水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 八

 

透き通る空気の海上に、小さく咳をする音が響いた。

 

「コンナ場所デマデ待チ構エルナンテ、忌々シイカンム……ス」

 

漆黒を靡かせていた深海の姫が、言葉を紡いでは戸惑いを見せる。

 

「カンムス?」

「何でそこで疑問形やねん」

 

持ち直そうとした空間に、再度白々しい空気が充満した。

思わず入れたツッコミが招いた静寂に、龍驤が冷や汗を流す。

 

そして雰囲気に耐えかねて、小さく咳を入れてから口を開いた。

 

「こ、事此処に至っては是非も無いわ」

 

どうにも決まりが悪く、旗艦が妙に芝居がかった口調と姿勢で見えを切れば、

引き攣っていた駆逐古姫も気を取り直し、瘴気を滲ませながら言葉を返した。

 

「ハ、駆逐艦3隻デ抗ウツモリカ」

 

「誰が駆逐艦やッ」

「エェッ!?」

 

時折朝潮型航空駆逐艦を自称している割に酷い言い草であった。

心には棚を作る物、惚れ惚れとするほどにぐでぐでな雰囲気である。

 

どこまでも空気が乾いていた。

 

 

 

『邯鄲の夢 八』

 

 

 

何度目かの仕切り直しの後、奇跡的に、ようやくと砲火を交えるの段に辿り着く。

 

だがしかし ―― 出来るのかと、駆逐古姫が哂う。

 

「ソノ兵装、力ヲ感ジナイゾ」

 

指摘された内容に、随伴の天津風が唇を噛んだ。

 

龍驤哨戒艦隊、浄化装置散布を主目的とする今出撃に於いて、

 

艦隊参加艦の少なさ、及び艦種から戦力と機動力の両立は難しいと判断し、

中途半端に成るよりはと、全装備を索敵と高速化に割り振っている状態であった。

 

完全に裏目と成ってしまっている。

 

装備スロットに触媒が入っていない以上、艤装に兵装自体は在るものの、

火砲、魚雷などが、深海の瘴気を撃ち抜くほどの霊的威力を纏う事が出来ない。

 

ましてや相手は姫級怪異、奇跡の一つ二つでは足りないほどの断絶が在った。

 

言葉に、表情を硬くする2隻の随伴駆逐艦。

 

だが、龍驤は微塵も揺るがない、揺らぐ物も無い。

 

「―― サジタリウス」

 

言葉に合わせ、その指が天を衝いた。

 

「今からキミが、目にするモノや」

 

釣られ、深海の姫が空へと視線を向ける。

 

何も見えない。

 

「サジタリウス……ダト」

 

何も無い。

 

しかし、眼前の敵は一切の迷いなくふてぶてしく笑っている。

もしも、射手の星座の名を冠す何物かがそこに在ると言うのならば。

 

在るのか。

 

この空に、この状況を覆す何かが。

 

深海の電探が起動する、南冥の空に僅かの兆しも見逃すまいと、

どこまでもの空白に艦隊が意識を割いている最中。

 

足元から、何か断続的な駆動音が響いた。

何かの経文の様な、聖歌の様な様々な音声もそれに重なる。

 

チラリと視線をやれば、妖精が居る。

 

それの上に直立不動であった妖精は、音を立てそうなほどにキッチリとした敬礼を見せ。

 

即座の衝撃に、棲姫の鼓膜が振動を認識する事を拒んだ。

 

爆発。

 

自走式海域浄化装置が過たず自壊を果たせば、

 

音量が海面を叩き、紅蓮と化した熱量が渦巻いては空へと吹き上がる。

そして、アフロと化した妖精が敬礼の姿勢のまま彼方へと吹き飛ばされていった。

 

「イ、イッタイ何ガ……ッ」

 

煤に汚れた前面に、咳き込む音を重ねながら爆焔を抜け、

駆逐古姫が状況を確認に努めれば、すでに眼前には海面が広がるばかり。

 

かなり離れた場所に、龍驤艦隊の背中が見える。

 

「…………」

 

新型缶装備で高速化された天津風に、駆逐艦よりも速度で劣るはずの軽空母が並走している。

 

一目散に逃走を続ける艦隊には、何か四つ足の如き艦影が在る。

見れば龍驤の胴体に、後ろから腕を回し騎馬の如き体勢で押している島風。

 

容易く50ノットを越える程に強化された島風の出力が、龍驤を未知の世界へと押し上げる。

 

高速化されていた艦隊は、今まさに新たなる次元へと突入した。

 

明らかな異様、何と言う本末転倒、並の駆逐艦よりも速い空母機動部隊。

 

―― そう、刮目せよ、これこそ。

 

「これこそが逃走用高速機動モード、艦娘人馬形態(サジタリウス)ッ」

 

両腕を組んで胸板を張りながら龍驤が宣言する、実は他に何もしていない。

あまりの速さに艦載鬼の発着艦が不可能なため、彩雲すら飛ばせない有様である。

 

おぅだのこんじょーだの叫びながら、後ろから全力で島風が押し込んでいた。

 

「……ニ」

 

そして、白く成っていた深海の姫が声を絞り出す。

 

同じく固まっていた随伴の重巡が、声に視線を向ければ。

 

「逃ガスカアアアァァッ!」

 

怒髪天を衝くドリルな様相で追撃を開始した。

 

「あ、何か叫びながら追ってきたわよ」

「怒りと哀しみを感じる音色や、どうしてあれほどの感情を出しとるやろう」

 

比較的姿勢が自由な天津風の報告に、想像もつかんなと真面目な声で龍驤が応える。

 

「逃げる前に、煽って行く、からじゃ、ないかなあーッ」

 

島風型船外機から、極めて尤もな返答が出た。

 

3隻の髪が後ろへと流され、風に乗ってはためく。

現在の艦隊の航行速度は40ノットを越えたあたり。

 

多少速くとも、そこまでの速度に満たない駆逐古姫との距離が離され、

 

羅針盤固定、進路変更、

 

先行が曲がる度に、瘴気の中を直線で追走する姫に距離を詰められる。

 

「直線で離してもコーナーで詰められとるッ」

「あの姫の方がドライビングテクニックが上と言う事だねッ」

 

「いつから海域が峠になったのよッ」

 

妙な釣り合いが取れた追走劇は、近付いては離れと繰り返されていく。

 

そこへ伸びる、数本の雷跡。

 

「緊急回避ーッ」

「乙字うんどーッ」

 

「逆之の字回避ッ」

 

射手と随伴が左右に割れて、迫りくる魚雷を回避する。

 

突然に繰り出された雷撃を、ジグザグな切り返しで慌ただしく避ける中、

海中より浮かび上がる悍ましき瘴気の塊は至近、前方、艦隊の進行方向。

 

―― 来タ……ノネエ……獲物タチ、ガッ

 

そして何やら顔を出した変な潜水カ級の顔面を、龍驤の厚底が踏み付けた。

間髪入れず、サジタリウスの後ろ足こと島風のヒールが蹴り飛ばす。

 

「自軍に向かってるのに何で敵に遭遇するのよッ」

 

沈んでいく深海潜水艦隊、おそらくは旗艦を踏み越えた龍驤を横目に、

並走している天津風がやるせない思いを一気呵成に叫んだ。

 

「日頃の、行いとかッ」

「心当たりが在り過ぎるッ」

 

サジタリウス後ろ半分の的確な指摘が、前半分にクリティカルを出す。

 

言いながらも遁走を続ける艦隊に、追撃の雷跡。

 

「加速ーッ」

「いえーッ」

 

回避運動、ではない。

 

そう、40ノットを越える速度とはどのようなものであろうか。

 

白く尾を引く海面が、龍驤たちから目に見えて引き離され、やがて水柱と化して消えた。

 

極めて端的な表現が在る。

 

即ち ―― 魚雷よりも速い。

 

「待テッテ、言ッテルジャンカヨオオオォッ」

 

何もかもが置いて行かれる中、憤怒の色が見えそうなほどの怒声が艦隊に届く。

見事に置いて行かれた形に成った潜水艦隊を踏み越えて、駆逐古姫が追撃を続けていた。

 

そして友軍から豪快に蹴散らされる随伴潜水艦。

 

追われながら追う者の追走劇は、まだ終わる気配が見えない。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

その後方の海域に、複数の深海棲艦が集まっていた。

 

その中には、先程まで随伴で追撃に同行していた重巡洋艦も居る。

 

「ジャ、アトハ手筈通リニ」

 

集団の中心は、駆逐艦と見紛うほどに小柄な戦艦。

 

戦艦レ級、片目を通り過ぎる様な刀傷の在る個体である。

掛けられた声に、軽く頷きながら棲艦たちが三々五々に散って行く。

 

静寂が海域を包んだ。

 

やがて、ただ一隻残されたレ級は身を翻す。

 

少しだけ前進して、静止。

 

最後に顔だけで軽く振り向いて、口を開く。

 

「サヨナラ、クチコキ様」

 

平坦な声での別れが在った。

 

視線の先、水平線に浮かぶような小さな影が幾つか。

目を細めては、もはや見分けのつかないそれに対しての嘆息が在る。

 

「嫌イジャナカッタヨ、アンタノ事ハ」

 

その顔に、唇を歪めただけの哂いが張り付いていた。

 


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