水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 留

暗天に藍が混ざりはじめ、勿忘草の色へと移る。

 

海面を走る、未だ昇らぬ日の光に照らされたのは、三隻の姫。

 

「トテモ、辿リ着ケルトハ思エンノダガナ」

 

戦艦の艤装を纏う姫が、薄れ始めた夜の静寂を排除すれば。

 

「来ルワ、私タチハ()()()()()()()()()()

 

小柄な、独特の瀟洒な衣装を纏う、黒尽くめの姫が応えた。

 

ころころと愉しそうに笑う音を背に、ただ一隻空母の姫が指し示す。

 

それは、夜の底より訪れた。

 

戦艦棲姫が、絶句する。

 

陽光に追い立てられる闇の中から、取り残されたように進む6隻の艦隊。

 

闇よりもなお昏い、ポリエチレンの黒袋を脱ぎ棄てて、深海の最奥を視界に入れる。

 

陽光に互いの影が伸び、海域の空気が張り詰めた。

 

旭日の中、灼けついた影の如き黒き姫が謳う。

 

「デハ、改メテ」

 

世界の果て、海と空の交わる場所に。

 

「暁ノ水平線ニ、勝利ヲ刻ミマショウ」

 

黎明を背に、三隻の姫が在る。

 

 

 

『邯鄲の夢 留』

 

 

 

相対している。

 

3と6。

 

「付ケ入ル隙ハ無カッタハズナンダケドネ」

 

作戦とも呼べぬほどの数の暴力、想定することも嫌になる厚さの陣営。

どれほどに都合の良い幸運に恵まれたとて、抜けられるはずが無いと離島が問えば。

 

「机の上ならな」

 

簡単な一言で、赤い理不尽が切って捨てた。

 

「戦略ですら、戦術に満たぬ蛮勇に屈する事も在る」

 

現実は極めて複雑で、作戦行動で全てを決定することなど出来はしないと。

 

どれほどに精度の高い予測と、完全な計画が存在しても、

それを扱うのはあくまでもヒトであるが故に。

 

例えば、見逃してはいけないモノを見逃したら。

 

例えば、指揮官の心が折れたならば。

 

例えば、極めて不幸な事故を起こし自軍に壊滅的な被害を齎したら。

 

信じられないほどに愚かしいミス、信じられないほどに馬鹿馬鹿しい幸運、

ヒトの戦場には、そんなものが常に付きまとっている。

 

かつての帝国ですら、仮に「何一つミスを犯さなければ」敗戦と言う結果を覆すだろう。

 

結局の所戦争とは、互いに致命的なミスを犯し合い、互いに望外の幸運に色めき立ち、

ありとあらゆる帳尻を合わせてから後に、ようやく計算がされるものなのだ。

 

確かに机の上ならば、戦略的優位は戦術では覆せない。

 

しかし現実ならば、枚挙に暇ないほどに「稀な事例」が存在した。

 

安っぽく、端的に言えば奇跡と呼ばれるそれ。

 

故にどれほど絶望的な状況でも、勝機を完全に無くすことなど出来はしないと。

 

カラカラと、哂う。

コロコロと、嗤った。

 

されど、それを期待するほどに愚かな事も無く。

 

「ソレダカラ、貴様ラノ国ハ負ケタノヨ」

「どうでもええが、キミの首は貰うてくで」

 

そして、開戦の狼煙が上がった。

 

僅かに歩んだ金剛の後ろ、式鬼紙が、呪符が、続々と艦載鬼へと変成を果たす。

 

それらの全てを後ろに置いて、即座に前へ全速を入れたのは誰か。

 

言うまでも無く龍驤であり、そして、利根。

 

朝焼けの空を深海が染める中、過たず砲を構えたのは戦艦棲姫。

 

轟音が連鎖する。

 

鏡に映すが如く、航跡を鋭角に切り返す2隻が至近弾に髪を揺らした。

 

海面に描かれた航跡は、僅かに速い巡洋艦の方が大きく膨らみ

交差を繰り返す中で、卵の如き歪な円を生み出し続ける。

 

ならば相対する正面に、重なる一瞬に撃ち抜くべきと漆黒の砲が上がり。

 

刹那、すれ違い様の2隻が互いに手を取り合った。

 

物言わず互い、全力で引く。

 

進行方向へと加算されたベクトルが船足を加速させて、高速の交差。

 

常よりも早く開かれたその空間を、砲弾が突き抜ける。

 

撃ち抜かれた大気が風と化し、龍驤と利根の背中を押した。

 

最後の弧はこれまでよりもやや大きく、それだけに加速の乗った船足で。

 

肉薄する。

 

二重螺旋を一面から見たが如き航跡を残し、そのまま。

 

戦艦棲姫を、通り過ぎた。

 

「―― ッ」

 

機銃が鳴く。

 

戦艦棲姫の左右の海を、艤装が掠るほどの至近から駆け抜けて、

次いで、目晦まし程度の意味合いしかない弾丸がばら撒かれる。

 

されど気を取られたのも一瞬、即座に身を翻し船尾を臨まんとしたそれが、

 

放たれた殺意に、考えるよりも早く漆黒の艤装が反応させる。

 

棲姫が自らの視界を艤装で塞ぎ、突き抜ける衝撃と轟音が海面に響いた。

 

砕けた破片が周囲に飛び散り瘴気へと変わる。

 

装甲が、抜かれた。

 

事実に戦慄する戦艦に、海上を渡る声が届く。

 

「Hey! Hey! Hey! Follow me! 皆さん、ついて来て下さいネーッ」

 

主砲より白煙を上げ、斜形に移動し距離を保つのは、射撃姿勢を解いた金剛。

 

「盾を追いかける空母ってのも酷い話だよなッ」

「諦めなさい、だってこれって龍驤の艦隊よ」

 

並走し、姫より隠れる船影は隼鷹と飛鷹。

 

「これが機動防御と言う物か」

 

少しズレた物言いで頷くグラーフ。

 

金剛を盾として移動する3隻の空母が、進行のまま甲板を起動させる。

 

「まあ流石に、3隻も居れば加賀サンの真似事ぐらいは余裕だね」

 

隼鷹が嘯きながら、大符より再度に艦戦を発艦させた。

 

数多の翼が深海の艦載機と交差して、深海猫と艦戦妖精を海域に撒き散らす。

 

「でもあのヒト、龍驤が居ないと途端にヘタれるのよねえ」

 

横で飛鷹が本陣は大丈夫かしらなどと、他人事の様に軽口。

 

「あ、わかった、龍驤サン居るから空母棲姫張り切ってんだ」

「やめて、絶望的な事に気付かないで」

 

空母と戦艦の姫を前にして、変わらぬ2隻に白い空母の口元が歪んだ。

 

そして、綺麗に二つに分かたれた戦場の奥。

 

離島棲姫へと迫る龍驤が大符を広げた。

 

身体よりも足を前に出し、踵で海面を削りながら発艦速度まで減速する。

 

連鎖して放たれるは艦載鬼、烈風改、彗星一二型甲。

 

対し漆黒の姫は両の手を捻るが如く突き出し、追随するように形成される滑走路。

 

そこから次々と飛び立つは球状の鬼、解放陸爆、猫艦戦。

 

至近より放たれた機体は互いを素通りし、上空へと戦場を移す。

 

爆音に埋め尽くされた海域に、小柄な二隻が相対した。

 

棲姫が突き出した腕を捻り降ろし、開いた射線より砲台が弾丸を放てば、

身を折り畳む様に捩じれた空母が回避を果たし、姿勢の反動で連装砲を持ち上げる。

 

放たれた弾丸を身を逸らし躱せば、次と放たれた利根の砲撃を艤装で受ける。

 

僅かに削れた漆黒が空を飛び、瘴気の海に猫と妖精が降リ注いだ。

 

殺意のみが濃厚に満ちる海原に、無言のやり取りが続く。

 

二つの陣営が互いの船尾を追い、小さく弧を描いて回り始める。

 

くるくる、狂狂と。

 

深海と艦娘が円を描く。

 

陽中の陰、陰中の陽。

 

慌ただしく入れ替わりながら、鏡の如くに特異な二隻が回り続けた。

 

海に描かれた太極は加速を続け、それに比例してその直径を狭めていく。

 

今まさに、手も触れようかと言う至近に在りて。

 

先に動いたのは離島棲姫。

 

背負う艤装より鋼の砲台を備える鬼が飛び出した。

 

――砲台小鬼

 

飛び出した三鬼が龍驤へと狙いを定め、先じて利根が砲撃を入れる。

 

小鬼が砕け、巡洋艦の砲に次弾装填の間が強制された。

 

対し龍驤、受けた射線に一切の迷い無く無視を敢行し、大符を広げる。

 

そのまま離島棲姫の顔に叩き付けた。

 

加速した状態で被せられた符が、勢いのままに深海の頭部に巻き付いていく。

 

その視界が奪われている隙に即座、愛用の連装砲が砲声を果たす。

 

至近距離砲撃が飛行甲板大符ごと姫の艤装を打ち砕き、龍驤に中破判定。

 

空の上で、着艦する術の無くなった艦載鬼妖精が呪いの言葉を吐いた。

 

その一瞬。

 

攻撃を放った一瞬を、離島棲姫は逃さない。

 

被せられ、焼け焦げた大符を食い破りながら、両の手を振り上げ。

 

砲撃姿勢のままの空母へと肉薄する。

 

龍驤の足元の艤装は複雑な航跡を描き、姫より打ち返された波に乗り

限界性能を越えた効率で至近からの離脱を果たそうとしていた。

 

しかしまだ。

 

それでもまだ、足りない。

 

爪が届く。

 

引き裂かれたように開いた口元の、牙が。

 

今まさに一隻の空母を食い散らかそうとした瞬間。

 

距離が。

 

追いかける牙と、引き留める爪と、離れていく身体の。

 

距離が、開く。

 

開いた隙間に、鮮血が飛ぶ。

 

本当に僅かな、吐き出される瘴気の息も龍驤の鼻先にかかるほどの距離が。

 

そのままに縮まる事無く、やがて離れていく。

 

「大戦時はさんざに泣かされた代物じゃが」

 

入れ違いに、肉薄する艦が在った。

 

右の手で龍驤の首根っこを掴み、後ろへと引き倒し。

 

守るべき艦より前に。

 

破れた大符の隙間、離島棲姫の視界に映る左の腕のカタパルトが。

 

そのままに開いた口へとねじ込まれた。

 

「それでも、吾輩自慢のカタパルトじゃ」

 

既に発艦体勢に移っている水上機が、爆音を推進力へと変えて加速する。

 

その後ろで、速度に棚引く髪を焦がした。

 

「冥府の底まで持ち帰るが良いわッ」

 

試製魚雷M ―― 爆装秋水

 

一喝に。

 

轟音が乗り海域に響き渡る。

 

髪を灼き、頬を焦がし、その腕を呑み込みながら。

 

微塵に。

 

およそ異常ともいえるほどの巨大な爆炎を以て、

叩き込まれた水上機が離島棲姫を爆砕させた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

戦場に引き起こされた爆発は、如何に指向性が在ると言えどその威力は比類無く。

 

離島棲姫を粉砕すると共に龍驤と利根を景気良く吹き飛ばした。

 

どこまでも、放物線を知らぬとばかりに勢い良く飛んだ赤い軽空母は、

そのままに海面で七転八倒を繰り返し数多の波紋を生み続け、

 

転がった先に居たのは、空母の姫。

 

いまだ回っている視界の中、龍驤は命運が尽きたのを悟った。

 

そんな抗えぬ現実に、感情より先に諦観が来てしまった様相の飛来物を見て

何とも言えぬ表情のままに固まっていた空母の姫が、軽く笑った。

 

「時間ギレダ」

 

そしてその声色に、忌むべき色は無い。

 

自らの寿命かと受け取っている龍驤の姿に、くすくすと小さく笑い声を漏らす。

 

もしや、何か勘違いをしているのかと、龍驤の中で疑問が生まれた頃。

 

動かない深海の向こうで、戦艦の姫が打ち砕かれていた。

 

空母棲姫の視界には、戦場の終焉が見えている。

 

黎明の空の下、砲弾を受け続け満身が創痍に至る金剛の後ろ、

海面に座り込み、大きく息を吐く3隻の空母のさらに後ろ。

 

遠く水平線より、後続の艦隊が船影を見せている。

 

「―― キミは、何がしたかったん」

 

不思議と穏やかな空気に、控えめな疑問の言葉が乗る。

 

「思イ知ラセルト、言ッタダロウ」

 

応えた声は、戦場の全てを手で示した。

 

「コンナ結末ニナル要素ナンテ、無カッタ」

 

常識外れの物量を抜けて、頭だけを綺麗に潰しきる。

 

「如何ナル存在モ、同ジ結末ニ至ル事ナド出来ハシナイ」

 

ブルネイのみを目指していた軍勢はやがて拡散し、

太平洋の全てへとその標的を移すだろう。

 

戦力を、小規模化させながら。

 

即ち、深海の南冥への侵攻は、著しくその被害を抑えられた。

 

「龍驤、オ前ハ強イ」

 

言い聞かせる様な、親愛の意思が滲む声が在る。

 

「ダカラモウ、目ヲ背ケルナ」

 

言葉だけを残して、漆黒の艤装が艦隊へと進みはじめる。

 

海面に漂う低い視界の中、白蝋の肌を持つ姫の背中だけが龍驤に見える。

距離に開くにつれ、その心中に思い浮かべる記憶が在った。

 

ああ、そうだ。

 

これは。

 

ウチを置いて行った、一航戦の背中。

 

「果タシテコイ、我ラノ約束ヲ」

 

在りし日に、受け取る事の出来なかった言葉が最後に残され。

 

やがて、黎明の空の下。

 

全ての艦載機を失った空母の姫は、大和の主砲の前に儚く散った。

 


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