水上の地平線   作:しちご

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62 鶏を廻る三景

白々とした玻璃の灯火も中空に消え、染め変わる海原と頂に紫、大地の其処に朝。

 

明けたばかりの動き始めた間宮の客席、珈琲の一杯でもと寄り付いた5番泊地提督の

視界に入って来たのは、死体かと見紛うばかりに覇気の無い、4隻の駆逐艦の姿であった。

 

主に哨戒に使いまわされる陽炎隊、構成員は陽炎に不知火と天津風、島風である。

 

「え、ええと、朝食か」

 

異様な雰囲気に圧迫される気配を滲ませた声で、提督が軽く声を掛けた。

 

「夜戦明けー」

「夜食よ」

 

電池の切れた様な島風の言葉に、目が死んでいる天津風が繋げる。

 

「食べたら寝ます」

「カロリーが、カロリーが足りないのよ」

 

瞬きもせず機械の様に食事を口に運ぶ動作を繰り返していた不知火が声を出せば、

軽く魂を吐きながら、へたれた気配を滲ませた声色で陽炎が嘆く。

 

陰々滅々とした無味乾燥の空気を漂わせながら、誰へともない呪いの如き返答の中

見れば食卓には米と鶏、そして幾つかのソースが混ぜ合わせられたそれなりの食事。

 

「チキンライスだよ」

「店が開いてないからって、ホテルの厨房が好意で売ってくれたわ」

 

空きっ腹を抱えて港湾を彷徨ついていた集団は、少なくとも同情を買えたらしい。

 

ナシカトックがせいぜいだと思っていたから幸運でした、などと不知火がコメントを

入れる頃には、こういう好意は受け取って良いのだろうかと悩む提督の姿が在った。

 

 

 

『62 鶏を廻る三景』

 

 

 

貰たわけでもないからええんやないのと、執務室でボヤいていた司令官に返答をする。

 

そんなもんかねえと納得いかない風情やったから、常態化せん様に一言あっても良いかと

適当な折衷案を投げ渡しつつ、本陣へ回す幾つかの許可申請に判を押す。

 

「予想通りやけど、やっぱ衛星回線は本陣までしか通らんか」

「まあ陸路でラインを引けるだけ、5番泊地(ウチ)はラッキーな方ネ」

 

ああでもないこうでもないと、司令官と金剛さん、1名と2隻で雑事を片付けている内、

気が付けば随分と日も傾いた頃合い、夕食前に軽く一息と言う話に。

 

やがて巷の安い葉とは違う、輸入物の紅茶の香りが室内に立ち込める。

 

「そういやさっきの話にも少しかかるんだけどさ」

 

紅茶で軽く口を湿らせてから曰く、チキンライスと言う物が気になったとか。

 

「米の上に鶏の切り身が乗って、ソースが掛かっていたんだが」

「チッケンライスとは、そういう物では無いのデスカ?」

 

不可解な物を見た顔の司令官に、小首をかしげる金剛さん、うん面倒臭い。

 

「司令官が言っとんのは海南鶏飯(ハイナンジーファン)やな、金剛さんのは洋食屋のチキンライス」

 

海南鶏飯は、海南島から移住してきた華僑の広めたシンガポール料理や。

 

鶏出汁のスープで炊いた米の上に蒸し鶏の切り身を置いて、4種のソースを掛けて混ぜて食べる。

わかり易い内容が受けたのか、東南アジアの中華料理屋では何処でも売っとる人気商品やな。

 

「米に味が付いとるから、肉が無くてもソースだけで食えるのも特徴か」

「あー、何か島風がそんな事言ってたわ」

 

チッケンライスは元祖の洋食で、鶏出汁の洋風スープで炊いた米に、煮込んだ鶏肉を乗せる。

 

「見た目はあまり変わらんけど、洋食と中華やから随分と味の趣は変わるわ」

 

「別物だったデスカー」

「あー、えーとだな」

 

何処か残念そうな金剛さんの後に、何かまだ疑問の残っていそうな歯切れ悪い声。

 

「赤くないんだな」

 

東南アジアに日本の洋食が在るかいな、と言いながらスナップの効いた手の甲が提督に刺さった。

 

いやぶっちゃけ、日本食の店結構在るから探せば在るんやろうけどな。

 

「ああケチャップイン、榛名が以前作ってマシタ」

「意外にハイカラやな榛名、つーかケチャップ入りチキンライスの事やったか」

 

ツッコミ乱舞の横で呑気な声を出した金剛さんに、何となく毒気が抜かれて応えてしまう。

 

「ああいや、知ってる名前と現物が随分とかけ離れていたんでな、ついつい」

 

苦笑交じりの声色に、さてどう纏めたもんかと軽く悩んだ。

 

「明治の末にカゴメがケチャップを売り出してな、鎌倉ハムと手を組んで ――」

 

洋食屋の味をご家庭でと言いながら、ケチャップ入りチキンライスのレシピをばら撒きまくった。

具体的には、売り出したチキンライスの素にシレッとケチャップが入っていたりとか。

 

「かくてケチャップ入りチキンライスがご家庭に普及し、主流になったわけや」

 

「き、企業努力と言うか」

「物珍しさの裏に熾烈なサバイバルが在ったのデスネ」

 

まあそんなわけで、老舗の洋食屋やとたまにケチャップ使って無いチキンライスが出る。

オムライスの中身とかでもそうやな、ケチャップの在る無しは元々そんな経緯や。

 

とはいえ最近は、意識高い店とかもケチャップ抜きを出したりするから境界が曖昧か。

 

「しかし、何だかんだで詳しいなふたりとも」

「洋食屋関係は、チンドン屋がよく宣伝してましたカラネー」

 

楽団も良い娯楽であったが、口上師の方が好きだったと語る大正元年生まれ。

 

「東西東西、お披露目致すは丸々屋、正統洋食チッケンライスって感じデスカ」

 

微妙に内容が寂しかったので、口上を軽く引き継いで謳い上げる。

 

「君知るや、ブイヨンの薫り芳しく、君知るや、舌下に溢るる肉汁の旨味」

 

適当に料理の内容をそれっぽく褒め称え、あまりの大仰さで笑いを取って行く感じ。

気が付けば何か提督と金剛さんが食欲に汚染された目つきになっとる、ヤバイ。

 

「嗚呼母よ許し給え、チッケンライスに抗い難しってとこか」

「そんな感じデスネー」

 

慌てて切り上げると、うんうんと頷きながら納得している風情の高速戦艦。

 

「何かタダで聞けて得した気分だな」

 

お経か何かと間違えとんのやないかと言いたくなる感想やったが、一応はウケたんかと

何となく無い胸を撫で下ろしとったら、機を見てテンションの上がった金剛さんが言う。

 

「この調子で楽団ネタもレディゴーねッ」

「ごめん、ウチ昭和生まれやから口上師のチンドン屋しか知らん」

 

いやな、大規模な楽隊を組んで練り歩いとったんは明治末期までやからなと。

以降は楽士が一人で複数の楽器を背負って、数人組の小規模な方向に成って行ったとか。

 

そんな歴史的事実に、アウチと言いながらメンタル大破して吹っ飛んでいく艦娘最古参。

 

うん、何かノルマクリアした気分で実に清々しい午後やった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

深夜、川内も鎮まる程に深い夜の底。

 

空母寮の廊下窓から、静かに海面を見続ける艦娘が居る。

 

「眠れないのですか」

 

掛けられた声に振り向くのは、表情と言う物を何処かに落として来たかの如き赤城。

言葉はその背後の扉の隙間、鳳翔の部屋からのものであった。

 

「加賀さんは、よく眠れる様になったみたいです」

 

返答にも成っていない曖昧な言葉を返す。

 

「お夜食在りますよ」

 

扉の向こうからは苦笑交じりの声。

 

「いただきます」

 

少しだけ、柔らかな響きが赤城の声に混ざった。

 

やがて部屋に明かりが灯り、三角に握った鶏肉混じりのお結びが並べられる。

 

「炊き込みご飯かと思ったら、洋風ですね」

「夜に提督と金剛さんが、チキンライスが食べたいと言い出しまして」

 

何かこう、断れない異様な圧力が在ったと引き攣った顔で語った。

 

「それで、余った具材を見ている内にふと思い出しまして」

 

かつては教会のチャリティーで、貧しい子供のためにチキンライスを配っていたなと。

 

「ああ、だから一切合切が炊き込みなんですね」

「ええ、配り易い様にお結びにしますので」

 

もそもそと食材が消えて行き、軽めに茶を啜りながら言葉が零れ落ちた。

 

「私は、子供ですか」

 

特に何の返答も無い静寂の中、堰を切ったように溢れる物が在る。

 

「私の中に何かが居て、何か大事な事を言っている気がするのです」

 

零れ続ける言葉は、だけど、と続ける。

 

「何を言っているのか、わからないんです」

 

焦燥か、慟哭か、平時には決して見る事の出来ない感情が赤城の顔に浮かぶ。

 

ともすれば泣きそうと形容できるそれを、そっと包む込む様に抱き留める小柄な身体。

 

静かな夜の底に、電灯の影だけが伸びている。

 

「眠れるまで、傍に居てくれませんか」

 

幾らかの後に明かりが消える頃には、泊地を包むのは夜の静寂だけ。

 


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