水上の地平線   作:しちご

136 / 152
邯鄲の夢 蜂

南冥侵攻にあたり、日本政府は静観の構えを示した。

 

およそ連携と言う物に縁の無い各鎮守府では、個別に対策本部が設置され

各提督個人に縁の在る省庁を経由して伝達の行き交う、極めて迂遠な体制と成る。

 

されどもはや、何処も会議を踊らせる余裕すら無く、

 

根を張るがごとき不動の姿勢で、益体も無い繰り言だけが繰り返されていた。

 

横須賀鎮守府とて例外では無く、本部と定められた会議室にて所属四提督が揃い踏みをし、

現状の把握に務めた後には何も無い、無力と無策の沈黙が空気を鉛へと変えるだけの時間。

 

その停滞の中、ただ一隻だけが言葉を尽くしていた。

 

第二提督室所属、大和。

 

東南アジアへの支援を訴えるも、提督たちは動かない。

 

他に存在するモノは2隻、背後に黒髪を流す眼鏡置きと、肩口に切りそろえた美丈夫。

第一と第三の提督室に所属する秘書艦、大淀と龍田であり、これもまた動かない。

 

やがて静かに、鎮守府の総責任を負う第一提督が言葉を返した。

 

かつての大戦の教訓は、軍の暴走を許さぬ鎖と化して国民の手に委ねられている。

 

海軍の本分は、あくまでも日本、及び日本国民に従い、守る事に在ると。

 

そして横須賀に与えられた役割は、関東の守護。

 

「東南アジアは、管轄外だ」

 

万が一にも、容易く一国を揺るがす程の軍勢の注目を本土に向けさせるわけにはいかない。

そのためならば、オイルロードの権益すらも一時的に放棄をせざるを得ない。

 

現状は余剰戦力、などと言うモノを算出する事すら許されないのだと。

 

交渉の余地も無い国是の代弁に、大和の瞳が悲壮に染まる。

 

室内を見渡しても、そこに僅かの優しさも無く。

 

金剛も、龍驤もここには居ない。

 

意気は在れど大和は届かない、手を差し伸べる誰かも居ない。

 

「今生でも、置物でしか居られないのですか」

 

静かに、血を吐くような言葉だけが頬を伝う雫と共に零れ落ちる。

 

響いた心に、僅か、第二提督のみが身動ぎをして、止まった。

 

動きの無い室内に、第四提督の咥えた禁煙パイポだけが揺れている。

 

 

 

『邯鄲の夢 蜂』

 

 

 

ブルネイ第二鎮守府は北太平洋、マーシャル諸島沖合を第一の戦場に選んだ。

 

歴戦の睦月型、夕雲型駆逐艦を主とした複数の水雷戦隊が海域に集合し、

一斉の雷撃を以て、進撃する軍勢を横合いから殴りつける。

 

二式大艇の誘導に従い、可能な限りと出撃した基地航空隊の爆撃下、

僅かに削れた外側を抉り獲るかの如くに水雷の柱が並び、海水の壁と化す。

 

「さあて、どれだけ削れるんだかねえ」

 

爆風に煽られた潮風に波打つ髪を揺らし、長波が独り言ちた。

 

そんなあやふやな言葉に、水煙の向こうを覗いてた僚艦が応える。

 

「ま、やるだけやるっきゃないね、諦めが肝心さ」

 

同じ臙脂の制服を着こみ、長い銀髪を後ろで華の如くに括り流す

 

夕雲型16番艦、朝霜。

 

言う間に次いで砲撃を放ち、次弾の装填音がそこかしこに響き渡った。

 

刹那、軽く天を仰いだ長波が視界に異様を得る。

 

壁だ。

 

灰色の壁としか表現できない何かが、艦隊左翼に向かって飛んで行った。

 

巨大な水柱が上がり、轟音が海域を撃ち付ける。

 

僅かの混乱、耳鳴りを抑え体勢を戻す各艦の中、次弾を牽制に連装砲より放ちながら、

途端に音が溢れる海域に、中央やや右寄りの艦隊を率いていた長波が叫ぶ。

 

「何が、どうなったんだッ」

 

すかさず、左翼の様子を伺っていた朝霜が応える。

 

「とんでもねえ数の絨毯みたいな砲撃が、左翼に直撃したッ」

 

見れば既に睦月型駆逐艦たちが、壊滅した左翼の艦艇に曳航を試みている。

 

合間、全ての魚雷を投棄するかの如くに撃ち続ける様を見て、

僅かに動きを止めていた、夕雲型艦隊がその意図を悟った。

 

「残存魚雷全弾発射、そして即時撤退するッ」

 

旗艦の号令に、狙いの先を問いかける声が僅か。

 

「あんだけ居りゃ、どれかに当たるだろッ」

 

言うが早いか、長波が残りの魚雷をばら撒きはじめた。

 

 

 

ソロモン諸島沖合、ナウル周辺海域、第三鎮守府が初撃に選んだ海域である。

 

「20射線の酸素魚雷、2回行きますよー」

 

どこかやる気なさげな声が、やや黄色がかった白地の水兵服の巡洋艦から零れた。

 

第三鎮守府3番、インドネシア泊地所属。

球磨型重雷装巡洋艦3番艦、スーパー北上様である。

 

僚艦の4番艦スーパー大井っちが、同じように呆れた数の魚雷を発射している。

 

ひとしきり撃ち終えた後、いざ決戦と逸る随伴駆逐艦の首根っこを掴み、踵を返す

 

「はい、撤収ー」

 

何故と問う声に、これだから駆逐艦はと、面倒そうな気配を隠さない声で答えを返す。

 

「今回の私らはただの移動式魚雷発射管、沈んでる暇なんて無いのよねっと」

 

言いながら船体を進行方向に向けさせる。

その後ろ、今まで居た海域に轟音を伴う水壁が生まれた。

 

色を無くす随伴艦の中、飄々とする旗艦に近付く姉妹が居る。

 

並走に映る大井に向けて、北上が先んじて言葉を掛けた。

 

「5番泊地様々、だよねー」

 

黒髪の3番艦の言葉に、並走するセミロングの4番艦が眉を顰める。

 

「でもやっぱり、狂ってますよアイツら」

 

ソロモン諸島からインドネシアに至るまでの極めて長大な、複数国家に渡る補給拠点。

もしも事が起こらねば、それこそ反逆を疑われても仕方が無い暴挙である。

 

「まあ、龍驤ちゃんが筆頭やってる泊地だからね」

 

からからと笑いながらの声に、姉妹艦が憮然とした表情を見せる。

その表情を見た北上が、気の抜けた笑いを苦笑に変えて、語り掛けた。

 

「ほら、龍驤ちゃんは負けた事の無い艦だから」

 

轟沈ですら、沈めと命令されたが故の行いである。

 

北上の言葉に、大井は先日同航した米国空母の言葉を思い出した。

 

自分が沈めた艦を何故に高く評価出来るのかと問い、彼女が答える。

 

龍驤を沈めた、自分は勝利した、母国も勝利を得た。

 

だが ―― 龍驤を負かす事だけは出来なかったと

 

龍驤と言う囮に釣られ、艦隊を引きずり出された無様、戦術的に完全な敗北。

 

自分は、龍驤最後の武勲と成るはずの艦であったと。

 

常ならば柔らかな笑顔を貼りつけていたその顔に、その時だけは真摯の色が在った。

 

生涯不敗、そんな欠陥空母には似つかわしくない言葉が大井の脳裏を過ぎる。

 

「慢心ですか、慢心の系譜なんですか」

「あれだけ苦労した艦が慢心と言われたら、立場無いねえ」

 

酷い解釈に、北上の苦笑が深くなった。

 

「……やはり私は、初期の空母連中が嫌いです」

 

あの軽空母は伊58とも仲が良いし特にと、付け足しの強調が在る。

 

「私はもう、気にしていないよ」

「私が気にするんです」

 

そう言って大井は憮然としたまま、随伴の様子見に北上と距離をとった。

 

「これはしばらく、泊地の連携は球磨姉や木曾頼りのままだねー」

 

残された雷巡は、先行したまま天を仰ぎ、肩を竦めた。

 

どこか疲れた様な瞳に、南国の蒼天が映る。

 

そして今まさに、話題に置いた暴虐秘書艦を想う。

 

空に住む艦種、龍の名を持つ軽空母。

 

歴戦を重ねながらも、敗北を知る前に沈んだ稀有の武勲艦。

 

「だから私たちが諦めた望みも、愚直に抱えて居られる」

 

小さく呟かれた言葉は、誰にも届かず海原に消えた。

 

 

 

バンダルスリブガワン、ブルネイ第一鎮守府本陣に青く、四角い車体が乗り入れる。

 

龍驤が調達してきた中古のいすゞエルフ、ワイドキャブ、長ロングボディタイプをベースに

エアサスを明石が特装モデルに変更、ロングハイルーフカーゴを車体と一体化させた箱物。

 

言うならば、まるで救急車の様な外見の車体、色は青いが。

 

五番泊地物資輸送用トラック、五十鈴専用爆乳エルフ・アカシハートであった。

 

命名は龍驤である。

 

それが本棟正面に停車して、運転席の五十鈴が迎えの妙高に声を掛ける。

 

「資材の補充第一陣、到着したわ」

 

跳ね上げ式の後部ドアが開き、数隻の艦娘が資材を抱えて降車する。

砲弾や魚雷を抱えて降りる米国空母に、ドラム缶を担いで降車する米国戦艦。

 

艦娘含め資材を降ろした爆乳エルフが、それじゃまたと言うが早いか敷地を駆け抜けて行く。

 

嵐の如き輸送から取り零されたアメリ艦ズに、書類を受け取った妙高が指示を出した。

 

「サラトガさんは偵察、アイオワさんは長門と一緒に遠距離砲撃に回ってください」

 

「OK!」

「Noted」

 

黄金の高速戦艦が力強く返せば、赤金の空母が穏やかに付け足す。

 

そしてそのまま戦隊に合流と埠頭に向かうサラトガと、妙高に並んで歩むアイオワ。

 

「で、ミョウコウ、第一鎮守府の対決姿勢ってどんな感じなの」

 

そう問われた妙高が、静かに陸側、敷地外の一角を示す。

 

人が、居た。

 

首都と運命を共にする事を選択した、民間人。

 

少数とは言えないそれが、不安そうな気配を滲ませながら内部を伺っている。

 

「死守、です」

「Oh, My Gad」

 

アイオワが思わずに天を仰ぐ。

 

仰いだままに、益体も無い罵声が幾つか空へと吐き出される。

 

そしてそれを見つけて、口元を歪めた。

 

「気を遣うわね、流石はジャパニーズ」

「当然の行いですよ」

 

蒼天の下、視界の果てに日の丸、ブルネイ国旗と共に、星条旗が掲げられていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

深海棲艦にも、船足の格差と言う物は在る。

 

集団より先行する形に成った、少数規模の、それでも尋常ではない数だが、

そんな先遣隊とも言うべき一団に、補足された艦隊がひとつ。

 

黄金色の髪を流す高速戦艦と、重巡洋艦が3隻。

 

プリンツ・オイゲンと、青葉、衣笠。

 

タウイタウイより避難船の護衛に回っていた、ビスマルク艦隊である。

 

迎撃に移ろうとした旗艦を、そっと衣笠が押し留める。

 

「ここで撃っても、きりが無いよ」

 

後続は無尽蔵である、時間と共に呑み込まれる事は必然であった。

 

ならばどうすると言う問いに、衣笠は笑顔のままに背を向ける。

先に行けと言う意思に、艦隊が息を呑む。

 

「私は、ビスマルクよ」

「貴女がビスマルクだからこそ、沈まれると迷惑なのよ」

 

時間の無い中、短い言葉に様々な意思を乗せたやり取り。

 

「後は頼むわ、沈んだら怒るわよッ」

「ビスマルクお姉さまは任せてくださいッ」

 

そして避難船と共に進む黒色の2隻。

 

残された片方が、姉へと疑問の視線を向ける。

 

「青葉型は、沈んでもかまわないでしょう」

 

どこか投げやりの声が、青葉から零れた。

 

「提督は悲しむかな」

「号泣しますね、あのヘタレなら」

 

なら沈むわけにはいかないねーと、軽く笑いの声が上がる。

 

そして砲塔をぐるぐると回しながら何処へともなく意気を示した。

 

「さーて龍驤ちゃん曰く、殿に定評の在る衣笠さん、頑張っちゃうぞー」

 

次いで姉にも何か言えと、督促する妹が居る。

 

青葉が窮地に何を歌舞くかと、疲れた笑いを返しながら吐息を乗せた。

 

そして息を呑み、諦めた色に染めて息を吐き、前を向いて口を開く。

 

「青葉型重巡洋艦1番艦、青葉、誰が呼んだかソロモンの狼」

 

砲弾の、装填の音が海原に響く。

 

「沈み損ねる事には、定評が在りますよ」

 

視線が、軍勢を貫いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。