〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
■ 以下、注意事項 ■
・約壹萬捌仟字以上。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。
・他、何カアレバ書キマス。
■ 黒齣 ■
第參話 ひよりブレード 其ノ壹
[001]
神崎日和――僕と彼女の出会いは果たして運命だったのだろうか。或いは偶然だったのだろうか。否、偶然ということはつまり運命であり、真に論ずるべきは人為的なものか、そうでないかである。
人為的――つまり、作られたもの。
人によって生み出された、非自然的なもの。
それは僕たちの身の回りにごく自然にありふれている。それが存在しないのが、寧ろ不自然だと思える程に。
僕たちの世界を――侵食している。
そんなものの一つとしてぼくが挙げたいのは、機械と言われる人工物だろう。あれを差し置いて人工物は語れない。あれこそ正に非自然的なものであり、不自然を極めたもの――つまり、どうしようもなく、人工物という枠から決して出ることを許されていない存在だからである。
今この地球上に生存している全人類のうち、果たして何割が機械に触れていることだろう。生まれてこのかた機械に触れる機会のなかった人間なんて、今では皆無であると言っても過言ではあるまい。赤子でさえ、保育器と呼ばれる機械に触れる時代である。
超自然的な存在である怪異にとっては、さぞ生き辛い環境だろう――人間目線ではなく、僕の血に多少宿る怪異の目線から見れば。
かと言って怪異が生まれ辛い環境であると言う訳ではない。寧ろ限られた怪異はより力を増すだろう。
都市伝説。
街談巷説。
道聴塗説。
機械という制御出来ていながら出来ていないものが普及したお陰で、怪異は更に生まれることとなるだろう――そしてそれは、新種とも呼べるのかもしれない。そんな中で最も恐ろしいタイプの怪異は、最早議論するまでもないだろう。
機械に人間の心が宿ることである。
制御不能。
懐柔不可能。
人間より圧倒的にスペックを上回る機械が牙を剥けば、僕たちに為す術はないだろう。そしてそれは人間だけに限らず、怪異でさえも例外ではない。
とにかく、これはそういう物語だ。人の心を持った機械の物語。
この世で最も恐ろしい怪異。
機械であり、奇怪な存在――その
[002]
早速だけれど、僕の話を聞いて欲しい。なに、あまり長い話にはしないつもりなので、決して構える必要はない。僕だってその辺は心得ている。どれだけだらだらと喋ったところで、それを聞く、否、見る読者が居なければ話にならないことくらい、僕はよく理解している。数学の話をしたりするとひとが離れていくことくらい、僕は分かってる。
だからこれからするのは数学の話じゃあない。お勉強はしない。そんな固い話ではないので、肩の力を抜いて見て欲しい。
後日談というか、前回のオチ。パート2。
……いや、これが反則技であると言うことも僕はよく理解している。これを前回にちゃんと入れておけば、あんなに長くなった前回を良い具合に分割出来たかもしれないということを承知で、僕はこれを語るとしよう。
さて、前回――即ち衣物語の事だ――をお読み下さった読者の皆様でさえ、もしかしたら忘れているかもしれないけれど、あの事件の後僕の家はとんでもないことになっていた。
いや、僕の家というより、僕の家の窓――もっと言えば、僕のちっちゃい方の妹の窓なのだが――とにかくその窓がとんでもないことになっていたことを、読者諸兄は覚えているだろうか。
蛞蝓。
八九寺真宵大明神が、僕の家に住まう式神童女である斧乃木ちゃんに寄越しなさった使い魔、或いは眷属だ。
斧乃木ちゃんが言うには、その蛞蝓は彼女を呼ぶ為、窓を這い回ったという。そしてそのネトネトした粘液を利用して文字を書いたとか。全く器用なことをするものである。器用というか奇妙としか言いようがないが。
で、そのサインを斧乃木ちゃんは受け取り、僕に合流、そしてあの謎多きツーマンセル、識崎記と淡海静を撃退した訳で、僕は斧乃木ちゃんと八九寺には頭が上がらない。
しかし、問題はこれである。
真の問題はこれである――これというのはつまり、窓にべっとりとこびり付いた、ぬめぬめとした筋である。
あの蛞蝓の神様、果たしてこれを考慮していたのかしていなかったのかは不明だが、もう少しやりようがなかったのだろうか、と言いたくなる。いや、これについて文句を言うとはとんでもなく筋違いで、寧ろ僕は八九寺に心の底から感謝しなければならない立場なのだけれど、しかしどうも釈然としないものがあるのは隠しようのない事実である。
大人気ない、という声もあろう。実際大人気ないと思う。しかしどうだろう、成人式を未だ迎えていない僕を、果たして大人と呼んで良いものだろうか? 甚だ謎である。いや、自分でも揚げ足を取っているというか、それこそ本当に大人気ないことをしているというのはよく分かっているのだけれど、しかしそういう点から考えれば、僕は八九寺から見て子供の筈なのだ。
八九寺真宵――享年10歳。
あれから11年の歳月が経ち、このまま順当に成長すれば、少女八九寺は八九寺おねーさんに進化していた筈なのだ。21歳の大人になっている筈なのだ。そこを考慮すれば、真に大人気ないのは八九寺の方ではないだろうか。
……いや、僕は何を論じているのだろう。大人気ないとか、そういう話をしているのでは、だからないのだ。
閑話休題。
兎に角、その蛞蝓の通り道の後始末。家に帰還した僕がいの一番に取り掛かったのは、それであった。誰も手伝ってくれない中、一人だけでの掃除。精神的にかなりくるものがあったが、その程度のことなら僕は何度も経験してきた。故に僕が苦言を呈したいのはそこではない。
精神的な苦痛は耐え切れても、肉体的な苦痛は、何度やっても慣れないのである――僕が脚立に乗って月火の窓を拭いている最中、運の悪いことに、あのちっちゃい妹は目を覚まし、そして窓を拭く僕を見やがったのだ。
そこからが酷かった。悲鳴をあげるだけならまだ多少はかわいげがあっただろう。いや、そもそも悲鳴なんてあげられる筋合いは僕には無いのだ。窓を掃除してやっているのだから、それこそ僕は感謝されてもおかしくないはずなのだ。
しかしあのヒステリック小娘は、悲鳴をあげることはなかった。悲鳴はあげなかったが、手を上げる増援を呼んだ。
「火憐ちゃーん! お兄ちゃんぶっ殺してー!」
火憐と月火の部屋は、火憐が高校に進学するにあたり、別々の部屋となった。故に月火は火憐を呼ぶ為、部屋からどたどたと飛び出して行ったのだ。
その隙を突いて僕は逃げ出そうとしたが、しかし僕は忘れていた。火憐が、よりにもよって朝、この家の中に居るわけがないのだ。
火憐はいつも朝っぱらから町内を逆立ちで一周したり、北白蛇神社を十往復するなど、その精神性を疑うような奇行に繰り出している。その日に限って、毎日欠かさずやっているような奇行をサボっているなど、ある筈がないのだ。
そしてそれは月火も忘れていた。いくらあいつと言えど、やはり寝起き。しっかりと混乱してはいたのだろう。その癖悲鳴もあげず、確実に僕を仕留めようとする一手を打とうとするのがあいつらしいというか――兎も角、火憐は家の中には居なかった。確信を持って言える。
何故ならば。
「……何やってんだ兄ちゃん」
いつの間にか脚立の側に、火憐が逆立ちで立っていたのだ。
その後はもう酷い有様である。酷い有様というのはつまり、僕が火憐にボコボコにされたということを意味している――いや、このボコボコにされたという表現では、僕が受けた圧倒的な暴力を描写するには些か優しすぎる。正確には、ボコボコではなくボロボロが正しい。
そりゃあもう、囲い火蜂の時を思い出すくらい嬲られた――抵抗しようと思ったけれど、しかしそれは叶わぬ願いだった。今までならまだ吸血鬼の力で殺しちゃうかも、とか、そんなことを考えていられる余裕があったのだが、今回はそれがまるでなく、隙もなく無駄もなく、一瞬たりとも手を緩められずに嬲られた。抵抗しなかったのではなく、出来なかったのだ。
あいつ、蜂のときより明らかにレベルアップしてやがった。ベストコンディションなんて言っていたけれど、やはりあの高熱は火憐にとっては相当なハンデだったのだろう。これがあいつの本気……正直、死ぬかと思ったし、兄に対してここまでやるかと戦慄を覚えたものだ。
必死こいて火憐を説得した後、隙を生じさせぬ二段構えで僕を襲ったのは、月火による最悪の攻撃だった。いやもう本当、こいつだけは本当もう。流石は旧ファイヤーシスターズの参謀と言わざるを得ない。
あいつがとった最も最悪な手段。それは即ち、"親に言う"。
……ここからの展開は記したくない。火憐にズタボロのボロ雑巾みたいにされた後の精神攻撃である。精神攻撃はまだどうにかなるみたいなことをさっき述べたけれど、すまない、あれは嘘だ。
キツかった。
しかも怒られている僕の横であの小さい奴、煽ってきやがるのだ。あの時の僕の心情は、とても言葉なんてものでは収まらないなにかとしか言いようがない。
結果、僕は罰として暫しの間、ニュービートルの鍵を没収されるという刑に処された。これも中々堪えた。
そんなかんじで、誤解に誤解を重ねられ、結果僕の善意は見事に裏切られた訳で、もう二度とあいつの窓なんて掃除するか、という固い覚悟を決めた僕は、不貞腐れてその辺を彷徨いていた。
高校を卒業し、もうすぐ大学生になろうとしている身で、不貞腐れてその辺を彷徨くなど、大人気ないとかそういう以前にただの不審者なのだけれど、幸いそんな僕を目撃する人は居なかった。
さて、後日談とは言ったけれど、本番はここからである。
茶番は終わり。
僕は歩きながら思った。八九寺め、次会ったらどうしてやろうか、と――勿論ただの逆恨みである。しかしここまでされたのだ、逆恨みの一つでもやりたくなるのが人情というものではないのだろうか。個人的には月火を苛めた方が一番のストレス発散になるのだが、有り体に、飾らずに言えば、怖い。
色んな意味で怖い。肉体的に殺されそうでもあるし、社会的にも殺されそうな相手なのだ、あいつは――妹になに怯えているんだこのチキン、などと言われるかもしれないけれど、しかし考えてみてほしい。千枚通しを常備しているような奴に、躊躇なくバールで殺そうとする奴に、果たして恐怖を感じないことが、可能なのだろうか。答えは言うまでもあるまい。
ならば僕はこの気持ちを何にぶつければ良いのか。八つ当たりなんて褒められた行動ではないけれど、しかし目の前に元凶であるところのツインテール蛞蝓大明神が居られるというのだから、このチャンスはしっかりとモノにしなければならない。
さて、そういう訳で皆様、お待たせしました。いつもと趣向を変えて、後日談の振りをした前振りにしてみたが、如何だっただろうか。
僕は意気揚々とその場で準備体操を済ませ、いつも通りクラウチングスタートの姿勢をとった。狙うは、ツインテール少女神――!!
さーん。
にーい。
いーち。
はい、よーい――ドン。
「八九寺ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーぐあぁっ!?」
僕はツインテール大明神――つまりは八九寺真宵に向かって猛烈ダッシュした。気持ち的には音速の壁を軽く超えていただろう。現実では世界新記録の壁さえも超えることが出来てはいないだろうが、しかし光速でなくとも高速であったのは確かだった筈だ。
僕は目の前にいる八九寺に向かってベアハッグを仕掛けた――つもりだった。
仕掛けた筈だった。
しかし、何故か僕の手は八九寺を擦り抜けてしまい、体勢を崩した僕はコンクリートの地面に顔面から盛大に滑り込んでしまった。
ざりざりざりざり。
……痛かった。顔面をおろし金か何かでおろされたような気分だった。パラレルワールドで八九寺を助けようとした時似たようなことになったけれど、それ以上に痛かった。
心が痛い。
痛みで僕は、我に帰ったのだ。八九寺に八つ当たりしようとは、なんて馬鹿なことを、罰当たりなことを考えていたのだろう。
そりゃあ、罰だって当たる――自己嫌悪で軽く死にそうだ。もしも僕の手の中に千枚通しがあったなら、己の醜悪さに耐え切れず、即座に首を刺し、死んでいただろう。精神攻撃と肉体攻撃の両方を受け、僕はもう立ち上がれなかった。
――阿良々木暦、ここに死す。
「いや、何勝手に死んでるんですか。潔ければ格好良いとか思わないで下さいよ、嫌良木さん」
僕の前方から、八九寺の声がした。そこにいたのか……あと少し走れば、届いたのかもしれなかった。
「やめろ八九寺、これ以上嫌とか言われると、千枚通しがなくても何らかの方法で死んでしまいそうだ……僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた」
「わざとじゃない!?」
「狩りました」
「僕をか……」
狩られた気分だった。というか、刈られたい気分に駆られていた。
辛い。普段は楽しい筈のこの流れも、とても辛い……僕は、なんて愚かな馬鹿野郎なのだろうか。八九寺にまで拒絶されて……ああ、もう僕、これ死ぬんじゃないかな。
「ど、どうしました? 今日はいつになくネガティヴシンキングですね阿良々木さん……私に飛び付けなかったのがそんなに堪えましたか」
「ああ……堪えたよ」
堪えきれないほどに堪えたよ。
「それはすみません。何分、この子の力を試したかったもので」
「この子……?」
僕は全力で顔を上げた。顔面がモザイク処理される程に酷い有様になっているのを見て、八九寺は少し引いたようだ。ああ、また罪悪感が……。
なんて考える暇もなく、僕は再び八つ当たりの炎を燃やした。対象は八九寺ではなく、八九寺が取り出した"それ"である。
「いやあ、本当に私にちゃんと従ってくれるのかどうかを知りたくて。神様特権って奴ですよ」
そんなことを言う八九寺がその手に持っていたのは、何を隠そう、今朝僕達を散々苦しめてくれた、二度と見たくない、嫌という程見たあの忌々しいボディだった。
蛤。
幻覚を見せる煙を吐く怪異――逆さ蛤である。
[003]
「蛤てめぇぇぇぇぇ!!!」
僕は怒りを活力に変え、立ち上がると、八九寺の手から蛤を引っ手繰り、地面に叩きつけた。カン、という音がなり、蛤の殻の片割れは地面を幾度か跳ねた。
「僕と八九寺の間柄を邪魔しやがって! くそっ、こんなことならあの時全滅させとけばよかったぜ――いい気になるなよな! 八九寺の第一従僕は、この僕なんだからな! 蛤の分際で生意気なんだよ!!」
「本当に何があったんですか阿良々木さん!?」
おっと、僕としたことが。思わず我を忘れてしまった。やれやれ、八九寺の前で格好悪い姿を見せちまったぜ――しかし蛤め、まだ僕を邪魔しようというのか。そういえば忍が食いたがってたな……。
「落ち着いて下さい阿良々木さん! いつもの阿良々木さんとはなんか違いますよ!」
「おいおい何を言うんだい八九寺。僕は至っていつも通りの阿良々木さんだよ。八九寺を世界で一番信仰していると自負しているいつもの阿良々木さんだ」
「それは私としても有難いのですが、余りそのはまぐりさんを虐めるのを止めて頂けないでしょうか? 一応私の眷属なので」
「許し難し!!」
「止めて下さいよ!?」
蛤を踏もうとした僕の片足に鋭い蹴りをいれてきた八九寺。その程度で僕は倒れたりしないけれど、流石に悪ふざけも過ぎたので、普通に足を下ろした。
「悪いな、八九寺……ちょっと気が立ってたんだ」
「気性荒すぎですよ荒良木さん」
「正直否定しようがないのでそれでいいような気がしてくるけれど、しかし八九寺。僕の名前は阿良々木だ。荒れていても阿良々木だぜ」
「失礼、わざとです」
「だろうな!」
そんなことを喋りながら、八九寺は蛤を回収した。リュックサックに入れてるのか……。
あれだけ暴走していた僕に対し、こうして普段通りに喋ってくれる八九寺。やはり神様は度量が違うぜ。
「暴走どころか爆走でしたね」
「それも見事失敗に終わったがな」
その蛤の所為でな。
「はまぐりさんと何張り合ってるんですか貴方は……しっかりして下さいよ。貴方は伝説の吸血鬼の眷属でしょう? いいんですか? 蛤と同レベルになって」
「…………」
良い訳なかった。
流石に蛤と同格なんて、幾ら力を失っているとは言えど、誇りは余り失っていない忍が知れば、大いにショックを受けるだろう。
「何があったんです? 阿良々木さんがここまでご乱心なされるとは……只事ではないと、この八九寺真宵、判断致しました」
「いやまあ……そんなにシリアスな案件ではないのだけれど」
「私の経験則から判断する限り、忍さんのことか、或いは、妹さん達とのこと、そのどちらかと予想しますが如何でしょう?」
完全に読まれてた。
すげえな八九寺……僕って奴は、そんなに分かりやすい男なのか。忍野には散々見透かされていた僕ではあるけれど、忍野どころか、僕の知人全員から見透かされているのかもしれなかった。
「……まあ、妹とのこと……と言えば、まあそうなんだけど」
「そうですか。それはそれは――では、不肖この私が、阿良々木さんの聞き手になって差し上げましょう。人のお話を聞くのも神様の仕事ですから」
「八九寺……」
天使だ……天使がここに顕現している。神様と天使、果たしてどちらが格上なのか僕は知らないけれど、その両方の属性を併せ持つ八九寺が一番格上なのは議論する余地さえなかった。
そんな八九寺の優しさに甘えた僕は、洗いざらい全て話した。先程長々と述べたこと以上に長い、長々とした語りだったけれど、八九寺は小気味いい相槌、合いの手をいれ、しっかりと聞いてくれた。本当、聞き上手な奴である。日本には八百万の神が居るというけれど、八九寺はきっとその中でもかなり有能な方に違いないと思った。
僕の話を聞き終えると、八九寺は頷き、言った。
「成る程――つまり、私のお陰で阿良々木さんは一人立ちへの第一歩を踏み出した、という訳ですね」
「お前は僕の話の何を聞いていたんだ!?」
「え? そういうことじゃないんですか? てっきり私は、大学生になっても親の脛を囓って暮らそうとしていた阿良々木さんが、私のお陰で心を改め、家出と称して一人立ちの練習をなさっている、という話だと思っていたのですが」
「一言も言ってねえよ、そんなこと! お前のお陰っつーか、お前の所為って言ってんだよ!」
前言撤回。こいつ、聞き上手かもしれないが、話を自分にとって都合のいいように曲解しやがる。曲解に定評のあるレイニーデヴィルも真っ青である。
改変しやがって……ああ、こういうのを歴史の改変っていうのか? 織崎ちゃんが言ってたことだが――。
「これはこれは聞き捨てなりませんね、阿良々木さん! 私の所為! 私の所為と仰いますか! 良かれと思って行動して差し上げた私の善意を、切って捨てますか!」
「いや、そういう訳じゃ……いやそういう訳だな、うん」
「マジですか阿良々木さん! 貴方がそんな方とは、私、これっぽっちも、露ほどにも思っておりませんでしたっ!」
「ご、ごめん八九寺。でも、僕は別にお前には怒ってないよ、本当だ」
「しかし私に八つ当たりをしようとしたのは変わらない事実なのですが、そこのところ、何か釈明でもありますか?」
「すみません、無いです」
頭を下げた。二礼二拍一礼。小学五年生の少女に頭を下げる高校卒業生の姿が、そこにはあった。
「やれやれですよ全く……あーあ、これじゃあ貴方、はまぐりさん以下ですよ」
「蛤以下だと!?」
とんでもないお達しだった――蛤以下。なんだそのこれ以上ない程屈辱的な称号は。土下座を百回やっても全くプライドが傷つかない僕だけれど、流石にこれはプライドが傷ついた。蛤以下だと!? 畜生蛤め!!
「もう貴方は支部務めですね。本部には来ないでください」
「左遷された!?」
つーか本部って何だ、支部ってなんだ!?
「勿論本部は北白蛇神社ですとも。あそこで働ける上級役員になるには、阿良々木さんは不敬過ぎます! 貴方には支部――即ち、ご自分の家で働いて下さい」
「自宅警備員になれと!?」
一人立ちどうのこうのと言っていた奴の台詞じゃねえな、それ!
「あ、でも僕の自宅ってお前の支部って扱いなのか……そう考えると、自宅警備員も悪くない」
「阿良々木さんのニート化に一役買ってしまいました!?」
「そうだ! 僕は八九寺の下で働いているって設定なんだ! そうだ! それだ!」
「それだ! じゃないですよ! ちゃんと働いて下さいよ! 友達がニートとか、私他の神様に笑われてしまいます!」
「大丈夫だ。お前のことを笑うような神様は、僕が倒す」
「貴方が働けばそれで済む話なんですけど!?」
全然格好良くありませんよ。八九寺は言う。
むう。
じゃあ僕はどうすれば良いのだ。どうすれば、僕は本部務めに昇格できるというのだろう。
「そんなに私の下で働きたいんですか貴方は」
「当たり前だ。僕はお前の信者第一号だぜ」
「第二号は果たして居るのでしょうかね……」
「…………」
何とも言えなかった。場所が場所だけに、あの神社の参拝客は少ない。精々あそこを訪れるのは、怪異か、あそこを修繕する大工さん達くらいだろう。
「信仰、欲しいですねー」
「ストレートだなおい」
「神様になったお陰で、地縛霊時代とは比べものにならない程自由になりましたけれど、また違う制約が出来て……信仰がないと、私のこのパワーも、あまり使えません」
「心配ないぜ、八九寺。無い分の信仰は、僕の並外れた信仰で補うさ」
「はい。そう言って頂けると有難いですし、心強くはあるんですが……何分ゴッドカーストは信者の量で決まるので、阿良々木さん一人だけでは、私はいつまで経ってもカースト下位です」
ゴッドカーストなんてものがあるのか……どうやら八九寺の奴、かなり苦労しているらしい。スクールカーストも中々苛烈なものだけれど、ゴッドカーストともなると、果たしてどれ程のものなのだろうか。
「そりゃあ、上位カーストの神々からは虐められますよ」
「よし、虐められた神の名前を教えろ。殺す」
「物騒ですね!?」
八九寺を虐めるなんて、そんな奴を僕は許すことができない。それが例え神であろうともだ。神だろうがなんだろうが、八九寺を苛めていい免罪符にはならない。
それに、やろうと思えば、多分僕、神に対してもある程度は抗えるだろう。何せ伝説の吸血鬼の眷属なのだ、吸血鬼度をギリギリまで上げれば、神の一柱や二柱程度、倒せる筈。
「どんなことをされたんだ? それによって刑量が変わる」
「そうですね。頭上に虫を落とされたり、境内を葉っぱで汚されたり……」
「陰湿過ぎる!」
壮大な上位存在の癖して、やってることが学生と何ら変わらねえぞ神様!
「偶に入っているお賽銭を掻っ攫われたりもしますね。50円くらい」
「スケール小せえよ!」
「困るんですよねー。毎日毎日そんなことをされるのは」
「お前毎日虐められてんのか!?」
衝撃の事実だった。妹達との諍いなんて心の底からどうでもよくなるような、胸糞悪い現実だった。
「マジかよ……なんで僕はそんなことに早く気付いてやれなかったんだ……! こんなすぐ近くに助けを求めてる奴が居たっていうのに……!!」
「助けだなんて。私、別に気にしてませんから……毎日されていることをこうしてメモに書いておくなんてこと、してませんから」
「滅茶苦茶気にしてるじゃねえか!!」
くそっ、蛤なんかに喧嘩を売っている暇じゃなかった。僕が真に喧嘩を売る相手は、すぐ間近に居たのだ。
「八九寺、今からお前の家に行くぞ」
「え?」
「お前が困っているのを放っておく訳にはいかない。虐めっ子は、僕が対峙する」
「虐めっ子って言いますけど、貴方も私を虐めていたような……」
「気の所為だ」
それでも僕は、奴等のように陰湿な虐めを行っていた訳ではない。常に真正面からぶつかって、殴り合い、直接的な行為に出続けてきた。影でコソコソしているような連中と一緒にしてもらっては困るのだ。
……まあ、結局のところ同じ穴の狢のような気もするが……それを言い出したら僕は何も出来なくなるので、ここは目を瞑ろう。
「行くぞ八九寺。宣戦布告だ」
「やめて下さいよ! 私の立場これ以上ないほど悪くなるのですが!?」
「大丈夫だ。全員潰せば問題ない」
「問題しかありませんって!」
「おいおい八九寺、何を恐れているんだ? お前らしくないぜ。恐れ知らず負け知らず物怖じずの八九寺真宵は何処へ行ったんだ」
「そんなキャッチコピーだったのですか私は!? ……でも阿良々木さん。社会に出ることって、きっとこういうものだと思うんですよ」
八九寺は声のトーンを落として言った。
「自分の嫌なことでも、我慢しなければならないものなんです――攻撃力よりも耐久力の方を求められるのが、この現代社会なのですよ。どれだけ打たれてもへこたれないか……言わばこれは、社会進出するにあたってのイニシエーション、洗礼なのですよ」
遠い目で、そんな悟ったようなことを語る八九寺。そんな現実に現在進行形で晒されているが故に、下手に反論も出来なかった。
しかしそれでも――そんなことで、僕は八九寺が置かれている現状を看過することは出来なかった。許容出来るほど、僕はまだ大人びてはいない。
僕は八九寺の両肩を掴んだ。
「いいか、八九寺。お前はロリだ」
「いきなり何を仰るのかと思えば、本当に何を仰るのですか貴方は」
「ロリっ子が、そんな風に現実を語らざるを得ないような社会は、絶対に間違っている」
「私見掛けは10歳ですけれど、本来は21歳なのですが……」
「お前の時間はその当時で止まっている。だからお前は永遠に10歳のロリだし、子供だ。本来の年齢なんて関係ねえよ」
僕は八九寺の目を真っ直ぐに見て、言う。
「小さい子は、虐められちゃいけないんだ」
「すみません、良いことを言っているんでしょうけれど、ロリと言う単語をお使いになられている時点で全てが台無しになってます」
「マジか」
むう。
なんと意固地な奴なのだろうか。こうなったら意地でも僕の気持ちを伝えねばなるまい。僕は決してロリコンなどではなく、純粋な善意から協力を申し出ているのだと言うことを伝えなくてはならない。
どこかに助けを求めているロリっ子は居ないものか――と思いながら辺りを見回してみると、なんと、居たのだ。困っているロリっ子が。
少し遠方にあった自販機。高い場所にあるボタンを押そうと奮闘している児女が、そこには居た。草色の着物を着て、その上から黒い袖無し羽織を羽織っている。
「見てろ八九寺。僕が心の底からお前を心配してるってことを証明してやるよ。ロリコンだからとかそんな理由じゃあないってことを、証明してやる」
「それでそんなことの証明になると本気で思っているのですか貴方は」
まあ、証明するとかしないとかは兎も角、困っているなら無条件に助けねばなるまい。僕はその少女の元へと向かった。
背伸びをし、ボタンを押そうと躍起になっているあまり、僕の存在に気付いていないようだ。僕は話しかけた時に驚かさないように、忍び足では近付かず、わざと足音が聞こえるように歩いた。八九寺はその後ろから付いてきている。
歩きながら、僕は八九寺との出会いを思い出していた。あの時も困っている少女を助けようという一心で、僕は八九寺に近付いた。あの時の反省を生かし、争い合いにならないようにしよう。
僕は児女の後ろから近付き、軽く肩を叩いた。
「よう。何か困ってるのか?」
「…………」
こちらを向いた。おかっぱ頭で、丸い髪飾りを付けている。女の子は不思議そうな顔で僕を見ると、小さく首を傾げた。可愛い。
「どれが欲しいんだい? お兄ちゃんに言ってみろよ」
「ぷぷっ、お兄ちゃんとか自称してますよ」
黙ってろ八九寺。聞こえたらどうするんだ。……なんて思ってるあたり本末転倒だが。
「……あれ」
「あれ?」
女の子が指差したものは、自販機の一番上の列にあるボタンだった。それはなんの変哲もないお茶のボトルに対応したもので、特に変わったところのないボタンであった。
けれど、僕はそのボタンを押すことは出来なかった。いや、押すことは出来るだろうけれど、購入することは間違いなく不可能だろう。何故ならば――。
「君、お金入れた?」
――ボタンには光が灯っていなかったからである。
[004]
お茶を所望している児女。しかし代金を入れていない。これは果たしてどうしたものか。当然、奢ってあげるしかないだろう。
僕は財布から150円を取り出し、自販機の中に入れた。全てのボタンに光が灯る。
「……ほう」
「?」
児女が感嘆するような声を漏らした。変わったことはしていない筈なのだが――自販機を見たことないのだろうか? まあ、これ位の年代の子なら、あり得るか。
「あれが欲しいのか?」
念の為にもう一度確認を取る。児女は頷いた。僕はボタンを押した。一瞬間を置いてガコンと音を立て、お茶のボトルが落ちてきた。
僕はそれを取り出して、蓋を開けた。誤解無きように言っておくが、僕はお茶を飲もうとして蓋を開けたのではない。一度蓋を開ける前の蓋は大抵固いため、児女の力では開けられないことが予想される。そうなれば、そのまま渡しても飲めないであろうことは自明であろう。なので、先に一度開け、開けやすくしてあげたのである。
「ほらよ」
僕は児女にボトルを手渡した。
「……ありがとうございます」
受け取った児女は、礼の言葉と共に僕に一礼した。礼儀正しい子だ。八九寺の時とは大違いである。
「では、もう一つお聞きして良いでしょうか」
「あ、ああ。いいぜ。なんでも言えよ」
思わずどもる僕。こんなキャラクター性の子に触れるのは初めてなので、気後れしてしまった。
「これはどのようにして開けるのでしょう」
「え? えっと、この蓋を――」
「蓋とはこの先っぽにくっついているものでしょうか?」
「ああ。で、それを左に回すんだ」
「はい」
児女は僕の言う通り、蓋を左に回した。蓋は既に緩んでいるので、すぐに開いた。それを見た児女は、納得したように頷いた。
「ほう、このようにして開くのですか。とても面白いですね」
いただきます、と言って児女はお茶を飲んだ。
不思議な子だな、と思った。最近の子にしては礼儀正しいし、蓋の回し方はともかく、蓋のことを知らなかったりと――僕は八九寺に耳打ちした。
「お前、あれ位の歳の時、自販機のこと知ってた?」
「流石に知ってましたよ。蓋だって自分で開けていましたよ」
「…………」
僕の勘が、何かを告げている――ような気がした。どうも訳ありな子のような気がしたのだ。
しかし、僕はその程度で怯んだりしない。訳ありの女子なら、今まで幾度となく見てきた――というか、僕の友人は訳ありの女子しかいない。どうして臆しようか。
喉を鳴らしながらお茶を飲み続けている児女に話し掛ける。
「君、なんて名前なんだ?」
「ぷはっ……あたいの名前ですか」
あたい……あたいとはまた珍しい一人称を使う。アニメとかの影響だろうか? いや、アニメの影響というなら、服装もコスプレ染みている。
「あたいは日和――
「日和ちゃんか。僕は阿良々木暦。あそこにいる僕より
「阿良々木さん、何やら聞き捨てならないことを仰っておりましたが? 小さいを強調しましたね?」
「何のことだろうな、僕は知らない」
「どれだけ自分の背丈にコンプレックス持ってるんですか。戦場ヶ原さんより身長低いからって」
「それは言わないで!」
そう、僕の身長はひたぎに負けている。アニメでは僕の方が背が高かったりしたらしいけれど、残念なことに、現実はそうはいかないのであった。
「阿良々木お兄ちゃんと八九寺お姉ちゃん」
日和ちゃんは言った。
「阿良々木さん、お姉ちゃんと言われたの、私初めてです」
「あれ、そうなのか。斧乃木ちゃんからは真宵姉さんだもんな。それがどうした?」
「凄くときめきました!」
「どうでもいいわ!」
八九寺は目を輝かせている――ここで日和ちゃんの身長を記述しておこう。忍と同じ位の身長なのである。そこから判断して、日和ちゃんは八九寺より年下であると結論付けた。
「もう一度! 八九寺お姉ちゃんって!」
「……八九寺お姉ちゃん」
「もう一回!」
「……もう言いません」
「え!?」
断られ、ショックを受ける八九寺。初対面の相手に迫り過ぎだ。もっとスタイリッシュかつナチュラルにいこうぜ。
「怖がらせちゃったかな? ははは、ごめんよ。じゃあ、もう一回僕のことを読んでくれるかな」
「申し訳ございませんがお断りします」
「なっ……」
一度のチャンスさえ与えられなかった。八九寺はそんな僕を見てニヤニヤと笑う。くそう。
「子供は変質者に敏感なのですよ。意外と勘が鋭いですからねー」
「僕のことを変質者と呼ぶのをやめてもらおうか八九寺。僕は変質者でもなければ変態でもない。況してやロリコンなどでは断じてない!」
「変質者でもロリコンでもないにしても貴方は変態ですよ」
「何を。ジェントルマンの代表格であるこの僕のどこに変態要素があるというのだ」
「貴方という存在そのものと言っても過言ではありません」
「マジかよ」
そこまで言われるようなことを、僕はいつ八九寺に実行したというのだろうか。身に覚えがない。さっき顔面スライスした所為でその辺りの記憶は吹き飛んだからな。顔の皮と一緒に置いてきた。
「日和さん。お母さんとお父さんはどこかに居るのですか? それともお一人様ですか?」
八九寺は言う。
「……一人ですが」
「どこから来たのです?」
「分かりません」
「分からない?」
「どこか遠いところから……瓦礫の山から来たような気がします」
瓦礫の山?
何のメタファーだろうか。その言葉からはどうやってもプラスな意味が掴めない。寧ろ思い浮かぶのは、マイナスな意味――。
「じゃあ、あなた、迷子ですか?」
「迷い子……そうなるのでしょうか」
迷子とな。これはますます八九寺の時を思い出す展開である。迷い牛のことを反射的に考えてしまったが、しかし迷い牛はもう居ない。厳密に言えば迷い牛だった奴は、今目の前に居るのだけれど。
「ですがあたいはどこへ帰ればいいのでしょう? もうあたいはあそこに戻りたくはありません」
「あそこに戻りたくはない?」
僕と八九寺は顔を見合わせた。八九寺はどうもピンと来ていないようだが、どうしても僕は、それを連想できてしまう。
瓦礫の山。
帰りたくない。
ここから導き出されてしまうのは、導いてしまうのは、あまり考えたくはない可能性だった。即ち、羽川や老倉のような家庭事情。
しかし、仮にそうだとすれば、この子をどこに連れて行くべきなのだろうか。然るべき機関というと、やはり警察なのだろうけれど、少々憚られてしまう。ロリコンとかいう犯罪者が蔓延するこの昨今、僕という青年が児女を警察に連れて行くという行為は、非常に危険を伴う。誤解に誤解を重ねられ、場合によってはお縄を掛けられてしまうかもしれない。冤罪の恐ろしさは、今朝身をもって味わった。
だとしても、このまま放置しておく訳にはいかない。ここは田舎だから、そんな犯罪者はそうそういないだろうけれど、万が一ということも考えられる。やはり僕はこの子と一緒に居るべきだと思う。
幸い、今この場には八九寺が居る。青年の男一人とロリ一人ではなく、ロリは二人居る。周囲の目も、多少はマシになるだろう――いや待て、無理だ。
八九寺は普通の人からは視認できない。八九寺が一緒に居ようと、結局はロリと二人きりに見えてしまう。しかも僕が八九寺と話せば、それは痛い独り言みたいになってしまうのだ。悪化している。
どうすれば――と、ここで僕は、日和ちゃんが八九寺を視認出来ているということに気付いた。嘗て家に帰りたくない人ならば八九寺を視認することが出来たけれど、そのルールは今でも健在なのだろうか。
……いや、今考えるべきはそこではないだろう。まずはこの子をどうするか、だ。
「日和ちゃん、君、これからどうするつもりなの?」
「どうするつもりと聞かれても、あたいに行くところなんてありません。あたいはこの辺りをふらふらと歩くだけ」
行く当てはないようであった。
うーむ……。
僕は八九寺を見たが、八九寺も肩を竦めている。おいおい八九寺もお手上げなら、僕はどうすればいいんだよ。
「……あ、そうだ」
僕はそれに思い至った。あったじゃないか、最終手段が。良い方法が。
僕は日和ちゃんに向き直った。ここは僕のご両親の真似事を、ささやかながらさせて頂こう。これならまだ危険度は低い筈だ。
僕は言った。
「どこにも行く場所がないんなら、僕の家に来るかい? 日和ちゃん」
「…………」
日和ちゃんに冷ややかな目で見上げられた。
[005]
念の為に注釈しておくが、僕は下心からこのような発言に出た訳ではない。しっかりとした理由がちゃんとあるのだ。
衆知の通り――僕としてはずっと隠し通したかったが、流石にもう知られているだろう――僕の両親は警察官である。熱血な正義感を持った、僕達兄妹の人格形成に一役買う程の信念を持った両親。
僕達がまだ小さい頃、どうやら両親は、虐待を受けていた子を何度かうちで預かっていたらしい。らしいというのはつまり、僕はそのことを覚えていないということだ――これについては僕が忘れっぽいとか、そういうことでもないようで、火憐や月火も、そのことを忘れている。
僕はこのことを、あの老倉を巡る一件を通して知ったのだが――今回はそれを踏襲しようとしたのだ。
リスペクト。
阿良々木センターを復活させようと試みたのだ。どうせ今なら火憐や月火も居るし、あいつらなら上手くやってくれるだろうと思う。僕なんかよりよっぽど小さい子の扱いには長けている筈だ。
あの小癪な連中の手を借りるのは、今朝冤罪を掛けられた身としては非常に耐えがたいものではあるのだが――しかしそれはそれ、これはこれである。ちゃんと区別し、分別のある行動をとらなければならない。
とまあ、そんな訳である。ご理解頂けただろうか。僕は決して下心から行動するような男ではないということを――ロリコンなどではないということを、分かって頂けただろうか。
「分かったか? 八九寺」
「今更元の目的を思い出しましたね貴方」
そういえば、最初は僕、八九寺にロリコンでないことをアピールしようとしていたのだっけ。完全に忘れていた。
いや、また誤解なきよう言っておくが、別にこれは新たなロリの登場によりはしゃいでいた訳では断じてない。そんな事実はどこにも書いていない。そんな男じゃないんだぞ僕は!
「ロリが三人集まった状況を、桃源郷だとかボーナスステージだとかに例えていた方が何を仰るのやら」
「おいおい八九寺。そんな身も蓋もないこと言うなよ。僕のイメージがだだ下がりだぜ」
「では《鬼物語》を見て頂くというのはどうでしょう? 2011年9月28日好評発売中の原作書籍です。幼女と童女と少女が揃い踏みした、たまらない一冊ですよ! さあ、お近くの書店へレッツゴー!」
「隙あらば宣伝しようとするな!」
「この私、八九寺真宵がある意味メインとなるお話です! さあ、全国のロリカッケー皆さん! 書籍、或いは同じく発売中の《〈物語〉シリーズセカンドシーズン 鬼物語 Blu-ray&DVD 第1巻及び第2巻》をお買い求めください!!」
「媚び過ぎにも程がある!!」
つーかもうそれ何年前のやつだよ! 宣伝するには時間が経ち過ぎてるぞ八九寺P!
「いやあ、あの話はハンカチ無しでは見られませんね!」
「お前がそういうこと言うとあのシーンが色々台無しになるんだよ! やめろ!」
「ハンカチどころか雑巾が必要とも言えるでしょう!」
「涙流し過ぎだろ! 気持ちは分かるけども!」
「因みに、鬼物語の後日談《終物語(中)》も是非お買い求め下さい! こちらが収録されているアニメ《終物語 第4巻及び第5巻》は、それぞれ2016年3月23日、4月27日に発売予定です!」
「もういいよ宣伝は!!」
宣伝タイムおしまい。
いやもう流石に露骨すぎる。これは酷い。ここまでダイレクトマーケティングするような小説が、果たして今までに存在しただろうか。これ以上やり過ぎると、宣伝タイムどころか、この作品自体が打ち切りになってしまう。礼節は守らなければ。
今更そんなこと言っても、もう散々好き勝手やってきたから遅いだろうけれど……。
閑話休題。
兎に角そんなかんじで、僕は日和ちゃんを家に招待しようとした訳だ。結果、返ってきたのは冷ややかな目線だけだったのだが、まあ、当然といえば当然だろう。
「……あなたの家に、あたいは行きません」
「はっきり言われた……」
明言されてしまった。
こうなるとどうしようもない。相手が嫌がっている以上、ここで無理矢理家に連れこめば、それこそただのロリコンであり犯罪者である。かと言ってその気にさせようと説得するのもまた犯罪以外の何物でもなかろう。
行き詰まってしまった。僕はどうすれば良いのだ。
「……じゃあ、日和さん。どこか行きたいところとかってありますか?」
八九寺が言った。成る程、その手があったか。能動的にではなく、自発的に行動させる。この子を一人にしておくのが駄目だというのであれば、要は一人にしなければいいのだ。
連れて行くのではなく、僕達が付いて行く――これはこれで犯罪の匂いがするけれど、しかし家に連れ込むよりはよっぽどベターなアイディアに思えた。流石は日本語の伝道師、恐れ知らずの八九寺真宵。僕とはレベルが違った。
「……行きたいところ、ですか」
日和ちゃんは、手に持ったボトルに視線を落とした。そしてその後、再び顔を上げた。
「行きたいところではありませんが――この大きなものの中にある飲み物を全て飲んでみたいですね」
「だそうです阿良々木さん。頑張ってください」
「いや無理に決まってるだろ!」
凄まじい無理難題をふっかけてきた。幾ら一本の値段は安価とは言え、これだけの種類全てを購入するのは流石に不可能である。
僕はまだ破産する訳にはいかないのだ――今月末には小遣い日があるとは言え(冤罪の所為でそれも怪しいが)、忍にドーナツを買ってやらねばならない身としては、極力無駄使いは避けたいところであった。
「いけませんか」
「ごめん、無理だ」
「阿良々木さん、何子供の夢をぶち壊しにしているんですか! 良くないですよそういうの!」
「うるせえ! 買う方の身にもなりやがれ!」
少しは恐れを知れ!
「そうですか……しかし行きたいところと言われましても、あたいはものを知りません。なので行きたいところはありません。申し訳ございません」
「いや、謝るなよ……」
妙な罪悪感を覚えてしまう。いや、本気で申し訳なさそうな顔をしてるのだ、この子。
「なので」
日和ちゃんは言った。
そしてその言葉を聞き、僕は、真に恐れ知らずなのは何も知らない子供なのだと、改めて深く実感した。不覚にも。
「あたいを面白いところに連れて行ってくれませんか。あたい、もっと多くのことを知りたいんです」
それは叶えたい注文ではあったが、しかし敵わない注文でもあった。
八九寺と僕は顔を見合わせ、一旦後ろを向くと、議論を始めた。
「……どうする、八九寺」
「……どうします、阿良々木さん」
「僕に聞くなよ」
「じゃあ私にも聞かないでくださいよ」
「いやマジでどうするんだよ……面白いところってなんだよ。僕知らないぞ」
「全く、阿良々木さんがケチらなければこんなことには……」
「あれをケチったというのかお前は……流石にやばいぞ。児女と二人きりとか、僕の立場が危機に晒される」
「世知辛い世の中になったものですね」
「全くだぜ、迂闊に親切に出来やしない」
「困りましたね」
「まあ僕の立場なんてこの際どうでもいいとして、面白いところって何だよ。八九寺、お前散々この町ほっつき歩いてたんだから、どこか知ってるか?」
「ほっつき歩いてたという言い方に多少なりとも悪意を感じますが……」
「……気の所為だ」
「……私もよくは知りません。あくまでも私は歩いていただけですからね。店に入ったことはございません」
「役に立たねえなおい」
「貴方にだけは言われたくありませんよ」
「じゃあどうする」
「……取り敢えず、歩きながら考えますか?」
「……じゃあ、それで」
議論終了。僕と八九寺は振り向いた。
「なあ日和ちゃん。僕達と一緒に、ちょっと歩こうぜ。それで、面白そうなところを見つけたら僕達に言えよ。連れて行ってやる」
まあ、流石に限度はあるが……それは言わない。それを言うことこそ、まさに子供の夢を壊すことだと僕は思う。
「本当ですか!」
日和ちゃんは笑顔になって言う――やべえ何だよこの純粋な笑顔。可愛すぎるだろ。てっきりまた無表情系キャラと思っていたけれど、こんな表情もするのか。穢れた心が浄化されて……ああ、いい……。
「阿良々木さん、その発言、ロリコンそのものです」
「そう思うのは八九寺、お前が穢れているからさ。ほら、見ろよこの笑顔。ロリコンなんて概念は忘れちまいな」
「誰ですか貴方……」
「僕は良々々木さ。阿るなんて穢れた心は棄て去り、良い部分だけ残った阿良々木暦だよ」
「違います、貴方は阿良々木さんです」
「いや、僕の名前は良々々木だ。なんだ阿良々木って。僕の名前を噛むんじゃない」
「失礼、噛みました――って噛んでません! 何いつものパターン始めようとしているのですか!」
うむ、ここまで付き合ってくれるのなら上出来である。流石は八九寺、僕の大親友である。
勿論僕の名前は阿良々木だ。良々々木でも嫌良木でもない。
「でしたら、あたい、あそこのお店に行きたいです!」
「あそこ?」
日和ちゃんが指差したのは、少し遠めの場所にあるパチンコ屋だった。都会と比べれば控え目なのだろうが、ネオンがちかちかと輝いている。子供の目を引くには十分であった。
「…………」
「…………」
僕と八九寺は沈黙し、静かに首を振った。どうやらこのやり方も、早速限界が生じてきたようであった。
■ 以下、豫告 ■
「火憐だぜー! 一人だとちょっと寂しいぜ……」
「炎って漢字さ、火を二つ合わせて炎になるじゃん? これちょっと安直過ぎだと思うんだよなー。
「木を二つ合わせて林とか、木を三つ合わせて森……車を三つ合わせて轟、とかさ。
「いや、自分でも細かいこと言ってるなーとは思うんだけどさ、もうちょいどうにかならなかったもんかね? そういう字をありにしちまえば、それこそ、木を四つ合わせてジャングルとか、いつか本当に言われ始めるかもしれねー。そうなるともうなんでもありになってくるよな。
「水を三つ合わせてミネラルウォーター! とか、単を三つ合わせて一人ぼっち! とかさ。
「あれ? ……もしかしてこれ、技の名前に使えるんじゃね!?
「蹴を三つ合わせてサマーソルトキック! 腕を三つ合わせてフリッカージャブ! 拳を三つ合わせて、阿良々木流拳法!! うおおおぉぉぉっ!!!」
「次回、裂物語 ひよりブレード 其ノ貮!」
「炎を三つ合わせて、阿良々木火憐だぜー!!」