水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 布

外洋より押し寄せる軍勢に対し、ブルネイ湾の外側にて迎え撃っているが

尽きぬ攻勢に、次第に第一本陣は押し込まれ始めていた。

 

首都に臨海する海をブルネイ湾と区切る二つの岬の内、外側。

マレーシア連邦領ラブアン島まで繋がる浅瀬は、既に墜ちた。

 

現在はもう片方、西側のブルネイの先端ムアラ地区を背に、

外洋へと面するムアラ・ビーチにて陣を張っている。

 

ムアラ地区、養魚場と港湾を有する街で、ブルネイ湾を作る巨大な三角江(muara)の両端、

外洋に面する側に存在している岬でもあり、ブルネイ国民の約半数が居住している。

 

ここより首都に至るまでの約20kmの土地はブルネイの中心であり、

容易く失うわけにはいかない、国家の生命線であった。

 

それ故か、避難勧告を無視して陣へと迫る国民の姿も少なくなく、

暴徒と化さないだけ幾らかはマシかと、現場を仕切る数隻は諦観を胸に秘める。

 

そして、破綻した。

 

黄昏の中、砲火を抜けた1隻の駆逐イ級が上陸、勢いのまま砂浜を抉りながら突き進み

陣の隙間を、砂浜の向こうへ、民衆の屯する地点へと一直線に滑り込んでいく。

 

反射的に砲口を向けた長門の心中に、迷いが生じた。

 

撃てば、無事に済まない。

 

刹那の逡巡は好機を逃し、遅ればせながら事態を察した者の悲鳴が上がる。

 

そして、今まさに群衆を引き潰そうとしていた漆黒の船体を ――

 

「どけどけどけーいッ」

 

何の躊躇いも無くアクセル全開で跳ね飛ばした四角い箱は何か。

 

そう、爆乳エルフだ。

 

ワイパーに挟まれた妖精が衝撃に煎餅と化している。

 

「援軍到着ッ、泊地からはこれで最期よッ」

 

何とも形容しがたい展開の末、やけっぱちの様な歓声を受けながら

運転席から五十鈴が、後部貨物室からは資材を抱えた夕立が降りてきた。

 

「修復材が届いたぞ、損傷艦は並べッ」

 

即座の号令に、首の折れた初風を背負う片腕の那智が駆けつける。

顔面を血に染めた那珂が後に続く、弓で折れた腕を固定する飛龍が寄る。

 

破損した艤装を爆乳の中の夕張へと受け渡し、手隙と成った陽炎型の幾隻かが、

勢いの在る内に群衆を避難させるべく、補給を受け取りながら誘導を開始する。

 

「それでも、限界は近いか」

 

そして、苦渋の色を乗せる言葉が長門の口から漏れた。

 

「長門さん、これ、龍驤から」

 

そんな姿に、五十鈴が運転席から引きずり出した箱を押し付ける。

 

箱だ。

 

「何だこれ」

「何か、どうしようもなくなったら開けろって」

 

躊躇無く開けた戦艦が中を覗き込み、そして凍り付いた。

続いて覗き込んだ豊かな軽巡が、中の物を察して引き攣った笑いの顔に成る。

 

砲火の音、人々の悲鳴、喧騒の最中で2隻の艦娘の間に、不思議な静寂が訪れた。

 

「アイツは絶対、碌な死に方をしない」

「ええと、ああ、うん、まあそうよね」

 

何事かと気配を察して近付いてきた浜風に、丁度良いと長門がそれを渡す。

 

ただ一言と共に。

 

素直に指示に従う物、恐慌を起こすもの、様々な人々の動きが混沌を生み

避難誘導が遅々として進まぬ中、数名、誰かがそれを目にして言葉を漏らす。

 

―― Mata Hari

 

高く、掲げよと。

 

―― 太陽(Mata Hari)

 

我らはここに在ると。

 

次々にその名が呼ばれ、やがてそれは熱狂と化し砂浜を覆いつくした。

 

それは、遥かな時代に南冥で謳われた呼び名。

 

「出るぞ、続けッ」

 

長門の号令に、休息を得ていた艦娘が一斉に立ち上がる。

 

「那珂ちゃんセンターッ、一番の見せ場ですッ」

「お先に失礼ぽーい」

 

そして、バケツを被った那珂と夕立が追い越していく。

 

首の繋がっていない初風を、再生途中の那智が首根っこを捕まえて止めている。

陣の中、無事な者は次々と、そうでない者は一刻の猶予も無しと焦燥を露にし、

 

砂浜の、気配の変わった色合いに押されてか、驚くほど素直に避難誘導されていく群衆。

 

「あ、あの、私はこれからどうすれば」

「とりあえず高い所に括り付けるから、それまで持ってなさい」

 

困惑の色合いを見せる陽炎型の爆乳に、長良型の爆乳が疲れた声で応えた。

 

そして見上げ、背筋を伸ばす何某かの意気を得て、溜息。

 

「やってくれるわ」

 

視界の中には、白と紅。

 

今まさに軍勢の後ろに翻るは、ただ一枚の布切れ。

 

―― 十六条旭日旗(Mata Hari)

 

日章位置が僅かに旗竿に寄る、帝国海軍軍艦旗が夕空に高く掲げられていた。

 

 

 

『邯鄲の夢 布』

 

 

 

夜天の下、黒く染まる海原で防空棲姫が前方に影を見咎めた。

 

6隻の黒く丸い形状から、何某かの友軍かと思えど、その進行方向がおかしい

 

よく見れば、ゴミ袋を被った艦娘の艦隊で在ると気付くまで暫く。

 

「………ハイ?」

 

深海の軍勢最深部、何故にこんな所にとまずは困惑が在り

次いで頭を振り、自らの成すべき事をと心を落ち着け、静かに僚艦へ指示を出した。

 

「来ルトハ聞イタケド……来タンダァ、本当ニ」

 

僅かに呆れの混ざる小声が、夜の静寂に紛れて消えた。

 

「空母ガ3ニ、戦艦ガ2、巡洋艦ガ1カ」

 

夜間で在る事が幸いしたと、棲姫が豊かな胸を撫で下ろす。

 

「昼ナラ、偵察機モ飛バセタダロウニネ」

 

今までに、()()()()()()()()()()()()など、確認されていない。

 

状況に、艦隊の航跡に、自らの存在が気付かれていない事を確信し、

ならばと深海の艦たちの口元に、歪な笑みが浮かんだ。

 

そして気付かれぬ様、音を消し流れるままに敵艦隊後方へと位置を取り。

静かに腕を振り上げ、全速での強襲指示を下した瞬間。

 

「探照灯、照射」

 

声は、自らの後方から響いてきた。

 

白く染まる世界の中、防空棲姫の意識も真白に塗り潰される。

 

「待ちに、待ったッ、夜戦だあああッ」

 

強烈な光に視界を奪われた棲姫の鼓膜に、誰かの叫び声が響いてきた。

 

「射撃、開始しますッ」

 

駆逐艦の小口径が深海の軍勢の艤装を削り取り、その陣形を崩し始める。

 

「よっしゃかかった、第一艦隊離脱するでッ」

「合点じゃッ」

 

そして戦場を切り捨て、深奥へと艦を進めるゴミ袋艦隊。

 

混乱の中、光源へと向かい放たれた姫の砲弾を、黒鉄の艤装が受け止める。

 

「痛ッたぁ……」

 

川内の盾と成り、そのままで返礼と、砲弾を撃ち返すのは霧島。

 

轟音と閃光の中、混乱を抜け視界を確保すれば、既に眼前に駆逐艦が、3隻。

 

「雷撃回避ッ」

 

旗艦の指令は間に合わず、数隻の僚艦が水柱に消えた。

 

「畜生ッ、何デコンナ事ニッ」

 

見えぬ雷跡を避け、毒づいた防空棲姫の前に影が在る。

 

長い髪を風に流し、既に放たれた魚雷管を背負い、気負い無い言葉を置く。

 

「島風からは、逃げられないよ」

 

直後、防空棲姫の足元が破裂した。

 

 

 

砲雷撃の音を背に、暗中を直走る。

 

深海勢力最奥、援軍が駆けつける前に首魁の海域まで辿り着かなければ成らない。

僅かの時間も惜しいとの気持ちが、龍驤達に焦りを生じさせていた。

 

闇空に、稼働する艦載鬼の音が響く。

 

艦隊後方に位置するグラーフ・ツェッペリンが、偵察に出していた彩雲を着艦させた。

 

「第二陣帰投、離島はじめ姫級3隻発見、前方20kmだ」

 

次いで第三陣を受け入れるべく、甲板を傾ける白い空母の言葉に

とりあえずは上手くいっていると、誰ともなく安堵の吐息を漏らす。

 

僅かに、本当に僅かに。

 

ようやくに目的に辿り着いたが故の。

 

いままでお道化てはいたが、それでも緩む事の無かった内心の

決して緩めてはいけない部分が緩んだ一瞬で在った。

 

そして、三陣を受け入れたグラーフが蒼白と化し口を開く。

 

「龍驤、右舷だッ」

 

旗艦が声に視界を向け、失策を悟る。

 

探照灯の直射が、龍驤の眼を灼いた。

 

「ハローアイラビューッ」

 

失われた視界の中、調子はずれの楽しそうな声が響く。

 

利根が龍驤を庇い、金剛が艦隊の前に出る。

 

闇を切り裂く光の中、砲撃と共に肉薄するのは、黒の衣装を纏う小柄な戦艦。

 

砲撃が、雷撃が、闇を縫って艦隊へと襲い掛かる。

 

「エンゲージ、バトルシップ1、クルーザー5ッ」

 

混乱の中、金剛が状況を把握しながら僅かな反撃を試みるも、有効打は無く、

旗艦を庇い艤装を砕く利根の後ろ、ようやく僅かに視界を取り戻した龍驤の。

 

「エン、グッバイ」

 

視界に映ったのは、腕を振り上げた戦艦レ級。

 

高速の機動に生み出された波が、利根と龍驤の位置に僅かに隙間を生んでいた。

 

利根が手を伸ばす、届かない。

 

誰かが息を呑む。

 

金剛が口を開き、声が夜を震わせるよりも早く。

 

その手が振り下ろされた。

 

爆音が、夜を打ち砕く。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

爪の先が、龍驤の頬を掠めた。

 

砲撃を咄嗟に尾の艤装で受け止め、破片をまき散らせながらレ級が海面を転がる。

 

鮮血の散る中、耳を抑え同じように転げまわる軽空母。

 

「こ、鼓膜が、や、破れとらんな……よっしゃ」

 

体前屈のまま、夜の闇の底に酷い言葉が零れる。

 

何が在ったのか、龍驤の位置では何も把握することが出来なかった。

 

いまだに眩む視界と、耳鳴りの激しい世界の中で、

弱々しい声を漏らしながら、現状の確認をと顔を上げた。

 

だん、だんだんと、破裂するような音が続き、海原を光が包み込む。

 

複数に打ち上げられた照明弾の明かりの下、艦隊はそれを視界に入れた。

 

撒き散らされたアルミニウムが、花びらの如くに夜の海原を舞っている。

 

在るはずの無い、艦隊が在った。

居るはずの無い、集団が在った。

 

そして、幾隻もの艦娘の中から、砲より硝煙を棚引かせ1隻が進み出る。

 

「……オイオイ、本気カヨ」

 

動きを止めたレ級の、呆れた様な声が静寂に響く。

 

舞台に演じる役者の如く、海域の誰もがその1隻に目を奪われた。

 

巨大な艤装が、光を受けて黒鉄の輝きを返している。

 

和傘の如き電探を、その肩に遊ばせている。

 

「龍驤様」

 

僅かに明るい色の髪を後ろで括る彼女が、静かな声を響かせた。

 

「戦艦大和、推参致しました」

 

即ち、横須賀第二提督室所属、大和型戦艦1番艦、大和。

 


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