〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
■ 以下、注意事項 ■
・約貮萬肆仟字。
・〈物語〉シリーズ、"アニメ未放送分ノネタバレ"ヲ含ミマス。
・他、何カ有レバ書キマス。
■ 黒齣 ■
[020]
決闘が始まるまでの一時――つまりは、あの石型怪異が起動するまでの時間、僕が何をしていたかといえば、忍への血液供給である。
正弦の一件以来、長らく行っていなかった血液供給だが、というか、長らくという程長い間ではないし、行っていなかったのではなく行えなかった、つまりは禁止されていた行為だったのだが、一度地獄に落ちることによって"慣れ"をリセットすることにより、再びある程度使用可能となったのだ。
忍への血液供給――それは、僕の吸血鬼度を上げる行為である。
吸血鬼度を上げるということは、僕は吸血鬼に近付くということだ――吸血鬼のような人間から、吸血鬼に限りなく近い人間に、成るということだ。
いやまあ、今は禁じられてはいないものの、今までのような過剰な使用は控えなければならない――吸血鬼に近付くということは、僕という存在さえも吸血鬼に近付くということで、何度も繰り返せば僕は純正の吸血鬼になってしまう。それは避けたい。もう次はないだろうということは、幾ら僕が愚か者とはいえ、分かる。
もしも次、同じ解決方法をとられたとしても、その時は恐らく、僕はそのまま死んでしまうのだろう。『怪異生かし』たる小太刀『夢渡』を使われることなく、阿鼻地獄で燃え盛り続ける羽目になるのだろう。
とはいえ、だからといってこのまま一切パワーアップせずに決闘に挑むのは、それはほぼ殺してくれと言っているようなものなので、今回ばかりは特例だ。特例だ。特例と言ったら特例だ畜生。
みたいなことを頭の片隅で考えつつ、僕は忍に首筋を噛まさせているのであった。
「……ふふはいひゃほう」
僕の血を吸いながら、忍は言う。
「ふふはいひゃっほう? どうした、僕の血を吸えてそんなに嬉しいのか」
「…………」
忍は僕の首筋から牙を離した。軽い貧血が僕を襲う――懐かしい感覚だ。忍への血液供給のあとは、少しだけこんな症状が現れるのだ。久々のことすぎてすっかり忘れていた。
「ひゃっほうではないわ、たわけ。儂を蚊か何かと一緒にするな。そんなことで喜ぶ程安い女ではないぞ。食にはうるさいんじゃ、儂は」
「吸血鬼にとって血は一番のご馳走なんじゃねえのか? これで喜ばなかったら何で喜ぶんだよ」
「ミスタードーナツ一生分!!」
「ああ、そうだ。もう暫くはミスド禁止だからなお前」
「何じゃとぉ!?」
ショックが大き過ぎたのか、大袈裟に膝から崩れ落ちた忍。ドーナツへの愛が深すぎる。
まあ僕だって、忍を喜ばせてやりたいのは偽りなき思いではあるのだけれど、何分金銭面がな……昨日は本当酷かったからな……。
「かかっ、まあ良いわ。あそこまで食わせてくれたのは、割と本心から感謝しとるからの。ここは譲歩してやる」
「上から目線だな……」
「かかっ、面をあげい」
「いや下げてねえよ」
というか、お前と話す為にはどうやっても顔を下に向けるかしゃがむかの二択しかないのだけれど。
「それなら良いんじゃがのう」
「? どういう意味だよ」
忍は不愉快そうに言った――ああ、さっきのはひゃっほうじゃなくてじゃのうで、ふふはいは不愉快だったのか。
不愉快じゃのう。
「うぬよ、携帯電話を見ながら喋るのは少々モラルに欠けるのではないか? 儂と喋るときは儂の目を見て話せよ」
「ああ、その事か」
僕は忍の方を向いた。
「いやほら、羽川からのメールを読んでたんだ。ちゃんと頭に叩き込んどかねーと、とても勝てそうにないからな」
携帯電話のメールボックスには羽川からのメールが大量に収められている。いや、大量という言い方でさえ不十分な程だ――何せ、このメールボックスの5分の4が、先程羽川から送られてきたメール群なのだから。
阿良々木家を出る直前にメールは終わったけれど、そしてそれを一目見て完璧に記憶した僕だけれど、完璧とは言っても完全ではなく、細部が違うところも多々ある。なので、決戦が始まる寸前まで羽川の御言葉を心に刻み込んでおこうと足掻いている訳である。
しかし、確かにそれは人と話すにあたって不誠実な態度だったろう。反省しなければ。猛省しよう。
「いやいや、それ自体に儂は文句は言っておらんよ。そうではなく、儂と話すときはそういう態度を止めろと言っておるのじゃ」
「自己中にも程があるだろう!」
「儂だけを見て?」
「面倒臭え!!」
「面倒臭いとは言うがの、うぬ。これはツンデレ娘のキャラじゃぞ? 彼女のことをそんな風に思っておったのか、うぬは」
「そういう事言うのが面倒臭えんだよ!!」
うーん。
やっぱり何か違うな。ひたぎのキャラに確かに似せてはいるのだけれど、どこか違和感があるような。
のじゃ口調が原因か?
「なあ忍、その喋り方、ちょっと変えてみろよ」
「嫌じゃ。これは六百年前からずっと続く儂のアイデンティティじゃぞ。今更変えられぬわ」
「ちょっとだけでいいからさ。何々なのじゃ、とかではなくて」
「絶対に嫌じゃ」
「……じゃあ笑い方を」
「言葉遣い以上に笑い方はマジで嫌じゃ。ハクが落ちる」
「…………」
意志が固い。つーか頑固というか。
そんなにキャラ設定を重視するか。もういっそここまでくると何か特別な理由でもあるのではないかと思えてくるが……まあ、それは今気にすることでもないか。
話を振っておいてアレだが、今僕が考えるべきは忍の喋り方云々ではなく、日和ちゃんの対策である筈なのだ。お喋りに興じている暇はない。
……そういえば。
僕は携帯電話に目を落とそうとして、そこでふと思った。日和ちゃんはどこだ?
肝心の日和ちゃんが居ないではないか。改めて辺りを見回しても、見上げながら見下している忍、腕組みして石パキッの怪異を凝視している織崎ちゃん、相変わらずニヤニヤとした笑いを浮かべている淡海、そしてがらくたを漁っている八九寺――日和ちゃんが居ない。
時間が来たら、日和ちゃんが現れるのだろうか?
……いや、それも今は考えても仕方ない。僕は携帯電話に目を落とし、羽川からのアドバイスを網膜と脳裏に焼き付ける作業に戻った。
羽川からのメール――以下、羽川ペディアと表記する――に書かれていたのは、日和号が行ってくるであろう数々の攻撃のバリエーションが主な内容だった。そして、その攻撃に対する対処法もセットで記されている。ありがたい限りである。羽川様々。
ざっくりとまとめると、どうやら日和ちゃんパキッは刀を用いた攻撃を行ってくるらしい。まあ微"刀"なのだから、それは予想出来ていた。
しかしそのバリエーションが途方もなく……これ事前知識と事前準備がなパキッければ、絶対に勝てないタイプの奴じゃねーか。どう足掻いても斬り刻まれる。
八つ裂きになっちゃうぜ。
しかしその問題も、羽川のアドバイスの前では無意味であった――しかしそこで生じてくる、というかこの決闘がセッティングされた段階で生じていた問題は、羽川の指示通りに僕は日和ちゃんの攻撃を避けられるのか、ということだ。
羽川からのアドバイスは、ほぼ全てが僕の動体視力をアテにしたものであった。つまり、僕の吸血鬼としての能力に頼ったものであるということパキッだ。
だからこそ、吸血鬼化することが本当に最低条件になった訳だが――しかし、パキッ見えたところで、それを見切れるかどうかが一番の問題であった。
つまり、体が思考に付いていくのか、ということだ。バトル展開になるのはこれが初めてではないし、9月終盤辺りからはほぼ毎日がバトル三昧だった訳だけれども、しかし何分、吸血鬼化するのは久し振りなのだ。正月以来か――禁がパキッ解かれ、吸血鬼化が解禁されてから、初めての吸血鬼化である。
羽川ペディアを読むパキッ限りパキッ、今回の戦いは、千石の時程とはいかなくとも、神原戦レベルの激しさになりそうなのだ。ということはつまり、本来ならこんな不安要素だらけの状態で戦パキパキッうべき相手ではない、ということなのだが――さて、どうしたことか。
……どうしたもこうしたも、羽川は僕を信じてくれているのだから、その期待に応えられるよう、パキパキッ僕も全力を尽くす他ないのだが。
それに羽川の方も、何かヤバいことに巻き込まれているようだしな――そういバリッえば忍野を連れて帰ってきた時、ボロボロというかズタボロだっバリッたけれど、あんなになる程の何を繰り広げたのだろうか。どんな冒険を繰り広げたのだろうか。
気になる。
今度羽川に会ったら、その辺も含めて、色々聞いてみバリッようと思った――が、そもそもまず、羽川に会う為には、羽川がおかれている現在の状況がパキッどうにかならない限りはどうにもならパキパキッないのである。
マジで何やってるんだろう……海外に行くだけで、そんなに事件に巻き込まれるとパキッは、日本ってバリッ平和なんだなあと思わされた阿良々木暦であパキッった。
……今僕がおパキッかれている状況は、まあ平和とはバリバリバリッ程遠いけれども。
「つーかさっきから何だよ! うるせえよ!」
色々考えながら携帯電話の画面を見ていた僕だけれども、決して周囲の音が聞こえなくなるほど熱心に見ていた訳ではないのだ。いや、羽川の書いた文章を熱心に見ない訳がなく、あくまでこれは周囲をなんだかんだで一応警戒しておかなくてはならない状況だからこその特例であるということを、念の為に述べておきたい。
そんな僕の耳にさっきから入り込んでいる謎の音。まるで卵が割れるような、パキッ、パキパキッ、という音。地の文にまで侵食していることから分かるように、僕の思考を著しく邪魔しやがっているのだ。
考えている時に限って、こういう小さい音が気になりやすくなるのである。僕は音が聞こえる方を向いて、怒鳴った。
――そして、その怒鳴り声に返ってきたのは。
……これをどう表現すべきか、僕には分からない。この声を、果たして誰に考慮して描写すればいいのか、僕には定かではない。もしかしたら日本人だけではなく、外国の方も読んでいるかもしれないのだから。いやまあそんな可能性は限りなく低いだろうけれど――それでも。
僕には分からなかった。
それを、コケコッコーと表現するか、或いはクックドゥードゥルドゥーと表現すべきか――兎に角、そんな声が返ってきた。
声の主は、さっきまで石が転がっていた場所に立っていた。その
――怪異が起動したのだ。
僕が石だと思っていたあの物体は、卵だった。そして卵の中から生まれたのは、鶏の姿をした怪異だった。
石の怪異ではなく――鶏の怪異。
鶏。
キジ目キジ科の鳥で、その起源はインドや東南アジアに分布している野鶏に求められる。
代表的な家畜として世界中で飼育されており、食用にも、それ以外でも活躍する鳥である。読者の皆様も、一度はその肉、及び卵を食べたことがある筈だ。
鶏と言えば鳴き声であり、その鳴き声は、どういう訳か世界各地で表記が異なる。
日本では「コケコッコー」、アメリカでは「クックドゥードゥルドゥー」、中国では「喔喔喔」、フランスでは「ココリコ」、イタリアでは「キッキリキー」、などと表現するらしい。捉え方の違いというべきか、文化の違いというべきか――所変わればものどころか、音まで変わるのである。
そんな(何がそんななんだ)鶏の怪異――一体どんな怪異なのだろうか。僕たちを邪魔するであろうことは、容易に想像できるが。
「……さて、ボーナスタイム終了、ですわね。阿良々木暦」
織崎ちゃんが僕を見て、にやりと嗤った。相変わらず余裕に満ちた笑みである。
「もう準備は整いまして? 整いましたわよねえ。十分すぎる時間ですもの――八九寺真宵! フィールドワークを終了しなさいな!」
織崎ちゃんは、次に八九寺に向かって叫んだ。
そうだ、八九寺。八九寺の奴、あのガラクタの山で何をやっていたのだろう?
「おや。もうですか。早いですね。ふふーん、了解です、了解了解! 仕方ありませんから頼みを聞いてあげましょう! 何せ私、神様ですし!」
「……神様がガラクタの上なんかで、何をやっているんですの」
「はい? 私はただ、測量していただけですよ。尊敬すべき伊能忠敬さん宜しく!」
伊能忠敬を尊敬する神様なんて聞いたこともない。というか、誰かを尊敬する神なんて聞いたことねえよ。
まあ、現代の伊能忠敬を名乗ってた位だしな――事実、直江津の地図は完成したし。見せてもらったこともある。
「……仮に何か罠を仕掛けたのであれば、無駄ですわよ。日和号は蛞蝓の滑りごときでは滑らないし、溶けることもない――貴女が仕掛けられる程度の罠であれば、無効化は容易い」
「……はっはっは。罠なんて仕掛けていませんよ、ご安心を。織崎さん」
八九寺は、何故かやり切ったような顔で、ガラクタの山から降りてきた。
果たして八九寺が罠を仕掛けたか、仕掛けていないかは兎も角としても、八九寺はこんな時に無駄なことをするような奴……じゃあないと思う。思いたい。
「では、頑張って下さいね。阿良々木さん」
八九寺はすれ違い様、僕にウインクした。その愛くるしすぎる仕草だけで思わず襲い掛かりそうになったけれど、そんなことをすればその報いが八九寺の歯型という形になって跳ね返ってきてしまう。大切な戦いなのだ、戦闘前に傷を負ってどうする。
ぐっ、と我慢。この僕が本能だけで動くと思うなよ。
このフラストレーションは、日和ちゃんに向けて発散させてもらおう――何せ見た目は最年少レベルのロリだしな。代わりにはなるだろう。
「お前様よ」
「ん? ――うわっ!?」
僕は、忍が無造作に投げた"それ"を、突然のことに慌て、よろめきながらも必死にキャッチした。
危ない危ない、これがあいつらの手に渡るのは、全力で避けたいからな――業物であり、その字は『怪異殺し』。
死屍累生死郎の骨で作られた妖刀――『心渡』!
「使え。まあ、どうせ刃は立たんじゃろうが――歯が立たんことはない筈じゃ。攻撃を弾く程度なら、造作もなかろうよ」
「ああ、ありがとう。忍」
僕は『心渡』を、肩に担いだ――クールを気取ってみた訳だが、果たして絵になっているだろうか?
「織崎ちゃん。これ位のハンデ、いいよな?」
「ええ、勿論構いませんことよ」
二つ返事でOKだった――それはつまり、日和ちゃんを斬ることが出来ないということの証明でもあり、それ故の自信であり、ほんの少しだけ僕は安堵した。
日和ちゃんを傷つける訳にはいかない――何せこの戦いの意義は、日和ちゃんに勝つのではないのだ。
彼女に笑顔を取り戻させることなのだから。
傷のついた笑顔なんて、見るに堪えねえぜ。
「それじゃあ、阿良々木暦。フィールドに入りなさい」
「……ああ」
僕は頷き、観戦する八九寺と忍に背を向け、ガラクタの山へと足を踏み出した――バトルフィールドへと。
足を踏み入れた。
やはり危惧した通り、足場の悪さが尋常ではなかった。どこにも平坦な場所がない――あったとしても、それは踏めば割れてしまうか、あるいは傾いてしまう程度の、不安定極まりないものであった。
ここで戦うのか……。
だが、案ずるより産むが易しとはよく言ったもので、思ったよりも戦い辛そうな場所ではなかった。これが裸足とかであれば話は大いに変わるが、僕は靴を履いている。基本的に足の裏を怪我することはないだろうし、まあ、倒れこみさえしなければ比較的安定して戦えそうな気がする。
「――では、これより、阿良々木暦と日和号の決闘を始めますわ」
織崎ちゃんの声が聞こえ、僕は振り向いた――すると、目を疑うような現象が、僕の目前で発生していた。発生というか、起動というべきなのかもしれないが。
飛んでいた。
鶏の怪異が、地から足を離し――空を悠々と飛翔していたのだ。
鶏とは空を飛ばない鳥である。それは勿論知っている。
だが、空を飛んだ――幾ら怪異とはいえ、モデルからかけ離れた行動を取るものなのか? いや、怪異だからこそなのか? 分からん。
鶏は、僕の頭上を旋回するかのようにして飛翔する――それに気を取られている僕は、全くと言っていいほど緊張感が足りていなかった。
「いざ、尋常に――」
「っ!!!」
織崎ちゃんが右手を挙げた――と同時に、僕が立っていたガラクタの地面が隆起した。僕は慌てて後ろに飛び退く暇もなく、ガラクタから滑り落ち、尻餅をついてしまった。
一体何が――とは、思わなかった。
何せ、今にも決闘が始まろうとしているのである。
対戦相手は、足元に潜んでいたのだ。
僕は前を見た――ガラクタがずるずると崩れ落ち、滑り落ちる中から現れたのは、人間のような何かであった。
「……よう。日和ちゃん」
――神崎日和。
微刀『釵』――日和号。
その姿は、日和ちゃんとはかけ離れたものであった。背は高くなり、下駄を履き、長かった髪は釵で結われ、さらに刀が4対、頭の櫛から生えていた。そして何より、腕が四本、足が四本、それぞれ対となり装着されていた。
そして四本の腕には、それぞれ刀が握られていた。その内、下段の両手に握られている刀は同一の種類のようだが、上段の両手に握られている刀は、その二振りとは違う形をしていた。
上段右手には、柄や鍔、そして刀身までもが真っ黒な刀を。
上段左手には、鍔のない、切刃造の直刀を。
どこまでも人間らしい刀――だが、その異質な姿はどうしようもなく人間ではない。
どこまでいっても――怪異そのもの。
日和ちゃんは両目を開いた。それと同時に、織崎ちゃんの右手は降ろされた。
「――始めっ!!」
決闘の開始――そしてそれに間髪入れず、
「人間・認識」
日和ちゃん――日和号は、言った。
どこまでも冷酷で、ありえないほど冷徹で、どうしようもなく冷血な声で――機械的に。
日和号は、言った。
「即刻・斬殺」
[021]
――微刀『釵』。
別名『日和号』。人間形態の名は『釵日和』及び『神崎日和』。
織崎ちゃんの先祖らしい刀鍛冶・四季崎記紀が作りし千本の変体刀の中でも、際立って特徴的な十二本の刀――『完成形変体刀』が一本である。
身長は六尺八寸、体重は十七貫三斤。ただし、これらは下駄を含む大きさである。
『人間らしさ』に主眼がおかれた刀で、その様相はおよそ刀と呼べるものではなく、機械と呼ぶべきものである。
嘗て日和号は、江戸の外れにある『壱級災害指定地域』、その名も『不要湖』を守護していた。四季崎記紀によって作られたのは戦国時代頃であり、数百年に渡って稼働してきた、からくり人形。その守護する姿から、『がらくた王女』の異名を、当時持っていたらしい。
がらくたの山を永遠に巡回し続ける、武器でありながら人である、恋する殺人人形ともいえる刀――侵入者を斬り刻む日和号の長い日々は、ある年終わりを告げた。
某年葉月。完成形変体刀十二本を蒐集すべく幕府より派遣された女――|江戸幕府直轄預奉所軍所総監督《えどばくふちょっかつあずかりたてまつるところいくさどころそうかんとく》(長えしよく分かんねえよ)、『奇策師とがめ』と、その懐刀である男――無刀の剣士(無刀の剣士ってなんだよ)、『鑢七花』によって、無力化、蒐集された。
その後、師走。ここで"何か"があり、微刀『釵』は無力化どころか破壊されたという。その"何か"がどういうものだったのかは不明らしく、真相は歴史の闇に葬られている。
そして日和号という存在もまた、この世からその姿を消した――筈だった。
しかしそれから再び数百年の月日が経ち、現代。歴史を改竄せんとする四季崎記紀の子孫に仕える怪異、淡海静が、日和号を蘇らせた。
蘇った日和号は自我を持ち、神崎日和と名乗り、織崎ちゃんの元から逃走するも、再び捕獲され、今こうして僕の前に立ちはだかっているのであった。
これが、微刀『釵』である。
(参考:Hanekawapedia)
[022]
「っ――――!!」
戦闘開始と同時に、僕はすぐに戦慄した――今日に至るまで幾つもの死線を潜り抜けてきた阿良々木暦だけれども、相変わらずビビり癖は直らないようで、この程度のことなら何度か経験しているのに、まだ慣れていないようであった。
明確な殺意を持った攻撃なんて。
食らいなれている筈なのに。
日和号の第一撃は、上段右手の刀を使った攻撃である。刀を真っ直ぐ縦に振り下ろす――僕は立ち上がり、それを紙一重で回避した。
幾ら伝説の吸血鬼由来の再生能力がある程度発揮できるとは言え、積極的に死にたい訳ではないのだ。
怪異の王の眷属が自殺の王とか、何の冗談だよ、って話である。
日和号は、そんな僕の焦りに構わず、すぐさま対となる上段左手の刀を真っ直ぐ縦に振り下ろした。それもギリギリで避ける。
羽川ペディアによると、日和号は攻撃する際、技名を発音するらしい。それ故にある程度予習しておけば回避は出来るのだが――これはつまり、技でもなんでもないような攻撃で、僕は焦っているという訳だ。
先が思いやられるもいいところである。
こんなものを連発されては堪ったものではないのだが、しかし喜ばしいことに、早速技へと移行してくれた――いや、別に喜ぶようなことではない。
技を早々に繰り出すということは、早々に本気になったということだ――手加減はたったの二撃、あとから全ては本気の斬撃――!
「人形殺法・竜巻」
日和号はそう言うと、第一の技を繰り出してきた――人形殺法。
それは竜巻の如く、荒々しい斬撃――四本の腕による、四方からの同時の斬り付けである。
(人形殺法・竜巻。
(恐らく日和号が最初に行ってくる攻撃。四本の腕を用いた四方からの斬り付け。
(これは、持っている刀の刃渡にもよるけれど、後方に回避すれば避けられる)
羽川様々である。
僕は脳裏に蘇ったそのアドバイスに従い、後方に回避した――だが、ここは流石の羽川も読めなかったのか、情けないことに僕はダメージを負ってしまった。
決して後方への回避が失敗したという訳ではない。日和号のリーチが、
斬撃自体は刃の長さ通りなのだろうが、問題はその付属。
付随してくる――風。
斬撃によってかまいたちが生じ、ギリギリ僕を風が斬り裂いたのだ。
斬り裂いたとは言っても、精々服が破れた程度ではあるけれど――しかし、やはり一筋縄ではいかないようだ。
羽川のアドバイスを基本に立ち回り、その攻撃範囲は、僕自身で測らなければならない。
「……まあ、流石に全部羽川に任しっぱなしってのは、情けない話だしな」
そういう意味では、程よい緊張感だ。
知識だけに身をまかせるのではなく、思考もしなければならない――楽なことではないけれど、しかし、それが発覚したお陰で、どこか感じていた、反則をしているかのような気持ちが吹き飛んだ。
これである程度は気持ちよく戦える――。
「人形殺法・旋風」
間髪入れずに、日和号は攻撃を繰り出す。
(人形殺法・旋風。
(刀の柄を一つに合わせ、扇風機のように回転させながら突進する斬撃)
次の攻撃も羽川ペディア通りだったが、やはりかまいたちが発生しているようで、"羽"周囲にあるものに傷が刻まれていった。
僕はその扇風機めいた回転の中に、迷いなく『心渡』を差し込んだ。
業物であり名刀である刀の使い方にしては些か乱暴であるが、しかし思い通り、回転は停止し、僕も弾かれたが、日和号も同じく弾かれた。
『心渡』には、傷一つ付いていない。
弾かれた日和号は、しかしそれを次なる攻撃の起点とした。
「人形殺法・春一番」
弾かれた日和号は、そのまま後方に倒れまいと、前方に向かって跳んだ。
(人形殺法・春一番。
(前脚二本を絡めるような跳び蹴り。
(しかし、蹴りを放つ前に一旦前方に落ちるので、そこで後方へ回避)
その通り、日和号は僕の真前に着地すると、二本足で蹴り上げた。僕は後方に回避する。
跳び蹴りと言えば、着地する前に蹴りを食らわせるイメージがあるけれど、しかし残念ながら、それは人形機構的には不可能な動きである。故に必然、それは跳ばず跳び蹴りとなってしまう。
刀を用いた攻撃でないからか、かまいたちは発生しなかった。お陰でノーダメージである。
取り敢えず安堵する――何せ羽川ペディアによると、この攻撃は本命である
僕はふと上を向いた。鶏は僕たちの頭上を、相変わらず飛翔している。今のところ何をするでもないが……。
「人形殺法・恒風」
しかしめげずに日和号は斬撃を繰り出す。
(人形殺法・恒風。
(刀を横向きに構え、駒のように回転する斬撃。
(上段の刀を左右に、下段の刀を前後に配置して回転するので、しゃがむよりも跳ぶ方がいいかも)
らしいので、僕は跳んだ。
吸血鬼化した僕の跳躍力は、羽川の期待に添えることが出来たようである――そして、やはり羽川の読み通り、回避不能の大技は放たれなかった。曰く、回転しているから狙いが付け辛いかららしい。確かにあの攻撃は、その性質上きちんと狙いを定めなければ効果が発揮されないだろうし。
跳躍したのは、回転を確認してからすぐだったので、かまいたちは届くことはなかった。
跳躍した僕は着地した――だが、その隙を狙い、こちらを向いて停止した日和号は攻撃する。否、それは攻撃というより、足運びと呼ぶべきかもしれなかった。
「人形殺法・疾風」
日和号は目にも留まらぬスピード(とは言え、僕の動体視力はそれを捉えた。にしても速い)で僕に接近した。
当然、この足運びも羽川の情報通りである――だが、情報と違ったのは、この次にくる攻撃であった。
日和号は、こちらへ向かって来る際、上段左手に握られた直刀を、僕に向かって突き出してきたのだ。
そして、僕は次の攻撃を見て、戦慄した。
「絶刀『鉋』・限定奥義・報復絶刀」
「っ――――!!」
そりゃあ絶句もする――"絶刀"。
四季崎記紀が作りし完成形変体刀が一本――羽川が余分に教えてくれた"二本の刀"の内、片方がそれであったのだから。
(絶刀『鉋』限定奥義――報復絶刀。
(刀を前方に突き出すという絶刀『鉋』の奥義で、突くことに適した絶刀らしい技。
(奥義とは言え、結局はそれだけなので、横に避ければ当たらない)
「やっぱ凄えよ、羽川――!」
僕は横に避けた――日和号はそのまま真っ直ぐ突進して行った。
まさか、"日和号が装備する可能性の高い刀"まで当ててくるとは――どんな脳の構造してるんだ、あいつ。
――"絶刀『鉋』"。
『頑丈さ』に主眼の置かれた刀――世界の何よりも固き、折れず曲がらぬ絶対の刀。その形状は"斬る"ことよりも"突く"ことに向いており、その特性を生かした『限定奥義』が、先程日和号が放ってきた技、報復絶刀である。
閑話休題。
通り過ぎた日和号は、そのまま回転しながらUターン、次なる攻撃を放ってきた。
「人形殺法・腥風零閃」
「!?」
腥風零閃――何だ、その技。
羽川ペディアにそんな技は載っていなかった、が、別の、類似した技に対するアドバイスはあった。
(人形殺法・腥風。
(刀を高速で左右に動かしながら迫る斬撃)
そして、もう片方が。
(零閃。
(斬刀『鈍』を嘗て所有していた『宇練銀閣』という男が使用した技。
(目にも留まらぬスピードの斬撃――けれど、目視することができれば、避けることは可能)
その二つを融合させた技――腥風零閃。
回転しながら、右手の刀を高速で左右に振る斬撃――先程の足運び"疾風"よりも、それは速いスピードで動かされていた。
僕の動体視力を持ってしてもギリギリだった――が、跳躍することによってなんとか回避した。
しかし――ここで僕は、大人しく跳躍するするのではなく、多少無理をしてでも左右どちらかへ逃げておくべきであった。
腥風零閃。
この攻撃で重要なのは飽くまでも刀を振る速度と回数――回転するスピードは大したものではなく、容易にブレーキをかけることができるものであった。
日和号はすぐさま停止すると、人間には凡そ不可能な角度で空中にいる僕を見上げると、その口を大きく開けた。
否、それは開けたというより、裂けたという方が正確だっただろう――その様相はまさに口裂け女を連想するものであったのだから。
――来る!
「人形殺法・突風」
大きく裂けた日和号の口から舌のように飛び出したのは、槍のような一本の刀であった。
「ぐあっ――!!」
飛び出した刀は真っ直ぐに僕の心臓に向けて突き進む――僕は無理矢理体勢を変え、ギリギリ『心渡』で刀を弾くことに成功した。
それで日和号は多少体勢が崩れた――だが、僕の方は空中だったが故に大きく体勢を崩し、着地に見事失敗した。全身を強く打つ。
日和号は刀を露出させたまま、僕の方へと高速で近付き。
「人形殺法・雨風」
「う、うおぉっ!!」
露出させた刀を、膝、上半身を折り曲げることによって、僕に向かって突き立ててきた――羽川ペディアには載っていなかった技だったが、突風の回避に失敗した場合、日和号が仕掛けてくるであろうモーションとして、予測はされていた。
ので、これはこれである程度予習は出来ていた――僕は日和号の方へと転がり、逆に日和号の足に打撃を与え、転ばせようとした。
実際、日和号はよろめいた――が、僕を飛び越えるようにしてまさかのバク宙、何事もなかったかのように、向こう側へと降り立った。
刀がスルスルと、再び日和号の体内に収納されていく――危ねえ。
確かにあれは回避不能だ――得物があったからよかったものの、なかった場合、どうやって回避すりゃあいいんだ?
僕は慌てて立ち上がる――が、日和号はその隙を突き、上半身を前方に倒し、上段両腕を前方に向けて構え、下段両腕を情報に向けて構えた。刀の向きは上段が後ろ側、下段が前側。
「人形殺法・鎌鼬」
そう言うと同時に、日和号は腕を凄まじいスピードを回転させた。それは宛ら車輪のようであり、車のように僕に突進してきた。
紙一重で左に避ける――だが、鎌鼬という名前だけあって、かまいたちが僕の足を斬り刻んだ。
「っ!!」
思わず叫びそうになった――が、歯を食いしばる。この程度の傷なら、すぐに治る。騒ぐようなことじゃあない。
だが、ガラクタは修復されない。何かの破片や石の塊、廃品といったものもまた、斬撃とかまいたちによりズタボロに刻まれている。破片や起伏が増え、斬り刻まれなかった貝殻や石辺が舞う。その所為でより動き辛くなる。
その点、日和号は足が四本もある。その安定感たるや。
「人形殺法・嵐」
次なる攻撃を日和号は仕掛けてくる。
(人形殺法・嵐。
(上下の片腕を揃えた斬撃。
(攻撃を加えるか、不可能な体勢に追い込まれるまでは決して止まらない)
その通り、今までの攻撃は必ずどこかで打ち止めてきたが、今回の斬撃はまるで止まらない。どこまでも回避する僕を追いかけ、斬り刻もうとしてくる。
「くっ――!」
僕は『心渡』を構え、右腕の斬撃をガード、というか弾いた。日和号の腕は弾かれ、僕も同じく弾かれた。
体勢さえ崩せば、この攻撃は止まる――また『心渡』に助けられた僕であった。
「――ん?」
ちらりと僕は『心渡』を見た――そして、一つ気付いた。
『心渡』に傷が付いている。
いやまあ、恐らくスキルでレプリカは幾らでも量産できるのだろうし、傷が付いたこと自体はそこまで気にしていないが――しかし、問題は理由である。
人形殺法・旋風の回転――斬撃の深さなら、あれの方が深かった筈なのに、なぜあの時は傷が付かず、今回は傷が付いた?
上段右手に握られた刀――か。
先程使ってきた技からそんな予感はしていたが――そう考えれば、納得がいく。それに外見もまた、聞いていた特徴と一致する。
――"斬刀『鈍』"。
これもまた、四季咲記紀が作りし完成形変体刀が一本――『切れ味』に主眼が置かれた刀。ありとあらゆる存在を一刀両断にできる、鋭利な刀。
仕組みまでは詳しく知らないが、『心渡』はこの刀に触れてしまったらしい――さっきの"旋風"で弾いたのは、この刀ではなかったのだろう。
だとすれば幸運だった――もしもあの時、『心渡』に当たったのが『鈍』だったなら、間違いなく『心渡』は切断され、僕は今以上の苦戦を強いられることとなっただろう。
心の中で大汗をかくチキン野郎、阿良々木暦――チキンと言えば相変わらず飛んでいる鶏だが、あいつは結局なんなんだ? 相変わらず何も仕掛けてこないし――ただ、"飛べる鶏"というだけの怪異なのか?
そんな僕の心中に構わず、日和号はその場で回転し、新たなる斬撃を繰り出す。
「人形殺法・砂嵐」
(人形殺法・砂嵐。
(回転しながら左右及び上方にに斬撃を飛ばす技――この状態の日和号に近付くのは無謀。
(ただし、もしも可能ならば、これは大きな反撃チャンスでもある)
可能ならば――。
ああ、出来るとも。
僕はすぐさま体勢を低くし、日和号に足蹴りを放った。
(下方向には斬撃は無い――軸足を蹴ることが出来れば、転ぶでしょう)
その預言通り、日和号は転倒した。
ついに日和号に一杯食わせた瞬間である――だが、日和号のことだ、すぐに立ち上がるだろう。
この隙を逃すわけにはいかない――僕は『心渡』で『鈍』を側面から弾いた。『鈍』は勢いよく日和号の手から離れ、弾き飛んだ。
そして、空中でキャッチ。
僕は左手で『鈍』をキャッチした――右手には『心渡』、左手には『鈍』。
男なら誰でも一度は憧れるであろう。そう、二刀流である。
名刀と名刀の二刀流――平行世界でも二刀流をしたことがあるけれど、あれは両方とも『心渡』だった。両方とも同じ刀と、両方とも違う刀――モチベーション的にも全く違う。
後は口に刀を咥えれば、某海賊のような三刀流が完成である――いやまあ、あんな自由のきかなさそうなフォームをとる気はないけれども。
「人形殺法・台風」
だが、刀を奪われたことで動揺するようなメンタルを日和号は所有していない。というか、そもそもメンタル自体がない。何事もなかったかのように立ち上がると、日和号は斬撃を繰り出した。
人形殺法・台風――刀を荒々しく振り回す斬撃。二刀流になって調子に乗った僕は、その斬撃を両方の刀でガードしようとした。
したのだが。
結果的にはガードに成功したのだが。
そのガードは、今までのものとは違った――それは左手の刀によるガード。
斬刀『鈍』――あらゆるものを斬り裂く刀。
あらゆるもの――それは、完成形変体刀も含まれていた。
『鈍』でガードした、日和号下段左手の刀――それは弾かれることなく、刀は真っ二つに斬り裂かれた。
切断出来たのだ。
「っ――――!!」
「人形殺法・天狗風」
日和号はそう言うと、"台風"を途中で停止させ、後方へのバックステップをくりだした。"天狗風"――"疾風"と同じく、攻撃用ではない補助的な技。
日和号は後方へと回避した――回避した。
ついに、日和号が防衛行動をとったのだ。防衛行動をとるまでに、追い詰めたということ――何せ主要となる刀のうち二本を失ったのだ。幾ら感情のない日和号とは言えど、危機感は覚えるのだろう。
……さて。
と、僕は思う。
羽川ペディアによれば、この日和号には動けるタイムリミットのようなものがあるらしい。それはつまり、こいつを動かす燃料が切れるまで、ということなのだが、さて。
あれだけ動き回ってくれたのだ、そろそろ停止してくれるか――?
「…………お」
思わずそんな声が漏れた。
というのも、今や日和号の手には、刀が一本たりとも握られていなかったからだ――足下には、手放された二本の刀が転がっている。
斬ったのでも、弾いたのでもなく――自ら刀を捨てた。まるでガラクタか何かのように。
これは、"あれ"が来るか?
僕は身構えた――そして予想通り、日和号は刀を手放して自由になったその手を、地面についた――そして、逆立ちをするように、下半身を持ち上げた。
腕を脚代わりに、姿勢を変えたのである。
随分と低い位置になってしまった双眼で、日和号は僕を見つめた。
「微刀『釵』」
そして、日和号は。
「限定奥義」
冷えた鉄のような――そんな声を発した。
「人形殺法・微風刀風」
途端――浮き上がっていた日和号の四本の脚が回転を始めた。
それは徐々に回転を速めていく――何度も何度も回転し、旋回し、速度を上げながら――。
「っ!!」
脚の回転によって、風圧とかまいたちの両方が僕を襲う――僕は思わず後ずさった。
と、同時に。
日和号は四本の腕を肘のところで折りたたみ、そしてその腕を伸ばす衝撃で、バネのように跳ね上がった――日和号の体は浮かび上がり、そしてそのまま、
それはつまり――日和号の飛翔。
自力での飛行――脚が四本あったのは、安定さを高めるためであり、同時にその脚をプロペラの羽のように使用するためであった。
(微刀『釵』限定奥義・微風刀風。
(空中に飛び上がって、頭部に生えた刀とプロペラのように回転する脚、そして風圧とかまいたちによって攻撃する技。
(日和号が追い詰められた時、この技は発動される)
もうなんか、羽川には絶対脚を向けて寝られない。脚どころか、頭でさえも向けられねえ。とんでもねえよ、あいつ。
ぱねえよ。
などと感嘆している暇を、日和号は与えてくれない。日和号は飛びながら僕に向かって急降下、突進を繰り出した。
「くっ――!!」
僕は左方向に、転がるようにして前転回避。その際、両手の刀は手放さざるを得なかった。僕の両手は、今、何も握っていない。
初めは両者、刀を握って戦っていた――だが今や、双方とも刀を握っていない。
吸血鬼と、機械人形。
得物なしの、ガチバトルである。
ガチバトルというには、少々僕にハンデがあるけれど――僕は空を飛ぶことができないのに対し、あいつは空を飛べる。
吸血鬼も本来なら、空を飛べるのだが――かく言う僕も、春休みの頃は飛べたのだが、今の僕は吸血鬼度が極限まで上がっているとはいえ、発揮できるスキルはあの時の10分の1以下である。翼を生やすなんて芸当はとても出来ない。
日和号は上昇してから空中を一回転、再び急降下突進。だが先程と違ったのは、日和は口を大きく開け、刀を露出させていたことである――刀と言っても、あの槍のような刀ではない。
それは刀というより、刃というべきか――。
「人形殺法・山颪」
(日和号の歯は全て、刃になっている)
「っ!!」
僕は、起き上がろうとした頭を再び下げた――人形殺法・山颪。歯ならぬ刃で、対象を
歯の代わりに刃が生えていることは知っていたけれど、こうして攻撃に使われると、見えていたあの四本の刀よりも恐怖を覚える。
あんなもんで噛まれたら、歯型が付く程度では済まない――肉を刻まれ、血管が裂かれ、骨まで断たれてしまう。
日和号は再び通り過ぎて上昇――すると、とうとう"あいつ"に動きがあった。
「な、何だ――?」
ずっと空中を旋回していたものの、一切手を出さなかった鶏の怪異――そいつがついに動いたのだ。
鶏は日和号に近付くと、近付くどころか、その身体にくっ付いた。
空中で合体したのだ。
合体というと、まさしくロボットである――変形ともう一つ、合体だってロボットのお約束だ。
合体変形ロボとか言うし。
とはいえ、あの鶏は怪異であって、ロボットではない筈である――あれがどういう怪異なのか、まだ僕は何も知らない。あれと合体することで、どうなるのだ?
「っ…………!!」
その問いは、すぐに解決した――いやはや、何と分かりやすい変化なのだろう。僕は思わず青ざめてしまった。
日和号の色とは、裏腹に。
「マジかよ……!?」
日和号が、燃えている。
否、正確に言えば、その脚、その腕、その刃が、赤く赤熱しだしたのだ――まるでその名の通り、燃え盛る太陽のように、真っ赤に染まったのだ。
こんなもん――予想できるか!!
「人形殺法・業火魔風」
「な、何だよそれ――」
思わず叫んだ――いや本当、困惑である。どうしてこうなったのか。僕は思わず、叫んでしまった。
「――なんでこんなもん、
(日和号は、日光をエネルギー源にして動く。太陽電池を内蔵しているということ。
(けれど、怪異として復活した以上、その弱点は補われているかもしれない――それどころか、その"太陽のエネルギー"を利用してくるかもしれない。
(例えば――太陽のエネルギーを利用して、刃に熱を伝導させる、とか)
「あ、頭マジでおかしいよあいつぅ!!」
まさか扇ちゃんと同じ台詞を言う羽目になるとは。やっぱり僕とあの子は、どう足掻いても表裏一体であり、それでいて同一であるらしい。
いや本当頭おかしいぜ。
何でこう的確に当ててくるのだ――しかも間接的に、まだ生じてさえいなかった筈の、存在を知らなかった筈のこの怪異の正体まで暴きやがった。
何が、『何でもは知らないわよ、知ってることだけ』だ!
知ってること以外でも知ってるじゃあねえか、お前――!!
僕は、紅に染まった日和号の突進を一旦、再び避けた――と同時に、日和号の身体に飛び付いた。
日和号は僕をぶら下げたまま、高く高く飛翔する――そして、
「人形殺法・温風」
赤熱した下段の腕で、僕の腕を掴む――その手は刃のように尖っており、そして爪は、小さな刃のようだった。
「あ、あづづづづづ、づづづ――!!」
痛いのか熱いのか、もう訳が分からない。日和号の刃は僕の腕に深く食い込み、斬り刻む。そして同時に、その熱で肉を焼き焦がす。焼肉の良い香りがしてくる。いや、全然良くなくて、悪いのだけれども。
だが、それでも僕は手を離さなかった――まあ確かに熱いし、痛い。
けれど、それはあの地獄の業火と比べれば、生温いものであった。
「太陽の日差しは――こんなもんじゃあねえんだよっ!!」
春休みの日差しに比べれば――あの、地獄の幕開けとなった業火に比べれば。
痛いし、熱い――けれども、暑くない。
痛みも熱さも、全てが劣っている。
人形殺法・業火魔風。
それは確かに、万人にとって脅威となる、最悪の魔界の業火かもしれない。けれど、地獄と魔界は、比べるまでもねえんだよ。
それに。
魔界は、化物――魔物であるヴァンパイアにとっての、ホームグラウンドだ。
日和号にとってのガラクタ山のように。
魔界にいる限り、僕が負けることはない!
「つーか……」
僕は痛みに耐えながら(最初の悲鳴でも分かるように、痛いものは痛いし熱いものは熱い。けっこう辛いよ、これ)、いつまでも日和号にしがみついている鶏の首根っこを掴んだ。
「お前はいつまでも、日和ちゃんにくっ付いてるんじゃあねえ! この変態鶏がぁぁぁああ!!」
僕は痛みを紛らわすために叫びながら、『心渡』を捨てた場所が真下に来ると――握り締めた鶏を引っ掴み、日和号から飛び降りた。
それは超高高度からの飛び降り。普通ならこの時点で死亡は確定し、飛び降り自殺となってしまうところだが――生憎僕は自殺なんてしない。
というか、だから、出来ないんだって。
当然の如く、着地は失敗した。だが、掴んだ鶏をクッション代わりにすることで、その衝撃は食らったものの、地面への直撃はなんとか避けたのである。
いや、そもそも鶏をクッション代わりにしなくとも、僕が地面に激突することはなかっただろう――だって。
僕は真下を見た。
八九寺が仕込んでくれた――この蛞蝓のクッションがあるのだから。
だからこそ、僕はここで刀を捨てた。そして迷いなく、落下できた。
八九寺は確かに、嘘を吐いては居なかった。だってそれは日和号に対する罠ではなく、僕への安全策だったのだから。
お陰で助かった――まあ、気持ち悪いという感情は多少あるものの、そんなもん、助けられたという事実のお陰でとんとんである。いや、とんとんどころか、助けられたことの方が余りにも大き過ぎて、余りの方が大きくなってしまっている。
僕がその安全策に気付いたのは、戦いの最中であった――"鎌鼬"のとき、僕は『貝殻』があるのに気付いた。何故貝殻があるのだろう? 貝殻をガラクタというには、少々厳しい――そう考えた一瞬後、すぐに答えが浮かんだ。
八九寺は、蝸牛の神様だ。そして眷属として、蛞蝓を従えている。
また、最近、あの忌々しい『逆さ蛤』を眷属に加えたのだ。
蛤は貝殻の一種である。それは巻貝ではなく、二枚貝だが――しかし、巻貝でない分、多くの蛞蝓を
蛞蝓から、偽りの蝸牛へ。
蛞蝓は蝸牛の近縁種であり、それ故、この融合は八九寺にとって造作もなかったのだろう。いや、それどころか、案外これは負担を減らす行為だったのかもしれない。
何せ八九寺は蝸牛の神様だ。そりゃあ蛞蝓より、蝸牛の方が支配しやすいだろうし。
そんな訳で、僕が落下するのを観戦していた八九寺は、そのタイミングで、蛞蝓を解放したのである――もし僕がそれに気付かなかったらどうするつもりだったのかは定かではないが、これはまあ、八九寺の期待に添えられたということで良いのだろうか?
まあ、その辺は後でなんとでも言えよう。
重要なのは――今だ。
「ぐっ…………」
僕は伏せながら、左手で鶏を押さえつけながら、蛞蝓の上に乗っかった刀――妖刀『心渡』を右手で掴み、そして。
ざくり、と。
もがく鶏の頭に刀を突き刺した。
そしてその瞬間、動きを止めた――それは鶏だけではなく。
空中を飛んでいた日和号もだった。
この鶏の正体――それは、太陽電池そのものだった。
太陽電池といっても、パネルではなく、太陽のエネルギーを溜めた電池という意味である。
この鶏は、日和号と僕の真上をずっと旋回していた。それはつまり、日和号へ太陽エネルギーを送っていたということに他ならないのである――実際、あの鶏が僕の頭上に来た瞬間、日和号は現れた訳だし。
鶏との合体も、つまり、太陽エネルギーを直接日和ちゃんに送り込んでいたということになる。そこは全く、羽川の読み通りであった。凄えな。
だが、その鶏は今この瞬間、『心渡』によって貫かれ、死んだ。それはつまり、太陽エネルギーの消失を意味し、日和号の停止を誘発することとなったのだ。
当然、空中で動きを止めれば、物理の法則、万有引力の法則に従い、日和号は真っ逆さまに落下する――!
「っ!!」
僕は慌てて立ち上がった。左手を鶏から離し、右手を刀から離すと、日和号の落下地点へと駆け出した。
凄まじいスピードで落下する日和号――僕は残った体力を全て使い、全力疾走した。それは、八九寺を襲う時と大差ないレベルのスピードだったかもしれない。
そしてそのスピードまで到達した僕に、掴めない、抱けないロリはこの世に存在せず。
当然のように。
日和号は、スライディング気味に飛び込んだ僕の身体を、押し潰すかのように落下したのであった。
「ぐぅっ…………っ」
僕は思わず呻いた――が、それは疲労によるものであり、日和号を受け止めた時の重さに耐え切れなかった訳ではない。
日和号は、思ったより軽かった。押し潰すことなんて、とても出来ない程に。
弱々しく、小さかった。
「っ…………はぁ……」
思わず僕は嘆息をついた。そして、日和号の髪に"絡まった"、釵を抜いた。
釵を抜くと同時に、日和ちゃんの髪がばらりと解けた。そしてばらけたのは髪だけではなく、日和ちゃんの体もだった。
人間と呼ぶには余分過ぎるパーツ――二本の腕と、二本の足が、ポロポロと、ボロボロと、バラけ、ガラクタのように崩れ落ちた。
微刀『釵』。
『刀』を失い、『釵』を失った彼女――残るのは、『微』だけである。
『微』、即ち、『美』だ。
微刀『釵』。そのネーミングに隠された秘密――人間らしさに主眼の置かれた刀である日和号は、それそのものも人間を模してはいるけれど、それと同時に、四季崎記紀という刀鍛冶の、『人間らしさ』を垣間見ることの出来る刀でもあった。
日和号のベースとなったのは、嘗て四季崎記紀が愛した女性だという。愛――それは機械には決して持ち得ない感情であり、そして、どうしようもなく人間らしい感情なのだ。
しかしこの愛について語る事を、人間は気恥ずかしく思うもので。かく言う僕も例外ではないし、そしてそれは四季崎記紀もまた例外ではなかった。
微刀――つまり、美刀。
釵とはつまり、女性の暗喩。
四季崎記紀の人間らしさ――気恥ずかしさが、その名前には込められていた。
武器でありながら人である、恋する殺人人形。微刀『釵』。
美しさのみが残るということはつまり、『人間らしさ』だけが残ると言うことで。
そんなことを考えているうちに、瞬きした一瞬で、日和号は、神崎日和へと
「…………」
僕は、日和ちゃんを抱きしめた。今にも折れてしまいそうな、小さな体――けれど、それはちゃんと実態のある、太陽には遠く及ばない程度の温度を持った、一人の児女であった。
静寂が訪れる――そしてその静寂は、
「…………ごめんなさい――阿良々木お兄ちゃん」
僕は、思わず綻んでしまった。
満身創痍の児女を抱きながら笑いを浮かべるなんて、傍目には変態のように見えるだろうが、生憎僕はあの、児女に飛び付いただけで興奮し、熱を帯びていた鶏とは違って変態なんかではない。
僕は、ロリコンじゃあないからな。
[023]
「……そんな馬鹿な」
織崎ちゃんは、日和ちゃんをおぶり、尚且つ『心渡』、『鈍』、『鉋』を持ち、ガラクタの山から見事生還した僕を見て、心底驚いたような顔で、声で、そう言った。
「あ、ありえないですわ。ま、ま、まさか、ひ、ひよ、日和号が――そんな――!」
「……動揺しすぎだぜ、お前」
僕はそんな織崎ちゃんの横を通り過ぎて、八九寺や忍の元へと帰った。
「お疲れ様でした、阿良々木さん」
「かかっ、うぬにしてはよくやった方ではないか? 78点位はくれてやっても良いかものう」
労いの言葉を掛けてくれる二人――お前ららしくねえぜ。僕はてっきり、なんでもっと早く済ませられなかっただの、なんでそんなボロボロなのじゃだの、そんな罵詈雑言を予想していたのだが。
「……僕の方こそ礼を言うぜ。八九寺、忍。お前らが居なかったら、僕は勝てなかったよ」
僕は『心渡』を忍に返却し、そう言った。
「はっはっは! いやそうでしょうね! 何せこの八九寺真宵大明神様々が居なければ、貴方は今頃爆発四散して木っ端微塵でしたからねえ! はっはっは!!」
「かかっ! かかかっ! そうじゃろうそうじゃろう! 何せこのクールでハードな忍野忍様々が居らねば、お前様は今頃切り刻まれて四散しておるからのう! かかかかっ!!」
「そんなんだからお前ら、汚れてるっつってんだよ!!」
全く……ちょっと感謝したらこれである。困った連中だぜ。日和ちゃんを見習ってほしいものだ。
……でもまあ、それはそれで、『人間らしさ』でもあり、『こいつららしさ』なんだろうな。
だってその台詞聞いた瞬間、すっげー安心したもん。ああ、やっぱお前らだなあ、って。
どうしようもなく、八九寺真宵と忍野忍だなあ、ってな。
「……阿良々木お兄ちゃん。降ろしてください。もう、大丈夫です」
その時、背中の日和ちゃんが言った。
「そうか? じゃあ、降ろすぜ」
「はい」
僕は日和ちゃんを背中から降ろした。地面に降り立った日和ちゃんは、少しだけよろめいたが、しかしその二本の足で、しっかりと直立した。
「日和さん! 大丈夫でしたか!? このお兄ちゃんに乱暴されませんでしたか!? もしされたなら、どんな些細なことでもこの八九寺
「大丈夫じゃったか刀娘! もし我があるじ様がうぬを傷つけたというのなら、どんな些細なことでもこの忍
「おい、お前ら、おいこら」
すぐ様日和ちゃんに擦り寄っていくロリコンビ。ふざけんな、似たような外見のロリの癖に、何がお姉ちゃんだお姉様だ。キレるぞこら。つーかキレてるぞこら。
ロリコンビっつーか、ロリコンどもめが!
つーか、日和ちゃんは実質的八九寺よりも年上なんだからな。いや、下手すると忍よりも年上かも……作られたのが戦国時代な訳だから。
一番年上のキャラが、一番年下の外見をしているとは、忍のアイデンティティを奪いかねないキャラ設定である。
「はっ、そんなアイデンティティなど知るか。ちゅーかそんなもんアイデンティティなどではないわ」
「何だよ、織崎ちゃんに対してはキャラ被りを恨んでた癖に」
「それはそれ、これはこれじゃ」
「勝手だなお前……」
そんなかんじで、僕たちは日和ちゃんを中心として争うのであった。全くこんなあどけないロリっ娘の癖に、なんつー魔性なのやら。
「…………魔性はいいですけれど、あの、誰かを忘れておりませんこと?」
と、僕たちの楽園を邪魔する声が入り込んできた。織崎ちゃんの奴である。
「ああ、悪いな。完全に忘れてた――え? いやだから、もう僕たちの勝ちで良いだろ。『日和号』はもう戦闘不能なんだから」
日和号はもう、神崎日和に変わった時点で『日和号』としては戦闘不能なのだ。もうケチの付けようもなく、僕たちの完勝である。
「……さて、それはどうでしょうね」
「は?」
織崎ちゃんは、意地の悪そうな笑みを浮かべた――なんだ、まだ何かするつもりなのか?
と、僕が思うと同時に、織崎ちゃんは腕をクロス、そしてその指先から蜘蛛の糸が放たれた。
「っ!!」
「なっ!?」
「あん?」
「!!」
織崎ちゃんは跳ねた――そして、空中に着地した。否、空中ではなく、空中に張り巡らした糸の上に、着糸した。
「まさかまさか! あなた方がここまで甘いとは、私思いもしませんでしたわ!!」
「な、何――」
「そこに釵日和が居るということはつまり、
「っ――――!!?」
僕は慌てて日和ちゃんを見た――まずい!! 僕は日和ちゃんに駆け寄った、だが――
「もう遅いですわ!! さあ、再び目覚めなさい、"微刀『釵』"!!」
「っ――――!!!」
「ひ、日和ちゃん!!」
微刀『釵』――その言葉を聞いた途端、日和ちゃんは苦しみだした。そして、体の変化が始まった。
少しずつ日和ちゃんの背が伸びる――その爪と歯は刃となり、双眼は光り、その声が機械音声じみた反響を持つ音へと変わっていった。
日和号――!?
「し、忍! 八九寺! その刀を、なんかどうにか――!」
「「っ!!」」
僕は二人に指示を出した。だが、織崎ちゃんの言う通り、時既に遅し――日和ちゃんは『鈍』と『鉋』を両手に掴み、僕に向かって突進してきた。
「なっ――!!」
「人形殺法――」
僕は思わず、目を瞑った。
情けないものである、さっきまであんなに戦っていた筈なのに、いざ気が緩むとこれである。だから僕はチキンなのだ。
弱くて薄い――名古屋コーチンにさえなれない、その辺の市販レベルのチキン。
こうして目を瞑ればどうにかなる訳でもないだろうに――僕が斬り刻まれてしまうという事実は、事実は――。
「――仇の風!!」
「っ!!?」
――事実は、そもそも存在しなかった。
人形殺法・仇の風――両手の刀を上斜め前に突き出す、耐空の斬撃。
その斬撃は僕には当たらず――かまいたちさえ当たらず。
僕は恐る恐る目を開けた。
目の前には、日和ちゃんはいない。
僕は後ろを向いた。
そこに居たのは――日和ちゃんだった。
日和号でもなければ、微刀『釵』でもない、神崎日和。
その刀が狙うのは、空中で笑みを凍らせた、織崎ちゃんだった。
「……な、なんのつもり、ですの?」
「こういうつもりです」
「わ、私はお前の主人ですのよ? 主人に刃を向けますの?」
「だから、仇の風と言ったではないですか」
「お、お前は、わ、私の、新兵器で――日和号で――」
「あたいは日和号ではありません。ましてやあなたなんかの武器でもありません」
日和ちゃんは、深呼吸して、噛みしめるように、自分に言い聞かせるように――こう言った。
「あたいは、神崎日和です」
それは、これ以上ないほどの――主人に対する反抗の意を表していた。
反抗するという、『人間らしさ』を表していた。
「あたいは、傷つける刀ではなく――阿良々木お兄ちゃんたちを守る刀になります」
「…………それは、私たちの敵になる、ということで宜しいのですわよね」
「そうですよ」
「…………ちっ」
織崎ちゃんは舌打ちすると、再び跳躍し、着糸した。
「……退きますわよ、静」
「んっふふ――いいのかい、ご主人?」
「良い訳ありませんわよ――けれども、この状況は私にとって余りにも不利ですわ。今は、退くしかありませんの」
そう言うと、織崎ちゃんは僕たちを、日和ちゃんを含めた僕たちを睨んだ。その顔からは余裕綽々の笑みはもう消え失せていた。
「でも……阿良々木暦、忍野忍、八九寺真宵……神崎日和。次はありませんわ――次は、本気で、殺す」
殺す。
それはハッタリではなく、本気の殺意なのだろう。この状況でハッタリをかます程、織崎ちゃんに余裕があるようには見えなかった。
淡海が、手を叩く――と同時に、雲だらけの空から、巨大な物体が落ちてきた――降りてきた。
その物体は、まるで糸で吊られているかのように織崎ちゃんの真横で停止した。それは、見覚えのある物体、というか怪異だった。
織崎ちゃんと、淡海のアジト――確か名前は、豪那。甲殻類の怪異――!
淡海は浮上し、そのまま豪那へと入り込んだ。そして織崎ちゃんも同じく、扉を開け、豪那へと入り込んだ。前回と違うのは、一切の捨て台詞を残さなかったというところだ――本気、ということなのだろう。
ガラガラと音を立てて、扉は閉められた。と同時に、糸で釣り上げられるような不自然さで、豪那は浮上し、雲の中へと消えた。
「「「「…………」」」」
僕たちは、呆然としてそれを見送った。そして顔を見合わせた。タイミングを合わせた訳でもないのに、それは寸分違わずぴったりのタイミングだった。そして、揃いも揃って、苦笑いを浮かべたのであった。
[024]
後日談というか、今回のオチ。
見事織崎ちゃんの撃退に成功した僕たちだったが、残念なことに僕たちはとことんまで汚れており、再び醜い争いを始めた。
その議題は、こうだ――誰が日和ちゃんを保護するか。
「僕の家は警察官の家庭なんだぜ。実際過去に何度も、身寄りのない子を迎え入れていたこともあった。阿良々木家が、一番日和ちゃんの家に向いてるぜ!」
とは僕の談。
「儂も我があるじ様に賛成じゃのう。我があるじ様の言うことに、間違いはない。そして儂の言うことはそれ以上に間違いはない。儂が言うのじゃからそうなのじゃ!」
とは忍の談。
「やれやれ、こんな変態ツーマンセルが闊歩する家なんかに日和ちゃんを預けられる訳がないじゃないですか。ここは私の北白蛇神社を提案致しましょう! 何せ神様の住まう家ですし、健全以外の何物でもありません!」
とは八九寺の談。
とまあ僕たちは言い争った訳だけれど、当然、そんな言い争いだけで事が解決する筈がない。僕たちは再び血生臭い争いを始めようとしたのであった。しかしそこへ日和ちゃんの一声。
「では、じゃんけんというもので決めてはどうでしょうか」
ああ、何て平和的な案なのだろう。心の底まで血に塗れた獣たる僕たちとはまるで違う。真っ白で汚れなき、穢れなき児女。僕たちはいたく感銘を受けた。
悟りって、こういうことなのかな。
僕たちは、じゃんけんをした。じゃんけんと言うと如何にも平等なものに見えるが、しかし今回に限っては平等でも何でもない。
何せ、阿良々木家派が二人居るのだ。僕と忍――対する八九寺家派はたったの一人、八九寺オンリー。どう見積もっても、僕たちの勝率の方が高いのだ。
そんな訳で、僕と忍は勝ち誇っていた訳だが――しかし、かの有名なジョースター一族の方は言った。『相手が勝ち誇った時、そいつは既に敗北している』――僕たちは、勝ち誇ってしまった訳で。
で……負けた。
一瞬で負けた――僕と忍がチョキで、八九寺はグーだった。
何やってんだよ。こんな所でペアリングの影響を受けてんじゃねえよ。つーか、僕の考えが読めるんなら、違うのを出せよ。
しかし勝ちは勝ちであり、負けは負けである。僕たちは潔くとは言い難いものの、結局は負けを認めざるをえなかった。
「日和さん! やりましたよ! これからよろしくお願いしますね、日和さんっ!」
「はい! あたいこそ、不束者ですけれどよろしくお願いします、八九寺お姉ちゃん!」
こんな嬉しそうな二人を見て、勝ちを宣言できる訳ないからな。
それに。
こうなるのが、案外一番良い形だったのだろうと思う。
たった一人で、あの北白蛇神社で暮らしていた八九寺は、これでもう一人ではないし、たった一人で、家族もいない日和ちゃんも、これでもう一人ではない。
家族――それは、僕が持っていて、この二人が持っていないものであった。
ならば、これこそが最高のパターンなのだろう。結局のところ、僕たちの目的は果たせたのだから。
日和ちゃんの笑顔を取り戻す――家族を手に入れた二人は、満面の笑みを浮かべていた。それは太陽のように、注視できないほどに眩しくて、穢れた吸血鬼であるところの僕たちは、思わず苦笑いを浮かべるしかなかったのであった。
《裂物語 完》
《読了感謝》
《裔物語に続く》
■ 以下、豫告 ■
「神崎日和です」
「はい違ーう!」
「えっ!?」
「違いますよ日和さん! 自己紹介はもっとハキハキと元気よく! こんな感じに! 裂物語をお読みの皆さん、コンバトラー! みんなの心に住まう神様、八九寺真宵大明神です!! はい! どうぞ!」
「さ、裂物語をお読みの皆さん、コンバトラー! みんなの心に住まう刀、神崎日和です!! こんなかんじですか!?」
「うーん、もっとオリジナリティが欲しいところですが……まあ一回目ですし、良いでしょう!」
「き、厳しい!」
「そういえば日和さんって、戦国時代から生きてるんですよね!」
「ええと、はい。じゃなくて、はい! 生きてるといえば生きてました!」
「あの頃ってどんな時代だったんですか!? 是非! この八九寺お姉ちゃんにご教授願いますよ!」
「うーん……どんな時代と言われても、あたいはずっと不要湖を守っていましたので、実はよく分かりません」
「へえ、そうなんですか! ……つまんないですね」
「つ、つまんない!?」
「予告編クイズ!」
「思い出したように誤魔化さないでくださいよ!?」
「「次回、裔物語 しるしスパイダー 其ノ壹!!」」
「あ、裔物語に入る前にウラガタリとか短々編とかありますので、そちらもどうぞ!」
「全然次回じゃないじゃないですか!」
■ 表紙原案 ■
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