〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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 衣物語、いよいよ終盤戦。

■ 以下、注意事項 ■

・約壹萬玖仟字以上。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。

・2016/10/12 一部文章改訂。

・他、何カアレバ書キマス。

■ 黒齣 ■



第貮話 しるしメイク 其ノ參

[011]

 

 識崎家――家……と呼ぶのは多少抵抗があると言わざるを得ない。家と呼べないような家を訪れたことは何度かあるけれど、しかしこの屋敷もまたその系統の一つだろう。

 この屋敷を見た第一印象は『廃墟』だったが、その内部もまた、外見に違わない荒れようであった。

 木造の柱の殆どは折れ、彼方此方に硝子の破片のようなものが散乱し、石造りの床には深い罅がいくつも刻まれている。こういうものは比較するようなものではないのだろうけれど、しかし読者にわかりやすく提示するため敢えて比較するならば、老倉家とは比べものにならない程の荒廃具合であった。

 

「ねえ鬼いちゃん。もしかして僕たち騙されてるんじゃないかな? どう見ても家じゃないでしょこれ」

 

 斧乃木ちゃんは足下に積み上げられた硝子の山を蹴飛ばしながら言った。

 

「……そうは言うけど斧乃木ちゃん。識崎ちゃんが家って言い張っているなら、家として扱うしかないだろ――それに、ここが家じゃないとしたらどこなんだ?」

「そんなの知らないよ。それこそ本当に廃墟なんじゃないの? ……まともに住める環境じゃないと思うんだけど」

「まあ……」

 

 確かに、お世辞にも生活出来るとは呼べないような屋敷である――老倉の家も中々の荒れ具合だったけれど、しかしある程度生活しようと思えば出来るレベルだった。それに、家庭内暴力を受けていたとは言え、一応親は居たので生活出来ていた、という側面もあるのだろう。

 ……あいつはそれを認めないだろうし、認めたくたいだろう。それは心理として理解出来るし、それについて僕はあいつを責めることが出来ない。誰も出来ない。

 

 対し、この家に住んでいるのは――。

 

「そういえばあの子、家族とかっているのかな?」

「どうだろうね……この荒れようだと、同居はしてなさそうだけど」

「だよな……」

 

 ――識崎記、ただ一人。

 あいつは、何故ここに――。

 

「鬼いちゃん、止まって」

「え?」

 

 斧乃木ちゃんが右腕を僕の前に翳し、停止を促す。僕はそれに従った。ここまでの道中、斧乃木ちゃんに迷惑を掛けっぱなしだったのだ。せめてここから先は斧乃木ちゃんの邪魔にならないようにしなければ。

 

「そう思うなら、付いて来てくれない方が、個人的には助かったのだけれどね」

「…………」

 

 まあ、斧乃木ちゃんの言う通りである――前章で斧乃木ちゃんを守るなんて大見得を切ったけれど、僕の出来ることなんてたかが知れている。

 僕は――結局、知りたいだけなのだ。

 識崎ちゃんが、何者か――。

 

「隠れてないで出てこい。そこに居るのは分かってるぞ」

 

 突然斧乃木ちゃんは立ち止まり、右手の人差し指を前方に向けて告げた。

 前方にあるのは、代わり映えしない廃墟の如き景色。人の気配も何も感じないが……。

 

「……んっふっふふ」

「っ!!」

 

 突如、君の悪い笑い声が聞こえた――と思うと、天井から一人の女性が天井から舞い降りてきた。

 30代くらいだろうか? 着物を着た女だった。着物は薄桃色の地に花の模様が描かれたもので、濡羽色の前髪はおかっぱ。最初期のひたぎを思い浮かべて頂ければ概ねその通りだ。しかし、ひたぎと違うのは、その腰あたりまで伸ばした髪さえも切り揃えられているという点だ。着物をはためかせながら舞い降りるその姿は、舞い散る埃も相まって、どこか神々しくさえ見えた。

 

 女は床に舞い降りた――と同時に、その周囲に散らばっていた瓦礫や硝子が吹き飛んだ――否、吹き飛んできた。

 

 僕らへ向かって――!

 

「なっ――――」

「ちっ」

 

 斧乃木ちゃんは舌打ちすると近くにあった大きな瓦礫を掴み、僕らの前に放り投げた。硝子や瓦礫がぶつかる音がなる。

 

例外の方が多い規則(アンリミテッド・ルールブック)

 

 斧乃木ちゃんは必殺技を放った――瓦礫の壁は弾幕を防御するとともに、斧乃木ちゃんを隠すためでもあったのだ。

 肥大化した斧乃木ちゃんの人差し指が瓦礫の壁ごと前方を粉砕した。その衝撃で屋敷がさらに崩れ、柱も何本か折れた。埃と塵が舞う。

 しかし改めて見るとなんつー威力だ――しかもこれよりまだ先があるんだろ? 底知れねえな、斧乃木ちゃん。

 人差し指は元の大きさに戻り、破壊された場所からは煙が立ち上る。黒い煙に邪魔され、女の安否は知れない。

 

「いや、知れる――失敗だ」

「え?」

 

 失敗だって?

 

「は、外したのか?」

「いや、外したわけではない――ヒットした感触はあったんだけど、何て表現すればいいのかな、違和感を感じたんだよ」

「違和感?」

「そう――こう、あるんだよ。成功と失敗の違いみたいなものが」

 

 どうやらその違和感は本人しか感じることの出来ないもののようであった。その辺りの事情はよく知らないが――当の斧乃木ちゃんが失敗と言うなら、失敗なのだろう。

 

「斧乃木ちゃん。あれはなんだ」

「そんなこと僕に聞かれても知らないよ。僕はただ怪異をぶっ殺すだけ――興味ないね」

 

 知識はあっても興味はないのか。

 まあ、分からないこともないが――例えが少々幼稚だけれど、学校の勉強だって、そんなものだから。

 僕が興味を持ち、自分から進んで取り組んだのなんて数学くらいのものだ――だから、成績が伸び悩んでいたわけだが。

 

「んっふふっふふ」

「っ!!」

「…………」

 

 煙が晴れた――そしてその姿は変わらずそこにあった。

 着物姿の女――気味の悪い声で笑いながら、僕達を見た。

 斧乃木ちゃんは再び人差し指を構える。

 

「お前は誰だ」

 

 そして、尋ねた。

 

「……ふふっ――わちきは、誰だろうねぇ?」

 

 女は両手を広げた――思わず僕は身構えた。また何かを飛ばしてくるのかと思ったからだ。しかしそれは杞憂で、吹き飛ばしたのは埃や塵、煙だった。

 わちき……江戸時代の遊女が使っていた一人称――だったか?

 

「わちき自身でもよく分からない――まあ、わちきのことなんてどうでもいい」

「どうでもいい?」

「そうさ。んふっふふ……まぁ、わちきについて聞きたいならご主人から聞きな。わちきがあんた達に話すことなんて何もないね」

 

 女は僕たちに背を向けると、そのまま少し歩き――立ち止まった。

 

「どうした? 付いて来なよ――ご主人からあんたらを案内するように言いつけられてねぇ。全く人使いの荒いご主人だ――どうでもいいけどね」

「…………」

「…………」

 

 僕たちは動かないという意見で一致した――と思いたかったが、斧乃木ちゃんは女を追って歩き出した。

 

「お、おい斧乃木ちゃん」

「これが罠だと思う?」

「そ、そりゃあ――」

 

 この道中、いくつもの罠を仕掛けてきた識崎ちゃんだ――屋敷内に罠を仕掛けていない訳がない。それに、こいつは現れるなり僕らを攻撃した。そんな奴を信じろなんて、無理な話である。

 

「まあ、そうだね――けれど、ここで立ち止まってても一緒だよ。罠だろうと何だろうと、案内してくれるっていうんだから、ここは信じよう――大丈夫、罠だったら全部纏めてぶっ飛ばせばいい」

「…………」

 

 まあ。

 僕に拒否権はないのだが――専門家の意見だ、従うしかあるまい。半端な僕の知識より、よっぽど信頼できる。

 

「そんな全面的に信頼されてもね――確かに僕はプロフェッショナルではあるけれど、あくまで専門家の式神だ。言わば偽物の専門家――本物の専門家に比べれば、間違いも多いよ」

「それでもだよ」

 

 それでも――そうだとしても。

 斧乃木ちゃんだから。

 

「友達を信じるのは、友達として当然の役目だからな」

「……まあ、好きにしなよ」

 

 斧乃木ちゃんは僕に背を向け歩き出す――置いて行かれないように僕も歩き出した。

 僕達を案内するというその言葉は、どうも嘘ではないらしい――先頭に立ち、僕たちが歩きやすいように周囲の物体を左右に飛ばしながら、女は進む。

 

「……なんか蛞蝓が通った跡みたいだね。これ」

「どうしてそこで蛞蝓を選んだ」

「ほら、鬼いちゃんにこの後控えてるお仕事の事を思い出させてあげたかったから」

「余計な御世話だ」

 

 忘れてたかったよ。変なところで真面目さを発揮するな。悪意の塊か君は。

 

「悪意の塊だって? 聞き捨てならないね。僕がいつ貴方に悪意を発した」

「僕の忘れっぽさも大概だが斧乃木ちゃん、君も大概だな」

 

 寧ろ君が僕に悪意を向けなかった時があったのかと問いたい――いやまあ流石にそれは言い過ぎだけれど。

 しかし純粋な善意を僕に向けたことはあるまい――この童女、腹の底で何を考えてるのかまるで読めん。今この時だって――。

 

「……ハーゲンダッツ食べたいな」

「考えてることダダ漏れじゃねえか!」

 

 このシリアスな状況で何考えてんだ!

 そんな好きなのかよ、ハーゲンダッツ!

 

「いや、ハーゲンダッツが特別好きって訳じゃないよ。僕は甘いもの全般が好きだ」

「じゃあなんでハーゲンダッツ狙い撃ちだったんだよ」

「特別好きではないけれど、他のと比べたら贈り物として及第点かな、っていうだけ」

「貢がれること前提かよ!」

 

 君はいつそんなに偉くなったんだよ。偉いっていうか偉そぶってるだけだろ、君。

 

「偉そぶってるだけでも貢いでくれる奴がいるから増長するんだよ。つまりお前の所為だ」

「責任転嫁するな」

 

 これからアイスの差し入れ減らすぞ。

 忍の食べ掛けドーナツにしてやろうか。

 

「ちょっと、止めてよ。そんなこと冗談でも言わないでよ、気持ち悪い。あいつの食べ掛けドーナツとか……うっ、吐き気してきた」

「死体でも吐き気するのかよ」

「吐き気するよ――ごめん、マジで気持ち悪い。向こう向いてて、吐くから」

「そんなに嫌か!?」

「嫌に決まってるだろ」

 

 ここからは、斧乃木ちゃんの人権(怪異権)に配慮して一部カットでお送りしよう。いやまあ一応さらっと書いておくけれど、マジ吐きしやがった。お食事中の方ごめんなさい。

 あれから恐らく眠っているとはいえ、この場には当の忍も居るというのに、容赦なさすぎる斧乃木ちゃんである――別に食べ掛けくらいなら問題ないだろうに。僕なら食べるぞ――幼女の食べ掛けドーナツを食べる事が出来るなんて、夢のようじゃないか。

 

「……お前、折角上がりかけた株を自分から下げるとか何考えてるの」

「お、復活したか」

 

 斧乃木ちゃんがよろよろと帰ってきた――流石に僕の眼前では嫌だったのか、遠く離れた場所でしてきたらしい。その間に進む訳にもいかず、僕はその場に立ち尽くしていた。着物の女も待っていてくれた。

 

「……さあ、行こう。早くあいつぶっ殺さないと」

「ぶっ殺すという物騒な単語は今はスルーするとして、斧乃木ちゃん、大丈夫か?」

「正直大丈夫じゃない……まだ微妙に気持ち悪さが残ってるよ」

「マジか」

「お前の所為だぞ、お前が気持ち悪いこと言うから――全く」

「わ、悪い」

 

 斧乃木ちゃんは、それでもよろめきながらも、歩き出した。女はそれを一瞥すると、再び歩き出した。それを受け、僕も歩き出す。

 その後は会話らしい会話はなかった。余程気持ち悪かったのだろう、斧乃木ちゃんはふらふらとし続けている。そんなに気持ち悪かったのか……。

 

 歩き続けてどれくらい経ったのだろうか。少なくとも5分や10分ではなかっただろう。外側からは屋敷の全貌は掴めなかったが、どうやら相当広い屋敷らしい。アニメ終物語における老倉家よりも大きい。

 女は立ち止った。僕達も同じく立ち止った。

 目の前にあったのは巨大な扉だった。ここまで道中には不釣り合いな、両開きの扉。ここまでが日本の城のようであるとするなら、この扉はまるで西洋の城にありそうなものだ。

 

「それじゃ、開けるぞ――んっふふふ、この先の光景を見て、目を潰さないようにしな」

 

 相変わらず薄気味悪い笑いを零しながら、女は扉を開けた――目を潰さないように? どういうことだ――またぞろトラップだろうか? 扉を開けると同時に、大量の槍やら何やらが飛び出してくるとか――。

 ここまでの経験から、こんな思考に至るのは当然のことである。僕と斧乃木ちゃんは身構えた。どんなトラップが来るのか――。

 

「っ!?」

「わお」

 

 ――結論として、僕たちの身構えは一切の意味を為さなかったと言わざるを得ない。それは身構える意味がなかったという意味でも、身構えてもどうしようもなかったという意味でも。

 両方において完敗であった――凄まじいトラップだ。

 

 扉の先に広がっていたのは、黄金の世界だった。誇張表現ではない。本当に金ぴかだったのだ。

 あらゆるものが金色の輝きを放っている――テーブルも、壁も、床も、天井も、全てが金色。荘厳とはまさにこの部屋のためにあるのではないかとさえ思ったほどだ。

 

「ようこそいらっしゃいました。阿良々木暦、斧乃木余接――」

 

 目の眩むような黄金世界の中心に、一人少女が立っていた。スカートの両端を摘み上げ、片膝を軽く折って礼の姿勢。

 意表を突かれた僕たちは、まさに先手を打たれた形だった。こんなことで、この子に勝てるのだろうか?

 

「お待ちしておりましたわ」

 

 そう言って上げた顔は、歓迎の言葉とは裏腹に、拒絶を満面に漲らせていた。

 扉が音を立て、閉じた。

 

 

 

[012]

 

「ここが私の家ですの」

 

 識崎ちゃんは黄金のカップにミルクティーをなみなみと注ぎながら言った。なみなみというのは誇張表現でもなんでもなく、本当にカップスレスレまでミルクティーを注いでいた。横から見ると表面張力で水面が浮いている。

 なんでこんな飲みにくいことを……僕たちに飲ませる気がそもそもないのか、と思ったけれど、自分の分にも同じ量を注いでいるのを見て、その考えを捨てた。

 

「……君、いつもそんな量で飲んでるの? わざわざ一回でそんなに淹れなくても……」

「ふん、それを知って貴方に得がありますの? 教えて私に得がありますの?」

「いや無いけどさ、純粋な雑談としてだな」

「貴方は雑談をしにここへ来たのではないでしょう?」

 

 そう言うと識崎ちゃんはカップの端に唇を付け、中身を少し吸った。まるで量が減っていない。

 

「ねえ、斧乃木余接?」

 

 今度は斧乃木ちゃんの方を向いて、言う。

 

「散々ここまでしつこく質問してくれたですものね――まさかここに来て聞く気はない、なんて言うつもりはないでしょう?」

「……いやに素直じゃないか。車の中での陰気なお前はどうした」

「今でも私は陰気ですわよ――だからご褒美ですわ。私のトラップを乗り切った、ご褒美」

 

 識崎ちゃんはそう言うと、軽く手を二回叩いた。すると、どこからともなく、あの着物の女が現れた。

 

「椅子を出してくださいまし」

「んふふ」

 

 何が楽しいのか、女は笑うと地面に転がる大量の金銀財宝(これも誇張表現ではない。本当にそこらじゅうに黄金の品々が転がっているのだ)の中から、同じく黄金の椅子を三脚取り出した。

 女は僕たちの隣にそれぞれ椅子を配置した。配置し終えると、再び女は黄金の光の中へと消えた。

 

「どうぞ、お掛けになって」

「…………」

「…………」

 

 僕たちは座らなかった。またぞろトラップのようなものが仕掛けられていることを想定してだ。

 

「……ちっ」

 

 識崎ちゃんは舌打ちしながら椅子に座った――なんで舌打ち? やはりトラップか何かが仕掛けられていたのだろうか。

 

「急に勘が鋭くなりましたわね、阿良々木暦――まあいいですわ。座りたくなければ座らなければいいし、お好きになさいまし」

 

 椅子に腰かけた識崎ちゃんはそう言うと、再びミルクティーを啜った。いや、中身全然無くなってねえじゃねえか。だからか? あんな風に少しずつしか飲まないから、いっぺんにあんなに淹れているのか?

 

「……識崎ちゃん。あの女の人は誰だい」

 

 僕は識崎ちゃんに聞いた。

 自分のことはご主人に聞け――あの女はそう言って取り合わなかった。このまま女呼ばわりし続けるというのも、なんだか味気ない。

 

「貴方が気にするような事ではない――と言いたいところですけれど……まあ、いいでしょう」

 

 識崎ちゃんはテーブルの上に置かれていたマカロンを食べた――え? いつの間に置かれていたんだ?

 

「――淡海(おうみ)(しずめ)。私の従者ですわ」

 

 淡海静。

 それがあの女の名前か――淡海と言うと、湖のことか。湖――と言うと、何か因縁めいたものを感じるけれど。

 嘗てこの地には広大な湖があったという。そこが北白蛇神社、嘗ての社だったとか――まあ、名前が何かキーになるようなことはないような気がするけれど。

 

「いや、目の付け所は良いかもね、鬼いちゃん」

「え?」

 

 マカロンを齧りながら斧乃木ちゃんは言う――いや、何食ってんだ君。

 

「あいつは怪異だよ。それは鬼いちゃんから見てもすぐに分かったでしょ?」

「……ああ」

 

 天井から舞い降りたり、大量の破片を飛ばすなど、人間業ではない。どこまでも怪しく、どうしようもなく異質な、怪異の為せる技だ。

 

「怪異っていうのは名前が重要なのさ。それは鬼いちゃんも重々承知のはずだよね」

「ああ」

 

 名前で縛る。

 忍や扇ちゃんが、まさにそれだ――忍野の名で雁字搦めに、縛られている。

 

「縛られているっていう観点から見れば、『静』が重要だろうね。静――つまり静めるってことでさ」

 

 静める。

 怪異を名前で縛り、静める――鎮める。

 

「まあ、それ以外にも意図はありそうだけれど――この辺の考察は後回しだね」

 

 そう言うと斧乃木ちゃんはマカロンを指で弾いた。弾かれたマカロンは識崎ちゃんのカップの中に見事カップイン。ミルクティーの液面が跳ね、テーブルに雫が溢れた。

 ……いやおい。何やってんだ。

 

「あ、ごめん」

「…………」

 

 識崎ちゃんはカップを一瞬ちらりと見ると、斧乃木ちゃんを睨んだ――僕らを出迎えた時以上の壮絶な眼で。

 

「いや本当ごめん。そういうつもりは無かったんだ。ただお前の額に当てたかっただけで、他意はない」

 

 他意っつーか悪意しかねえ。

 どうすんだよすげーこっち睨んでるぞ……人間ってあんな顔出来るんだな……いや感心している場合ではなく。

 

「あー、識崎ちゃん」

「ふん」

 

 僕が何か言おうとする前に、識崎ちゃんは鼻を鳴らし、足を組み直した。

 

「……私別に怒ってませんわ」

「いや、その顔で言っても何の説得力もないぞ」

 

 僕を見ている時の老倉みたいな顔をしている。或いは機嫌の悪い時の月火の顔のようと言おうか。

 

「別にっ……私のミルクティーに不純物が混ざったことなど……怒ってませんわ!!」

「めっちゃ怒ってらっしゃる!?」

 

 カップを持つ手が震えている。その所為でさらにミルクティーがぱちゃぱちゃと溢れ、中身がどんどん減っていく。あんな一杯淹れるから……。

 

「ミルクティー一杯如きで大袈裟だね。淹れ直せばいいじゃないか」

「いや、君はもう少し罪の意識を持てよ」

「だから謝ったじゃないか。ごめんって」

「謝ったっつーか誤ったんだろうが! そもそもなんで額に当てようとした!」

「なんかゴージャスっぽさを演出しようとしてるのか凄く鼻についた。忍姉さんを思い出すし」

「どんだけ忍が嫌いなんだよ君は」

 

 居るんだぞ、忍ここに居るんだぞ! そして僕、その忍の主なんだぞ! 元眷属だけれども!

 

「斧乃木余接……貴女は何も分かってませんわ……純粋なものに不純物が混じるというこの気持ち悪さ、貴女には分からなくて!?」

「分からないよ。っていうかそもそもミルクティーだってミルクとティーの合作じゃないか。言ってみればそれだって不純物だよ」

「ミルクティーは例外ですわ。ゴージャスっぽいでしょう?」

「自分勝手だね……お前、もしかして馬鹿なんじゃないの?」

「マカロンをぶち込んだ挙句に罵倒とか、どんな育ち方したんですの貴女……」

「生憎僕は育ちが悪くてね。親にロクなのが居なかったんだ」

 

 うん。

 まあ――育ての親がこの子の作成者とするなら、あのオカルト研究会メンバーということになるからな。忍野、貝木、正弦、影縫さん、臥煙さんが親とか……想像もつかないし、したくない。

 

「つーか、なんでお前ゴージャスに拘るの? 今は廃墟に住むなんていう没落っぷりの癖に。いいとこのお嬢様だったの?」

 

 斧乃木ちゃんはマカロンを手に取った。また弾くのかと思ったが、今度はちゃんと食べた。

 

「別に。お嬢様なんて、そんな大層なもんじゃありませんわ――私のご先祖様は、姫と呼ばれていたようですけれど」

「姫……」

「じゃあなんで――」

「だからですわ」

 

 識崎ちゃんはカップから手を離し、腕を組んだ。

 

「ご先祖様が高貴ならば――私も当然、高貴であるべきなのですわ」

「……何それ」

 

 斧乃木ちゃんはミルクティーにマカロンを投入した。それを見た識崎ちゃんの顔が一瞬だけ凄まじいことになったが、それは置いておこう。

 

「私はご先祖様を心から崇拝しておりますの。ご先祖様に粗相のないように子孫は振る舞わなければならない――当然でしょう?」

 

 識崎ちゃんは言う――当然、なのか?

 別に、識崎ちゃんの姿勢は悪いものだとは全く思わない。寧ろ、良いものであるとさえ思う。自分の先祖を敬わない若者が増えた昨今、今なおそういう姿勢を保ち続けいるのは、賞賛すべきことであるのは確かである。

 僕なんて、自分の先祖のことを何一つ知らない。精々知っていても曾お婆ちゃんや曾お爺ちゃんくらいだし、僕の家系のルーツなんて考えたこともない。

 

「ご先祖様が高い位に居たのにも関わらず、子孫である私がひもじい暮らしをするなど不遜もいいところ――だから、私はこの部屋を作りましたの」

 

 素敵でしょう?

 識崎ちゃんは両手を広げた。

 

「先代が高貴なら、後継もそれに恥じない生き方をしなければ。でないとご先祖様に笑われてしまいますわ」

 

 識崎ちゃんは腕を組んだ――それでこの過剰なまでに派手な部屋を作ったのか。

 正直、やり過ぎのように思えるけれど……こんなに常時部屋がきらきら光っていると、生活しにくそうだ。先祖に笑われるというのなら、寧ろそっちの方が笑われそうだけれど。

 

「つまり今の話を総合すると――」

 

 斧乃木ちゃんが言う。

 

「――君は別に裕福なお嬢様とか高貴な身分の奴とかそういう訳ではなく、もっともらしい言い訳をつけてゴージャス生活に勤しみ、偽りのお姫様気分に浸っているスイーツ系女子って訳だ」

「容赦なさすぎるだろ!!」

 

 つーか言葉選びに悪意を感じるぞ! 君、悪意を発したことなんて一度もないとか言っていたけれど、よくそんな事が言えたもんだな!

 悪意の塊もいいところだ――うわあ、また識崎ちゃん怒ってるよ! 軸足を床に打ち付けまくってるよ!

 

「言い訳ではありませんの……私は心の底から思ったことをこうして口に出しただけだというのに……これだから下賤の屑は」

「それ、凄く特大のブーメランなんだけど」

「っ…………!!」

 

 またカップがカタカタ震えている――なんだろう、この子のやる事なす事全てが裏目に出るというか、全部空回りするというか……不憫っ子? 最高だな。

 

「不憫っていうな変態野郎!!」

「あれ、声に出てた!?」

 

 びっくりである。

 まずいな、欲望の抑制が出来ていない。落ち着け、落ち着くんだ阿良々木暦。僕は変態なんかじゃなくて、紳士なのだから。

 

「変態という名の紳士って奴ですの? ……ふん。まあいいですわ……」

「え、いいんだ」

「良くないですけれども!!」

 

 識崎ちゃんはマカロンを四個一気に口に放り込んだ。そして噎せた。

 

「げほっ、げほっ、うぐっ……」

「ねえ鬼いちゃん。やっぱりこいつ馬鹿だよ」

「こら斧乃木ちゃん。思っても言っていい事と悪い事があるんだぞ」

「や、やかましいですわ!!」

 

 識崎ちゃんは僕らを睨む――けれど、涙目な所為かいまいち迫力に欠けている。

 

「ちっ……先程も申し上げましたけれど、私あなた方と雑談するためにこの場を用意した訳ではありませんの!」

「ああ、そういえばそういう話だったな」

「ごちゃごちゃパフォーマンスしてるお前が悪いんだろ。さっさと言えよ」

「ぐぎぎ……!!」

 

 識崎ちゃんは歯をぎりぎりと鳴らす。

 ……なんか可哀想に見えてきたな。

 

「可哀想に見せるのも、こいつのトラップかもね。……それはそれとして」

 

 斧乃木ちゃんはマカロンを入れたミルクティーを飲んだ。ぐびぐびと、一気飲みである。

 喉を鳴らした後、マカロンを咀嚼する――表情が変わらないので美味しいのか美味しくないのか分からない。どうなのだろう?

 

「話し辛いならもう一回きっかけを与えてやるよ。ありがたく思え」

「上から目線ですわね。それがものを頼む態度ですこと?」

例外の方が(アンリミテッド)――」

「待て待て待て!!」

 

 何やってんの君!? 全てが台無しになりかけたぞ、おい!

 

「だってこいつ必要以上にムカつくんだもん」

「我慢してくれ斧乃木ちゃん。まずは話を聞こう。攻撃はそれからだ」

「攻撃すること前提ですの!?」

 

 まあ、僕としては穏便にことを済ませたいが――そうはいかないだろうということを、僕の勘が告げている。プラスな勘よりマイナスな勘の方が当たりやすいのが僕、阿良々木暦である。

 

「識崎ちゃん。どうして僕達を襲ったんだ? 君の目的は、なんなんだ」

「…………」

 

 識崎ちゃんは足を組み直し、ティーカップを手に取った。

 

「……いいですわ」

 

 識崎ちゃんが言う。

 

「随分と遅くなりましたけれど、教えて差し上げましょう――あなた方の質問に答えて差し上げましょう」

 

 解答タイムですわ。

 

 識崎ちゃんはそういうと、マカロンの入ったミルクティーを飲んだ。マカロンを咀嚼した段階で一瞬だけ驚いたような顔をし、飲み込んでから――僕らを睨んだ。

 ……美味しかったのか。

 

 

 

[013]

 

「さあ、教えて差し上げましょう。私の正体を――私の目的を。

 

「……え? マカロンは美味しかったかって?

「…………。

「それを知って貴方に得がありますの?

 

「……ふん。

「まあいいですわ。

「全く出鼻を挫くのが好きな方々ですことね――いっそのこと教えないという選択肢も、私にはあるというのに。

 

「ふふふ。

 

「そうね、そうですわ!

「私散々弄られて業腹ですの。

「だから、ただで教えるという訳にはいきませんわね。ふふふ。

「そうね、どうしましょう?

「…………。

「……そうだわ!

「土下座するなら、教えて差し上げても良くってよ!

 

「…………。

「えっ。

 

「ちょ――な、なんでそんなすぐに土下座出来ますの? 土下座ですわよ!? あ、阿良々木暦! 貴方、恥も外聞も無いんですの!?

「えぇ……。

「ド、ドン引きですわ……まさかこの世に土下座が趣味の男が居るなんて……。

「……なんだか釈然としませんの。

「……けれどまあ、土下座はして頂いたことですし……。

 

「はぁ……。

「教えますわ……。

「何ですの、この微妙な気分……要求を飲ませることには成功したのに、負けた気分ですわ……。

 

「ええと、何でしたっけ? ああ、そうそう。

「どうして私があなた方を狙ったのか、でしたわね。

「そして、その目的は何か――この二つ。

「一つ一つ解説しましょう――と言いたいところですけれど、この二つは結局同じ質問ですの。

「理由も、目的も。

「全て同じ――ですわ。

 

「私があなた方を攻撃する理由は、ただ一つ――あなた方を殺すため。

「ですわ。

 

「別に意外な事でもないでしょう? どうせ薄々感付いていた癖に。

「あの鎧も、悪魔も、全て私のトラップ――ええ、そうですわ。あの『鎧』もですわ。

「全くお笑いでしたわね。まさかあれを被るとは――被ったら脱げないようにしたのは保険みたいなものだったのですけれど、まさかその保険が発動するとは……予想外もいいところでしたわ。

 

「しかし、想定内ではありましたの。

 

「だって――妖刀『心渡』を使って下さったのですから。

 

「怪異にはそれに相応しい理由がある――あの『鎧』の役目は、つまり、それですわ。

妖刀(・・)心渡(・・)のデータ回収(・・・・・・)――ですわ。

「しっかりと役目を果たしてくれましたの。

「あの『鎧』は。

 

「刀には刀をぶつけるのが一番ですものね――え? あれは刀に見えないって?

「まあ、でしょうね。

「何も知らなければ、あれはただの兜にしか見えませんでしょうね――しかしあれは兜ではありませんわ。

 

「『鎧』ですの。

 

「『鎧』であり、刀でもある――遥か昔、私のご先祖様である刀鍛冶"四季崎記紀"が作りし"完成形変体刀"が一本――

「――"賊刀『鎧』"。

 

「それが、あの怪異の名前ですわ。

 

「まあ、元の性質からは少々アレンジを加えさせましたけれど――これは先代を強化したということで、ご先祖様のオリジナルを蔑ろにしている訳ではないということをゆめゆめお忘れなく。

「まあ、私がどうして心渡のデータを欲したのかは、いずれ分かりますわ。

「いずれ、ね。

「兎に角、それがあの『鎧』ですわ。最初の洗礼、軽いトラップのつもりでしたけれど、意外に手こずってくれたようで。私満足ですわ。

「期待以上の働きをしたということですわ――流石ご先祖様の作りし刀。レプリカでも素晴らしいですわ。

 

「え? 完成形変体刀はまだあるのかって?

「それを教えて私に得がありますの?

「あなた方には得があるんでしょうけれど――私、自分に損しかないようなことはしない主義ですの。

 

「……え? こうして目的を教えているのは損な行動じゃないのかって?

「…………。

「…………。

 

「……もう教えませんわよ。

「ええい、土下座を止め――って、ずっと土下座してたんですの!? はあ!?

「ど、どういう神経してますの貴方……こ、怖いですわ……怪異よりも怖いですわ……。

「わ、分かりましたわ。教えます、教えますから、その土下座を止めて下さいまし!!

 

「はぁ……とんでもない男ですわね、貴方……。

「ゴリ押しもいいところですわ――ふん。

 

「まあいいですわ。

「それこそ本当にどうでもいいですわ――では、次のネタばらし。

 

「レイニー・デヴィル。

 

「言うまでもなく、あれも私が用意させたものですわ。最初、心渡で切断されたものと、斧乃木余接が何度も撃退したもの、以上の二体。

「そう、最初のレイニー・デヴィルも私のものですわ。私の演技、上手かったでしょう?

「お陰で貴方をころっと騙せましたわ――それに、忍野扇を退場させることが出来た。

「あの存在は厄介ですものね。様々な怪異のハイブリッド、正しく新種の怪異。

「まあ、新種の怪異を作らせたのは、私も同じですけれど。

「あれの所為で『鎧』が突破された訳ですしね。全く侮れませんわ。

 

「閑話休題。

 

「貴方を騙し、見事あのダサい車に乗車することに成功し――

「え? ダサいって言うな?

「いやダサいでしょうあれは。何ですのあのフォルムにあの色! 私絶対にあんな車は買いませんことよ。

 

「兎に角、あの車に乗りおおせた私――ですが、あの状況だと貴方と二人きりになれませんでしたの。

「そうですわ。二人きりになりたいというのは、本当。

「貴方と親交を深める気なんて微塵もありませんでしたけれども。

「だから八九寺真宵を退場させた――いっそのことここで正体を明かして八九寺真宵を潰してしまおうとも考えましたけれど、流石にそれはまだ早いと思い、退場に留めましたの。

 

「しかし面白いように思い通りに動いてくれましたわね、貴方。

「多少私が糸で操っていたとしても――それでもあそこまで貴方が愚かとは、私貴方を過大評価し過ぎていましたわ。

「伝説の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの成れの果てを影で飼っている――こんな情報を知れば、そりゃあ誰だって貴方を過大評価しますわよ。

「まあお陰でことは思い通りに進みましたわ。八九寺真宵は見事退場し、私と貴方は二人きりになることが出来た。

 

「そして私は糸を強めた。

「見事なほど私の言う通り動いてくれましたわね、貴方。私が第二のレイニー・デヴィルの存在を貴方に警告したのも、油断しきった貴方を一撃で殺すため。

 

「ここまでは本当に上手くいってましたわ――ここまでは。

 

「問題はここからですの。

 

「八九寺真宵を退場させたことにより、八九寺真宵は自由の身となってしまった。その所為で、ここから先の計画が全て狂いましたの。

 

「斧乃木余接。貴方の所為でね。

 

「本来ならレイニー・デヴィルに殺されておしまいだった筈なのに、貴方が逆にレイニー・デヴィルを潰してしまった――こちらもまた保険で再生機能を付けておいたからよかったものの、もし付けておかなかったら私の計画が全て台無しになるところでしたわ。

「全く恐ろしいですわ。

「しかも阿良々木暦と二人きりという状況も崩された――お陰で私の糸は弱まり、貴女を退場させることが出来なくなりましたの。

 

「でもせめて阿良々木暦は潰しておきたかった――だから再びレイニー・デヴィルを使いましたの。

「レイニー・デヴィルが現れる直前、私饒舌になりましたでしょう? あれで気を逸らそうと必死だったのですわ。そして気を逸らすのには成功しましたの。

「しかし――貴方は、窓を閉めなかった。

「その所為で斧乃木余接は容赦なくレイニー・デヴィルの頭を潰すことが出来た――作戦、大失敗ですわ。

「この時の私の焦りよう、想像出来て? 私元々誰かを騙すのは苦手でしたし、ボロをボロボロ出していましたわ。貴方には気付かれませんでしたけれど、斧乃木余接にはバレバレもいいところ――このまま何もしなければ、確実に負ける。

 

「だから、最終手段を使いましたの。

 

「『くらやみ』――世界のルールにして、怪異の反物質。

 

「斧乃木余接にルール違反を犯させ、あなた方をまとめて消し飛ばそうとしましたわ。

「ですけれど、これも失敗。

「まさか最終手段まで失敗するとは思いませんでしたの――結局あなた方はこの屋敷まで辿り着いてしまい、こうして私が種明かしをしているのでした、ということですわ。

 

「滑稽でしょう?

「本当もう失敗続きですわ――全く、慣れないことはするものではありませんわね。

 

「……さて。

「私がこんな慣れないことをした理由を説明して欲しいのかしら?

「仕方ありませんわね。

「お教えしましょう――とは言いましても、あなた方が今から話すことについて理解できるとは思えませんし、私にとって得が一つもないことなのですけれど。

 

「――私があなた方を殺そうとした理由。

「私があなた方を殺そうとした目的。

 

「それは――歴史の改竄のため、ですわ」

 

 

 

[014]

 

「歴史の改竄……?」

 

 僕は識崎ちゃんの台詞を反芻した。

 改竄――どういうことだ?

 僕は斧乃木ちゃんを見た。が、斧乃木ちゃんはいつも通りの無表情。そこから感情を読み取ることはできない。

 斧乃木ちゃんには、意味が解っているのだろうか? それとも。

 

 ――いや、そもそも――四季崎記紀だと。

 完成形変体刀だと。

 どうしてここでその名前が出てくるんだ――!?

 

「まあ、『改竄』というより『修正』と言った方が正しいですわね」

「……どういう意味なんだよ」

「はい?」

「歴史の改竄とか、修正とか――意味わかんねーよ。そんな訳のわからない理由で、君は僕達を殺そうとしたっていうのか」

「ですから言ったでしょう? あなた方が理解できると思ってはいない、と」

 

 識崎ちゃんは僕達を睨み付けながら言う――まるで悪びれもせず、さも自分が言っていることが世界の真理であるかのように、識崎ちゃんは続けた。

 

「歴史の修正――即ち、本来の歴史を取り戻すということ」

「本来の――歴史」

「そう。なんて言っても、あなた方は解らないでしょう?」

「……分かんねーよ」

 

 つまり、この子は歴史を変えるために動いている……つまり、未来を変えるために動いている、ということなのだろうか?

 

「そんな難しい話ではありませんの。未来なんて私には見えませんわ――ご先祖様は見えたようですけれど」

「未来が、見えた?」

「四季崎の家系は代々、占術師の家系なのですわ。とは言え、それは昔の話。今では多様な血が混じり、占術の力は失われてしまいましたの。残念なことに」

 

 未来を変えるという訳ではない……ならば、どういうことだ?

 いや、そもそも歴史の改竄とはどういうことだ。歴史の修正とは。

 

「わざわざ説明するまでもないでしょう? 至極簡単なことですわよ」

「いや、分かんねーよ。君にとっては簡単な事だろうけれど……」

「いや、これは簡単なことだよ。鬼いちゃん」

「斧乃木ちゃん」

 

 簡単だって?

 これが簡単だというのか――いや待て、斧乃木ちゃんの簡単は当てにならないと、僕は先程認識した筈ではなかったか。

 

「やれやれ、僕を信用しないんだね――まあいいけどさ」

「いや、信用するとか、しないじゃなくて……本当に分からないんだよ。どういうことなんだ?」

 

 まさか、年表の一部を塗りつぶし、別の内容を上書きするというような、そんな単純なことでもあるまいに。

 

「いや、それで合ってるよ。なんだ、分かってるんじゃないか」

「え?」

 

 またぞろ斧乃木ちゃんの冗談かと思ったが、斧乃木ちゃんの目はマジだ。いや、無表情だから目はいつもマジなのだけれど。

 識崎ちゃんを見る。けれど、識崎ちゃんも別に否定するような素振りは見せていない。

 歴史の改竄……え?

 そんな単純な――簡単な解釈でいいのか?

 改竄という言葉の意味から考えても、確かにそのままの意味過ぎるけれど――。

 

「まあ、流石にそのままって訳じゃないのだろうけれど――概ねそんなような意味だろう」

「……仮にそうだとしても、それと僕達を殺すことと、どういう関係があるっていうんだ?」

 

 僕達の存在が気にくわないのなら、僕達の記述を、それこそ塗りつぶせばいいだけの話だ。僕達について記述された文章を消すだけでいい――さっきの定義通りなら、それで歴史の改竄は通用する筈だ。

 

「ええ、その通りですわ――けれど、それは真の改竄ではありませんの。ただの自己満足ですわ」

「自己満足……」

 

 ならば彼女の行動は、自己満足ではないというのか。どんな大義名分を掲げて、こんなことを――。

 

「全ては四季崎の悲願を達成するためですわ」

「四季崎の――悲願?」

「ええ」

 

 識崎ちゃんはマカロンを一つ口に入れた。そしてそれを流し込むかのように、ミルクティーを飲んだ――あれ、いつ注がれたんだ?

 

歴史を偽り無きものにする(・・・・・・・・・・・・)――この偽りの、不完全の歴史から、お前たちという不純物を取り除き、純粋な、完全な歴史を取り戻す。それが、私の目的ですわ」

「偽りの、歴史……」

 

 この歴史が――間違っていると言いたいのか?

 僕達はこの世界に存在してはならないと、彼女はそう言いたいのか?

 不純物。

 ならば完全な歴史とは一体なんなのだ。僕達が居ない歴史――僕達の居ない世界。

 

「で、でも、なんで僕達なんだ。どうやって僕と斧乃木ちゃんが不純物であると認定したんだ」

「あら?」

 

 識崎ちゃんはマカロンを一つ齧ろうとした、が、その手を止めた。

 

「どうやら貴方、勘違いしていらっしゃるようね」

「勘違い?」

 

 僕の解釈が間違っていたということか? じゃあ、えっと……いや、それ以外にどう解釈すれば――。

 

「いえ、解釈はそれで合ってますわよ」

「え?」

 

 じゃあ、どこが間違っているというのだろう――なんて、そんなことは分かりきっているじゃないか。

 まだ僕は此の期に及んで――識崎ちゃんを、敵と思いたくないのか。

 識崎ちゃんは、僕の誤答を訂正する。最も最悪な形に、最も僕が忌避した形に。

 

「ただ――不純物はあなた方二人だけではありませんの」

「っ――――!!」

 

「阿良々木暦、戦場ヶ原ひたぎ、八九寺真宵、神原駿河、千石撫子、羽川翼、忍野忍、斧乃木余接、忍野扇、老倉育、沼地蠟花、忍野メメ、貝木泥舟、影縫余弦、臥煙伊豆湖、手折正弦、ドラマツルギー、エピソード――私の仕留めるべきターゲットですわ」

 

 

 

[015]

 

 僕は思わず識崎ちゃんに掴みかかろうとした。

 いや、後から考えてもその時点から考えても、なんと幼稚な行動なのだろうと思う。高校を卒業した男が中学生くらいの女子に掴みかかろうとするなど、言語道断の行為である。

 

 でも。

 それでも。

 

 ここで激昂しないのであれば、それは間違いなく僕じゃない――阿良々木暦という愚か者ではない。

 ここで激昂しない程の精神力を持っているのであれば、僕は愚か者と呼ばれることもなかったし、もう少しマシな生活を送っていただろう。

 

 僕の友達が狙われている。

 僕の知り合いを殺そうとしている。

 

 そんなことを面と向かって宣言されて、正気でいられるような僕ではないのだ――正気でいられないのが正しいというのであれば、僕はそんな正しさはいらない。

 ……などと言ってみたけれど、実際は識崎ちゃんに触れることさえも出来なかった。

 いや、別に識崎ちゃんの気迫に怯んだとか、女子の体に触れるのにやっぱり躊躇したとか、そういうことではない。

 

 触れるどころか――動けなかった。

 

「っ――――!?」

 

 糸。

 いつの間に施されたのか――僕と斧乃木ちゃんの体に何本もの細い糸が巻き付けられていた。糸は椅子と繋がっており、僕達の動きは完全に固定されてしまっていたのだ。

 やはり椅子は罠だった――そしてやはり、座らないというパターンも想定された第二段階が用意されていたのだ。

 動こうにも、糸が絡みつき、縛られ、動けない。普通の糸ならば簡単に引き千切ることが出来るだろうが――しかし、恐らくこれは普通の糸ではない。

 

 尋常ならざる強度の糸。

 普通と異なる――怪異。

 

「やっぱりね――僕の睨んだとおりだ。お前、蜘蛛を飼ってるな」

「ふふん」

 

 蜘蛛?

 そういえば、車の中でそんなようなことを言っていた気がする――蜘蛛。

 つまりこれは、蜘蛛の糸か。

 

「それを知ったところでどうなるということでもないでしょうに――ふふふ、私とお喋りして下さって感謝いたしますわ。お陰でこうしてあなた方を、確実に殺せる」

 

 確実に殺せる。

 この糸にどんな副作用があるのかは定かではなかったが、少なくともピンチであることは疑いようのない事実のようであった。

 

「……斧乃木ちゃん」

「なんだい鬼いちゃん」

 

 僕は小声で呟いた。呟いたと言っても唇を動かしているのが認識できない程に小さな声であり、斧乃木ちゃんに聞こえるかどうかは賭けのようなものであった――が、どうやら聞こえたようだ。同じく小さな声で返してきた。

 

例外の方が多い規則(アンリミテッド・ルールブック)で、この糸を引き千切ることは出来るか」

「無理だね」

 

 即答であった。

 

「無理なのかよ」

「ああ、無理だ――あれを発動しても、この糸は解けないだろう。寧ろ肥大化した部位に深く食い込んで僕が傷を負う」

「そうか……」

「それに、何だか調子が悪い」

「調子が悪い……?」

 

 どういうことだろう? まだ吐き気が残っているのだろうか? もしそうだとするならば、本当に僕はお荷物にしかなっていないと言えよう。

 となれば、いよいよピンチであった。手出しなし。ハンズアップである。

 どうも通用するらしい土下座も、動けないのでは意味がない――精神的には土下座している気分なのだが……。

 

「ふふふ。だから言いましたでしょう? 私、自分にとって損になることはしない主義だと――この場であなた方を殺してしまえば、何を聞こうと何を知ろうと、その全てが意味をなさないでしょう?」

 

 つまり――識崎ちゃんは、最初からそのつもりだったのか。この屋敷に誘い込んだ時点から、これを計画していたというのか。

 トラップ。

 この屋敷に入った時点で、僕達は蜘蛛の巣に迷い込んだ羽虫も同然だったということか。だとすれば全くお笑いである。自分から罠に飛び込んだということなのだから――。

 

「さて、と――では、物語を、歴史を、修正致しましょう――否定いたしましょう」

 

 識崎ちゃんはそう言うと、財宝の絨毯の中から棒状の何かを取り出した。

 それは刀だった。鍔の無い刀で、刀身から柄までの全てが漆黒。柄には花の模様が描かれており、どこか芸術品のような美しさを醸し出していた。

 

 しかし。

 

 その刀を見て僕が初めに抱いた印象は、『美しい』ではなかった。そう思ったのは飽くまで第二印象だ。

 ――『禍々しい』。

 それが第一印象だ――柄は折れ曲がり、刃は鋸のようにぎざぎざな、歪な刀。そして、その刀から溢れ出す瘴気――どう考えても、普通の刀ではなかった。

 

「毒刀『鍍』」

 

 刀を構えた識崎ちゃんは言った。

 

「四季崎記紀が作りし完成形変体刀が一つ――あなた方を殺すには勿体無い代物ですけれど、特別ですわ。有難く斬られなさい」

 

 毒刀『鍍』。

 それがこの怪異の名前か――怪異っつーか、完成形変態刀とやらの一本か。

 

「おい阿良々木暦」

「な、なんだよ」

 

 モノローグを邪魔するなんてアリかよ。幾ら敵キャラだからって、やっていいことと悪いことがあるんだぞ。

 

「完成形変"態"刀ではありませんの。完成形変"体"刀! 変態の態ではなく、全体の体! なんですの変態刀って! 私の偉大なるご先祖様が、そんな卑猥な名前の刀を作ると思わないで下さいまし!!」

「いや、へんたいって読みを態々付けた位なのだから、これ位の誤読、そのご先祖様だって意識してた筈だぜ」

 

 まあ昔に変態なんて言葉があったのかどうかなんて、僕は知らないけれど。戦場ヶ原とか羽川辺りなら知ってるかな?

 

「ご、ご先祖様を侮辱するとは――許すまじ阿良々木暦!!」

「わ、悪かったよ。後で土下座してやる」

「ホイホイ土下座土下座って、プライドは無いんですの!?」

「プライド? そんなもん、とうの昔にゴミ箱に捨てた」

 

 エロ本と一緒にな。

 

「いっその事ご自分の命も棄てたら良かったのですわ!!」

「…………」

 

 僕がイメージしてたのは、まさに命を棄てようとしていた時の事なのだけれど。まあ、言わない。

 識崎ちゃん風に言うなら、それを教えて何か僕にメリットがあるのか、という奴である。

 

「はあ……貴方と話していると調子が狂いますわ――調子どころか、予定もぐちゃぐちゃですわよ」

「そんなもん僕の所為にすんじゃねえよ」

「だからさっさと殺しましょう」

「え!?」

 

 識崎ちゃんは刀を構え直した――くそっ、何とかして時間を稼ごうとしたのに、流石に限界か!?

 

「ま、待て! 識崎ちゃん! 話し合おう! 今ならまだ分かり合える――」

「無駄だよ鬼いちゃん」

「斧乃木ちゃん!?」

 

 死の瀬戸際ということで必死に死刑執行を引き延ばそうとしている僕を邪魔する童女。

 まさかまさかの斧乃木ちゃんである。

 

「無駄だ――こいつと僕たちは分かり合えない。絶対に無理だ」

「そこまで言うか……?」

「そこまで言うよ。こいつと僕たちはまず思考回路が全く違う。狂人と仲良くすることなんて出来やしないのさ」

「お、おいおい。狂人だなんて」

「こんな状況にまで追いやられてもまだこいつを弁護するつもり?」

「っ…………」

 

 どうして僕はこの子をつい弁護してしまうのだろうか?

 蜘蛛の糸――。

 

「そもそもこいつ自体が歩み寄る気が無いんじゃあ、話にならないよ。そうでしょ?」

「ふん、分かってるじゃありませんの」

 

 歩み寄る気は無くとも、刀を構え、躙り寄ってくる。

 

 歴史の修正と言ったか――こいつにとって、それは果たしてどれ程の比重を誇っているのだろう?

 四季崎の悲願。

 それこそ、この子だって傀儡なんじゃあないのか? 先祖に操られている、操り人形なんじゃないのか?

 本当にこれは――この子の意思なのだろうか?

 

「最後に言い残すことは?」

 

 識崎ちゃんは刀を斧乃木ちゃんの首に掛け、言った――え? 斧乃木ちゃんからなのか? てっきり僕からだと――いや、そうか。

 僕を先に殺してしまうと、両方を殺せる確率が下がってしまうのか。

 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの復活。

 幾ら殺害対象に含めていても、ここで戦うのは避けたい筈である。ならば、殺しても何もない、斧乃木ちゃんから殺すのが最善――。

 

「鬼いちゃん」

「え?」

 

 刃を突き付けられながら、斧乃木ちゃんが言った。

 

「今までありがとう。友達以上として――ずっと大好きだったよ」

「え?」

 

 今までありがとう。

 大好きだった。

 え?

 こ、この状況で――何だよ、その唐突な、伏線も何もないカミングアウト。

 笑えねえ――!!

 

「じゃあね。いえーい」

「斧乃木ちゃん! 一体どういう――」

「死ね! 斧乃木余接!!」

 

 首筋に突き付けられた毒刀が、今、振り抜かれた。

 

 表情無き――感情無き式神童女、斧乃木余接は。

 その瞬間まで、キメ顔を貫いた。

 

 無表情な訳だけれども。

 

 




■ 以下、豫告 ■

「忍野忍じ「斧乃木余接だよ。いえーい」

「何でうぬが出てくるんじゃあ!!」

「やれって言われたんだ。僕だって貴女となんてやりたくなかった」


「ミスタードーナツと言えばドーナツも良いけどさ、サブメニューもそれなりに輝いてるよね」

「たわけが。サブメニューなど儂の眼中にないわ! 儂が狙うはメインメニューのみよ!」

「貴女のターゲットなんて聞いてないよ。サブメニューの中でもキャラ的に気になるのは、やっぱりポン・デ・ライオンもなかアイスだよね」

「ふん、いまに見ておれ。儂が本気を出せば、あんなライオンなぞすぐに失脚させてくれるわ! そして忍野忍もなかアイスに変更されるのじゃ! かかっ!」

「やめろよ、気持ち悪いよ。僕本編で散々な目に遭ったんだから、予告でまで吐き気を催させるの、やめてくれないかな」

「うぬ、死にたいか?」

「やってみろよ後期高齢者」


「「次回、衣物語 しるしメイク 其ノ肆」」


「二度とキメ顔など出来なくさせてやるわ!!」

「だから僕無表情なんだって」


■ 附錄 ■

織崎記 予告絵風

【挿絵表示】

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