水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 沖

蒼天は深く、その下に穏やかな海面がどこまでも続いていた。

 

好天に恵まれたサイパン仮設泊地、吹き抜ける風に涼し気な空気が踊る中、

荷物を小脇に抱えて仮設宿舎前を歩んでいる龍驤へと、襲い掛かる質量が在る。

 

むにりとした感触と、惑星ジャポニカの住人が唐揚げにしそうな夏の香り。

 

犠牲者が、五十鈴かと小さく呻いた後、水平線の彼方へと視線をやって寂しそうに言葉を零す。

 

「乳で、誰かわかる様になってしもたなあ」

 

前作戦でドラム缶との間に挟まれた記憶も蘇る。

 

航空母艦龍驤、もう手遅れなほどの乳ソムリエぶりであった。

 

そんな真昼のリゾートで、冬の日本海並に黄昏ている姿に多少引きながらも、

それはいいからとタスケテと、後背に回り乳を乗せながら五十鈴が縋った。

 

豊か過ぎる膨らみの下、ティディベアの如く振り回された乳置きの眼前には、初月。

 

普段は誰かの後ろに居て、龍驤の視線から全力で逃れ続けている防空駆逐艦である。

それが珍しく眼前に居る、少しばかり血の気が引いているのはご愛嬌と言う物であろう。

 

やがて意を決したのか、極めて真面目な表情で筆頭秘書官へと問い掛けた。

 

「皆、装甲が薄く成っているんだが、今回の作戦の資材は大丈夫なのか」

 

何処までも真剣な声色であった。

 

並々ならぬ覚悟を持って、現実を受け止めようとする強い意志が見て取れた。

いざと言う時は容赦なく節約して貰っても良いと、尊い自己犠牲の発露も伝わって来る。

 

その後ろでは、水着姿の駆逐艦たちが風船状のボールで遊んでいた。

 

「……ねえ、どうしようコレ」

 

何か上手く説明できなかったらしい保護者担当軽巡も、弱り切った声で聞いて来た。

 

難問を突き付けられた龍驤は、目を瞑り、穏やかな表情で黙考する。

 

なるほど、たしかに初月は駆逐艦離れした胸部装甲の持ち主であった。

 

だがしかし、所詮は白露型程度。

 

今作戦参加駆逐艦として再会できたと言う、姉の秋月や照月は何と言うか

巨、を越えて爆、とか超、とか言う有様であり、もはや重巡クラスである。

 

龍驤は魂で理解した、コヤツもまた持たざる星の元に生まれた艦なんやと。

 

瞼が開けられた後に在ったのは、五十鈴が、いまだかつて見た事の無いほどの優しい笑顔。

 

そして菩薩の如き雰囲気の乳置きが、頭の上に乳へと脇に抱えていた荷物を渡す。

 

「ちょうど今ここに、ながもんから没収してきた白露型用水着制服の試作品が在る」

「いや、どこからツッコめば良いのかわからないんだけど」

 

思わずに、厄の香りがする難物を両手で受け取ってしまった五十鈴が、龍驤から離れる。

そんな僅かな隙間に菩薩の掌が差し込まれ、促すようにと初月の方向を示した。

 

慈悲と慈愛に満ちた、嫋やかな仕草と表情であった。

 

釣られて笑顔に成った受け取り手が、そのままに視線を誘導された方に向ける。

 

優しい空気が、そこには在った。

 

ところで、外面似菩薩内心如夜叉という言葉が在る。

 

振り仮名を打つならば「ひしょかんのこころえ」とでも打つべきだろうか。

 

「剥いてしまえ」

 

おっけーと、菩薩が伝染した軽巡洋艦の口から軽い口調が零れる。

 

その日、泊地に秋月型4番艦の悲鳴が木霊したと言う。

 

 

 

『邯鄲の夢 沖』

 

 

 

花崗岩の海岸に挟まれた、弧を描く白浜。

 

どこまでも遠く、ソーダ水の如く鮮やかな青色に染まる海面は

遥か彼方で藍色に変わり、空と交わらず水平線を描き出している。

 

見れば遥か沖合に、何やら天まで届きそうと言われる特徴的なマストを持つ戦艦姉妹が、

鮫に噛まれたり鯨に乗せられたり、深海棲艦を捕食しているクラーゲンに浚われたリしている。

 

そんな海上の現場にトルネードが迫っていた頃。

 

―― 大丈夫だよ、夕飯ごろには戻って来るから

 

砂浜で缶詰を開けていた随伴幸運艦が、ハイライトの消えた眼で語った。

 

セーシェル諸島プララン島、アンス・ラジオ。

 

エデンの園とも呼ばれるその土地は、かつて龍驤がドイツ艦と共に停泊した

エデン島と等しく、インド洋に浮かぶセーシェル共和国に属する島である。

 

近隣に生育する固有種の双子椰子(ココ・デ・メール)の群生地である事でも知られ、

それ故に島内のヴァレ・ド・メ国立公園が世界遺産に指定されている。

 

そして、風が吹いた。

 

謎のブルネイ本陣所属長門型1番艦が、是非とも白露型にと選んだ黒色のビキニの上、

海に吹き抜ける風を受けて、黄金の髪と共に、首周りを包んでいるマフラーが流れる。

 

そんな夕立の元へ、椰子の木陰から香辛料の香りが運ばれて来た。

 

視線を向ければ、軽く缶詰を火に掛けている黒髪の艦娘。

 

同じ衣装に身を包む姉妹艦、時雨であった。

 

軽く手を振りながら声を掛け、到着を知らせる姿が在り。

いくらかの伝達事項を伝え、カレー缶の中身を分け合いながら2隻が会話を弾ませる。

 

内容は最近の互いの戦況の様だ。

 

サイパン側の作戦進行は順調であるとか、暴虐軽空母が泊地内施設に隔離されているとか

アフリカの内陸では米軍が忙しそうだけど、インド洋側はやたらと暇だとか。

 

何と言うか、乙女の会話にしては色気が無い。

 

ならばと時雨が、最近に近海で見かけるクラーゲンの観察記録を取り出して、失意体前屈。

 

やはりどうにも色気が無かった。

 

「そうだ、何でジブチの自衛軍拠点じゃなくて、コッチに待機してるのかな」

 

ふと、思いついたような声色で夕立が疑問を呈す。

 

ソマリア沖の海賊被害に対応するため2011年、ジブチ共和国に自衛軍拠点が置かれた。

 

喜望峰からインド洋へと向かう位置に在るセーシェルから北方、紅海に入る少し手前

アデン湾との境のバブ・エル・マンデル海峡、アフリカ大陸側にある国である。

 

そんな問いに時雨が苦笑を零し、まあ要はアメリカ軍のお供だねと現状を一言で表現する。

 

どうせならリゾート地でと、そんな余禄も付いていると。

 

「そこらへんの理由は、夕立の方が詳しいんじゃないかな」

「秘書艦悪党組の思考は追いきれないから無理っぽい」

 

問いを向け直してみれば、両手を挙げて降参の姿勢を見せる秘書艦お茶汲み担当。

 

「手には計略、心に夢をってとこかな」

 

本心か嘘か、どちらにせよ語られる事は無いと悟った問い手が韜晦する。

 

「そんな事を言ってると、龍が南冥に東方の威風を吐きかねないって」

 

からからと笑いながら夕立が、以前に泊地で観た映画の内容で答えを返す。

 

「困ったな、龍驤さんが道を拓いたら、僕らもこぞって続かなきゃいけないのか」

「そんな泊地ぐるみでやらかしたら、本土の関係者が卒倒するっぽい」

 

言っている内に鬼が笑いそうな内容が真実味を帯びて来て、止めとこうと互いに頷く。

 

「そう言えば、何で近隣の島のお店は何処にもお尻が置いてあるのかな」

 

話題の転換にと、資材受け渡しの折に見かけたセーシェル首都の様相を問うた。

 

「あれは、双子椰子の実なんだよ」

 

何の事かと考えるもすぐに思い至り、気軽な口調で答える時雨。

 

双子椰子、雌株の実が女性の臀部、雄株の実が男性の陰部の形をしている植物である。

 

大航海時代にヨーロッパ、と言うか英国に注目され、その特徴的すぎる形状から

媚薬として高値で取引されたり、群生している島こそがエデンの園だと主張されたり

 

まあ何と言うか、いろいろと性的な勘ぐりに晒された植物であった。

 

あまりにもそのままな形のため、現地でも月夜の晩に雄株が自力で土から抜けて

自分で歩いて雌株の所までたどり着き、そのまま種付けをするとの言い伝えがある。

 

そしてそれを目撃してしまった者は、語ると不思議な力により殺されると、コワイ。

 

ついでにどうでも良い話だが、雌株は世界最大の種子と言う事でギネス認定されている。

 

「至る所にお尻が在るから、妖しい宗教か何かと思ったっぽい」

 

インド洋の真珠、セーシェル共和国。

 

置物として、または土産物として、軒先に店頭に、至る所に尻が在る国である。

 

半目で感想を語る夕立に、引き攣った笑顔でしか応えられない時雨であった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

夜の底、喧騒が遠く雑音を奏でる頃合い。

 

「大戦の、亡霊か」

 

うらぶれた高架下の赤提灯で、何処か疲れた雰囲気の中年2名が安酒を煽っている。

 

「人造英雄理論とか言う与太話は、まさにそれだな」

 

何処か飄々とした風情を纏う横須賀第4提督室へ、古巣の友人が答えを語る。

 

「ほれ、陰陽寮は明治維新の時に一度解体されただろ」

「また随分と過去に飛ぶね」

 

はじめから順序立ててなら、どうしてもなと苦笑が在る。

 

「まあ要は、無職になったと」

「世知辛い話だねえ」

 

いつの世にも有り得るありふれた苦難への言葉に、喉を灼く安酒が重なった。

 

そして、前大戦までの間、どのように雌伏していたかまではわからないがと続く。

 

「再起を賭けた陰陽師たちが手を付けたのが、揚陸艦の嬢ちゃんが見付けて来た」

 

そこで、言葉が切れる。

 

続くであろう内容を、第4提督が口にした。

 

「フランクリン・ルーズベルト呪殺」

 

そのまま、夜の中に静寂が落ちる。

 

遠く警笛の音が響き、静かな喧騒の中に途絶えた。

 

「戦局を覆すほどでは無かったが、存在感は示せただろうな」

 

ぽつりと、零れる様な言葉が在る。

 

「進駐軍に、かな」

 

返す提督の音も、些少。

 

無言のままに杯が空き、店主へと代わりを頼む頃合いに、軽い声色が響いた。

 

「陰陽寮再建の時に、やたらあっさりと専門家が集まったなあとは思ってたけどねえ」

「ずっと紐付きだったんだろうさ、戦後80年の間」

 

互いが不思議と同じタイミングで、大根に辛子を塗りながらの会話が在る。

ひとしきりの作業を終えて口に運び、眉を顰めてから息を吐く。

 

「揚陸艦の嬢ちゃんは、素直に人造英雄(デコイ)に引っ掛かっとくべきだ」

「陰陽師が何をやらかしたのか、知っておきたい所なんだけどね」

 

艦娘を戦場に送る立場上と、言外の覚悟が僅かに見えた。

 

そんな提督の言葉に逡巡が在り、やがて、お道化た様な言葉が引き出される。

 

「何もやって無いさ、証拠なんてのも当然無い、何も無かったんだから」

 

軽い声色の割に、視線に笑みの色が見えなかった。

 

言葉の意味を少し考え、やがて、提督が溜息混じりに理解を示す。

 

「ああそうか、詰まる所、そういう事か」

 

零れ落ちた諦観に肯定の声を充て、そのままに繋げた言葉が返る。

 

「これ以上は、公然の秘密ってやつに手を突っ込む事に成る」

 

どちらとも無く、酒を呷る喉の音が夜に置かれた。

 


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