〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
■ 以下、注意事項 ■
・約貮萬壹仟字。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレ有リ。
・他、何カ有レバ書キマス。
■ 黒齣 ■
[010]
「戦場ヶ原ひたぎ!? な、何故ここに貴女が――よりによって、貴女が!?」
ひたぎの登場により取り乱す織崎ちゃん。既に彼女は僕から離れた場所で構えをとっている。構えというのは、左手を床につけて腰を屈めるという、あの蜘蛛男っぽいポーズのことだ。尤も、右手には刀が握られているので全く同じとは言い難いが。
僕も織崎ちゃんと同じ気持ちではあった――なんでここにひたぎが居るんだ?
まだ衝撃は抜けないし冷静に思考できるとはとても言えないのだけれど――というかこんな状況に陥っているというのが冷静な判断を欠いた結果なのだけれど――いや本当、何故?
だってここまで、伏線も何も無かったじゃねえか。唐突過ぎるだろ。ご都合主義すぎないか? この展開。
助けられた当事者がこんなことを考えている始末なのだから、織崎ちゃんはもっと困惑しているのだろう。そりゃあこんな展開、たまったものじゃあないだろうし。
だがひたぎは、僕たちのそんな困惑を全く意に介さないかの如く、
「ふん」
と鼻で笑った。
如くっつーか、本当に意に介してねえ。
「随分と驚いているようね。どうしてこの戦場ヶ原ひたぎ様が、こんな風に後光を背負って救世主的登場を果たしたのか、理解出来るだけの頭がないって顔をしているわ」
救世主とか自分で言うなや。
まあ実際救世主っぽいので、何も言えないが。つーか言える立場じゃねえよ、僕。
「……説明してくれますの? 何故ここに貴女が居るのか」
「徳の無いであろう貴女に教えて、私に何か得があるというのかしら」
「…………チッッ……!!」
今まで僕が聞いた中では最大級の舌打ちをする織崎ちゃん。よりにもよって自分の煽りの代名詞を、更に煽り性能を高められた上で敵にそのままお返しされたとあっては、このプライドの高い女子のこと、そりゃあ怒る怒る。
というか、ひたぎもこの台詞はそれを計算して言ったわけではないだろう。多分、ただのいつも通りの毒舌の一環だった筈である。何せ彼女は織崎ちゃんと初対面だし、この台詞を知っている筈がないのだから。
そんな苛立つ織崎ちゃんを見て満足したのかひたぎは、
「まあ、どうしてもというのであれば、優しいひたぎ様が教えてあげることも吝かではないのだけれど」
と言った。教えちゃうのかよ。
まあしかし、そこは気になるところではあった。何故ひたぎはここが分かったんだ? いやそれよりも、どうして僕が囚われているということが分かったんだ?
それにそもそもの話、ひたぎは織崎ちゃんと初対面どころか、彼女のことを知らなかった筈。それが何故――?
「簡単な話じゃない。私の暦への、愛よ」
何故そこで愛っ!?
「冗談は苛立つから止めて下さいまし。真面目にお答えなさってくれるかしら?」
「あらまあ。そこは『何故そこで愛っ!?』と突っ込むところでしょうに。あーあ、興を削がれた失望しました。もう教えたくなくなったわ」
……僕のツッコミは模範通りだったのか。一字一句違わなかったぜ。いや、別に模範になろうとするつもりはなかったのだけれど。
どっかで聞いたことあるようなツッコミだしな。
「でも、私はとても慈悲深いのでもう一度だけチャンスをあげる。暦が土下座すれば、考えてあげないこともないわ」
「ちょっと待て、どうして僕が土下座するんだ!? そこは織崎ちゃんじゃあないのか!」
「確かに暦の土下座は結構な割合で見掛けるから、読者にとっては最早価値は皆無だけれど、個人的に暦の土下座を見たいのよ。彼氏が土下座する姿って、萌えない?」
「萌えねえよ! 彼氏が土下座するのを見たい女なんて、お前以外に居ねえよ! つーか、居てたまるか!」
「あら、人の趣味を否定するだなんて偉くなったものね暦。偉そうに言っちゃって。もう気分は菅原道真公かしら?」
「ひたぎ、僕は菅原道真公を名乗れるほど賢くないんだ」
「偉そうの部分は否定しないのね」
「否定するよ!」
全く……彼氏が捕縛されている状況でボケを吹っかけてくるとは、こいつ本当に僕の彼女なのか? と、思ってしまわないこともないが――それでも、そういう部分も含めてひたぎは僕の彼女なのだ。
逞しいと言うべきか、或いは図太いと言うべきか――だからこそ、僕はひたぎが好きなのだけれど。
……いや、なんというか、このやりとりにちょっとした安心感を覚えている僕が居るのだ。未だピンチなのは実はほぼ全くと言っていいほど変わっていないのだけれど、それでも、こうしていつもみたいなやりとりで、少しだけ心が軽くなってしまったのだ。危機感が無いとも言えよう。
まさかひたぎとのやりとりで安心するとは――約一年前、ひたぎを受け止めた時はとても想像出来なかっただろう。長生きはしてみるものだ――なんて、状況どころか吸血鬼的な意味でもそぐわないような事を考えていると、いつの間にか体が自由に動けるようになってたことに気がついた。
「ほら、土下座してくださいまし。阿良々木暦」
僕を見下しながら織崎ちゃんが言った。
……なるほど、納得いかないが納得した。どうやら織崎ちゃんは何が何でも理由を聞きたいらしい――で、また僕に土下座しろと。
はあ……もう土下座ネタ何度目だよ。
なんて呆れつつも、取り敢えず僕は椅子から立ち上がり、二人の女子に注視される中床に膝をついた。普通の、つまりは健全な人間であればこのような状況で土下座するなんて羞恥で死にたくなるのだろうが、生憎僕は健全とは程遠い奴なのであった。
両手を床につける――注視される如きで心が折れるような僕ではない。何せ去年のゴールデンウィークの殆どを土下座で過ごしたという壮絶な……いやいや、普通普通。大人になったら誰だって幼女に睨まれながら土下座するんだから、普通普通。自説は曲げねえぞ。
頭を床に擦り付けるかの如く接地させた。織崎ちゃんが息を呑む声が聞こえた(ような気がした)。多分今の僕の背中からは後光か何かが見えることだろう。それ程までに美しい土下座を、僕はしている自負があった。
土下座マイスター阿良々木暦、ここにあり。
「ふむ」
パチパチと拍手の音が聞こえた。あのひたぎが拍手しただと!? いやまあ織崎ちゃんの可能性もなくはないが――というか自分の彼女を何だと思ってんだ僕は。
「成る程、確かに惚れ惚れするような土下座ね。流石は暦。職員室で土下座して留年を回避出来たのも頷ける、納得のいくクオリティだわ」
「くっ……」
ここでそれを言うか。数ある僕の武勇伝、というか無勇伝の中でもよりによってそれをチョイスするか。
「けれど」
と、僕が密かに黒歴史を掘り返されたことでダメージを受けていると、ここでひたぎが指をパチンと鳴らして言った。
けれど――逆接の言葉?
というたった五文字の考察をしたかしないかの一瞬、土下座した僕の隣を一迅の疾風が駆け抜けた。
「っ!?」
一迅、駆け抜ける、というワードは少し前につけられた僕のキャッチコピーを想起するものだが、ここでこのワードが思い浮かんだのは必然だったのだろう――何せその駆け抜けた一迅の疾風は、そのキャッチコピーを僕につけた奴だったのだから。
僕は思わず頭を上げて背後を見た。そこでは織崎ちゃんが"何者か"によってうつ伏せに組み伏せられていた。その"何者か"というのが――。
「これ以上動くな! 場合によっては処女を散らすぞ!」
この、あまりにも状況にそぐわない限りなくアウトに近い台詞を吐くのは、そう、御察しの通り、僕の後輩であるところの神原駿河であった。
つーか、本当にR-18タグ付けなきゃ駄目になるじゃねえか! 流石にその発言はまずいんじゃないか!?
「か、神原駿河――!? ぐっ……!!」
組み伏せられた織崎ちゃんがもがく――が、神原の拘束はまるで引き剥がせない。寧ろ余計締められているようにさえ見える。
今織崎ちゃんの両腕は神原の左手によって締め上げられている。神原の左手と言えば、あの悪魔――レイニー・デヴィルの左手である。今は包帯が巻かれているので視覚的には分からないが、その尋常ならざる怪力は正しく怪異そのものと言えた。
「ご苦労、神原。後で色々労ってあげるわ」
「色々……色々だと!? 本当か戦場ヶ原先輩!」
「ええ。だからもう暫くそいつを拘束しておきなさい」
「合点承知!」
「ぐあぁっ……!!」
織崎ちゃんが悲鳴を上げた――更に締め上げがキツくなったらしい。色々で何を想像したのかは想像したくないので読者に解釈を丸投げするが、ひたぎに絆されて神原の奴、張り切ってやがる。
「か、神原駿河ぁ――な、何故ここにぃ――ぐあっ」
「何故何故って、少しは自分で考えようとは思わないのかしら? 人に答えを求めるより先に自分で考えなさいよ」
ひたぎが言い放った。その声は抑揚がなく、冷淡そのもの――初期のキャラだ。
「私は貴女のことをまるで知らないし興味も無いのだけれど、貴女は私のことを知っているようだからこの態度を見て概ね理解出来るでしょう――結構怒ってるのよ、私」
「っ…………!!」
ひたぎは扉から離れ、部屋の中へと這入った。そしてつかつかと織崎ちゃんの元へ近づいて行く。
「私の独占欲を舐めないことね、織崎さん。私の彼氏を拘束して寝取ろうなんて、そんなことを私が容認するとでも思ったかしら? そんなことをして、私が勘付かないとでも思ったのかしら?」
ひたぎは織崎ちゃんの頭元に立ち塞がった。かと言って織崎ちゃんに何か危害を加えることもなく、そのまま遥か高いところから織崎ちゃんを見下ろしただけだった。この怒り様からするに、昔のひたぎなら間違いなく文房具による乱舞が始まっていたところである。
「だとすれば愚かね。私は恋人の為なら何処へだって付いていく女なのよ。例え火の中水の中草の中森の中……土の中蜘蛛の中貴女のスカートの中まで」
ここからだと表情は見えないが、多分蜘蛛の中って言った辺りでドヤ顔をしていたと思う。織崎ちゃんの表情を見る限り。
「まあぶっちゃけて種明かししちゃうと、特にこれといって暦の危機を感じた訳ではなく普通に私用で偶然外を歩いていたら、これまた偶然何やら慌てている神原と遭遇し、あら何かしらと思ったので引き止めて拷も……優しくお尋ねしたところ、暦が何者かに攫われたと言うじゃない」
何やら物騒な単語を言いかけたような気がしたがそこはスルー。いちいちそんな所まで突っ込んでいたらキリがない。折角話してくれているというのにその話の腰を折るのは余りにも意味が無さすぎる行為だ。心の中だけで突っ込んでおこう。
ツッコミ担当としてはあるまじき姿勢だと思われるかもしれないけれど、しかしこういう風にちゃんと空気を読んでツッコミを行うのがプロフェッショナルというものである。昔のように節操のない僕とは違うのだ。
「そんなこと聞かされちゃったものだから、『おっとこれは呑気にしてる場合じゃないわ! 今すぐ暦の惨状を見に行かないと人生の半分を損しているようなものじゃない!』と思ったので用事を放棄して全力を尽くして暦を捜索したという訳よ」
「お前僕を本当なんだと思ってるんだよ!?」
思わず突っ込んでしまった。突っ込まずにいられなかった。
僕もまだまだだなあ。
「決まってるじゃない。
「ルビがおかしいぞひたぎ! 本意を隠しきれてねえぞ!」
「|おっとこれは失態。流石は行間を読むことに関しては他の追随を許さないテレパシストこと阿良々木暦。惚れ惚れするわ《やれやれこの男ってば、少しルビがおかしかったくらいでやいのやいのと。どうしようもないほど自惚れてるわね》」
「本意どころか本音がだだ漏れだぞひたぎ!」
しかも文字数の限界を超えている所為で最早ルビとしてさえ機能していない。
「
「入れ替わってる入れ替わってる! もう隠す気さえないな!?」
とまあ、メッタメタなボケとツッコミは兎も角。これこそ空気に合ってない。空気どころか次元に合ってない与太は兎も角。
「まあ、どうして僕の状況を知れたのかは分かったけれど、じゃあどうやってこの場所を見つけたんだ?」
幾らこの町が田舎とは言え、建物はそこら中にある。少なくとも100軒以上はあるだろう。その中からこの一つを引き当てるというのは相当な確率だ。宝くじの一等を当てる確率には及ばないであろうが、それでも気が遠くなるような低確率であることには間違いないだろう。
僕が捕らえられた場所が、外観的には古びた屋敷であるとは言え、だ――いや、寧ろそんな外観だからこそ、都市部より古びた民家が多めなこの町においては結構なカモフラージュになりかねないのかもしれない。
「だからそれをこれから話そうとしていたところで、暦が余計な茶々を入れて茶化しに来たのじゃない」
「…………」
僕の所為らしかった。
後付けめいているが、確かに邪魔をした感は否めない。行間は読めても空気は読めない阿良々木君なのであった。
……昔はこのフレーズ、ひたぎのものだった筈なのになあ。
「簡単な話。神原の行動におかしなところがあったから、そこを重点的に探索してみたら如何にも怪しそうなお屋敷があったので、何かしらと思って扉を開けてみたらまあビンゴ。暦が殺されようとしている、なんて、ヒーローショーで言えば怪人が戦隊ヒーローの必殺技を受けて今にも爆発四散するという、観客の熱狂が最高潮となるシーンだったという訳」
「…………」
どうやら相当僕のことを心配してくれていたらしい。ここまで僕を貶めてくるということは、ひたぎのテンションは恐らく今マックスなのだろう。
怪人扱いされているにも関わらず、その発言者が僕のことを心配してくれているなんて真逆とも言える解釈が出来るのは、世界広しといえど、まあ僕だけだろう。彼氏だからこそ出来る芸当である。
いや別に、怪人扱いされて嬉しい訳ではないが。概ね事実っぽくはあるけれど……吸血鬼もどきだし。
それはそれとして……神原の行動?
「神原が露骨に探索を避けていた一帯があったのよ。そこら中跳び回っていたのにも関わらず、何故かそこだけ見落とされていた箇所が」
「不甲斐ない限りだ……この神原駿河、一生の不覚と言えるだろう」
「ああ、なるほど……」
織崎ちゃんが言うには、今回この屋敷には怪異避けが仕掛けられていたらしい。故に、レイニー・デヴィルという怪異を宿した神原はこの屋敷を見つけられなかったのだ。
「範囲さえ絞られれば、後は運だったわ。幸い、私の日頃の行いがとてもよろしい所為か、一発でこの屋敷を見つけられた訳なのだけれど」
……外観で分かったんじゃなかったのかよ。
日頃の行いが良いとかいう露骨なボケはスルーするとして――そういう事情があったのならば、確かにこの場所を見つけることが出来たのも頷ける。
怪異に見つけられない、それは逆に言えば、怪異を宿さない純正な人間であれば見つけられるという事だ。重し蟹が取り祓われることによって怪異を宿さない、普通の人間であるひたぎだからこそ、ここを発見する事が出来たのだ。
まあそういう理屈もあるが、しかし丁度神原と遭遇したというのは、中々神がかり的な展開ではある――それこそ、運の問題だ。
どうやら恋人運が相当強いらしい。日頃の行いは兎も角として。
「はい、以上。戦場ヶ原ひたぎの独白タイムでした。理解出来たかしら? えっと、織崎さん」
「……ぐ、ぎぎぎぎ……」
歯軋りする織崎ちゃん。相当悔しいだろう――何せ入念に施した対策が余りにも完璧すぎたが為に、ひたぎによる早期の発見を許してしまったのだから。
ひたぎはそんな織崎ちゃんを見下している。よく見るチープな悪役のように、それを見て満足げな笑みを浮かべたりはせず、ただただ氷のような無表情。いや、霧氷情と言うべきか。昔なら霧氷常だったところだが。
「そんな訳だから、このまま貴女を殺人未遂及び銃刀法違反の罪で警察に突き出してもいいのだけれど――どうする? 神原」
「どうするもこうするもないな。敬愛すべき阿良々木先輩を殺そうとしたとは全く許しがたい。このまま腕をへし折ってやりたい気分だ。全く、どこの誰がそんな事思いつくものか!」
「お前だよ」
「そうね。暦を傷付けようしただなんて、全く呆れるわ。どこの誰がそんな乱暴な事考えつくのかしら。ああ怖い」
「お前だよ!」
かなり初期の方で僕を殺そうとしたり傷付けたりした奴に、こうして今助けられているというのは不思議な感覚ではあるが。
……よく考えたら阿良々木ハーレム()って、そういう連中ばっかりで構成されてるな。
「昨日の敵は今日の友という奴ね。この場合、昨日の敵は今日の友、明日は愛人で明後日は恋人、かしら?」
「明日が最悪だなおい!」
挟まっちゃいけないものが挟まってるよ! にしても早過ぎるけども!
「しかしその理屈だと、阿良々木先輩はどれだけの恋人、或いは愛人を作っているのだろうか……」
「やめろ! その理屈を前提として話を進めるな!」
というか、そもそも阿良々木ハーレム()はもう既に崩壊した筈だ。少なくとも千石、羽川はもう脱退している。神原は微妙なところだが……いや、何を存在しない組織について無駄な考察を繰り広げているのだ。
「ったく、シリアスな雰囲気がもうこれっぽっちも残ってねえよ……どうするんだこれ。グダグダもいいとこじゃねえか」
唯一残っていると言えるシリアス要素と言えば、僕たちを睨み続けている織崎ちゃんくらいである。いや、それさえもシリアスな笑いと化しつつある。
「おかしいな……忍が睨んでいた時期は普通にシリアスな雰囲気を醸し出していた筈なのに、どうしてこうも違うんだ?」
「状況の違いじゃないかしら? ほら、忍さんの場合は自主的だったけれど、今の場合、強制的にそれしか出来ないようにされているからじゃない?」
「強制的なのは、忍も似たようなもんだったが……ポーズが駄目なのかな?」
土下座みたいな格好で睨んでいても、威厳も何もないからな。三角座りも似たようなものではあるが、忍の場合、素で発するプレッシャーがあったから。
「……まあ確かに、ちょっとシリアスが薄れているのは事実ね」
と言うとひたぎは手をパンと叩いた。仕切り直し。空気を戻す。
「さて神原。まだそのままにしておいて。取り敢えず警察を呼ぶことにしましょう――どうせそれ位しか私たちに出来ることはないのだし」
「了解だ!」
ひたぎはポケットから携帯電話を取り出した。
警察に突き出す、か――酷く現実的な決着に拍子抜けしたけれど、しかし確かに僕たちにはそれ位しか出来ないのであった。
幾ら向こうから仕掛けてきたとは言え、実質的には僕は何の傷も負わされていないのだ。ならばこの状況で、仮に織崎ちゃんの腕でも折ろうものなら、逆にこちらが悪者にされかねない。過剰防衛と見なされないとは限らない。
この件は怪異絡みでもあるので、何らかの専門家に身柄を引き渡すという案もあるが、今この町に専門家は居ない。一応斧乃木ちゃんが居るけれど、彼女との連絡手段を実は今僕は持ってないし、かと言って臥煙さんに頼るというのも、出来れば避けたいところ。
ならば現実的な方法で解決するしかあるまい。怪異という非現実的なものが絡んでいながら、結局最後に頼るのは現実的なものであるということに、思うところはあるけれど。
「あら」
と、僕が取り留めのないことを考えていたらひたぎが呟いた。
「ここ、圏外じゃない」
[011]
圏外。それはつまり、携帯電話を用いた外部への連絡が不可能なことを意味する言葉。
「圏外――」
いくらここが田舎町とは言え、山中ではないのだから圏外となることはあり得ない。あり得ないのに今そういう現象が発生している。
怪異。
怪しくて、異なる。
普通なら意味不明すぎて動転するところだが、しかし妙に納得してしまった――あれだけ綿密な計画を立てた織崎ちゃんが、携帯電話なんていう如何にもな抜け道を許す訳がない。
一般人が来たところで、殆ど意味のない状況を作ることが出来る――。
「ふっ」
「っ!!」
僕たちは一斉に織崎ちゃんの方を向いた。織崎ちゃんの姿勢や表情は変わらないが――しかし、口だけが笑っている。
「ふっ、ふ、ふふふ、ふはははは――残念でしたわね。戦場ヶ原ひたぎ」
「!!」
「ぐっ……」
織崎ちゃんが再び呻いた。何かを感じ取ったのか、神原が締め付けを強くしたのだろう。
「……ふふ――もう貴女はここから無事に帰ることは出来ませんわ……自分から態々殺されに来るだなんて、まさに飛んで火に入る夏の虫――蜘蛛の糸に引っかかる愚かな羽虫のよう――」
「それ以上喋るな! 余計に痛くするぞ! 場合によっては」
「腕を折る?」
「っ!」
「ふふっ」
ここに来て饒舌になる織崎ちゃん――なんだ? 何を考えたんだ?
明らかにさっきまでとは違う。その喋りには余裕を孕んでいる。この状況を脱する方法でも、まさか思い付いたのか――。
「否定する――私は貴女がたの余裕を完膚なきまでに否定しますわ。神原駿河、阿良々木暦――戦場ヶ原ひたぎ」
「……何が言いたいのかしら。申し訳ないけれど、私はアウストラロピテクスの言語は解さないの」
この不気味な状況で猿人呼ばわり出来るとは、流石はひたぎ。肝が据わってやがる。
織崎ちゃんはそんな毒舌を意に介さないかの如く嗤う。
「余裕綽々ですわねえ……でもそれも、ここまでですわ」
織崎ちゃんの腕がピクリと動いた。
「っ!! 神原! 織崎ちゃんから離れ――」
「ボーナスタイムは、もうおしまいですわ!!」
僕の叫びを塗り潰すが如く織崎ちゃんは叫んだ。と同時に、織崎ちゃんの手から――正確に言えばその十本の指先から、白い糸のようなものが飛び出した。
「ぐっ!?」
堪らず神原は織崎ちゃんの腕を離し、すぐさま離脱した――すると織崎ちゃんは即座に四つん這いになり、その姿勢のまま跳躍、天井に逆さまになって張り付いた。
「神原!」
「私は大丈夫だ! それより、そいつが――!」
「このまま貴女がた全員、逝なす!!」
織崎ちゃんは再び指から糸を噴射。それにより床に転がっていた毒刀『鍍』を掠め取った。毒刀が織崎ちゃんの手に再び渡る。
まずい――ここには織崎ちゃんの糸が張り巡らされている。言うなれば、織崎ちゃんのメインフィールド。織崎ちゃんが解放されたとなればここに長居するのは、それこそ本当に死を待つようなものだ――!
「ひたぎ! 神原! 今すぐここから――」
「否定しますわ!! その逃亡を否定する!! 否と定めて否定します、わ!!」
「なっ!?」
織崎ちゃんはまたも僕を遮るかのように叫び――毒刀を斜め下の床に向かって投げ飛ばした。
切っ先を先にして、隼めいた速度で進む刀――その先に居るのは、ひたぎ。
嘘だろう?
僕はすぐに駆け寄ろうとした――だが、全盛期の頃ならいざ知らず、僕の行動スピードなんて神原の二分の一にも満たない。
神原も走り出そうとする――が、間に合わない。いくら怪異を宿しているとはいえ、それは目ではなく左手だ。吸血鬼の視力でぎりぎり視認できる程のスピードの刀を見てから走り出すのには、余りにも致命的なラグがある。
ひたぎが回避するのを期待できるか? いや、無理だ。何度も言うように、ひたぎはただの人間である。怪異を宿した僕たちが対処出来ないものを、どうやって避けるというのだ。
マジかよ。
てめえ――織崎記――!!
「ひたぎ――!!」
果たしてこの声さえ、刀のスピードに勝ったかどうかは甚だ疑問であった。
僕は走ろうとした――が、結局、間に合わなかった。ひたぎを突き飛ばすことも、或いは肩代わりすることも出来なかった。勢いを殺すことさえも。
刀は運動の第一法則に従い、ひたすらに風を切り――そして、ひたぎを斬った。
「っ――――!!!」
「ぐっ……」
天井から放たれた刀は床に突き刺さり、停止した。その刃には、薄っすらと血が。
だが、不幸中の幸いと言うべきか――天井から、しかも逆さまの状態の攻撃だった故か、狙いは大きく逸れ、ひたぎの左腕を掠めただけで済んだ。
串刺しにされるという最悪な事態は免れた形になる訳だが――しかしそんなことが気休めになる筈もなく。
掠めたとは言え、刀はしっかりとひたぎの肉を斬った――傷跡からは、ただそれだけとは思えない程の血が、噴水のように溢れ出て、床と僕を濡らした。
ひたぎはよろめき――膝をついて、俯せに倒れ込んだ。血をどくどくと流しながら。
[012]
「ひ、ひたぎいいいっ!!」
「せ、戦場ヶ原先輩っ!!」
遅まきながら、漸くひたぎに駆け寄った僕たちはひたぎの名を呼んだ。だが、ひたぎはそれに答えない。
思わず最悪の事態を想定してしまった――慌ててひたぎの脈を確認する。
……脈はある。生きてはいる――だが気絶しているようだ。
「くっ、血が――血が止まらない――戦場ヶ原先輩!! 戦場ヶ原先輩!!」
神原がひたぎの傷口を押さえた。血は一向に止まる気配を見せず、溢れ続けている。
ひたぎの顔色がどんどん悪くなる――言ってしまえばただ掠っただけで、こんなにも血が噴き出るものなのか!? 或いは、毒刀『鍍』の特性――!?
「あ、阿良々木先輩!! 血が!! ど、どうすれば――」
「と、取り敢えず腕を縛れ!!」
「そんなこと分かっている!! だから、紐みたいなものを探してくれ!!」
「神原!! お前のその左手に巻かれた包帯は何のためにあるんだ!!」
「あっ!?」
慌てて神原は包帯を解く――普段の神原ならすぐにでも思いついただろうが、どうやら相当動転しているらしい。包帯が解けきると、その下からは猿のように毛深い悪魔の左手が顕となった。
たどたどしくひたぎの腕に包帯を巻いていく神原――神原が巻いていた包帯は長く、ひたぎの患部を何重にも巻くことになったが、巻いたそばから包帯が真っ赤に染まり、全て巻き終わっても血は滲み出てきていた。強く縛っても、少し勢いが衰えるだけだった――いや、衰えただけマシと言うべきか。
「ちっ」
「…………!!」
僕と神原は天井を見た――毒刀は再び糸によって巻き上げられ、織崎ちゃんの手元にある。
「惜しいですわね……もう少し横に逸れていれば、戦場ヶ原ひたぎの腕を貫けましたのに」
「お前……」
「あら、怖い。そんな怖いお顔で睨まないでくださいまし、御二方。私怖くて震え上がってしまいますわ。ふふふ」
織崎ちゃんは戯けたように嗤う。
落ち着け。キレるな。
冷静さを失うな――それが織崎ちゃんの狙いの筈。ここでキレようものなら、織崎ちゃんの二発目をモロに喰らう。場合によっては、ひたぎに更に追撃を加えてくる可能性さえ――!!
「……阿良々木先輩」
「……なんだ、神原」
さっきまでの慌て具合から一変、冷たく、冷淡に神原が言った。織崎ちゃんの煽りで、逆に冷静にさせられたのか。
「もう――あれに、何をしてもいいか」
「…………」
いや、冷静でもない。
寧ろ、行き着くところまで行き着いた末が今のテンションか――ここで僕がゴーサインを出してしまえば、間違いなく神原は暴走するだろう。神原が暴走すれば、何をするか分からない。
神原の左手に宿る悪魔――今は大人しいが、激情に呼応して何らかのアクションを起こしてしまうかもしれない。そこまでくれば本当にどうしようもなくなる。それこそ、臥煙さんに頼るしかなくなってしまう。今の腕は包帯という名の封印が解かれているのだ――どうなるか想像もつかない。
僕は織崎ちゃんを見た。ニヤニヤと嘲るような嗤いを浮かべている。
…………。
「どうしますの? どうしますの? ふふふ」
「……織崎記」
神原はあくまでも静かに言う。
「そうやって笑ってられるのも今の内だ――お前は、超えてはならない一線を超えた」
神原は左手を握りしめた――露出した、猿めいた悪魔の左手を。
「私は、お前を絶対に許さない。例えどんな理由があろうとも」
「……意気がりますわね。神原駿河。私と貴女が戦って――それで? まさか、私に勝つ事を前提としていますの?」
「そうだ」
「はっ! これはお笑いですわねえ。そんじょそこらの喜劇なんか比にもならない程笑えますわ」
とは言うが、織崎ちゃんの目は笑っていない。僕たちを憎々しげに睨み付けたままだ。
つまり、僕たちと同じ目ということである。
「阿良々木先輩――どうなんだ」
神原が再び僕に尋ねた。
僕は言った。
「……僕に理由を求めるな、神原。僕はお前の手綱を握っている訳でもないし、保護者でもない。それはお前が考えるべきことだ」
「…………」
「でも、今回だけは言ってやる」
僕は横目で倒れたひたぎを見た。
「――やるぞ、神原」
「――承知した」
言うや否や、神原は跳躍した。
当然、幾ら神原と雖も、たった一回の跳躍で天井に到達できる程の跳躍力を持っていない。脚力と跳躍力は別物であり、しかも助走なしの跳躍である。
神原が天井に到達し、織崎ちゃんに攻撃する為にはもう一段階ジャンプしなければならなかった。二段ジャンプである。
しかし神原も人の子、空気を踏むことなど絶対に不可能だ。二段ジャンプが特技とか言っていたような気がするが、実際に出来る筈がないのである。ならばどうするかと言えば、簡単な話。僕を踏み台にすればいい。
神原がジャンプすると共に僕もジャンプした。吸血鬼ブースト無しの跳躍力では神原の方が上な為、自然、神原が僕の上方に落ちてくる。そこで、土台となった僕を踏むのだ。
僕もジャンプした理由は、少しでも神原の高度を上げる為。地上で土台に徹するより空中で台となった方が、神原が僕を踏む高さは高くなるため、普通より更に高い跳躍が期待出来るわけだ。
僕を踏んだ神原は期待通り、天井にまで到達する程の跳躍を見せた。織崎ちゃんに向けて、左手を伸ばす。十分に織崎ちゃんに届く距離だ。
「……はあ」
神原の左手が、織崎ちゃんを捉えた――。
「……もう、手加減しませんわよ?」
――が、織崎ちゃんはその手を逆に掴み。
「虚刀流・桔梗」
神原と共に落下しながら、その腕を捻り上げた。
「っ――!! ぐあっ――!!」
「神原!?」
「虚刀流・矢車草」
そしてそのまま床と激突する直前に空中で車輪染みて一回転、神原を床に叩きつけた。織崎ちゃん自身は神原を踏み付け更に追撃を加えると共に踏み台代わりにして跳躍、そのまま体操選手めいた4回転を決め、空中に張り巡らされた糸の一本に着糸した。
とか、いや、そんな冷静に解説してる場合じゃねえんだが! か、神原!!
「神原!? だ、大丈夫か! 生きてるか!」
「くっ……なんとか、生きてるぞ……阿良々木先輩」
呻きながら神原が起き上がる。あれだけの攻撃を食らって立ち上がろうとするとは、こいつのガッツには本当に驚かされる。
だが、神原に任せてばかりはいられない。驚いてばかりいる訳にはいかないのである。
「虚刀流……って、どういうことだ。織崎ちゃん――君は一体、なんなんだ?」
僕は僕とて時間稼ぎに興じる――多分この場で僕と神原どっちが動けるのかと言えば、間違いなく神原だ。ならば僕は話術サイドとして、神原の体力がある程度回復するまで場を持たせなければならない。
虚刀流と言えばかの『刀語』において無刀の剣士・鑢七花が使用した武術の筈。それをどうして織崎ちゃんが?
「だから、言いましたでしょう? 私は全てを織り交ぜ鍛え上げた最強にして最後の刀……究極形変体刀・織刀『銘』――虚刀流を使えない訳が無いでしょうに」
肩を竦めて織崎ちゃんが言った。
……そうなのか?
いや、だからどうして使えない訳が無いのだろうか――虚刀流とその織刀とやらに、一体どんな関係があるんだ? 或いは、四季崎と何らかの関係が――?
「あら? 知りませんの? 虚刀『鑢』について」
「虚刀『鑢』?」
「ああ……そういえば、貴女あれを一巻しか読んでいなかったのですわよね? なるほど、それならば知れる筈がありませんわよね」
虚刀『鑢』――また新たにワードが出て来た。必死について行こうと考察する僕。語り部が置いてけぼりになるというのは、色々と由々しき事態だ。
「えっと、つまり……その名前から察するに、虚刀流という流派そのものがその、虚刀『鑢』なのだ――みたいなものか?」
「そうそう。鋭いですわね。いえまあ、刀の名前まで知らされれば、誰にだって辿り着ける答えではありますけれど」
正解だったらしい。
取り敢えず置いてけぼりにされずには済んだ訳だが――しかし、要は織崎ちゃんはその虚刀流を使うことが出来るということだ。その事実だけが、今の僕たちに必要な情報である。虚刀流のルーツとかそういうのは、後で調べればいい。話題を振っておいて何ではあるけれど……。
「そりゃあ体格の問題とかはありますし、原典よりは劣化していることは否めませんわ。しかし、それでも貴女がたを八つ裂きに出来る程度の心得はありましてよ」
と言い、織崎ちゃんは挑発的に指をポキポキと鳴らす。
「……その割には、私を一撃で殺しきれてないぞ? 手加減しないとか言っておいて、はっ、そんな程度か?」
神原が起き上がり、こちらも挑発的なことを言った。それを見て聞いて織崎ちゃんは鼻を鳴らす。
「減らず口を叩きますわね。ご自分の立場、お分かり? 地の利はこちらにあるし、身体能力的にも私の方が上――私が本気で殺そうとすれば、貴女がたなんて瞬さ」
「ならどうしてそれをしないんだ? 実際に行動に示さないと、単なるハッタリにしか思えないんだがな」
「死にたいと?」
「お前に出来るものなら、な」
「…………」
織崎ちゃんと舌戦を繰り広げる神原。もうなんだか僕はいらないような気がしてきたが、いらないどころか足手纏いのような気がするが、それは兎も角。
織崎ちゃんは押し黙り、僕たちを睨んだ。さらに強く。
「…………ちっ」
そして舌打ち。
「本当……貴女がたは本当……」
「阿良々木先輩! もう一回だ――」
「豪那ぁ!!」
神原が僕とのコンビネーションアタックを再び仕掛けようと促すと同時に、織崎ちゃんは叫んだ。
豪那――それはこの屋敷の名前であり、或いはこの怪異の名である。
その叫びによってこの怪異が反応したのか――一拍置いた後、屋敷全体がぐらぐらと揺れ始めた。床が、壁が、天井がみしみしと音を立てる。床に散らばっていた金色の山々は崩れ、あちらこちらへ忙しなく転がり、滑りだした。
「な、なんだこれは!? 阿良々木先輩! 何がどうなっている!」
「知るかよ! いや概ね予想は付いているが、どう説明すればいいのか分からん!」
「逃げた方がいいか!?」
「逃げた方がいい!!」
「よし!!」
どういう意図があって怪異を起動させたのかはさて置き、中に居て碌な事がないだろうことは流石に分かる。僕と神原はひたぎを回収し、屋敷の外へ出た。
なんて安穏に事が運ぶ訳がなく。
「っ!!」
ひたぎを担ぎ、さあ逃げるぞと意気込み扉の方を向くと、大量の障害物が邪魔しているではないか。大量の障害物とはつまり、崩れた財宝の海のことだ。無駄に多い!
「このぐちゃぐちゃ感、私の部屋を思い出すな!」
「そんな連想は本来あってはならない連想だ!」
この間整理してやったというのに、どうやらまた散らかり始めたらしい。いい加減自分でやれよと思いながらも今はそんな愚痴を言ってられる状況でないことは重々承知なので、ごちゃごちゃ言わず大量の障害物を押し退けて進む。
押し退ける、などと簡単に表現したが、実際はそんな甘いものではない。押し退けられないような巨大物体もあったし、抜き身の刀も障害物に紛れて存在していた。コピーアンドペーストしたように瓜二つの刀が大量に。
なので、結構な迂回を余儀なくされた――さらに蜘蛛の糸が張ってあったりするのでタチが悪い。揺れはどんどん強くなり、津波めいて呑まれそうになったりして、四苦八苦しながら脱出したのであった。その過程で僕たちの体力は矢張り削られ、外に出た頃には満身創痍だった。
「くそ、あの女……整理くらいちゃんとしとけと言いたい……!」
「多分織崎ちゃんもお前にだけは言われたくないだろうよ……」
織崎ちゃんに限らず、全人類が。
僕たちは振り返ってガタガタと震える屋敷を見た。周囲の地面は盛り上がり、所々亀裂が走っている。屋敷だけでなく、僕たちの足元にまで振動が伝わってきた。
僕たちが脱出を成し遂げてから僅か数秒後、屋敷の屋根から何かが飛び出し、空中に降り立った。織崎ちゃんだ。
「お前は、どういうつもりなのだ!! 何が目的なのだ!!? 私たちをどうしたいんだ!!」
地鳴りに打ち消されまいと大声で叫ぶ神原。それに対して織崎ちゃんも何か言ったようだが、地鳴りに打ち消されて何も聞こえなかった。
「くっ……あいつ、声が小さすぎるぞ!」
「お前がでかすぎるだけだ神原!」
「阿良々木先輩は背が小さいな!」
「別に今はボケを入れるような場面じゃねえよ! つーか背丈については言及すんな!」
「髪は馬鹿みたいに長いのにな!」
「ひたぎが喋れないからって毒舌成分を補わなくていい! そしてそれについても言及すんな!」
アニメ版花物語では視聴者の皆様から相当な罵詈雑言を浴びせられたこの髪型だが、僕は好きでこんな髪型にしている訳ではない。誰が好き好んでこんな心象最悪な髪にするものか。いやだからそれは置いておいて。
「っ! 阿良々木先輩! や、屋敷の下から何か出てくるぞ!? こんな馬鹿みたいな会話をしている場合ではないではないか!」
「そうだよ! 今シリアスパートなんだよ!!」
余りにも緊張感がない会話ではあるが、お互いに興奮しすぎてテンションがおかしいことになっているのだ。どうか許してほしい。
そして、そう。神原の言う通り、屋敷の下から亀裂を広げて何かが顔を覗かせ始めた。それは段々と姿を現していく――突き出た目、蟹のようなハサミに足――甲殻類めいた容貌の怪異がその姿を現した。
甲殻類の怪異・豪那――!
「な、何だこいつは!? こ、こんなのが!? こんな怪獣みたいなのが、か、怪異!?」
明らかに動揺した風な神原。無理もない。これ程巨大な怪異など今まで遭遇したことがないのだから。怪異どころか、そもそも普通の生物でさえ、こんな大きさのやつは中々居ない。
「……え!? ま、まさか! 阿良々木先輩! わ、わ、私はこいつと戦わなければならないのか!? 嫌だ!! 死んでも嫌だ!! というか死ぬから嫌だ!!」
「僕だって嫌だ!! だから逃げるんだよ神原!! 絶対勝てねえから!! これ絶対勝てねえから!!」
「分かった!! じゃあ戦場ヶ原先輩を私に渡せ!! さっさとこんな場所からはおさらばだ!!」
「待て神原!! その言葉から察するに、お前はこの阿良々木先輩を置いていくつもりなのか!?」
「どうせ殆ど不死身なのだから、せめて囮として一生を終えてくれ!!」
「矛盾してる!! 不死身なのに一生を終えるとか矛盾してる!! 僕が死ぬこと前提じゃねえか!! つーか、先輩をナチュラルに囮にすんじゃねえ、神原後輩!!」
「大丈夫だ!! 戦場ヶ原先輩は、ちゃんと私が面倒を見るから!! 彼氏の代わりとしてな!!」
「お前大勝利じゃねえか畜生!!!」
なんて事を言い合いながら逃げる僕たち。まさかこの行動についてとやかく言う輩は居まい。逃げるというのも立派な戦略だ。どう考えても百パーセント負ける相手に戦いを挑むのは、そんなもん愚か者を通り越してただの無謀な馬鹿のすることである。僕たち二人ともその無謀な馬鹿にカテゴライズされることが多い身ではあるが、流石に無理。これは無理。絶対無理。理屈抜きで無理。
轟音を背後に聞きながら逃げる馬鹿二人組。多分このシーンをアニメ化すると、これ本当に〈物語〉シリーズか? となること請け合いだろう。というかそもそも本編じゃなくて二次創さまあいい。
脇目も振らず走る僕たち。土煙がそんな僕たちを嘲笑うかのように我先と追い越していく。どれくらい距離を取れた? 振り向きたいが、振り向くと非情な現実を突きつけられそうなので、振り向きたくても振り向けない。
しかひこのままどこまでも逃げ続ける訳にもいかない訳で、必ずどこかで立ち止まらなくてはならない。そして何らかの方法であの圧倒的な重量の暴力に立ち向かわなければならないのだろう。なのでその対策を考えなければ、という方向に思考がシフトし始めたところで、目の前に"何か"が舞い降りた。
「ぐあっ……!!」
「!? どうした、阿良々木先輩!!」
「いや、何でもない……くっ!!」
どう見ても何でもありに見えるだろうが、まあ、何でもある。誤魔化しにもなってない。
この光景にはデジャヴを感じた――土煙の中舞い降りる着物の女。こいつとの初遭遇も、確かこんな感じだった。
「んっふふっふっふ」
そして、こんな気持ちの悪い笑い声を出すのだ――そう、僕たちの行く手を阻むように降り立ち塞がったのは、織崎記の従者・淡海静。怪異を作る怪異である。
けれど、ここで立ち止まるのはこいつの思う壺である。神原もそれに気付いたのか、
「阿良々木先輩! あれは、殴っていい相手か!?」
「ああ、殴っていいやつだ!」
「心得た!!」
と、左手を構えた。それを見た淡海静はにたりと笑う。
と同時に、再び何かが僕たちと淡海を遮るようにして降ってきた。今度は舞い降りるとか降り立つとかではなく、落ちるようにして降ってきた。そして、ゆらりと立ち上がる。
「っ!!」
「あ、あれは――!!?」
驚愕の声を上げる神原。そりゃあそうだ――何せ神原と同じく拳を構えたその人型存在は、雨合羽を着た猿だったのだから。
泣き虫の悪魔――レイニー・デヴィルの完全版である!
「ぐうぅ――おらああぁぁぁぁぁっ!!!」
一瞬怯みながらも、そんな己を鼓舞するようなシャウトを発して神原は悪魔に殴りかかる。悪魔は右手で殴り、拳と拳がぶつかった。
悪魔と左手と悪魔の右手――互いに利き手であり(完全版の方に利き手という概念があるのかは不明だが)、その破壊力自体にはそこまでの差はないだろう。だが、一部が悪魔なのか、或いは全身が悪魔なのかで、その均衡は大きく左右される。
「っっあぁぁっ!!」
この場合、神原は左手だけが強靭な悪魔で、その他の部分は華奢な――とは言い難いが――女子高生の肉体である。反して完全版はその名の通り全身が強靭な悪魔で出来ている。このアドバンテージは凄まじいのだろう、神原の体はぶつかった拳ごと後方に跳ね返された。
「神原っ!!!」
流石に立ち止まらざるをえない。僕は踵を返して神原の元へ駆け寄ろうとするも――。
「く、来るな! 阿良々木先輩!!」
「っ!!」
そう、こいつはこういう奴なのだ。己を顧みないような戦い方をして、その自己犠牲をよしとするような奴なのだ。蛇の時も、或いは鎧武者の時も、その性格はフルに発揮された。
「私に構うな!! そのまま走って逃げろ!!」
「だが神原――」
「私と戦場ヶ原先輩の命、どっちが大事なのだ!! それくらいの優先事項を間違えるな!!」
「っ!!」
まるで自分の命が軽いような言い方をしてくれる。僕にとっては両方が重いというのに――僕みたいなことを、不死身でもないのに言ってくれる。
ひたぎは未だ気絶している。
どちらかを選択する――どちらも選択するのが今風のヒーローなのだろうが、生憎僕はそんなに強くないのである。
ならば、選択の余地はない。
「――――悪い、神原!!」
神原を信じて――そうするしか――!!
「やるじゃないか。ちょっとは判断力がついたね、鬼いちゃん」
「え!?」
「あら?」
――と、僕がらしくもなく、恐らく正しいのであろう選択をしかけるギリギリの所で、淡海の背後にあたる場所からそんな機械音声のような平坦な声がした。
「頭下げて」
「っ!!」
端的な命令に迷わず従う僕。ひたぎを庇うようにしてしゃがんだ。
「
と同時に頭上を、思わず仰け反りそうな風圧が通り過ぎた。土煙が一気に晴れる。
僕は恐る恐る顔を上げた――目の前にあったのは悪魔の残骸と着物の切れ端、そして。
「やあ、鬼いちゃん。待ちくたびれたかい? 僕だよーん」
なんて戯けて人差し指を突き出したポーズをとっているのは何を隠そう、死体人形・斧乃木余接なのであった。
「斧乃木ちゃん――な、なんでここに」
「説明は全て後回しだ。僕としてもじっとしちゃいられないからね」
「え?」
「さっさと掴まれって事だよ、鬼いちゃん」
「あ、はい」
言われるがままに僕は斧乃木ちゃんの腰に抱きついた。さっきから言われるがままではあるが、しかし童女の言いなりになるというのは誰しも大人になれば云々。
ひたぎをお姫様だっこした斧乃木ちゃんはぼくを引き摺って神原の元へ――こいつ、順序間違えやがったな。
「君は、一体――」
「説明してる暇はないよ、神原駿河。鬼いちゃんみたいに掴まるか、或いはそのまま死ぬか、好きな方を選んで」
「童女に掴まれだと!? 掴んでいいのか!?」
「どうでもいい変態発言は聞き流してやるからさっさとしろ」
「了解だっ!!」
神原は勢いよく斧乃木ちゃんの腰に抱きついた。喜びすぎだろお前。気持ちは分からなくもないが――。
「しっかり掴まってて。途中で振り落とされても、僕は知らん振りしてるから」
と脅すようなことを言ってから、
「
斧乃木ちゃんは跳躍した。僕や神原なんか及びも付かないような高度へと、猛スピードで。
■ 以下、豫告 ■
「駿河だぞ!」
「ひたぎだよー」
「「二人合わせてヴァルハラコンビ」!!」
「なんちゃって、ファイヤーシスターズをパロってみた訳だけれど、あの二人こんな冗談みたいに恥ずかしい名乗りを毎回毎回やっているのね。尊敬するわ」
「尊敬すると言いながら何気にあの二人をディスってるな、戦場ヶ原先輩」
「火憐さんも月火さんも正義っ子ちゃんたちだし、こういう名乗りっていうのは戦隊ものでよくあるあの無駄に長い名乗りみたいなものとして楽しんでやっているのかしら」
「無駄に長いなあ。確かにあれはどう考えても尺を圧迫しそうなものだと思うぞ」
「あれの所為でストーリーが駆け足気味になったりすることもあるでしょうし、果たしてあの名乗りにメリットがあるのかしら」
「敵にとってはメリット……という訳ではないよな。名乗っている間は攻撃の手を止めなければならない訳で」
「でも、近頃の敵キャラって、そういうお約束みたいなものを無視するタイプが多くなったわよね。名乗り中に攻撃するとか、変身中に攻撃するとか」
「そう考えると本当に律儀だよなあ、敵キャラの皆さん! 普通そういう隙こそ狙って攻撃すべきなのに、攻撃したらしたで、お約束を無視したとか言われる訳だし」
「何なんでしょうね、この悪役なのに雁字搦めに縛られた感じは」
「予告編クイズ!」
「クイズ」
「この神原駿河が、魅力を感じる縛られ方はなーんだ!?」
「とても日曜日の朝に放送出来ないようなクイズね」
「「次回、裔物語 しるしスパイダー 其ノ肆」!!」
「正解は……脇晒背面太腿梯子縛りに決まっておろうが!!」
「正解した方へのプレゼントなんて無いわよ」