七実 in HL   作:被る幸

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大丈夫、心配するな。なんとかなる。

どうも、私を見ているであろう皆さま。

血界の眷属(ブラッド・ブリード)と呼ばれる人類にとって害悪にしかならない吸血種との戦闘を見稽古で習得した己の血液を媒介とした特殊な武術を駆使して撃退することに成功しました。

使い過ぎると貧血になってしまいそうですが、チートによる回復も考慮すれば一撃で2ℓ近い血液を消費しなければ何とかなりそうです。

この特殊武術は虚刀流といった既存のスキルとも組み合わせることができ、状況に応じて5種類の属性を使い分けることで戦闘の幅がぐんと広がりますね。

まあ、外の世界であれば数十年に一度レベルの怪奇現象が日常的に頻発するHL(ここ)くらいでしか使い道がなさそうですが。

外の世界で使用してしまったら良くて勾留、最悪実験動物扱いになるでしょうけど。

そうなったとしても『存在希釈(暫定名)』を使えば、外の世界の如何なる監獄であろうと外出するような気軽さで逃げ出すことはできるでしょう。

 

 

「「「「「「「‥‥」」」」」」」

 

 

それら全てのスキルを駆使しても、世界の均衡を保つために影で暗躍しているという秘密結社ライブラの職員7名に囲まれた現状から逃げ出せる未来が見えませんね。

色々と質問されましたが、見稽古に関することについては黙秘させてもらいます。

あの昼行燈め。確かに危険と怪異の溢れるこの街においては最高戦力ともいえる護衛の人間を用意してくれましたが、思い切り厄ネタではありませんか。

あの時はああしなければ護衛の誰かに死者が出る可能性がありましたし、あの吸血種の狙いは私のようでしたからやらねば殺られていたでしょう。

玉砕覚悟でひと暴れしてやりましょうか。

存在希釈で反撃を回避しながら、風と焔の属性変化で即席プラズマを作ってそこに氷をぶち込めば水蒸気爆発で多少なりともダメージを与えることができるでしょう。

問題はそれを行うには少なくとも数秒の時間を必要とすることですね。

吸血種の戦闘を見た限りウォッチ君と皇さん以外は戦闘力がかなり高いですし、特にラインヘルツさんは純粋な近接戦闘力は七花と並ぶレベルです。

そんな達人相手に並行作業をしながら時間を稼ぐのは、少々骨が折れそうですね。

しかし、これ以上の膠着状態は好ましくありませんし、このライブラのメンバーが自白剤といった危険な薬物を使用してこないとも限りません。

この見稽古というチートが彼らにばれてしまった場合、どのような反応が返ってくるかわかりませんから。

覚悟を決めるように、呼吸を落ち着けて意識を戦闘用のものに切り替えます。

一方的に包囲する現状を宣戦布告の一種と判断する。当方に迎撃の用意あり。

一瞬で立ち上がって、距離を取り全員による袋叩きを取られない位置に退避します。

手加減はできそうにありません。私を捕縛したいのなら、全力で抗ってみせてください。

 

 

「お待ちをミス・ワタシ!我々は貴女と争うつもりはありません!」

 

「‥‥この取り囲まれた現状で信頼しろと?」

 

 

意識を戦闘用に切り替えたことで制限無しで放たれるようになった威圧を受け、ラインヘルツさんが慌てたようにそう言うが正直信頼できません。

補助特化なウォッチ君は威圧で放心状態になっているので、これで少しはやりやすくなりますね。

構えを取らない零の構え無花果で、如何なる攻撃行動にも対応できるようにしておきます。

オブライエンさんとレンフロさんは己の血液を凝固させて作る刃や槍を展開していますし。

あれと素手でまともに打ち合うのは危険なので、私も手に2人の流派・斗流血法を応用した血の籠手を展開させます。

 

 

「ザップ、ツェッド。武器を収めるんだ」

 

「でもよ、旦那。向こうさんは殺る気満々みたいだぜ!」

 

「この威圧‥‥今回相手した長老級(エルダース)を上回ります。それに彼女はその長老級(エルダース)と無傷で10分以上戦闘を続けていたのですよ。

抗戦の意志を示している以上、無防備な姿を晒すのは危険すぎます」

 

 

エルダースというのがあの吸血種の中でどれくらいの位置にいるかはわかりませんが、年上(エルダー)と付くくらいなのですから上位に属するのでしょう。

今のうちにプラズマ生成に入るべきかもしれませんが、先程から無言を貫いているスターフェイズさんとK.Kさんの出方がわからないうちは焦って行動するべきではありませんね。

 

 

「それでもだ。2人共、武器を収めるんだ」

 

「「‥‥」」

 

 

ラインヘルツさんの言葉で渋々ですが、2人共血液で作られた武器をしまいました。

しかし、これで私が武装解除した隙を狙ってスターフェイズさんや皇さんが奇襲を仕掛けてくるかもしれませんので、警戒は怠りません。

聴剄で床や壁の厚さや現在地の高さを測り、いざという時の逃走経路も考えておきます。

『存在希釈(暫定名)』を使えば、追跡可能なのは同じスキルを持つ皇さんだけになりますし、1対1ならラインヘルツさんとスターフェイズさんの2人以外には負ける気がしません。

 

 

「ミス・ワタシ、こちらの拙い対応の為に誤解をさせてしまい申し訳ありません。先程の部下の暴走も全て私の不徳の致すところです」

 

「‥‥」

 

「ですが、失礼を承知で1つだけ教えていただきたい。裏世界とは無縁の筈の貴女が、どうして我々と同じ技を使えるのか」

 

 

戦闘の意志を示す私に対して、一度も拳を握ることなくラインヘルツさんは深々と頭を下げました。

真っ直ぐと私を見ている曇りなき眼は、罠を仕掛けているのではと疑う気持ちが馬鹿らしくなるくらい裏の考えが感じられません。

本当に、ラインヘルツさんは武内Pとよく似ている。

ですが、だからといってチートを探ろうとする人間に対して警戒を緩めるわけにはいきません。

 

 

「‥‥スティーブン。皆を連れて席をはずしてくれ」

 

「わかったよ。こちらとしても、彼女と敵対するのは好ましくないと思っている」

 

 

どうやらスターフェイズさんにも敵対する意思はなさそうですね。

まあ、この伊達男はどこからが本音で、何処までが裏なのか悟らせずに上手く立ち回るようなタイプでしょうからラインヘルツさんのように信頼してよいか悩むところです。

スターフェイズさんの号令でラインヘルツさん以外のライブラのメンバーは応接室から出ていきます。

気絶してしまったウォッチ君はレンフロさんが引きずっていきました。

根性がひん曲がってそうな性悪チンピラみたいな外見をしているのに、意外と仲間思いなのでしょうか。

ここまで配慮されてしまってはこちらも譲歩しないわけにもいかないので、意識を通常モードに切り替えて籠手を解除します。

 

 

「立ち話もなんでしょう。座られては?」

 

「‥‥いいでしょう。誘いに乗ってあげます」

 

 

一応警戒していますよというアピールということで嫌味をぶつけますが、ラインヘルツさんは紳士な態度を崩そうとはしませんでした。

昼行燈やスターフェイズさんのような搦め手を使ってくる人間も苦手ですが、武内Pやラインヘルツさんのように愚直過ぎる人間も苦手かもしれません。

ソファに腰かけると互いに抱える思いは違えど、数時間前のお茶会をした時と殆ど同じ構図となりました。

 

 

「言っておきますけど、私は質問に答える気はありませんよ」

 

「それは、何故でしょうか?」

 

「貴方達が請け負ったのは私がHLで仕事をする間の護衛であって、私への詮索ではないでしょう?」

 

 

論点をすり替えているわけではありませんが、ちひろ達にすら教えていない秘密を会って1日も経っていない相手に教える訳がありません。

勿論、見稽古のことは生涯口外するつもりはありませんけど。

色々と疑いの眼差しは向けられるでしょうが、彼等もプロなのですから請け負った仕事は完遂してくれるでしょう。

どうせ、4日後には日本に帰ってHL(ここ)には二度と来ることはないでしょうから、居心地の悪ささえ割り切れば問題ありません。

 

 

「それにお互いに隠し事をしていて、自分達の方がばれてしまったからといって相手にも情報開示を求めるのは酷くありませんか?」

 

「‥‥」

 

「安心してください。これらの武術をそれ以外に手段がない場合を除き外の世界で使用しませんし、口外する気もありません」

 

 

外の世界であれば血界の眷属(ブラッド・ブリード)達も出てくることはないでしょうし、そうそう必要となる場面などないでしょう。

折角手に入れた能力を活用しないのはもったいない気もしますが、そういった死にスキルとなったものはこれまでも数多くありましたから今更ですね。

 

 

「しかし、その力はあまりにも強大です。既に一部の実力者は貴方の力に気付き、狙っているでしょう」

 

「‥‥それは、厄介ですね」

 

 

情報の真偽は別としても狙われているかもしれないというのは、最悪に近い展開ですね。

昼夜問わず狙われたら相応に消耗してしまいますし、気が抜けない状態が続くというのは精神衛生上よろしくありません。

並大抵の相手なら返り討ちにできるでしょうが、今回相手した長老級(エルダー)並の相手が出てきたりしたら流石に無事では済まないかもしれませんね。

あまりやりたくはありませんが、最悪の場合には美城本社に連絡を入れて仕事の続行が不可能だと伝えて早急にHLから撤退する必要があるでしょう。

武内Pや昼行燈も私ですら命の危機を感じたと言えば、仕事を投げ出しても文句は言わないはずです。

寧ろ武内Pの場合は『この件についてはこちらでどうにかします。ですので、今すぐ帰国してください』と言いそうです。

 

 

「ところで、随分私について知っているようですが‥‥誰から聞きました?」

 

「その質問には答えられません」

 

「そうですか」

 

 

情報元は恐らく護衛を依頼した昼行燈でしょうが、ラインヘルツさんの様子から察するとただの依頼主という感じがしませんね。

昔フェンシングを齧っていたと言っていましたが、見稽古した限り昼行燈のフェンシングは競技用というよりも急所を最短距離且つ最速で貫く為の実戦的に即したものでしたし、もしかしたらラインヘルツさん達と同業者だったのでしょうか。

気になる所ではありますが、ここで下手に興味を示せば交換条件を突き付けられかねませんから深入りはしません。

 

 

「『人類の到達点(オール・フォー・ワン)』」

 

「何ですか、それ?」

 

「サー・イマニシが名付けた貴女の力の暫定名です」

 

 

サーって、あの昼行燈は勲爵士だったのですね。これは本格的に同業者だった可能性が濃厚です。

何を狙っているかはわかりませんがラインヘルツさんは私が聞いてもいないのに語り始めました。

あの昼行燈はエジプトに潜んでいた生半可な長老級(エルダー)を上回る時という概念すら支配した血界の眷属(ブラッド・ブリード)を討伐した『星屑の十字軍(スターダスト・クルセイダーズ)』の一員であり、その他にも様々な功績を打ち立てた牙狩りの中でも有名人だそうです。

身近な人物の意外な経歴に驚きはしましたが、昼行燈ならそれくらいしていてもおかしくないと納得できてしまいますね。

そして、万人は一人の為に(オール・フォー・ワン)ですか、何とも皮肉の利いた暫定名ですね。

ここまで色々とやらかしてきましたから、そろそろ勘づく人間が出てきてもおかしくないとは思っていましたから、仕方ないのかもしれませんね。

ラインヘルツさんから聞かされた昼行燈が推測した私の能力とは、人類種が可能である全ての技術を己のものとしてしまうという中らずと雖も遠からずといったものでした。

いっそのことですから、これを隠れ蓑として使わせてもらいましょうか。

 

 

「これが、我々が知りうる貴女の情報です」

 

「これを知っているのは?」

 

「私とスティーブン、そしてK.Kのみです」

 

 

成程、だからスターフェイズさんは私にエスメラルダ式血凍道を見せたくなかったわけですね。

不確定情報でもコピーされる可能性があるのなら、見せびらかすはずないでしょう。

まあ、あの秘密主義な伊達男ならそれ以外の理由が含まれていそうですが、探ろうとすれば逆に手玉に取られる未来が見えるのでやめておくのが得策でしょうね。

 

 

「私の能力を知っているのなら、あの質問攻めは不要だったのでは?」

 

「申し訳ありません。こちらとしても本当にそうであるかを確認する必要があり、サー・イマニシから『彼女は絶対に自分の口から語ることはないだろう』と伺っていましたので」

 

「だからといって、やり過ぎです。危うく水蒸気爆発でこのビルを吹き飛ばしていましたよ」

 

「失礼、今何と?」

 

 

あっ、これ言わなくていいことを言ってしまったパターンですね。わかります。

異形の蔓延るこの街でなら、いつもより私の気が緩むと思われていたのでしょう。

それを聞いたラインヘルツさんの顔は最悪の事態を避けることができたという安堵感で溢れていました。

見かけに反して細かいところまで気にしてしまう方なのでしょうから、今回の件ももっとうまくできたのではないかと言う、たらればを考えてしまっているのでしょう。

 

 

「貴女の態度で能力の有無を判断しようとしたのは、あまりにも浅はかだったのかもしれませんね」

 

「‥‥ああ、私は嵌められたのですね」

 

 

ラインヘルツさんが態々ライブラのメンバー全員で私を質問攻めにしたのか合点がいきました。

どうりで、らしくないラスボスオーラを出していたわけですよ。

私が素直に喋ればよし、喋らなくても黙秘したり何かしらの行動を起こしたりしてしまえば肯定と同意義とみなすという事でしょう。

つまりは、戦闘の後のこのことこの事務所までついてきてしまった時点で私の負けのようなものだったのです。

昼行燈といい、こうした裏の世界に生きる人間はこうして平然と人をはめるようなことをしてくるので嫌いなんですよ。

こういったことに容易く引っかかってしまう自身の迂闊さに呆れ、手で顔を覆って大きな溜息をつきます。

 

 

「その‥‥騙すような真似をしてしまい、本当に申し訳ありません」

 

「別にどうでもいいですよ。私が間抜けだっただけなのですから」

 

 

異形の蔓延るこの街でなら、いつもより私の気が緩むこと思われていたのでしょう。

全く持ってその通りでしたよ。こん畜生。

もういいです。今日は色々ありすぎて疲れてしまったので寝てしまいましょう。

別に睡眠は殆どとらなくても問題ない身体ではありますが、覚醒状態だと余計なことを考えてしまうでしょうから夢に逃げたいのです。

こちらの安全な宿事情は知らないので、そこら辺はライブラ任せになっていたのでさっさと案内してもらいましょう。

 

 

「この後の予定ですが‥‥」

 

「もう寝ます。寝させてください」

 

 

ソファに沈み込むように身体を預けて、力なく答えます。

何だかこの街に来てから色々とあり過ぎて、身体ではなく心が疲れ果てました。

 

 

「‥‥ライブラのセーフハウスをお貸しします。ゆっくりお休みください」

 

 

裏社会で有名らしいライブラの隠れ家(セーフハウス)なら信頼はできるでしょう。

中までは入ってこないでしょうが、近くの家屋等で護衛メンバーが待機してくれているでしょうから余程潜入スキルに長けた存在でない限り襲われる可能性は低いでしょうね。

だからといって、完全に気を緩めるわけにはいきませんから簡易的なトラップや人感装置でも仕掛けておきましょう。

一応、アイドルですしそこそこに見目麗しい方だと思っていますので、そういう意味で襲われる可能性も無きにしも非ずですから。

 

 

「ああ、スターフェイズさんにお土産の件は念押ししておいてくださいね」

 

 

険悪な関係となってしまいましたが、だからと言ってお土産の件を無しにするのは契約違反です。

 

 

「わかりました、しっかりと伝えておきましょう」

 

「お願いします」

 

 

ラインヘルツさんは気丈に振舞っていましたが、罪悪感に押し潰されそうなのが何となく伝わってきました。

悪役みたいに嘲笑するような態度を取ってくれれば怒りや恨みを抱けたというのに、そのような申し訳なさそうな態度を取られてはそれもできないではないですか。

本当にずるい人です。

案内役の人間を呼びに行こうとしているラインヘルツさんの大きい背中を見送りながら、もう一度大きな溜息をつきます。

ああ、平和とはなぜこうも儚きものなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

「で、どうして貴方がここに?」

 

 

心的疲労が酷かった尋問を終え、スターフェイズさんを除いた血界の眷属(ブラッド・ブリード)戦時に私を護衛していた人達に案内され、ライブラのセーフハウスへと案内されました。

当初はHL内にある超高級ホテルの最上階を確保してくれていたらしいですが、今回襲撃をかけてきた血界の眷属(ブラッド・ブリード)の狙いは私でしたので、どの方向からでも仕掛けることが可能なので安全保障上問題があるため却下になったそうです。

HLが織り成す異界と現世の入り混じった混沌とした風景を一望できるという最上階からの景色というのは興味がありましたが、こればかりは仕方ないでしょう。

それにSランクという印税で残りの人生を普通に生活していける位に稼いでいますが、やはり生来身に沁みついた小市民的な感覚は抜けないものですから落ち着かなかったでしょうね。

案内されたセーフハウスは少し高級感のあるアパートの一室でした。

セーフハウスというくらいですからもっと老朽化した建物を予想していたのですが、こういった場所も意外と気が付かれないそうです。

後、流石にSランクアイドルをそういった襤褸に泊まらせたとあればライブラのメンツにかかわるそうなので、数ある中でも上等な方を選んだそうです。

 

 

「随分と嫌われたものですね」

 

「女性の秘密を強制的に暴きたてた相手をすぐに許せるほど私は心が広くないので」

 

「その件につきましては、後日正式に謝罪させていただきますが‥‥申し訳ありませんでした」

 

 

『こちらの食材事情には明るくないと思いまして』という気障ったらしい台詞と笑顔でやってきたスターフェイズさんが、頭を下げます。

しかし、完全ではないとはいえ私をはめてチートの一部を暴きたてたのですから、そう簡単に許せるわけがありません。

本来なら入り口で丁重にお帰り願うところですが、私がこの街の食材の流通事情に明るくないのは否定できませんし、持ってこられた食べ物に罪はないので受け取ることにしたのです。

決して『うちの家政婦の作るローストビーフが絶品でして』という言葉に惑わされたわけではありません。

結婚適齢期は過ぎてしまったとはいえ、未婚の女性が異性を部屋に招き入れるのはあまり褒められたことではありませんが、スターフェイズさんにそんな下心はないでしょうし、そうなっても1人なら返り討ちにできます。

 

 

「謝罪は受け取りますが、許すかどうかは別問題ですよ」

 

「手厳しいですね」

 

 

頭をあげたスターフェイズさんは苦笑していました。

というか、ローストビーフ等の食材は受け取りましたので、さっさと帰ればいいのに。

転生を経ていつまでも感情的に怒り続けても生産性がないということを学習し、過ぎたことには拘らないように心がけていますが今回は別格です。

これでも本当に手を出してしまわないように自制しているのですから感謝してほしいですね。

 

 

「私にまだ用ですか?」

 

 

この伊達男が何の企みなしにこうして女性と一緒にいることなどないでしょうから、十中八九何かあるのでしょう。

無駄に世間話から入られて長居されても困るので、とっとと本題を聞き出してお断りした方が手っ取り早いです。

 

 

「そうですね、単刀直入に言います。ライブラ(うち)に入る気はありませんか?」

 

「‥‥何ですか、そのくだらないという評価すらつけるに値しない冗談は」

 

 

人の秘密を無遠慮にずかずかと踏み荒らして暴きたてたような組織に、かけがえのない仲間や同僚、可愛い後輩達に囲まれたアイドルを辞めてまで入らなければならないのでしょうか。

承諾される可能性が1%でも存在していると思われているのだとしたら、私も舐められたものですね。

返答は拳でいいでしょうか。

 

 

「取り付く島もないとは、このことでしょうね」

 

 まず、斗流を応用した血のナイフで一閃してバタールに切れ目を入れます。勿論、バタールに血の匂いが染みついてしまわないように硬度を高めた上で、零閃の要領で一瞬の内に完了させました。

「本当にありがとうございました。お帰りはあちらです」

 

 

これ以上会話を続ける気もないので、きちんとお礼の言葉を述べた後扉を指さします。

 完璧すぎて、完全調和(パーフェクトハーモニー)と呼びたくなる出来栄えですね。

スターフェイズさんは何か言いたそうな顔をしましたが、8割方魔王時代に戻りつつある私の雰囲気の変化を察したのか口をつぐみます。

 

 

「では、良い夢を」

 

「はい」

 

 

直ぐに施錠する為に玄関まで見送りました。

最後の最後まで気障な態度を崩さないのは評価しますが、今の私にとっては神経を逆なでる効果しかありません。

1人で過ごすには少々広いリビングにあるソファに飛び込み、クッションを抱きしめて顔をうずめます。

確かにこの街でなら私は一般常識の範疇等を気にして自分の力を制限することなく、思う存分に振るうことができるという自由があるでしょう。

世界の均衡を保持するという為という素晴らしい大義名分と、一般社会とは隔絶した裏社会という背徳感、血界の眷属(ブラッド・ブリード)を始めとした偉業の化物(フリークス)達との痺れるような生死をかけた戦い、そのどれもが実に厨二的で魅力を感じます。

ライブラのメンバー達は仲間として毎日が退屈しないだろうと確信させるぐらいに個性的で面白そうでしょう。

恐らく今回の件が無ければ、かなり心が揺れる誘いだったかもしれませんね。

Sランクアイドルというこんな危険な仕事をしなくても十二分に稼げるようになっても率先して危険に向かっていくようなことをしている理由は、きっと心の奥底で全力を出せる場所を求めているからでしょう。

アイマス世界には強烈過ぎて不釣り合いだった見稽古も虚刀流も、その他多数の殺傷系スキルもこの街でなら混沌の中に埋もれてしまう輝きの1つでしかないのでしょうね。

 

思考が変な方向へと進んでいきそうになりましたが、そんな私を現実に引き戻すかのようにお腹が鳴りました。

こうして変な考えをしてしまうのはお腹が空いているからでしょう。

空腹は思考を鈍らせず冴えさせてくれることもありますが、その思考がネガティブになることが多いので一長一短といったところですね。

落ち込んだ悲劇のヒロインぶった姿は私に似つかわしくありませんから、さっさと差し入れのローストビーフなどを食べてお腹を満たしてしまいましょう。

満腹になれば少しは気分も紛れるでしょうから。

スターフェイズさんが持ってきた差し入れの袋を漁り、中に入っていたものをテーブルに並べます。

焼いてから時間が経っている為少し硬くなってしまっているバタールに、外界の野菜のみを使用したと強調されたサラダ、我が母国日本が誇るお湯を注ぐだけで本格的な味が楽しめるインスタント食品のオニオンスープ、そして伊達男が一押ししていた家政婦特製ローストビーフ。

どれもこれも美味しそうで、10年以上ぶりに本格的な戦闘をした身体は早く食わせろとはしたないうめき声をあげています。

日本人としてはお米を食べたい所でしたが、無理を言って米のような姿の何かが出てきても困りますから諦めましょう。

さて、このまま食べても構わないのですが、食には関心がある私は名案を思い付きました。

まず、斗流を応用した血のナイフで一閃してバタールに切れ目入れます。勿論、バタールに血の匂いが染みついてしまわないように硬度を高めた上で、零閃の要領で一瞬の内に完了させました。

そして、そこにサラダの葉野菜とオニオンを挟み込み、最後にローストビーフとそのタレを追加すれば、即席ローストビーフサンドの完成です。

我ながら実に素晴らしい思い付きであったと褒めたくなるくらいに美味しそうですね。

人目もないので大きく頬張るように一口食べます。

バタールの硬さと小麦の香りと甘味、野菜のシャキシャキとした歯ごたえと苦み、ローストビーフのローリエの香りに凝縮された肉の旨味、そしてこれらを美味く繋ぐ陰の功労者であるソ-スの存在。

完璧すぎて、完全調和(パーフェクトハーモニー)と呼びたく出来栄えですね。

悔しいですが、あの伊達男が言っていたようにこのローストビーフは絶品です。

私の作るローストビーフとは若干方向性が違いますが、それでも肉本来の旨味を一切損なうことなく凝縮していながら、一口食べるとほっと安心するような優しい味わいになっていました。

機会があるのならば、是非とも見稽古させてもらいたいですね。

あっという間にローストビーフサンドを食べ終え、程良く満たされたお腹に幸せを覚えながら再びソファに倒れこみます。

インスタントのオニオンスープの存在を忘れていましたが、そうそう腐ることはないので取っておきましょう。

さて、後はシャワーでも浴びて寝るだけなのですが、戦闘によって神経が興奮しているのか眠気が来そうにありません。

仕方ないので、タブレット端末を取り出してHLについて調べている時に発見し嵌った、とあるゲームのオンライン対戦モードを起動します。

 

『プロスフェアー』

 

将棋とチェスを悪魔合体させて、合体事故が起きた結果生まれたような複雑極まる盤遊戯(ボードゲーム)です。

駒位相、戦域の拡大、属性と様々な追加要素があり、実力が拮抗すればするほどにその読み合いは複雑怪奇になり、時間と共に指数関数的に難度が上昇していくので色々と能力を持て余している私にはうってつけの遊戯でした。

その複雑さからプレイ人口は現世と異界を含めた全世界で数万人程度ですが、世界ランカークラスになると私でも冷や汗をかきそうになるくらいの神算鬼謀を見せつけてくれます。

数度の対局においてその能力を見稽古させてもらい、最近は複数局してもなんとか勝ち越すことが多くなってきましたがそれでも負けることがあるというのですから、いったいどんな化物たちなのでしょう。

特に私の弱点を知り尽くしたような指し方をする『銀の戦車(シルバー・チャリオッツ)』というHNの世界ランク5位やランク外である殿堂入りプレイヤー『DON』といった存在とは、今のような疲弊した時にはやり合いたくありませんね。

ちなみに私は『鑢』というHNでプレイしており世界ランク9位に位置しています。

始めてから数ヵ月で世界ランク入りしたので驚異的な速度といえるのでしょうが、仕事の兼ね合いからなかなかプレイする時間がないのでこれ以上の昇級は難しいでしょうね。

ログインすると早速対局依頼がやってきたので、しばしこの知的遊戯に耽るとしましょうか。

さて、色々とあり過ぎたHLでの1日を振り返って私自身を励ますように、とある室町時代の臨済宗の僧であり、詩人である人物の言葉を贈るなら。

『大丈夫、心配するな。なんとかなる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の深夜、日本に伝わったHL空中駅半壊事件のニュースを見た346プロの人間達が時差を考慮せず電話やメールによる生存確認への対応に追われることになるのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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