〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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■ 以下、注意事項 ■

・約一万九千字です。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分のネタバレを含みます。
・他、何か有れば書きます。

■ TROIS ■
■ DUE ■
■ UN ■

■ OUVERTURE ■



裁物語
第伍話 しのぶハート 其ノ壹


[001]

 

 

 忍野忍の過去というものを僕は全くと言っていいほど知らない。生涯を共にするツーマンセルでありながらも、僕が彼女について知っているのは精々"忍野忍"という名前を与えられてからの話くらいだ。或いは彼女がまだ鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼"キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード"という名前の頃のほんの数ヶ月、神を騙っていたころの話しか知らない。

 

 約600年生きたこの金髪幼女について、この通り僕は本当に何も知らないのである。彼女が積み重ねてきた歴史はあまりにも膨大で、知っても知っても知り尽くせない程のものであることは重々承知なのだけれど、しかしそうは言っても僕は彼女について無知過ぎる。六百分の一さえも、僕は彼女の歴史を把握出来ていない。

 

 こんなに近くに居ても、一心同体と言っても過言ではない状態であっても、である。

 

 いや、それが悪いと言っているのではない。そういう話では断じてない。誤解を恐れずに言えば、別に僕は誰かと付き合う上でその過去に何があったのかということを特段知る必要はないと思っている。何せ自分自身、僕自身がその過去ってやつを語りたがらない性質なのだから。

 

 自分の嫌なことを他人に強要するな、という話だ。

 

 ならば何故こんなことをだらだらと書き連ねて居るのかと問い詰められれば、残念ながら気の利いた答えを僕は用意することが出来ない。

 

 そう思ったから(・・・・・・・)――今回の件を通して、ふとそう思ったから、こんな話をしているだけだ。忍野忍という存在についての無知を知ってしまったから、こんな話をしているだけなのだ。

 

 だからと言って、別に彼女に過去を逐一問い質すなんてつもりは一切合切なく、ただ思っただけ。思い知らされただけ。

 

 結局のところ、今回はそんな物語だ。僕が、そして忍が、自分の積み上げてきた過去と向き合う物語。言ってしまえば、ただ自分の年表をひたすらに読み進めていくだけのお話。

 

 いや、読み進めていくと言うより、読み上げられると言った方が正確なのだろうか。見せつけられる――まあ言うまでもなく、僕らのような奴らが自分から進んで能動的に黒歴史を見つめ直すなどまずあり得ないことなので、この注釈は不要だったかもしれない。

 

 ともかく、誠実に、或いは不誠実に、己の過去と向き合う物語――自分の積み重ねてきた罪を自覚し、裁きが下るなんて、僕たちとしてはついこの間似たようなことがあったのでご勘弁願いたいのだけれど――まあそんなかんじで、語っていこう。

 

 僕と忍の珍道中、始まり始まり。

 

 

 

[002]

 

 

 なんて大手を振って始めようとしたけれど、しかしメタ的なことを言わせて頂くとこのシリーズ、一応前回の裔物語で一区切りを迎えているのである。それに結構間が開いているのでストーリーをお忘れの読者もおられるかもしれない――いやまさかこの裁物語から読み始める方は居ないだろうが、一応区切りは区切り。おさらいをしなくてはならないのである。

 

 そんな訳で、阿良々木暦の一年間。

 

 僕こと阿良々木暦は、高校三年生の春休み、吸血鬼に襲われた。血も凍る程美しい、金髪金眼の鬼だった――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、怪異の王にして怪異殺し。今や失われたその名はキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。

 ややあって彼女の眷属となった僕は、並み居る吸血鬼退治の強豪――同族殺しの吸血鬼・ドラマツルギー、ヴァンパイアハーフ・エピソード、新興宗教の大司教・ギロチンカッターと戦い、さらに主人とも手刀を交え、結果として僕は吸血鬼性の少し残った吸血鬼もどきの人間に、彼女は力を殆ど失って人間もどきの吸血鬼となったのであった。

 

 この地獄以来、僕は様々な怪異に立ち遭うこととなる。猫、蟹、蝸牛、猿、蛇、そしてまた猫――お陰で僕は羽川翼と友達になり、戦場ヶ原ひたぎと恋仲になり、八九寺真宵と親友になり、神原駿河に憧れの目を向けられて、千石撫子と再会できた訳なので、一概に悪いことだらけとは言い難い。

 悪いことと言うのなら、ある意味において夏休みに起こったあれこれは"悪いこと"だったのかもしれない――阿良々木火憐の蜂、鳥の阿良々木月火――詐欺師・貝木泥舟、暴力陰陽師・影縫余弦、その式神・斧乃木余接――恩人・忍野メメの大学時代におけるサークル仲間とやらとの立て続けに起きた遭遇は、改めて考えるとこの夏休みにおいてはまだ多少はマシな出来事だったのだろう。

 問題は、夏休み最終日である。夏休み最終日に起こったことは、今思い出しても暗闇に包まれたような気分にさせられる――タイムスリップ、世界の滅亡、八九寺の成仏、死屍累生死郎の復活と決闘。そして、『くらやみ』――僕の卒業式まで続く一連の事件の伏線が張られたのが、この夏休みだった。

 

 夏休みが終わり、僕たちの通っていた私立直江津高校に一人の少女が転校してきた。その少女の名は、忍野扇。神原より一個下の後輩だ。彼女が転校してきて以来、僕は今まで積み上げてきた債務の一括払いを余儀なくされた――なあなあにしてきた事を、精算させられた。その中でも強く僕の胸に焼き付いて離れないのは、言うまでもなく老倉育と千石撫子の件である――特に千石撫子の方は、僕が一月頃に直面したある"変化"に深く関わったのである。

 大学受験が目前に見えてきた頃、僕の体は度重なる吸血鬼化の影響を受け、純正の吸血鬼と化していた。忍に血を吸われて吸血鬼になるのとは訳が違う、最初から生まれついての吸血鬼に。ここから僕は斧乃木余接の監視下におかれることになる――もっとも、二月に主人である影縫余弦が姿を消すことによって、その監視は無力化されてしまうのだが。

 

 そんな二月を経て三月――この件について数行で説明するのは不可能なので、かなりざっくりと説明や経緯を省かせてもらう。僕の地獄巡りについて詳しく知りたい方は、原作を読むか今後放送されるアニメを見て欲しい――ついに僕は、夏休み以降の事件を引き起こした"黒幕"、即ち忍野扇と対面し、一応の決着をつけた。とは言うものの、僕と彼女の対決は未だ続行中なのだけれども。

 

 卒業式の事件をなんとか乗り越え、見事に春休みへの突入を許された僕ではあったが、やはり平和に過ごすことは出来なかった――鏡の事件もさることながら、それ以上の脅威が今現在文字通り僕たちに襲いかかっているのである。

 それが、この作品の読者諸兄が知る所である、織崎記との戦いだ。四季崎記紀という嘗て存在したという伝説の刀鍛冶が作成した十二本の完成形変体刀を巡る戦い――僕たちを暗殺せんとする織崎記と僕たちは何度か戦い、そしてついさっき、完全勝利とはいかなかったが、何とか勝ち星を挙げることに成功したのである――何人もの犠牲を出して。

 

 

 

[003]

 

 

「おお、阿良々木先輩か! よく来たな。ちょっと待ってくれ、今服を着るから」

「え? 着るの? 脱ぐんじゃなくて?」

 

 回想は終わり――時系列は現在へ。

 

 織崎ちゃんとの戦いを終えた僕たちは、休む間もなく――いやちょっとだけ休んで――神原の家へとやってきた。

 

 どうして神原の家に、心身ともに疲弊した体を押してまで向かったのかというと、簡単に言えばお見舞いである。

 お見舞い。

 病気見舞いという訳ではない――こと神原については彼女のお部屋の汚部屋っぷりが極まっているのでいつかそれが祟って病気になるだろうと確信しているがそうではなく、少し前に負った怪我の見舞いである。

 

 勿論怪我というのはそこら辺で転んだとか、幼女に噛まれただとかそういう話ではない。そんな話ではなく。

 少女の蹴りを喰らい、悪魔に吹っ飛ばされた――先程の戦いで、神原は八面六臂の大活躍をしてくれたものだが、その代償として彼女は多少のダメージを負ってしまったのである。

 責任も感じるというものだ――何せ神原を戦いに巻き込んでしまったのは、他ならぬ僕の愚直さなのだから。織崎に易々と釣られて監禁されてしまった僕の所為なのだから。

 

 そんな訳で、こうして神原の家を訪ねて来たのである。神原の見舞いと、もう一人のことも――。

 

「おや、どうした事だろう阿良々木先輩。そういう返しをするのは普通こちらからではなかったか? 私の裸を所望か?」

「そんな訳ねえだろ。いや、確かにお前の裸はかなり見応えがあるけれど、そうじゃねえよ」

「見応えがある! なんだ、それならそうと早く言え! 待っていろ、今着かけた服を脱ぐ!」

「服は着とけ!」

 

 僕は今、神原の部屋の前に居た。神原の部屋の襖は閉まっていて、開けようとしたら冒頭のセリフが飛んできたのである。

 つまり、僕は廊下に立って、こんな会話を大声でしている訳だが……神原の祖父母さんからの僕の評判は大丈夫だろうか。

 

「いや。いつも僕がここに来ると言うと、お前はいつも何かと理由をつけて脱ごうとするからな。真逆の反応だったから、びっくりしただけだ」

 

 敢えて常識的なことを言わせてもらえば、現代日本において何かと脱ごうとするその行為こそが常識と真逆な行動であり、今の神原こそが常識的な行動な訳で――僕が来る前は脱いでいたらしいので、突き詰めれば結局現在進行形で常識外れな訳だが。

 

「じゃあ、別に私の裸を見たいという訳ではないのだな」

「当たり前だ。健全なる紳士として、当然のことだぜ」

「しかし健全なる男子としては、女子の裸を見たいのではないのだろうか」

「不健全な女子が健全な男子を語るな」

「否定しないのだな」

 

 うん。

 そりゃあそうよ。

 

「ならば阿良々木先輩は……今、本音としては私の裸を見たいのではないのか? 見応えがある裸をじっくりと眺めたいのではないか?」

「何訳の分からん誘惑をしてるんだお前は。なんでそんなに自分の体を見せたいんだよ」

「見せたいのではない、見せつけたいのだ!」

「うるせえ! もうお前さっさと逮捕されてしまえ!」

「ふっ、いいのか? 私が逮捕されていいのか? その場合、私は今まで阿良々木先輩が犯してきた様々な奇行を逐一有る事だけを告げ口するぞ!」

「有る事無い事じゃねえのかよ!」

「だって無い事を言うまでもなく、有る事だけで阿良々木先輩は有罪だろう」

「くっ……!」

 

 言い返せない僕が居た。

 いや、勿論行き過ぎたことは神原の前では一切やっていない。やっていない筈なのだが、僕の事だからいまいち信用出来ない。少なくとも神に誓って言うことは出来ない程度には。

 我ながら情けない……くそっ、どれもこれも全部ロリって奴らの所為なんだ!

 

「そ、それはそれとしてだ、神原! もういいか? 入っても」

「ん? ああ、別にいいぞ。もうとうの昔に着終わった。寧ろ早く入ってくるがよい。いつまで突っ立っているつもりだ?」

「じゃあ言えや! お前僕をエスパーかなんかと勘違いしてるんじゃねえだろうな!?」

「吸血鬼パワーで透視出来るんじゃなかったのか?」

「寧ろなんで出来ると思ってたんだよお前は!」

「だって阿良々木先輩、羽川先輩のパンツの色当てを外したこ」

「よし入るぞ!! もういいな!!」

 

 これ以上余計な事を言われては堪らない。今神原が口走りやがった情報は今まで全力で隠してきたトップシークレット、決して悟られる訳にはいかないのである。

 僕は襖を勢いよく開けた。

 

 部屋の中には相変わらず本の山とゴミが散乱していた。少し前に部屋の掃除を(僕が)した筈なのに、こうもすぐに汚すことが出来るのかと最早感心してしまう。どうやってるんだろうか。

 しかしいつもと違うのが、そんな汚部屋の真ん中に大きな空白地点があったことである。まるでミステリーサークルのようにその場所だけには一切不要なものがなく、驚くべきことに床に敷かれた畳がしっかりと見えていた。

 サークルの中に居るのは、ちゃんと服を着た神原ともう一人――ぐったりと横たわった女が。

 

 僕の彼女。

 戦場ヶ原ひたぎが居た。

 

 

 

[004]

 

 

 先刻勃発した織崎記との戦い――僕は愚かにも易々と馬鹿みたいにあっさりのこのこ織崎に先手を取られたのは、先程触れた通りである。僕は織崎に拉致監禁され、あと一歩で殺されるところだった。

 そんな時助けに来てくれたのが、ひたぎと神原だったのである。僕を拉致監禁した記念すべき一人目であるひたぎに助けられたというのは、何か因縁というか、皮肉じみたものを感じるが――兎も角、この二人のおかげで僕はすんでの所で命を繋いだのである。

 

 それで織崎がちゃっちゃと逃げてくれれば良かったのだが、そうはいかなかった。あろうことに奴は、ひたぎと神原に襲い掛かったのである。

 その際、神原だけでなく、ひたぎも決して無視出来ないダメージを負ってしまったのである――重症を負ったのである。

 

 切り傷。

 それは擦り傷ではあったが、そんな言葉で片付けていいようなものではなかった。ひたぎは織崎の所有する完成形変体刀が一本"毒刀『鍍』"で斬られたのである。

 傷口自体は、それこそただの擦り傷、切り傷程度のものだったが、しかしそんな規模の傷口なのにも関わらず、異常に出血量が多いのである――ひたぎはその後、気を失ってしまった。恐らく出血多量による貧血の所為だろう。

 そして、その状態は今も続いている。

 

 僕はひたぎの側に屈み込んだ。

 

「……全く目を覚まさない。脈はあるし、生きているのだが――見ての通りだ」

 

 さっきまでのハイテンションが嘘のように、神原が神妙に言った。

 

「出血の方は、ある程度マシになってはいる。けれど、それでもまだ止まった訳じゃないんだ」

「まだ止まらないのか」

「どれだけ腕をキツく縛っても、止まらないのだ」

「……出血の勢いが下がった事だけが、まだマシになったってところか――気休めにもならないな」

 

 ひたぎの左腕には包帯が巻かれている。恐らく初めは真っ白かったであろう包帯も、今や少しずつでも確実に流れ続ける血によって赤く染め上げられている。

 

「阿良々木先輩。包帯を取り替えるから、手伝ってくれ」

「……ああ、勿論」

 

 神原主導で包帯が取り替えられていく。包帯の取り外しについて神原は一家言あるため、慣れた手つきで取り替えていく。その間に僕は何を手伝っていたかといえば、腕を縛って出来る限り血を流させないようにすること。傷付けられた時はこんな小細工何の役にも立たなかったのだが、今はある程度毒が薄まっているのか、勢いはしっかりと弱まっていた――完全に出血を止めることは出来ないものの。

 神原は巻いた包帯を縛った。それを確認して僕は手を放した。すると、巻いた側からじわと赤色が滲み出てきた。

 

「戦場ヶ原先輩は……大丈夫なのだろうか」

 

 神原が言う。

 

「もしもこのまま血が止まらなかったらどうなる? いざとなれば輸血という手段があるが、これはどう説明すれば良いものか……」

「……その辺も含めて、だな」

「どういうことだ?」

「ん、いや――なんでもない」

 

 ひたぎの傷を治す方法は、十中八九あの人(・・・)が知っている。あの人(・・・)には知らないことなどない、のだから――だからこそ、僕は"お願い"を拒否できる立場にないのだ。

 

「まあ手取り早いのは、これをやった張本人から解決手段を聞き出すってことだが……無理だろうな」

「あの女……ちょっとでも油断すべきじゃなかった。あそこで、動きを封じるついでに、腕の二、三本は折っておくべきだった!」

「腕は三本もねーよ」

「腕が三本ないなら、足もついでに折っておくべきだった! 両足とも!」

「えげつねえなおい」

 

 流石にそこまでいくと過剰防衛と思ってしまう。普通に腕だけで良いのではないだろうか。

 

「何を言う阿良々木先輩! こっちは命を狙われているのだぞ! 寧ろこっちら四肢だけで済ませてやるというのだから、手心を加えている方だろう!」

「まあお前の気持ちは分かるよ、すっげー分かる。ただ、やられたらやり返すと言っても、限度があるだろって話だよ」

「むう。いつもなら『流石阿良々木先輩! 敵に対して慈悲を向けるとは、生まれついての紳士だな!』などと言って褒めてやるところだが、今回ばかりはとてもそんなことを言えるテンションではないな」

「微妙に上から目線なのが気になるが……」

 

「阿良々木先輩。まさか、ここまでされて尚、円満に解決出来ればいいな、なんてことを思っているのではあるまいな?」

「…………」

 

 神原は正座し、自分の太ももを枕にさせるように、ひたぎの頭を乗せた。要は膝枕である。

 

「だとすれば、言っておく――無理だぞ。絶対に無理だ。保証する」

「……なんでそう思う?」

「この件に関わっているのが、阿良々木先輩だけではないからだ」

「それは、まあ」

 

 織崎の標的は僕ではなく、僕"たち"だ。僕だけが標的ならばもっと話は簡単になっている筈だし、ましてやひたぎが傷付けられることもなかった、かもしれない。

 

「多分あなたは許してしまうだろう。拉致されようが、殺されかけようが、絶対に許してしまうだろう――口で何と言おうとも、だ」

「…………」

 

 許す。

 許してしまう。

 

「それだけ聞くと、まるで聖人か何かみたいだな。けれど神原、いくら僕でもそんなこと――」

「そんなことあるから、今こうして私たちは恋人関係、或いは愛人関係にあるのではないか」

「誤解を招く発言をするな。恋人関係はひたぎとだし、お前とはただの友人関係だ」

「私は一度、いや二度、阿良々木先輩を殺そうとしたのだ。そんな相手と愛人だか友人だかになるなど、はっきり言わせて頂くが、正気の沙汰じゃあない」

「……今更過ぎるぜ」

 

 それについては今まで何度も指摘されたし、警告もされた。けれど、別にその一件の後、神原は僕を殺そうとはしていない。なら、もうそれでいいのではないだろうか?

 ……こういう態度こそ、なあなあにするってやつなのだろうが――"あの子"が正したがる部分なのだろうが。

 

「そんなところが阿良々木先輩らしさであることは知っているさ。尊敬もしている。でも、そんなことが出来るような人間はそうそう居ないとだけ言わせてくれ」

 

 神原はひたぎの額を撫でながら言った。

 

「例えどれだけ謝ろうとも、同じ穴の狢であろうとも、私があいつを許すことは未来永劫無い」

 

 私は聖人なんかじゃないんだ。どちらかと言えば悪魔の側だからな――神原は自嘲的にそう言った。

 

 僕だって聖人じゃねえよ、寧ろ退治される側の吸血鬼だ――などと言うのは、的外れもいいところな指摘なのだろう。

 神原が言いたいのはそういうことではない。そういうことではないのだ。

 誰か一人でもしこりが残っていれば、それは円満な解決とはとても言えない。そう言いたいのだ。

 

 ……許してしまうのか?

 妹と友人を殺されて、恋人を傷付けられ、自分自身も殺されかけておきながら。

 それでも僕は、全て解決すると終わり良ければすべて良しの精神で許してしまうのだろうか?

 僕は――。

 

「……すまない。少し出過ぎたことを言ってしまったな」

「いや、こっちこそ……悪いな。そんなこと、言わせちまって」

「阿良々木先輩が謝ることではないさ。阿良々木先輩の性質は、重々承知しているからな。今更謝られたところで、ぶっちゃけ特に何も思わない」

「せめて何か思ってくれ!」

 

 最早諦められているのだろうか。

 羽川にさえ軽く更生を諦められた僕なのだから、そりゃあ神原ならとうの昔にどうしようもないと悟っているんだろうな。

 ……無性に扇ちゃんに謝罪と感謝の気持ちを伝えたくなってきたぞ。

 

「はあ……駄目だな。こういう重い空気にしない為に、さっきまで散々道化を演じてきたが、やはり私には道化の才能さえもないようだ。ははっ」

「待て、自虐を始めるな。つーか部屋に入る前のあれは演技だったのかよ」

「当たり前だろう。こんな状態の戦場ヶ原先輩を前にして……まともにはしゃげる訳あるまいよ。憧れの人が生死を彷徨っているのにヘラヘラとボケているようでは、もうそれはただのサイコパスだ。或いは本当に呆けているのか」

「そんなこと考えてたのかお前」

 

 なんかこう、今まで僕が神原に抱いていたイメージが崩れていくような感覚を覚えた。いや勿論、やる時はやるしきめる時はきめる奴だってことは、蛇や鎧武者の事件を通して知っていたが、思っていた以上に真面目というか……。

 

「今まで、なんか悪かったな」

「待て! 謝るな! さっきみたいな理由ならいざ知らず、そんな理由で謝られると、ただでさえ最近薄くなりがちな私のキャラが本当になくなってしまう! やめろ! 私を真面目キャラに仕立て上げないでくれ!」

「多分そんなことで声を荒らげたのは神原、歴史上お前が初めてだよ!」

 

 いや待て、思わずツッコんでしまったが、今の反応さえも偽りのものだったのかも――もしやこいつって、本当はただ僕に合わせて戯けてるだけなんじゃ――。

 

「やめろ!! 私のイメージが下がるっ! ほら見ろ阿良々木先輩、このBL本の山を! これでもあなたは私がまともな人間だと言い張るのか!? レズな私をそれでもまともだと!?」

「いや、別にBL本くらい健全だろうよ。男子としては受け入れ難いものではあるけれど、まあ、普通だろ」

「やめろぉ!! 普通って言うなぁ!!」

「いいじゃねえか、普通。普通最高」

「やめろやめろやめろ!! 幾ら阿良々木先輩と言えども、これ以上のキャラ封じは断じて許さんぞ!! そうさ、私は阿良々木先輩と違ってなんでもかんでも許すような女じゃないのだ!!」

「さっきまでの話と無理矢理繋げるな! つられてあのシリアスなシーンがただの茶番に思えてくるだろうが!」

 

 ……ん?

 おっと、なんか前にもあったぞこの展開。確か以前は夏休みの頃で、同じ感じで神原を弄ってて、それから――どうなった。

 ……なんか、嫌な予感がするぞ。

 

「お、おい、神原。あんまり熱くなるな! ふ、普通でいいじゃないか! サイコパス扱いされるよりはよっぽどいいだろ!? な!?」

「駄目だ!! サイコパスレベルに苛烈な性格のキャラでなければ、この激動の時代を生き抜くことは出来ない! 真面目だけが取り柄なんていう優等生キャラが好かれる時代は終わったのだ! どう控えめに見ても狂っているとしか思えないようなキャラクター共が蔓延る昨今、個性を全面的に押しださねば、生き残れん!!」

 

 メッタメタなことを言いながら、神原がじりじりと近付いてくる。僕は座りながらも後退したが、指先が壁に触れてしまった。

 

「やめろ神原!! それ以上僕に近付くな!!」

「かくなる上は再びだ!! 今度は阿良々木先輩のパンツだけではない、全部脱がせて全裸にして、ついでに私も全裸になってやる!!」

「や、やめろー!! やめろー!!」

 

 そう言うや否や、神原は跳び上がって一気に距離を詰めた。そしてそのまま僕はされるがままに仰向けにされてしまった。

 

「阿良々木先輩! ご覚悟!!」

「ぎゃー!! ぎゃー!!」

「ええい、暴れるな! パンツが脱がせ辛いだろうが!!」

 

 例え演技だろうがどうだろうが、絶対安静な重症人が居る同室ではしゃぎ回り、あまつさえ規制に引っかかるようなことをしているような僕たちは、わざわざ個性を押し出す必要すらもなく、もう十分狂っているのかもしれなかった。

 かもしれないというか、もう、確定的に。

 

 

 

[005]

 

 

 またも発動、章変えリセット。

 やっぱり何も起きてないよ。起きてないったら!

 

「ふう……いい汗をかいた!」

「何も起きてねえっつってんだろうが! そういうこと言うな! 誤認される!」

 

 それはそれとして。

 それはそれとして!

 

「じゃあまあ……そろそろ帰らせてもらうよ。別にこのまま僕が居たって、何も出来ることはなさそうだからな」

「え? もう帰るのか? いやまあ確かに阿良々木先輩は包帯もロクに巻けないし、腕を縛ったりする程度しか役に立たないけれど」

「お前は少し遠慮ってもんを覚えろ」

 

 何が普通だ。

 個性しかねえじゃねえか。

 

「せめて、昼ご飯くらい食べていったらどうだ? ああ、勿論私の手料理ではないが」

「そりゃあ有難い提案だけれど、昼食はもう決まってるんだよ」

 

 有難い提案というのは本心だ。神原のおばあちゃんの作るご飯は何度か御相伴に預かったことがあるけれど、その時出された料理はまるで旅館に泊まった時に出される料理のようで、非常に美味しかった。

 だから食べたいのは山々ではあるのだけれど、生憎今日の昼ご飯は"ある場所"で食べることが決まっている。いや、それはもう昼ご飯と言っていいのか微妙なものではあるが……。

 

「好意だけでも受け取っておくよ」

「うむ! ついでに行為も受け取ってくれ!」

「神原、少しは真面目な素をちらっとだけでも覗かせてくれていいんだからな?」

 

 本当、八九寺とは違うベクトルで日本語の難しさを教えてくれる奴である。

 

「むう……では、何を食べてくるのかは知らんが、代わりに私が代金を肩代わりしよう。はい、五万円」

「おいこら待て」

 

 僕は平然と五万円を突き出した神原の肩を掴んだ。

 

「な、なんだ阿良々木先輩! 急に肩なんか掴んで――はっ! 分かったぞ阿良々木先輩! このまま押し倒すつもりだな!? 昼食というのは、そういうことだったのか!」

「そういうことな訳ねえだろうが!!」

「ならば是非もない! 召し上がれ!」

「五万円を手に持った状態でそんなこと言われても可愛くもなんともないわ!!」

 

 五万円さえ視界に入らなければ可愛いのは認めるけども!

 

「神原、お前のその行動の意図を聞こうか」

「五万円か? それとも召し上がれ?」

「どっちも聞きたいが、取り敢えずは五万円の方から聞こうか!?」

 

 僕は神原の肩から手を離した。

 

「何を思って五万円を出した! 何の魂胆があって、どういうつもりでその行為に打って出た!?」

「え? いやあ、昼食を食べていかないなら、せめて昼食代だけでも出してやろうと」

「何をどうしたらそんな思考に辿り着くんだよ!? つーか五万って……そんな額をよく渡そうって気になれるな!? しかもお前のことだから、別に返さなくてもいいとか言うんだろ!?」

「おお、流石阿良々木先輩だ! 私のことなどお見通しということだな! いやはや恐れ入った!」

「僕はお前が恐いよ!!」

 

 知っている方は知っているだろうが、神原家は裕福な家庭なのである。つまり有り体に言ってしまえば、こいつはいいとこのお嬢様的な奴なのである。とても信じられないし信じたくもないだろうが。

 

「つーかそんなの抜きにしても……後輩から金を借りる先輩が何処にいるんだよ。先輩っつーか、もう僕OBだぜ」

「そうか。そこまで言うなら、じゃあ要らないな」

「おいおい待てよ、要らないとは一言も言ってないぞ」

 

 僕は神原の手を掴んだ。その手に握られているのは五枚のお札。諭吉さんが描かれている。

 

「ただな、僕は先輩として注意を促しているだけだ。今後はこんな風に軽率にお金を使うなってことを。飽くまでも今後(・・)だから、今回は有難く使わせて頂きますが」

「阿良々木先輩……」

 

 神原は憐れむような目つきで僕を見た。自分から出しておいて、それはないのではないだろうか。

 

 念の為に言っておくが、僕は普段から金にがめつい強欲な男ではない。常に謙虚な男の中の男、どっかの詐欺師とは違うのである。ただ、実の所今現在、僕の全財産は限りなくゼロに等しいのだ。先日のドーナツパラダイスで、僕の財布の中身は纏めてパラダイスに飛んで行ってしまった。今僕の財布を潤しているのは、妹に土下座して貸してもらった一万円札だけなのである(借りたのは当然火憐にだ。あいつは利子の概念を理解していない)。

 

「分かった……分かったぞ、阿良々木先輩! お金に困窮しているというのなら、仕方ない! 追加の二万円だ! 持って行け!」

「お前さっき僕が言ってたことちゃんと聞いたのか?」

 

 とまあそんな感じで。

 中々話が纏まらなかったものの、神原から五万円を借りた僕は(追加の二万円は当然固辞。ちゃんと利子をつけて返す約束もした)神原家を後にした。

 なんだか結果だけ見ればお金を借りるために神原家を訪れたように見えるかもしれないが、違うぞ。僕は飽くまで、神原とひたぎの様子を見に来たんだからな。

 

 僕は徒歩で昼食場所へ向かった――時刻は午前十一時頃過ぎ。今日は4月1日で、俗に言うエイプリルフールである。

 だからと言って別に嘘を吐いたりする気はないので安心してほしい。僕は貝木と違って信頼できる語り手だ。それに、エイプリルフールなどと言って嘘を吐いていいのは午前中までだと聞く。もうすぐ正午であり、流石に嘘を吐くにも遅過ぎるだろう。

 

「…………嘘か」

 

 嘘。

 というか、冗談であって欲しかった。

 

 日和ちゃんが『くらやみ』に呑まれたのは、ほんの数時間前の話である。彼女が呑まれた時、日付はまだ3月31日であった。

 ……これが4月1日だったらどうだという話ではないが、ふとそんなことが頭をよぎった。あと少しで月を跨げたのに、ぎりぎりでそれが許されなかった少女のことが思い浮かんだ。

 許されず、裁かれた少女のことを。

 

「そのように暗い気持ちになるな、お前様。暗いのはお前様の影だけで十分じゃっちゅーの」

「忍」

 

 ふと気付くと、僕の影の上に麦わら帽子を被った金髪幼女が立っていた。幼女は――忍野忍は、暑そうに手のひらで顔を煽いだ。

 

「やれやれ、これだから太陽というやつは。春だろうと夏だろうと関係なく眩しい日光と暑さを送り込んでくる。やはり早急に滅さねば、そろそろ儂の身が危ないのう」

「暑いっつっても、まだ4月だぜ。そんなこと言ってたら7月8月、どうするんだよ」

「たわけ。儂はこれでも一応は吸血鬼なのじゃぞ? 幾ら搾かすとは言え、吸血鬼には変わりないのじゃぞ? 4月だろうが7月だろうが、陽の光はいつだって儂らの天敵じゃ。並の吸血鬼なら、4月どころか冬の日光にさえ燃やし尽くされてしまうわ」

「それでも、まだマシっちゃマシなんだろ?」

「マシっちゃマシじゃ。しかしそれは大した違いではない、微々たるものじゃ。分かりやすく例えれば、カスタードクリームとエンゼルクリームの違い程度のものじゃ」

「それ割と大きんじゃ……」

 

 ドーナツと言っても、基本的に僕は標準的な形のチョコレートとかフレンチクルーラーとかしか食べないからよく知らないけれど。

 

「なら今日食べれば良いじゃろう。よかったな、食うものが決まって」

「涎が垂れてるぞ。お前横取りする気満々じゃねーか」

 

 そう。今日の昼ご飯はミスタードーナツで食べることになっていたのである。

 そもそも何故ミスタードーナツかと言うと、先日の戦いでの忍の活躍を労うためである。いや、活躍というなら神原もひたぎも、それに斧乃木ちゃんや扇ちゃんだって活躍したのは間違いないけれど、問題は戦闘の過程で、僕が忍を"絶刀『鉋』"で刺し貫いてしまったことにある。

 

 一応ちゃんとした戦略であり、あの行動が織崎の隙をついたのが僕たちの勝利を決定付けたのだが、しかし忍に一切断りなく突然背後から刺してしまったのである。当然、怒られた。

 だから労いとは言ったが、これは償いという側面もまた強いのである――幸い、僕より実年齢上大人な忍さんはドーナツ十個程度で手を打つと仰って下さった。故に一万円を借りたのである。まあ予想外な収入があったので、ここは十五個くらい購入してやろうと思っているけれど。

 

 ちょっとしたサプライズである。他人のお金でサプライズとは格好悪いけれど。

 つーか、普通に情けないわ。

 

「かかっ、何を食べようかの? やはりゴールデンチョコレートは外せん。ポン・デ・リングは当たり前として、フレンチクルーラー、オールドファッション……」

 

 神妙な顔をしてドーナツ名を羅列する忍。多分、こいつは全部覚えている。形と味に至るまで。

 

「エンゼルフレンチ、ハニーディップ……おお、そうじゃ! 何やらチラシに、和ドーナツなるものが記載されておった記憶があるぞ! 確か抹茶味だったような……ふむ、抹茶はそこまで好かんが、まあミスタードーナツの製品じゃ、美味いに決まっておるから食ってみるか」

「抹茶味って、別にどこが作ろうともそんな大きく変わらねえだろ。無難なものにしとけばどうだ?」

「馬鹿かうぬは!! 聖地たるミスドを、そんじょそこらの店と一緒にするなよ!! 次元が違うのじゃ次元が!!」

「分かったよ! つーかうるせえ!」

 

 叫ぶ僕たち。周りに人は殆ど居ないにせよ、さぞ目立つ光景であるだろう――が、しかし今回ばかりは、僕たちはまだ目立っていない方だと断ぜざるをえなかった。

 

「……なんだあの人たち」

 

 僕たちの視界に入ってきたのは、オリーブ色のローブを着た十人強くらいの集団だった。ローブには大きな十字架があしらわれており、何人かは首から十字架のネックレスをぶら下げていた。そんな連中が白昼堂々と公道を歩いているのだから、異様以外の何物でもない。

 

「っ…………」

 

 恐らく、普通の人から見れば、この奇怪な集団は、それこそ怪しげな宗教団体にしか見えないだろう。しかも十字架、日本由来の宗教団体であるとは思うまい。絶対に誰も関わろうとしない筈だ。

 僕も御多分に漏れず、関わりたくはなかった。なので僕は身を出来る限り縮こめさせて、目立たないように、素早く集団の横を通り過ぎた。僕の気持ちを汲んでか、忍は即座に影に沈んでくれた。

 

 通り過ぎた後も、暫くは早足で歩き続けた。そして、ミスタードーナツの店舗が見えたところで速度を緩めた。

 忍が影から浮上する。

 

「なんじゃ、奇妙な連中も居たものじゃのう。真昼間から、あんな目の痛くなるような十字架なんか身に付けて、暇な奴らめ」

 

 忍は振り返って毒付いた。

 

「じゃがまあ、あれは勧誘の仕方を間違えておるわ。もっと身を潜めて誘わねば、誰もあんな胡散臭い宗教に入るまいよ。かかっ! さて、お前様よ! あのような連中のことなど忘れて、ドーナツを食おうではないか! 目的地はすぐそこじゃ! 走れー!」

「お、おう!」

 

 走れと言われても、どうせ歩いて50歩も掛からない距離。一応走ったけれど、到着に30秒さえも掛からなかった。

 ミスタードーナツに到着。

 

「かかっ! かかかっ! さあさあドーナツ、ドーナツじゃ! 入るぞお前様っ!」

「へいへい」

 

 楽しそうにはしゃぐ忍。どう見ても性質が外見に引っ張られてやがる幼女を見ながら、僕はさっきの集団のことを考えていた。

 

 あれは。

 見たことのない姿ではなかった――忘れる筈もない。忘れることなんて出来る訳がない。あのローブを見たのは、そう、今から丁度一年前。

 一年前の春休み、僕はあれと同じ服を着た男と会った。

 

「…………」

「む? どうしたお前様。焦らしプレイか?」

「プレイとか言うな――急かすなよ。じゃあ、入ろうぜ」

「うむ!」

「…………」

 

 忍はミスタードーナツのドアを開けた。僕は忍に続いて入店し、ドアを閉めた。

 

 一抹の不安を胸に抱きながら。

 

 

 

[006]

 

 

「ぱないの! ぱないの!! じゃっぱないのー!!!」

「一口毎に叫ぶな。他のお客さんもいるんだから、もうちょい静かにしろ」

 

 本日のミスタードーナツは、客足はやはりそこまで多くはなかったものの、ちらほら席が埋まっていた。ドーナツといえばおやつという印象があるけれど、それは逆に手早く済ませられるということであり、お客さんはスーツ姿の人が殆どだった。

 

 僕と忍は空いている席に座った。僕のトレイの上には、チョコレートドーナツと忍に薦められたカスタードクリーム、エンゼルクリーム。あと、新商品だというコットンスノーキャンディーのストロベリーヨーグルト。また、これは買ったのは僕ではないけれど、ポン・デ・リングとフレンチクルーラー、それにフィナンシェドーナツのプレーンとやらが。

 忍のトレイにはゴールデンチョコレートが二つ、オールドファッション、オールドファッションハニー、エンゼルフレンチ、ハニーディップ、チョコリング、ストロベリーリング、フィナンシェドーナツのチョコ、及びシュガー。そして話題の和ドーナツであるわらびもちサンドあずきホイップ、わらびもちサンドあずき抹茶、オールドファッション抹茶、オールドファッション抹茶チョコ、抹茶黒蜜スティック。そして手にはポン・デ・抹茶クリームが。

 総額、二千八百四円。十個のドーナツを二十円引きで買えるクーポン券があったので、二百円安く買えた。

 

「なんじゃこれ! 超美味くない!? いやね、そりゃあそうじゃよ、ミスタードーナツのドーナツが美味くない訳がないのは十分分かっておったよ? しかしやはり心の何処かで、『まあ抹茶は抹茶だしなあ』という気持ちがあったのじゃ! しかしなんじゃこれは! そのような儂の疑念を一瞬で消し去りおったわ! 儂が間違っておった、ごめんなさい! 儂もまだまだ甘かった……そう、甘い! 抹茶と言えば苦いという印象が非常に強いが、このドーナツはそうではない! 確かに抹茶特有の苦味も混じっておるが、しかしほのかに混じる甘みがそれを見事に中和しておる――否! 中和ではない、互いが互いを引き上げておるのじゃ! こういうのを芳醇というのか!? お互いに殺しあうのではなく、引き立てあっておる! 一歩間違えば均衡が崩れてしまうにも関わらず、何という絶妙な味作り!! しかも!! ここにポン・デ・リング自体の持つ独特のもっちりとした食感が加わってこれは……ぱない!! ぱないの! お前様!!」

 

「そうか。美味しいか。よかったな」

「うむ! 開発者の頭を撫でてやりたい!」

「でもやっぱ上から目線なんだな」

 

 長い食レポを聞きつつ、僕はコットンスノーキャンディーを食べた。うん。美味しいな。多分部類としてはかき氷に分類されるのだろうけれど、そういう氷を強調したようなシャリっとしたものではなく、スノーなんて名前の通りのフワッとした感触。その理由は多分、氷が極限まで薄く切られているからだろう。手間をかけて作られているのを感じるぜ。

 

「うーむ……お前様、なんか妙な感覚を覚えんか? 何かこう、時空が歪んでいるというか、時期が狂っておるというか」

「忍、そういうことは口に出しちゃいけない約束だぜ」

「なんだか、一ヶ月ほど後に発売される筈の商品を食べているような気がする」

「それ以上言うんじゃない。メタ発言は大概にしておけよ忍」

 

 色々と危険すぎる。

 いやまあ、時空の歪みはもう今更過ぎる話ではあるんだが――プリキュアなんてまさにその最たるものだし。今じゃあプリキュア、魔法つかいだもんな。

 なんてメタな話題は置いておくとして。

 

「……忍」

「なんじゃい」

 

 僕はスプーンをトレイに置いた。

 

「さっきの連中――あれ、なんだと思う」

「ただの宗教団体じゃろ。それ以上でもそれ以下でもない――ましてや、それ以外でもなかろう」

 

 忍は即答した。まるでこの話題を避けたいかのように。

 

「それは分かってるよ。そうじゃなくてさ」

「お前様は儂に何を求めておる? 儂は信仰なんぞ知ったことではないし、宗教なんてこれっぽっちも興味はない。ましてや新興宗教(・・・・)の事なんぞ、知るものか」

「……気付いてたのか」

「お前様よ、儂の目をなんだと思っとるんじゃ? あれだけ堂々と、何も変わっとらん服装で、しかもそれが大量におるときた。嫌でも思い出すわい。否が応でも思い出してしまう」

 

 そう言うと忍は、ドーナツを次々に貪った。がぶがふと。むしゃむしゃと。もぐもぐと。

 見るからに気分を害したらしい――当たり前だ。寧ろあれ(・・)を見て平静としている方がおかしいのだ。

 

 新興宗教――忍はそう言った。

 僕と忍の認識が正しければ、あれは名もなき宗教団体。果たしていつ頃成立した団体なのかは知らないけれど、忍によると"最近"らしい。尤も、それは忍がまだ真っ当な吸血鬼だった頃に聞いた話。今ではどうか知らないが、少なくともあの頃の忍の時間観は、ぶっちゃけ当てにならないと言ってもいいので、もしかすると五十年ほど前だったりするのかもしれない――いや、いつ出来たかは、どうでもいいんだ。

 

 問題は。

 

「問題は――なんであの集団が、ここに居るのかってことだ」

 

 あの教団の教義、それは、"怪異の否定"。

 この世には怪異なんて存在しない――そう言い張る団体である。その中でもあの団体が標的としているのは、他でもない、吸血鬼。

 信仰による吸血鬼退治の専門家集団。それが連中の裏の顔である。

 

「……意趣返し、かの。身も蓋もない言い方をしてしまえば、復讐か」

「復讐――」

「あやつらのトップはここで死んだからのう。……ま、他人事でもないが」

「他人事どころか、寧ろ僕たちは当事者だろ……つーか、下手人か」

 

 あの団体『新興宗教』の大司教にして、裏特務部隊闇第四グループに属する黒部隊の影隊長(やはりいつ思い出してもガチガチの直訳である)は、僕たちの住むこの町で死んだ。

 殺されたのだ――伝説の吸血鬼に、喰われて死んだ。

 

「つっても……それで今更、僕たちを退治する、なんて言われてもな。確か僕たち、無害認定は解かれてない筈だぞ」

「無害認定については知らん。じゃが、それが海を越えた向こう側の専門家連中に対しても有効なのかどうかは、はっきり言って怪しいところじゃぞ、お前様」

 

 忍はゴールデンチョコレートを頬張りながら言った。口の端にチョコレートが付いている。舐めたい。

 

「あのガエンがどれだけの権限を持っておるのかは知らぬが、しかし世界全体の専門ども全てを束ねておる訳ではあるまい――精々が日本という一国内が統治範囲という程度じゃろうしな」

「まあ……そりゃそうだ」

 

 仮にこの世界の全専門家を束ねる存在なのだとすれば、そもそも僕たちなんかの前には現れない筈である。いや、確かに今目の前で口の端に付いたチョコレートをぺろぺろ舐めている幼女は、昔は世界に名を轟かせた伝説の吸血鬼の成れの果てだけれど、だからと言ってここまで良くしてくれることなんてあるだろうか?

 まあ、立ち振る舞いはフランクな様でいて、それでもやっぱり雰囲気は大物のそれだけど――あの人はそういう、世界クラスって訳じゃない気がする。

 それでも、エピソードを呼び寄せたりしてたけど……まああれは、あくまでも依頼って形だから。

 

「つってもまあ、そもそも日本国内においても無害認定って、微妙な所だしな――正弦みたいに、無視してくる奴も居ないとも言い切れない」

「海外なら尚更じゃな。となればもう決まりじゃろ。あやつらは儂らを退治しに来た――それ以外に考えられるか?」

「……確かに、それが妥当だよな」

 

 僕はコットンスノーキャンディーをスプーンですくった。食べた。

 

 僕たちを退治しに来た――か。

 確かに。確かに、それが妥当だし、一番ありえそうな線だ。あいつらとこの町の関わりなんて、ほぼそれ位しかないだろう。或いは態々こんなど田舎に勧誘活動をしに来た訳でもあるまいし。

 

 でも。

 何かが引っかかる――そもそも、何故今になって狙いに来た? 僕たちを退治するなら、春休みが終わった直後の段階で大挙して押し寄せてきてもおかしくはないのに。

 

 どうして今?

 

 一周忌――なんて概念は、むこうにあるのだろうか。仮にそんなかんじの理由で復讐するというのならば、随分と暴力的な宗教もあったものだが。

 いや、暴力的ではなくとも、連中は非人道的ではあるのか。

 何せトップが平然と人質をとるという卑劣な真似をやってくる団体だ、他の連中だってまともな奴らじゃあないだろう。

 それに復讐と言われても、こっちとしてはいい迷惑だ。確かにあいつらは人類の味方で正義の味方なのかもしれないけれど、それでも僕は"あいつ"を心底から肯定することは出来ない。

 

 人間としても。

 吸血鬼としても。

 

 やはり許せないのである――ほら、やっぱり僕にだって許せない相手ってのが居るじゃあないか。いや、今そんなことを考えても仕方ないのだけれども。

 

 だからまあそんな訳で、本当に復讐だとすれば、当然撃退する覚悟はあるが――本当に(・・・)復讐なのであれば。

 引っかかる――何かを忘れているような感覚があるのだ。ちょっと前までは嫌という程味わった、まるで歯に小骨が挟まっているような気持ちの悪い感覚が。

 

「……でも、このまま関わらずに済むなら、それに越したことはないけどな。もしかしたら僕たちの知らない間に、臥煙さんとか斧乃木ちゃん辺りが解決してくれるかもしれないし」

「オノノキ嬢は兎も角、ガエンに任せるのは日和見的な観測が過ぎると思うが……ま、そうじゃな。目には目を、歯には歯を、吸血鬼には吸血鬼を――そして、専門家には専門家を、じゃ。連中のことはあやつらに任せておくのがよかろう。無理に口を挟む必要も、首を突っ込む意味もないわ」

「だな」

 

 僕はコットンスノーキャンディーの残った果汁と氷をスプーンでかきこんだ。忍もなんだかんだと言いながら、喋りながらも食べ進め、最後の一口を食べ終えた。

 

「うむ! 満足じゃ! 儂は満足じゃぞ、お前様よ!」

「そうかい。じゃ、最後にドーナツを幾つか買って、帰るか」

「む!?」

 

 忍はテーブルから身を乗り出し、心配そうな顔で僕をジロジロと眺めてきた。金色の両目が僕の目を凝視する。僕はたじろぎながらも見つめ返す。

 

「な、なんだよ?」

「お前様……お前様は本当にお前様か?」

「当たり前だろ。僕はお前のご主人様、阿良々木暦だぜ」

「そ、そうか? むう……」

「?」

 

 忍は腕を組み、元通りに座り直した。

 

「なんだよ。僕、何かおかしいことしたか?」

「した。物凄くおかしなことをした。うぬらしからぬことをしたぞ」

「僕らしからぬこと? なんじゃそりゃ」

「だって、お前様……儂が何も言わずとも、自発的にドーナツを買おうといいだすなど、お前様らしくないではないか」

「あー……」

 

 それか。

 どうやら忍は、僕が『ドーナツを買って帰ろう』と言ったことに困惑したらしい。まあ確かに、いつもなら忍にねだられるまでは買わないからな。

 

「どういう風の吹き回しじゃ? 儂、この後うぬに何かされるのか?」

「人聞きの悪いことを言うな。……あと、別にお前のために買うドーナツって訳じゃないぞ」

「なんじゃと!!?」

 

 忍は再び身を乗り出した。今度は怒りに満ちた顔で、まるで金色の炎が揺らめいているかのような目で、僕を睨み付けた。

 

「おいおいお前様よ? 聞き間違いかのう? 今、なんと? 儂のためのドーナツではない、とか、なんとか聞こえたような気がするが? おい?」

「そう言ったんだよ、その通りだっての――離れろ忍。顔が近い!」

「ふん!!」

 

 忍は腕を組み、踏ん反り返るようにして座り直した。

 

「失望した。呆れた。呆れ果てたぞお前様! 少しは気の利いた奴になったなと労ってやろうと思ったら、これじゃ!! はっ! いっそのことうぬの腹に穴を開けて人間ドーナツにしてやろうか!?」

「やめろ! まあ、落ち着けよ忍。別に今回は持ち返らなくても、十分食べただろ? それで我慢しろよ。元伝説の吸血鬼の鷹揚さの発揮どころだぜ」

「儂に鷹揚さなど存在せぬ!!」

「言い切りやがったこいつ……!」

 

 しかも胸を張って自慢げに。いやいや、自慢げにすんなや。誇るな誇るな。

 

「ちゅーか、なら誰の分じゃ? まさか、お前様自身の分という訳ではあるまい?」

「まあな」

「じゃあ誰の分じゃ? 儂を差し置いて、誰に?」

「八九寺の分だよ」

「ハチクジぃ?」

 

 忍は怪訝な顔をした。

 

「解せぬ」

「いや解せよ……ほら、八九寺の家――北白蛇神社。あそこが今どうなってるのかまだ見てないじゃん。だから、この後見に行くついでで八九寺にドーナツのお土産でも、みたいな」

「解せぬ……」

「はあ……じゃあお前も一緒に食べればいいじゃねえか。八九寺が許可してくれるかどうかは知らねえけどさ――斧乃木ちゃんの情報が正しければ、多分あの神社倒壊してると思うんだよ。流石に八九寺の奴も、漸く見つけた家が速攻で潰れたとなっちゃあ落ち込んじまってるだろうし」

「ぬうぅ……」

 

 忍は苦虫を噛み潰したような顔をした。流石にここまで聞いても尚文句を言うような気は、ないのだろう。

 成長したなあ。

 

「なんなら、お前が選ぶか? 別にいいぜ。どうせ僕、センスのいい選択なんて出来ないし」

「儂が食う訳でもないのに、選ばねばならぬのか……お前様、鬼畜じゃのう」

「いや、だからお前十分食べただろ……ほら忍。お前のセンスを見せてくれよ。鷹揚さはなくても、ミスドを知り尽くしてるお前ならセンスあるチョイスぐらい楽勝だろ?」

「…………」

 

 忍は立ち上がった。僕もそれをみて立ち上がった。

 

「……まあ? 儂はミスドの妖精じゃし? ミスドの看板娘じゃし? そりゃあ確かに素晴らしい完璧なチョイスをするなど造作もないことじゃがな? ぶっちゃけ目を閉じても匂いだけで選べるし?」

 

 よし、ちょろいぜ。ミスドが関わるとマジでちょろいところ、全然成長してないな! いや、匂いだけでドーナツを判別出来る領域に達してるってのは、ある意味成長か? 何の役に立つのか分からない成長だが。

 

「ふ、ふん! 仕方あるまい! うぬがどうしてもというからには仕方ない! この儂のクールでハードなチョイスを、しかとその目に焼き付けるが良いわ!! かかかっ!!」

「おう! その意気だ! 頼むぞ忍!」

「かかっ! かかかっ!」

 

 さっきまでの不機嫌が嘘のようにご機嫌になった忍は、スキップ混じりで陳列棚へ向かった。ショーケースをまじまじと眺め、目を輝かせながら選ぶ忍は、誰がどう見ても、外見相応の幼女にしか見えないのであった。

 




■ 以下、豫告 ■

「神原駿河だ!」

「忍野忍じゃ」

「二人合わせて、ロリコンビ!!」

「おい、訳のわからんコンビ名を付けるな。確かに儂は外見上幼女ではあるが、しかしうぬはバリバリの女子高生じゃろうが」

「ふっ。違うぞ、忍ちゃん……確かにこのコンビ名は、一見『ロリのコンビ』のように思えるかもしれない……だが! よく見て欲しい! ロリコンビ――このコンビ名に燦然と輝く、"ロリコン"という文字列を!!」

「ますます訳のわからんコンビ名すぎるわ! 無理矢理のこじつけにも程があるわ! ちゅーかロリコンを誇らしげに宣言するな! うぬは我があるじ様か!」

「いやいや忍ちゃん。私如きではまだまだ阿良々木先輩には及ばないさ。あの人は実際に行為に打って出るが、私なんかは精々『可愛いなー』なんて思いながら電柱の陰からそっと覗いてる程度なのだ」

「我があるじ様の性犯罪者っぷりには確かに誰も敵わぬ、っちゅーか敵ってはならぬが、しかしうぬの行動も相当問題のある行為のように思えるのじゃが? それを現代社会では、ストーカーと呼ぶのではないのか?」


「ストーカーと言えば、似たような言葉でスニーカーというものがある。だが、なまじ似ている分スニーカーに対する風評被害は計り知れないのではないだろうか?」

「え? ここから本題に入るのか!?」

「寧ろ今までが本題と思っていたのか!?」

「長すぎるわ! もう尺がないっちゅーの!!」


「「次回、裁物語 しのぶハート 其ノ貮!」」


「私はストーカー的な行為をする時、いつもスニーカーを履いているぞ!」

「うぬの存在がまず一番の風評被害じゃ!」

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