〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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■ 以下、注意事項 ■

・約壹萬玖千字。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。
・他、何カアレバ書キマス。

■ 黒齣 ■



第貮話 しるしメイク 其ノ壹

[001]

 

 織崎記を巡る一連の物語を語るのならば、まずは始まりとなるこの物語は絶対に語らなければなるまい。何事も始まりというものは必ず描写しなければならないものなのだから。

 とはいえ、最近の風潮としては、第一話に始まりを据えずに、全てが終わった後に、つまり最終回を迎え大団円となったにも関わらず、もう一つの第一話とか、第0話とかの謳い文句と共に、最後の最後で始まりが解禁されるというのも少なくはないのだけれど――いや、僕は何もそういった手法を否定しようと試みている訳では決してない。

 

 そうではない。

 

 ただ、僕のスタンスとして――これからの僕としては、そういった事は、ちゃんと最初に話しておこうと決めた、というだけの話である。

 

 後回しにするまいと、心に決めただけの話――後回し。

 

 なあなあにする。

 

 僕にはそのような事が許されていないのだから――そんなことをしたが最後、僕の自己批判精神の権化であるところのあの子がニヤニヤとした笑みを浮かべながら、また鋭い刀で抉りこんでくるのだろう――切り込んでくるのだろう。

 誤解されると心外なのだけれど、僕は何も彼女を恐れてこのような行動に出ている訳ではない。そうではないのだ。

 こう言うと傲慢に聞こえるかもしれないけれど、これは僕の数少ない成長の一つなのである。扇ちゃんに幾度となく嘲られている僕ではあるけれど、成長しない愚かさを嘆かれている僕だけれど、これは僕が修正された結果なのだ。

 

 なあなあにしない。

 

 それはほんの些細な事だけれど――それは確かに、あの子が望んだ成長の一つであった。

 

 だから僕はこの話を語る。

 

 それはつまり、この話が、あまり積極的に語りたくないような物語であるということを意味している。

 

 嘗ての僕ならまず語らなかったであろう怪異譚――物語。

 僕とあいつの、短期間にしか及ばない、一春の戦争。

 

 今から語るのは、その始まりだ。

 

 

 

[002]

 

 もしかしたらこのエピソードから読み始める方が居るかもしれないので、念の為におさらいをしよう。

 前回までのあらすじ、である。

 

 調子に乗って愛車を走らせていた僕、阿良々木暦は、その道中で謎の兜を轢いた。それがなんだと思う方もいるかもしれないが、これが例によってというか怪異で、しかも、どうやら今までの怪異より一段階上の性質を有するものらしかった。

 忍の持つ刀――妖刀・心渡を扇ちゃんがアップグレードしたお陰で兜の退治には成功した、のだが、扇ちゃんが言うには、その兜は何者かが悪意をもって作成した怪異であるとのことであった。

 悪意をもって怪異を作る――僕はそんな怪異がばら撒かれるのを防ぐため、愚かにもその作成者の探索を試みた。その道中、北白蛇神社に住まう神様であるところの少女、八九寺真宵と出会い、目的を忘れ、いつものように戯れていると、何処からともなく悲鳴が聞こえたのだ。

 八九寺を新たに乗せた僕は車を走らせ、ついにその現場に到着した。そこに居たのは、気を失っているゴスロリ風金髪少女と、そして――。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 五体満足のレイニー・デヴィルであった。

 

 あらすじここまで。

 

「――――っ!!」

 

 僕は戦慄した。

 前回のあらすじなどと銘打って事態の整理を試みたものの、まるで意味が分からない。何でだ。何でお前がここに居るんだ 

 

 レイニー・デヴィル。

 と名付けたのは、神原駿河の母親であるところの神原遠江。もともとこいつは、彼女の自己批判精神が怪異として結実した存在――非存在だった。言わば、遠江さんにとっての忍野扇のようなものである。

 レイニー・デヴィルは、その正体不明の怪異が遠江さんによって正体を与えられた――つまり、退治された結果に誕生した副産物だ。本来のレイニー・デヴィルではなく、偽物のレイニー・デヴィルなのだ。

 生まれたレイニー・デヴィルは木乃伊の姿となり、どういう経緯を経たのかは定かではないが、全国へとパーツごとに散らばり、無効化された。

 だが、レイニー・デヴィル――長いからもう悪魔で良いか――悪魔の木乃伊のうち、左腕の木乃伊は神原家に遺されていた。神原の腕がああなってしまったのは、つまりこいつの所為だ――忍野が言うには、いつかは元に戻るとのことであったが。

 

 さて、ここでこいつである。

 

 今目の前にいる悪魔――黒い雨合羽を着た悪魔。

 僕がこいつを見て困惑したのは、意識がぶっ飛ぶほど衝撃を受けたのは、その姿であった。

 

 五体満足。

 

 五体満足とはつまり、右腕、左腕、右脚、左脚、そして頭部が完備されているということだ――雨合羽を着ているので、そこ以外はどうなっているのかは定かではないが――だから。

 

 何故左腕が完備されているのか、ということだ――左腕は神原が所有しているはずなのに。

 

 こいつは――何だ?

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 殺す。

 

 圧倒的なまでの――黒く塗り潰す程の殺意。

 

 何なんだ。

 

 何なんだ、こいつ――!

 

「あ、阿良々木さん! 大変です! 通り魔が居ますよ!」

「八九寺、それがボケとかではなく本気であいつをただの通り魔と思っているのなら、その視力を全力で疑うよ」

「いやいや、あなた方。雑談を始めようとしている場合ですか?」

 

 八九寺と僕との会話を、たった一括弧ずつの応酬だけで妨げる扇ちゃん。状況が状況でなければ、間違いなくグーパンチだったろう。

 だが今は状況が状況だ――感謝こそすれ、文句などどの口が言えようか。

 

「っ!!」

 

 倒れ込む少女を見つめる悪魔――不意に、その右脚を上げた。

 右脚の真下にあるのは、少女の頭――!

 

 それを見た僕は無意識に動いていた――いやだから、こういうのをやめろと、こういう事をするから愚かなのだと、再三言われているというのに――。

 今にもその脚が振り下ろされ、少女の頭が砕かれんとしていたその時――ギリギリで、僕は叫んだ。

 叫んでしまった。

 

「待てよ! 殺すなら――僕にしろ!!」

 

 悪魔の動きが止まる――八九寺は驚いたように僕を見、忍は呆れたように溜息を吐きながら影に沈み、扇ちゃんは嗤いながら首を振った。だが、一番それらの反応を纏めて自分に向けたいのは、他ならぬ僕自身だ。

 

 悪魔がゆっくりとこちらを向いた――その顔は確かに異形の猿であった。泣き虫の悪魔、レイニー・デヴィル――これが、その頭部なのか。

 こいつが、司令塔――!

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

「ああそうだ! 殺せよ!! 殺せるもんなら殺してみろ!!」

 

 少女の代わりに自分が死ぬ。それは果たして、少年漫画などでよく見る展開だけれど、まさか僕がやることになるとは思っていなかった。僕はそういう熱さとは無縁であると思っていたのだが。

 

「あ、あらららぎさん!? ちょっとちょっと正気ですか!? 狂気の沙汰ですよ貴方!? 一度死んでおいてまた死ぬとか――!」

「恐らくそれは本当にワザとじゃないだろうからツッコまないけれど、ああ、そうさ、正気の沙汰じゃないさ」

 

 正直、足はまるで子鹿のように震え、手はわなわなと震え、歯はガチガチと音を鳴らし、心臓の鼓動音が耳障りだ。

 

 だけど――それが僕だ。

 

 吸血鬼になってからこっち――否、吸血鬼になる前から、僕が正気だったことは一度たりともなかった。

 

 瀕死の吸血鬼を助けるために己の血を差し出すなど、正気の沙汰か?

 謎の手紙に誘われてのこのこと廃墟に迷い込むなど、正気の沙汰か?

 

 否である。

 

 僕は最初から最後まで正気なんて保っていない――最初から狂っている。何もかもが狂っている。自分で言うと何だか他とは違うことを鼻にかけている勘違い野郎みたいだけれど、それが僕が僕自身に下す総合評価なのだから間違いない。

 

 自分の事は自分ではよく見えないと言うけれど。

 自分の事を一番理解しているのは、自分だけなのだから。

 

 だから――僕は後悔なんてしていない。

 

 だからするのは――期待だけだ。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 こいつが僕の安い挑発に乗ってくれて。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 僕の影の届く範囲まで来てくれて。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

「殺されるのはお前じゃ、猿」

 

 忍が僕を助けてくれる、期待を――。

 

 影から飛び出した忍は、その拳が僕の顔面を潰せる十分な距離にまで接近していた悪魔を、虎の子のブレードで一刀の下に斬り伏せたのだった。

 

 妖刀・心渡――二つ名、怪異殺し。

 扇ちゃんによって先程アップグレードされてver.1.1となった、業物の一振りである。

 

 僕の期待した通り、あの悪魔はそこまでの知能は無かったらしい。あんな適当な挑発に乗ったのだから。とはいえ、忍が出て来てくれるかどうかは賭けだった――影に沈んだのは本当に心の底から軽蔑したからという理由だった場合、忍は僕を助けてくれなかっただろうし、殺されることはないにせよ、神原の時みたいにフルボッコにされていただろう。

 八九寺に僕の臓物を見られたくないからな――少々ショッキングだから。

 

「…………」

 

 忍は刀を軽く振った。

 

 悪魔は雲散霧消した――と言うと、まるで霧のような何かになってゆっくりと消滅したかのように聞こえるかもしれないけれど、忍が刀を振るった瞬間、悪魔が両断された瞬間、まるで掻き消されたように消えた。最初からそこには何もなかったかのような、虚空だけが広がっていた。

 

「ありがとう、忍」

「ふん、礼には及ばんわお前様――ありとあらゆるドーナツを儂に貢いでくれるという約束、忘れるでないぞ」

「約束を捏造するな」

 

 まあ、ありとあらゆるとは言わずとも、普段より多めのドーナツを貢ぐ覚悟は出来てる。つーか、僕から進んで貢いでやる。

 ちゃんと感謝はする男なのだ、僕は。

 

「ドーナツと言えばお前様よ、なんでも、ミスターパリブレストなるものがクリスマス限定で発売中だそうではないか。チョコブラウニー、アマンド、ストロベリーの三種類があるとか――儂はその三種を所望したい」

「宣伝始まった!?」

「かか、忍野忍のミスド宣伝タイムじゃ――値段は税込み216円だそうじゃの。それに、クリスマス限定といえばポン・デ・リースなるものもあるとか。こちらもチョコ、ストロベリー、ホワイトチョコの三種類――税込み162円だそうじゃ」

「お前ミスドの回し者すぎるだろ」

 

 ミスタードーナツに魂を売り過ぎだ。どんだけ好きなんだよお前。

 まあ、悪魔に魂を売るよりは遥かにマシだろうが――というか、悪魔と比較するのはミスタードーナツにとって失礼すぎる行為なのだが。

 

「かか、儂はミスタードーナツの妖精じゃ」

「うるせえ、吸血鬼が妖精を名乗るな」

「いつかあのライオンを倒し、儂がミスドのマスコットキャラとなる」

「怖い野望を抱くな! お前の敵は太陽じゃなかったのかよ!?」

「太陽? ハッ、あんなもん二の次三の次じゃ。今の儂はあんなの眼中にない――今視界に映っとるのはただ一つ、ポンデライ○ン!!」

「規制が仕事してなさすぎる!!」

 

 お前にとってのミスドの比率、デカすぎだろ! 本当にお前ドーナツの妖精か何かに見えてきたぞ!

 ……つーか、『くらやみ』が来るんだよ! 目指すな!!

 

「ちっ、世の中ままならんもんじゃのう」

 

 忍はそう言い捨てると、心渡を体内に収納した。

 

「……さて」

 

 閑話休題、である。

 

 僕は倒れ込んでいる少女の方を向いた。すると、近くで扇ちゃんがかがみ込んでいた。

 

「扇ちゃん、何やってるの?」

「何をやっているのかと聞かれれば、まあ、この少女の生死を確認していた、と答えましょうか」

 

 僕は慄いた。

 扇ちゃんが、あの扇ちゃんが、見も知らぬ少女の生死を確認しただって?

 そ、そんな協力的なこと――お、扇ちゃんがやってくれるなんて!

 

「お、お前偽物か!? 僕の知る扇ちゃんはそんなに優しくないし、そんなに協力的じゃねえ!!」

「おや、敬愛する阿良々木先輩にそんな風に思われていたとは心外ですね。私としても凹んでしまいます。えーん、です」

 

 扇ちゃんは騙す気がこれっぽっちもないような泣き真似をした――うん、この適当さ、間違いなく扇ちゃんだ。

 

「適当さで人を判断するって、どんな判断基準なんですか」

「だってそれが君のキャラだろ扇ちゃん」

「まあ、否定はしませんが……はっはー、面と向かって言われると少々向っ腹が立ちますね」

 

 そう言われたくないのなら凝れよ。

 パスワードを1234とかにするのをやめろよ。

 ……曖昧や誤魔化しを許さない扇ちゃんが、基本的に自分のことに関しては適当っていうのは意外なところではあるのだが。

 いや――自分のことだからこそ、か。

 

「まあそれは兎も角として……扇ちゃん、その子の容体はどうだ?」

「ええ、特にどこもおかしな所は無いようですね。外傷もありません。心的外傷はどうかは知りませんが」

「そうか」

 

 扇ちゃんがそう言うならそうなのだろう――推理小説を好むという扇ちゃんのことだ、その観察眼は当てにしてもいい……筈だ。そしてこれはちゃんとした僕の意見、の筈。

 

「駄目だな……君が絡むとどうも僕の認識を疑ってしまう」

「おや。考え無しの頃よりは成長したじゃないですか阿良々木先輩。ですが考え過ぎというのもいけませんねえ。何よりも必要なのは臨機応変、バランスですよ」

「バランス……」

「鏡の時も、考え過ぎで痛い目を見たでしょう? 痛い姿を衆目に晒したでしょう?」

「あの話はもうやめてくれ!!」

 

 アニメ派の読者だって居るんだから、そういうアニメ化されるかされないかの瀬戸際にある話は止めろ!

 

「え? 今更アニメ派の方々のご心配をなさるのですか? ここまで散々ネタバレをばら撒いておいて何を仰るのやら」

「うるせえ! その辺はアニメ化する事が確実視されているから兎も角、鏡の話に関してはアニメ化しねーんだから、そういうこと言うの止めろ!」

「あのですねえ、阿良々木先輩。そう都合よくいくとお思いですか? 普通に考えて製作されるでしょう。阿良々木先輩の痴態が地上波で放送される日もそう遠い未来ではありません」

「僕のプライバシー侵害だ!!」

 

 ただでさえつい最近、あの学級会やら勉強会やらの事について晒されたってのに、まだ僕の黒歴史を晒すってのか、畜生!

 死体蹴りもいいとこだ!

 

「死体蹴りと言えば、寧ろ斧乃木さんは阿良々木さんを蹴る側に回りそうですね」

「八九寺、唐突に会話に入ってくるんじゃない!」

 

 お前と扇ちゃんは敬語かつ慇懃無礼という属性が似ているから、同時に出てくると読者が混乱するんだよ!

 ……まあそれは後でじっくりと語り合うとして――まずはこの女子。この何者か分からない女子を車に運ばねば。

 いや全く、雑談などしている場合ではなかった――僕はこの子を抱き上げた。

 

「おやおやおやおや? 阿良々木先輩、愚かなる阿良々木先輩。何をしてらっしゃるのですか? まさかその少女を車に乗せよう、なんて事を考えていらっしゃる訳ではないでしょうね?」

 

 扇ちゃんが僕の行く手を阻むように両手を広げ、立ちはだかった。

 

「……扇ちゃん。関わるなって言いたいのだろうけれど、目の前で倒れている女の子をそのまま無視して走り去ることが出来るほど、僕は冷たい人間じゃないんだ。それくらい君も知っているだろう?」

「私は何も知りません。あなたが知っているんです――少しは考えてください愚か者。行き当たりばったりに行動すれば、必ずどこかで手痛いしっぺ返しを食らうと、いい加減学習したら如何ですか」

「だから、これは考えた上での行動なんだよ。女の子が道端に転がっていたら、いつ何時誰に襲われるか分かったもんじゃないだろ。保護だよ保護。僕のご両親がやってたみたいな――」

「考えるべきところはそこではないでしょう阿良々木先輩」

「え?」

 

 扇ちゃんは女の子に手を伸ばす――慌てて遠ざけた。

 

「何するんだ、扇ちゃん」

「冷静に考えて下さい。悪魔に襲われた所為で動転しているのですか?」

「おいおい、僕を見くびるなよ扇ちゃん。一度殺されかけてトラウマになってはいるものの、もうあの程度では驚かねーよ」

「そこではありません」

 

 扇ちゃんは溜息を吐いた。両手を広げたままな所為か、どこか演技染みていた。

 

「だから――あなたが真に考えるべきことは、どうしてその女子が、悪魔になんて襲われていたのか――ということですよ」

「どうして――」

 

 どうして悪魔に襲われていたのか。それが、僕が真に考えるべきことだと扇ちゃんは言った。

 

 だが、それなら尚更である――襲われているということは、少なくとも、何か退っ引きならない事情があるのは間違いない。

 怪異には、それに相応しい理由がある。

 ならば余計ここに放置していくのは危険と思われる。人ならば兎も角――いや、人の方が危険なパターンだって数多くあるのだけれど――人ならざるものに再び襲われる可能性だって十分にあるのだ。

 どうして襲われたのか。それは後で考えればいい――今は、この子を助けることが先決だ。

 

 僕がその旨を扇ちゃんに告げると、彼女は笑みを潜め、処置なしとでも言うように、ゆっくりと首を振った。

 

「はいはい、いいです。分かりましたよ。成る程、あなたはどうやら全く成長していないと見える。そこまで目先の事しか見えていないとは、全く、愚かですねえ」

 

 扇ちゃんは僕らに背を向け、歩き出した。

 

「あれ? 扇ちゃん、どこへ行くんだい」

「どこへ行くのかと問われれば、別にどこへも行きませんかね――いえ、申し訳有りませんが、少しばかりあなたに失望してしまいましてね。ここで私は退場させて頂きましょう」

「え?」

「まあ、痛い目を見て目覚めて下さいということですよ――睡眠学習の時間は終わりです、阿良々木先輩。これからはちゃんと起きて勉強して下さい」

 

 では。

 

 そう言って扇ちゃんはつかつかと歩いていく。一瞬引き止めようと思ったけれど、しかしよく考えてみれば、あの子がここまで来たのはあの子が勝手にしたことなのだ。ならば勝手に退場するという自由意志も、認められてしかるべきだろう。

 後から思えば、この決断はまあ結果オーライ、正解といえば正解だったのだけれど――そもそもここで扇ちゃんの言うことを聞いていれば、この一連の物語が無かったのではないかと思うと、一概に正解とは思えない。

 

 伸ばした手は既に扇ちゃんには届かない。扇ちゃんはまだ薄暗い早朝の闇の中へと消えた。

 

 

 

[003]

 

 扇ちゃんの言うことを愚かにも聞かず、結局僕はその女子を車の中に連れ込んだ。

 こう言うとどこか犯罪の匂いがするけれど、決して僕にはそんなやましい気持ちは無いということを、読者諸兄に述べておかねばなるまい。

 そもそもこの場には、忍と八九寺――即ち、幼女と少女のコンビが居るのだ。どうして僕が中学生くらいの女子に現を抜かそうか。まあ、忍は影に潜っているけれど――。

 

「阿良々木さん。その言い方だと、阿良々木さんが途轍もなくレベルの高いロリコンであると読者の皆さんに認識されそうなのですけれども」

「マジかよ」

 

 それは困る。僕は健全なる主人公を目指しているというのに。

 

「マジかよ」

「おいおい八九寺、僕の台詞をまるまるパクるなんてお前らしくないぜ」

「すみません、アジャラ木さんの仰ったことがあまりにも衝撃的すぎてつい」

「一体どこが衝撃的だったのかは後で問い詰めるとして、しかし八九寺。僕の名前を某狩猟ゲームに出てくる蛇型モンスターのように言うな。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼。噛みました」

「違う、わざとだ……」

「かみまみた」

「わざとじゃない!?」

「嚙りみゃし、あ、失礼。噛みました」

「本当に噛んじゃった!」

 

 持ちネタ失敗してんじゃねーよ! いや、ある意味美味しいパターンではあるのだろうけれども!

 少々変則的ではあるがネタも終了したので、僕は八九寺に聞いた。

 

「衝撃的というなら今のこそ衝撃的なんだが……さっきの僕の発言のどこに衝撃的な要素があったんだ?」

 

 僕はただ純粋に、主人公としての心構えの程を述べただけだったのだが。

 

「阿良々木さんに主人公としての自覚があったことにまず驚きですけれども、それ以上に健全な主人公を目指していたことには驚愕ですよ。あれだけ私にセクハラなさっておいて、よくもまあそんなことが言えたものですね」

「おいおい八九寺。あれはセクハラじゃなくて、ただのコミュニケーションだろ? 僕とお前の仲じゃあないか。あんなのノーカンだよ」

「そうやって己の犯罪行為を正当化している辺りがもう既に健全とは程遠いということをご自覚なさってください」

「なんと」

 

 八九寺がまるで犯罪者を見るかのような目つきで僕を睨んだのをバックミラーごしに確認した(八九寺は後部座席に座っている。忍が影に沈み、扇ちゃんが離脱したおかげでスペースが空いたのだ。拾った女の子も後部座席)。そうか……僕は健全じゃなかったのか。

 ……だからオフシーズン、呼ばれなかったのかなあ。

 

「因みに、オフシーズンには不肖私もお呼ばれしております」

「マジか……」

 

 八九寺まで呼ばれてるのか……じゃあ寧ろ、誰が呼ばれてないんだ?

 

「申し訳ありませんが、関係者以外にキャスト情報を流す気はさらさらございません」

「僕はもう関係者ですらないのか!?」

 

 くそう、プロデューサー呼んでこい! 直談判してやる!

 

「はあ、プロデューサーですか? それは私です。八九寺Pですよ」

「プロデューサーはしれっと続投してる!」

 

 そりゃお呼ばれどころか、お呼びする側じゃねえかお前!

 つーか、お前の所為かよ! 僕がオフシーズンに呼ばれてないのって! 何しれっとした顔でプレシーズンにまで参加してんだよお前!

 

「因みに、プレシーズンのプロデューサーも私です」

「プロデュースし過ぎだろ!!」

 

 二作品もプロデュースするとか、その歳にして敏腕プロデューサーかよ! 侮れねえなおい!

 

「いやあ、本来ならどちらにも阿良々木さんをお呼びするのはやめようと思ったのですが、如何せん他のキャストからの反発が強くてですね」

「おお、僕が居ないことに抗議してくれる奴がまだ居たのか。因みに、それは誰だい?」

「戦場ヶ原さんです」

「ありがとうひたぎー!!」

 

 世界の中心でなくとも、町の中心で愛を叫びたい! ありがとう!

 

「あれ、じゃあオフシーズンの方は?」

「あちらに関してはプレシーズンの失敗を踏まえ、戦場ヶ原さんはお呼びしていません。今のところ」

「僕が出演すること自体が失敗なのか!?」

「当たり前です! 何を仰っているのですか!? 嚙りますよ!」

「怒られた!?」

 

 まあ、運転中なので齧られることはなかったけれど。

 

「しかしそれでも流石の阿良々木さんです。意図せずにオフシーズンの本番撮影中に見事乱入なさるとは……いやはや私も迂闊でした」

「え? 僕知らないぞ」

「そりゃあそうですよ。時系列が違いますからね。オフシーズンは今から未来の話ですし」

「時空が乱れまくってんじゃねえか」

 

 いいのか? 過去にいる僕がそれを知っちゃっていいのか? パラドックスが起きるぞ?

 

「ええ、まあその辺は問題ないでしょう。既に愚物語は発売済みです――まあ、業物語の方に影響が出るかもしれませんけども……その辺は編集で何とかしましょう」

「わざわざ編集される程なのか僕は……お前、プロデューサーの癖に編集も兼任してんの?」

「いえ、編集担当は斧乃木さんです」

「斧乃木ちゃん……」

 

 確かにあの子は編集に向いてるといえば向いてるだろうな……少なくともカットは無慈悲に行えるだろう。感情がない分。それ以外のことをこなせるのかは分からないけれど……。

 

「もしも阿良々木さんが間違って出演した場合、そのシーンは斧乃木さんが魔法少女のコスプレをしたシーンに差し替えられます」

「何それ超見たい!!」

 

 なんという重大な情報を漏らしやがるんだ八九寺P――こうしちゃいられない、僕もオフシーズンの撮影現場に出向けるだけ出向かねば。そうすれば、斧乃木ちゃんの魔法少女コスプレシーンが大量に!

 

「だからそういうこと考えてるから健全とは程遠いのでしょうに……」

「おっと」

 

 いけないいけない……こんなことじゃあ、正式にお呼ばれする日なんて夢のまた夢じゃあないか。何とかして八九寺Pに認められなくては。媚を売らなくては。

 

「八九寺。何か僕にしてほしいことはないか」

「じゃあ死んでください」

「ふざけんな!!」

 

 僕は一瞬で媚びを売る姿勢を崩した。

 何が『じゃあ』だよ。腹の底で何考えてんだこのプロデューサー。

 

「まずいな……お前と話していると楽しすぎて話が弾むけれど話が進まない」

「分かりやすい言葉で喋ってください阿良々木さん。取り敢えず言葉を重複させておけば言葉遊びになると思ったら大間違いですよ」

「厳しいな!」

 

 くそ、急に態度をデカくしやがって。お前なんて扇ちゃんが居れば……。

 …………。

 こいつと扇ちゃん、すげー意気投合しそうな気がする。

 

「全く、阿良々木さんの所為ですよ? 阿良々木さんが我儘言って扇さんを怒らせるから、お話出来るチャンスが損なわれたじゃないですか」

「わ、悪かったよ」

 

 悪かったけど……。

 

「それにしたって、扇ちゃんにも問題があるだろ。気を失っている子を放置しろって――道徳的にもそれはどうかと僕は思うね」

「……扇さんの考えていることは、私存じ上げている訳ではありませんが」

 

 八九寺は声のトーンを落として言う。シリアスモードだ。僕も切り替えよう。

 

「ですが、全くの考えなしで、それこそ、あなたがその女の方に現を抜かすから、などという考えではないでしょう」

「……なんでそう言えるんだい」

「私は扇さんの事をよく知っている訳ではありませんけれども、臥煙さんから少しだけ聞いておりますので、その正体自体は朧げに知っています」

「臥煙さんから……?」

 

 なんでそんなことを――と思ったが、すぐに合点がいった。

 八九寺はここら周辺の神となった時、臥煙さんから軽い手解きのようなものを受けたと聞く。その時だろう。

 神ならば、その統治地区のことを知っておかなくてはならない。その地に存在する怪異のことも――。

 

「女装した阿良々木さんですよね」

「違う!!」

 

 惜しいけれども。

 

「阿良々木さんの影――臥煙さんの言うところのダーク阿良々木さんである彼女は、阿良々木さんとは反転した性質を持っています。阿良々木さんが考えなしで動くのならば、当然、あの方は考えありきで動くと見てよいでしょう」

「…………」

 

 考えなし。

 扇ちゃんはそう言ったけれど――そう言うのならば、果たして僕は、何を考えていないのだろうか。その答えは明確で明白だった。

 

 『この女の子はどうして悪魔に襲われていたのか』。

 

 確かにそれは重要な事だけれど――でも、なんでそれがこの子を拒絶する理由になるのだろうか?

 

 扇ちゃんはもう――知っているのか?

 

 私は何も知りません。あなたが知っているんです――扇ちゃんはそう嘯くだろうけれど、しかし残念ながら、この件について僕が知っている事など、これっぽっちもない。

 扇ちゃんは、何を知っているんだ?

 僕の知らない、何を――。

 

「…………んっ」

 

「「!!」」

 

 後部座席から声が聞こえた。

 慌ててブレーキをかける――もしもここが公道ならば大事故を引き起こしていたであろう行為だけれど、幸いな事にここは路地。しかも早朝故誰も通り掛からない。

 僕は後ろを振り返って彼女を見る――ゆっくりと起き上がった彼女は、焦点の定まらない目で僕を見た。

 

「……あの、どうして私、知らない男の人の車に乗せられているのでしょう?」

「「…………」」

 

 字面が健全とは程遠かった。

 

 

 

[004]

 

 織崎記。彼女はそう名乗った。

 

 彼女が発したもっともな疑問に答え(焦った僕を八九寺がフォローしてくれた。有難い)、恐らくされているであろう誤解を解き(八九寺が)、巧みな話術で緊張を解きほぐした(八九寺が)後のことだ。

 ……僕、八九寺に頼りっぱなしじゃあ――いや、考えるのをやめよう。これ以上考えると、辛うじて許されている作品への出演さえ辞退していまいそうで……。

 

「……取り敢えずお礼申し上げますわ。ありがとう」

 

 織崎は頭を下げた(車は停めたままなので後ろを振り向くことが出来る)。

 

「別に礼を言われるようなことなんてやってないよ。それに、人は一人で勝手に助かるだけなんだからな。別に僕は君を助けた訳でもないし、何かやったと言えば、こうして君を車の中に連れ込んだってだけさ」

「阿良々木さん。その台詞からは少々ナルシストな雰囲気が感じられます」

 

 八九寺からダメ出しが出た。流石八九寺P、台詞に関しては厳しいな。

 

「いいえ、阿良々木さん。私が厳しいのはあなたに対してです」

「そうだろうな!」

 

 僕が出演しただけでそのシーンの編集を指示するくらいだもんな!

 

「つーか、いや、悪いが八九寺。今はお前と会話するパートじゃないんだ。楽しい雑談は後でしよう」

「私が楽しんでいるとお思いですか?」

「…………」

 

 気にしない。

 僕は織崎ちゃんに視線を戻した。

 

「えーっと……」

「…………」

 

 ……どうしよう、凄く気まずい。

 どうする? 何を話せばいいんだ? というより、何から聞けばいいんだ? 同年代ならまだしも、相手は小さい方の妹と同年代っぽい女子だ――下手に喋れば、八九寺のお陰で少しは晴れた不審者疑惑がまた浮上してしまう。いや、こんな早朝に行く当てもなく車を走らせている時点で相当不審者染みているけれども。

 かと言って、いきなり悪魔のことを切り出す訳にもいくまい――こういうのは脈絡が大事なのだから。物語でも、会話でも。

 

 ならば僕のとるべき行動は一つしかない。

 

「ねえ、織崎ちゃん。こんな朝早くから、道端で何やってたの? 光合成をするにも、まだ陽が出てないから日光が足りないぜ」

 

 道化を演じる。

 というか、要は雑談である――適度にボケを挟みながらの会話は相手の警戒心を緩め、空気を和まずのに一役買ってくれるのだ。ならば今すべきは、雑談以外あるまい。

 重要なことは後回し。後でも十分考えられるだろうし。

 僕の雑談スキルの見せ所である――嘗て正弦と相対した時に頼られたスキルだが、あの時はそもそも正弦と会話が成立していたとは言い辛い状況だったため、発動は出来なかったが――今こそ、スキルの見せ所である。

 

 主人公の力、とくとご覧あれ。

 

「私は植物ではありません」

「え? ああ、うん、そうだね。そうだったそうたった、うっかりしてたぜ。そうだな、君はどこからどう見ても人間だ」

 

 想定外の端的な返しにも臆せず、会話続行。突然投げられた鋭利なナイフを見事掴み、地面に刺した形である(どういう意味だ)。

 まあ、ナイフなんて投げられ慣れてるしな。どこかの小さい奴のお陰で。

 ……この比較的平和な日本という社会において、ナイフを投げられ慣れている人物など、果たして何人いるのだろうか。

 

「人間ですか……そう見えます?」

「え? そりゃあそうだろう――人間じゃなかったら、君は何なんだい」

 

 またもや想定外の返し――意外性のある子だ。必死に食い付かねば、会話が続きそうにない。

 

「私は何でしょうね? うふふ、まあなんでもよろしいですわ。あなたにとってはね」

「…………」

 

 会話を終わらせに来やがった。つーか、切り上げやがった。

 もしかしてこの子、僕と話したくないんじゃないのか、という疑問が湧いてくる――まあそれもやむなしだろう。何せ彼女にとって僕は、ついさっきまで会ったことも無かった、赤の他人以外の何物でもないのだから。警戒するのも当然と言える。

 しかし、ここで話を切り上げられては話にならない――別の話題を振ろう。

 

「織崎ちゃん、個性的な喋り方をするね。それには、何か理由があったりするのかい?」

「それを知ってあなたに何の得があるのでしょうか」

「……いや、別に得、は無いけど……単純に興味があるだけで」

「あなたが持ち得る必要の無い興味ですわ」

 

 ……悉く僕の台詞を封殺してくる。警戒心が強すぎではないのだろうか。

 だが、僕もここで引き下がるつもりはない。食い下がるつもりしかない。

 

「そう言わず、教えてくれよ。ああ、そうだ。君、金髪だけど、ハーフ?」

「昔は」

「昔は?」

「そう。昔は」

「じゃあ、今は何なんだい?」

「さあ? 知りませんの」

「…………」

 

 どこまで僕と話したくないんだ。そんなに僕が嫌か。

 ……いやまて、僕が嫌いというより、これは学校で教えられた対処法が何かなのではないのだろうか? そうだ、そう考えればこの冷たい態度にも合点がいく――いくのか? いくんだろう。いく。

 しかしながらその理由だと、やはり僕を不審者と思い警戒しているということの証明となってしまうが――八九寺何やってんだ。誤解が全く解けてないじゃねえか。

 

 ……そうだ、八九寺に任そう。会話のエキスパートのあいつなら、この子ともそれなりに話し合える筈だ。手持ち無沙汰に窓の外を眺めてるし――いや待て。

 やっぱり却下だ。さっきもそうだが、僕は八九寺に頼りすぎだ。困った時の神頼みとは言うけれど、なんでもかんでも神様に頼むのは良くないのではないか。

 ……やはりここは僕がやるしかない。

 

「ねえ、その服どこで買ったの? 似合ってるね」

「どこで買ったか知って、あなたに得があるのですか? それともまた興味? 中学生の服装に興味があるとは、まさしく変態ですわね」

「…………」

 

 ぐうの音も出なかった。

 

 無理だ……僕にはどうしようもない。僕の雑談スキルはこの程度だったのか。

 

「阿良々木さん。今のは紛う事なき自滅でしたよ」

「八九寺ぃぃーっ!!」

 

 思わず運転席から腰を浮かす――何故だろう、八九寺の声を聞いた瞬間、冷えた心が一瞬にして温められ、活力が湧いてきた。解凍される冷凍マグロの気持ちがよく分かった。

 よし、もうこうなったら、単刀直入にいこう。余計な回り道はやめだ。そもそも僕は腹芸が得意な方ではないのだから。

 

「織崎ちゃん。単刀直入に聞くぞ」

「どうぞ」

「君は誰かに憎まれるようなことをしたことはあるかい? 心当たりは――」

「雑魚い」

「え?」

「いいえ、ありません」

「ああ、そうか……」

 

 今、『雑魚い』と言ったように聞こえたが――雑魚い? 雑魚ってことか? 何が?

 いやまて、早まるな阿良々木暦。言い間違えだったらどうするんだ。再び指摘すれば最後、辛うじて成立した会話がまた終わってしまう。慎重にいけ――。

 

「じゃあ……」

 

 ……じゃあ、なんだ?

 何を聞けばいいんだ――忍野や臥煙さん、扇ちゃん辺りなら、この後も鋭い質問を投げかけるのだろうけれど、生憎僕は怪異関係についてはからっきしである。怪異現象に何度か行き遭ったとは言えど、その知識なんて僕にはない。

 扇ちゃんが居ないことが悔やまれる――そうだ、扇ちゃん。

 扇ちゃんは、何故この子を乗せるのを執拗に嫌がったんだ? 八九寺は、間違いなく理由があると言っていたが――。

 

「阿良々木暦」

「え、何だい?」

 

 まさかのまさかである。向こうから話しかけてくれるとは。僕への警戒心が少しは解れたということなのだろうか? もしそうだとすれば、やはり僕の雑談スキルは捨てたものではない――。

 

「織崎さんと仰りましたか」

「……はい?」

 

 おや。

 ここに来てまたもやまさかまさかの八九寺乱入だ――八九寺のやつ、ついに黙ってられなくなったのか。しかし、僕はもう八九寺に助けられないと決めたのだ。申し訳ないが、もう少し黙っていてもらおう。

 

「八九寺、悪い。もう少しの間でいいから、喋るのを我慢してもらえるか」

「黙るのは阿良々木さんの方ですよ」

「え?」

「織崎さん。あなた、どうして阿良々木さんの名前を知っているのでしょうか」

「え?」

 

 あれ、そう言えば――阿良々木暦って言ってたな。

 あれあれ?

 

「自己紹介して下さったでしょう。阿良々木暦と八九寺真宵って」

「言ったっけ……?」

 

 記憶にないけれど――まあ、そう言うのならそうなのだろう。そう考えなければ説明がつかないし。そうだ、したに違いない――。

 

「いいえ、してません」

「…………」

 

 八九寺は織崎ちゃんを睨んだ――どうしたんだ? 妙に八九寺が攻撃的だが……。してません? 何を言っているのだろう。

 

「なあ、八九寺。今僕が事情を聞こうと奮闘しているのだから、ちょっと静かに――」

「静かにすべきはあなただ、と、先刻申し上げた筈ですけれども!」

「っ…………」

 

 な、なんだ? 八九寺、どうしたんだ?

 織崎ちゃんを睨んだまま、目を離さない――織崎ちゃんをどうしてそこまで敵視するんだ? 扇ちゃん然り――。

 

「阿良々木さん。やはり車から降ろしましょう」

「え?」

「うふふ」

 

 織崎ちゃんは足を組み、ドアに肘を置き、頬杖をついた。

 ……いやいや、くつろぎ過ぎだろう。警戒心が解けた人というのは、ここまで態度を変えることが出来るのだろうか。

 ここまでくつろがれると、車から降ろす訳にはいかない――くつろぐということは、居心地が良いということ。僕の車でくつろいでくれるとは、全く光栄である。

 

「阿良々木さん!!」

「落ち着けよ八九寺。ああ、分かった。お前、嫉妬してるんだな? 喋ってくれないからって。ほら、なんだかんだでお前も楽しんでたんじゃないか。どうしてあんなツンデレみたいなことを――」

「阿良々木さんっ!! どうなさったのですかっ! 私の話を聞いて下さいっ!!」

「話? 聞いてるだろ? つーか、そもそも僕は織崎ちゃんと話しているのだから、聞くも何も――」

「阿良々木さ――」

 

「阿良々木暦。私は貴方と二人きりで話がしたいですわ」

 

「っ!?」

「二人きりだって!?」

 

 いきなりなんということを言いだすのだこの子は――大胆にも程がある。幾ら打ち解けたとはいえ、先程まで他人同士だった僕と二人きりになろうだなんて……そんなに警戒レベルを下げられるようなこと、何かやったっけ? いやまあやったんだろうけれど。

 流石に二人きりってのは――いや待て、そもそも最初に歩み寄ったのは僕からだ。そして向こうも漸く歩み寄ろうとしてくれている。その気持ちを無下にすることは、今やこの子を裏切ることに繋がるのではないだろうか? 折角打ち解けたというのに、再び元の木阿弥に戻そうというのか? 答えは否である。

 

「……八九寺。悪いが外に出てくれないか」

「阿良々木さん!?」

「すまない。けれど、僕は出来るだけ、織崎ちゃんの要望に応えたいんだ」

「阿良々木さん、おかしいとは思わないのですか!? 先程からのあなたの言動、とてもまともな精神状態とは思えません!!」

「おいおい八九寺。僕は冷静そのものだぜ。冷凍マグロだってビックリする程さ」

「冷凍マグロを引き合いに出している時点でご自分が冷静でないということにお気付き下さいっ!!」

 

 ……何を慌てているのだろうか? 八九寺にしては我儘がすぎる――神と化した影響なのだろうか?

 

「我儘な神様は嫌われるぜ。八九寺、降りてくれ」

「嫌です!!」

 嫌ときたか。

 

 うーむ……僕の車から降りるのが嫌とは、全く嬉しいことを言ってくれる。僕の心をぐらぐらと揺さぶってくれるじゃあないか。

 織崎ちゃんと八九寺、どちらをとるか……は、まあ、考えなくとも明確なのだけれど。

 

「八九寺」

「はい」

「降りてくれ」

「っ――――!?」

 

 今僕が優先すべきは、織崎との会話だ。既に友好度がマックスである八九寺には、悪いが退場してもらおう。

 

「あ、阿良々木……あ、ありゃりゃぎさん……!」

「おいおい八九寺。噛むにしてももう少し凝ってくれ。お前らしくないぜ」

「〜〜〜〜っ!!」

 

 八九寺は目に涙を溜めて僕を見る――揺さぶられる。激しく揺さぶられる。

 けれど、僕は心を鬼にしなければならない――いや待て何故? え? あれ? なんで僕は――あれ?

 

 待て。

 

 待て待て待て待て待ってくれ。

 

 頭の中がごちゃごちゃしていて解らない――なんで僕は親友を放棄して他人を取るんだ――。

 

「阿良々木暦。阿良々木暦。早くしてくださいまし」

「え? あ、ああ、悪い」

 

 僕は八九寺を見た。

 

「八九寺、頼む」

 

 八九寺は救いを求めるかのような目付きで僕を見た――けれど、僕は言い放つ。

 

「降りてくれ」

「…………」

 

 暫しの沈黙が車内を支配する。

 

 そして。

 

「……わかりました」

 

 八九寺は、車のドアを開けた。

 

「……阿良々木さん」

「ん? どうした」

「……どうかお気をつけて」

「ああ。安全運転で行くよ」

「…………」

 

 そう言うと八九寺は、車から降りた。

 

 バタン、と音を立てて、ドアが閉じられた。

 

 

 

[005]

 

「うふふ、さてさて二人きりになれましたわね。阿良々木暦」

「ああ、そうだね」

 

 八九寺をその場に残し、僕は車を出した。速度は勿論法定速度。安全運転である。

 織崎ちゃんは後部座席に寝転がりながら言った――そんなに居心地がいいのだろうか、その後部座席。

 

「先程は冷たい態度をとって申し訳ございませんでした。命の恩人になんたる無礼を」

「恩人なんて、そんな大それたもんじゃないよ。別に僕は何もしていない――」

「そう、何もしていない」

 

 織崎ちゃんは起き上がった(勿論振り返ってなんかいない。バックミラー様々である)。

 

「何もしていない阿良々木暦。しかし私は有難く思っていますのよ。こうして私の言う通りにしてくれたことを」

「……その事なんだけど、なんで君は僕と二人きりになりたかったんだ? 八九寺が居ても、別に話は出来たんじゃあ――」

「いいえ。八九寺真宵が居ては、難易度が高くなりますので」

「難易度?」

「あなたは気にしなくて良い事ですわ。それは置いておいて阿良々木暦」

「ん? どうした」

 

 はぐらかされたような気がしたが、そこにわざわざ触れて空気が悪くなるのは御免である。八九寺がこの場にいないのでは、自浄作用も働かない。

 居なくなって初めて分かる、八九寺の大切さ。

 

「私はあなたに恩返ししたいのです。なので、私の家に来てはくれないでしょうか」

「織崎ちゃんの家?」

「はい。ミルクティーの一杯でも二杯でも三杯でも四杯でも五杯でも六杯でも七杯でも八杯でも九杯でもお出ししますわ」

「そんなに飲むほど僕は図々しくねえよ!」

 

 僕は一体どんな風に見えているんだ。

 

「いいえ、結局は一杯ですわよ。一杯お出ししするのですから」

「判り辛え!」

 

 つーか一杯だけ確定なのか。変動することはないのか。

 やれやれ、これは一本取られた……いや、ここは一杯取られた、と言った方が良いのか?

 

「でも僕、君の家なんて知らないよ」

「私がナビゲートしますわ。ご心配なく。故にあなたは家に帰る必要などありません」

「え?」

 

 あれ、なんでこの子、僕が家に向かっていると知っているんだ? 言ったっけ?

 

「言いましたわ。しっかりとこの耳で聞きました」

「そうか」

 

 じゃあ言ったんだな。うん。この子が嘘を吐くわけがない。

 ……なんで嘘を吐くわけがないんだ?

 まあいいや。

 

「阿良々木暦。あなたは随分と考え事を多くなさる方なのですね」

「え?」

 

 そんなこと初めて言われたぞ――考え無しと言われたことは数知れずとも、考え事をよくするなんて、そんなこと言われたことがない。

 少しだけ嬉しい、かな――いや、嬉しいか? 嬉しいんだろう。嬉しい。

 

「考え事は結構ですけれど、ちゃんと運転にも集中してくださいね。あなたが勝手に事故って死ぬのは歓迎ですけれど、私が乗っているのですから」

「歓迎するなよ……」

 

 そんなまるで死んで欲しいかのような言い方、やめてほしい。

 しかしまあその通りだ。今は運転中である。集中しなければ。織崎ちゃんを乗せているのだから。事故を起こす訳にはいかない。

 

「そう、あなたは何も考えなくていい。私の言う通り、車を走らせているだけでいい」

「とうとう思考の自由さえ奪われるのか……」

 

 とことんまで僕という存在を規制してくれる。出演さえもままならないのに……。

 

「台本通りに動いてください、阿良々木暦。そうすれば、物語は進みます――歴史は正しい方向へと向かうのですわ」

「歴史?」

 

 突然歴史なんて壮大な話を始める織崎。歴史? なんでここで歴史なんてものが出てくるんだ?

 

「ほらほら、阿良々木暦。考え事をせず前を見る。人が居ますわよ」

「なっ!?」

 

 僕は慌てて前を見た――すると確かに、そこには黒い雨合羽を着た男が立っていた。

 僕は慌ててブレーキをかける――危ないところだった。織崎が居なければどうなっていたことか……いやまあ、織崎が居なければそもそも考え事なんてしていなかったのだけれども。

 

 ……織崎の所為か?

 いや、お陰だろう。

 

 車は、あわや激突かと思われた直前のギリギリで停止した。危ねえ……。

 

「あ、ありがとう織崎ちゃん」

「だから考え事をするなと言ったでしょうに」

「ああ。全く、君の言う通りだったぜ」

「ほら、早く謝ってきてくださいな」

「ああ」

 

 僕は車のドアを開けた。怪我を負わせていないかどうか、念の為に確認しなければ。そして謝らなければ。

 全く、不注意も良いところだ――僕、車の運転に向いていないのではないだろうか?

 

「すみません。僕の不注意で――大丈夫でしたか?」

 

 僕は男に呼び掛けた。

 雨合羽の男は、ゆっくりとこちらを向いた――あれ、雨合羽? なんで雨合羽なんて着てるんだ? 雨合羽……。

 

 雨合羽だと?

 

「っ――――!!?」

 

 僕は戦慄した。どういうことだ? こんな事、あり得るのか!? いや、というより、どうして僕はもっと早く気付けなかった――!?

 こちらを振り向いた男の顔は、まるで猿のようなそれであった。雨合羽、そして猿――そこから導き出される答えは、ただ一つ。

 

「レイニー――!」

 

例外の方が多い規則(アンリミテッド・ルールブック)

 

 レイニー・デヴィル。そう呟こうとした僕の台詞を上塗りするかのように、聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。僕も、レイニー・デヴィルも、頭上を見た。

 

 遥か彼方遠くにある小さな点――それは徐々に人の形を成し、地面に降り立った。

 否――地面に降りたったのではない。悪魔の上に降ってきたのだ。

 

 落下してきた童女は悪魔をぐちゃりと踏み潰した。悪魔は一刀両断、というか一踏両断され、二つに分かれて左右に倒れ伏した。

 

 降りたった童女はスカートをはたきながら言った。

 

「やれやれ、また何か妙な事に巻き込まれているみたいだね――僕はあなたの監視役だけれど、お守りじゃないんだよ?」

 

 童女――即ち、僕の家に住まう式神童女であるところの彼女。

 死体人形、斧乃木余接は、まさしくキメ顔でそう言った。

 

 無表情なのだけれども。

 

 




■ 以下、豫告 ■

「次回予告、その3――文責・斧乃木余接。

「つまり僕。僕だよーん。いえーい、ぴーすぴーす」


「何か話せと言われても、正直特に何もないのだけれど、しかたない、期待に応えてアイスクリームの話をしてやろう。

「有り難く思え。

「アイスクリームの王様と言えばやっぱりハーゲンダッツだけどさ、どうして店舗を全部畳んじゃったんだろうね?

「店舗でしか売っていない種類もあったじゃないか。確かに僕はアイスクリームのクリームの部分が好きだけれど、でもやっぱりコーンありきのものだと思うんだよね。

「サーティーワンとかが有名だけど、あれとは違う何かがハーゲンダッツにはあるんだよ。

「死体が何かに魅力を感じるなんておかしな話だけどさ。

「鬼のお兄ちゃんと阿良々木月火の監視なんてかったるい任務が終わったら、今度こそ僕、渡米するんだ。ハーゲンダッツのコーンを食べたいな」


「次回、衣物語 しるしメイク 其ノ貮」


「何はともあれ、まずは、今食べてるカップアイスを食べきらないとね」



■ エンドカード ■

織崎記 ウエダハジメ風

【挿絵表示】

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