水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 蛇

戦艦レ級は知っている。

 

自らが、戯れに造られた命だと言う事を。

 

幾度も沈められ、造り直され、海上に辿ってきた旅路の果てに至りて

終には求めていたはずの主も、造り手たる母も失い、空虚と成り果てた時。

 

陸地に住まうおかしな姫に出逢った。

 

戦艦棲姫は言う、アレは哀哭と悔恨の棲姫だと。

 

空母棲姫は言う、アレは欺瞞と慢心の棲姫だと。

 

駆逐棲姫は言う、アレは同情と羨望の棲姫だと。

 

理解できぬほどに複雑な胸の内に、様々を持ち合わせているからだろう。

故にその身のその内に、誰も彼もが望む姿を見る、きっと。

 

見るモノに因ってその真実が変わる、歪な鏡の様な姫。

 

からっぽの深海棲艦とは一線を画す異様。

 

それはまるで ―― ニンゲンの様な

 

視線を上げ、彼女の後姿を視界に入れる。

 

ともすれば楽にへし折れそうなほどに華奢な肉体に、飾りの多い衣服。

 

それが今まさに、同胞に埋め尽くされた海原に臨み、一身に視線を集めていた。

 

 

 

『邯鄲の夢 蛇』

 

 

 

漆黒に染まる海域に、僅かに開いた空白に立つ姫が居る。

 

―― カノ屈辱ノ日ヨリ一年ガ過ギタ

 

それは、静かな言葉よりはじまった。

 

―― 我ラガ母ガ劫火ニ沈ミ、我ラガ新シク産マレ直シタ、アノ日ヨリ

 

何度も。

 

何度も同じ事を、言葉を変えて繰り返す。

 

演説は次第に声を強め、少しずつ、身振り手振りが増え、激しさを増していく。

重複する内容を、丁寧に、執拗に、鼓膜から意識へと染め抜くように届け続ける。

 

やがて、聴衆の心にひとつの意思が刷り込まれた。

 

アア、私タチハコレカラ沈ムノダ。

 

自然と、腑に落ちる。

 

―― 今、私タチハ大キナ戦乱ノ最中ニ在ル

 

誰もの気配が変わる頃、言葉の連なりも気配を変えた。

 

―― ソシテ此ノ戦争ハ、種族ガ、アルイハソノヨウナ理念カラ生マレ

 

僅かに嘲る色の乗る声が、静寂の海原を通り抜ける。

 

―― ソノヨウナ命題ニ捧ゲラレタ種ガ、永ク持チ応エウルカドウカト言ウ試練

 

誰しもが、耳を澄ませていた。

 

―― 私達ハ、ソノ戦乱ノ大戦場デ一堂ニ会シテイル

 

静寂の中に、僅かに熱気が生まれる。

 

―― 私達ガヤッテキタノハ、生キ延ビ、未来ヲ得タ嘗テノ同胞達ヘ

―― 自ラノ生命ヲ犠牲ニシタ立場ヨリ、最後ノ安息トシテ、ソノ戦場ノ一部ヲ捧ゲル行イ

 

声が、通り抜けた。

 

その度に、どこまでも静かに、しかし熱量は加速的に累積されていく。

 

―― 私達ガソウスルノハ、全ク適切でデアリ、相応シイ事

 

海綿に水が染み込む様に、意識が言葉に溺れ続けた。

 

火に油が注がれた様に、何かが急速に、力強く燃え上がっていく。

 

―― 世界ハ私タチガ此処デ言ウ事ナド、気ニ留メル事モ無イデショウ

 

哀哭か、憤怒か、自らの得た感情を持て余す中で。

 

―― 永く、記憶ニ留メル事モ

 

聞き手が感情の累積に、限界を迎えようとしたその時。

 

「シカシ、我ラガ此レヨリ為ス事ヲ、決シテ忘レル事ハ出来ナイ」

 

ただ一言が、魂を貫いた。

 

軍勢に雑音が響く。

 

言葉への衝撃が、意思と化して視線に乗り、語り手の全身を貫けば、

 

そこに居たのは、深海の姫。

 

そして彼女は高らかに、無人の野に響かせるが如く謳い上げた。

 

「此処ニ在ル我々ノ使命トハ、彼女ガ最後ノ完全ナ献身ヲ捧ゲタ理念ニ対シ

 此ノ名誉無キ死者タチガ一層ノ熱意ヲ以テ、残サレタ偉大ナ任務ニ専念スル事」

 

もはや誰の眼にも、黒き指導者の姿しか目に映らない。

 

与えられた言葉が自らの意思と成り、魂魄の隅にまで刻み込まれる。

 

「今、私ガ問オウ、人類ハ我ラヲ駆逐スルト謳ウ」

 

即座に否と、控えていた空母棲姫が叫ぶ。

 

そう、善きモノの居場所は世界の中には無いのだ。

 

我らが、我らが国が、今後何千年にもわたって存続し続ける事は願いであり意思である。

 

「人類は、我ラガ闘争ニ疲レルと主張スル」

 

否と、戦艦棲姫が叫んだ。

 

それは、その主義において不変のままであり、

 

その組織において鋼鉄の如く堅固なままであり、

その戦術において柔軟かつ順応性に富むままである。

 

「第三ノ質問ヲシヨウ」

 

言葉が鋭く軍勢を切り裂き続ける。

 

全霊を捧げるだけの覚悟を、陸に生きるモノに致命的な大打撃を与えるためと。

 

「ソノ身命ノ悉クヲ捧ゲル覚悟ヲ持ッテイルカ、否カ」

 

応と、放つ。

 

是と、叫ぶ。

 

言葉を出せぬ艦ですら、音だけでもと。

 

肯定の叫びが海原を埋め尽くした。

 

「我ラニ第四ノ質問ヲスル」

 

黒く塗りつぶされた海原は喧騒をあげ。

紡がれる言葉が歓喜の絶叫を以て迎えられる。

 

ある者は、抱え込んだ自らの思い出に浸っている事だろう。

 

ある者は、繰り返される闘争に備えている事だろう。

 

しかし今この時に問われたがため。

 

「全テヲ戦イ奪ウタメニ、必要ナモノヲ全テ捧ゲル事ヲ誓エルカ、否カ」

 

絶叫が肯定と化して世界を塗り潰した。

 

騒がしく奏でられたそれは、やがて一つに纏まり、蒼天へと抜ける。

 

「私ハ斯クノ如クニ質問シタ、我ラハソレニ答エヲ出シタ」

 

全軍が、声を、音を、漆黒の艤装の起動を以て意気をその身に示した。

 

「我ラハ深海ノ正道デアリ、故ニ我ラノ意思を通ジテ、深海ノ態度ガ此処ニ示サレタ」

 

もはや、誰もが覚悟は出来ていると、そう響いた。

 

「サア、前ニ進モウ」

 

離島棲姫が振り上げた手が、ひとつの方向を指し示した。

 

「戦ッテ、戦ッテ、戦ッテ」

 

遥かな宵の水平線の果てを、救い様の無い言葉で飾って、

 

ただ一言、どこまでも無惨な言葉を贈る。

 

「ソシテ死ネ」

 

軍勢の悉くが、それを受け入れた。

 

―― 我ラハ進ム

 

進軍の中、誰ともなく歌い始める。

 

―― ソシテ死ヌ

 

駆逐艦が、巡洋艦が、戦艦が、空母が。

 

―― 我ラハ進ム、ソシテ死ヌ

―― 我ラハ進ム、ソシテ死ヌ

―― 我ラハ進ム、ソシテ死ヌ

 

誰もが歌っていた。

 

歌声が重なり、響き、世界に呪いと化して刻み込まれる。

 

「目標、南冥全域 ―― 全軍、状況ヲ開始セヨ」

 

そして死者の軍勢が、海原を染め抜くように移動を開始した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

進軍開始の一報と、本陣よりの指令を受け取った提督執務室にて。

 

肩を竦めて提督がボヤけば、秘書艦が声を返した。

 

「高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ、だってさ」

「つまり、やりたい放題って事やな」

 

無駄に殺る気に満ち溢れた頼もしい笑顔に、室内の数名が噴き出す。

 

「で、正直なとこは」

 

苦笑交じりに問いを重ねれば、今度は素直な言葉で返答が在る。

 

「額面通り、全軍で遊撃ぐらいしか打つ手が無いって話や」

 

先日より本日に至るまで、散発的な襲撃を行い敵勢力の漸減を図ってはいる。

 

参加艦の、およそ生涯戦果を軽く凌駕するほどの撃破数を誇るほどの戦果をあげ

それでもなお、あまりの数の違いにとても有効打と言い切る事が出来ない惨状。

 

即ち、薄皮一枚剥いだ程度。

 

そして今に至り、数が違いすぎるため、受ける事も貫く事も出来ないならば、

 

被害を受けながらチマチマ削るしか無いと。

 

「セリアの避難は完了しています、クアラブライトにはこれから連絡を」

 

通信機を持ち上げながら、大淀が現状を報告する。

 

「油田が消えるだろうなあ」

「泊地も消えておかんと立場無いなあ」

 

「世知辛い話っぽい」

 

窓の外に死んだ魚の眼を向けている主従に、お茶汲み担当が湯呑みを渡した。

 

「今日は抹茶か、って、どうしたんだこれ」

 

そしてその深い緑色と、特徴的な香りに驚いた声が漏れる。

 

「ブルネイ王室から届いたっぽい」

「心尽くしってヤツやな」

 

ずるずると啜りながら、龍驤が言った。

 

「いやそもそも、何で抹茶が在るのかと」

「昔から地味ーに広報してて、地味ーに好評やねん、茶の湯」

 

別に人気が在るわけでも、定着しているわけでも無いが、

王女からホームレスまでと、地味ーに延々と草の根活動が続けられている。

 

そんな、王室に提供され好評を得た縁も在り、抹茶の在庫が在ったのだろうと。

 

泊地に珍しい和の香りに、ホッコリとした静寂が訪れる。

 

「逃げるんなら、今の内やで」

 

息を吐いた龍驤が、何の気無しな風情で提督に言葉を届けた。

 

「同胞を見捨てて逃げたヤツを、人間扱いしてくれる国なんて在るのか」

 

聞き流し、書類から視線を動かしもせず、諦めの言葉だけが戻ってくる。

 

「日本」

「わーお、ブラック」

 

打てば響くように返された冗句に、苦笑だけが在った。

 


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