〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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■ 以下、注意事項 ■

・貮萬字以上。
・〈物語〉シリーズ重大ナネタバレヲ含ミマス。
・他、何カアレバ書キマス。

■ 黒齣 ■



第壹話 おうぎヘルメット 其ノ貮

[007]

 

「…………」

「…………」

「はっはー」

 

 まるで暗闇の中にいるような気分であった。

 僕と忍は車の陰で体育座りに勤しんでいた――嘗ての学習塾跡時代を思い出すが、昔と違うのは僕も体育座りをしているということと、すぐ近くで茶化すように嗤う忍野扇が居るということだ。

 しかしその姿を見ていると、やはり扇ちゃんは忍野メメに似ていると思う。彼女の『姪』という設定を差し引いても――。

 

「元気いいねえ、何か良い事でもあったのかい?」

 

 そう言って嗤うあいつに――そうか、忍、お前はこんな気持ちを味わっていたんだな。

 これは僕の想像に過ぎないけれど、こんな風に体育座りして鬱ぎ込んでいた忍に、黙っていた忍にどうでもいい怪異知識(まあそれによって助かったこともある訳だから、言い切ることが出来ないのが残念だけれど)を無理矢理聞かせていたところから察するに、きっとあいつもこんな風に、嗤っていたのだろう。

 ……まあ、この子の嗤いの対象は忍ではなく、十中八九僕に対してなんだろうが。

 愚かな僕になんだろうが。

 

「……おい」

 

 忍が力なく扇ちゃんを睨んだ。

 

 刀が弾かれた。

 絶対的な斬れ味を誇る最強の妖刀が――歯が立たなかった。

 刃が立たなかった。

 その事実は、忍のプライドを著しく傷つけた。この刀を作ったのは忍ではないが、しかし今となっては、それが彼女の所有物であることに相違ない。

 自分の所有物が、通用しない。

 自分にしか出来ないとまで言われたことさえも出来なかった。

 元々プライドが強い忍野忍、その傷は余りにも深く突き刺さった。宛ら心渡が突き刺さったかのように。

 忍の心は折れた。

 

 ので、こうして昔のキャラに巻き戻ってしまった訳だが――しかし、また何日も鬱ぎ込むことはなく、こうして比較的すぐに復活しそうなところを見ると、なんだかんだで彼女も成長したのだなあ、と思う。

 600年近く生きた伝説の存在と言えど。

 まだまだ学ぶことはある――ということなのだろう。

 まあ、600年なんてスケールがでか過ぎて、とても想像出来ないけれど。

 

 閑話休題。

 

「貴様……黒娘よ」

「おや、渾名まで付けてくれるのですか? 嬉しいですねえ。伝説の吸血鬼様に渾名を付けてもらえるなんて、私はなんと幸福なのでしょうね。わーい、わーい、わーい」

「…………」

 

 頑張れ! 頑張れ忍!

 負けるんじゃない! お前それある意味僕に負けてるようなもんなんだぞ!

 

「……そうおちゃらけた事を言っているほどの余裕があるというのなら、さっさと他の策を考えたらどうじゃ? え? 貴様は笑うしか能がない笑い袋か?」

「おやおや、怪異の王ともあろう者が、あろうことか私のような若輩者にお頼りなさるのですか? いやいや、私如きでは貴女様のお眼鏡に叶うような案は出せませんよお。いくら私が貴女以上の知識を所有しているとはいえ、やはり私などまだまだ」

「減らず口を叩かずさっさと考えんか! そ、そうじゃ! 貴様の言う王の命令じゃ! 王様の命令は絶対なんじゃぞ! ほら、早く考えろ! 考えるしか能のない若造め!」

「…………」

 

 扇ちゃんはにこにこと忍を見つめた。

 忍は目を伏せた。

 

「お前様ぁ……あいつが虐める……」

「うん……扇ちゃんには多分、何言っても勝てないと思うよお前」

 

 そもそも忍は弁舌がたつような奴じゃないのだ。その威風堂々とした態度から放たれるのがハッタリであれば恐らく右に出る奴はいないだろが、論説となると……。

 

「あーもういいもん! そうじゃよー儂なんてなんにも出来ない、ただのミスタードーナツの広告塔ですよーだ!」

「子供か!!」

 

 尊厳を失った今、威厳まで失ったら、お前マジでどうしようもねえんだぞこの状況!

 

「ミスドブレンドコーヒー、10/27新発売じゃ」

「本当に宣伝しちゃった!」

「まあ儂は買わんがの」

「速攻で宣伝をぶち壊すな!」

 

 つーか買わんがのって言うけどな、買うのは僕なんだからな。ふざけんな。

 

「儂が食べたいのはドーナツなんじゃぞ? コーヒーなど飲まんわ」

 

 まあ、確かに忍がコーヒーを飲んでいる姿が思い浮かばない。

 仮に飲んでいたとしても、砂糖とミルクを大量に投入しているであろう姿しか思い浮かばない。

 しかも多分それでめっちゃ優雅に飲んでるんだぜ。

 

「コーヒーといえばお前様よ」

「まておい、この話を広げるのか」

 

 話が一向に進まない。

 扇ちゃんが何か喋りたそうにしているが、忍はお構いなく喋り続ける――あれ、これって忍が扇ちゃんに現在進行形で勝利してるってことになるんじゃね?

 ……まあ、それだと話が進まないから、忍に勝たれるのは困るのだけれど。

 

「今期アニメではあの喫茶店アニメと終物語、どちらが人気なんじゃろうな」

「対立煽りはやめろ馬鹿!!」

 

 叩かれる!

 

「儂としては終物語の方が人気だと思いたいんじゃがのう。かかっ、二期と比べて作画は良くなったのじゃろうが、いまいち視聴されておらんようではないか。赤塚不二夫先生生誕80周年作品に追い抜かれているようではないか。何がこころぴょんぴょんじゃ」

「おいそこまでにしとけ忍! 流石にやっていいメタネタとやってはいけないメタネタの区別はちゃんとつけろ!」

 

 まあ。

 真に区別を付けるべきなのは作者の方なのだが。

 

「おいおいお前様、作者とか言うのはいかんじゃろ。それはいかんじゃろ。原作の方でも敢えてやっておらんメタ中のメタを言っちまうのは一番タブーじゃろ。それを言ってしまえば、儂らの行動全てが作者を盾にすることで許されてしまうではないか! いかんぞお前様、これはいかん」

「え、ええ?」

「あのなお前様よ……儂等の行動が作者によって決定されているなどと言う設定を発露してみろ、本当に冷めるぞ。全部が茶番になる」

「は、はい」

 

 やべえ、忍の顔がマジだ。あれだけふざけたのに忍の顔がマジだ。

 流石に罪の意識を感じる――これって謝ったほうがいいのかな?

 

「あーあー、お前様の所為でもう色々と冷めた。いかんぞお前様そのネタはいかんわ」

「す、すいませんでした」

 

 頭を下げる僕――ああ、成る程。確かにこれは冷めるな。

 うん……もう二度とこのネタは使わない。八九寺に誓う。

 

「興醒めした。話を進めるぞ」

 

 おお、話が進みそうだ――もしかしてこのネタって、強制的に話を進めてしまうのか?

 うわあ……もう絶対使わない。

 

「はっはー。雑談はおしまいですか?」

「そうじゃ。ほら、この時間で何か思いついたんじゃろう。早く言え。解決策を早く言え」

「ええー。でもなあ、私をほったらかしにしてぺちゃくちゃと喋り続けて、特段聞きたいとも思わないような雑談を聞かせて、謝りもなしですか? はっはー、まるで叔父さんみたいですね」

「…………」

 

 ああ……忍がまた黙った。話が止まった。停滞した。

 

「『扇さま、ごめんなさい。儂が悪かったです。これからは偉そうな態度をとりません』はい、どうぞ」

「言えるかそんなもん!!」

 

 忍は転がっていた心渡を拾うと、扇ちゃんの首筋に突き付けた。

 

 っておい!

 

「四の五の言わずにさっさといえ忍野扇――元委員長にやったような手が儂に通じると思うなよ。儂は誰にも阿らないし、従わん――我があるじ様以外にはな」

「……私もある意味では、貴女のあるじ様とも言えるんですけどね」

「貴様は『忍野扇』じゃろう? 儂のあるじ様は『阿良々木暦』じゃ」

「…………」

「扇様はともかくとして、偉そうな態度をとるなというのは心底我慢ならん!!」

 

 そこかよ。

 つーか扇様でもいいのか……いいのかお前。

 忍は刃を首筋から離さない。あと少し、ほんの少し揺らすだけで、扇ちゃんの首に切り込みを入れることの出来る距離。

 

「……はっはー」

 

 扇ちゃんは両手を上に挙げた――降参した。

 忍野忍が忍野扇に、勝利した。

 

「いいでしょう、負けを認めましょう――分かりました。もう一つの解決策をお教えします。ですから」

 

 心渡を仕舞ってください。

 扇ちゃんは笑顔を崩さずに言った。

 

「…………」

 

 忍は刀を慎重に首筋から離すと、無言でその刀を喰った。身体の中に収納した。

 

「ありがとうございます」

 

 扇ちゃんは両手を降ろす。

 

「では、そろそろ時間もないのでお教えしましょう。この状況を解決する方法――もう一つの方法。それは――」

 

 僕は一言たりとも聞き逃すまいと耳を澄ました。扇ちゃんのことだ、聞き逃せば再びそれを聞き直すまで、さらに時間がかかるに違いないのだから。

 時間がない。

 それはどうしようもない問題だった――時間だけは、どうすることもできない。

 今は早朝。まだ太陽は出てこそいないものの、僕は家族に隠れて出て来てしまっている。バレれば、何があるか分からない。

 何をされるか分からない。

 だから、こうして扇ちゃんがすぐに話してくれるのはありがたいことだった――忍にも感謝したい。忍の判断力がなければ、間違いなく、解決の糸口が掴めるまでまだまだ時間を要しただろう。

 

 扇ちゃんは続けた。

 それは――。

 

 

「――それにはまず、心渡が必要です」

 

 

「…………」

「…………」

 

 忍はキレた。

 

 

[008]

 

「貴様ふざけるなよ儂に対する敬意はどこいった貴様ふざけるなよ何のために儂が貴様の言うことに大人しく従い心渡を仕舞ったと思っとるんじゃ貴様ふざけるなよ殴るぞ蹴るぞ泣き喚くぞおいこら貴様ふざけるなよこの慇懃無礼者が儂王様じゃぞ怪異の王じゃぞおい聞いておるのか貴様ふざけるなよ全くこれだから若造は困るんじゃ年上に対する敬意が足りんのじゃ畜生貴様ふざけるなよ儂を騙しやがって一億回打ち首にしてもたらんわ貴様ふざけるなよおいこっちを向け貴様聞けよ儂のありがたいお言葉を貴様ふざけるなよああもう本当マジで貴様ふざけるなよ!!!」

 

「はい、息継ぎなしで長台詞ありがとうございました」

「貴様ふざけるなよ!!!」

 

 ぜえぜえと肩で息をしている忍を嘲笑うかのように――というか嘲笑いながら――扇ちゃんは手を叩く。

 

「いえいえ、別に騙すつもりはありませんでしたし、嵌めるつもりもありませんでした。確かに仕舞ってくださいとは言いましたけれど、まさか本当に仕舞うとは思わなくて」

「やかましいわ!! どう聞いても嵌める気満々だったじゃろうが貴様!! この比較的シリアスな状況をギャグシーンにしおって、空気を読め貴様ふざけるなよ!!」

「いやいや全く失態でした。ごめんなさい忍さん。私は貴女の愚かさを考慮していませんでした」

「儂を愚か呼ばわりじゃと!?」

「そうですね。稀代の愚か者であるところの阿良々木先輩とツーマンセルなのですから、当然貴女も愚か者であると判断すべきでした。これは私のミスです。重ね重ね、お詫び申し上げます」

「貴様がお詫び申し上げるべきなのは読者に対してじゃろうが!!」

 

「さて、忍さんが愚かであることは証明し終えたので、本題に戻りましょう」

「話を聞けぇ!!」

 

 忍が全く歯牙にも掛けられていない。忍が勝利していたと思われていた状況を、たった一言でひっくり返すとは。流石は忍野扇である。

 

「お前様も何感心しとるのじゃ! 二人であいつ殺そう! 儂らなら出来るはずじゃ! 虐められてる儂を、お前様は助けてくれんのか!?」

「ごめんな、忍――僕はお前を、助けない」

「吸血鬼パンチ!!」

「うわっ」

「くうっ……!」

 

 我を忘れて殴りかかってきた忍。だがその拳の行く先はまたも兜で覆われた顔面であり、忍の攻撃は再び自爆に終わった。

 

「扇ちゃん、続けてくれ。心渡が、どうして必要なんだ?」

 

 僕は忍の頭を撫でながら、扇ちゃんに聞いた。

 

「簡単な話ですよ、阿良々木先輩。簡単で単純です――心渡はあらゆる怪異を斬り殺す業物の刀。ですがそれは、怪異の体が柔らかいことに所以するというのも否定できません」

「怪異の体が――柔らかい?」

 

 僕は忍を抱いた。うむ、柔らかい。

 

「柔らかいというより、実体を持たないと言った方が正確かもしれません。いくら硬い殻に覆われているタイプの怪異といえど、実際はそこにいない(・・・)――無いんですから」

 

 実際はそこにいない――無い。

 何処にでも居て、何処にも居ない――それが怪異。

 

「それが、今までの怪異の常識です。今までの怪異の在り方でした。初代怪異殺しが作り上げた、鍛え上げたその刀は、それを前提として作られているのです」

「……つまり、この怪異は実体を持った怪異だっていうのか。扇ちゃん」

「ええ。ほぼ間違いなく。でなければ、心渡が弾かれた理由がつきません。怪異に対するワイルドカードであるところのその刀が、無効化されたことに」

 

 新たな怪異――今までの常識を覆す怪異。

 

 実体を持つ、硬い怪異。

 

 だが、そんなものが何故現れた? なにも怪異という存在が現れたのは最近と言うわけではあるまい。いや、怪異は人間がいるから、人間に認識されるから成り立つのであって、ということは地球の歴史から見れば、ごくごく最近のことなのだろうけれど。

 

「怪異ってのは、全部実体を持たないんじゃないのか? どうしてこれだけ――例外なんて、あり得るのか?」

「例外、というか、イレギュラーといった感じですかね、それは」

 

 扇ちゃんは僕の頭に触れた――兜に触れた。

 

実体がある(・・・・・)――それがこの怪異の特徴の一つなのでしょうね。この怪異に与えられた、役割なのでしょう」

「役割……」

「悪意、と言っても差し支えないかもしれません」

 

 扇ちゃんは手を兜に押し付けた。

 ぐりぐり。

 

「私の持つ知識には、少なくともこんな怪異は存在しません。兜の形状をした怪異はいくつも存在しますが、その何も実体を持ち、心渡で斬り殺す、斬り伏せることの出来る代物です。或いは――」

 

 旧型です。

 

 扇ちゃんは言った。

 

 旧型。

 古い存在――時代遅れ。

 

「だから、この怪異は新しいタイプなのですよ、阿良々木先輩――時代遅れの古惚けた、埃を被った骨董品の刀では、刃も立たないような」

 

 扇ちゃんは兜から手を離さない。

 

「……扇ちゃん、さっきから何やってるの? その兜に何かあるのかい?」

「何かと言えば間違いなく何かしらあるでしょう――いえいえ、少しばかり情報を読み取っていただけですよ。そしてそれは今しがた達成いたしました」

 

 扇ちゃんは兜から手を離した。

 

「情報を読み取る……そんな事まで出来るのか、君は」

「幾ら新型の怪異といえど、その本質は同じです。ならば同じ怪異同士であれば、その怪異を読み取ることが出来るのは自然なことです」

「自然、なのか」

「不自然といえば不自然ですが――まあ、目には目を、歯には歯を、怪異には怪異を、ですよ」

 

 扇ちゃんはにこやかに言った――忍野扇。

 怪異特攻の刃が心渡ならば、彼女は怪異特攻の怪異。

 怪異でありながら、怪異の専門家。

 それもまた――ある種、新型と言えるのかもしれなかった。

 

「……でも扇ちゃん、こいつの情報を読み取ったところで、どうするんだ? まさか情報を読み取っただけで、こいつの退治方法が分かった訳でもないだろうに」

「ええ、分かりません。ですが、無理矢理消し飛ばす事は出来るようになりました」

「え?」

「忍さん。申し訳ありませんが、もう一度心渡を出して頂けませんか?」

 

 扇ちゃんは忍の方を向き、言った。

 

「……貴様の言うところの骨董品であるこの刀を使って、何になるというのじゃ。また儂を嵌める気か? その手には乗らんぞ」

「いえ、これはマジです。ですから最初に言ったじゃないですか。心渡が必要だと」

「…………」

 

 忍は黙り込み、扇ちゃんを睨んだ。全盛期の彼女であれば、その行動だけで、扇ちゃんを殺すことが出来るだろう。

 だが扇ちゃんは、笑みを浮かべ、その劣化を嘲笑うかのように、立っている。

 

「…………」

「お願いします、忍さん。それとも頭を下げましょうか?」

「…………」

 

 忍は沈黙を続ける。僕は慌てて言った。

 

「頼む忍。今回は扇ちゃんの言う通りにしてくれ。後で僕の財力が許す限りのドーナツを買ってやる。だから頼む」

 

 扇ちゃんに頭を下げさせる訳にはいかない――それは、忍野扇のキャラじゃない。

 怪異にとって、キャラクターから外れるというのは重大な罪――二度とあの子を、もう一人の僕を、あの圧倒的な『くらやみ』に、襲わせるものか。

 

「……約束じゃぞ」

「ああ、約束する」

「儂はゴールデンチョコレートを所望する」

「ああ、ゴールデンチョコレートでも何でも、お前が望むもの全て買ってやるさ」

 

 まあ、こいつが望むもの全て買ったら、僕が破産するのだが――それだけにとどまらず、ミスタードーナツからドーナツが全て消えて、ミスターだけになるのだが。

 

「……ふん、よかろう」

 

 忍はゆらりと立ち上がった。

 

「おい黒娘、忍野扇。次は無いと思えよ。幾ら貴様が無害認定を受けているとはいえ、怪異の専門家でもなんでもない儂にとってはそんな認定に意味はないし、貴様はただの携帯食でしかないのじゃからな――肝に銘じておけ」

「……喜んで」

「ふん」

 

 忍は扇ちゃんに釘を刺し、そして――再び妖刀・心渡を取り出した。

 

「……で? どうするのじゃ、黒娘。まさか再びこれを仕舞えというのではあるまいな?」

「まさか。そんな三度手間かかせません。少しその刀身に触れさせて頂いてもよろしいですか?」

「…………許す」

「ありがとうございます」

 

 扇ちゃんは心渡の刀身に触れた。美しい、芸術品のような――骨董品のような刀。

 

「扇ちゃん、何をするつもりなんだ?」

「この刀は古い――新型に対応出来ない旧型です。ならば、アップグレードしてやればいいんです」

「アップグレード?」

 

 心渡のアップグレード――そんな事が可能なのか?

 

「ええ、可能です――ですが、このアップグレードはこの硬さを持った怪異を斬ることが出来るようになるというアップグレード以外の何物でもありません。別に斬れ味が強化されるという訳でもありません――これ以上切れ味をよくすると、今度は旧型さえも斬れなくなりますから」

 

 心渡は、怪異以外を斬ることが出来ない刀。それは、切れ味があまりにも良すぎることに所以する。

 心渡で人を斬ると、余りにも切れ味が良すぎて、その断面は斬られたことに気付かない。即ち、斬られていないのと同義となってしまう。故に、心渡は対人戦において、鈍ら同然の刀なのだ。

 対し、怪異を斬る場合においては、その超常的な切れ味は、同じく超常的な存在である怪異を斬るのに最適なものである。怪異には怪異を。最早怪異と言っても差し支えないその刀は、故に、対怪異戦において、鋭利同然の刀となる。

 それさえ出来なくなる――つまり、怪異でさえも、その斬撃に気付かず、認識しなくなるということ。

 より鋭利にすることで――本物の鈍らとなる。

 

「オーケーです。終わりました」

 

 扇ちゃんは心渡から手を離した。

 

「……特に何も変わっとらんように見えるが」

 

 忍は心渡を見回した。

 確かに、その刀身には何の変化もないように見える。刃が一回り大きくなったということもなければ、紋様が刻まれる訳でもない、ましてや妙なオーラを纏ったりしている訳でもなかったのであった。

 

「ええ、外見は以前のものと変わりありません。アップグレードとは言いましたが、精々これはこの怪異を斬れるようにしただけの更新――例えるなら、ver1.0から、ver1.1に変わったというだけの話です。怪異を斬れないという不具合を、直した形ですかね」

「ふむ」

 

 忍は刀を何度か振った。試すように。

 

「つまり――これでこの兜を斬ることが出来る、と」

「そういうことです」

 

 扇ちゃんは言う。何でもないことのように。

 実際、何でもないことと言えば何でもないことだ――怪異を斬る刀である心渡が怪異を斬ることが出来るのは、当然のことなのだから。

 

「だけど扇ちゃん、なんでアップグレードが出来たんだ? 物質のアップグレードが出来るような能力を君は持っていたのかい?」

「持ってるわけないじゃないですか。愚かですねえ阿良々木先輩」

「…………」

「だから――この怪異の情報ですよ」

 

 扇ちゃんが言った。

 

「怪異の情報を読み取る事が出来るなら、同じく与えることが出来る――旧型の情報を新型に流すことは出来ませんが、逆は出来る」

 

 ……そういうものなのか。

 普通は逆のようなものだが――旧型の情報がインプットされている新型のゲームなんかには、旧型の情報を送ることが出来て、しかし逆に、新型の情報など一切持たない旧型のゲームには、新型の情報を送ることが出来ないものだが――それが普通なのだが。

 ……だからこそなのかもしれない。

 怪異は普通と真逆をいく存在――それは旧型であろうと新型であろうと同じこと。

 真逆――普通の逆。

 だから、アップグレードか。

 

「さあ、やっちゃってください。忍さん」

「貴様に言われずとも、すぐにでもやってやるわ」

 

 忍は刀を構える。

 

「動くなよお前様――動けば、お前様も死ぬぞ」

「ああ、動かないさ」

 

 覚悟は決めた。

 もう二度と、あの世になんざ行くものか――それこそ次がない。ここに夢渡はないのだから。

 怪異を殺すなら、その一部分だけを斬り取るだけで事足りる。ブラック羽川や苛虎のような強大な怪異ならともかく、こいつはただの兜なのだから。

 ちょっと硬いだけの――ただの衣なのだから。

 

「――はあっ!!」

「ひいっ!!」

 

 居合の掛け声と共に、心渡が振り抜かれた。思わず恐怖の声が漏れる。目を瞑った。

 次こそは――流石にもう失敗しないだろうと思う反面、心のどこかに『また失敗しそうだなあ』と思う気持ちが無かったとは言えなかった。

 

 そう思った。

 

 だけど。

 

「……ふん」

 

 その気持ちは――鎧が斬られ、消滅したお陰で頭が少し軽くなったことで、裏切られたのであった。

 忍は得意げな顔で笑った。

 

 

[009]

「かかかっ! どうじゃお前様儂の腕前は! 見事なものじゃろう!? かかっ! もしかしたら最初に斬りつけた時兜が斬れなかったのは、儂が本気を出していなかったからかもしれんな!? かかかっ! よく考えたら確かにあの時本気で斬ろうとしていた記憶がない! かかっ!」

「それただてめえの記憶力が悪いだけじゃねえのか」

 

 車の中で偉そうに踏ん反り返り僕の露出した頭を蹴りながら(実際は足の長さが足りていないので背中のシートを蹴っているだけなのだが、気持ち的には頭を蹴っているつもりなのだろう)忍は得意げに言った。

 どうも忍は助手席に乗りたかったらしい。だが、扇ちゃんに言ったのと同じ理由で、見事却下となった。

 

「いやあ、流石ですね忍さん。流石は元伝説の吸血鬼にして元怪異の王。老いても、否、若返ってもその実力は健在といったところですかねえ。いやあ、勉強になりました」

「じゃろう! そうじゃろう! かかっ! 漸く儂の凄さが分かったと見える! そうじゃ、儂は凄いのじゃ! は!「はは!「ははは!」

 

 忍お馴染みの哄笑まで始めやがった。

 つーか扇ちゃんも煽るなよ。なんでこういう面倒臭い時に限ってそいつに味方するんだよ。こういう時こそ虐めに苛め抜いて黙らせろや。

 とことんまで僕の嫌がらせを得意とする子である。

 

「――ところで阿良々木先輩。家に帰らないのですか?」

「え?」

 

 扇ちゃんが聞いた。

 

「…………」

 

 ――そう、僕は家に向かって車を走らせている訳ではない。寧ろ逆方向に走らせている。

 

 兜を消し去った後、扇ちゃんは言った。

 

 これは、作られた怪異だと。

 

「作られた――怪異?」

「そう。悪意を以て、作られた――創られた怪異です」

 

 作られた怪異。

 それは、普通の怪異なんじゃないかと思った。怪異はもともと自然発生する訳ではなく、必ず何者かの意図が絡んでいる。言うなれば、全ての怪異は、作られた怪異なのだ。

 鬼も。

 猫も。

 蟹も。

 蝸牛も。

 猿も。

 蛇も。

 蜂も。

 子規も。

 人形も。

 虎も。

 そして――もう一人の僕も。

 全てが作られたもので――異なるもの。

 怪しくて、異なるもの。

 怪異。

 

「ええ、確かにその通りです――貴方の仰る通りです」

 

 扇ちゃんは肯定した。

 

「ですが言ったでしょう。これは今までの怪異とは違う、と」

「ああ、言ったけど」

「つまり――その作られ方が違うと言っているのですよ、私は」

「作られ方?」

 

 作られ方――製造方法。

 

「どういうことだい、扇ちゃん」

「怪異というのは人工的なもの――ですが、限りなく自然的なものとも言えるのです」

「自然的……」

「自然的――つまり、制御の利かないもの」

 

 制御の利かないもの。

 確かにそう言われてみればそうだ。今まで僕は幾つもの怪異現象に遭遇し、その原因となった者に会ってきたけれど、それらは全て、制御されているとは言い難いものであった。

 

「制御、つまり、自分の思うような性質、役割を怪異に与える」

 

 扇ちゃんは続ける。

 

「そんなことが出来た例は今まで一つたりともありません――あの羽川先輩でさえ、己が作り出した、切り離した怪異に手を焼いていたでしょう?」

「…………」

「だからこそ、柔らかいんです――実体がない。染まりやすい。変質しやすい」

 

 己の思うように、動かない。

 

 扇ちゃんは言う。

 

「しかしこの怪異は違います。この悪意を以て作られた怪異は硬い――実体があり、染まらず、変質しない」

 

 製作者の思うがままに動く。

 

 扇ちゃんは言う。

 

「自然的でない怪異――どこまでも人工的で、自然を圧倒する最新型の怪異です」

 

 人工的な怪異――硬い怪異。

 製造者の思うがままに動く、最新型。

 だけどそれは――。

 

「なんで、そんなことが出来るんだ」

 

 

 今までに一例もそんな例が確認されていないということは、そもそもそんなことが出来ないということだ。

 まさか今までにそのような試みをしようとした人がいない訳あるまい――怪異作りを生業とする一族だっているのだから、いない訳がない。そして、そんな彼ら、彼女らでさえも達成できなかったことなのだ。

 それが何故今になって――しかも、こんな形で?

 

「寧ろ今だからこそ、でしょう。技術の進歩といいますか」

「進歩……何のために?」

「それは分かりません」

「駄目じゃねえか」

「ですが、何らかの理由があるのは間違いないでしょう――あの兜が作られた理由があるのは」

 

 怪異には、それに相応しい理由がある。

 あの兜に、硬いという特性が与えられた理由も――ある。

 

「ですが、今ここで重要視すべきは」

 

 扇ちゃんは僕を見た。全てを呑み込むような、真っ暗い暗闇のような瞳――。

 

「『どうして』ではなく――『誰が』なんですよ」

「……誰が」

 

 誰がこんなことをした。悪戯にしてはあまりにも過ぎるようなことを――誰がしたんだ。

 

「……悪意を以て怪異を正確に作る、か」

 

 言葉にしてみると恐ろしすぎる――何なのだそれは。チートすぎる。

 貝木みたいに偽物の怪異を作るのではなく、本物の怪異を作る――それこそ、もうそいつそのものが怪異のようなものではないか。

 しかもそいつは悪意を持っている――悪意。害意。

 そんなものが野放しにされているなんて――。

 

「阿良々木先輩」

「……なんだい扇ちゃん」

「まさか、また首を突っ込むつもりではありませんよね?」

「……そんなことする訳ないだろ。なんでそんなことしなきゃ駄目なんだよ。悪意のある怪異制作者とか、そんなのと僕が相対して、僕が勝てるとでも思ってるのか? 末端みたいなあの兜にさえ手を焼いたんだぜ」

 

 とても勝てる訳がない。

 勝てる訳もない――見込みもない。

 無いんだけれど――。

 

「まさか阿良々木先輩がここまで愚かだとは思いませんでしたよ」

 

 扇ちゃんは僕の露出した頭を蹴る――足の長さは十分足りているので、本当に蹴っている。

 

「まだ痛い目を見足りないのですか? 阿良々木先輩、少しは成長しましょうよ。これは阿良々木先輩が、私達が踏み込むべき問題ではありません。専門家達に任せるべき案件です」

「分かってるよ……」

 

 分かっている――分かってはいるけれど、矢張り放ってはおけない。

 

「あんなもんをそこら中にばら撒かれたら、いい迷惑だ。だからさっさと犯人見つけて、この街から出て行ってもらおう」

「出来ると思っているのですか? 貴方ごときが」

「…………」

 

 思わない。

 というか、思える訳がない――悪意を以て怪異を作るような奴と会話が成立するなんて、とても思えない。

 けれど――何もしないよりはマシだ。

 

「扇ちゃん、僕はそいつの被害を被ったんだ。立場としては、十分文句を言える立場だと思うぜ」

「立場云々の問題じゃあないんですけれどねえ」

「いざとなったら伝家の宝刀、土下座でなんとかするさ」

「取り敢えず困ったら土下座とかいう考えをやめてくれませんか。貴方の頭重すぎなんですよ。ある意味軽いとも言えますが」

「…………」

 

 まあね。

 否定しない。

 

「……それ以前に、どうやって探すおつもりですか? あの兜から居場所の手掛かりが掴めたのなら別ですが」

「……まあ、当てはないよ」

「当てもなく車を走らせているのですか? 愚かですねえ」

「…………」

 

 当てもなく車を走らせるのは、僕がいつもやっていることだった。

 だからつまり、僕は別に何ら変わったことをしていないのだ。いつも通り、運転の練習をしているというだけ。

 ただその目的が、一つ追加されたというだけの話で――。

 

「…………ん?」

 

 僕は前方を見た――いや、車を運転しているのだから、勿論前方を見ているのは当たり前のことなのだが。

 車のライトに照らされたのに気付いたのか、前方に居た少女――うん、少女だ――は、右端に移動した。

 こんな朝早くから何をしているのだろうか? 非常に気になるところだが、しかしそれはその少女の、当てのない散歩という理由に他ならない。

 巨大なリュックに、ツインテール。

 ロリっ子。

 何てことはない――思考する必要さえなかった。その後ろ姿を辞任した瞬間、音速を超えるスピードで理解した。

 北白蛇神社に住む、この街の神様。

 蛇神。

 

 八九寺真宵であった。

 

 

[010]

 

 さて、章が変わったが――え? 何? 章が変わったってことは、僕八九寺と絡まなきゃ駄目なの? 嘘マジ?

 え、なんで?

 

 いや素朴な疑問なんだけどさ。

 

 どうして八九寺真宵が登場しただけで章が変わるのだ。確かにあの子はここら一帯を修め、治める神であり、特別といえば特別な存在と言えなくもないのだが――え? そんな理由?

 おかしくない?

 

 ちょっと八九寺を特別扱いしすぎじゃないかと僕は物申したい――いや分かるよ、分かるけど。そりゃあ神様だからね、特別扱いしないと祟りかなんかがありそうなのはよく分かるよ、うん。基本的に無知な阿良々木暦君だって分かるよそれは。

 分かるけども。

 だからといって章を変える必要はないだろう。こんな風に章が変わると、まるで八九寺と何らかの絡みをしなくてはいけないような脅迫感を感じるではないか。

 特別扱いっていうなら、八九寺の台詞だけフォントをデカくするとかアンダーラインを引くとか、そういうので十分じゃないか。なんで章を変える必要があるんだ? 甚だ理解出来ない。

 

 いや、なんで僕がこの事についてたらたらと文句を言っているかというと――読者の皆様すみません、うちの不手際の所為でこんなどうでもいいモノローグを見せることになって――迷惑だからだ。

 迷惑、困惑――まあどっちでもいいけれど、兎に角僕がやり辛い。

 

 語り部というのは意外と大変なのだ――僕もこの役柄を長いこと演じているから言うけどさ、物申すけどさ、いや本当大変なんだよ?

 行を変えたり行動を描写したり注意書き入れたり、章が変わったらその理由を模索し、話を進めなければならない――こんな風に、色々なことに気を遣わなければならないのが語り部という役割なのだ。

 いや、僕も正直なところこの役目をどっか誰かに譲って――それこそ、様々な作品に出演しなさっている我らが語り部業界のエースであるところの地の文さんに交代したいところなのだけれど、しかしこうして僕が語り部に抜擢され続けているのは、それが通例だからなのだ。

 まったく恐ろしい話である。流れやパターンというものは。

 

 まあ僕の苦労はさておき、話は章が変わったことである。

 章が変わった、つまりそれは、僕が何らかのアクションを起こさなければならないというお達しなのである。これが困る。

 どうしろと。

 いつものアレをやれというのか。

 

 全く迷惑なんだよなー(ハンドルから手を離しつつ)、僕これでも疲れてるんだぜ? 変な兜をどうにかしたと思ったら、黒幕の存在まで示唆されて……その上でアレをやれっていうのかい?

 鬼畜かよ。

 

 つーか僕はアレについても物申したい。流れ流れ言うけどさ、結局アレを期待している読者なんて何人いるんだ? いや分かるよ、流れっていうのはそういうものじゃない、っていうのはちゃんと分かってるよ。分かってるけどさあ。

 でも正直どうなのだろう、集計すれば、期待している読者なんて全体の十分の一も居ないのではないだろうか。

 だとすれば、そんなパターン、流れに、果たして存在価値はあるのだろうか。いやない。

 そう、僕が言いたいのは、もうみんないい加減呆れ果て、飽きているであろうということだ。繰り返しネタと言えば聞こえがいいが、結局それを突き詰めてしまえば、ただの使い回しでしかないのだから。

 まあこれについては僕に責任の一端があるとは言えなくもないのだけれど――八九寺ねえ。

 

 八九寺真宵ねえ。

 

 正直もうどうでもいいんだよなあ、こいつの事なんて。いや、それこそ僕を冷血野郎と責める方はいらっしゃるのだろうけれど、しかし冷静になって考えて頂きたい。あの少女のどこにそんな魅力があるのだろうか。

 

 確かにその柔らかで、かつ肉付きの少ない奇跡のような二の腕やふとももは素晴らしいものだ。あの魅惑の物質を何度しゃぶり尽くしたいと思ったかは計り知れない。まあ昔の話だけれど。

 確かにその寸胴ボディは素晴らしいものだ。発展途上の胸はまな板と呼べる程ぺったんこというわけではなく、程よい膨らみを形作っている。括れもまだないけれど、しかしそこがいいと思っている方も少なくはないと僕は確信している。まあ昔の話だけれど。

 

 まあ昔の話だけれど。

 

 そう、全部昔の話なのだ――過去の物語。

 昔の八九寺は確かになかなか危なっかしい奴だったし、一回地獄に落ちちゃってたから心配して過剰なスキンシップを目論んだりもしたけれど、しかし今彼女は神様なのだ。

 少女ではあるものの、神なのだ。

 神、ゴッド。

 まよいゴッドである。

 

 神様なのだから、もう何も心配する必要なんてないのだ。自分の身を自分で守らないようでは、そもそも神様失格と言っても過言ではない。神という職業に就いたのであれば、しっかりとその責務を責任を持って全うするべきだと僕は思うのだ。語り部という職に就く立場から、思うのだ。

 というか、なんでそんな風に散歩している余裕があるのか、なんでそんな風に遊んでいる時間があるのかと嫉妬したくなる。

 激昂したくなる。

 全く冗談じゃない、僕は現在進行形でこうして激務を果たしているというのに、なんでお前はそんな風に自由なんだ、と。

 激おこである――いや古いか。

 古い。

 旧い。

 そんな旧型のやりとりなんてさっぱり面白くない。使い古されたネタを何度もやっても面白くないのだ。だからさっさとアンケートをとって展開の方針を変えろ。

 いいか、次はないからな、スタッフ!

 

 ……はぁ…………。

 

 はぁ〜〜〜〜……。

 

 心の中で僕は溜息を吐いた――はいはい分かった分かった分かりました。やればいいんでしょうやれば。

 全く冗談ではない(ドアに手を掛けつつ)、どうしてこの貴重な時間をあんな少女に費やさなければならないのか理解に苦しむよ。

 まあいいさ。もう文句は言わない。散々毒付いてすっきりしたしな。

 これが最後だ、きっちりやろう。どうせアンケート結果は散々なものに違いない。そして次からは八九寺に出会っても、普通に肩を叩いて「よ、八九寺」って言うだけになるのだ。間違いない。

 はーあ、さーてと、やろうかなやろうかな、ああ嫌だ嫌だ、面倒臭いったらありゃしないぜ。

 これでも一応僕高校卒業生なんだぜ? 子供じゃないんだから、少年法も僕を守ってくれないんだぜ? もしも僕が逮捕されたら、ちゃんと僕を擁護してくれよ、分かったなスタッフ! 非実在少年にもなれないんだからな!

 

 …………よし。

 

 覚悟は決めた。

 

 じゃあ行こうか――今は早朝だ。幸い誰も見ていないだろう。しかしまだ眠っている方も多いだろうから、出来るだけ静かに、静かに。それくらい許しておくれよ?

 

 はいじゃあ位置についてよーい。

 

 ドン。

 

「八九寺ぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいーーーーー!!!!」

 

 僕は扉を勢いよく開けると八九寺目掛けて全力疾走、八九寺に飛びつき抱き付いた。

 

「ぎゃー!?」

「八九寺ー! 八九寺ー!! 八九寺ー!!!」

「ぎゃー! ぎゃー!!」

「いやっほい八九寺だ八九寺だわーいわーいわーいわーいっ!! 神様だかなんだかなんてどーうでもいーいやうわぁーいっ!!!」

「ぎゃー! ぎゃー!! ぎゃー!!!」

 

 暴れる八九寺。

 抱きついて離さない僕。

 

「ああもう八九寺八九寺! どっからどう抱き付いても僕の八九寺だ! 八九寺万歳! いやもう使い古しとか使い回されたとかそんなのどうでもいいよ!! みんな期待してなくても僕がやりたいんだい!! 全く八九寺お前って奴はどんだけ魅力的なんだ畜生! この頭、この眼球、この鼻、この耳たぶ、この唇、この八重歯、この舌、この髪質、このツインテール、この服、この首筋、この乳房、この肋骨、この鎖骨、このお腹、この肩、この二の腕、この太腿、この肘、この膝、この膝裏、この踝、この指、この爪、この下着!! くっそ、どっか魅力的じゃない場所作りやがれてめえ! どんだけ襲われたいんだ八九寺! 僕はそんな子に育てた覚えはないぞ! いやっほい!! でもこれを独り占めするのは僕だもんねー!! ああもう可愛いなあ美味しいなあお前は! くそっ、汗を垂らすな! 舐めなきゃいけないだろうが!! ああもうつるつるすべすべしてて本当もう神っていうか天使だよお前は! 何で神様なんかやってんだよふざけんな!! ええい、もっと触らせろもっと抱きつかせろもっと舐めさせろー!!!」

 

「ぎゃー! ぎゃー!! ぎゃー!! ぎゃー!!!」

「こら! 暴れるな! パンツを脱がせにくいだろうが!!」

「ぎゃーーー!!! ……がうっ!!」

 

 噛みつかれた。

 児童の全力で噛みつかれた。

 

「ぎゃー!!」

 

 今度は僕が悲鳴をあげる番であった――つうか痛え!! これが全力だっていうのか!? こいつ牙でも生えてるんじゃねえかと思うくらい痛えぞ!!

 

「がうっ! がうっがうっがうっがうっがうっ!!」

「痛い痛い痛い痛い痛い!! 何すんだこのガキ!!」

 

 痛いのも、何すんだこいつも、全て僕だった。

 

 

[011]

 

「全く……神様に対する敬意というものが、荒らげさんには欠如しているように見受けられるのですが!」

「敬意は兎も角として八九寺、僕のことをまるで息子を怒鳴っている親父さんの声を表す動詞のような呼び方で呼ぶな。そんなんだから敬意も払ってもらえないんだよ。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼。噛みました」

「違う、わざとだ……」

「噛みまみた」

「わざとじゃない!?」

「叱りました。ばっかもーーーん!!!」

「予想以上に声がデカい!!」

 

 うむ、流石は名前ネタの本家本元八九寺真宵大明神。扇ちゃんなんかとは訳が違うぜ。

 

「いや、褒めても何も出ませんよ阿良々木さん。それどころかもう一回雷を落として差し上げましょう」

「おいおい八九寺、この一連の流れを引っ張るのは厳禁じゃなかったのか? いくらこの話が本編じゃないからって、ちゃんとルールは守れよ」

「あの叱りましたを一連の流れと思っているのならそれは大間違いだとご忠告しておきましょうか阿良々木さん! あれは私の本気の怒りです!!」

「え、マジで!? 僕なんか悪い事した!?」

「自分の胸カチ割って聞いてみたら如何ですかね!! なんなら手伝って差し上げましょうか阿良々木さん!!」

 

 流石に胸をカチ割ると死んでしまうので、僕は胸に掌を当てた。

 ……一瞬凄まじい罪の意識の奔流を感じたが、そこは歴戦の阿良々木暦、しっかりと耐える。

 

「いや、なんでそこで耐えてしまうんですか。感じましょうよ罪悪感を」

「悪いな八九寺、僕は昔のことを振り返らない男なんだ。僕は今しか見ていない、目の前にいる八九寺の事しか考えていないような男なんだぜ」

「カッコいい事言ってるように見えて内容はマジで最低ですね」

「すみませんでした!!!」

 

 謝った。

 

「さあ八九寺、車に乗れよ」

「ちょっと待ってください阿良々木さん、まさかあんな適当極まる謝罪で貴女の罪を清算できると本気でお思いではないでしょうね?」

「だからこうして埋め合わせをしようとしているんじゃないか。ほら、八九寺。僕の愛車にご挨拶は?」

「ああ、初めまして。私、この街の神様をやっております、八九寺真宵と申します、って何言わせてんですか貴女は!!」

 

 怒っていてもしっかりノリツッコミをしてくれるあたり、流石歴戦の八九寺真宵といった感じだ。敬意も払いたくなるというものである。

 

「全く、あんな事して許されると思ってらっしゃるのはこの世広しと言えどあなただけでしょうよ阿良々木さん」

「おいおい八九寺、世の中を舐めるなよ。そんな事考えてる奴なんざ、その辺にごろごろいるのがこの世界なんだからな」

「地獄すぎます……」

 

 地獄を知っている八九寺が言うくらいなのだから、現世は地獄なのだろう。間違いない。

 

「はあ……まあいいですけどね。私が犠牲になることで他の誰かがあなたの魔手から逃れられるというのであれば、私は喜んで人柱になりましょう」

「マジで!? じゃあもっかいやる!?」

「いいえやりません! あれはワンエピソードにつき一回だけです!」

 

 ちえっ。

 まあどうせ別のエピソードでもまた会うだろうし、別にいいんだけどね。アンケートを取ろうがアンケート結果がどうなろうが需要があろうがなかろうが知ったことではない。

 僕は僕の道を行くのだから。

 

「格好良いこと言ってるように聞こえますけれど、実際は相当に格好悪いですよ、バカラギさん」

「ストレートな僕への罵倒を織り交ぜるな。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼。噛みました」

「違う、わざとだ……」

「噛みまみた」

「わざとじゃない!?」

「怒りました。まったくもう!!」

「レベルが下がった!?」

 

 僕との会話の中で怒りが沈静化してきたようだ。よかったよかった。

 

「いや何も良くありませんよ阿良々木さん」

「もういいだろ八九寺ー、続きは車の中でしようぜ。乗ってくれよー」

「誰が性犯罪者の車に乗るとお思いですか!!」

「僕が性犯罪者だと? なんて人聞きの悪い!」

「では不審者とでも言い換えましょうか!! 不審者の車に乗ってはいけないと、学校で何度も習ったものでして!!」

「ちっ、これだから学校ってやつは嫌いなんだよ。僕の邪魔しやがって」

「教育を毒突くより、まず御自分が不審者と思われないような振る舞いをしては如何かと思うのですが」

 

 まあ、正論である。

 しかし、正論というものは時に人を傷付けるものなのだ。それはどうしようもなく真理であり、心理なのだ。

 

「上手くない言葉遊びなんてやっている暇があるのであれば、即刻私の前から立ち去ってください!」

「おいおいそりゃあ酷いぜ八九寺」

「触らないでください! 私はあなたのことが嫌いです!」

「ごめんなさい!! もうしません!!」

 

 お前に嫌われるのだけは本当に嫌だ!!

 老倉から幾度となく嫌い嫌いと言われ続けた僕ではあるけれど、やはりこいつに嫌いと言われるのが一番くる。

 心がバキボキにされてしまう――心の背骨が折れ、土下座してしまう。

 

「うわあ……」

 

 八九寺がゴミを見るような目で僕を見てくる。やめろよ、興奮するじゃないか。

 

「興奮しないでくださいよ気持ち悪い」

「おおう、その罵倒さえも興奮に変わるぞ八九寺!」

「キモっ、死んでください。もう一回地獄に落ちて下さい」

 

 むう……八九寺に死んでくださいと言われると死にたくなってくる。何故だろう。

 不思議だなあ。

 

「それはあなたが変態だからですよ、阿良々木さん」

 

 ……八九寺から僕への好感度がジェットコースターの下り以上のスピードで急降下しているような気がする。

 まあ、気の所為だろうが。

 

「まだ気の所為とか思えるその頭のおめでたさには私も白旗ですよ」

「おいおい八九寺、僕とお前の仲だろ? これくらいのことで僕たちの関係は何も変わらないさ」

「この一連の行為をこれくらいで済ませることが出来るのはあなただけとは言わずとも、相当おイカれになられた思考回路ですね」

「だから早く車に乗ってよ、ねえ」

「嫌ですよ!! 何でそこまで執拗に誘ってくるのですか! 本当に犯罪者にしか見えませんよ!」

「だから僕は犯罪者じゃねえよ!」

「胸を張って言えますか!?」

「言えるさ!」

 

 僕は胸を張った。

 

「僕は犯罪者なんかじゃない。健全な男だ」

「救いようがありませんねあなた」

 

 むう。

 なんだか今日の八九寺は冷たいように感じる。何故だろう。

 

「はあ……」

「ちょっとちょっとちょっと八九寺さん八九寺さん、え、何? どこ行こうとしてるの?」

 

 溜息を吐きながら歩き始めた八九寺。どこへいこうというのだろうか。

 

「変態に教える道などありません。さようなら」

「あっ、ちょ――」

 

 僕は逃げ去ろうとする八九寺に慌てて手を伸ばした。僕はもう二度と八九寺と離れたくないのだから、八九寺の逃亡を防ごうとするのは至極当然のことであった。

 

 ――僕のこの行動は正しかったのかどうかは分からない。この後起きた結果から考えても、恐らくこの行動は正しかった、というより、必要なかったと言うべきであろう。

 類は友を呼ぶという言葉があるように、親友同士というのは似通ったところがあるものなのだ。

 

 僕と八九寺もまた、例外にあらず。

 

 僕が八九寺に触れるか触れないかのところで――それ(・・)が聞こえた。

 

「きゃああぁぁぁ〜〜〜〜っ!!!」

 

「「っ!?」」

 

 どこからか聞こえてきた――悲鳴。

 それは余りにも小さなものであった――遠くから響いてきたもののようだ。

 僕と八九寺は一瞬目を合わせると、互いに頷き、ニュービートルに乗車した。

 

「おや、お帰りなさい阿良々木先輩。待ちくたびれましたよ」

「迷子娘との逢瀬は終わったか――って、なんでお前が乗ってくるんじゃ迷子娘」

 

 車の中で結構な時間待ち惚けを食らった二人――お前達には悪いが、少し僕達の我儘に付き合ってもらうことにしよう。

 

「阿良々木さん!!」

「分かってる!!」

 

 僕はアクセルを踏む。

 どんどん加速していく僕の愛車――そのスピードはついに、時速40kmを超えたのであった。

 

 

[012]

 

 後日談というか、今回のオチ――というにはまだ早過ぎる。まだこの話は終わってない――寧ろ、これから始まると言っても過言ではないのだから。

 少々変則的だが、キリの悪いところで終わらざるを得ない――読者には申し訳ない限りだけれど、次のエピソードを待っていてほしい。

 

「悲鳴、ですか――はっはー。なるほどなるほど。詰まる所、また貴方は懲りもせず愚かにも首を突っ込むということですか。本当に成長しませんね貴方」

 

 扇ちゃんが僕の頭を蹴りながら言う。

 確かに、これについては扇ちゃんに全面降伏するしかない。お手上げだ。僕の今とっている行動はどうしようもなく愚かで、成長していないものではあった。

 目先の事しか見えてない愚か者――臥煙さんにも指摘されたことである。

 若さ、と言えば聞こえは良いけれど。

 

「ふん、儂にはそんなもの聞こえんかったがのう。本当か? 幻聴ではないのか」

 

 忍が助手席を蹴りながら言う。

 あの悲鳴は非常に小さなものであった。車の外にでも出ていなければ、間違いなく僕も聞き逃していただろうから。

 え? なんで忍が助手席を蹴っているか?

 それは――。

 

「もう、痛っ、忍さんってば、痛っ、これは、痛っ、不可抗力、痛っ、なんですってば!」

「…………」

 

 八九寺が助手席に乗っているからである。

 どうもこいつ、自分が助手席に乗れなかったのをまだ根に持っているらしい。600歳の癖に器が小さすぎる。

 個人的な感情としては、愛する八九寺を蹴り飛ばしているのだからドーナツの約束を全面的に反故にしたい気分なのだが――そうとは言わずとも、拳骨一つ入れたい気分なのだが。

 しかし残念ながら今は運転中だ――しかも禁断の法定速度超えを果たしている。ちゃんと前を向いて運転しなければならない。

 誰かを助けに行って、その癖自分が事故って助けてもらうなんて、笑い話もいいとこだ――僕だけなら兎も角、今この車内には、扇ちゃん、忍、八九寺が乗っている。何としてでも事故だけは避けなければならない。

 しかし、これが他人を乗せるというプレッシャーか……正直こんなプレッシャー、二度と味わいたくないというのが本音だ。

 自転車の二人乗りより怖い。

 慣れの問題かもしれないが。

 

 僕は車を走らせた――予想外に遠いが――もしかすると、もう手遅れなのか?

 だとすればとんだお笑いだが――笑えない話だが。

 そんな事を考えながら、カーブを曲がった(幾ら直線ではスピードを出しまくっているとはいえ、流石にカーブは怖いので超減速)――そこで僕が見たのは、衝撃的な光景であった。

 

「……はっはー」

「……あぁ?」

「な、何ですかあれ!?」

 

 三者三様、それを見た反応である。

 そして僕の反応は。

 

「――――っ!!」

 

 これ――戦慄である。

 実際戦慄もしよう――それ(・・)は余りにも、僕の想像を超えたものだったのだから。

 

 曲がった先で倒れていたのは少女だった。歳は月火と同い年くらいだろうか。田舎には不似合いな金髪のショートカット、全身を覆う真っ黒い服装――ゴスロリとでも言うのだろうか――から、何処か西洋風な雰囲気が漂っていた。

 確かにそれは僕の想像を遥かに超えたものであった――金髪といえば忍で見慣れているけれど、やはり田舎に金髪というのは慣れない。

 だが――僕が戦慄したのは、だから、そっちではない。いや、普段の僕であれば、そんな少女が道端を歩いているだけでも戦慄しそうなものだが。

 

 もう片方――その少女を襲っている方。

 

 正直なところ、僕は目を疑った。僕は今眠っていて、夢の中に居るのではないかとさえ思った。

 まあだからと言って、頬をつねったりするような古風な真似はしないのだけれど――そんな余裕は消え失せたのだけれど。

 

 そこに居たのは、僕の見知った姿だった。

 

 黒い雨合羽を羽織り、露出する手足はまるで猿のように毛深い。そして顔は、まるで異形の猿のよう――。

 

 ――それは泣き虫の悪魔。

 

 神原遠江が生み出した怪異。創り出した怪異。

 

 与えられた姿――彼女はそれを、レイニー・デヴィルとした。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 続く。

 

 




■ 以下、豫告 ■

「衣物語をお読みの皆さん、初めまして。

「はっはー、この予告がずっとファイヤーシスターズの担当だと思いましたか? そうだとすれば愚かですねえ。こちら側は一言たりともそんなことを言っていないというのに。

「思い込みって怖いですねえ。ふふふ」


「ミステリ小説なんかでは思い込みを利用したトリックとして叙述トリックなんてものがありますが、いやはや、これを発明した方にはとても頭が上がりません。

「このトリックは実質読者を意識して作り出された、読者を欺く為のトリックですけれど、これはつまり、第四の壁をも超えたメタ的なトリックであるとも言えるのですよ。

「第四の壁を破壊するという行為は、ベルトルト・ブレヒトが叙事的演劇として行っていたことですが、まさか彼もこれがミステリにも応用されるとは夢にも思わなかったでしょう。

「ミステリは登場人物の行動が最も重要視されるジャンルですからね。第四の壁を破るというのはそれだけで不確定かつ不明瞭な行為であり、読者の混乱を招きかねません。

「初めて叙述トリックを用いた方は、つまりはそれを恐れなかった訳で。はっはー、勇気があると言えば聞こえはいいですが、見ようによっては愚か者と言えそうです」


「次回、衣物語 しるしメイク 其ノ壹」


「さて、私は一体誰でしょう?」

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