水上の地平線   作:しちご

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65 華麗なる黄昏

日・月・火・水・木・カレー・土

 

「誰よ、このカレンダー作ったの」

 

カレー曜と言われるからと言うわけではないが、駆逐艦組が自炊をしようと思い立ち

間宮厨房を借り切って昼カレーを作る話が纏まっては、有志が集まっていた。

 

壁に掛かったカレンダーを睨んでいた天津風の疑問に、工廠よと叢雲が答える。

 

言葉を投げる姿を見れば、伸ばした腕に左手を添えて、利根から借り受けたハリセンを

床に垂直へと構えては、代打一升瓶の風格を醸し出している。

 

そんな手の空いた2隻は炊飯の担当で、ルーの調達は他に任せている状態であった。

 

頃合いも良く、例によって例の如く、風林火山で言えば四文字とも風と書くような

一番手の島風が元気よく代物を取り出す、湯の湧きたった鍋の中から。

 

「レトルトカレーは、どう作っても美味いのだ」

「はい、やると思ったぁッ」

 

景気の良い音が間宮で鳴って、二番手の陽炎が肩を竦めて溜息を吐く。

 

「流石に自炊でレトルトパックは不味いわよ」

 

そして取り出したのは、小型の炉にかけられた銀色の円筒。

 

「耐久力を考えたら、缶詰よね」

「お前もかッ」

 

返すハリセンが陽炎を襲い、三番手の不知火が頭痛を抑える様な素振りを見せる。

 

「いや、真面目にやりましょうよふたりとも」

 

疲れた様な言い草に、これは期待が持てるかと思わせて、

艦娘と言う事は軍属なわけですからと、言い出したあたりで何か雲行きが怪しくなる。

 

卓の上に乗せられたのは、水蒸気に膨らんだビニール袋。

 

「自衛軍の戦闘糧食Ⅱ型です」

「どこから調達してきたのよッ」

 

すぱこんと、陽炎型全滅のお知らせが厨房に響いた。

 

予想を裏切る事無く、見事に三打席三打数三安打の叢雲である。

 

 

 

『65 華麗なる黄昏』

 

 

 

「カレー曜か」

「ああ、間に合ったんやな」

 

机の上で影を作りながら司令官が言うもんやから、深刻な顔色で答えてみた。

 

「そこの馬鹿ふたり、工廠と怪しげな符丁でやり取りするでない」

 

カレンダーを使った秘密のやり取りが利根にバレとるやとッ、いや別にかまんけど。

 

「おお、何と鮮やかな夕焼けやろうか」

「まだ昼前じゃ」

 

窓の外を見て誤魔化そうとするも失敗する。

 

「まあそれはそれとして、昼でも作るか」

 

そう言ってタッパを持って給湯室に向かえば、力技じゃのうと苦笑が在る。

 

何か手伝う事はと言うので、飲み物でも用意して貰おう。

 

「海軍だと、曜日感覚を得るために金曜がカレーなんだっけか」

「海軍ではなく海上自衛軍じゃな、まあ新人はよく土曜と勘違いするが」

 

今更な話が聞こえる、まあ民間出身やし機会が無かったんやろうな。

 

そんな背中の向こうで冷やした(チャイ)を配りながらの適当な会話に、何でまたと

疑問が在ったようなので、フライパンでタッパのカレーを溶かしながら捕捉を入れとく。

 

「休みの前日の昼がカレーやねん、週休二日の自衛軍は金曜、週休一日の旧海軍やと土曜やな」

 

金曜カレー自体は平成に入った頃、週休二日が採用された頃に生まれた新しい伝統やけど、

 

まあカレーは半端な食材処分とかで便利なメニューやし、栄養的にもええ感じやから

旧海軍でもしょっちゅう食っとったわけで、要するに違和感も無く受け入れ易い。

 

アレや、カレーかかっとると乗員が文句言わずに玄米食うようになるんや、めっさ便利。

 

ともあれ現在の海軍は、自衛軍に足並みを揃えて金曜昼がカレーになっとって、

おかげで新人の艦娘は、カレーが出ては土曜と勘違いするなんつー事例が続出しとる。

 

「金曜カレーに慣れた頃合いが、新人卒業と言う感じじゃな」

 

利根が話を締めた頃合いに、冷や飯を叩き込む、ついでに卵の白身も。

 

温まった所で3人前に丸く盛り付け、余った黄身を真ん中に乗せれば出来上がり。

 

「ほいな自由軒の名物カレー、っぽいカレー」

 

まあ出汁汁はトマトやし、土地柄故にチキンカレーがベースやから随分と違うやろうけど。

 

「ぽいカレー」

「ぽいカレーか」

 

よし、後日夕立に仕込もう。

 

「生卵乗ってると食堂のカレーって感じがするな」

「何となく贅沢な気がして良いのう」

 

何となく好評っぽい声色の感想を聞きつつ、適当にスプーンを動かして消費する。

うん、ウスターソースを掛けるんが良いんよな、美味いか不味いかやなくて、思い出深い。

 

「混ぜるカレーだな」

「そういえば昨今は、掛けと混ぜでどっちが正しいとか言いあっとるんじゃったか」

 

キノコタケノコ紛争の様な話題を利根が振って来るので、適当な受け答え。

 

「どっちがと言うもんでも無いやろ」

「まあ、話のネタじゃな」

 

「そもそも、何で混ぜてんだ」

 

ドライカレーの派生かとか、時期的に難しい予想を立ててきたので、少し考える。

 

ドライカレー発祥の記録と自由軒の創業、同じ年やねん。

 

「そやな、保温ジャーが一般的になったのは何時頃やと思う」

 

唐突な、角度の違う話題に虚を突かれた様な顔の司令官が、悩みながら答えを返した。

 

「昭和の辺りかな」

「昭和には違いないがな、西暦で60年代、完全に戦後や」

 

技術自体は様々な形式が考案されとったし、戦中にも保温機能付き野外炊具とか

陸軍さんあたりが作っとったが、結論から言えば使い勝手は悲惨の一言。

 

焦げるわ生炊きだわ感電するわ。

 

業務用に使用可能なレベルに達したのは戦後に成ってからで、保温機能付き炊飯器が

家電として売り出されたのが60年代と、そんな感じや。

 

「まあ、米を炊く時期を考えたり櫃に入れたりと色々工夫はしてんやけどな」

 

結局の所、戦前はどっかで米の飯を食うと言えば、高確率で冷や飯の事に成る。

 

つーても炊き立ては期待できんってぐらいで、カピカピとまでは言わんが。

 

「いや、安い所は結構酷かったじゃろ」

「想像もつかねえ」

 

「ウチの乗員の記憶には何も無いな」

「おぬれ航空機乗り(ブルジョア)めが」

 

いや、普通の乗員の記憶には在るけどなと思いつつ、口に出さずに馬鹿な受け答え。

 

それはともかく、戦前どころかカレーが伝わったのは明治、レシピを秘匿して独占していた

英国に対して、香辛料を組み合わせて国産カレー粉を作ったんも明治。

 

「やから丼とか、温かい汁を掛ける飯はそれだけで喜ばれたわけや」

「そういえば、歳くった乗員はカレーも西洋丼とか言うておったのう」

 

熱々の汁掛け飯、カレーが人気になった由縁のひとつだとか。

 

「ああ、だから火を加えながら混ぜ合わせたのか」

「そやな、そしてフライパンにぶち込んで混ぜたら熱々やないと考えたんが自由軒」

 

しかも当時高級品やった生卵をポンと乗せた、見るからに贅沢な西洋料理。

そのうえ高級品のウスターソースを掛けてもええと来た、自由に。

 

「生卵か、お大尽に成ったら腹いっぱい卵を食うとか真面目に言う奴が居ったわ」

「それでいてリーズナブルなお値段なら、そりゃあ馬鹿売れするっちゅう話やな」

 

「卵かあ、今からじゃ感覚を想像するのが難しいな」

 

戦後の増産で、誰でも腹いっぱい卵が食える様に成ったからな。

 

「そんな理由で混ざっとったわけや」

 

多少冷めても冷や飯よりはマシと言うタイプが、家でもルーと米を混ぜたわけで

保温ジャーが一般化して、炊飯器の性能も上がった現代では意味が薄くなったとな。

 

「話を戻すと、どっちが正しい言われてもな」

 

混ぜ込んで食べる工夫も、正統派と言うほど主流になったわけでもないしなあ。

 

「強いて言えばアレかの、ルーを別の器に入れるやり方かの」

 

「ああ、何かそれだけで本格派って感じがするわ」

「ソースポットな」

 

あの、一度使ったら満足して棚に仕舞い込まれる事に定評が有る魔法のランプ。

 

「そうすると、混ぜ込み派の利点が失われた分、掛ける派が一歩リードって感じやな」

「中村屋の純印度式カリーとか、憧れの洋食じゃったな」

 

アレはランプでなく陶器の器じゃったがのと、利根が思い出して笑う。

 

何やっけ、日本人が英国式のカレーばっか作ってたら、粉っぽい、辛いだけ、胸焼けがする

バターぐらい使え、安っぽさにも程が在る、この黄色い汚水をカレーと呼ぶな迷惑だと

 

本気ギレした独立派の印度人留学生が、中村屋にレシピ提供したカレーやっけ。

 

高級カレーのみならず、現在の日本式カレールーの源流に成ったんよな。

 

「名前は聞くが、食った事は無かったな」

「ふむ、食べに行くにしても、流石に日本は遠すぎじゃしのう」

 

「何なら補給のついでに、通販でも頼んどくか」

 

便利な時代に成ったもんや。

 

その手が在ったかと喜色を零す利根の向こう、真面目な表情の司令官が言ってくる。

 

「魔法のランプも忘れずにな」

「一度使って二度と使われない未来が見えるで」

 

形から入るヒトやなあ、いや気持ちはわかるんやけど。

 

まあ何かの機会に使う事も在るやろうし、複数個注文しても損は無いかねと思う中、

珍しく晴れた昼の風が、部屋の中の香辛料の薫りを軽く揺らした。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

炊きあがった米の横、糧食シリーズのルーを悪魔合体させている陽炎隊の横で

見てられないっぽいと鍋を持ち寄って来たのは、夕立。

 

手頃な大きさの鍋の中からは少し強め、やや南国風のスパイシーな香りが漂っていた。

 

見るからに柔らかそうに煮込まれた鶏肉に、島風と叢雲が戦慄する。

 

「ま、まともだ」

「しかも本格的なチキンカレーね」

 

勝者の風格を漂わせた金髪の秘書艦が、辺りを見回してから威風堂々と宣言した。

 

「龍驤ちゃんの部屋からパクってきた」

「後が怖いわよッ」

 

即座の快音が鳴り響く。

 

陽炎型3隻は、信じていたわ夕立とばかりに満面の笑顔であった。

 

「何やってんの夕立」

 

呆れた様な声色の時雨が、新たな鍋を卓の上に置く。

 

じゃが芋、人参、玉葱、牛肉、香辛料の中に何処か優しい雰囲気のある日本式のカレー。

 

「で、何処から持ってきた」

 

鍋の中の不自然なほどに高いクオリティに、もう何も信じない風情の叢雲が問い掛けた。

 

「鳳翔さんの厨房から調達してきたよ」

「何、白露型は自殺願望でもあるの」

 

真顔の叢雲が時雨の肩を掴んでガクガクと揺さぶれば、虚ろな目で

皆不幸に成ればよいと、幸運艦にあるまじき発言を零す轟沈丸船柱様担当。

 

そんな慌ただしい呪いの現場に、厨房の奥から鍋を抱えた霞が近寄って来る。

 

おお、何か見るからにまともだとテンションの上がる島風に、

何処かバツの悪い雰囲気を醸し出す朝潮型の10番艦。

 

「ああ、うん、大淀が手伝ってくれたんだけど……」

「その浮かない顔はもしかして、後ろの巡洋艦のせいかしら」

 

嵐の前の静けさを感じ取った次席秘書艦が、悪寒に耐えながら問い掛けた。

 

見れば霞の後ろで影の如く立つ眼鏡に、張り付いたような笑顔が付属している。

 

「実は、豚肉を調達したのは良いのですが、在庫に残ると面倒なんですよね」

 

零れ落ちた、胡散臭いほどに優しい声色に一同の背筋が泡立った。

 

そして、声に引かれるように厨房の奥から姿を見せる、金属角バットを担いだ重巡洋艦。

足柄が肩に担ぎ上げているバットの中身は、塔の如く、鮮やかな狐色に揚げられた豚の肉。

 

「ノルマは1隻あたり5枚ぐらいかしら、食べるわよね、それぐらい」

 

その日、絹を裂くよな乙女の悲鳴が提督執務室にまで届いたが、華麗にスルーされたらしい。

 

遠征組であった六駆、対潜哨戒に出ていた残り組が帰投して間宮を訪れた頃には、

床の上に鮪の如くと放置された、やたらと油ギッシュな死屍累々であったと言う。

 


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