水上の地平線   作:しちご

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25 奈落の紐

先んだって到達し得ないからこそ、後悔と言う。

 

緩んだ空気を多少引っ掻いてくれれば良いと、そう思っていた。

 

そんな金剛の思惑は、現在最悪に近い形で裏切られている。

魔女が供物として望んだのは、そんな可愛らしいものでは済まなかった。

 

―― 前線とは実力に開きがあるとは感じていましたが

 

まさか、これほどとは。

 

崩れ落ちる大和に、何をすれば、かける言葉すら思いつかない。

 

無言のままに視線の檻が、この場に在る全ての艦娘の身を捕らえている。

 

誰しもが口を噤み、震え、睨みつける。

 

怒りであろうか、いや、それならばまだ救いがある。

 

白く握りしめた手も、噛み締めた歯も。

どこか道化染みた虚勢としか受け取れない。

 

これは怯えだ、金剛にはそう見えた。

 

かなりの数、ともすれば自分さえも、完全に心が折れている。

 

諦観に、ただ響く慟哭が金剛の胸を打った。

 

 

 

『25 奈落の紐』

 

 

 

大和の足から力が抜けた。

 

演習が終わり、修復剤を以ってしても失われた物が帰ってこない。

 

母国の名を冠する大戦艦。

技術の粋を集めた最髙の艦娘。

 

自らを構成する支柱が圧し折れた感触が確かにあった。

 

眼差しは何も見ていない。

 

膝を折り、地についた両腕に身体の持ち合わせる重さが乗った。

 

見えない。

 

無明の闇は深海の如き冷たさを持ってその身を苛む。

 

眦から水滴が零れた。

 

ヒトの身の涙腺とは、かほどに水分を分泌するものかと

滂沱と言う意味を身を持って理解する。

 

いや、その余裕も無い。

 

ただ空白となった意識の上に様々な思考が上滑りしているだけだ。

 

遥か鋼の身であった頃の諦観が再び眼前に現れる。

 

また、嬲り殺しにされた。

 

何故、私は弱いのだ。

 

また、何もできなかった。

 

何故、応える事ができないのか。

 

心を支えていた虚勢が剥がれ落ちる。

全てが崩れ落ち何も残らない。

 

哭。

 

身も世も無く、世を割るが如き大声が喉奥より迸った。

 

 

うあ

 

うああ

 

空っぽの慟哭が周囲の耳朶を打つ。

 

髪を振り乱し、恥も外聞も無く泣き散らした。

大口を開け、崩れ落ちたままに天を臨む。

 

これほどの無様、これほどの無力。

 

ヒトの身を得て、今度こそは海原に自分を刻もうと

もはや二度と無様を晒すまいと誓ったのは何時の日だったか。

 

再び大和の名がこの身を縛り、お飾りとして軟禁され、

 

挙句の果てのこの有様だ。

 

今まさに世界が終わるのならばどれほどの救いとなるだろう。

 

ともすれば自分と言う世界を終わらせてくれと、

誰の期待にも応えられぬ無力を終わらせてくれと ――

 

ただ嘆きにのみ染められた頭を、柔らかに受け止めるものがある。

 

好きなだけ泣けばよいと、小柄な鬼が平坦な胸を貸していた。

 

もう大和には自らを支える何物も残っていない。

 

拒むこともできずただ縋り付き、赤子のように泣き続けた。

 

惨めだった。

 

事ここに至って縋り付いた優しさが、何もかもを失わせた。

 

落ち着くまでの数刻、ただ静かに撫で続けていた姿が言葉を紡ぐ。

 

―― 大和は、強いなぁ

 

嫌味にしか取れないその言葉は、もはや抗する事の出来ぬ心の奥底にまで響く。

聞きたくないと、願う言葉を出す力も無く、幼児の如く嫌々と首を振る。

 

ただ優しく抱きしめてくるそれは、少しだけ変えた言葉を紡ぐ。

 

―― いや、これから強くなる艦や

 

そんなはずはないと、それでも縋る思いで顔を上げる。

 

上げて、しまった。

 

視線があった瞳の色は、心に浮かぶ想いよりも遥かに優しい色合いで、

ただ一瞬、何もかもが消えるほどに見惚れてしまう。

 

心に澱の様に積み重なった諦観も消え、素直な言葉が零れ落ちた。

 

「強く、なれるでしょうか」

「なれるで」

 

即座の返答に、信じて良いのかという不安と、信じたいという心が浮かぶ。

 

「変にいじけたりせずに、金剛さんとかに素直に謝って」

 

髪を撫でられながら、優しい音色が大和の世界を立て直していった。

 

「いろんな事を教えてもらって、毎日ちゃんと頑張れば」

 

視界の中の笑顔が、隙間だらけの心を癒していく。

誰よりも信じたい言葉が、何よりも欲しかった言葉が耳に届く。

 

「いつか誰よりも強い大戦艦になれる子や、大和は」

 

頬に新しい涙が伝った。

 

「……龍驤様」

 

それは、深海の如き冷たさを持った先程の水滴とは違い、仄かに暖かい。

 

魂が言っていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

外野は見ていた、全てを見ていた。

 

大和が泣き出した時に、下手打ったと思い切り顔を顰めた軽空母を。

周囲の反応を見て、テヘペロとかやって誤魔化せないと悟ったため息を。

 

その後に何かいろいろと言っていたが、微妙に胡散臭い。

 

少し疲れた様な目で草臥れた中年が口を開いた。

 

「前の職場で、ああいう光景を見たことがある」

 

横のイケメンも抑揚のない声で言葉を繋げる。

 

「脅して宥めて釘を刺す、か」

 

酷い性格をしていない方の龍驤が結論を出す。

 

「完全にヤクザの手口やな」

 

内野の方では蒼天を仰ぎ、自分の信用の無さを嘆く小さな影。

3人の方へと青い顔を向け、素直な気持ちで言の葉を紡いだ。

 

外野(キミら)五月蠅い(スレすぎ)

 

見ればそこには、龍驤様とか言って抱きついたまま離れない鉄甲乳に

ガリガリと現在進行形でメンタルが削られている全通甲板。

 

そういえば利根が言っていたなぁと、5番泊地提督は思い出した。

 

―― 龍驤はナチュラルに誑し込むのじゃ、何故か巨乳ばかり

 

提督が眉間を押さえて嘆息する、成るべくして成った光景であったかと。

 

愁嘆場はそれよりしばらく続いたと言う。

 


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