「私の方も同じだな」

 

隣を並走しとった長門(ながもん)も言う、ほらと羅針盤を見せてくるけど見事に大回転。

 

まあしばらくは足止めかと覚悟を決めて、偵察に彩雲を出しておく。

それに応えるかのように島風が轟沈丸から降りてきた。

 

「とりあえず、近海の哨戒で回ってるねー」

 

「あんま離れたらあかんで、瘴気に呑まれるさかいなー」

「あいあいさー」

 

入れ替わるように船尾に近づき、提督に伺いを立てる。

 

「どうにかならないのか」

「どうにもならんなー」

 

通信が繋がるだけまだマシな状況やなと、とりあえず自分を慰めておく。

 

何でも、前段作戦が異様にスムーズに終わったとかで、もう本作戦が開始されとるとか

このままやと着くころには全作戦が終了しとった、なんて事になりそうや。

 

「海上の瘴気が濃すぎるんや、もう全方位に凶の卦が出とる感じやな」

 

つまり、どういう事だってばよと何やら理解を放棄した言葉が提督から漏れる。

 

「つまり、海がお怒りや、これは人柱を捧げなあかんか」

「今この場に人間って俺しか居ないよね」

 

言わずもがなな事を言いだした提督に、良い笑顔でサムズアップを贈る。

 

「この平成の世に、そんな非人道的な行いをしてはいけないと思うんだ」

「その言葉、船柱として縛り付けられている僕の目を見て言ってくれるかな」

 

提督後ろにはジト目の時雨が居た、席に荒縄で縛り付けられている。

 

「板子一枚下は地獄か、ままならんものだな」

 

提督が背中に受ける圧力を華麗にスルーしようと難儀する中、長門(ながもん)が言うた。

じわじわと圧力を増す、こっちを見ろとの怨念が提督の頬を汗で濡らす。

 

健闘虚しく、何か悍ましい気配に引きずられるように提督が後ろ向きに

ずるずると少しずつ、だが確かに船室の奥へと引き込まれていったわけで。

 

何のホラーやと、合掌。

 

まあ時雨の呪いは提督に引き受けてもらうとして、何ぞ理由でもあるのかと、

船底に引いた陣の上に羅針盤を置き、妖精を呼び出して聞いてみた。

 

うん、どうにも要領を得ん。

 

アリューシャン方面なら行けますよとか言う、何でやねん。

 

フィリピンからパラオに向かうのにアリューシャン列島経由する阿呆が居るかいな

と、妖精にツッコミを入れようとして、突然の爆音に気を取られる。

 

かつて、飽きるほど聞いた覚えのある光三型の駆動音。

 

上空にふり仰げば、随分と懐かしい姿。

 

「……九七式一号艦攻」

「む、どこだ」

 

声に応えて長門(ながもん)が空を見上げる、ほれ、あそこと指し示そうとして

 

「あれ」

 

居ない。

 

「どうした龍驤、大丈夫か」

「あー、あかんかも」

 

こうも堂々と白昼夢を見るとは、どっか壊れてんのか。

 

眉間を指で押さえ頭を振る。

 

しっかりせななと目を開ければ、いつのまにやら羅針盤妖精の姿は消え、

気が付けば、羅針盤の針がパラオ方面を指して止まっていた。

 

「なんやわからんが今や、島風ー、前進するでー」

 

やや離れた場所から、あいあいさーと声が聞こえた。

 

まともに動ける内にと一路パラオを目指し前進。

 

予定よりもやや遅れ、ようやくに辿り着いたコロール島沿岸

上陸直後、埠頭に待機していた利根と陸奥が悪い知らせを伝えてきた。

 

本作戦、第三陣までが壊滅したと。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

第一陣 呉鎮守府所属第一艦隊、壊滅

 

赤城、加賀、飛龍、蒼龍 轟沈  熊野、利根 大破

 

第二陣 佐世保鎮守府所属第二艦隊、壊滅

 

赤城、加賀、飛龍、三隈 轟沈  最上、筑摩 大破

 

第三陣 舞鶴鎮守府所属第三艦隊、壊滅

 

赤城、加賀、蒼龍、三隈 轟沈  長良 鈴谷 大破

 

第四陣 ブルネイ鎮守府所属第四艦隊

 

赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴 ―― 抜錨

 

 

「空母6隻編成って、司令部は何考えてるんだろうね」

「本土組を差し置いて生き残るなどけしからん、という所かしらね」

 

薄暗がりの海上、蒼龍と飛龍の会話が、陰鬱な空気をさらに重くする。

 

「羅針盤が安定しませんね」

 

幾度かの遭遇戦を経て、赤城がポツリと言葉を零した。

 

「すいません翔鶴さん、瑞鶴さん、ちょっと離れてみてもらえますか」

 

2隻がある程度の距離を取れば、突然に針先が固着した。

 

ただ一筋、目標海域へと。

 

「ここは、撤退するべきでは」

 

飛龍の提案を、穏やかな声色で赤城が否定する。

 

「そうしたい所ですが、何故か羅針盤が撤退指示を受け入れてくれないんですよね」

「私たち4隻がご指名、という事ですか」

 

ため息混じりの加賀の一言で、沈黙が降りる。

 

「征きますか」

 

誰とは無しに言った言葉に、五航戦姉妹が反応、しようとした所で止められる。

 

「翔鶴さんと瑞鶴さんは予備の羅針盤を使い撤退」

 

赤城は言う、おそらくは、二人ならば撤退指示が通るだろうと。

 

「……翔鶴さん?」

 

名を呼ばれて首を振る姿、指先が、赤城の裾を握っている。

 

「離していただけませんか」

 

しかし翔鶴は、赤城の裾を離さない。

目元に雫の浮かぶ姿を見て、赤城の頬が少し緩んだ。

 

常とは違った、自然な笑顔で裾を持つ手に指を重ね、解く。

 

「翔鶴、聞き分けなさい」

 

ふと、まわりの誰もが驚くほどに優しい声色だった。

 

「征きますよ、皆さん」

 

颯爽と、海域を移動する4隻は最早、振り向く事は無い。

残された姿は俯いたまま、涙を零していた。

 


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