水上の地平線   作:しちご

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66 七胴落とし

 

艦娘には、それぞれに背負った宿業と言う物が在る。

 

名であり体であり、様々な形でその身に記された生き様は、時として自らに牙を剥く。

 

例えばそれは、艤装の事だ。

 

その日、泊地の埠頭にて帰投した武蔵が艤装を解いた時の事である。

連日の遠征、演習に程良い疲れと満足感を漂わせた姿が、静止した。

 

映像機器が画像を噛み込んだような、不自然なほどに唐突な、時間の静止。

 

武蔵の顔色から可及的速やかに色合いが失われ、脂汗と共に蒼白の気配が漂ってくる。

 

同行していた清霜は、プチリと、小さな、何かが引き千切れたような音を聞いたと言う。

 

確かに小さな音ではあった、だがそれは肉に響く、骨を伝う。

身体を駆け抜けた振動は補聴器の如く、大音響と成って鼓膜を苛んだと後に語った。

 

倒れ伏す、威容を誇る超弩級の大戦艦が。

 

ふぐお、とか、ぬぐあ、とか、どうにも判別の付かない呻き声を伴って。

 

「む、武蔵さん ―― 武蔵さん、どうしたのッ!?」

 

地に伏せ痙攣を繰り返す褐色の艦娘に、慌てた様相で駆け寄る駆逐艦。

騒々しい声色に何事かと周囲の視線が向き、喧騒は加速していく。

 

埠頭にて起こった小さな事件は、遠く横須賀にまで届き大和の顔色を失わせたと言う。

 

戦艦武蔵、艤装のヒール長期着用を要因としたアキレス腱断裂で入渠。

 

その日の午後、青い顔で足首のストレッチを繰り返す島風と天津風が居たらしい。

 

 

 

『66 七胴落とし』

 

 

 

泊地本棟の埠頭側、自販機横の日陰に叢雲と提督が居る。

 

「何だかんだでヒトの身を持ってからの期間が短いからね、そう言う事も在るわ」

 

ふたりで缶の珈琲を揺らしつつ、海上を渡る風の波を眺めていた。

 

「お前も改二に成ってからヒール高いし、ヤバイんじゃないのか」

「ちゃんと足首揉んでるわよ、毎日」

 

壁にもたれて片足を軽く揚げ、足首を回して示しながら軽く言う。

 

「まあ、駆逐艦は動き回るからそこまで深刻じゃないわ」

「表面化していないだけで、細かい問題がまだ転がっていそうだな」

 

脚ばかり見つめるのも何だと、何処ともなく視線を彷徨わせながら提督が懸念を重ねた。

 

「そうね、例えば ―― 塩かしら」

 

日がな一日遮蔽物の無い海面で陽光に曝され、汗をかくのを避けられない日常である。

 

流石に水分を取るのを忘れる者は居ないが、塩分は見落とされがちだと言う。

 

「間宮の夕食を自分の手で台無しにするのは、新人の通過儀礼ね」

 

何処の鎮守府でも恒例の出来事らしい、古参の艦娘が良い笑顔で食卓塩を持ってくるのは。

 

ちなみに叢雲の時は龍驤だった。

 

そのまま適当に話し込み、塩飴の購入代金を経費で補助する方向で纏まったあたりで

ふと気が付けば埠頭の先、海上に帰投する艦娘たちの姿が見える。

 

空き缶をゴミ箱に入れ、互いに飴玉の袋を持って艦隊を迎えるために歩き出した。

 

 

 

龍驤が自分の部屋で、余ったからと大淀に押し付けられた冷凍の豚肉を眺めつつ

スライスして解凍したあたりで白菜が届く、隼鷹と飛鷹とポーラが抱えてきたので。

 

「どないせいと」

 

「どうにか美味い事ひとつ」

「なんとなくアレな感じで」

「よろひくおねがいますー」

 

既に出来上がっていた。

 

先日に漂着したザラ級重巡洋艦のポーラは、既に捜索が打ち切られており

各種手続きも進んでしまい、原隊復帰が難しいとの事で5番泊地預かりと成っている。

 

姉曰く、ブルネイで酒を抜いておいてくださいとの事であった。

 

龍驤は自らの無力に涙したと言う。

 

とりあえず酔っ払いを簀巻いて入渠ドックに叩き込み、適当に夕食を作りつつ

部屋の一面でグラーフと雲龍がどちらが乗せるかと不穏な言動をはじめた頃合い。

 

酒瓶を持った三隻が再度襲撃してきた。

 

「そろそろ摘まみが出来た頃合いかと思ってね」

 

そして魔の龍驤クローが隼鷹から高速タップを奪う。

 

「まあ、大淀のせいで大量に作ったから余裕やけどな」

 

そんな諦め混じりの言葉に、茶碗を抱えた青い正規空母が応える。

 

「別に、全部食べても構わないのでしょう」

「はい、生えて来ると思ったあッ」

 

返す小手先に愛用のハリセン、軽快な音が加賀の後頭部から響いた。

 

ちゃぶ台に顔面をめり込ませている一航戦をスルーしつつ、龍驤が鍋を持ち込めば

さりげなく雲龍が皿と包丁を用意しつつ、グラーフが俎板で漬物を切り始める。

 

「何ですかその、無駄に洗練された無駄の無い無駄な連携」

 

酒の肴製造機1号2号V3と化した同僚に、後頭部を擦りながら加賀が言った。

 

「動くな、一航戦(鍋敷き)

「今、物凄く不穏な単語がありませんでしたか」

 

ナチュラルに備品扱いされる正規空母であった。

 

 

 

暴虐軽空母、飲酒母艦、川内型、眼鏡、アメリ艦、フリーダム駆逐艦、工廠棲姫、浪費馬鹿、

様々な問題児の集結する5番泊地に於いて、彼女は唯一の良心と呼ばれている。

 

他鎮守府の同型艦は今一つ幼く、何だかんだと妹に頼りっぱなしとか言われる中、

筑摩同盟編集、全鎮守府頼れる姉さんランキングで堂々の一位を取り続ける利根型一番艦。

 

そんなブルネイ5番泊地の利根が、自販機の前で目を輝かせていた。

 

「をを、凄いぞ、見るのじゃ筑摩ッ」

 

手に持っているのは空き缶、どうも食べるらしいコーンスープの缶である。

 

「龍驤の言う通り、飲み口の下を凹ましたらほれ、中に粒が残らんかった」

 

流体力学のちょっとした小ネタであった。

 

「……む、どうしたのじゃ筑摩」

 

喜色を滲ませて空き缶を示していた彼女が一息、怪訝な表情を見せる。

 

「な、何故抱きしめてくるのじゃ、これ、撫でるでない、待て、待つのじゃ」

 

何時の間にやら立ち込める、何やら鬼気迫るが如き空気に、珍しく慌てた様相の声が続く。

 

「筑摩ぁーッ」

 

宵闇の中に、利根の叫びが木霊した。

 

 

 

食べやすい大きさに切り分けられた、肉と野菜のミルフィーユの如き料理が皿に乗る。

少々と注がれた透明なスープに揺蕩っているのは、白菜と豚肉を重ねた蒸し料理である。

 

「白菜鍋、とは少し違うようですね」

「元ネタ言う所やな」

 

白米のお供に白菜を付き合わせていた加賀が問えば、龍驤が答え、

何時の間にやら純米酒などを引っ張り出してきていた飲酒母艦組が騒ぐ。

 

「白菜と豚肉が、塩と幸せな出会いをしていますー」

「やば、塩スープ美味、塩しか使ってなさそうなのに」

 

米に合うなら酒にも合う、麦酒もイケるなどと騒ぐ横、頬を緩めた隼鷹が言う。

 

東坡菜(トンポーツァイ)だね」

「何や、知っとったんか」

 

本当に塩しか使わないあたり歌舞きすぎだろうと、苦笑を乗せて言葉を繋げる。

 

「宋の詩人、蘇東坡の愛した白菜料理だ」

 

彼の詩人が考案したと伝えられる幾つかの料理の内、東坡肉(トンポーロウ)と対を成す一品である。

 

「曰く、白菜は子羊の肉に似て、土から出でた熊の掌」

「富者は肯へて喫せず、貧者は煮るを解せずってとこか」

 

改装空母が白菜を讃える一節を引用すれば、料理担当が豚肉の一節で応える。

 

からからと笑い声が響く中、冷や汗を流し、笑い処がわからないと固まる雲龍の横

少しばかり慌てた様相の飛鷹が切羽詰まった声色で悲鳴を上げた。

 

「ちょっと、あのふたり混ぜたままにしておくと蘊蓄が加速するわよッ」

 

過去の被害を察してしまいそうな、切実な叫びであった。

 

途端、任せろと声を上げて懐から小瓶を取り出したのは、グラーフ・ツェッペリン。

 

卓の上で小瓶から小皿に並々と黒い液体が注がれ、独特の柑橘の薫りが漂いはじめる。

 

ポン酢醤油であった。

 

「……何なんでしょう、この帝国海軍よりも日本艦っぽいドイツ艦」

 

こう、欲しかった一品に対する万感の思いを込めた言葉が、加賀から零れる。

 

「龍驤型2番艦だからな」

「まだ言うかい」

 

ドヤ顔の自称妹に、戻ってきた龍驤が小手を返して軽いツッコミを入れる。

 

「ちなみにポン酢の名称の語源はヒンディー語で5を意味するpanc(パンチャ)だ」

「間を抜かすな、わけわからんわ」

 

その言葉がオランダにて、水、酒、スパイス、砂糖、柑橘の5種を混ぜたカクテル

ポンチ・パンチの由来と成り、日本に伝わった折に柑橘の搾り汁がポンスと呼ばれた。

 

そんな外来語に酢の漢字を充て、ついでに酢を入れて、ポン酢と呼ばれる様に成ったと言う。

 

「何故そこで酢を入れますかー」

「保存のためやな、ただの搾り汁は生ポン酢とか言われるで」

 

ポーラの疑問をさらりと流した龍驤に、グラーフが肩を落とし拳を握る。

 

「く、2番艦の道のりは遠い」

「え、何、龍驤型の資格は蘊蓄能力に在るん」

 

そこはかとなく嫌な事実であった。

 

 

 

夜更けの居酒屋鳳翔のカウンター席に、居座っている3隻の姿が在った。

 

五十鈴、初月、瑞鶴である。

 

砂糖水を目の前に置いて、こんな贅沢をして良いのだろうかと悩んでいた初月を

頭痛と涙を堪えた2隻が強制的に居酒屋鳳翔に連行した後の事だ。

 

ちなみに、話を聞いた鳳翔も貰い泣きしていた。

 

激しく遠慮しつつも、箸で料理を口に運ぶたび、固まった表情と裏腹に動きまわる

犬耳の様な形の髪の毛など、どうにも全身で喜んでいる雰囲気が良い肴と成り、

 

「何かさー、最近加賀さんが妙に優しいのよ」

 

気付いた頃には、見事な酔っ払いサンドイッチ状態の初月であった。

 

妙に絡みつく声色に、どうにもアルコールが回っている事を示す瑞鶴の発言を

具を挟んで反対側に居る五十鈴が受けて応える、これもまた呂律の怪しい感じで。

 

「いい事じゃないのー」

「いや、そう言うんじゃなくてさー」

 

語り始めて曰く、どうにも涙を堪えているような不穏な気配と言うか、

強く生きなさいとか物凄く気に成る一言が付属していたりと、やたら挙動不審だと。

 

そんなぐだぐだと語っていた瑞鶴が、そっと目を逸らして、お水でも用意しますねと

距離を取ろうとしている鳳翔を目ざとく見つけてしまう。

 

酔っ払いアイは、要らない事にだけは敏感な物である。

 

「鳳翔さん、何か知っているんですか」

「いえ、何の事だか」

 

笑顔であった。

 

「何か知っているんですか」

 

笑顔であった。

 

「何か知っているんですか」

 

エンドレスであった。

 

「おそらく、これのせいかと」

 

絡み酒に音を上げた鳳翔がそっと渡して来た紙片は、青葉日報。

 

それを受け取っては、朧と成った瑞鶴が目を通し、気に成る記事へと辿り着く。

 

「なになに、速報、最新16世代型建造式に於いて」

 

―― 航空母艦瑞鶴の胸部装甲大幅強化(たゆんたゆん)を確認

 

「…………」

 

そして、14世代型後期の(とてもひらたい)瑞鶴が固まった。

 

「ず……瑞鶴?」

 

時間が静止したかの如き沈黙に、初月が問い掛ける。

 

元々は直衛艦なる新艦種として開発されていた防空駆逐艦だけあって、

並の駆逐艦とは次元の違う胸部装甲を持つ、初月が問い掛けたのだ。

 

瑞鶴は答えなかった、無明の闇を見ていた。

 

 

 

宴席は加速して、龍驤が2度ほど肴の追加に席を立った後。

 

「つーか、ええかげん正規空母部屋(エリア)に戻れっつうに」

「正規空母なら他にも居るでしょうに」

 

酒も回り死屍累々手前の惨状を片付けながら、龍驤が言えば加賀が返す。

途端、倒れ伏していた死体が生き返り、呻き声の様な返答が在った。

 

「龍驤型2番艦だ」

「弟子です」

「お酒好きですー」

 

「名誉軽空母だな」

「異論は無いわ」

 

そしてまた死ぬ。

 

「……だ、そうや」

「物凄く納得がいきません」

 

そうやろうなあと龍驤が遠い目をした。

 

そしてしばし、考え込んでいた青い空母が口を開く。

 

「龍驤が朝潮型航空駆逐艦を自称しているのですから」

 

唐突な言葉に、ついつい龍驤が耳を傾ける。

 

「私が軽空母でも良いのではないでしょうか」

「いきなり何を言いだすか元戦艦」

 

艦載機搭載数に於いて並ぶ者の居ない一航戦の発言である。

 

何かベクトルが凄い方向を向いていた。

 

「戦艦と言いますがね、本陣の長門もこんな事を言っていたのですよ」

「うん、実はキミ酔っぱらってるやろ、物凄く」

 

冷静な指摘をスルーしつつ、澄ました顔で長門の声真似をする加賀。

 

―― もしも大発を乗せる事が出来たら、私も駆逐艦に成れるだろうか

 

「八八艦隊はそんなん馬ッ鹿かぁーッ」

 

快音を立ててハリセンが酔っ払いを床に沈めた。

 

聞き耳を立てていた死体も噴き出している、隼鷹などは痙攣していた。

 

「……あー」

 

気が付けば部屋の中は、まごう事無き死屍累々。

 

「何や、これ」

 

疲れた声色だけが夜に響いた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

川内も寝静まるほどの夜の底。

 

部屋に帰るついで、気が付けば埠頭の見える自販機にまで足を運んだ加賀が居る。

小銭を入れて水を買い、ついでと言うには距離が在りましたと苦笑する。

 

少しばかり酔いが残っていたらしい。

 

冥く、墨染めの海に月の懸かる空が在る。

 

「元戦艦、ですか」

 

酔いの最中の会話を糸口として、随分と懐かしい言葉を思い出す。

 

―― おい廃棄品

―― 何ですか失敗作

 

遥か昔の艦の時代、コイツとだけは仲良くなれないと思った憎たらしい同期。

 

―― ウチなあ、負けるのだけは嫌やねん

―― 気が合いますね、そこだけは

 

空を見上げれば、闇の中に月だけが浮かんで見える。

 

「覚えていますか、龍驤」

 

在りもしない、出来もしない軽口を、不思議と記憶に残る些細な会話の中、

 

果たされる事の無かった約束を。

 

言葉は呑み込まれ音は無く、夜に残る事は無い。

 


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