水上の地平線   作:しちご

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60 祝賀と贖罪

歴史の陰に隠れ、いつのまにか名を忘れられた機械化部隊が在った。

 

マレー半島に於いて、かのドイツの電撃戦を容易く凌駕する侵攻速度を保ち、

現地で防衛を担っていたダグラス・マッカーサーに敗北の2文字を刻み付け、

 

クアラルンプール突入に於いては、英国に海軍史上最も驚嘆すべき失敗と嘆かせた。

 

―― 俺達は様々な装備でクリスマスツリーみたいな悲惨な有様で逃走していたのに

 

当時の、敗走する英国兵のコメントが残されている。

 

―― 奴らは、フットボールの試合にでも行くかの如く和気藹々と追ってきやがった

 

全身全霊で泣きが入った一瞬だった、心が折れた瞬間だったと。

 

それは比類無き成果、驚くほどに抑えられたコスト、様々な状況に対応する万能性、

韋駄天の如き行軍の中、日に2度の遭遇戦を潜り抜け、猶も進軍する猛者の中の猛者。

 

些細な思い付きが生み出した戦場の奇跡とも言うべき、伝説の精鋭部隊。

 

名を ―― 日の丸銀輪部隊と言う。

 

徴発したママチャリに乗ったイカす歩兵である。

 

英国兵が泣きたくなるのも仕方の無いビジュアルであった。

 

それとは別に関係無いのだが、5番泊地銀輪部隊は今日も元気にママチャリを漕いでいる。

 

芋ジャージを纏い帽子を被り、単縦陣で前進する6隻の艦娘。

 

本日はセリアで良く見かける水雷買い出し戦隊ではなく、正規空母の6隻編成。

ハリラヤ食い倒れ艦隊、一、二、五航戦の勇士達であった。

 

「よし、次は日本大使館に寄って見ましょう」

 

華やかに切り分けられたマンゴーを齧りながら先頭の赤城が宣言すれば、

 

「大使館のオープンハウスは子供優先ですよッ」

 

巻き添えを食って連れ出された翔鶴が慌ててツッコミを入れる。

 

オープンハウス(いいから食ってけ)が乱立するこの時期、日本大使館は孤児や事情の在る家庭のために

毎年お菓子を配るイベントを開催している、当然ながら子供優先である。

 

「後ろに並べと多門丸が言っている、気がする」

「きっと大丈夫だよッ」

 

赤城よりも燃費が良いはずの二航戦組も肯定的な意見を述べた理由は、

 

「お菓子ですか、気分が高揚しますね」

 

つまるところ、加賀の発言に終始している。

 

「……駄目だ、このヒト達」

 

そして、諦観の滲み出る瑞鶴が天を仰いだ。

 

一応艦娘なので、大使館では来訪が喜ばれたと言う。

 

それでも後に、全艦が簀巻かれた事は言うまでもない。

 

 

 

『60 祝賀と贖罪』

 

 

 

やや硬めに炊いた日本米で、硬くなり過ぎないように気を付けてお結びを握っとる。

 

イスラム歴9月(ラマダーン)の終わるこの時期、イスラム教圏では断食明けの祝祭が開かれる。

断食の終わりの祝宴(イード・アル・フィトル)、マレー語の席巻するブルネイではハリラヤ・プアサと呼ばれとる。

 

盆や正月の様に帰省などで家族が集まる縁日をハリラヤと言い、プアサは断食の意味や。

 

だいたい3日ぐらい行われるその祭典は、地域によってかなり内容が変わる。

 

ブルネイでは、まず早朝にハリラヤの祈りに参加し、祝うと共に一年の罪過の許しを請う。

 

そして帰宅しては食事を大量に用意して、人を招くオープンハウスと言う祝い方をしとり、

礼儀として招かれた者は、その家の料理に手を付けるまで帰ったらあかんとか。

 

個人だけでなく、様々な公共の場でもオープンハウスが行われ、一般に開放されとる。

 

この日は王宮も一般開放され、王族への祝賀客は毎年10万人が姿を連ねると言う。

そしてテラスに用意された食事をとり、ケーキなどのお土産を貰って帰る。

 

太っ腹な事に、非ムスリムも外国人も一切の区別無く持て成してくれる。

 

まあつまり、そうなると非ムスリムの海軍泊地もスルーできるはずが無いわけで。

 

せっかくだからとハラール認証を受けた屋台と素材を用意して、泊地の陸側出入り口付近で

朝も早よから間宮伊良湖に鳳翔さんと一緒に、延々とお結びを握る事態。

 

ちなみに認証は日本でやって貰った、つーか単冠湾産のハラールサーモンって。

 

認証のために単冠湾まで鮭の血抜きに行ったんか、信仰って凄まじいな。

 

横を見れば、屋台の隅っこで米国産ホルスタインがレモネードを豪快に捌きあげ、

手前でグラ子が酸味のある肉の切り身を軽快に配っとる、ええアクセントになっとるな。

 

ザウアーブラーテンか、長めにマリネした肉の蒸し煮や。

 

さて、それはともかくお結びや。

 

お客さんがオニギーリとかスシとか言うとるけど、お結びや、三角やし。

 

そんな事を考えながら、曲げた指の第二関節でちょいちょいっと角を整え、1個あがりと。

 

ハラールサーモンの切り身を横に添えて、海苔で巻いて固定すれば見物していた集団から

スシボールとか理解できるけどしたくない声が上がる、お結びやってコレ。

 

陰陽系として、そこだけは譲ったらあかん気がすんねん。

 

「三角のがお結びで、他の形がお握りだったか」

 

新しく炊きあがった釜を持ってきた提督がそんな事を言ってきたので、

見分け方に関しては、まあそれで間違ってはないわなと答える。

 

「諸説あるけど、神前の供え物として作られたんがお結び、携帯食がお握りやね」

 

握り飯自体は弥生時代から存在しとるけど、現在のお握りの直接のルーツは平安時代

中国から伝わって来た干し飯などの携帯食、所謂頓食の一種やと言われとる。

 

宴席で用意したり、下働きに下賜したりした子供の頭ほどの握り飯だとか。

 

対してお結びは、もともと神に捧げる奉納物やった。

 

「三角の形は天津神と国津神、捧げる人を意味して、三者の縁を結ぶからお結び言うねん」

 

まあいつごろから三角になったのかとか、細かい所は歴史の闇に消えてしもうたが。

 

「もしくは神格である山を模した形だとか、本当の所はわからへん」

 

コンビニで三角のお握りが売られとる昨今、もはや意味の無い区別なんかもな。

 

「そういや餓鬼の頃、葬儀の席は俵型のお握りで、三角は駄目とか言われたな」

 

アレか、やっぱ罰当たりだからかと聞いてこられても、ちょっち困る。

 

「そこらへんは地域に因るなあ」

 

三角では駄目と言う地域も在れば、正反対に三角でないとあかん言う地域も在る。

 

罰当たりだから、死者や穢れと縁を結ぶから、捧げ物だから、冥福を祈るため、

理由もこれまた地域に因って千差万別、とてもではないがフォーマルは確立できん。

 

「ややこしいなあ」

「良い加減やろ」

 

面倒だからと言って一種に統一されてしまうんも、怖い様な気がせん事も無い。

 

三角を量産しながらそんな事を話して居れば、アイオワが氷を取りに行くと言う。

流石に唯一の飲み物担当、巨乳、だけあって随分と消費が早いわなと言えば。

 

「ステイツと比べると、ちょっと人気が無いわね」

「レモネード売りのメッカと比べんな」

 

人手と言う事で提督が拉致されていき、黙々と握っているとグラ子が来る。

 

「龍驤、肉が切れた」

「ハラール醤油あるさかい、お結びでも焼いとれ」

 

握り置きのお結びケージを、ヨッコラセーとか妙に日本風な掛け声で持ち上げる白。

誰やグラ子に阿呆な事仕込んだんわ、たぶん隼鷹、今月7回目。

 

減った分を補充せんとなと、新しい米を引き寄せながら周囲を伺えば、

間宮伊良湖と鳳翔さんが、笑顔でお結びを配っとるのが見える。

 

…………

 

間宮伊良湖と鳳翔さんが、笑顔でお結びを配っとるのが見える。

 

ちょっち待てや。

 

「気が付けば、お結び握っとるんがウチだけなんやけど」

 

恨みがましい声色に、売り子が冷や汗を流して固まった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

薄闇も空に掛かる頃、首都バンダルスリブガワン、ブルネイ第一鎮守府本陣の喫茶室にて

二つ括りにした淡い色合いと、前髪を切りそろえた2隻の駆逐艦が居る。

 

天津風と初風が、早めの夕食を終わらせて四角いバターケーキを突いていた。

 

日本国内では見ないほど贅沢に使われたバターの香りに、アーモンドが散らされている。

横に多少減った状態で並んでいるのは、クッキーなどを主体とした焼き菓子。

 

空いた時間に公開された王宮を訪れた2隻が、貰ってきた土産の菓子であった。

 

「そういえば、フィリピンの方に時津風が着任したそうよ」

「うぇ、聞いてないわ」

 

夜間哨戒前の空き時間に、カロリーを取りつつ駄弁っている互いであった。

 

流石に菓子が甘いだけあって、付け合わせの安い紅茶にはあまり糖分を含めていない。

 

「どうせ天津風は龍驤以外眼中に無いから、言わなくて良いって言ってたわね」

 

薄情な伝え聞きに、天津風が机に突っ伏し、何よそれーと小さく呻いた。

 

「自分も雪風雪風ってやかましいくせにー」

 

仲が良いのだか何なんだかと、苦笑しながら初風が言葉を積んだ。

 

「姉妹ねえ、あんたら」

「おいこら7番艦のお姉さま」

 

棚に上げた言葉は陽炎型の伝統である様だ。

 

「妹が一途すぎて、辛い」

「妙高さん追っかけてるアンタが言うか」

 

どこまでも姉妹であった。

 

ジト目の天津風から、視線を逸らして紅茶を嗜む初風が、何とも言えない静寂を生む。

 

「王宮のビュッフェで貰った麺料理、スパゲッティーだったかしら、美味しかったわね」

 

話題の転換が食事の話と言うあたり、さらに何とも言えない空気が増していた。

 

「かすていらみたいな焼き菓子の方が記憶に残ってるわね」

 

それでも話に乗りつつ、ハリラヤのオープンハウスに話題が移って行く。

 

最後まで微妙な空気であったが、夜間哨戒の時間までには菓子は全て消えていたと言う。

 


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