〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
・非常に短いです。
・他に何かあれば書きます。
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これは、ある山にまつわる昔話――
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惨劇童話 せいれいの山
むかしむかし――四百年ほど前。日本列島の北、東山道の陸奥と呼ばれる国に、精霊山と呼ばれる山がありました。精霊山とはその名の通り精霊の加護が宿った山と呼ばれていました。
春には満開の桜が山を埋め尽くし、桃色の絨毯の上を野兎が跳ね回り。
夏には百日紅の花が太陽に負けじと赤々と燃え、蝉もまた命を燃やして鳴き続け。
秋には紅葉した銀杏の葉が黄金色の輝きを放ち、頬を膨らませた栗鼠が彼方此方へと駆け回り。
冬には趣深く全ての葉が枯れ落ちて、動物たちは静かに眠りに着き。
春が近付き雪が溶けると、その下からは寒さを耐え抜いた生命たちが一斉に顔を覗かせる――本当に精霊が宿っていたのかは定かではありませんが、仮に偽りでもそう思わざるを得ないほどに活気付いた山でした。
ですがそんな資源に満ちた山なのですから、あちこちからその上質な資源を奪おうとする不届き者が後を絶ちませんでした。元々この山と共に共存してきた人たちは酷く頭を抱えました。彼らは何度も何度もそのような愚か者たちを撃退してきましたが、それでも懲りずに何度も何度も迫る敵にとうとう臆してしまったのです。
人々は困り果てました。このままでは精霊の住まう我らの山が危ない。何とかしなければ。
そして彼らは遂に、今まで潜めてきた爪を、牙を、侵略者に突き立て始めました。
敵は次々と殺められました。何人も。何人も。何人も。何人も。もう撃退なんて生易しい方法はとりません。彼らは山を奪う敵を一人たりとも逃すことなく討伐しました。それを何年も続けていくうちに、とうとうその聖なる山に足を踏み入れる者は誰一人として居なくなったのでした。
退治された者たちの屍は、山の中に置き去りにされていました。その血は植物を育てる恵みの水となり、その肉は動物を育てる美味な餌となり――嘗て山を壊そうとした人たちですが、最期は山の為になって、腐敗していったのです。
ばら撒かれた肥料のお陰で、山は今まで以上に生き生きとし始めました。今まで見られなかった動植物も増え、山と共に過ごしてきた彼らにとって、それは我が子が成長するかの如き幸福でした。山は年々成長し、人々は嬉しさのあまり夜通し祭りを開いたとも言われています。
しかし、成長というものはいつか必ず終わりが来るものなのです。
今まで活性の一途を辿っていた精霊山は、ある時を境にその成長がぴったりと止まりました。始めの方は人々は何も不思議に思いませんでしたが、しばらくその状況が続くと、漸く「おかしいぞ」と思い始めたのです。しかしそれでもまだそこまで重大な事であるとの認識ではありませんでした。
さらに月日が流れ、今まで成長が止まっていた山は、今度はなんと逆に衰退を始めたのです。動植物は山に現れた新しいものから順に死に絶えていったのです。また、生き物が消えていくに従って、山や彼らの住む里に蜘蛛が発生するようになりました。ただの二匹や三匹程度なら珍しいことでもなんでもありませんが、十匹、二十匹、五十匹――酷い時には、一日に百匹もの蜘蛛が現れるようになったのです。人々はここでやっと危機感を覚えます。が、それはあまりにも遅すぎる意識でした。
「この山は一体どうしてしまったのだろう?」
人々は悩み果てました。どうにかしようにも、原因が分からないのでは手の打ちようがありません。
そうこう悩んでいる間にも事態は酷くなるばかり。生き物はどんどん減少し、それに反比例して増えていく蜘蛛。最早山も里も蜘蛛の巣だらけでした。
そんな中、今まで山を守るために外界との繋がりを一切遮断していた彼らは、遂にその重い腰を上げました。これは自分たちの手に負えない怪奇現象と考えた彼らは、噂に聞いた化け物退治の専門家を呼ぶことにしたのです。
そうして、一人の専門家がやって来ました。死屍累と名乗るその専門家は、山の惨状を観るとすぐにその怪異現象の正体を見抜きました。
原因は、嘗て彼らが殺めた者たちの怨念でした。屍たちの怨念は時を経て山に染み込み、山を枯らす呪いとなったのです。
問題は、もう専門家でさえも手がつけられないほどにまで自体が進行してしまっていたことでした。専門家は山を封鎖することを提案しましたが、人々はそれに反対しました。山と共に生きてきた彼らにとって、それは半身をもがれるようなものだったのです。
専門家は仕方なく封鎖することを取り止め、その代わりに呪いの進行を遅らせるための方法を教えました。
「山に生贄を捧げるとよい。人間の生贄を。怨念を止めるには最早それしか方法はない」
それを聞いた人々は半信半疑でしたが、藁にもすがる思いで一人の里娘を山へ生贄として差し出しました。今まで一体となって生きてきた彼らにとって生贄の儀式はとても辛いものでしたが、こうするしかなかったのです。
するとどうしたことでしょう。今まで大量発生していた蜘蛛の群れはみるみる少なくなり、枯れていた木々は少しずつですが息を吹き返していったのです。人々は大層喜びました。
専門家は言いました。
「このまじないは恐らく一年ほどしか保たぬだろう。年に一回、里の人間を生贄として捧げるのだ」
もうこの専門家の言葉を疑う者は誰一人としていませんでした。
こうして里には人身御供の文化が生まれ、毎年里で生まれた若い娘を精霊山へ生贄として捧げるようになったのです。そしてそれはしっかりと効果をあげ、山はじっくりと、けれど確実に元の姿を取り戻していったのです。
それから約十数年後――その年も彼らは、里に住む一人の少女を生贄として山に捧げました。
少女の名前は五十嵐阿良糸。濡れた鴉のように艶やかな黒髪をもった少女で、もうすぐ七歳の誕生日を迎えようとしていました。少女の母親は自分の娘が山の為になることを誇りと思いながら、阿良糸を精霊山の奥深くに置き去りにしました。
――この頃になると、山に対する敬意をあまり持ち合わせていない子供達が何人か生まれ始めていました。彼らは昔の、精霊が住むとまで言われた山の姿を知らない世代だからです。
この阿良糸もそんな子供達のうちの一人でした。そしてそここそが今までの生贄とは違うところでした。
阿良糸は山から逃げ出そうと、行くあてもなく走りました。しかし、幾分かまともになったとは言えどもやはり根底には怨念が蠢くこの山に人が立ち入る頻度は少なくなりました。彼女のように幼い娘が入り込む事は、昔ならいざ知らず、この頃はありえなかったのです。ゆえに阿良糸はこの山の事を何も知りません。抜け出す事は出来ません。
「助けて! 助けて! 助けて!――」
それでも阿良糸は彷徨い続けました。でも、少女の体力では一日が限界でした。
飲まず食わずで疲れ果て、少女は膝をつきました。すると突然目の前に大きな蜘蛛が現れたのです。少女は虚ろな目で蜘蛛を見ました。
「――嫌だ」
少女の目からは涙が溢れました。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ」
まるで水彩画のようになった世界で蠢く蜘蛛は、そんな少女に近付きます。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」
涙が頬を伝い、朝露のように地面に滴り落ちました。
少女の漏らす怨嗟の声は止まりません。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
黒い巨体は細い糸を吐き出しました。阿良糸は段々と身動きさえも取れなくなりましたが、それでもひたすらに、恨み、怨み、憾み続けました。叫び、慟哭しました。
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ――なんで、なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないの。私は何もしていないのに!」
蜘蛛は動きを止めました。その八つの目は、怨みに満ちた少女を見据えていました。
「許さない。お母さまも、みんなも、この山も、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部――許さない! 許さない!! 恨んでやる、死んでも怨んでやる! 許さない!! 許さない――!!」
怨恨に満ちた叫び――すると、どうしたことか、目の前に居たはずの蜘蛛がどろどろと溶けていくではありませんか。阿良糸は不思議に思いました。いえ、蜘蛛が溶けたことにではありません。
蜘蛛が、自分の体の中に入ってきたことを、不思議に思ったのです。
どろどろになった蜘蛛は、水が地面に染み込むかのように、阿良糸の白く澄んだ肌に染み込んでいきました。阿良糸はそれをただ静かに受け入れることしか出来ませんでしたが、どろどろの闇が目の前からなくなり、全てが少女の体に染み込んだ瞬間、阿良糸は悟ったのです。
――この山と里を殺せ。
内なる蜘蛛がそう囁いていることに阿良糸は気付きました。
阿良糸は再び怨みました。山を。里を。そして自分を貶めた世界そのものにさえ、怨みを向けました。するとその怨みに呼応したかのように、地面からじわじわと、さっきの蜘蛛のような闇が滲み出てきました。阿良糸はそれを一瞥して――こう言いました。
「否定しよう」
たった一言。その一言で十分でした。
今まで押さえつけられていた死者たちの怨念はまるで火山が噴火するかのように際限なく涌き上がり、瞬く間に山を真っ黒に塗り潰してしまいました。闇の這った場所にあった生命は全て汚染され、動物は死に絶え、植物は枯れ果てました。
「みんなの怨みはこんなものじゃないんだね。じゃあ、もっと、もっと暴れていい。好きにして。私は止めないから――蜘蛛は止めないから」
否定して。
否と定めて否定して。
すると闇は蜘蛛へと形を変え山を下っていきました。この小さな大群が向かった先は、蜘蛛の主が最も恨んだ場所。最も憎んだ場所でした。
阿良糸は笑いました。虚ろに笑いました。どうしようもなく溢れる黒い涙を無視して声が枯れるまで笑い続けました。狂った笑い声は山を越え里にまで届き、人々は狂気の嗤いの中で喰われていったのでした――。
このお話に続きとされるものはありません。この後少女はどうなったのか、精霊山はどうなったのか、このお話から知ることは出来ません。けれど少なくとも、これ以降この山は精霊が住んでいるなどという噂が途絶えたであろうことは間違いないでしょう。
だって今現実の陸奥にあるのは、精霊が住むとまで言われた豊かな生命溢れる山ではなく、死霊が集うとされる灰色の死に絶えた山なのですから。
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せいれいの山――終 (死霊山縁起より抜粋)
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