〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
■ 以下、注意事項 ■
・約壹萬肆仟字(肆捨伍入済)
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。
・一部文章修正 (2/4)
・他、何カ有レバ書キマス。
■ 黒齣 ■
[010]
道の端っこで焚き火をする人物。正直、僕としてはお近付きになりたくないような存在であった。否、それは僕だけではないだろう。八九寺や忍にとっても、そんな人物は胡散臭く映った筈だ。
今の季節は春。まだ多少冷える日はあるが、焚き火を焚く程寒い日なんてない。そして今日は晴天。太陽は既に落ちつつあるけれど、特別寒い日という訳ではないのだ。しかも周囲もまだ暗くなっていない。
日和ちゃんが居なければ、まず絡もうとはしなかっただろう――日和ちゃんが居たとしても、絡みたくはないような人物であることは間違いない。
ないのだが。
「すみませーん!」
残念なことに絡まなければならないようであった――日和ちゃんはカランコロンと下駄の音を鳴らし、焚き火へ向かって走り出したのだ。怖いもの知らず程怖いものはない。
僕と八九寺、忍は一瞬だけ顔を見合わせ、すぐに日和ちゃんを追った。
日和ちゃんを一人にしておくのは危険なのだ。それはここまでの道中で十分に学習していた。何をしでかすかまるで読めない児女、それが神崎日和だ。
日和ちゃんの呼び掛けに気付いたのか、焚き火の側に座る人物は顔を上げ、走ってくる僕たちを見た。
その人物は、女性だった。まるで喪服のように真っ黒な衣装を着ている。首元には蜘蛛の巣模様が描かれたマフラーを巻き、真っ黒なトーク帽を被っている。目の色は翠色で、チラっと見える髪の色は金色だった。
近くに来て分かったのだが、椅子の傍には木刀が横たえられていた。テントまで張って、如何にもキャンプ中であるかのように見せてはいるが、どうにもその一点が凄まじい不自然さを演出していた。それ以外にも色々あるにはあるが……。
「……どうしました?」
女は口を開いた。
「すみません。この焚き火で、これを焼かせて頂いてもよろしいでしょうか」
日和ちゃんは腕の中の栗を見せながら言った。初対面の相手にここまで親しげに話しかけることが出来るというのは、やはり子供故の物怖じなさが一役買っているのだろう。度胸があり過ぎる。こっちは肝が冷えっぱなしだというのに。色々な意味で。
「……ええ。良いですわ」
「ありがとうございます!」
日和ちゃんは笑顔でそう言った。うーん、角度的に良く見えなかったのが残念である。
つーかここで許可するのもする方である。余程子供好きなお人好しなのか、或いは、別の目的があるのか――いやまあ勘繰りすぎだと思われるかもしれないけれど、この容姿を見ると誰だって疑ってかかってしまうに決まっている。
日和ちゃんは栗の殻をテキパキと剥くと(まるで職人のように早かった。栗剥き職人って居るのか?)、丁度近くに転がっていた三本の鉄串で突き刺し、日和ちゃんは火にくべた。
色々急展開過ぎてまるで頭の中が追い付いていない。本当に唐突すぎるのだ。
つーかツッコミ所が多すぎる。鉄串で栗がそんな簡単に突き刺せるって所とか、喪服姿の女とか、焚き火とか、丁度三本転がっていた鉄串とか、もうどこからツッコんでいいのか分からない。日和ちゃんのあの物怖じしなさはもう今更としても……。
僕はダブルロリガールに囁いた。
「おい、どこからツッコむ」
「うぬ一人でやれよ」
「嫌だよ! 矛先が僕にだけ向かってパターンを避けたいから言ってるんだよ!」
「というかダブルロリガールって何ですか。もう少しいい名前は無かったのですか、メラバギさん」
「お前こそもう少しいい噛み方は無かったのか! なんだよメラバギさんって、メラなのかバギなのかハッキリしろよ! 僕の名前は阿良々木だ!」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた」
「わざとじゃない!?」
「バギマした」
「結局バギ系列か!」
うーむ、しかしここで下手に挑発するのはまずいか――今現在、読者の皆様を置いてけぼりで僕たちは話を進めているけれど、どうか許してほしい。後でちゃんと語ります。
まあぶっちゃけ、読者の何割かは気付いてそうだが……なんだよあれ……あれマジでやってるのか? あいつ、天然ボケか何かなのだろうか。
ごちゃごちゃと考えても、しかし何も始まらない。栗を楽しそうに焼いているところ申し訳ないが、このまま長時間放置しているのも、それはそれで危険なので僕から話しかけてみることにした。
「……あの、すみません。うちの子が迷惑をかけて」
「いえ、良いのですよ。随分天真爛漫な子ですね。貴方の妹さん?」
「えっと……まあ、そんなようなものですかね」
違うけれど。
そんなようなものでさえ無いけれど。
「……なんでこの時期に焚き火なんか?」
「うふふ、特に理由はありませんわ。ただ一言で申し上げるなら、誘蛾灯――と言うべきでしょうか」
「…………」
「まあ、これはわたくしの考えではありませんけれども――貴方、阿良々木さん、と仰っていましたね?」
「…………」
名前を知っていることについては、別に不自然なことでは無かった。さっき八九寺といつもの名前トークをしたから、それを聞けば分かることだったからだ。それを差し引いても……。
「……貴方に折り入ってお願いがあるのですわ」
「……お願い、ですか」
「はい」
「……でしたらその前に、お名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか」
「…………」
女は少し戸惑うような動きを見せた後、意を決したようにトーク帽を脱いだ。
帽子の中から零れ出たのは、やはり金色の髪だった。ショートヘアーの金髪少女。
日和ちゃんはそれを見て、まるで驚いたように目を丸くした。無理もない。6歳の児女が金髪を実際に目にする機会なんて、そうそうないだろうから。
女は僕達の方を真っ直ぐ見て、こう名乗った。
「初めまして。わたくし、
「いや織崎ちゃんだろ、君」
「シキザキじゃろうぬ」
「私を追い出した織崎さんですよね」
「っ――――!!!」
女は、僕達三人のツッコミを受け、目を溢れんばかりに見開き、声にならない叫びをあげながら頭を抱えた。
……つーか。
どう見ても、織崎記じゃねえか!!
「なんで僕たちが分からねえと思ったんだよ! どう見てもバレバレだわ! 金髪もそうだし声もそうだし、喋り方もどう聞いたってお前にしか聞こえねえんだよ織崎ちゃん! 喋り方くらいもうちょっと矯正しろ! つーか登場するにしても今朝の今だぞ、もうちょっと間隔開けろや!!」
「かかっ、儂等も随分と舐められたもんじゃのう。こんなこれ見よがしに絡んで下さいと言わんばかりに奇異なことをしおって。もう少し自然に登場出来んかったのかうぬは――三本だけの鉄串とか焚き火とか、あざとすぎるわ不自然じゃ!」
「私が貴方のことをお忘れだとお思いでしたか、織崎さん! 忘れてませんよ、阿良々木さんの車から強制下車させられたこと! 五十嵐識流糸って、もう少しいい名前は無かったのですか! ダブルロリガールの方が1.5倍はマシですよ!!」
「ぐっ、ぐぐっ……な、なんで……わたく、わたくし、私を――」
バレた恥ずかしさの所為か、僕達三人怒涛のツッコミの所為か、織崎ちゃんは呻きながら悶え苦しんでいる。そんなことになるならこんなことすんなや!
ええと。
このひよりブレードから読んでいる方もいるかもしれないので、一応この金髪少女について説明しておこう。
織崎記とは、何故か僕たちを殺そうとしている金髪少女である。以上、終わり。
……いや、本当にそれだけなのだ。四季崎記紀とかいう人物の子孫だとか、蜘蛛の怪異を操るとか色々あるけれど、本当に端的に表せば、たったそれだけで表現出来るような奴なのだ。そしてそれだけで事足りる。
何故か、と言ったが、これは今一僕が動機を理解出来ていないことに起因している。動機としては、この歴史を改竄するために、僕たちを殺そうとしているらしいのだが、今の段階では全くピンと来ていないのだ。
前回色々説明された筈なのだが……こいつ説明しているようで、なんにも説明してねえじゃねえかと、紹介していて、改めて思ったのだった。
閑話休題。
まあそんな奴である――そんな奴が、こんなコスプレ紛いのことを、恐らく大真面目にやっていたのだと思うと、シュールが過ぎる。しかも、それがバレて無駄に迫真な演技をしてやがる。
日和ちゃんなんかはそれを見て鉄串を取り落とした。体が震えている。そりゃあこんな奇行をする奇人を見て恐怖心を覚えない子供など居るものか。悪影響を通り越してトラウマになるわ。何てことしやがるんだ織崎ちゃん。
「あ、阿良々木、阿良々木暦――わ、わたく、私を――た、よくぞ、す――よくも」
……まだ続くのか、その演出。
レイニー・デヴィルの時や、あの金ピカ部屋の時もそうだが、つくづく演出好きな奴である。腹芸は苦手と言っていた癖に演技は好きとは……ある意味僕たちにとっては有難い設定であった。
無駄にバレバレなことばかりしてくれるのだから。
「くっ――わ、私、わたくし――」
「何をしておる?」
「っ――――!!」
織崎ちゃんは傍に置いてあった木刀に、慌てて手を伸ばした――が、その木刀を忍は直ぐさま奪い、自分の足元に突き刺した。
絶句する織崎ちゃん――その反応もそうだが、地面に突き刺さる木刀という時点で、どう見てもそれはただの木刀ではないと思わせるに十分であった。
つーか木刀って。
違和感ありすぎるわ。
「かかっ、どうせこれも碌でもないもんじゃろうな――怪異じゃろう? うぬの先祖であるシキザキキキとかが作った、完成形変体刀が一本、じゃろう?」
織崎ちゃんの先祖である刀鍛冶、四季崎記紀。そいつは嘗て、完成形変体刀と呼ばれる刀を作ったという。その内の一本か。なるほど。
……なんて納得してみたけれど、この辺りも、正直ちゃんと理解しているかといえば、実は全く理解していない。というか、そもそもこの辺は少し触れられただけで、詳しい説明はまるでされていないのだ。
「ぐっ――私、わたく、私を――た、ふっ、ふふふふ」
それでも尚、織崎ちゃんは演技を続けようとした――が、流石にそろそろ無意味だと悟ったのか、不敵な笑いを浮かべた。
……いや遅えよ。もっと早く気付け。
お前相当な醜態を晒しているんだぞ。どこからそんな笑いが出てくるんだ。
「ふっふっふっふっふ――よくぞこの私だと見やぶりましたわね。阿良々木暦、忍野忍、八九寺真宵」
「あの、仕切り直そうと努力なさっておられるのは伝わってきますが、今更そんな大物感というか、そういうのは出さなくていいですよ。見苦しいですよ」
「ぐぎぎぎ……!!」
お前が悪い。
意味の分からないことをやったお前が悪い。そんなことをすれば八九寺の格好の的だぜ。
「ふん! 好きなだけ笑うがいいですわ! 全くこれだからこの愚か者共は――」
「いや愚か者なのはどう見てもうぬじゃろう。愚かというか馬鹿じゃろう。その阿呆みたいなプライドの高さは認めてやらんでもないが、しかし儂の方がプライドは高い」
お前は何で張り合ってやがる。あれか、まだキャラ被りを気にしてんのか。だからそれ程似てねえよ、お前と織崎ちゃん……。
「…………っ」
「……ん?」
八九寺、忍ときて、さあて次は僕の番だ、ツッコミ担当主任であるところの阿良々木暦、どれだけ激しいツッコミをしてやろうか、と意気込んでいた所で、背後に気配を感じた。
振り向くと、そこにいたのは日和ちゃんだった。織崎ちゃんから僕を盾にするようにして隠れている。
「ああ、ごめんな。この変なお姉ちゃんは気にしなくていいから――」
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「え?」
日和ちゃんは、突然僕に謝ってきた。
どうしたのだろうか? 僕たちがこいつに絡まれる切っ掛けを作ってしまったことを謝っているのだろうか。そうだとすれば、なんと聡明な子なのだろうか。この歳にしてこの気遣い。将来大物になりそうだ。
「別にいいさ。君が悪いわけじゃ――」
「あたいを置いて今直ぐ逃げて」
「え?」
日和ちゃんは、これ以上なくシリアスな表情でそう言った。そして、織崎ちゃんはそれを見て、また不敵に嗤った。
……なんて図太い奴なんだ。
[011]
あたいを置いて今直ぐ逃げて。
これはどう受け取ればいい言葉なのだろうか。そのまま額縁通りに受け取ればいい言葉なのか、それとも、別のなんらかの意味が込められているのだろうか。突然のその言葉は、僕の心を大いに惑わし、乱した。
どうしてそんなことを言うのだろうか――齢6歳にして自己犠牲精神を持つというのはかなりの早熟とは思うけれど、この状況でその精神を発揮するのは、どういう意図あってのことだろう。
――いや、待て。
惑うな、阿良々木暦。
今の織崎ちゃんの表情を見ろ。あの表情から察するに、もしかするとあいつ、日和ちゃんに『糸』を仕掛けたのかもしれない。
まあ、その糸についてもよく分からないが――その糸とやらの所為で、今朝は散々な目に遭ったのだ、警戒しない訳がない。僕にも非がないかといえばそうでもないけれど……。
……織崎ちゃんについて僕、本当何も知らないな。
「逃げろって……どういうことだよ」
「そのままの意味です。早くここから逃げてください。あたいとしたことが、完全に騙されてしまいました」
「騙された、って」
何をだ?
日和ちゃんは何を言っているんだ――まさか、織崎ちゃんのことを知っているのか?
「騙されたとは、随分な物言いですわね。日和号」
「っ…………」
織崎ちゃんは嗤いながら日和ちゃんに向かって言った――日和号?
何だ、そりゃあ?
「ふん、私は騙すつもりなどありませんでしたのよ。ただ結果的に騙すことになったというだけの話――私にとっても想定外でしたけれど、まあ結果オーライ、ですわ」
「……あたいに近寄らないで」
「んん?」
日和ちゃんは僕だけに限らず、八九寺のスカートの裾も握った。おい、八九寺のスカートを握っていいのは僕だけなんだぞ。
まあ、そんな冗談はさておき。
「ふん、嫌われたものですわね。私が居なければ、ずっと歴史の闇の中に葬り去られたまま、永遠に瓦礫の山を守護していなければならなかったのですわよ? 寧ろ感謝して欲しいくらいですの」
瓦礫の山――を、永遠に守護する?
どういうことだ? 全くと言っていいほど話についていけない。こいつは、日和ちゃんの何を知っているんだ?
「……おい」
「何ですの? 阿良々木暦。私はそこの日和号と話をしていますの。邪魔しないで下さいまし」
「邪魔するに決まってるだろ。お前みたいな不審者に、日和ちゃんと話す資格なんてねえよ」
「はっ、分かっておりませんわね。日和号にとって、不審者はあなた方なのですわよ? 私は不審者どころか、寧ろ――家族ですわ」
「か、家族?」
え?
日和ちゃんと織崎ちゃんが――家族?
「……いや嘘だろ」
「嘘ですわよ? だから言っているではありませんの。寧ろ、と」
「じゃあ不審者だろうが。つーか、さっきからその"日和号"ってのは何なんだよ」
日和号とは、如何にも機械のような呼び方である。歴とした人間であるところの彼女に対する呼称としては些か適していないように思える。
「家族とまで名乗るんなら、ちゃんと名前で呼んでやれよ。この子は神崎――」
「いいえ、違いますわよ」
「え?」
織崎ちゃんは小さく溜息を吐いた。そして、ぱちん、と指を鳴らした。また今朝のように怪異か何かを呼ぶつもりか? そして、一部火の中に置き去りになった鉄串を三本拾い上げ、僕達に突き付けた。
「ふん、成る程。名前でさえも反逆しましたのね。どこまでも反抗的な人形ですわ」
「おい! お前、人形なんてそんな――」
「
「!」
織崎ちゃんは鉄串を地面に突き刺した。
「それがその人形の名前ですわ。神崎日和? 全くお笑いですわね。もう少しマシな名前にすることは出来ませんでしたの? ふふ、まあそれ以外に思い浮かばなかったのでしょうけれど」
「…………」
釵――日和?
僕は日和ちゃんを見た。日和ちゃんは一層強く、僕の服の裾を握った。体が震えているのか、握られている場所から小さな振動が伝わってきた。
日和ちゃんは、嘘を吐いていたのか? いや、或いは、織崎ちゃんの妄言か? さっきまであんな意味不明な態度を取り続けていた奴の言うことなんて、そう易々と信じることが出来る筈もない。
それに――。
「さっきから日和ちゃんのことを人形人形って、いい加減にしろよ。日和ちゃんは人間だぜ。人形なんかじゃあない」
「いいえ、人形ですわ」
織崎ちゃんは、そう言い切った。
「そいつはただの人形。"人間らしさ"に重点を置いて作られた、人の形をしたもの――怪異ですわ」
「っ――――!!」
「なっ……!!」
怪異、だと? 日和ちゃんが?
こいつの言うことを信用する気はない。だが、今までの日和ちゃんの行動を見れば、あり得なくもないと思える、思えてしまう事象だった。
年相応とは言えない程の礼儀正しさと、最近の子とは思えない程の無知さ、そして、人間離れした身体能力の高さ――仮に、仮にこの子を怪異だと仮定すれば、その全てが総じて説明出来る。
八九寺は驚いたように日和ちゃんを見ている。だが、それと対照的に、忍は何でもないことのように平然とその場で腕組みして立っていた。
「……やはりな」
「し、忍――どういうことだよ」
「どうもこうもないわ。此奴は怪異じゃ。どうしようもない程に、人に非ざる存在じゃよ」
「分かってたのか」
「寧ろ儂は分かった上で行動していると思っていたのじゃが? 特段伝えるような事でもないと判断したので、うぬに伝えんかっただけのこと」
「っ…………」
「それに、伝えたところでうぬはその児女を手放したか?」
「……それは」
間違いなく、手放しはしなかっただろう。寧ろより庇護下に置こうとした筈だ。もっと手を強く握っていたことだろう。
――僕は日和ちゃんを再び見た。日和ちゃんは俯いたままで、僕の顔を見ようとしない。
「そういうことですわ。阿良々木暦。それは怪異――それも、とびきり最新型の怪異。私たちの"新兵器"ですわ」
「……新兵器だと?」
「ええ」
織崎ちゃんは鉄串を一本地面から引っこ抜き、ちらりと一瞬横目で道路を見ると、頭上で栗の刺さったままの串をくるくると回した。
「あなた方を殺す為、即ち、歴史を修正する為の武器。最終兵器ならぬ新兵器――それがその人形、通称『日和号』ですわ」
「日和号……」
「そしてその正体はからくり、即ち機械仕掛けの人形……私の尊敬すべき先祖である四季崎記紀が作りし十二本の"完成形変体刀"が一振り、その真名は――」
「やめて下さい!!」
日和ちゃんが、今までに出したこともないような大声で叫んだ。だが、織崎ちゃんはその呼び掛けに応じることなく、止まることなく、日和ちゃんの"真名"を告げた。
「――微刀『釵』」
その言葉を聞いた瞬間、裾を握っていた日和ちゃんの小さな手から、人間らしい温かみが一つ残らず失われた。それはどこまでも非人間的で、人工的な冷たさだった。
[012]
「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
日和ちゃんの余りにも冷たい手――突如失われた体温は、まるで人間性の喪失を意味しているように感じた。そしてそれは突然であり、裾を握っていた日和ちゃんの手が肌に触れた瞬間、僕は思わず日和ちゃんを振り払ってしまった。
その行動は後から思うと、本当に馬鹿で愚かで、疎かな行動だった――いや、後から思うまでもなかった。行動したその瞬間から、僕はそう思ったのだから。
振り払われた日和ちゃんは、跳ね飛ばされた日和ちゃんは、地面に尻餅をついた。そしてその手を見て――叫び声を上げた。
「ご、ごめん日和ちゃ――――っ!!」
よくぞここで叫び声を上げ止まったと、僕は思う。今まで散々、散々な経験をして来たからこそ、ここで僕はある程度の冷静さを保てたのだから、経験というのは全く馬鹿に出来ないものである。
叫ぶのは至極当然であった。
だって。
「ひ、日和さんっ……その指……!!」
八九寺でさえ戦慄するそれは。
日和ちゃんの指――正確に言えば日和ちゃんの爪が、鋭利な刃物になっていたのだから。
小さな刃――刀になっていたのだから。
そして、それはどうやら見掛けだけではないらしく、先程まで日和ちゃんが握っていた袖は一部切り裂かれていた。
微刀と言ったか。
「い、嫌です! 嫌です嫌です嫌です嫌ですっ!!」
日和ちゃんは尻餅をついたまま、後退さる。
「あ、あたいは――あたいは――!」
「どう足掻いても無駄ですわよ、日和号」
日和ちゃんを否定する織崎ちゃん。その声は頭上から聞こえた。僕達が日和ちゃんに気を取られている間に織崎ちゃんは糸を空中に設置し、上空に逃げたのだ。行動が速い――いや、しかし、糸を今設置したのではなく、既に設置していたと考えれば、不自然ではない――。
「私はあなたの抗いを否定しますわ。否と定めて否定しますわ。微刀『釵』、あなたはもう運命からは逃げられない――自分が何の為に生まれたのか、よく思い出しなさい」
「い、嫌です! あたいは、誰も、誰も斬りたくなんてありません!」
「おかしなことを言いますのね。あなたはただの刀――私の新兵器。人形は大人しく主人の命令に唯々諾々と従っていれば良い。よろしくて?」
「嫌ですっ!」
「否定しますわ」
どこまでも日和ちゃんを否定する織崎ちゃん。この二人は、どういう関係なんだ――いや、分かりきっているか。
主従関係。
完成形変体刀、それが日和ちゃんの正体だと、本当にそうならば、日和ちゃんは織崎ちゃんが従える亡霊――即ち、淡海静によって作られたということになる。
主の主もまた、主ということか。
だが。
それがどうした。
「やめろ織崎ちゃん!」
「……ふん?」
僕は日和ちゃんを庇うようにして、織崎ちゃんと日和ちゃんの間に立った。
「それ以上日和ちゃんに何かすると許さないぜ。何をしてるのかよく分からないが、日和ちゃんを苦しませることは、この僕が許さない」
「貴方に許されようと許されまいと、関係ありませんの。というか、貴方には関係ないことではなくて? 主でもなんでもない貴方が何を言おうと、私と日和号には何の関係も……」
「関係あるに決まってるだろ」
「はあ?」
肩を竦める織崎ちゃん。
確かに、彼女の言う通りだ。結局のところ、僕は彼女と日和ちゃんの関係に介入することは出来ない。それはよく分かっている――僕自身、その経験はあるし、現在進行形で経験中なのだから。
しかし、それは道理でしかない。
「僕とこいつは、友達だから」
「!」
ほんの数時間しか一緒に行動していない身で、何を言っているのだろうか。そう思われても仕方ないことだろう。日和ちゃんからもそう思われたかもしれない。
だが、少なくとも、僕はそう思っている。
道理を殺し、理屈っぽく無理を押し通すのが僕、阿良々木暦だ。相手の気持ちを顧みず、自分を省みない。そんな愚か者なのだ、僕は。
……人間強度? なんだそれは。知らん。
「友達が苦しんでるのを助けようとして、何が悪い」
だから――関係あるとかないとか、そういう話ではないのだ。もっと感情的な話である。
僕は日和ちゃんを見た。俯く彼女の表情は窺えない。
僕は日和ちゃんの笑顔を知っている。それは八九寺も、忍も一緒だ。さっきまでその笑顔に癒されていたのだから。
日和ちゃんの笑顔を失わせた――それは決して看過できる事ではない。彼女の笑顔を、僕は、もう一度見たい。
泣いている顔なんて、怯えている顔なんて、一度たりとも見たくはない。
「…………はあ」
織崎ちゃんは溜息を吐いた。
「……まあ、なんとなく予想はしていましたけれどもね。今までの行動を鑑みれば、まあ、怪異だと明かされ、自分を殺すために作られた兵器だと明かされようと、それでも平気で馬鹿みたいに愚かしく助けようとするのは、火を見るよりも明らか――日を見るより明らかでしょうよ」
「……分かってんじゃねえかよ」
「そりゃあ調査済みですわよ、そんなこと――だからこそ、私もしっかりと手を打っている訳ですけれども」
「何?」
手、だと?
「罠と言い替えますわ」
僕は周りを見回した――またレイニー・デヴィルが現れるのかと警戒したからだ。
「忍、怪異の気配はあるか」
「儂をレーダー代わりに使うな。儂はレーダーでもないし、そんなこと出来んわ――うぬ、儂、ハチクジ、ヒヨリ、木刀、そしてあやつしかこの場にはおらぬ」
「一応分かるんですね」
「儂を甘く見るなよハチクジ。遠方にいる怪異は分からずとも、近くにいる怪異程度なら把握出来る」
十分レーダーじゃねえかよ。
忍の言を信じるならば、仮にその罠とやらは遠くにいるということだ。今の段階では気にする必要はない――いやまあ、それが猛スピードでこっちに向かってきているとかなら、話は別だけれど。
「ハッタリをかますのがお好きなようですね、織崎さん。ですがどうやらそれも無駄になったみたいですよ? またまた作戦失敗ですね? ぷぷぷ、醜態まで晒して、何か成果は得られましたか?」
煽る八九寺。自分が今のところ安全だと分かった瞬間にこれである。
つーか人見知り設定はどこ行った。
「人見知り設定? あんなの昔の話ですよ。神となった私には、怖いものなんて饅頭くらいですし」
「そうなのか」
「そうです。饅頭くらいしか怖くありません」
「二度も言うな。要求すんじゃねえよ、ついさっきドーナツ食ったろ」
「儂はドーナツが怖い」
「うるせえ黙れ!」
こんな状況でも、僕から賽銭をせびろうとする神(本物)と神(偽物)であった。
「……なんか楽しそうに雑談してらっしゃるけれど、もしかして、私の今の発言、本気でハッタリと思いましたの?」
「え?」
「は?」
「む?」
三人揃って似たような声を出してしまった。なんだよえはむって。
「そんな訳ないでしょう――そんな意味のないハッタリ、私かましませんわ。私、意味のない行為はしない主義なので」
「…………」
じゃあ最初のあれはなんだ。あれこそ無意味の境地だぞ。
「……あれについては、まあ弁解する気はありませんわ。あなた方が勝手に忘れて下さることを期待しておりますわ」
「そうまで言われると絶対忘れたくねえな」
つーかあんなもん忘れられる訳ねえよ。あれは本当に酷かったぞ。
「まああれについては触れないでくださいまし。私も割と後悔していますのよ? 後悔どころか、最大級の失敗として捉えておりますわ」
「意外と正当な評価してるな、お前」
「客観的に見ることくらい出来ますので」
じゃああんなことするなって話なのだが。
「あらゆることを作戦として組み込む私としても、あれは想定外でしたもの――まあお陰で、こうして現在進行形で作戦が成功しているのですけれど」
「……さっきから何を言っているんだ」
「あら、分かりませんの?」
織崎ちゃんは残りの鉄串を地面から引っこ抜き、僕たちに突き付けた。栗はまだ刺さったままだ。
「
「!」
「……雑談、感謝致しますわ。阿良々木暦」
織崎ちゃんは、にやりと嗤った。するとその瞬間、串に刺さったままの栗が勢いよく弾け、中から小さな何かが大量に放たれた。
「な、何だ――」
「あ、あれは、リス!?」
八九寺が驚いたように叫んだ――栗鼠だと?
あんな小さい栗鼠がいたのか――いやまて、違う! さっきまでの会話を忘れたのか? 織崎ちゃんは時間稼ぎと言った。怪異が起動するまでの時間稼ぎと――それは言い換えれば、怪異が生まれるまでの時間稼ぎでもある。
栗鼠の、怪異――!
「さあ、もうあなた方は逃れられませんわ。恨むことですわね、己の愚かさを、優しさを――そして、無駄なツッコミ体質を」
愚かさや優しさはともかくとしても、ツッコミ体質だけは、本気で直さないと駄目なのではないだろうか。僕は思った。
[013]
「律し鼠」
織崎ちゃんは、その小さな栗鼠型怪異の名を告げた――鼠。
栗鼠。
齧歯目リス科に属する哺乳類の総称。
"栗鼠"という字は、そのまま、栗色をした鼠というところから名付けられたという。齧歯目はネズミ目とも言われ、愛玩されることの多いこの生物の根本のところは、どちらかというと忌み嫌われることの多いあの鼠なのである。
律し鼠――律する鼠。
怪異の名前というと、大抵何らかの言葉遊びが含まれていたりするが、この場合はなんなのだろうか。"りす"からの連想で"りっす"――つまり"律す"になったということか?
名前に栗の要素がないが、しかしそれは特に珍しいことでもない、と思う。嘗て迷い牛という怪異に遭遇したが、あの時だって、名前自体には"蝸"の要素はなかった。
名は体を表すとは言うものの、しかし表しているのは体ではなく、その内面なのだ。
本質。
重し蟹は重さに関することを。
迷い牛は迷わせることを。
レイニー・デヴィルは悪魔であることを。
蛇切縄は縛るものであることを。
障り猫は障ることを。
囲い火蜂は熱に関することを。
しでの鳥は死がないことを。
逆さ蛤はぐりはまだということを。
それぞれ表している――ならばこの怪異の正体は名前から推測できる。
律し鼠は、その名の通り、律することを。
律する――つまり……!
「お気付きになられたようですわね。中々の推理速度ですわ――でも」
遅い。
織崎ちゃんは言った。
そう、もう遅い――何故ならば、今こうして考察していながらも、僕たちは全く、この怪異に歯が立たなかったのだから。
寧ろ歯を立てられた。
結論から言えば、僕たちは完全に身動きが取れなくなっていた。金縛りに遭っているかのように――体の自由を律されたかのように。
「律し鼠――その名の通り、"律する"怪異ですわ。鼠は病原菌の塊だと言うけれど、それは近縁種である栗鼠だって例外ではありませんの。この律し鼠が運ぶのは、つまりはそれですわ。
「っ…………!!」
得意げに語る織崎ちゃん――実際、手も足も出ない今、そんな風に語られたところで、僕たちは織崎ちゃんに指一本さえも触れることが出来ないのだ。
成功も成功、大成功。
僕たちはまんまと罠にはまったのだ。完全に油断していたところを突かれた――そりゃあ忍だって、幾ら何でも
そう考えれば、怪異を自由に生み出すことが出来る淡海静のチートっぷりがよくわかる――伝承とか歴史を抜きに作ることが出来るっぽいし。
「ぐっ――――」
「ふふふ」
律し鼠に噛まれたのは、僕たちだけではなかった。日和ちゃんも、その犠牲者の一人だったのだ。
同じく身動きの取れない日和ちゃんに、織崎ちゃんは近付いた。
「やれやれ、回収だけにこんなに時間をかけさせるとは、全く我儘な人形ですわね。"人間らしさ"に重点を置いて作られたとは言え、少々過剰ではなくて?」
「っ…………」
「ふん、随分と反抗的な目ですわね。それがご主人様に向ける目ですの? まあ、それももうここまでですけれど」
織崎ちゃんは、動けない日和ちゃんを肩に担ぐと、僕たちの方を見て挑戦的に嗤った。
「まあそんな訳で、うちの日和号が迷惑をお掛けしましたわね。その毒はじきとれますし、動けるようになったら勝手に帰って頂いてもよろしくてよ」
「っ…………!」
僕は口を開こうとするが、動かないのは顔の筋肉も例外ではない。内臓はちゃんと動いているようだが――。
「その怪異は、囲い火蜂タイプですわ。あくまでも栗鼠は運び屋で、本体、即ち本質はその毒の方。あれよりも効果は短いですけれど、もう怪異は終わっておりますので、仮に怪異殺しなんかでどうにかしようとしても、無駄ですわ」
「…………」
ぺらぺらと喋る織崎ちゃん。どこまで余裕をかましているんだ、こいつは。
まあ僕たちは、それを見ることしかできないのだが。
「私があなた方を見逃すのは、100%お情けを掛けてやっているということをお忘れなく。いつでも殺せますのよ? ふふふ、でも私それどころではありませんの。早く日和号を"成長"させなければなりませんので、私はここで失礼しますわ」
態々お情けで見逃す、なんて、忍や八九寺が動けたのならば間違いなく本気で殺しにかかるであろう煽りをしながら、織崎ちゃんは日和ちゃんを担ぎ、ジャンプした。
ジャンプした織崎ちゃんは、空中に、否、空中に張り巡らされた糸の上に着糸した。そして再びジャンプしようとして、踏みとどまり、こちらを振り向いた。そして僕たちを見下しながら、こう言った。
「ああそうですわ。もしも――もしも、万が一、億が一、兆が一、京が一、垓が一、この日和号を取り返そうと、愚かにも馬鹿馬鹿しいことを考えていらっしゃるのであれば……まあ、チャンスを差し上げますわ」
どこまでも余裕の表情で、織崎ちゃんは告げた。
「本日深夜0時ぴったりに、思い出深いであろうあの学習塾跡に来れば――少しだけチャンスをくれてやりますわ。その内容までは言いませんわよ、勿論。そこまで私は優しくありませんの」
織崎ちゃんは、再び僕たちに背を向けた。
「易しくないですわよ――こちらとしてはあなた方に死んでもらうつもりですので。来るか来ないかは、ご自由に――ふふふ、これも情けですわよー」
「――――」
「…………ふふ、では」
織崎ちゃんは、何事か呟いた日和ちゃんを一瞥してから、もう一段上の糸へと跳躍した。そして、そのまま空中ジャンプを繰り返し、既に紅く染まった雲の中に消えた。
僕たちはそれを、空をただ見つめることしか出来なかった――何も出来なかったのだ。
「――――たすけてください――――」
そんな呟きを聞きながらも、僕たちは結局、その期待に応えることが出来なかったのだった。
■ 以下、豫告 ■
「月火だよー。やっぱり一人でも平気だよー」
「十二支ってあるじゃない? あれ、伝説では鼠が物凄くズルっこいことやってるじゃない。で、それで鼠を叩く人が大勢居るんだけど、そこまでかな?
「まあ確かに、正々堂々と戦わないというのは反感を買うものだし、火憐ちゃん程過激じゃなくとも、確かに怒るべきポイントかもしれないけれど、しかし、ここで私は敢えて異を呈したいね。
「あれは卑怯なんかじゃないと月火ちゃんは思うのですよ! 戦いで一番大切なのは戦略なんだよ? 鼠がやったことは素晴らしい戦略だと思うんだよ。完璧な策略と思うのよ!
「卑怯者ではなく、寧ろ策略家、戦略家と呼ぶべきだね! 私から見れば、対策をしていなかった牛とか猫が悪いように見えるね!
「だから私が言いたいのは、真に叩かれるべきは、騙された牛や猫だということだよ! 正義そのものな私が言うのだから絶対正しい! これからは皆そうするように!
「あ、ここまで読んで、ただ同じような戦法だから自分が叩かれないために擁護してるだけだろ、とか思ったそこのあなた! 今すぐ鐘を撞いてそういう汚れた心を清めてこい!」
「次回、裂物語 ひよりブレード 其ノ肆!」
「まあ今年は申年だけどね。鼠はもうちょっと先ですなー」