水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 玉

シンガポール港、早朝。

 

アジア最大の港湾であるシンガポール港は、24時間営業を特徴としている。

夜討ち朝駆け接岸即荷下ろし、極めて効率重視な港であった。

 

そんな常に慌ただしい埠頭の横に、ヤクルトを齧る艦娘が2隻。

 

白い帽子の下、桃色の髪を片側に括った駆逐艦と、赤いサンタ衣装の多分駆逐艦(けいくうぼ)

齧っているのはグレープ味とオレンジ味、シンガポール限定フレーバーである。

 

「んで、あきつ丸(あきっちゃん)は鹿島神宮に引き篭もりかいな」

 

前歯の形に穴の開いた蓋の上で、苦笑交じりの声が漏れた。

 

船団護衛に混ざって龍驤に逢いに来た春雨が、細かな指示の通りに会話を繋げている。

 

「そもそも、銅鐸とは何やろな」

 

少し考えた様相の龍驤が、穏やかに口を開いた。

 

古墳時代よりも前に地中に埋められた祭器、豊穣を祈るためとも言われているが

事如くに諸説入り乱れ、その真偽は未だに定かではない。

 

「もともと何と呼ばれていたかすら定かやない」

 

銅鐸と言う名称の初出は続日本紀(8世紀)である、祭事の行われていた弥生時代とは隔絶が在る。

その内容も、何か銅の鐸(変な物)を掘り出した、これは何だろうと言う感じの曖昧な記述。

 

即ち、大和の時点で既に知識が、それに関わる何もかもが失われていた事を示している。

 

「記紀歌謡には(ぬて)と在り、万葉集なら須受我祢(すずがね)やったか」

 

鐸、漢語に於いては大きい鈴の意味に成る。

 

「ヌテ、もしくはヌリテ、和語には無い感じやな」

 

ならば日ノ本の、意味の通る言葉では何と呼ばれていたのか。

 

「古くは、つーても江戸時代ごろまでか、カネ、ともサナギとも呼ばれとった」

 

そう口に出しながら、背負ったプレゼント袋から飴玉を取り出した。

持ち運べるようにと懐から取り出した紙で包みこみ、春雨に渡す。

 

お土産やと言いながら額を突き、紙を凝視していた受け手の視線を上げさせる。

 

「ウチで思い付くのはそれぐらいや、鹿島なら、多分あきつ丸と同じやろ」

 

それを機に会話を終えれば、その間に近場で荷下ろしをしていた数名、

不自然なほどコチラへと視線を向けなかった船員たちが、離れていく。

 

大事そうに包み紙を懐に入れて、お辞儀をしながら去って行く駆逐艦を眺めながら、

少しばかり呆れた表情の龍驤から苦笑いが漏れた。

 

「あきつ丸みたいに場所選べ、言うのは酷かあ」

 

肩を竦めて身を翻す姿に、何の気負いも在るはずも無く。

 

 

 

『邯鄲の夢 玉』

 

 

 

マレー半島の南端、シンガポールはファインシティであると言われている。

素敵な街(ファインシティ)であり、同時に罰金都市(ファインシティ)で在ると言う意味だ。

 

兎にも角にも罰金項目が多く、その取り締まりは厳格を以って知られている。

 

「この国では、暮らせんなあ」

 

路上の喫煙所、灰皿付きゴミ箱の横で肩身の狭い龍驤がボヤいた。

 

季節柄妙に路上に似合っている、紅白に染め抜かれたサンタ衣装、プレゼント袋付き。

 

首に下げられたパスには、持ち込み煙草の税金支払い証明が入っている。

1本あたり39セント、さらに7%の消費税まで加算されていた。

 

コレを払わずに吸っていた場合、200ドルの罰金刑が待ち構えている。

 

喫煙時はかなりの頻度で証明提示が求められるので、面倒の無い様パスを買っていた。

 

実際、火を点けてから今までに3度提示を求められている。

 

官憲入れ食い、ジェットストリーム職務質問であった。

 

尤も、それはやはり厳格と言うよりは外見のせいであろう。

 

喫煙する小さく平たいサンタ娘、見るからに子供に悪影響が在りそうな有様である。

 

「よう、待ったか」

「ううん、めっちゃ待ったわ何ぞ奢れ」

 

そんな絶賛モラルハザード進行中の艦娘に、声をかけたのは琥珀の偉丈夫。

 

士官服をどこかだらしなく着こなした、口さがない一部の艦娘からは

ハーレクインのワイルド系などと言われる、ブルネイ第三鎮守府本陣提督。

 

「嘘つけ、まだ半分も吸って無えじゃねーか」

「乙女の時間は野郎の値段と違ってストップ高なんや」

 

海路で来た龍驤と違い、陸路でクアラルンプールから訪れ待ち合わせていた所である。

 

「染色体XXなのは仕方無しに認めるとして、乙女と言い張るのは無理が無いか」

「お疲れ様な糞女郎の略やな、ド畜生が」

 

そう言いながら龍驤が、吸い差しを銀色の安っぽい灰皿に押し付けた。

 

ちなみに、吸殻が灰皿から外に出たら罰金刑である。

 

「キャラメルで良いならあるぞ」

「何でやねんって、まあええわ、お礼に飴ちゃんをくれてやろう」

 

ぶらぶらと歩き出しながら、互いに甘味を交換し口に入れる。

鏡映しの如き動作を見た通行人の表情が、そこはかとなく綻んだ。

 

シンガポールでは、公共交通機関などでの飲食が禁止されているが、

路上は禁止されていない、つまりは食べ歩きがシンガポール名物である。

 

しかしゴミのポイ捨ては罰金刑、そこに慈悲は無い。

 

「陸奥が好きなんだ、つーか何故にどこまでも上から目線かな」

「こんなとこまで呼び出されたウチの身にも成ってみろやってな」

 

本来ならば秘書艦同士で待ち合わせる予定であったが、先日、残念な事に

第三本陣筆頭である陸奥が隕石の直撃を受け、現在入渠リハビリ中であると言う。

 

「つーか何で台湾製」

「陸奥の好みだ」

 

見慣れた黄色の箱にエンゼルマークのミルクキャラメル、しかし白抜きの字で

ニウナイタンと漢字で書かれたそれを、龍驤が問い掛ければにべも無い。

 

「そういやこの会社、陸奥(むっちゃん)がお召艦やった時に広告出してくれとったな」

「あー、戦時広告って感じのヤツか」

 

扇動的なと穿っている声色に、無い無いと手を振って気軽に言葉を繋げる軽空母。

 

「めっちゃノリノリやったで、日露ん時なんかバルチック艦隊全滅記念とか言うとったし」

 

ご贈答には戦艦三笠砲弾型マシマロー、東郷大将御真影石板付。

 

全滅記念で売り出された品目であった。

 

「キャラメルやと、渡洋爆撃の頃に荒鷲のご馳走だとかコメントとってたなー」

「まあ、味も携行性も栄養価も、全て満たしてはいるが」

 

荒鷲部隊、陸海軍の戦闘機部隊の愛称である。

陸軍は陸鷲、海軍は海鷲、総称で荒鷲と呼ばれていた。

 

「その時のキャッチコピーが、空爆にキャラメル持って」

「俺の中の『美味しく楽しく健やかに』が、一気にファンキーになったんだが」

 

率先して慰問袋を売り捌いてくれたし、正直あの会社に足向けて寝られる艦娘は

居ないんちゃうかなと、どうにも受け答えの難しい感想が零れる。

 

そして川内あたりに土産で買って帰るかと龍驤が言い、何で川内と問いが在る。

 

「川内、あの時は水上機飛ばして参加しとったねん」

「何やってんだアイツ」

 

「ウチは陸鷲を教導しとった」

「お前ら、何か色々と間違えてないか」

 

台風がいかんのや、ウチのせいちゃうでと、シレッと言い張る歴戦空母。

 

そして本陣提督は、整った眉間を抑えながら、もう一つキャラメルを口に放り込んだ。

 

「まあ、甘さ控えめで好みではあるな」

「台湾のは、脂肪抑えて塩増やしとるからなあ」

 

製法も昔ながらで、カラメルの焦げた風味もやや強い傾向に在る。

ウチらの記憶に在る味やと、確かにコッチが近いわなと龍驤が笑った。

 

「日本のがオリジナルレシピじゃないのか」

「あの会社、毎年微妙に味変えとるで」

 

そもそも、キャラメルを売り出したら脂っこくてサッパリ売れないと言う地点から

日本式キャラメルと言うほど徹底的にレシピ改良をした上で、人気に成った品である。

 

そして油っ気がまったく無くなったので、輸入していた既存の機械が使えなくなり

仕方無し国産の製造機械開発に手を出したと言う酷い経緯が在る。

 

そのせいか伝統は有るが、従来の味を守る事にはあまり固執していない。

 

実はハイでチュウなアレや缶詰の貰えるチョコなボールなども、毎年微妙に変わっている。

 

「……嘘だろ」

「本気や」

 

綺麗に表現すれば、大企業たる現在も初心を忘れていないと言う所か。

 

「そういや慰問袋結構溜まってるから、帰りに本陣寄って持って帰れよ」

「そこは支援物資と言いやがれ、第三鎮守府責任者」

 

そんな益体も無い会話の内、駅標識の前まで辿り着いた。

 

「んで、寄るのはまず大使館やったか」

「そして外務省、国防省、通商産業省でお見合いだ」

 

マス・ラピッド・トランジット、地下、高架鉄道の駅構内に向かいながら、

タクシー使えんのか、経費が出ないんだと寂しい会話が交わされる。

 

肩を竦め、プレゼントの袋を担ぎ直した龍驤が溜息を吐く。

 

「長丁場になりそうやなあ」

 

四季の無い熱帯性モンスーン気候、それでもブルネイよりも4度ばかり低い

シンガポールの空気に、気疲れの滲む声が響いて消えた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

マーライオンは結構見ごたえがありました、島風です、天津風ちゃんも居ます。

 

何でも、かつてはポンプが駄目で水を吐かない、陸橋が出来て景観最悪、

そもそも背中しか見えないなどの問題で、世界三大ガッカリに数えられていたそうですが、

 

アジア通貨危機の時に不景気はマーライオンの風水が悪いせい説が持ち上がり、

 

様々な風水師が、やれ陸橋は火の属性だから、いや土だからと、諸説を持ち出して

様々に声高く主張しては喧々囂々と、いや、しなかったんですけどね。

 

全員、過程はバラバラでしたが結論は「マーライオンを移動しろ」だったのです。

 

何と言うか、風水云々が建前にしか聞こえません。

 

そんなわけでマーライオンは現在のマーライオン公園に移動して、

良い感じの景観で、ちゃんと正面から水を吐いてくれる様になったとか。

 

夜間はライトアップされるそうです。

 

それはさておき、お腹が空きました。

 

観光案内をしてくれた親切な方にお薦めを聞き、2隻で近場の屋台村(ホーカー)に向かいます。

 

ちなみに格好は制服に、お揃いで薄手のトナカイさんコート、支給品なのだ。

 

シンガポールでは路上の飲食は禁止されていませんが、路上の屋台営業は禁止

されていますので、屋台は屋台村(ホーカー)と呼ばれるフードコートに集まっています。

 

前に龍驤ちゃんが、フードコートつうか道の駅のイートイン、とか言っていました。

 

よくわかりませんが、きっとそんな感じなのでしょう。

 

さてそれでは、とりあえずイートスペースに席を取って貰いつつお目当てへ。

 

ボワっと赤味がかった、何か凄く身体に悪そうな煙を出す独特の屋台。

はい、中華鍋にチリペッパーを叩き込んだ時の煙ですね、凄く目に染みる、鼻にクる。

 

煙が出た途端、並んでいるお客さんも揃って顔を背けて、目鼻を抑えています。

 

惨状はさておき2皿注文しました、フライドオイスター。

日本語で言えば牡蠣の玉子とじ、フライドどこ行った。

 

マレーシアはマラッカの名物料理です、シンガポールでも人気なんですね。

 

網漁の時に一緒に獲れる、売り物に成らないぐらいの小さい岩牡蠣を

水溶き小麦粉を炒めた鍋に卵と一緒に放り込んだ料理で、

 

仕上げにチリベースの香辛料をダバッと掛けて出来上がりです。

 

香辛料的に危険な香りがしますが、卵が入っているので意外と大丈夫なのです。

 

卵と一緒なので玉子とじなどと言われますが、油を引いた中華鍋に

卵と一緒に放り込んでいますので、どちらかと言えば炒飯の玉子的な感じ。

 

フライドですからね。

 

さてさて、出来た料理を天津風ちゃんが確保していた席に運び、昼ご飯です。

 

「辛さで打ち消されないほどの、無茶苦茶な潮の味ね」

「シーフード苦手な人は逃げるね、コレは」

 

小さいだけあって、何か色々と濃縮されている感が在ります。

 

言いながら食べ進めるも、しかし、知っているより、思ったよりも辛い。

付け合わせのライムとかパクチーが焼石に水、玉子は何してるのかな。

 

そんな結構デンジャラスな状態に陥った私の横に、満面の笑みの妙齢の女性が。

シュポンとビンの栓を抜く音がして、黄金色の泡が出る液体をコップに注ぎました。

 

見るからに冷えている、シュワシュワ音を立てている。

 

急いで受け取ってのど越し爽やか、苦みと刺激が口の中の辛さと海を押し流します。

一気呵成に飲み干して、目を瞑り震えて最後、弛緩した口からケフと声が出て。

 

タイガービールだ。

 

見ればその女性はタイガービールの衣装を身に着けた売り子さん、通称タイガーガール。

 

もう一杯貰いつつお金を払う、正面の天津風ちゃんも同じ状況だった様で、表情微妙。

いや、艦娘だし呑めるけど、この外見でビール勧められたのははじめてだよ流石に。

 

微妙に納得いかない中、突然に何処からか騒めきの音が上がりました。

 

報道の声、そして様々な人の声。

 

―― 深海棲艦、米本土及び中東に上陸、侵攻

 

騒めきは段々と大きく成り、騒動が不安を掻き立てていきます。

 

「島風」

 

呼ばれた名前に真剣な表情で、無言のままに頷く私が居ました。

何はともあれ詳しい状況も把握できないし、随伴の駆逐艦2隻では何も出来ない。

 

ならば、やるべき事はわかっている。

 

「急いで食べて龍驤に合流するわよ」

 

お残しは許されないよね。

 


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