〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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 プレシーズン中盤戦、開始。


■ 以下、注意事項 ■

・約壹萬捌仟字。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレ有リ。
・他、何カ有レバ書キマス。

■ 開幕 ■


裔物語
第肆話 しるしスパイダー 其ノ壹


[001]

 

 

 織崎記と僕たちの戦いは、この物語をもって一旦区切りを迎える。とは言え、ここまではまだ前哨戦に過ぎず、彼女にとってはまだ戦いは始まってさえいなかったのかもしれないけれど、兎に角、一区切りだ。

 

 春休みの戦争。

 僕はこの戦いを、始めにそう呼称した――鎧を轢き、蛤に惑わされ、刀と決闘し、振り回されたこの一週間、怪異現象に遭いに遭い、首を何度も突っ込んだこの一週間。その区切りが、今回の戦いである。

 首を突っ込んだとは言うものの、正直なところを言えば、僕は非常に辟易している。あの地獄の春休みからこっち、なんと約一年間怪異現象に遭いっぱなしなのだ。その大半が自業自得なのだけれども、しかし今回に関しては完全に巻き込まれたに等しいのだ。こうなる切っ掛けを作ってしまったのは僕にせよ、まさかその所為で命を狙われるなんて、誰が予想出来たことだろう。

 そりゃあうんざりもする――し、もうどこか諦めに似た感情さえ覚える。

 怪異に遭えば怪異に惹かれる――なんて言われたものだけれど、幾ら何でも惹かれすぎではないだろうか。或いは、惹きすぎではないだろうか。吸血鬼には魅了のスキルがあると聞くが、こんなところでそんなもん、発動するなって話だ。しかし、そもそもの始まりが、僕が美しき金髪近眼の吸血鬼に魅了されたことだというのだから、怪異に惹かれたのが原因だというのだから、因果応報とも言える結果だろう。

 

 とは言え。

 にしても。

 

 嫌気が差すのは否定出来ない――どうして織崎は、僕を狙うのだろうか。

 彼女の目的は、一体何なのだろうか――それがある程度明かされるのが今回の物語な訳だが、しかしそれでもきちんと理解出来たとは正直言い難い。それは僕の理解力のなさに所以するものなのかもしれないけれど――しかし。

 だとしても。

 僕は彼女を、理解しようとは思わない。否、理解し得ないのだろう。僕と彼女は、絶対に分かり合えない。

 精々分かったのは、それくらいだ――ならば今回の戦いに何の意味があったのか、と問いたくなる。尊い犠牲を払ってまで、僕が彼女と戦う意味が、果たして本当にあったのだろうか?

 

 僕は。

 これも最初に述べた通り――この一連の事件を、語りたくはないのだ。特にこの物語はバッドエンドであり、一片の救いもない。

 だが。

 それでも、語らなければならない――彼女の為にも、彼女の勇姿を、僕は語る義務がある。

 

 あいつが生きた歴史を、一つでも多く遺すためにも。

 

 

 

[002]

 

 

 それは、3月31日の事だった。3月31日と言えば、世間一般の方々にとって、ある程度特別な意味を持つ日であることだろう。

 年度の終わり。

 いや、年度と乱暴に一括りにしたけれど、実際にはもう少し正確な名前が存在する。今僕が言った年度とは、会計年度、或いは学校年度と呼ばれるもののことである。

 4月1日から3月31日までの、一年間――恐らくこの日本という国において、最も一般的な年度であるそれだろう。そして、3月31日と言えば、年度末。これもまた一般的な認識であることには恐らく疑いの余地もない。

 

 が。

 残念ながら僕が3月31日と聞いて思い浮かべるのは、思い浮かんできてしまうのは、あの地獄のような春休みのことなのであった――血も凍るほど美しい吸血鬼と遭った、あの期間。

 いや、別に3月31日に限らない。あの辺り周辺になると、自然と思い出してしまうのだ。想起してしまうのだ。

 

 夢に見るほど――悪夢に見るほどに。

 

 ならばその日、つまりは、かの春休みから約1年が経過した3月31日も例外ではなく、僕はあの地獄を脳裏で延々と走馬灯のように繰り返しながら、町の大型書店へと向かっていたのであった。

 直江津町唯一の大型書店と言っても過言ではないこの場所は、僕が贔屓にしている書店である。大型書店だけあって、田舎町と言えども侮るなかれ、品揃えは粒揃いだ。学術書からBL本まで、色々売っている。

 件の春休みも、ここに来たものだ――あの時は、なんだろう、受験生らしく参考書でも買いに来たのだろうか。きっとそうだ。

 

「いえいえ、違うでしょう。性的浮世絵本を買っていらっしゃったのでしょう?」

「エロ本を情緒溢れる風に訳すな!」

 

 さて、そんな訳で、どうして僕が今回この書店へとやってきたのかと言えば、それはこの、古風な同行者が原因であった。

 

 ちょっと前の話。

 

 いつものように八九寺や日和ちゃんと遊ぶため、僕は北白蛇神社へと向かった。ぶっちゃけ、家に居ても特にこれといってやることもないし、今現在の僕はとある事情で金欠なのでこれくらいしかやることがないのだ。

 

 それに、つい先日起こったあの事件――あれの解決のキーとなったのは日和ちゃんだったので、僕が出張るようなことではないかもしれないけれど、しかし僕としては心配で心配でならないのである。

 あの事件が解決してからというもの、北白蛇神社は目に見えて綺麗になった。それには日和ちゃんの尽力が関係してもいるのだろうが、一番は八九寺を虐めていた神が撤退したからという理由からだろう。こちらへ降臨する手段はもう通じないと判断したのか、あれからめっきり、落ち葉の山が精製されることはなくなった。

 とは言え、僕としては気を緩めることができない――心配性と言われてしまうかもしれないけれど、正直なところ、あれがもう二度と北白蛇神社に降り立たないとはとても思えないのである。いつかまた再び、今度は完全に降り立ってしまうかもしれない。僕はそれを警戒している。危惧している。

 

 ので、僕はこうして北白蛇神社に足繁く通っている訳だ――別に八九寺と日和ちゃんに会いたいとかそういう訳ではないので留意して欲し……あっ、遊ぶためとかもう最初に書いてる……。

 くそっ。

 

「ご安心ください。態々そんな事で悔しがらずとも、読者の皆様はしっかりと分かっていますよ。貴女は幼女と遊ぶことを生きがいとする男であると」

 

 そんな訳で、北白蛇神社へとやって来た訳である。

 境内に居たのは八九寺と日和ちゃん。いきなり誤解を招くような発言を仕出かしてくれた八九寺だけれど、当然、賢明なる読者の皆様はこれが百パーセント八九寺の冗談であると理解しておられる筈なので、別に僕は気にしていない。

 

「いえいえ阿良々木さん。寧ろ賢明なる読者の皆様だからこそですよ。特にアニメを視聴なさった皆様であれば、貴女の先程のモノローグがどれだけ欺瞞に溢れているかよくお分かりの筈です」

「言い掛かりをつけるな八九寺。僕は清廉潔白だ。欺瞞などない」

「『阿良々木暦という男は、恩人でも恋人でもなく時に幼女を優先する男だと』」

「ああ、言ってたなそんなこと!」

 

 しかもそれアニメで放送されたのって比較的最近じゃねえか! 記憶に新しすぎるわ!

 

「残念でしたね阿良々木さん! 今更イメージアップを狙おうとしても、もう既に貴方はロリコンキャラとして全読者に認識されているのです!」

「何だと!?」

「いや今更驚くことですか!? 逆に!」

 

 なんということだ。あれだけ前回『僕はロリコンじゃない』と連呼したというのに、まだそんな認識が残っているというのか。そんなイメージが付くようなこと、僕、何かしたか?

 

「主にセクハラでしょうね。私への」

「おいおい八九寺。そのセクハラというのは言われ慣れているからスルーするとしても、そうさ、僕があんな行為をするのは君にだけじゃあないか。それでロリコンなんて言われるのは心外だ」

「ほう。では忍さんや斧乃木さん、日和さんにはそのような行為を行わないと」

「当たり前だ」

 

 僕は胸を張った――胸を張っていうほどのことでもなさそうな気がするけれど。

 

「僕はお前一筋だ」

「問題発言過ぎませんかねそれ」

 

 まあ、ひたぎに聞かれたら軽く半殺しにされそうな台詞ではあるが――しかし当たり前のことだが、この場にひたぎは居ない。なのでこの発言を咎める者は誰も居ないのである。

 

「ほう。では阿良々木お兄ちゃんは戦場ヶ原ではなく八九寺お姉ちゃんをとると。めでたきことです。あたいは褒めますよ。ええ」

「え、日和ちゃん、急にどうしたの?」

 

 刀ではなく箒を持った日和ちゃんが言う。この間購入した巫女のような白い着物を着ている。

 

「だってあたいは八九寺お姉ちゃんの心者第弐号ですから。八九寺お姉ちゃんの妨げとなる方はおしなべて等しくあたいの敵ですから」

「マジかよ」

 

 うーむ。まさか日和ちゃんにこんなキャラ属性があったとは……この間戦場ヶ原について教えたのが仇となってしまったか。

 

「でもまあ、日和ちゃん。そうは言ってもひたぎは冗談抜きで僕の彼女だからさ、せめて呼び捨てはやめてくれないか?」

「……じゃあガハラで」

「普通に戦場ヶ原お姉ちゃんとかじゃ駄目なのか!?」

「なりません。会ったこともないような方をお姉ちゃんと呼ぶほど、あたいは気安い女ではありませんので」

「厳しいなおい!」

 

 八九寺に対する忠誠心が尋常でない日和ちゃんであった――当の八九寺は気が気でないようだが。そりゃあそうだ、八九寺はひたぎが苦手なのだから。

 ひたぎの方も、そういえば子どもが嫌いなのだったか――だとすれば、日和ちゃんとひたぎだけは絶対に合わせちゃ駄目だな。

 合わせちゃならん。

 

 と、そんな具合に僕は二人と雑談を交わしていたのであった。これが良い具合に時間潰しになってくれるのである。僕にとっては楽しいし時間潰しになるし、もうデメリットが見つからない最高のひと時なのである。

 え? 向こうにとってのデメリット? 知らん。きっと二人だって僕と同じ気持ちの筈さ。そう願ってる。違ったら泣く。

 

「ときに阿良々木お兄ちゃん」

 

 日和ちゃんが言う。

 

「なんだよ」

「書店、とやらは、いったいどのようなところなのでしょう?」

「…………」 

 

 まあ、そんな訳で。

 僕と日和ちゃんは、この町唯一と言ってもいいこの大型書店へとやって来たのである。

 

 時系列は現在へ。

 

 僕と日和ちゃんは、書店見学を実施した。僕としては特に欲しい本があったという訳ではなかったのだけれど、しかしこうして日和ちゃんに頼まれてしまえば断ることは出来ない。小さい子には優しい男、それが僕のキャッチコピーなのだから。

 

「稚児性愛ですか」

「普通にロリコンと言え!」

 

 つーかだから、ロリコンじゃねえ!!

 何故伝わらないのだろうか。僕はロリコンではなく、フェミニストなのだ。性犯罪者と一緒にしないで頂きたい。

 

「いえいえ阿良々木お兄ちゃん。あたい位の児を愛でるということは、あたいにとってはそれ程変わったことではないのですよ」

「ん? あ、そうか。日和ちゃんって、一応江戸時代出身なのか」

「正しくは、戦国時代ですけれども」

 

 そう言いながら日和ちゃんが興味を示したのは、歴史関連の列。戦国時代出身故か、やはり自分の居た時代についてどう書かれているのか興味があるのだろうか。

 

「あたいはずっと不要湖をお護りしていましたから、その頃の世の中を、あまりよく知らないのです」

「ふうん……じゃあ何でその時代がロリコンに寛容って知ってるんだよ」

「その言い方には誤りがあるような気がしますけれども……いえ、まあ、元ご主人様が、まあ、ええ、はい」

「随分濁すな……」

 

 まあ、気持ちは分からなくもない。この文脈で濁すということは、つまりそういうことなのだろう。自分の作者がロリコンであったなどとは、流石に言い辛いのだろう。

 

「……念の為に釈しておきますけれども、我がご主人様が愛したのは、元ご主人様とはそこそこに歳の離れた娘というだけで、阿良々木お兄ちゃんの考えているような稚児とは違いますよ」

「何だ、そうなのか」

 

 その程度のことならわざわざ濁さなくても良かったのではないか、と思うが。

 

「あたいは性質(たち)が変わってこうして稚児となっているだけであって、真の姿はもう少しお姉さんお姉さんしているのですからね」

「…………」

 

 ……してたっけ?

 日和ちゃんの言う真の姿というのは、恐らく"微刀『釵』"としての姿のことなのだろうけれど――確かにあの時日和ちゃんの背丈は伸びていたし、今のようなロリっぽさは無かったけれど、しかしお姉さんお姉さんしていたかと言えば……。

 まあ、機械だから解りにくかったのかもしれない。もしかしたらあの時僕がちゃんと見ていなかっただけで、胸はそれなりにあったかもしれない。恐らく可能性は低いだろうが。

 

「でも日和ちゃん。僕は今の君の姿の方が、可愛らしくて大好きだぜ」

「そのような言葉、今の世では罪扱いなのでしょうかね」

「まあ、気の知れた相手になら大丈夫だろ。多分」

 

 今や幼女に接触すること自体が事案となってしまう時代である。声を掛けるなど以ての外、故に道案内する事さえも命懸けとなっているのだ。正直、僕としてはそういう姿勢は過剰であると思うし、あまり快く思っていないのだが。

 まあどちらにせよ、突然出会った幼女に『大好きだぜ』なんて言うことは、今も昔も事案となることには変わりあるまい。こればっかりは時代とかそういうのは、一切関係ないだろう。いや、幼女に限らずとも。

 

 日和ちゃんは棚に収納された本を片っ端から漁っている。どれもこれも、僕が読んだこともないような本である。それを速読している。

 いや、速読というのはまだ控えめな表現であろう――最早それは読んでいるとはとても言えないようなスピードであった。例えるなら、完成したパラパラ漫画を見る時のページめくりのスピード。

 

「ひ、日和ちゃん? それ、本当に読めてるのか?」

「読めてます」

「そんな急いで読まなくてもいいんじゃないか? なんなら、1冊くらいは買ってやれるぜ」

 

 金銭的に厳しいけれども。

 

「お気遣いなく。ここで全て読み切りますので、阿良々木お兄ちゃんにはめいわくを掛けさせません」

「そうか? ならいいけど……」

 

 まあ僕にとっては良いというだけで、本屋さんからしてみればたまったものではないだろうが――幸いこの大型書店は特定の本は立ち読みが許されているので、そこまで咎められることはないだろうけれど。

 

「…………」

 

 日和ちゃんは一心不乱に本を手に取っては素早くめくり、すぐに棚に戻し、そしてまた本を手に取る――それを繰り返す。

 別にそうしなければ読解できないという訳ではないのだろうし、もう少し落ち着いて読めばいいのではないかと思うが……意図を聞きたいところではあるが、今の日和ちゃんを邪魔するのは何だか憚られる。肩に触っただけで切り刻まれそうな雰囲気さえ感じる。勿論、刀は持っていない訳だけれども。

 

「…………」

 

 かと言って何もしないというのは暇である。僕も日和ちゃんの棚の向かいにある棚から本を一冊取り出した。

 

「……これは」

 

 僕はその本を手に取り、タイトルを確認した瞬間、思わず声を漏らしてしまった――勿論、それは偶然であり、別に狙ったという訳ではない。本当に偶々なのだ。

 

 ――『完成形変体刀蒐集報告書 刀語 其ノ壹』。作者『江戸幕府直轄預奉所戦所総監督 奇策士とがめ』。

 

 これは、である。

 思わず周りを見回してしまった――だが、近くにいるのは相変わらず秒速読に興じている日和ちゃんだけで、金髪少女やら黒髪の女やらは確認出来ない。

 というか、焦ってしまったけれど、ここは歴史関連のコーナー。これがあっても、別に不思議なことではない――まさかこれを引き当ててしまうとは思わなかったけれど。

 

 四季崎記紀が作りし十二本の完成形変体刀――それらのモデルが江戸時代に存在し、そしてこの『奇策士とがめ』がそれらを蒐集したということは、既に羽川から断片的に教えてもらっていた。ならば羽川はどのようにしてそれを知ったのかという話になる。羽川にその知識を与えた"何か"はある筈だと思っていた。

 何でもは知らない、知ってることだけ。

 成る程、こうしてこの書店にあったのであれば納得である――この町にはこの大型書店とは別に図書館があるけれど、もしかしたらそこにも同じものがあったのかもしれない。売られているということはつまり、量産されているということ。

 とは言え……こんな簡単に見つかるとは。

 

 僕はもう一度タイトルを確認した――"其ノ壹"だって?

 じゃあ其ノ貮や參は――あった。

 其ノ壹が収められていた場所のすぐ隣に、十冊収められていた。貮、參、肆、伍、陸、漆、捌、玖、拾、拾壹が。

 

「……ん?」

 

 と、僕は首を傾げる――これら一冊一冊が変体刀一本一本に対応していると仮定すれば、其ノ拾貮がある筈なのだが。

 ……そう言えば、羽川ペディアによれば、師走に起きた出来事は歴史の闇に葬り去られているとか――一冊一冊が月毎に対応しているとも仮定すれば、其ノ拾貮はもともと存在しないのか?

 どうして?

 

 それが――"何か"?

 

 同じく羽川ペディアによれば、師走に"何か"があったという――何なのだろう?

 僕は一巻をぱらぱらと読んでみた。内容は現代語に訳されており、読めないのではないかと内心抱いていた心配は解消された。

 

 どうやらこれは、作者を投影したキャラクターとその懐刀『鑢七花』の旅物語らしい。この一巻は『とがめ』と『鑢七花』の出会いと、"絶刀『鉋』"の蒐集劇が書かれていた。

 成る程、架空の刀鍛冶か――完成形変体刀というのは、この物語を基にして作成されたものよようだ。

 多分これは、源氏物語とか、そういう類の物語だろう。実際の歴史ではなく、それこそ織崎ちゃんの言う所の"偽りの歴史"というやつだ。

 

 僕は一巻を棚に戻した。そして、残りの巻も読むことにした。

 まあ普通に物語として面白いというのもあったけれど、しかし大きかったのは、あの『変体刀』がこの『刀語』を参考にして作られたものであるということがほぼ確定したからだ――"絶刀『鉋』"。

 折れず曲がらぬ絶対の刀と呼ばれるそれは、確かに僕は知っている。というか、実際に戦った。日和ちゃんと対戦した際、彼女がもう一つの変体刀と共に使用したからだ。

 そしてそれは今、北白蛇神社に安置されている。

 

「…………」

 

 変体刀は十二本。この巻数だと一本の正体は掴めないが、しかし残りの十一本を知ることが出来る。知ることが出来るなら、対処法だってある筈だ。

 僕は二巻目を手に取ろうとした。

 

 取ろうとした。

 したのだが。

 

「っ――――!!」

 

 やってしまった――思わずそれを、目に入れてしまった。いや、"それ"ではなくて、"そいつ"なのだが。

 手が止まる。

 

 何でお前がここにいるんだ? いや、理由は山ほど思い付くのだけれど、どうしてこのタイミングで出てくるんだよお前!

 僕は日和ちゃんを振り向いた――そして"そいつ"を見た。

 文庫本を手にした"そいつ"――つまりは、僕の可愛い後輩であるところの、神原駿河がこちらへ向かってくるのを。

 

 

 

[003]

 

 

 僕は戦慄した――戦慄したということはつまり、慄いたということだ。恐怖を覚えたということだ。いや、最早それは恐怖どころではなく畏怖だったかもしれない。戦いに慄くと書いて戦慄だけれども、戦う前にもう慄いている時点で勝負は決したと言えるのかもしれなかった。 

 自分でも何を言っているのだとツッコみたい――訳のわからないことを言っているのは重々承知だけれども、それはつまり、それ程までに僕が焦っているということ。桁違いの焦燥の表れなのである。

 いやもう……なんでお前が!?

 

 一応、必要ないと思うけれど、神原駿河についての注釈を挿れておくとしよう。

 

 神原駿河。

 

 直江津高校二年生であり、今年の春から三年生に進級する、僕やひたぎ、羽川の後輩である。

 神原駿河と言えば、我が母校で知らない奴は殆ど居ないであろう大スターだ。弱小バスケットボールをたった一年で全国大会にまで導いた怪物である。いや、学校内どころか、その噂は校外にまで轟いている。もしかしたら町の外にまで轟いているかもしれない。

 

 そんな大スターと僕が知り合いなのは、当然、怪異絡みである。彼女の左手には色々あって悪魔が宿っている。読者諸兄もよくご存知であろうあの悪魔――泣き虫の悪魔、レイニー・デヴィルである。

 その悪魔関係で紆余曲折あり、僕と彼女は知り合いな訳なのだが――まあここまで聞けば常識人であると勘違いされる方が居るかもしれないけれど、しかしそれは多大なる間違いだ。いや、もしかしたら本当に常識人かも知れないけれど、しかしそんな素振りは全く僕に見せてこない。

 

 奴の本性をたった一言ズバリで言い表すならば、変態、その一言に尽きる。

 フロイトの後継者を自認し、この物語でエロ担当と言えば神原、神原と言えばエロ担当という方程式が生じているほど、エロい。

 レズでBL好きな腐女子でネコで受けでロリコンでマゾで露出狂で欲求不満とかいう、そっち方面でも怪物みたいな女なのだ。

 

 さて、以上、神原の説明を終えたところで、そこで日和ちゃんである。

 奴は先ほど述べた通り、変態である――もしも彼女が今、日和ちゃんを発見してしまえば、どうなる?

 考えるだに恐ろしい……!

 

 奴を日和ちゃんに近づけさせる訳にはいかない。フル装備の日和ちゃんならまだしも、今の彼女は一切の装備なし、丸腰の児女なのだ。自衛などとても出来まい。

 幸い、今の神原は日和ちゃんに気付いていないようだが、しかしそれも時間の問題だろう。同じ空間にロリが居るという事実を、もしかしたら第六感か何かで感じ取っているかもしれない。あいつならそれくらいしかねない。僕でも出来るほどなのだから。

 奴を妨害しなければ――僕は日和ちゃんを振り向いた。

 

「…………」

 

 やはり一心不乱に秒速読中。これなら、この場から離れることもあるまい。

 

「日和ちゃん、ちょっと僕、向こう見てくるよ。ここで大人しくしてろよ」

「はい。承りました」

 

 とは言え一応断っておく――無断退場は流石にマナー違反だ。というか、ある意味僕は日和ちゃんのお目付け役、お守りなのだから当然のことだし、そもそも退場するなという話だが。

 しかし、これも日和ちゃんを守るため。お守りというなら、これこそ当然のことである。降りかかる可能性のある火の粉は防がねば――未然に防げるのであれば、尚のこと。

 

 僕は通路に出た。

 その瞬間。

 

「おお! 阿良々木先輩! 奇遇だな!!」

 

 僕が出現し、そして視認した瞬間――神原は僕に向かってそう言い、全力疾走してきた。

 

 読者諸兄にはもう一つ言わねばならないことがある――神原の足の速さについて、まだ語っていなかったか。

 いや、足の速さというか、脚力というべきか――こいつ、べらぼうに運動神経がよく、バスケットボールのエース如きに収まらないレベルのものを持っている。

 こいつが本気を出せば、体育館の床が抜けたり分身したり、空中で二段ジャンプが出来るとかいう噂さえある――そんな噂が立つほどの足の速さを保有している。

 

 さて、そこで現在の状況である。そんな残像が発生する程のスピードで、僕に走り寄ってくる――この恐怖が、お分かりだろうか。

 もう感覚的には、自動車が全速力で向かって来ているかのような感覚である。実際に自動車に撥ねられたことがあるけれど、正直恐怖はあの時の比ではない。

 況してや、かつてこのスピードでタックルされたり飛び膝蹴りされたりした身である――恐ろしい。

 

「ぎゃあああぁぁぁぁ!! 神原!! ストップ!! ストップ!!」

 

 なので、こんな情けない叫び声を上げてしまったことも致し方ないのである。

 まだマシなのは、こいつはちゃんとブレーキが効くということだ――僕にぶつかるか否やのギリギリで、神原は停止した。その背後には土煙が舞っている――なんで屋内で土煙が舞うんだよ……。

 

「おいおいどうした阿良々木先輩。貴方らしくもない。あんな叫び声を上げるなんて」

「僕は大概あんな叫び声を上げっぱなしなんだがな、神原」

 

 情けないことだが。

 だって、そんなピンチ多すぎだもん。仕方ないじゃないか。

 

「つーか、僕を見つけるや否や全力疾走するな。お前に全力疾走で向かってこられたら、僕は遥か彼方の壁まで吹き飛んでしまう」

「これはこれは。全く私も買いかぶられたものだな! 私如きの全力疾走なんて、阿良々木先輩にとってはロリっ子のタックル程度にしかすぎないだろう?」

「それ結構な大ダメージだよ!」

 

 精神的に大ダメージだ。お前のは物理的にだが。

 

「つーか神原。お前なんでここに居るんだよ」

「またまたあ。阿良々木先輩程のお方がこの私の行動理由を見抜いておられない筈がないだろう。どうした、答え合わせがしたいのか? ならば素直にそう言えばよかろう」

「お前は僕を買いかぶりすぎなんだよ神原後輩。皆目見当つかねーよ、お前みたいな不思議キャラの行動原理なんて」

「私が不思議キャラとは! 私程単純な奴もおるまい。私は変態だ」

「それは分かってる。この世の誰もが分かってる。分からないのは公衆の場で堂々と変態宣言をするその頭の中だ!」

「女子は皆変態なのだぞ? ならばこうして宣言することは、つまり、自分が女子であるということの証明なのだよ阿良々木先輩」

「お前の変態的な思い込みに全国の女子を巻き込むな、迷惑だ!」

 

 つーか、全女子がお前みたいなレベルで変態だったら、それはこの国の終わりだ!

 

「しかし阿良々木先輩も変態だろう? 何を責めることがある」

「おい待て、今の流れでそれを言うと、まるで僕が女子にカウントされているかのようなのだけれど。誤解を招くタイミングで誤解を招く発言をするな」

「え? 違うのか? てっきり阿良々木先輩は女子の持つ形態の一種だと思っていたのだが……」

「女子の持つ形態ってなんだ! 女子は女子だし、男子は男子だ! 変形も変態もしねえよ!」

「しかし変態であることは認めるだろう?」

「変態という名の紳士と呼べよ」

 

 ここで反論出来ない男子なのである。しかしここで反論出来る男子が、果たしてこの世にそもそも存在するのだろうか? つーか、ここで自信を持って反論出来ると宣言出来る奴以外には僕を責める権利はないぞ。

 

「男子は全員変態なんだよ。覚えとけ神原後輩」

「貴方の思い込みに全国の男子を巻き込むな! 迷惑だ!!」

「逆ギレされた!?」

 

 しかも僕の台詞を改変した上で、更に強めの語調で!

 人の台詞をパクるとは、許せん奴である――あんまり僕も人のことを言えたものではないような気がするのは、気の所為か?

 

「いや違う……何で僕は本屋で後輩と変態トークに花を咲かせようとしているんだ」

「花? 花だと!? 流石阿良々木先輩! この流れで更に自分が変態であることをアピールするとは、次元が違うなあ!」

「次元が違うのはお前の方だ神原! 花と聞いてどうしてそういう方向に思考が向く! 何を考えた!」

「いや、花と言えば阿良々木先輩、処女の暗喩だろう」

「文脈的に考えてそんな暗喩は含んでいないことくらい分かってくれ頼むから!」

「頼むから!? くっ、そ、そうは言ってもだな阿良々木先輩、私にも心の準備という奴がだな」

「分かったよ! 変態度ではお前の完全勝利だよ! だからもうそっち方面の思考から離れてくれ!」

 

 くそっ、全国の女子がこんなレベルなのか!? だとすれば、マジで地球終わってんぞ!

 

「ところで阿良々木先輩。貴方はどうして書店などに居られるのだ?」

「それはこっちの台詞だ神原。お前なんでここに居るんだよ」

 

 つーか、それを最初に聞いた筈だ。どうしてこの台詞からあんな方向にまで逸れたんだ。逸れたというか、拗れたというか、拗らせているというか。

 

「ふっ、阿良々木先輩。先ほどの会話で、私はしっかりと答えを示した筈なのだがな。それさえも解読出来ないとは、阿良々木先輩らしくないぞ」

「悪いが阿良々木先輩は暗号を解くのが苦手なんだよ。つーか、さっきのどこに答えがあった」

 

 ただひたすらに変態トークしかしていなかったような気がするのだが。

 

「そう、だから、言ったろう? 私は変態だ、と」

「……まあ、言ったな」

「つまり、私はBL本の新刊を買いに来たということだ」

「分かるかそんなもん!!」

 

 まあそんな所だろうとは思っていたけれども! 思ってはいたけれども!

 

「全く。私は早くこの本をレジに持って行きたいというのに、阿良々木先輩が唐突に現れたので、こうして時間をとってやっているのだぞ? 謝られることはあれど、怒鳴られる謂れはない」

「謂れしかねえよ!」

 

 相変わらず先輩に敬意の欠片もねえ後輩だな! 扇ちゃんでももうちょっと敬意を払ってるような気がするわ!

 

「え? つーか、お前もうすぐに帰るつもりだったの?」

「当たり前だろう。BL本より優先することなんて、私には皆無だ」

「マジか……」

 

 それはそれでどうなのかと思ったけれど、しかし、気持ち的に、がっくりと膝をつきたくなるような気分だった――阿良々木暦、痛恨のミス。

 なんだよそれ……じゃあマジでこの時間は何だったんだよ。完璧に時間の無駄じゃねえか。骨折り損じゃねえか。実際には骨を折られそうになっただけだけれども。

 

「……ああ、そう。じゃあ、悪かったな邪魔して……うん、もう行ってくれていいぜ」

「む? そうか? では遠慮しないぞ? いいのか?」

「僕に何を遠慮することがあるんだよ。つーか今まで遠慮してたのかよお前」

「これはこれは見縊られたものだな。いくら私と言えど、遠慮という言葉くらい知っているさ」

「そこまで見縊ってねえよ」

 

 寧ろ知らなかったら大問題だ。色々な意味で。

 

「ではさらばだ、阿良々木先輩! ご武運を!」

「何のだ!」

 

 僕のツッコミが聞こえたかどうかは定かではないが、神原はそう言うと、再びBダッシュでレジへと走り去って行った。

 土煙に包まれながら、僕は呆然と呟いた。

 

「……疲れた」

 

 緊張の糸がいっきに解けた――いや、何で後輩と喋ってて緊張しなきゃならないんだ。

 僕はUターンして日和ちゃんの元へ戻ろうとした――が、しかし。 

 

「――――っ!!!」

 

 こればっかりはどうしようもなかった――神原のように偶然目に入ったという訳ではないだろう。意図的なものだっただろうから。

 

 僕の目線は、通路の突き当たりへと向けられていた――そこに居たのは日和ちゃんでもなく、神原でもなかった。

 それは、金髪の女だった。

 そいつはにやりと、僕を見て嗤った。

 

 

 

[004]

 

 

「たっだいまー! 阿良々木先輩!」

「何ぃ!?」

 

 眼前にいる、ゴスロリ染みた服装をした金髪少女を見て、僕が今にもシリアスモードになろうとしていたその時、何故か神原がまさかのカムバック。

 いや、マジで何で!?

 

「お前、帰ったんじゃなかったのかよ!?」

「帰ろうとしたはしたのだが、しかし何故か出られなくなっていてな。どうしようもなかったので、阿良々木先輩のところへ戻って来たのだ」

「え!? 帰れなく――?」

 

 僕は反射的に、再び前方の少女を見た。嗤っている。

 

「そうだ」

「それは――どういう?」

「それが私には分からないから、こうして阿良々木先輩に頼っているのではないか」

「頼るも何も、状況が分からなくっちゃあどうすることも――壁みたいなものが、自動ドアの向こうにあったとかか?」

「いや、壁……なのか? あれは」

 

 壁……ではないのか? 神原の反応から察するに、どうやら違うようだ。

 僕はてっきり、ぬりかべ的なものをイメージしたのだが――いや、なんでもかんでも怪異に絡めるのは良くない。全部を全部怪異に押し付けるのは、それは横暴というものだろう。

 なんでもかんでも妖怪の所為ではないのである。

 

「壁というか……『糸』というか」

「糸?」

「うん。ドアが開いたら、すぐ目の前にびっしりと張り巡らされていて――引き千切ろうとしたのだが、全くビクともしなかった。まるで鋼か何かで出来ているかのような糸だった」

「鋼の――糸」

「抜けられるほどの隙間もなくて、どうしようもなかったので、こうして戻って来た訳なのだ――どうだ、阿良々木先輩。何か分かったか?」

「……いや」

 

 何も分からない。

 ことはなかった――分からなくはあるけれど、しかし、心当たりはあった。

 鋼の糸――蜘蛛の糸は、鋼の数倍の強度を誇るという。実際に見た訳ではないが、神原の言う『糸』の特徴と似通った部分がある。

 それに、今この場に"あいつ"がいるということは――十中八九、それは怪異の仕業だ。

 悪意の――仕業だ。

 奴は嗤っている。神原は、彼女の存在に気付いていない。

 

「……神原」

「なんだ、阿良々木先輩」

「歴史本のコーナーに、凄いスピードで速読している児女が居る筈だ。お前はその子のことを見張っていろ」

「児女だと!?」

「そこに反応するな」

 

 ああもう、だから嫌だったというのに……神原とこうして接触したのは、日和ちゃんを神原から守るためだったというのに。本末転倒もいいところだ。

 

「とにかく……一瞬たりとも目を離すな。絶対にその子のそばを離れるなよ。二人一緒にいるんだ、いいな」

「……どうやらシリアスな展開のようだな」

「理解が早くて助かるよ」

 

 こういう時は真面目な後輩。なんだかんだで、頼れる奴なのだ。

 

「つまり、その子を襲うのはご法度ということだな」

「そうだ。もし襲ってみろ、お前をぶった切るぞ」

「はっはっは。阿良々木先輩にぶった切られるのであれば、本望だ」

「やめろ。いやマジで襲うなよ」

「安心しろ阿良々木先輩。私を誰だと思っている?」

「稀代の変態神原駿河と思っている」

「正解だ!」

「認めんじゃねえよ!」

 

 やっぱ心配だなあ、こいつに預けるの……いやいや、流石にそこまで空気の読めない奴ではあるまい。多分。きっと。

 信じてるぞ。

 信じてるからな!

 

「だが、阿良々木先輩は? どこへ行くつもりなのだ?」

「解決策を探す。怪異に関しては、お前よりも僕の方が場数は多い――安心して日和ちゃんといろ」

「まあ、その通りではあるが……心配だな。信じるぞ?」

「信じろ。僕もお前を信じるから」

「その信頼に応えられるかどうか、正直自信がない」

「自信を持ってくれ。頼むからそこだけは自分を信じてくれ」

「……なら、任せたぞ。阿良々木先輩」

「ああ、任せとけ。神原後輩」

 

 ご武運を、と言うと、神原はすぐさま歴史のコーナーへと向かった。暫くして絶叫のような音が聞こえたような気がするが、もうそれは無視だ無視。

 信じてるからな。

 信じてるからなあ!!

 

 一方僕はというと、通路を直進した。突き当たりに向かって、まっすぐに。

 目の前にいる少女は相変わらずニヤニヤとした嗤いを崩さない。僕が彼女を視認してからかなり経っているが、それでも彼女は同じ姿勢で立ったままだ。疲れないのだろうか?

 金髪がどんどん迫ってくる――それに反比例するように、僕の足がどんどん重くなるのを感じた。

 関わりたくない。

 あんな、ある意味堂々としている奴に絡みなくないのだ――頭の中が分からないといえば、こいつのことも分からない。僕は彼女のことを、実質何も知らないのだから。

 

「…………」

 

 つーか、僕に気付いているならそっちから寄ってこいよ。君、僕が近寄らなかったらずっとそこで立っているつもりだったのか?

 改めて考えると、どうして僕はわざわざ自分から寄っているんだ……結局自分から首突っ込んでるじゃねえか。

 だからか? 巻き込まれたとかそういうことを言わせないために、自分からは動かず、僕に近付かせているのか? そうだとすれば随分な策士ではあるが……。

 

 さて。

 僕は足を止めた。

 

「……遅かったですわね」

 

 僕がこれ以上進む気が無いのを察してか、金髪少女――言うまでもなく織崎記な訳だが――は、話し掛けてきた。

 

「待ちくたびれましたわ」

「いやそれは君が悪いだろ」

 

 

[005]

 

 

 君はいつからそこに居たんだよ。無駄に力使うようなポーズして立ってるから、そんな足が震える程疲れるんだよ。

 織崎ちゃんのポーズに関してはもう触れないので、結局どんなポーズをとっていたかについては読者諸兄のご想像にお任せする。各自、おもしろポーズを想像して遊ぼう。

 

「何の用だ織崎ちゃん。僕はもう暫く君に会いたくない気分だったのだけれど」

「酷いですわね。私は貴方に会いたくて会いたくて仕方ありませんでしたのに。こんなに足が震える程」

「足が震えているのは君が馬鹿だからだ」

「……本当、私に対してはとことんまで辛辣ですわね。怖い殿方ですわ」

「僕は君が怖いよ……」

 

 こいつこそまさにどういう思考回路で動いているのかが不明すぎる。訳が分からない。純粋に馬鹿なのかもしれないけれど。

 

「で? 僕は君と雑談する気なんて微塵もないのだけれど――何の用なんだよ」

「急かしますわね」

「そういうのいいから」

「ちっ」

 

 舌打ちするなら帰れや。

 時間稼ぎは十分しただろ。

 

「……この書店から出れなくなっているのだけれど、あれは君の仕業か」

「それを教えて、何か私に得がありますの?」

「…………」

 

 うぜえんだよ。こっちが舌打ちしたい。

 なんというか、あの魔法少女とは別のベクトルで苛々させてくる奴である――あっちはまだ可愛げがあったような気がするが、こっちはただただ苛立たしいだけ。

 

「……まあ、その通りですわよ。ええ。あれは私の仕業――私の蜘蛛が成せる業ですわ」

 

 織崎ちゃんは偉そうに踏ん反り返って言う。無い胸を誇張しながら言う。

 まあ織崎ちゃんが貧乳であることとかは心底どうでもいいとして――やはりそうか。織崎ちゃんの仕業だったか。

 

「……で?」

「はい?」

「僕らをここに閉じ込めて、君は何がしたいんだ? 僕らを始末しようってのか?」

 

 織崎ちゃんの目的は、僕達の暗殺なのだ――暗殺対象に見つかっている時点でそれはもう暗殺ではないような気がするけれど。

 

「いえいえ。そんなまさか。このような公共の場で人殺しをするなど、とても私には出来ませんわ。それに、この場には殺害する道具がありませんもの」

「……刀は持ってないってことか」

「その通りですわ」

「信じられると思うか?」

「我が御先祖様に誓って、刀は持ってませんわ」

「…………」

 

 彼女にとって、その御先祖様というのがどれ程重要なものなのか、僕は知らない。だが、これまでの言動から、この子が御先祖様を敬っているというのは、恐らく偽らざる事実だろう。

 とは言え、僕はこの子のことを殆ど何も知らない訳だし、確実なことは何も言えないのだが。

 

「じゃあなんで――」

「取引をしましょう、阿良々木暦」

 

 再び糸を仕掛けた意図について尋ねようとしたところを遮り、織崎ちゃんは取引とやらを申し込んできた。

 

「なんだよ」

「今この書店は、私が張り巡らせた蜘蛛の糸によって覆われてますわ――言うなれば、蜘蛛の牢獄と化していますの」

 

 センス無いな……。なんでわざわざ言ったんだ。

 

「絶対に脱出不可能な牢獄――阿良々木暦。貴方がこうして私に接触して来たということは、この糸を取り払って欲しいからなのでしょう?」

「……ああ、そうだ」

「では、取引をしましょう」

「ああ……それさっき聞いたよ。早く言えよ」

「ちっ」

「舌打ちやめろ」

 

 どこまで印象を悪くすれば気が済むんだ君は。舌打ち一回につき相当な読者が君の敵に回っている筈だぞ。

 

「ふん。私の評価など、目的の達成には一切支障ありませんわ……別に好かれようとも思ってませんのよ、私」

「分かったよ。分かったから要点だけを喋れ。無駄な台詞が多いんだよ君は」

「ぐぎぎぎぎ……」

「そういうのいいから」

 

 ……読者諸兄には非常にお見苦しい姿を見せていることを謝罪します。いや、本当に僕、この子と喋りたくないんだよな――なんというか、蝕まれるというか、心が荒んでくる。何故だろう?

 

「……阿良々木暦。私と二人きりになりなさい」

「嫌だ」

「即答ですわね!?」

 

 それ以外に僕の答えは無かった――君と二人きりとか、貝木と二人きりになるのと同じくらい嫌だ。いや、それは言い過ぎた。貝木と二人きりになる方が嫌だ。

 何せ、今のほぼ二人きりと言ってもいいこの状況でここまで苛立たされているのだ。本当に二人きりになれば、どこまで僕の堪忍袋の尾が保つか分かったものではない。

 

「まあ、そう言うと思っていましたわ。だからこそ、こうして糸を仕掛けたのですわよ」

「……なんだよ、脅しか?」

「脅しですわ」

「脅しかよ!」

 

 脅しを取引とは言わない。誰かこいつに日本語を教えてやって欲しい。

 

「このまま貴方が私と二人きりになることについて同意しませんと、ずっといつまでもこの問答が続きますわよ? そうすれば、神原駿河と日和号……神崎日和は、いつまで経ってもここから出られませんわね。ああ可哀想に」

 

 可哀想と思うなら糸を解けよ。

 

 ……冗談は置いておいて、成る程そう来たか。いやまあこの状況での脅しなんてこれ以外には考えられなかったのだけれど。

 別に僕が犠牲になる分にはまだしも、そうだ、この書店には今、僕以外の人も居るのだ。言うなれば、この書店に居る全員が人質にとられているということである。

 織崎ちゃんは引き退るつもりはないと言っているが、恐らくそれは本当だろう。この子はこういう所できっちりしてくる、と思う。それをされたら僕は苛々するので、それを基準として語っているだけなのだが。

 『はい』を選択しなければ延々と同じ会話が繰り返されるようなものである――それは僕の精神衛生上非常に良くないし、他の人達にも迷惑だ。

 

 馬鹿とか言って悪かった。この子、ちゃんと考えてやがる――まあ、僕たちを何度も嵌めようとしてそれに何度も失敗している辺り、イレギュラーには弱い子なのだろうが。

 しかしイレギュラーに弱いということは、それだけ綿密に計画が立てられているということに他ならない。それは非常に厄介だ。

 

 僕は織崎ちゃんに聞いた。

 

「……なんで僕と二人きりになりたいんだ?」

 

 そもそも、まずここが謎である。僕と二人きりになることによって、彼女になんのメリットがある? どういう目的なのだ?

 

「そりゃあもう、当然、貴方を殺す為ですわよ。お忘れかしら? 私は貴方を殺す為に、こうしてお話しして差し上げているということを」

「…………」

 

 わざわざ上から目線で言う必要があるのかどうか小一時間問いたくはあるが、しかし、目的ははっきりした――僕を殺す為。

 確かに、僕を殺すなら二人きりの時が一番だろう。大抵僕が誰かと居るときは、その誰かに毎回邪魔されているのだから。僕一人だけなら、御しやすいのだろう。

 織崎ちゃんは続けて言う。

 

「勿論、貴方のメリットもありますわ」

「僕の?」

 

 僕に何のメリットがあるというのだろうか。正直、デメリットしか思い浮かばないのだけれど。

 

「私と二人きりになれば――|私の目的をきっちり分かりやすく教えて差し上げますわ《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》」

「…………!」

 

 織崎ちゃんの目的――歴史を修正すること、だったか。

 最初に彼女と戦った時、一応教えてもらいはしたのだが、如何せんいまいち要領を得ないものだった。僕の理解力の問題なのかもしれないけれど、きちんと把握できたかどうかは疑わしい。

 それを今度は、ちゃんと、分かりやすく説明する――それについて彼女にメリットはあるのかどうか不明だが、しかし、僕にとっては確かにメリットだ。

 

 僕は振り向いた。恐らく神原と日和ちゃんは、僕のことを待っているに違いない。ならば、早いとここの会話を終わらせなければ――どの道選択肢は一つしかないのだ。

 僕は再び織崎ちゃんに向き直った。

 

「――いいよ。分かった。その取引、受けて立とう」

「……取引成立、ですわね」

 

「ああ。じゃあ、僕はこれで――」

「では、今から行きましょうか」

「え?」

 

 さあ終わった、これで帰れるぞ――と安堵したのも束の間、織崎ちゃんは僕の胸ぐらを掴んだ。

 

「え? え? え?」

「だから、行きますわよ。二人きりになれる場所へ」

「え? い、今から?」

「今から」

「ちょ、ちょっと待て! そんなの聞いてな――」

「行きますわよ!!」

 

 聞いてないとは言うものの、まあ確かに、考えてみればそれ以外に可能性はなさそうなものである――どうやら苛立っていた所為か、冷静な思考が出来ていなかったらしい。仮にここまで計算尽くだとすれば恐ろしいが――。

 

 織崎ちゃんはそう言うと、僕を左手で掴んだまま、右手を前に突き出した――すると彼女の五本の指先から、糸が発射されたではないか。

 スパイダーマンかよ! と、ある意味的外れなことをツッコもうとしたが(織崎ちゃんは女子なのだから、スパイダーウーマンと言うべきだろう)、しかしそんな言葉を言うほどの余裕は、僕にはなかった。

 

 何故ならば、織崎ちゃんは僕の胸ぐらを掴んだまま、その糸を引き戻した――糸を引き戻したというか、糸に引っ張られたと表現すればいいのかよく分からないけれど、その反動で織崎ちゃんは、僕を掴んだままの高速移動を実現させた。

 これこそまさにスパイダーウーマンである――街中ではなく書店であり、地面スレスレの移動である点は大いに違うけれども。

 

「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!!」

 

 そんな突然の高速移動に、僕は思わず悲鳴を上げた――途中で一瞬歴史コーナーを通り過ぎた際、神原の驚いたような顔が見えた。

 そしてそのまま無茶苦茶なカーブを繰り返し、僕たちは自動ドアから高速で射出された――既にドアの先には糸はなく、約束通り、糸はしっかりと解除してくれたらしい。

 

 そんな訳で、僕は織崎ちゃんに、二人きりになれる場所とやらに拉致された訳である。

 やっぱり、情けない悲鳴を上げながら。

 




■ 以下、豫告 ■

「神原駿河だ!

「趣味嗜好から、神原マッスルガと呼ぶ者もいるようだが、正直、止めて欲しいぞ!」


「バレンタインデーと言えば女子から男子へとチョコレートを渡す日だった筈なのだが、しかし最近では女子同士でチョコレートを渡し合うこともあるらしい。

「これは言うなれば、時代がレズに追いついたと言えるのではないだろうか!?

「実際、中学時代では戦場ヶ原先輩にチョコレートを渡そうと思ったのだが、流石に女子同士だからということで躊躇してしまった。今から思えば、なんて愚かだったのだろうか!

「くそっ! もう少しこの時代が来るのが速ければ、一切の抵抗もなく戦場ヶ原先輩にチョコレートを渡せたのに! 遅かった……っ!

「……しかしまあ、こうして女子同士での行為がある程度公になってきたということは、つまりレズビアンが社会で過ごしやすくなったということで、やはり差別をなくすのは、文化の変質が重要なのだろうな。

「なんて真面目なことを言ってみたが、しかしやっぱり、もっと早くこの時代が来てほしかった……!!」


「次回、裔物語 しるしスパイダー 其ノ貮!」


「ここまで来れば、同性間での結婚が合法化するのも時間の問題だな! まあ、リアルでのBLとかは普通に引くがな!」

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