〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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 時系列は《しのぶハート 其ノ肆》途中。


■ 以下、注意事項 ■

・約一万ニ千字です。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分のネタバレを含みます。
・他、何か有れば書きます。

■ 黒齣 ■


第過話 ひよりウェア

[001]

 

 

 神崎日和について語ることは、今となってはただの想起でしかなく、ほんの短い間における思い出でしかないのだけれど、しかし物語というものは、実のところ全てが思い出話にすぎないのである。

 

 思い出話――思い出す話。想起する話。

 

 僕たちは未来について語る事は出来ない。夢とか希望とか、そういう未来についてではなく、もっと確実な未来の話を、僕たちは語れない。

 

 未来は未だ来ないから未来なのであって、ならば必然、来ていないものを語ることは不可能となる。何が起こるのか分からないのに、それがさも当然のように語ることが出来るのは、本物の予言者か、或いはタイムスリップして未来を見てきた人物にしか出来ない。

 

 人はしばしば過去を振り返らなければ生きていけない生き物だと僕は断ずる。そうでなければ、過去そのものを具現化した象徴たる伝記なんてものがこの世に存在する訳が無いし、自分の経験が少なからず内包される、即ち過去が混ぜられた物語というものが生じる筈もない。いや、より極端なことを言ってしまえば、本というものの存在そのものが、もう既に僕の理論を証明しているではないか。

 

 日記や雑記――これらは全て過去そのものであり、過去を振り返るためだけに生まれたものだ。過ぎ去ったことはもう二度と体験することは出来ないというのに、どうして人は振り返りたがるのだろう?

 

 思うに、それは精神を安定させるためなのだ。現実から目を反らすという行為に、それは他ならない。

 

 二度と戻らないものというのは、決してもう一度追体験できるようなものではないけれど、それは裏を返せば今自分がどのような行動をとろうとも決して変化することのない不変の事実である。故に、人は時々立ち止まって過去を振り返るのだ。ほんの少しのことで変化してしまう未来を恐れ、その責任から逃れるために。

 

 ――なんて、そんな前説もそこそこに、今回はほんの少し過去の物語を語らせていただこう。これを語ることによって誰が得する訳でもないし、ましてや今後の展開に重要なファクターという訳でもない、ただ僕の自己満足以外の何物でもないのだけれど。

 

 どうか、お付き合い願いたい。

 

 

 

[002]

 

 

「さあ阿良々木お兄ちゃん、今日も社会見学に参りましょう!」

 

 鳥居をくぐるや否や、鶯色の着物をはためかせて日和ちゃんが駆けてきた。紫陽花色の目がキラキラと輝いている――それを見た僕は思わず目を背けてしまった。何せこちとら穢れきった吸血鬼、片や純粋(どこかの誰かさんたちの所為で汚染が進んでいるような気がしないでもないが)な児女。とても直視できるものではない。え? 八九寺? あいつはもう手遅れだから……。

 が、目線を横に向けると同時に日和ちゃんも目線と同じ方向に動いてきた。視界の中にアメジストが。眩しい! また視線を別方向に向けたがまたもや日和ちゃんが視界の中に!

 

 今日は3月31日。日和ちゃんと出会い、一週間以上が経つ。しかもその期間毎日会っているのだから、いい加減この純粋極まる視線に耐えるだけの精神力を手に入れても良さそうなものなのだが。

 

「何ゆえ避けるのです? こちらを見てください阿良々木お兄ちゃん!」

 

「いや、まあ、そうしたいのは僕としてもやまやまなんだけれど、ちょっと目玉が焼けそうでな……」

 

「焼けそう。ほう。それは何ゆえ?」

 

 背伸びして僕の顔を覗き込んでくる日和ちゃん。開放してくれないのか。

 

「えっとだな……ほら、僕ってちょっとだけ吸血鬼じゃん? だから君の目に反射する日光が必要以上に眩しく感じてしまうんだ」

 

 あまりにも苦しい言い訳だった。

 

 けれども日和ちゃんは、

 

「はあ。左様ですか。それは申し訳ございません、配慮が足りませんでしたね」

 

 と純粋にも信じてくれた。

 

 胸を撫で降ろしたものの、新たに罪悪感がずーんと胸に重くのしかかってきた。ああ、僕って屑だなぁ、って思った。

 

「おや、どうしましたか阿良々木お兄ちゃん。急に項垂れたりなんかして――ははあ。さてはあたいの眼が眩しすぎて(なづき)に負担がかかってしまったのですね。ええ、分かりましたとも阿良々木お兄ちゃん! さらば、あたいの双眼!!」

 

「待て待て待て待てえぇぇー!!」

 

 僕は日和ちゃんの両手を慌てて掴んだ。年端もいかない児女らしい少しぷっくりとした指先に付いた小さな爪は、まるで剃刀の刃のように、或いはカッターナイフのように、薄く鋭い刃物と化していた。

 

 日和ちゃんはきょとんとしたような顔で僕の顔を見た。

 

「日和ちゃん!? 何しようとした!? 今きみ何しようとした!?」

 

「阿良々木お兄ちゃんがあたいの眼が苦手だと仰るので、裂き出そうかと」

 

「裂き出すなんて物騒すぎる言葉聞いたことねえよ! 無茶が過ぎるぞおい!」

 

「ですが、この眼があるとあたいは阿良々木お兄ちゃんを傷付けてしまいます。それはとても良くありません。だから」

 

「いやだからじゃねーよ! きみ自体はそういうことやって大丈夫なのかよ!? あれか、眼がなくても別の感覚器官とかで見れたりするのか!?」

 

「いえ。視覚を司る部位は眼だけです。この両目を無くせばあたいは何も見えませんよ」

 

「その癖目玉を切るなんてことをしようとしたのかきみは!? 後先考えようぜ少しは!」

 

「大丈夫です。あたいは阿良々木お兄ちゃんが、あたいに付き添い、あたいの眼となってくれると信じていますから」

 

「仮に不慮の事故できみが両目を失った場合はそれくらいお安い御用だけれど、それが自発的だった場合の話は別だぞ! 何も手伝ってやんねえからな!!」

 

「はあ、そうなんですか? なんと!」

 

「驚くな……流石にそれはお人好しを通り越して、人格を疑われるレベルだぜ」

 

 僕は日和ちゃんの両手を離した。指先の刃物が爪に変わっていることを確認したからだ。

 

「でしたらこの双眼を穿つことは出来ませんね。申し訳ありませんが、どうか耐え忍んで頂きたいです」

 

「ああ、当然だ」

 

 ……なんか、もう見つめられても大丈夫な気がしてきたけどな。日和ちゃんの内面に潜む闇を垣間見てしまったから。

 いや駄目、やっぱ無理だ。これが100%混じり気のない善意だと考えると、やはり純粋すぎる。純粋すぎて涙が出てきそうだ。

 

 ――さて、今更ながら、僕が何をしにこの北白蛇神社にやって来たか説明しよう。いや、説明するまでもなく、僕はしょっちゅうこの場所に足を運んでいるから、それに疑問を抱かなくなった読者も多分に居るとは思うけれど。

 

 神崎日和が神崎日和となってからの話である――つまり、『日和号』の呪縛から解き放たれて、織崎記とかいう僕たちの命を狙うゴスロリ少女の支配から解放されてからのこと。

 

 出自が出自ゆえ身寄りのない日和ちゃんは、ややあって八九寺と共にこの北白蛇神社で暮らすことを選択した。勿論僕としてはそれに不満はない――何せ神様と一緒に住んでいるのだ。安全度は高い――が、それでも、ほんの少しばかり心配なので、こうしてこの所毎日、北白蛇神社に通っているのである。だがその度に、僕は日和ちゃんにある事を要求されるのだ。

 

 即ちそれが、『社会見学』である。

 

 厳密に言えば違うらしいが、遥か昔の時代で生きていた日和ちゃんにとって、現代の進化っぷりはどうやら非常に(日和ちゃん風に言うならいたく)興味の唆られるものであるようで、見た目相応の好奇心を持つ彼女は、社会見学と称し僕を引き連れて町の散策に出かけるのが恒例となったのであった。

 

 僕は境内を見回した。

 

 少し前までは諸事情により落ち葉だらけだった神域だが、今は日和ちゃんの毎朝の頑張りにより、すっかり綺麗になっている。箒で掃いただけだろうけれど、それだけでも印象はかなり違うのだ。

 

 整理の出来る良い子、日和ちゃん。

 ……は、いいのだが。

 

 さて、ところでここの神様は何処なのだろうか? 先程から全く姿を見せない。あのツインテロリストは何処へ。

 

「日和ちゃん、八九寺はどこだ?」

 

「八九寺お姉ちゃんですか? 八九寺お姉ちゃんは絶賛見回り中でございます」

 

「見回り?」

 

「はい。この町の見回りというのも、神さまたる八九寺お姉ちゃんのお務めの一つですから」

 

「はあん」

 

 どうやら、一応は神様としての役割を果たしているようだ。眷属である蛞蝓たちに任せっきりにしない辺りに好感が持てる。

 まあ、あいつの場合はもともとこの町を練り歩いていた幽霊だったからな。怠惰にごろごろして過ごすのは性に合わないのかもしれない。

 

「じゃあ日和ちゃん、今留守番してるんじゃないの? いいのか、そんな状況で行っちゃって」

 

「はい、問題はございません。阿良々木お兄ちゃんとの社会見学はあたいの日課ゆえ、八九寺お姉ちゃんもそれを前提として動いていると思われます」

 

「日課扱いされてた!?」

 

「あたいは早急にこの現代社会に馴染む必要があるのです。なのであたいは学習を自分に課しているのです。日課なのです」

 

「日課つっても、僕、流石に毎日は来れないぜ。いや、春休みの間は出来る限り毎日来るつもりではいるけれど、僕もそんなに暇って訳じゃあないしさ」

 

「なんと。阿良々木お兄ちゃんはいつも暇という訳ではなかったのですか。これは大発見です」

 

「八九寺に侵食されている……!」

 

 バリバリ悪影響受けてるよこの子。多分八九寺の冗談なんかも真に受けてるんだろうな……その辺り真面目というか、機械時代のの名残というか。

 

 こういうのを見ると、八九寺に預けたのはやっぱり失策だったんじゃないかなーとは思うけれど、じゃあ僕の家に連れ帰ったら悪影響も何もないのかといえば多分そんなことはない。

 

 間違いなく。

 

 寧ろ余計酷くなる未来しか見えない。主にでっかい妹とちっさい妹の所為で。場合によっては死体人形の所為で。

 

「という訳で阿良々木お兄ちゃん、本日はあたいに相応しい衣服を買いに参りましょう」

 

「衣服?」

 

「はい」

 

 日和ちゃんはくるりと一回転して言った。灰色の袴がふわりと浮かぶ。

 

「あたい、考えたのです。八九寺お姉ちゃんがこの神社における神様なのだとすれば、果たしてあたいはこの場にとって、どういう役割の存在なのかということを」

 

「どういう役割……いや、別に役割なんてないんじゃねえの? そんな難しく考えなくても」

 

「いいえ!」

 

 日和ちゃんは目を見開き僕を凝視した。まんまるとした目がキラキラと光っている。眩しいよだから。

 

「あたいは日頃おかしいと思っていました。どうしてここはお社なのに、神主、或いは巫女が居ないのか。どうして八九寺お姉ちゃんは一人だけでぽつんと過ごしているのだろう、と」

 

「巫女……まあ確かに、神社には神様だけで、神主とかは居ないってのも聞かない話ではあるな」

 

 寺に住職が居ないようなものなのかもしれない。いや、住職と神主が同義存在という訳ではないだろうが。

 

「じゃあ、どうするってんだ? 新しく、その道の専門家の人を招くのか? 僕、そんな人脈持ってないぞ」

 

 たとえば昔忍野の神主じみた姿は一度見たことがあるけれど、あれは忍野の本職ではない。ああいうのは特殊な事例である。

 

「いいえ。阿良々木お兄ちゃんにはそのようなものを求めておりません。聞くだけ無駄であると判断します」

 

「そういう機械っぽい冷徹な部分、これから直していこうな」

 

 僕が傷付くから。

 八九寺め、僕の知り合いが少ないことを言いふらしやがったな。今度キツいお仕置きしてやる。

 

「ですからね、衣服と申し上げましたでしょう」

 

 日和ちゃんは言った。

 

「あたいが欲しているのは、巫女服です。巫女や神主を呼ぶのではなく、あたいが巫女になるのですよ」

 

 

 

[003]

 

 

 ――日和ちゃん自身が巫女になる。僕はそれに反対しなかった。

 

 理由は簡単、反対する理由がないからだ。というより寧ろ、その案には諸手を挙げて賛成したいとさえ思えた。

 これは完全に僕の我儘が入っているのだが、仮にこの神社に神主或いは巫女を配置するとして、ならばその役割を誰が果たすのだろう? 僕個人としては、どこの誰かも分からないような奴にその役目を担当されたくないのである。

 勿論、あてがわれるとすればその道の専門職の方だろうからその方が良いのは、理屈では分かる。けれど感情論を言えば、知人が担当した方が気を揉まなくていい分、精神的に負担が掛からないであろうこともまた事実だろう。

 

 そんな訳で、僕としては大賛成だった。日和ちゃんにそういう知識があるのかどうかは不明だけれど、なに、取り敢えず見掛けだけの話だ。何も本気という訳ではないだろう。本気だとしても、僕は良いんだけど。

 

 だがここで一つ問題が生じた。問題どころではなく大問題である。

 日和ちゃんの所望する巫女服――そんなものが普通の服屋さんに売っているとは思えない。しまむら位なら僕たちの町にもあるけれど、そこで売っていないであろうことはわざわざ確認するまでもなく明白である。

 

 ならばどこで購入すれば良いのかと考えたところ、僕が至った結論は、『それっぽいものを購入する』である。

 

 ……いや、勿論、ちゃんとしたものを買ってあげたいという気持ちは無きにしも非ずなのだが、如何せんそうなると、専門店を探さなくてはならなくなる。当然そんな所、この町にない。それ以外となると、コスプレと呼ばれる部類に足を突っ込んでしまう。流石にこんな児女を連れて行くわけにもいかない。というかだからそんな店ない。

 究極、僕一人で買いに行けば多少はマシかもしれないが、そもそもこの件の根幹にあるのは、日和ちゃんの社会見学である。日和ちゃん抜きとなると、もう何が何だか分からない。

 だから苦肉の策だ――幸い、その辺りはちゃんと理解してくれたようで、

 

「了解しました。でしたらそれでいきましょう」

 

 と言ってくれた。良い子! 月火ならこうはいくまい!

 

 そういう訳で、僕たちは駅前のデパートにやって来たのだった。町に唯一存在する大型デパートで、二月中旬辺りに一度来て以来である。あの時は斧乃木ちゃんと影縫さんとの合流場所になっていた。

 

「いと高き建物ですね! このような場所があったとは、どうして今まで連れて来てくれなかったのですか! あな憎しや!」

 

「だって提案しても全然取り合ってくれなかったじゃねえかよ」

 

 偶に、僕の方から日和ちゃんが如何にも興味を持ちそうなところを提案したりするのだが、大抵それは彼女の行きたい場所と噛み合わず、見事に却下される。

 

「ふむ。成る程、あたいの所為でしたか。それは申し訳ありませんでした」

 

「いや、謝るような事じゃねえだろ。大体、プレゼンするときに魅力を伝え切れなかったから却下されてきた訳で……」

 

「お詫びとして、あたいの袴の下を覗かせて差し上げましょう」

 

「待てや!!」

 

 おもむろに袴に手を掛けた日和ちゃんの腕を慌てて掴む僕。なんだか誤解されそうな構図だった。

 

「どうしてそうなるんだ!? 日和ちゃん、八九寺に毒されすぎだ!」

 

「でも阿良々木お兄ちゃん、この間八九寺お姉ちゃんを宙ぶらりんにして下着を見ている時、すごく良い笑顔でしたよ」

 

「な、何の話だか分からないな! 仮に、仮に僕がそんな顔をしていたならば、それは下着を見てじゃあなく、八九寺に勝利したことの満足感と優越感に浸っていたからだ! 風評被害もいいところだぞ!!」

 

「あれ、そうだったのですか? 誤解していてすみませんでした」

 

「全く……いや、分かってくれればいいんだけどさ、別に」

 

 あまり人を、少女のパンツを見て喜ぶような変態と思って頂きたくないものである――この主張、何度目だっけ? 何度も言わなくてはならないなんて、僕に対する誤解はとことんまで根深いのだなあ。

 

 そんな感じで誤解を解いて、僕と日和ちゃんはデパートの中に入った。

 

 デパート内にはそれなりに人が居た。幾ら人口の少なめな田舎町とは言え、ここはデパート。今まで訪れた様々な場所のような閑散とした状態とは無縁なのである。まあ、二月に訪れた時は閉店間近の時間だったので人は殆ど居なかったけれど。

 

 一階は食品売り場、フードコートなど。因みに、ミスタードーナツはない。

 

「しかし、昔に比べると良い時代になりましたね。旧あるじ様――四季崎記紀様のことです。あの金髪のことではありません――は、このような時代に早くなって欲しいものだと嘆いておりました」

 

「ふうん……まあ、僕はその頃生きてた訳じゃあないから何とも言えないけれど、食糧事情は今と比較にならないくらい厳しかったんだろうな」

 

「それもそうですが、それ以上に食品の数ですね。圧倒的です。あの頃が一とすれば、今は五とさえ言えるでしょう」

 

「外国の食品なんて、全然入ってなかったんだろうな……だよな?」

 

「ですね。鎖国真っ只中でした、はい」

 

 僕と日和ちゃんは二階に上がった。服の売り場はこの階にある。因みに、斧乃木ちゃんたちと待ち合わせたのは、四階のゲームセンターだった。

 

「えすかれーたー! 動かずして高所に上ることが出来るとは、からくりの進化をひしひしと感じます。旧あるじ様もこれが欲しいと嘆いておりました」

 

「旧あるじ様嘆いてばっかだな……」

 

 織崎ちゃんの言を信じるならば、四季崎記紀は刀鍛冶でもあり占術師でもあったという。いや、寧ろ刀鍛冶がおまけで、占術師がメインなんだっけ。

 

 曰く、未来を視ることが出来たらしい。

 

 なまじ便利になった未来を知ってしまった分、誰よりも不便さに嘆いていたのかもしれない。そう考えると、未来を見通すなんて能力も、楽じゃあないのだろう。

 

 まあ、過去のことを憂いても仕方ない。知らないことを嘆いても意味はない。僕と日和ちゃんは地図に従い、売り場に辿り着いた。和服を着たマネキンが目印めいて立っていたので、案外地図を見なくても簡単に分かりそうだったが。

 

「等身大の人形ですか。親近感を覚えます――これ、動くのですか?」

 

「動かないよ。つーか、動いたら怖すぎるだろ」

 

「ほう? 何ゆえ? 機械人形(ろぼっと)という概念があるのですから、不自然なことではないでしょうに」

 

「そりゃあ不自然じゃないのかもしれないけれど……知ってるか? 恐怖の谷って言葉があってだな――」

 

 僕が偉そうに、日和ちゃんに知識をひけらかそうとした、その瞬間、僕の視界にあり得ないものが飛び込んできた。

 いや、それはものではない――人だ。人と言っても、人型のマネキンとかではない。正真正銘、生身の人間。

 

 これは天罰なのか? ちょっとだけ満足感と優越感に浸ろうとしたのが間違いだったか――紛れもない偶然だったのだろうが、しかし僕に反省を促すには十分であった。

 

 果たしてそこに居たのは、誰であろう――老倉育だった。

 

 

 

[004]

 

 

 何故? 何故老倉がこんなところにいるのだ。僕の頭の中が一瞬にして疑問と疑問符で埋め尽くされた。

 老倉は去年の十月末頃、この町を去った筈じゃあなかったか? いやそりゃあ二度と戻ってこないってことは無いだろうし、あれから何月が経っているので状況は幾らでも変わるだろうが、何故よりによって今日なのだ。

 

「阿良々木お兄ちゃ――」

「っ!!」

 

 僕は日和ちゃんの口元を慌てて抑え、身を屈めて通路に身を隠した。前後にはズラリと並べられたレディースの服。端からみれば不審者一直線。

 

「もがもが」

「ひ、日和ちゃん、ここで僕の名前を呼ぶの、ちょっとだけやめてもらっていい?」

「むぐぐ」

 

 日和ちゃんは頷いた。必死に状況を飲み込もうとしているのが、ぐるぐると回る目から伝わってくる。僕は手を離した。

 

「あ、あの? あら……お兄ちゃん、これはいったい?」

 

「悪い、ちょっと付き合ってくれ日和ちゃん……」

 

「は、はぁ……?」

 

 僕は服と服の間から、或いは通路から少し顔を出し、周りを警戒した。大丈夫、老倉はまだ気付いていないらしい。

 

 老倉育――僕の元同級生。同じクラスだったが、とある事情で転校し、町から去った筈なのだが……。

 

 老倉は少し離れた場所で服を物色している。どんな服を着ようとあいつの勝手だしそこまで興味は無いが、なのに僕がこうしてストーカーじみたことに手を出したのは、理由がある。

 老倉と接触しないためだ――仔細は省くが、彼女は僕のことを蛇蝎の如く嫌っている。宛ら親の仇であるかのように憎んでいる。そして僕自身、あいつには出来るだけ関わらないようにした方がいいと思っている。それが互いのためなのだ。

 

 見つかりたくないならこの場からさっさと逃げ出せば良いのではないかと思ったが、というかぶっちゃけ今思っているが、この行動に出た当時の思考を思い出して言うと、同じ場所に留まることによって、違う場所でばったり遭遇する確率を著しく下げることが目的だった。

 

 例えば、仮に僕たちがここから逃げ出したとしよう。暫くの間、僕たちは別の店で時間を潰すだろう。けれどその店に老倉がやってくる確率は? ゼロではない。有り得る。

 

 つまり、逃げながらも見つかる危機感からは決して逃れられない訳だ――なら、確実に居なくなったのを確認するまでじっと同じ店で身を隠しておいた方が、後々ばったり遭遇する確率は低くなる。

 迷子になった時はその場を動かない方がいいというが、逆に見つからないために動かない今の状況はある種矛盾していると言えるだろう。つーかそう考えると、見つかるんじゃねえの……?

 

 僕は老倉から出来るだけ目を離さないようにした。さっきの話と関連して、老倉が迷子にならないように見張る保護者の気分だったが、実際はうら若い少女をつけ狙う不審者以外の何物でもなかったのだろう(そもそも老倉の保護者とか、誰が名乗ろうとも僕だけは絶対に名乗っちゃいけないやつだ)。

 

「……しかし、服を買うなんて普通の女子らしいところもあるんだな、あいつ」

 

「事情を全く察せておりませんので突っ込み辛いですが、多分それかなり失礼な物言いなのではないでしょうか」

 

 その通りだった。僕はあいつを何だと思っているのだろう。

 中学生の頃は数学の妖精と思ってたりしたし、高校で再開した時はバリバリに敵意を向けられて怨霊のように感じたりしたが……そうだよ、あいつは人間なんだ。怪異とは全く無縁の人間なのだ。そして、だからこそ恐ろしい。

 

 理由の分からない悪意――ではなく、十分僕もその理由を理解したけれど、それでも恐ろしいことには変わりないのである。

 

「随分と怖気付いておりますね、お兄ちゃん。らしくないです」

 

「僕は恐怖を知らない英雄じゃないんだぞ日和ちゃん。小市民を標榜していることを忘れたか」

 

「初耳ですよそんなこと」

 

 そんなこと一回も言ってないからね。うん。

 

「はあ。やれやれ見損ないましたよお兄ちゃん。お兄ちゃんがそのようなヘタレとはあたい思っておりませんでした……」

 

「ヘタレだよ僕は……って、ひ、日和ちゃん? あの、何? 何で立ち上がっちゃってるの……!?」

 

 日和ちゃんは立ち上がった。背丈は低いので服の上から少し顔が覗いた程度なのだろうが、僕にとっては冷や汗ものであった。

 

「待て待て待て待てぇ! ひ、日和ちゃん! お座り! お座りー!」

 

 僕は出来る限り声を殺して日和ちゃんに呼び掛けたが、

 

「申し訳ありませんがお兄ちゃん。逃げてばかりというのは、如何なものかとあたいは思います。なので、ここらでどうか仲直りをと思い」

 

「そうじゃないそういうことじゃあないんだよ!? 君は何も知らないからそういうこと言えるけど、そんな単純な、穏便に済むような話じゃなくて――!」

 

「お許しください、お兄ちゃん」

 

「っ!!」

 

 そう言うと日和ちゃんは、老倉にも聞こえそうな声で――。

 

「老倉お姉ちゃん――!」

「そこまでだ日和ちゃん!」

 

 老倉の名前を呼んだ、が、そこまでだった。僕は一瞬立ち上がって日和ちゃんの頭を抑え、口には猿轡のように左手を噛ませ、無理矢理しゃがませた。

 

「もごもご」

「悪い……でもマジでやめてくれ。本当……」

「もごご」

 

 ざくざくと手を噛んでくる日和ちゃん。まるで刃物で刺されているかのような感触だ。というか本当に刃物状態なんじゃ?

 

 僕はその姿勢のまま石のようにじっと身を潜めた。息さえしていなかったかもしれない。冷や汗が際限なく噴き出した。

 

 老倉の声が聞こえた。

 

「今の声……老倉お姉ちゃんって」

 

「っ…………」

 

 聞こえてたか……そりゃあ聞こえてるよなあ。聞こえてない訳ないよなあ、都合よくいかないよなあ……!

 でも落ち着け、落ち着くんだ……幸いなことに、日和ちゃんは僕の名前を呼んでいない。老倉に僕の存在が伝わる訳はない。まだバレてはいない……。

 

「子供の声……かしら?」

 

 日和ちゃんは手を噛んでこない。一応じっとしている。けれど僕は手を離さない。油断した瞬間に続きを叫ばれると大変だ。僕が死んでしまう。

 

「……ふふっ」

 

「?」

 

 笑い?

 

 何がおかしかったのだろうか。さっきの子供の呼び声は、偶然自分の名前と一致しただけだと思ってくれたのだろうか。

 なんて、少しほのぼのとした気分に一瞬なってしまったが、それも束の間のことである。

 

「懐かしいわね……お姉ちゃん。育お姉ちゃん、なんて呼ばれてたわね……ふふふ」

 

「…………」

 

 何故だろうか、冷や汗が止まらない。ただ子供の頃を懐かしんでいるだけだというのに、どうしてこんなに怖いんだ、こいつ。

 

「撫子ちゃん、私のこと覚えているかしらね――なんて、覚えてないか。隅っこでずうっと、陰気に三角座りしてた私のことなんて」

 

「…………」

 

「…………阿良々木ぃ」

 

「ひっ……!?」

 

 声が漏れそうになった。

 

 思わず僕は両手で口を押さえた。日和ちゃんの口から手が離れてしまったが――ただならぬ雰囲気を読み取ったのか? 日和ちゃんは何も言わない。

 

「阿良々木、そう、阿良々木……思い出しちゃったわ。折角忘れてたのに……いいえ、忘れてなんかいないわ。あいつはいつだって私を邪魔してくるもの、忘れようにも忘れようがない……忘れたくても忘れられない忘れたくない忘れられたくないっ……ぃぃっ……!」

 

 まるで金縛りにあったかのように、僕は動けなくなった。隣の日和ちゃんは、驚いたように目を丸くしている。

 

「嫌い……嫌い……嫌いと嫌いが嫌いで嫌いの嫌いへ嫌いな嫌いは嫌いを嫌い――嫌い、嫌い、嫌いだ、阿良々木ぃぃっ!!」

 

 老倉は叫びながら走り出した。見えないが、足音が加速した。

 

 音は僕たちに近付き、遂に真横を通り過ぎ――再び遠ざかっていった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「…………あの、阿良々木お兄ちゃん。すみませんでした」

 

「いいよ、別に……こっちこそ、ごめんな」

 

 日和ちゃんは申し訳なさそうに言った。というか頭を下げてきた。

 

「あたいはてっきり、阿良々木お兄ちゃんだけがあの方を気にしていらっしゃるのかと思っておりましたが……どっちもどっちでした。というか、むしろあの方の方が苛烈と言いますか……阿良々木お兄ちゃんに迷惑を掛けてしまい、重ね重ね、申し訳ありません」

 

「いや、日和ちゃんは悪くないよ。ちゃんと説明しなかった僕に責任はある……それに迷惑っていうなら、寧ろ老倉の方にだ。悪いことしちまった」

 

 あの様子を見るに、老倉はただショッピングに来ていただけだったのだ。それなのに僕が過敏に反応してしまったが故、それをぶち壊しにしてしまった。

 

 僕から見れば、老倉はタイミングの悪い登場だったけれど、向こうからしてみても、いや、寧ろ向こうの方が、よっぽどタイミングが悪いと思っているだろう……実際には、老倉の方は僕が居たことに気付いていなかったのだろうが。

 

 それに日和ちゃんがあのような行動に出たのは、僕の曖昧な態度が原因だ。非は僕にあるとしか言いようがない――謝るなら、僕の方が二人に謝らなくてはならない。

 

 ……少し空気が暗くなってしまったが――イレギュラーは兎も角、僕たちの目的は老倉に会うことではなく、着物を購入することだ。

 

 購入したのは子供用の着物。イメージしているのは巫女なので、真っ白な無地の着物を購入した。ここ最近金の消費が激しいような気がするが、まあ無駄遣いとは言えまい。

 

 ミッションを終えた僕たちはデパートを後にした。幸か不幸か、帰りに老倉と再び遭遇することはなかった。

 

 北白蛇神社への帰路、日和ちゃんが言った。

 

「本日は……色々すみませんでした。それに、ありがとうございました」

 

「だから、謝る必要なんてねえよ。それに感謝されるようなことでもないさ。児女に貢ぎ物を贈るなんてことは、男にとっての常識だからな」

 

「左様ですか? 男性というのは生き辛い生き物なのですね。データに加えておきます」

 

「お、おう」

 

 まあ、頻繁にねだられるのは流石に辟易とするけれど――でも、せめてもう少しだけ。

 折角この時代にやって来たのだから、出来るだけ今を謳歌してほしい。春休みの間だけでも、その手伝いをしてやりたいと思っている。

 

 北白蛇神社に凱旋した僕たちは、それから着物の着付けなどをして、日和ちゃんと暫く遊んでから、僕は家路に着くことにした。

 

 別に門限とかはないし、どちらかと言えば僕については放任気味なので遅くなろうと大した問題ではないが、だからと言って夜遅くまで出歩いていていい理由にはならない。

 

 その旨を日和ちゃんに伝えると、やはり彼女はいつも通り、少し悲しそうな顔をするけれど、それでも聞き分けよく、機械のように従順に、こう返すのであった。

 

 

「それでは阿良々木お兄ちゃん。また明日、お会いしましょう!」

 

 

 そう言って日和ちゃんは、眩しささえ覚えるほどの満面の笑みを浮かべたのだった。あの笑顔は、沈みゆく夕日とは比べるべくもないものだった。

 

 そしてそれは、日和ちゃんが僕に向けた最後の笑顔であり――最後の別れの挨拶となったのである。

 

 

 

[005]

 

 

「…………」

 

「……む、どうしたお前様。そのような、眼をくり抜きたくなるほど気持ちの悪い顔をして」

 

「え? ……ああ、悪い。顔に出てたか」

 

 ――回想は終わり、現在の時系列へ。

 

 今日は四月三日。あれからちょうど三日目であり、そして、日和ちゃんが戦死してからたったの二日目の話。

 

 僕と忍は臥煙さんの依頼を達成するため、山登りに勤しんでいた。いや、正確に言えば、今現在は山を降りているのだが。

 

 三つの山が連なる逢我三山――その第一の山、鬼会山を僕たちは降りていた。現在時刻は午後二時過ぎ。早朝から出発してから殆ど歩きっぱなしである。しかしその甲斐あって、第二の山へは今日中に辿り着くことができそうだ。

 

「困るのう、お前様よ。あまりぼうっとするでないぞ、たわけ。第二の山――千針山じゃったか――は、あの小憎たらしいオノノキ嬢曰く、山登りというよりロッククライミングのようなものらしいからな。気を引き締めてかかれよ」

 

「おう、分かってるさ」

 

 千針山――もう既に名前の時点で登るのを躊躇したくなるような山だが、斧乃木ちゃんによればその名前は決して実際の山を裏切っていないらしいというのだから、その気持ちはより一層強くなる。ぶっちゃけ帰りたい。

 

 けれども。

 

 この任務は、織崎記と淡海静を討伐するためには必要な過程だ。あの二人を倒すためには臥煙さんの助けが必要なのは間違いないし、何よりこの先手に入れるべきアイテムは、連中の息の掛かった刀なのだ。

 

 退く訳にはいかないのである――あいつらに勝つために。そして何より、日和ちゃんの仇を討つために。

 

 周囲を取り囲む木々が少なくなってきた。その密度は減り、だんだんと生じてきた隙間からは、尖った岩のようなものが顔を覗かせるようになっていた。

 

 気を引き締めろ、阿良々木暦。

 

 次の山でも何があるかは分からないが――後ろばかり振り返って、過去ばかりを重点している訳にもいかないのだ。

 

 僕たちの未来を、掴むために。

 




■ ウラガタリ : 後日更新 ■

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