水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 間

あきつ丸は目を覚ました。

 

まず視界に入って来た物は無機質の白であり、飾り気のない天井。

清潔感の溢れるシーツの向こうに、微かな動きを見せる無地のカーテン。

 

窓が開いている。

 

何某かの医療施設かと見当をつけては、息を吐いた。

 

いまだ回らぬ頭で思い返せば、フィリピンよりの帰還航路。

 

絶対防衛圏の内側に在ると言う油断が、反応を遅らせたと。

 

そして、浸透していた敵勢力の艦隊、その先頭に立っていた一隻の戦艦が思考に浮かぶ。

 

白蝋の肌、白銀の髪、あからさまな深海の特徴を有し、他よりも一回り小柄なそれは

怨念に塗れた艦隊を率いてなお、戦場に似つかわしくない無邪気な笑みを浮かべていた。

 

―― 戦艦レ級

 

さながら、ヒトを小馬鹿にした様な。

 

「死にそびれましたか」

 

くつくつと哂う姿は、とてもではないが真っ当とは言い難かった。

 

 

 

『邯鄲の夢 間』

 

 

 

「憲兵の方のあきつ丸が目を覚ましたそうです」

 

横須賀鎮守府本陣、第1提督室に大淀の報告の声が響いた。

 

「戦艦レ級の奇襲により、船団護衛の艦隊は壊滅との事でした」

 

フィリピン沖奇襲、大規模作戦準備中の昨今、突然に日比航路の中ほどで行われたそれは

横須賀鎮守府よりの船団護衛艦隊、及び同行していたあきつ丸小隊が被害を受けた。

 

いまだ情報が錯綜する中、身体の4割を交換するほどの重症であったあきつ丸より

聞き取り作成された調書を、早速に本陣第一提督へと報告している。

 

淡々と事実のみを連ねた報告が続く中、終に未解決事項を言の葉に乗せた。

 

「MIA ―― ポーラの轟沈は確認されていませんが」

 

件の艦隊の生存艦は最寄りの泊地に救助され、既に幾日かが経過している。

捜索は続けられているが何の音沙汰も無い以上、生存は絶望的と見られていた。

 

「それと、ブルネイ鎮守府群の艦娘の検査記録を強奪されたと」

 

最後に付け足すように語られた内容に、提督の眉根が少しだけ歪む。

 

「以前も在ったな、こういう事が」

「南方の敗戦の時ですね」

 

会話の重なる内に、記録に残る、黒暗淵よりも昏い深海が互いの脳裏に思い浮かぶ。

 

散発的な奇襲、収集される情報、およそ深海が作戦行動を取るなどと言う事例を

誰も想像していなかった時代に、状況を軽視したツケを払わされた南方撤退戦。

 

そんなブルネイ鎮守府群再編のきっかけでもある、南方艦隊軍消滅の絵図を描いた鬼。

 

「離島棲鬼、が居るのか」

 

質量を増した空気の中に注がれた言葉に、大淀が軽く気付いたような仕草を見せる。

 

調書の中、レ級とあきつ丸の会話の中に、奇襲を命令した何者かを示唆する言葉が在ったと。

 

「ヒマ・サマ、と呼んでいたとか」

 

唐突な言葉に、虚を突かれた様な色合いの返答が有る。

 

「奴らに、個人名が在ったのか」

「深海棲艦とも限りませんね」

 

hima-sama、音の響きからは東南アジアの気風が見えない事も無い。

 

「何語なんだろうな」

 

そもそもに東南アジアは複数の語族が入り乱れる地域である。

単語一つでは、何もわからないと言う事がわかるだけであった。

 

「暇なんじゃないですか」

「お前も冗談を言うんだな」

 

乾いた笑いが、部屋の空気を僅かに軽くした。

 

 

 

横須賀鎮守府の埠頭の辺りを、てくてくと歩く超弩級戦艦が居る。

 

「えーとな、大和さん、何でウチは抱えられとんのかな」

 

ティディベアの如くに抱きかかえられて居るのは、4番提督室秘書艦の龍驤。

 

「うーん、やっぱり龍驤様とは抱き心地が違いますね」

「そんな俎板ソムリエ的な発言は欲しい無かった」

 

九一式鉄甲乳に後頭部を圧迫された状態で、遠い目をした全通甲板が嘆息する。

 

「何かこう、龍驤様は引っ付いてないと何処かに行っちゃいそうなんですよ」

「はっはっは、つまりウチには関係無いやんけコンチクショウ」

 

龍驤のメンタルが乳圧に削られているのか、多少普段よりも受け答えが殺伐としていた。

 

「良いじゃないですか、龍驤さんと私は一緒に金剛さんの暴走を食い止める仲でしょう」

「いや、ちょい前までキミもアッチ側やったからね、つーかウチ所属室ちゃうからね」

 

所属は違えど、過去に金剛スタンピートを彩雲で把握して大和に伝える事がしばしば。

 

セクハラ被害で胃潰瘍を患った第2提督の、油物を身体が受け付けないと言う切実かつ

哀しい響きの言葉に、ついつい同情してしまったのが彼女の運の尽きである。

 

そんな龍驤に、聞ーこえませーん、などと可愛く我が侭放題を押し通す大和。

 

一年前に比べれば、随分と仲の良くなった2隻であった。

 

そんな和やかな、抱えられた側からは何処か世界を呪い始める様なやさぐれた空気が

いくらか醸し出されていたが、平均を取れば和やかと言えなくも無い空気に近寄る影。

 

「あ、あの、憲兵の揚陸艦の方の聞き取りが終わったと聞いたのですが」

 

声を掛けて来た姿は、波打つ金髪に豊満な肉体、そして側面を露出させた制服。

異国の風を感じさせるやや高めの頭身の割に、どこか幼さを残す容貌を持つ。

 

ザラ級重巡洋艦一番艦、ザラ。

 

「終わったんですか」

「今、大淀さんが報告に行っとるわ」

 

横須賀において憲兵隊、あきつ丸小隊に縁が深い提督室と言えば第4になる。

今回の調書を纏めたのは第4提督室であり、秘書艦の龍驤であった。

 

「それで、ポーラについて何かわかった事はッ」

 

イタリア製重巡の切羽詰まった物言いに、何とも決まり悪い表情の無言が返る。

 

「そう、ですか……」

 

日比航路船団護衛任務、戦艦レ級艦隊の襲撃により作戦行動中行方不明(MIA)

ザラ級重巡洋艦三番艦、ポーラは杳として消息が知れない。

 

「あー、捜索はまだ続けるし、何ぞ進展があったら真っ先に知らせるから」

「あ、はい…… お願いします」

 

肩を落とし、明らかに気落ちした様相で立ち去る長姉の姿を見て、龍驤が呟いた。

 

「ブルネイのウチなら、上手い事言いくるめるんかね」

「龍驤さんの、そういう地に足の着いた所、嫌いじゃないですよ」

 

何処か黄昏た空気へと吹き付ける潮風に、雨の薫りが混ざっていた。

 

 

 

ブルネイ沿岸、泊地から徒歩圏内のセリアの砂浜を、龍驤と隼鷹が歩む。

 

砂が混じり輝度の低いブルネイの海に、スコールの気配を乗せた潮風が吹いていた。

 

「まーたえべっさんかいな、面倒いなあ」

「いやまあ、怨霊化してもややこしいし、諦めるとこなんだろうね」

 

近海の漁師から土座衛門が揚がったと聞いて、浄化に赴いている陰陽系2隻である。

 

普段なら土着の呪い師なり聖職者なりの仕事なのだが、現場が泊地の近海であったため、

いろいろと手間を省いた結果陰陽系艦娘に話が回って来たという経緯。

 

かくして現場にガスでも溜まって膨らんでいるかと覚悟して見れば、そうでもない。

 

やや癖のあるプラチナブロンドが、白く、艶めかしい肢体を持ち、打ち上げられている。

髪だの背中だのに海星やワカメなどが絡みついているあたり、ヒト違いでも無さそうだ。

 

「艦娘やな」

「艤装の破片を見るに、イタリアっぽいな」

 

良く見れば豊満な胸が上下しており、息が在るのが見て取れる。

 

その手に抱えているのは、明らかに酒瓶。

 

「……酔っぱらって寝とるだけちゃうか」

「何かこう、我、終生の友を見付けたりって感じがするぜ」

 

天啓に打たれたが如き隼鷹の言葉を、龍驤が一言で切って捨てる。

 

「つまり、ろくでなしっちゅう事やな」

 

身も蓋も無く。

 

「最近龍驤サンの発言がセメントなんですけどッ」

「知らんかったんか、巨乳に人権は無いんや」

 

重ねて曰く、酔っ払いはさらに倍率ドンである。

 

飄々と酷い会話を重ねるうち、舶来の艦娘が目を覚ましては倒れたままに口を開く。

衰弱をしているのか、弱々しい声で困惑を漏らし、問い掛けるのは現在の場所。

 

取り戻した意識を離させまいと、切羽詰まった様相で龍驤が声を掛けた。

 

「ココはブルネイや、ちなみに飲酒が法律で禁じられとる国やッ」

 

途端、ふぐおと、乙女にあるまじき呻き声を挙げて力尽きる重巡洋艦。

 

「……残念や、手は尽くしたんやが」

「いや龍驤サン、今あきらかにトドメを刺しにいってたよな」

 

極めてわざとらしいほどの厳かな言葉に、隼鷹が騒ぐ。

 

「まあええわ、裸体やとムスリムの顰蹙買いまくりや、簀巻くで」

「漂着者に対する対応が一航戦基準なのはどうかと思うよ」

 

誰のせいなのか、すっかり発想と行動が暴力的に成った同僚の言動に天を仰ぐ改装空母。

 

「どっちか言うと、飲酒母艦組基準やな」

「スコールが来そうだ、急ごうかね」

 

数割ほど自分のせいだと気が付いて、途端に話題を変える隼鷹であった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

マーシャル諸島に数多くある小島の内ひとつ、人の住まない其処にソレは在る。

 

水場より引かれた水道、石積みで補強された朽ちかけた廃屋、乱雑な土模様の菜園。

 

しかし、見れば建材の隙間は粘土で埋め潰され、隣接した小屋との隙間にはガソリン式の発電機。

少し離れた場所には森林が乱雑に切り払われ、様々な形式のソーラーパネルが設置されている。

 

小屋から出てきた黒髪の長身が、エアコンの効いた廃屋の中の主に声を掛けた。

 

「離島ヨ ―― 果実酒ノ在庫ガ見当タラナイノダガ」

「何カ、コナイダノ癖毛ノ重巡ガ根コソギカッパラッテイッタ」

 

室内で氷入りの麦茶を飲んでいた離島棲姫の言葉に、戦艦棲姫が固まる。

 

何時の間にか漂着していたプラチナブロンドの重巡と、

備蓄資材を巡り壮絶なゲリラ戦を繰り広げた記憶も新しい。

 

「オノレ、忌々シイ艦娘ドモメッ」

 

怒髪、天を衝くとばかりに吹きあがる赤いオーラが、戦艦の怒りを端的に表していた。

 

そんな有様に我関せずと芋餅を齧っていた離島棲姫に、新たに訪れた深海棲艦が声を掛ける。

 

「暇様ー、今帰ッタゼー」

「暇様言ウナッ」

 

薄着に軽くローブを纏った小柄な体躯、首元のマフラーが南国には些か似合っていない。

書類の束を掲げ、どこか面白がるような表情の棲艦、レ級であった。

 

「ソノ目ハ、ドウシタンダ」

 

戦艦棲姫の言葉に見ればレ級の顔面、左目を通る形で一本の筋と成った刀傷が在る。

 

「黒尽クメノ揚陸艦ニヤラレタンダ」

 

書類束を渡した後、傷跡をなぞる様に指を這わせ、愉しそうな声でそう答えた。

 

「治サナイノカ」

「残シトクヨ、眼球ハ治スケド」

 

軽い声色を重ねながら、勝手知ったる他人の家とばかりに冷蔵庫を開け

冷やされている麦茶をコップに注ぐレ級。

 

琥珀色に口を付けた頃合いに、離島棲姫の溜め息が響いた。

 

「飲ンダラ駄目ダッタカ?」

「ソウジャナイ」

 

少しばかり決まりの悪い色合いの問いに、書類束を振りながら家主が答える。

 

「件ノ龍驤、ソノ周辺ノ艦娘ノデータガ抜カレテイル」

 

聞いた2隻が内容を理解するまでの幾らか、静寂が室内を満たした。

 

「マサカ、奇襲ハ成立シテイタハズダ」

 

行動が読まれていたと、戦艦棲姫の声には隠しきれない驚愕の色が在る。

 

「帰ッテコレタノハ、私ダケダッタ」

 

奇襲艦隊を率いた旗艦が静かな声色で呟いた。

 

「餌カ、餌ダッタノカ」

 

かり、かりと、目の下の傷口を抉るかの如くに指で掻き毟る。

 

一言、一言を重ねる度に、何某かの感情を上乗せさせる様に、言葉が重くなる。

 

今回もまた、ヤツに食いつぶされる所だったのかと。

 

「魔女ト言ワレルダケハアルネ、ヤッテクレル」

 

一息、嘆息を入れて軽く零した言葉は、既に軽い物に成っていた。

 

「ジャア、今回ノ戦利品ハ無駄ダッタッテ事カ」

 

レ級の、天を仰いで放たれた言葉を、離島が静かに捕捉する。

 

「使エナイ事モ無い、古姫ノ方ニ回シテヤレ、全部」

 

資材も含めてと、そんな指示を横で聞いていた戦艦棲姫が言葉を挟む。

 

「大盤振ル舞イダナ、良イノカ」

 

仕方が無いと、指示者は何の気負いも無い風情で言葉を紡いだ。

 

―― 駆逐古姫ニハ、最後マデ踊ッテモラワナイト困ル

 

既に切り捨てている前提の、その言葉が室内の温度が下げた。

 


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