水上の地平線   作:しちご

118 / 152
邯鄲の夢 辺

 

晴天に恵まれた爽やかなサイパンの空の下、爽やかでは無い2隻が埠頭に居る。

 

ブルネイ産の龍驤と明石だ。

 

「ようやく今日付で、セーシェル方面の撤収が開始されたそうですよ」

「米軍と自衛軍の手前、はいサヨナラとはいかんわな」

 

展開された軽空母の艤装を弄りながら、工作艦はさらに言葉を紡ぐ。

 

「種子島は昨日で全部終わったんですけどねー」

「アッチは海軍だけやし、何より本土組主体やからなー」

 

そして今作戦、最後の増援が現在サイパンを目指し航行中であると言う。

 

「本土の方は大騒ぎらしいですね、増援部隊にも記者が満載されているとか」

「関係者だらけの最前線なんは認めるが、来ても意味が無いやろうに」

 

龍驤が海に目をやれば、亡霊が海面で手招きをしていた。

厄介事の香りしかしない、軽く眉間を抑えての嘆息がある。

 

「それはついでというか、太平洋打通の決定的瞬間を確保したがっているらしいですよ」

「道理でウチみたいな端役にまで、露払い任務が降って来るわけや」

 

本日の日米暴虐古参空母ウエスタン酒場は臨時休業であり、店主には随伴2隻を伴い

邪魔に成らない戦場の端っこで、浄化用探査機ばら撒きなる任務が割り当てられていた。

 

「よっと、これで装備スロット増設完了です」

「赤加賀の馬鹿話も、たまには役に立つもんやなあ」

 

戦場に冷蔵庫をなどというわけのわからない主張が、艤装スロットの拡張改装と言う

それらしい計画に化け、補強増設と命名され今まさに龍驤の艤装に適応された所である。

 

ちなみに、もともとの発案者の赤城と加賀の艤装は既に改装が完了されており、

今日も増設部に接続された携帯用小型保管庫の中に、戦闘糧食(おにぎり)が入れられている。

 

「将来的には、機銃ぐらいは接続可能にしたいところですね」

 

見れば探査機を抱えた天津風と島風が、埠頭に小走りで駆け寄って来ている。

 

「期待して待っとるわ」

 

後ろ手に言葉だけ残し、龍驤が海面に足を踏み出した。

 

 

 

『邯鄲の夢 辺』

 

 

 

海原を割り征く艦隊が在る。

 

先行する金剛の後ろ、駆逐艦に挟まれた2隻は、正規空母。

共に赤を基調とする道着に、黒白と対を成す色合いの長髪。

 

赤城と翔鶴である。

 

「駆逐古姫とやら、今日もヒットしませんネー」

 

艦隊の先端より、高速戦艦のぼやきが響いて来た。

 

当海域に巣食う姫級怪異、駆逐古姫。

時折発見の報告は在るが、未だに撃破報告は挙がっていない。

 

「遊撃して来る姫級怪異と言うのも、珍しいですよね」

「おかげでこのままだと、撃破より先に打通が完遂してしまいます」

 

翔鶴の問い掛けに対し零れた何気ない言葉に、赤城は何か掛かるものを感じた。

 

予定通りの進捗、予定通りの損害、予定通りの戦果。

 

思うようにいっていないはずなのに、状況は何の問題も無く終焉へと向かっている。

 

「……以前も、こんな流れがありましたね」

 

本来起こるべき、当然の誤差や誤算の無い状況。

 

それどころか、偶発的な事象の悉くが都合の良い展開に繋がる異様。

さながら全ての賽の目が、常に狙い通りの数字を叩きだす様な理不尽。

 

―― ■■■■

 

脳裏に、赤い水干を纏う戦友の姿が浮かぶ。

 

―― ■マ■■

 

まるで、世界その物がそうあるべきと手を加えているが如く。

 

―― ■マ■イ

 

「私たちは、勝たされている」

 

零れた言葉に視線を向けた翔鶴が、突如に蒼白と成り赤城の名を叫んだ。

振り向いた金剛が驚愕し、急制動を掛ける、砲塔が立ち上がる。

 

「……え?」

 

その時に成ってようやく、赤城が自らの掌を眺め動きが止まる。

薄闇の、視認できるほどの瘴気が全身に絡みついていた。

 

「眠ッテイタノニ……無粋ナ、ヒト達」

 

その背後から、何かが姿を見せる。

 

白蝋の肌、骨の如くと白く朽ちた髪の隙間に、漆黒の角。

 

小柄な体躯の後ろに、悍ましき色合いの艦艇の様な艤装が控えている。

 

「姫級の、怪異」

 

怪異の威圧を堪え、翔鶴が弓に矢をつがえた。

 

そして膠着する。

 

射線が通らない、深海は赤城を盾にする位置に留まっている。

 

「最悪、赤城ごとシュートしますネー」

 

狙いをつけ、僅かな状況の変化も見逃すまいと構えている金剛が言った。

 

「ヨクハワカラナイケド」

 

瘴気を漂わせ、赤城へと絡みつく怪異が在った。

 

「貴女ハ、同ジ匂イガスル」

「同じ匂い、ですか」

 

棲姫が、囚われたものを覗き込む。

 

「聞コエテイルノデショウ、声ガ」

 

―― ■マシイ

 

「ああ、その眼は」

 

赤城が。

 

覗き込んでくるその瞳に、思い出す物があった。

 

―― この眼は、ずっとアレを見ていた

 

泥の様な重さが赤城の胸を埋め尽くす。

 

記憶の中、かつて春日丸と呼ばれたソレが、眼前の怪異に重なる。

 

―― 私ではなく、アレを見ていた

 

下から溢れんばかり、僅かな隙間すら残さず。

燻る泥の熱量が、脳裏を埋め尽くす中、ついに理解する。

 

声が、いや、はじめから聞こえていたのか。

 

聞こえていたものを、聞こえない事にしていただけ。

 

―― 妬マシイ

 

ただの一言が在った。

 

それが全てを埋め尽くしていた。

 

妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ

妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ

妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ

妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ

 

「あ……アァ、アあぁアあぁァッ」

 

艦隊が口々に赤城の名を叫ぶも、次々と、何度でも

脳裏を埋め尽くし続ける言葉に塗りつぶされ、何も届かない。

 

深海の姫が、童女の様に無邪気な笑顔で口を開いた。

 

「ヨウコソ同胞ヨ」

 

悲鳴にも似た赤城を呼ぶ声に、背を向けて倒れ込む様な正規空母を。

 

深海の姫は、受け入れるかの様に両手を広げ。

 

その顔面に、一本の矢が突き刺さった。

 

俯き、苦鳴を漏らす正規空母が、その手に握り締めていた矢が。

 

「エ、アレ……何デ」

 

絡み合っていた2隻に、僅かな距離が開く。

 

荒い息遣いが、海域の空気を静寂に染めた。

 

「―― アァ、妬ましい」

 

声に、奈落の底から湧きだす様な、呪いが在る。

 

言葉が募る度、海域に黒い物が溢れ、空気を鉛に変える。

 

赤城が自らの、心の臓を握りしめるかの如くに空いた手を胸に沿わせた。

 

「苦しい、憎らしい、殺してやりたい」

 

淡々と。

 

淡々と呪いの言葉を吐き出し続ける。

 

「――ッ」

 

言葉を紡ごうとした棲姫の口に、新たな矢が突き刺さる。

衝撃に反った頭部に、矢継ぎ早に叩き込まれる赤城の弓。

 

淡々と引かれる弦に、俯き、影と成った表情は伺い知れず。

 

僅かに見える口元には、夜を割る月の如く、歪な笑顔が見えた。

 

海域は静寂に呑まれ、蒼白な艦が影を連ねている。

 

「イヤ、ダッ……ドウシテッ……ナンッ ――」

 

悲惨の音がする海域に、乾いた笑い声が鳴り響いた。

 

鳴き声は哄笑に打ち消され、海域に見る者全ての心に傷を残す。

 

「タス ―― リュウジョ ――ッ」

 

悍ましい感情に染められた、赤城の割れた様な醜悪な笑顔が。

常日頃の張り付いた物とは違うそれを、翔鶴は綺麗だと思った。

 

「コレは、私のモノです」

 

瘴気よりも悍ましく、地獄めいた言葉が海原を塗り潰す。

 

「貴様らなどにわけてやる義理は無い」

 

深海に対する宣言の先には、矢衾が残るだけ。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

戦場と言う場所では、たまさか信じられない様な事件が起こる。

 

様々な事例には、それぞれ様々な理由が付随しているものだが

因果を辿って見れば単純に、連相報ちゃんの欠落が原因である事が多い。

 

仕方のない事ではある、自軍の行動をいちいち敵軍に細かく報告する必要など無いのも

道理なわけで、目隠しで殴り合う互いに時折、笑いの神が降りてくるのは必然とも言える。

 

わかり易い事例を挙げて見よう。

 

ここに、こんな意味の無い場所に敵は来ないだろうと出撃した艦隊が在った。

 

そこに、この方面ならば敵に逢わずに休息できるだろうと考えた姫が居た。

 

「…………」

「…………」

 

互いに無言であった。

 

無人探査機の妖精を捻りあげながら、顔色が消えている小柄な軽空母。

流れる黒髪を、癖も露わな片括りにした、黒い着物の深海の姫。

 

その海域で遭遇した互いが、わけのわからない状況にしばしの静止を見せた。

 

感情の抜け落ちた状態のまま、龍驤が随伴の天津風に無人探査機を渡す。

蝋細工の如くに固まっていた駆逐古姫が、随伴重巡に促され再起動を果たす。

 

「……ドウシテ」

「……言われてもな」

 

どうにも何か、機会と言う物を逸した感が在った。

 

本日未明 ―― 龍驤哨戒艦隊、初出撃に於いて駆逐古姫と遭遇する。

 

旗艦、龍驤

随伴艦、天津風、島風

 

兵装、彩雲、タービン、高圧缶 ―― 航空及び砲雷撃戦可能装備、無し

 

端的に言って、龍驤の上の鯉である。

 

どこかで妖精が哂っていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。