〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
・壹萬玖仟字以上。
・〈物語〉シリーズ重大ナネタバレヲ含ミマス。
・他、何カアレバ書キマス。
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↳[002]の文章を一部変更 (1/15)
■ 黒齣 ■
第壹話 おうぎヘルメット 其ノ壹
[001]
忍野扇。
その名を聞くと、僕の心の中に言い知れぬ恐怖のようなものが芽生えてしまう。僕の行く先々で突然、しかし当然のように現れ、不気味な正しさを振りまいていく――如何にも扇ちゃんらしいこの行動が、どうしようもなく心をざわつかせる。
身がすくむ。
あの暗闇が人の形を借りて動いているような少女には、今まで幾度となく振り回された彼女には、もういっそ苦手意識さえも芽生えていると言ってもいい。僕にいつも影のように付いて回る彼女が、僕は苦手だ。
もっとも、扇ちゃんの正体を考えればその理由は明確で、自明であることなのだけれど――知っていることなのだけれど。
「私は何も知りません。あなたが知っているんです」
まるで僕の敬愛する聖母であるところの羽川翼の代名詞を真似たような言葉。だが、これも彼女の正体を考えれば、あまりにも直接的な表現であったことは明白であり、議論の余地さえない。
だからつまり、僕が何を言いたいのかというと、忍野扇はやはりどうしようもなく僕なのであり、そして、どこまでも借り物の存在であるということだ。
怪しくて異なる――怪異だということだ。
もっとも、今更そんなことを再確認したところで何の意味もない。そもそもそれは『僕』が一番わかっているのだろう。そして、そんな分かりきっていることをこうしてだらだらと喋っている僕を、あの子はいとも容易く嘲笑し、愚か者と蔑むのだろう。闇の衣を纏う、僕の相棒は。
――衣。
それは偽りの姿。己を隠す非存在証明。
己を守る、鎧。
鏡の世界から見事生還してから暫く後、僕たちはある怪異現象に立ち会った。否、立ち会ったと言うよりは立ち遭ったというべきだろう――いや、そういう被害者染みた言い方は、毎度のことながらとても出来ない。何故ならば、結局今回の事件は、いつものように愚かしく、また懲りもせず、自分から首を突っ込んだだけという話なのだから――その辺が愚かだという話なのだが――それはともかく。
それが今回の物語だ。新たな始まりの物語。キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと殺し合い、羽川翼の裏を見て、戦場ヶ原ひたぎと出逢い、八九寺真宵と迷い、神原駿河に憎まれ、千石撫子を助け、再びブラック羽川と相対し、貝木泥舟と影縫余弦を退け、別時空を救い、忍野忍の過去を知り、死屍累生死郎と決闘し、老倉育と向き合い、蛇神に嬲られ、斧乃木余接に見張られて、臥煙伊豆湖に殺され、地獄から蘇り、忍野扇を受け入れた僕、阿良々木暦の、新たな怪異譚。
新たな始まりの物語――ファイナルが終わり、オフが始まる、その間の物語である。
[002]
「あれれ、阿良々木先輩じゃないですか。奇遇ですねえ。奇遇も奇遇、偶然もいいところです」
それは、僕が直江津高校の卒業祝いに両親に買ってもらったニュービートルを勢い勇んで走らせていた時の話。
勢い勇んでとは言うけれど、免許を取り立てのペーパードライバーである僕にそんな度胸は皆無だ。勢いもないし勇んでもいない。僕がこうして平穏に車を走らせることが出来るのは、ここが車通りの少ない田舎だからという理由に他ならない。さもなければ、背後からのクラクション、煽りの嵐を受け、いとも容易く再起不能になってしまい、車になど二度と乗れなくなってしまうだろう。
と言うわけで弱くて薄い僕は、吸血鬼らしからぬ早朝にニュービートルを走らせていたのであった。
そしてその道中。のろのろと走るニュービートルの前方に、見覚えのある少女が突然飛び出してきて立ち塞がったではないか。
というか、忍野扇が現れたではないか。
「……やあ、扇ちゃん」
慌てて僕はブレーキを踏んだ――まったく、運転初心者の僕に対してなんというドッキリを仕掛けてくれるのだ。
心臓に悪すぎる。
「こんな朝っぱらからどうしたんだい」
「どうしたもこうしたもありませんよ。私は阿良々木先輩の居るところどこへでも馳せ参じ、どこにでも現れる忠実なる僕ですからね」
「主人の運転を妨害してくる忠実な僕なんて居てたまるか」
車から降りた僕は扇ちゃんを見た。
「……なんですか、じろじろ私を見て。私の魅惑のボディに見惚れているのですかこの愚か者」
「そんな訳ねえだろうが」
その胸でよく魅惑と自称できるものだ。僕を魅了したいのなら、羽川レベルの胸、もしくは、八九寺レベルのロリ度になってから挑んでこいというものである。
念の為に釈明しておくが、僕は断じて扇ちゃんに見惚れていた訳ではない。扇ちゃんが怪我を負っていないかチェックしたのだ。
幾ら勝手に出て来たのは扇ちゃんとは言え、車で後輩にぶつかって怪我をさせたとあっては阿良々木暦の名が廃る。というか逮捕される。しかもご両親によって。
「おやおや、流石阿良々木先輩。後輩の身をそこまで案じて下さるのですか。光栄の至りですね」
「そんな大袈裟なもんじゃねえよ……よし、大丈夫みたいだ」
僕は扇ちゃんから離れる――どうやら逮捕は免れたようだ。
「でも阿良々木先輩。私が証言しない限り、阿良々木先輩が逮捕されるなんてことはないでしょう。今ここに見物人は誰もいません。私と阿良々木先輩だけなのですから」
「ふん、僕を甘く見るなよ扇ちゃん。この僕がそんな罪悪感に耐えられると思っているのか? もしも君が証言しなくても、僕は全力で自首する所存だぜ」
「愚か極まりますねあなた」
まあ、世間の闇を知った僕が実際にするかどうか分からないが――少なくとも、純粋な子供時代の僕であれば――それこそ中学一年生くらいの僕であれば、迷いなく自首しただろう。そういう子供だっただろう。正義感溢れた立派で素直な子供だっただろう。
「昔の自分を美化しすぎじゃありません?」
「今の僕がこんなんなんだから、昔の僕くらい美化させてくれよ」
「何をどう美化したところで、その頃のあなたは老倉先輩の期待に応えられなかった愚か者だったのですがね」
「やめろ! もうその話はやめてくれ!」
結構その事実、僕の胸に突き刺さりまくってるんだぞ! トラウマと言ってもいいレベルなんだからな!
「しかも何です? 中学一年生どころかさらに昔の段階で、形式だけとは言えど同じ屋根の下で過ごしていたという、老倉先輩含む何人もの幼馴染を纏めて忘却しているというではありませんか」
「あーあー聞こえない! 僕は知らん!」
「挙句の果てにそれらがついに衆目の目に晒されましたからねえ。地上波で」
「くそう!」
いやまあ自業自得と言えばそこまでなのだが……つーか自分の黒歴史がここまで拡散されるとか、軽く死ねるぞ。気分的に。
「アニメ終物語、絶賛放送中です」
「番宣をやめろ!」
まだ晒し足りねえのか! もう十分だ畜生!
「安心してください。阿良々木先輩の黒歴史は、しっかりとDVD/BDに保存され、全国のお店で定価6000円或いは7000円で売られ、そこそこの売り上げを記録する筈ですから」
「売り上げとか言うな! メタ発言が過ぎるぞ扇ちゃん!!」
くっ、嬉しいのか悲しいのかよく分からない……本当なんでこんな所までアニメしてしまったんだ? 幾度となくもうアニメ化は終わっただの何だのと言い続けてきたのに、まだ続くのか。
「原作の方も続きましたからねえ。オフシーズンとか言って」
「は? 何だそりゃ。僕は知らないぞ、つーか呼ばれてないぞその企画」
「まあ阿良々木先輩は一切登場しないエピソード群の話でしたからね」
「なんだと!? 僕こんなでも一応主人公なんだぞ!?」
「アニメ恋物語が映像化されてしまった以上、全国の阿良々木派の何割かが貝木派に流れてしまったでしょうし、しかも終物語までアニメ化と。人気が下がる一方の貴方はもう用済み、ということなのかもしれませんね」
「マジか……」
それは凹むぞおい……今までなんだかんだで全話に登場することを許されていたのに、遂にそれさえ許されなくなったのか。
黒歴史の放流くらい悲しいぜ。
「でもこれについては私も少々意を呈したいのですよ、阿良々木先輩。阿良々木先輩が最新刊であるところの愚物語に出演していないことを」
「え? そうなの?」
「勿論です」
なんだ、優しいところもあるじゃないか扇ちゃん。てっきり、扇ちゃんはただ僕の脇腹をちくちくと突き続けてダメージを与えてくるような事しかしない奴なんじゃないかと思い始めていたところだったぜ。
「愚物語――『愚か』と題している癖に、シリーズきっての愚か者である阿良々木先輩を省くのは、少々理解出来ませんね」
「どうせそんな理由だと思ったよ!!」
前言撤回。やっぱこの子ダメージ与えてくる事しかしない。
「愚物語、全国の書店にて絶賛発売中です」
「はい、宣伝ここまで」
これ以上は流石にまずい。ギリギリセーフどころか、軽くアウトに足を突っ込んでいるような気がする。いや、足というか、首を突っ込んでいるというか――。
「愚か者といえば阿良々木先輩」
「そんな話の繋げ方されたくないんだが……なんだよ」
「こんな早朝から何をしてらっしゃるのですか? ニュービートルを走らせて、黄色いニュービートルを走らせて、何をしてらっしゃるのですか?」
「お前、僕のニュービートル言外に馬鹿にしてないか?」
「やめてくださいよ。行間を読まないでください。お慕い申し上げている阿良々木先輩の所有物を馬鹿にするなんて、私にはとてもとても出来たものではありません」
「そうか。悪かったな、いちゃもんつけるような事言って――」
「私が馬鹿に出来るのは愚かで馬鹿な阿良々木先輩のことだけです。貴方の所有物は何も悪くありませんから」
「…………」
……僕何かした?
こんなに罵倒されるようなこと、何かした?
「いいえ、貴方は何もしてません。強いて言うなら、そこに存在しているというのが理由ですかね」
「出演どころか存在さえ許されないのか僕は!?」
「最早貴方の栄光は過去のものなのです。いい加減受け入れてください」
「悲しいなあ」
これが時代の荒波か……昔は良かった。
……何が良かったんだろう?
「さてさて阿良々木先輩。昔ばかり見てても前に進めませんよ。物語もまるで進みません」
「ああ……まあそうだな」
「ですから早く次の章へ行くフラグを立てましょう。阿良々木先輩、早く私の質問に答えてください」
「なんで車を走らせてたか、だっけ?」
って言われてもな……正直理由なんて別にないんだよなあ。
「だから、調子に乗っていたんでしょう? 免許を取ったことを早く八九寺さんあたりに自慢したくて、けれど白昼堂々と練習するのは怖いから、車通りの少ない早朝に練習していたんでしょう?」
「分かってるんだったら聞くなよ!!」
つーか言うなよ恥ずかしい!!
お前は僕を貶めること以外やることないのか!?
「はい、もう地の文には反応しませんよ。いいから次です次々」
「適当だなあ」
投げやりとも言う。展開の放棄。
「わぁー、阿良々木先輩って車持ってたんだなー、凄いなー、かっこいいなー」
扇ちゃんはニュービートルの周りをうろうろしながら言う――つーか白々しいわ。
「是非ともこの私を乗せて頂きたいものですね。阿良々木先輩の運転を、拝見させてくださいよ」
「…………」
嫌だなー。
すっげー嫌だ。この子を乗せるとか……なんかもう貝木とか老倉を乗せた方がマシに思えてくる。
「阿良々木先輩、私とあなたの仲じゃあないですか。苦難を共にした不肖この私を乗せないというのは如何なる了見でしょう」
「苦難を共にしたどころか、君はその苦難を作った側にいるような奴なんだが」
結局それも自業自得だが……あれ? もしかして全部突き詰めれば、大体のことは僕が悪いってことになるのか?
「ねえ、阿良々木先輩。良いんですか? なんならこの制服を自分で汚して、貴方に乱暴されたと交番に駆け込んでも良いんですよ?」
「脅しだと!?」
「ふふふ、そうなるとどうなるでしょうね? 愉快愉快」
「ぼ、僕がそんな脅しに屈すると思うなよ! つーか、僕は無罪を貫くからな!」
「このご時世、男性よりも女性の方が、こういう場合強いんですよねえ」
「くっ……!」
こいつ自分の性別さえ利用するのか……! 全く、どこまで僕を虐めたいんだこの子は――。
「さあ、どうします? 私を乗せるか、それとも貴方がパトカーに乗せられるか、どちらが良いですか?」
「…………」
選択の余地など、選択する自由など、僕にはまるで与えられていなかった。
[003]
「やっと進みましたね。章も車も」
「車は余計だ……」
扇ちゃんを乗せるか、パトカーに乗せられるか。そんな選択肢などまるでないような問いを突き付けられ、僕が選んだのは、当然の如く扇ちゃんだ。
扇ちゃんが乗るのは後部座席。助手席に乗りたがっていたが、もしもどこかにぶつかったりしたらと考えると、前方の席に乗せるのは躊躇われた。なので頭を下げ、後部座席に乗ってもらったのであった。
「阿良々木先輩は無駄な気を使いすぎなんですよ。無駄に気を使い過ぎて、車のエンジンをかけてから約5分くらい進まない程度には」
「エンジンかけて急に動かしたら、燃費が悪くなるだろ」
「別に冬場って訳じゃないんですから……余計燃費が悪くなりますよ逆に」
「それに、周りに誰も居ないか、何もないかの確認も必要だろ」
「だからって何も約1分程度かけて確認するようなことでもないでしょうに」
「…………」
まあ、確かに扇ちゃんの言っていることは正論オブ正論なのだが――まあっていうかだがっていうか、反論の余地も何もないのだが。
「やれやれ、確かにこれではとても走れたものではありませんね。こんな有様で車の多い時間帯を走ろうものなら、間違いなく事故を引き起こしますよ」
「……だからこうして練習してるんだろ」
しかし、実際にこうして運転してみると、その難しさが身に染みて分かる。世の大人たちが、どれほど高度なことをしているのかというのが、よく分かる。戦場ヶ原がどれだけ苦労したのかが、よく分かる。
「戦場ヶ原先輩は貴方と違ってその辺如才ないですし、多分さらっと乗りこなせたんじゃありません?」
「言うな……」
「如才ないと言えばあの巨乳先輩も凄いですよねえ。軍用車ですよ軍用車」
「言うな……!」
自分のレベルの低さに悲しくなってくる……!
しかもあいつ、軍用車どころか戦闘機まで乗りこなしてやがるからな。もう言葉も出ない。
賞賛さえも、なんか安っぽく思えてくる。
「阿良々木先輩、今時速何kmで走っていますか?」
「え?」
僕はメーターを見た――時速38km。法定速度ギリギリである。
「38kmだけど――もしかして、これ以上速くしろっていうのか? おいおい、幾ら誰も見てないからって、ルールを破るのは良くないぜ扇ちゃん。君だってこの間、ルールを破って痛い目を見かけただろう?」
「阿良々木先輩、貴方の言っていることは紛れもなく法律から見れば正しいことではありますが、それが普段の道路で許されるかどうかは、少し疑問ではあるところですね」
「なんだよ、扇ちゃん、僕を法律を守らない、所謂DQN共と一緒にするのをやめて欲しいな。僕は法律を是とする、警察官の正義感高らかな息子だぜ」
「ほう? では仮に周りの車が法定速度を越えた時速50kmで走っていたとしましょう。全部です。貴方はそれでも、時速38kmを貫くのですか?」
「なんつー前提なんだよ……」
まあ前提は兎も角として……その中でただ一台だけ遅いというのは、車の流れを著しく混乱させ、事故を誘発しかねない。となると、交通安全をポリシーとしている僕としては……。
「そいつら全員通報する」
「愚か者ですね貴方は」
冗談である。
過激が過ぎる……そんなもん逆に僕が通報されるわ。
「まあ、周りに合わせるしかないだろ。……不本意ながら」
「ですね。では実際問題、果たして時速38kmで走っているような車が、交通ルールを守っている車が、果たしてどのくらいあるのでしょう?」
「……何が言いたいんだよ」
「ですから、そういった場合のことも想定した練習もすべきだと助言して差し上げている訳ですよ私は――勿論、法定速度を守るに越したことはありませんが、それを守らない愚か者は常に跋扈していますからね。臨機応変にいきましょう」
「臨機応変、ね」
まあ、そういう見方もあるのだろう。
どの方向から見ても正しい物事など存在しない。突き詰めれば、正しさなんて存在しない。僕はそれを、かつて痛感した。
そしてそれは、扇ちゃんも同じ――。
「まあ要は、事故しないように運転しましょう、ということです」
「……分かったよ」
確かに、何かに縛られすぎても、それは最早正しさとは言えまい。正しさとは多数決で決まってしまうもの。ならば正しさに臨機応変に対応せねばなるまい。
僕は意を決し、アクセルを踏んだ。
メーターが上がっていく――39km――40km――41km。ついに越えた。越えてしまった。
法を破ってしまった。
だが、妙な開放感があった――慣れないスピードに戸惑いつつも、もっと上げてみようと思った。
愚かにも、思った。
だから――天罰が下った。
ガン!!
「っ!!?」
何かにぶつかったかのような衝撃――何かを轢いてしまったかのような音。鈍い金属音。
それを感じた瞬間――聞いた瞬間、僕は何があっても絶対に法定速度を破らないと、心に深く誓ったのであった。
[004]
「あーあ、やってしまいましたねえ阿良々木先輩。ダメですよ、そうやって調子に乗るから」
「うわあうわあうわあうわあ」
冷や汗が噴き出す――おいおいおいおい冗談じゃねえぞふざけんな!
慌てて車から飛び降りる――何にぶつかった? いや、ぶつかっただけならまだいい、最悪なのは――何を轢いた!?
何を轢いた――人を轢いたって展開だけは勘弁してくれよ! まだこの物語始まったばっかなんだぞ! 主人公の逮捕が原因で打ち切りとか、笑えねえよ!! いや戦場ヶ原とか斧乃木ちゃん辺りは笑いそうだけども!!
「あれ?」
だが、焦る僕を嘲笑うかのように、そこには何もなかった。すぐ前方には何も無かったのだ。
「……あれ?」
「あれれー、おっかしいなあ。確かに衝撃があった筈なんですけどねえ」
扇ちゃんも車から降りてきた――衝撃。
扇ちゃんまでもがしっかりと証言している――僕の気の所為、ということではなさそうだ。
「確かにすぐ前方には何もありませんねえ」
扇ちゃんも同じく確認した――確かめ、認めた。
車体もくまなく確認したが、どこにも傷は無かった。ほぼ真っさらな新品そのまま。ニュービートルのかっこいいデザインがそのまま保たれている。
「その描写要りますか?」
「要るんだよ僕にとっては」
語り手は僕なんだから、その辺は好きにさせて欲しい。
だが、どこも傷付いていないというのは嬉しい反面、奇妙でもある。
何故傷がない?
さっきの衝撃はなんだ?
僕も扇ちゃんも感じた筈なのに――。
「もしかすると、僕たち二人共全く同じ幻覚を感じたのかもな」
「そんな訳ないでしょう。愚か者ですか貴方は」
「…………」
そこまで言われる謂れはないと思うんだが。
「見てください、この窪みを」
「え?」
扇ちゃんに言われるまま、右側前輪のタイヤを見た――すると、タイヤが大きな窪みに嵌っているではないか。
「なんじゃこりゃ――これは一体?」
「さあ?」
扇ちゃんは首を傾げた。
こんな窪みここにあったっけ――僕はその窪みを観察した。
それは窪みというより、何かによって穿たれた跡のようなものであった。何かに破壊された跡というか――ここに嵌った衝撃だったのか?
「いいえ、それは違うでしょうね」
扇ちゃんは遥か前方を見ながら言う――前方? 何があるんだ?
「仮にその窪みに嵌ったのが衝撃の理由として、ではあの金属音はどうやって鳴ったのです?」
「あっ……」
そうだ。金属音。
あのぶつかったような音――確かに、あれの謎が解かれていない。
「車の中身が揺れたとか、じゃねえよな」
「ですね」
扇ちゃんは見つめる先を示した――指し示しているのかどうかは、袖の所為でよく分からないが、とにかく腕を向けた。
「恐らく原因はあれでしょうね――見てください、阿良々木先輩」
扇ちゃんの見つめる遥か前方、そこに何があるのか。僕は目を細め――るほどの距離も無かった。僕の視力は吸血鬼化した影響で著しい上昇を見せているが、それを差し引いても、目を細めるまでの距離ではなかった。
考慮していなかったのは『跳ね飛ばした』という可能性だった。僕はてっきり、ぶつかった、或いは轢いたものが、その場にずっと残っていると思っていたのだ。
だが、冷静に考えてみるとそうである。これ程の質量の物体――調子に乗って加速している物体がぶつかってくるのだから、衝突した物体は当然、物理の法則に従って吹き飛ぶ。
その場に留まっている筈がない――寧ろ、どうしてもっと吹き飛んでいないのかという新たな疑問が湧いてくるほどのものであった。そこにあった物体は。
「なんだこれ――兜?」
そう。
僕が跳ね飛ばした物体――轢いてしまった物体の正体は、兜であった。
……いやいや。
いやいやいやいや。
おかしいおかしい――何でこんな道のど真ん中に兜が転がってるんだよ。まだコンクリートの塊とかの方が理解出来るわ。
兜って……路端どころか、どこのお宅にもあるとはお世辞にもいえないような品物だぞ。なんでこんなとこにあるんだ。
「おやおや、兜ですか。阿良々木先輩にとっては懐かしい品物なんじゃないですか?」
「……どういうことだい、扇ちゃん」
僕は思わず身構えた――またぞろ僕が忘れている過去、黒歴史を暴露されるのかと思ったからだ。だが、別にそんなことはなく。
「ほら、端午の節句とかで兜とか鎧を飾ったりするそうじゃないですか。阿良々木先輩は、そういうことなかったのですか?」
「兜飾りは確かにあったけれど、鎧を飾った覚えはないな」
鎧まで飾るとなると、さぞ豪華絢爛な事になるのだろうが。
「兜ねえ。端午の節句の兜飾りもそうだが、別のものも思い出してしまったよ」
「別のものとは?」
「ほら、あいつだよあいつ――初代怪異殺し」
初代怪異殺し。真名、死屍累生死郎。
忍の最初の眷属にして、僕の前任者。
「へえ。意外と意識していらっしゃるんですね」
「そりゃあな……軽い言い方をすれば、忍の元カレなんだから」
まあ、僕と比べると僕が死にたくなる程の格好良さなんだが――忍に相応しいほどの格好良さなんだが。
「まあそんな事は置いておこうぜ、扇ちゃん。今はこの兜の謎が先だ」
「ですね。アニメで貴方と初代さんの差が世間に知らしめられるのも、時間の問題ですしね」
「…………」
扇ちゃんの煽りにめげずに兜を手に取り、眺め回してみる。
日本の兜と言うより、どちらかというと西洋甲冑の兜と言った方が適切なのだろうか――初代怪異殺しが被っていたような兜とは形状が違う。まるで魚を模して作られたかのような兜。
「……あれ?」
僕は目を凝らして兜を見る――だが、見当たらない。
「どうしました? 阿良々木先輩」
「いや……」
僕は兜を扇ちゃんに見せた。
「これ、全然傷が付いてねえぞ」
「ほう?」
扇ちゃんが興味深そうな声を上げた。
そう。傷一つない。新品のように。
これはどう考えてもおかしい――兜が転がっているという前提の時点でおかしいが、それは兎も角。
僕の車体には傷一つなかった――ぶつかったのがこの兜というのなら、確かに納得できることである。だが、ぶつけられた兜の方に傷が無いというのは、明らかにおかしい。
「ちょっと見せてください」
扇ちゃんは兜を奪い、しげしげと眺めた。
暫くして扇ちゃんは兜を地面に置き、思いっきり蹴飛ばした。
……っておい!
「扇ちゃん!?」
「はい? なんでしょう阿良々木先輩」
「いや、なんでしょうって……な、なんで蹴った!?」
「いえ、少し強度を試したくなりましてね。阿良々木先輩の仰る通り、傷一つありませんでしたから――試しに蹴ってみました」
「蹴ってみましたって……」
無茶苦茶やるなあこの子……流石忍野の姪っ子、怖いもの知らずである。
扇ちゃんは蹴り飛ばした兜を拾いあげ、砂を払った。
「はい、傷一つありませんね」
「ああ。……普通、コンクリートかなんかで削られた傷でも付いてないとおかしいのにな」
「ええ。仰る通りです――ふふふ、蹴り飛ばされても車に轢かれても、傷一つつかない兜ですか」
扇ちゃんは兜を地面に置いた。
「謎ですねえ、不思議ですねえ、怪しいですねえ――」
怪しい。
怪しくて、異なる。
怪異――。
「……扇ちゃん、これはまた君が設置した怪異現象、って訳じゃないんだな?」
「私をお疑いですか? 阿良々木先輩。酷いなあ、可愛い後輩を疑うだなんて」
「…………」
「ええ。私は無関係です。こんな怪異作った事もありませんし、何より作る意味がありません」
「作る意味……」
「怪異にはそれに相応しい理由がある――ですが、この怪異の存在理由は、まるで分かりませんね」
「…………」
怪異にはそれに相応しい理由がある。
つまり、この一見意味のなさそうな怪異にも、何か理由があるということだ――それが善意であれ悪意であれ、なんらかの理由が。
作成者の意図が。無意識が。
ある筈なのだ。
「その辺をどうにかしないと、この怪異もどうにも出来ないってことか」
「どうにかする必要があるのかって話ですけどね――阿良々木先輩、ここは大人しくスルーしてみては如何でしょう」
「え?」
扇ちゃんが言う――スルー?
「おいおい扇ちゃん。見て見ぬ振りをするなんて、君らしくないぜ。いつもなら寧ろ僕を煽る筈なのに」
「それは私がお膳立てしたものだったからですよ――今回は全く違う」
全く違う――異なる。
「怪異なんていうのは、本来なら出来るだけ関わらないに越したことないものなんですよ、阿良々木先輩――愚かにも首を突っ込むような事ではありません」
「……そうは言うけど、扇ちゃん。もしもこれが誰かに迷惑をかけるような、危険な怪異だったらどうするんだ?」
それこそ、もしも道路に現れ、ただ運転手を焦らせるような怪異だったとしたら――それは実害自体は無いにせよ、二次被害を与えかねない。
「だから、気負う必要はないんです――気を使う必要はないんです。そういうのを余計なお節介というのですよ。そうやって何でもかんでも首を突っ込んで、何度も何度も痛い目を見たのをお忘れですか、この愚か者」
「……忘れたことなんてないさ」
そう、忘れたことはない。
昔の記憶――僕の過去は兎も角として、少なくとも、高校三年生の春休みから始まる一連の出来事は、一連の後悔は、一片たりとも忘れたことはない。
「扇ちゃん、君は僕のそういうところをどうにかしたいんだろうけどさ」
「…………」
僕は兜を手に取った。どこにも傷一つ無い、作りたてのような兜。
「でも、やっぱり無理だ」
愚か者でも、何でもいい。
何と罵られようと――何度痛い目を見ようと、関係ない。
目に見える危険を、見て見ぬ振りなんて――僕には出来ない。
僕は、兜を頭上に掲げ――そして、被った。
装備した。
「……阿良々木先輩」
「ん?」
兜の所為で声が反響する――どうやら息は出来るようだ。視界も、どういう原理かは分からないがしっかりとしている。
呆れたような顔の扇ちゃんが言った。
「なんで被ったんですか」
「…………」
……いや。
いやだってさあ!
兜だよ? あの兜だよ?
被りたくならない?
カッコいい鎧兜――男なら誰でも一度は憧れた筈だ。そして、被ってみたいと思った筈だ。
だが、それが実現した男は、果たしてこの世に何人居るだろう? 勿論、端午の節句の兜飾りを除いてだ。そう、殆ど居ないだろう。
つまり、この世の――いや言い過ぎか――日本中の男の大半が叶えられないであろう願望を、一介の男子であるところの僕、阿良々木暦は、こうして叶えてしまったということなのだ。
勝ち組である。
「阿良々木先輩……だから貴方は愚かだと言っているのです」
扇ちゃんが何か言っているが、知らん。この気持ちは女子には分かるまい。
「何を決意したような台詞を仰ったのかと思えば、そんなこと……阿良々木先輩、これからは愚か者先輩と呼ばせてください」
なんだか僕の株が急降下しているような気がするが、知らん。兜を見てはしゃぐ男子の気持ちは、きっと男性読者の諸君ならしっかりと汲んでくれるはずだろう。
……こういう事をしているから、お呼びが掛からなくなったのかもしれないが。
「あれ、冷静になって考えてみると、僕何してるんだろう」
「愚かな事をしていることは確かですよ、愚か者先輩」
「愚か者? 違う、僕の名前は阿良々木だ」
「あ行とら行が入ってますよ。大体一緒じゃないですか」
「違う!」
全然違う! いやなんかもう……色々違う!
「私に何を期待しているんですか。私は誰かの持ちネタを奪ったりはしませんよ」
「…………」
羽川と似た様な台詞言う癖に。
「あ? あの余分な脂肪先輩がなんですって?」
「いえなんでもありませんすいません」
うん、やっぱり胸は慎ましやかな方がいいよね! うん! 僕も常々そう思っていたところなんだ! うん! 貧乳はステータスだし、希少価値だもんね!
「阿良々木先輩、後で一年三組の教室に来て下さい」
「マジすいませんでした!」
はあ、と扇ちゃんは溜息を吐く――おおう、なんだか新鮮な姿。
「……で?」
「え?」
「兜ですよ――いつまで被っているのです? 別に被っておく理由なんて特に無いのですから、外したら如何ですか」
「ああ、うん」
確かに――幻想が叶ったはいいけれど、実際のところ、声は反響するわ蒸し暑いわ重いわで、邪魔極まりない。
幻滅である。
僕は兜を脱ごうと、兜を頭上へと持ち上げた。
持ち上げようとしたのだが。
「……あれ」
持ち、持ち上げようと、し、したのだが――。
あれ?
ちょっと待って、あれ?
「どうしたんですか? 阿良々木先輩」
「……あの、扇ちゃん」
「はい?」
「扇ちゃん、この兜の中に、接着剤か何か塗ったりしてないよね」
「塗ってませんよ。どれだけ疑われているのですか私は」
「…………」
「……阿良々木先輩、今どういう状況なんですか」
「…………」
僕は再び兜を持ち上げ、外そうとするが――取れない。持ち上がらない。外せない。
まるで接着剤で固定されたかのように――兜が頭から、外せなくなっていた。
[005]
「何とかしてよオウギえもん〜!」
「いやあ愚かですねえ」
泣きつく僕に笑いかける扇ちゃん。笑いかけるっていうか、それはどうみても嘲りの嗤い、嘲笑であった。
「嘘だろおい……ちょっと軽い気持ちで着けてみただけだってのに、マジかよ……」
「はっはー。そうやっていつでも軽い気持ちでいるから、貴方はいつまで経っても愚か者のままで、進歩しないんですよねー」
助けてくれるどころか傷口に塩を塗りたくってくる。流石は僕の天敵。一周回って惚れ惚れする。
「どうすんだよどうすんだよどうすんだよこれ! どうやったら取れるんだよ!」
「知りませんよそんなもん」
突き放す扇ちゃん。その突き放した先が崖であるという事を、この子は分かっているのだろうか。分かっているのだろう。分かってやっているのだろう。それが忍野扇だ。
「もうそのまま一生暮らすしかないんじゃないですか?」
「兜被ったまま天寿を全うするとか嫌すぎるわ!」
「いいじゃないですか。憧れだったんでしょう? 良かったですね夢が叶って。勝ち組ですね。わー、凄ーい、こよみん素敵ー」
「うるせえ!!」
僕は諦め悪く何度も何度も外そうと試みるが――駄目だ、ビクともしない。本当に外れない。頭と兜のサイズが合っていないとかではなく、接着されたかのように、梃子でも動かない。
「おい……まさか本当に死ぬまでこのままなんて事は無いだろうな……嫌だぞ、もう二度と八九寺にキス出来ないなんて」
「そこで恋人の名前が出て来ないのが貴方らしいですねえ」
いやまあ、恋人はね。
ちょっとね、恥ずかしいからね。
じゃあ八九寺となら恥ずかしくないのかという議論に発展しそうだが――でもさ、八九寺は恋人とかじゃなく、友達だろ? 誰でも経験するって、友達とのキスくらい!
寧ろ僕は胸を張って言えるね! 八九寺とキスしたいって!
「阿良々木先輩、そんなんだから阿良々木派が消えるんですよ」
「マジでか」
なんと。
そうなのか……僕はただ正直な気持ちを叫んでいるだけなのだが。
世知辛いなあ。
「いやそうじゃなくてそうじゃなくて。マジでどうすればいいのこれ? 扇ちゃん、怪異の知識総動員して解決法を教えてくれよ」
「えー? どうしましょうかねー」
「頼む! 一生のお願い!」
「一生のお願いって何回あるんですか」
「僕はまだそんなに言ってない筈だぞ!」
「ほら、言ってるんじゃないですか」
「ちいっ!」
細かい事をぐちぐちと……!
斯くなる上は!
「土下座する! 土下座するから!」
「誰に謝っているんですかねえ」
「土下座した! 土下座したから!」
「阿良々木先輩引くわー」
くそっ! この僕の世界一美しい土下座でも駄目だというのか! 留年をどうにかしてもらった実績を持つこの神なる最終奥義DOGEZAでも駄目なのか!
面倒臭え……つーかこの子、忍みたいに釣れないのが難易度高くしてるんだよなあ。忍ならドーナツ一つで一本釣り出来るのに。
……伝説の吸血鬼が今やドーナツで一本釣りされているという事実に、改めて悲しみを覚えるが。
「分かりましたよ阿良々木先輩。誠意は認めましょう」
「えっ!」
「いいでしょう。私が持つ怪異の知識を総動員して、その兜の正体を暴いてみせましょう」
「やったぜ!」
「ちょっと、話しかけないで下さいねー」
扇ちゃんは直立したまま右手を左肘の置き場にし、左手を口元に持っていくという、探偵おきまりのポーズをとった。
ふう、良かった、これで解決だ。
流石にこのまま生活するのは困難だからな……僕は完全な吸血鬼じゃないし、空腹は耐えられないから――真面目に命の危機に直結する。
命の危機とは別にしても、そもそもこの格好のまま知り合いに会うとか、恥ずかしすぎる。どんな公開処刑だ。罰ゲーム過ぎるわ。
況してやこの姿を妹たちに見られたらと思うとぞっとする。
火憐の場合。
「おぉ!? 兄ちゃんなんだその兜! 超かっけえじゃん! やべえ、すっげえ強そうに見えてきた! よっしゃ兄ちゃん、久し振りにガチバトルだ!」
とか何とかほざかれて、僕なのか何なのかよくわからないぐちゃぐちゃの生ゴミレベルの物体になるまでボコボコにされるのは目に見えている(吸血鬼が妹に負けるのかと笑うなかれ、あいつはマジでヤバい)。
月火の場合。
「何その兜? お兄ちゃん、私を舐めてるの? 和服の私に対抗しようと、そんな子供みたいな手で対抗しようっていうの? やだプラチナむかつく、殺そう」
とか何とかほざかれて、僕なのか何なのかよくわからないぐちゃぐちゃの生ゴミレベルの物体になるまでザクザク刺されるのは目に見えている(吸血鬼が妹に負けるのかと笑うなかれ、あいつもマジでヤバい)。
……僕、妹恐れすぎだろ。
まあこんな事情だから、おちおち家にも帰れやしない――かと言って路上をウロウロしていれば、確実に不審者扱いされ警察に通報、お縄一直線で家族の恥決定である。
このまま兜が外れなければ、もう僕の人生軽く詰む――だから扇ちゃんが居てくれて助かった。
「阿良々木先輩、総動員し終わりましたよ」
「おお、漸くか扇ちゃん。全く先輩を待たせるなんて罪な後輩だな君は。さあ、勿体ぶらずに早く教えてくれ。どうやったらこの兜を外せるんだ?」
「分かりません」
「成る程、分からないか、そうだよなーっておい!!」
衝撃的過ぎて普段はしないノリツッコミをしてしまった。
いや分からないって……おい!!
「分からないってどういうことだよ扇ちゃん!! 僕の貴重な時間を返せよ!! あれだけ調べてそれなのか!! くそっ、扇ちゃんを買いかぶりすぎた! もうお前とは絶交だもんねー!!」
「後半は恐らくツッコミ待ちでしょうから敢えて触れません。ええ、分からないんですよ阿良々木先輩。この私の知識を持ってしても」
ボケをスルーするというツッコミにあるまじき行為をしやがったぞこいつ。
それはそれとして……嘘だろ?
忍野忍と死屍累生死郎の知識を持つ、圧倒的な怪異キラーであるところの扇ちゃんでさえ――分からない?
「そ、それはアレ? いつもの、ほら、羽川みたいな台詞の、アレ?」
「私は何も知りません――貴方が知っているんです」
「そ、そうそう、それそれ――」
「ですから、私は何も知りませんし」
分かりません。
扇ちゃんは淡々と、事実だけを述べる機械のように――告げた。
[006]
扇ちゃんでも分からない。
僕の知る限り、怪異の知識に関しては上から三番目くらい(一番は臥煙さん、二番目は忍野)の知識量を誇る扇ちゃんが分からないとなると、いよいよ打つ手立てが無くなったように思えた。
絶望、である。
これはいよいよ身の振り方を考えねばなるまい――その為に、まずはこうなった経緯を家族に説明する必要がある訳だが――。
道端に兜が落ちているのに興奮したので着けてみたら取れなくなった。
間抜けすぎる。
こんなもん説明出来る訳がない――どうすればいいのだ。どうしろというのだ。
「……阿良々木先輩」
「扇ちゃん、暫く黙っててくれないか。僕は未来の事を考えるのに必死なんだ」
「はい、分かりました」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ごめん、さっき何言おうとしてたのか教えて」
折れた。
実際、一人で考えても仕方ない――人は一人で勝手に助かるだけだと言うが、しかし助け合うことも時には大事だとおもう阿良々木暦の今日この頃。
扇ちゃんの意見を仰ごう。
扇ちゃんの正体が正体なだけに、結局は一人で考える事に他ならない訳だが――まあ硬いこと言いっこなしである。
臨機応変にいこう。
「はっはー、阿良々木先輩。愚者阿良々木先輩」
「なんだい扇ちゃん。賢人扇ちゃん」
「悲観するのはまだまだ早計ですよ」
「え?」
早計?
「いやでも扇ちゃん、これはもうどうにもならないって――」
「私は分からないと言っただけで、どうにもならない、お手上げとは一言も言っていませんよ?」
「――――!!」
確かに……言ってない。
言ってない!
「じゃあ、どうにかなる可能性はまだあるってことか!?」
「はい。尤も、その方法は些か横紙破りのようなものですが――」
「良い良い! 横紙破りでもなんでも良い! 教えてくれ扇ちゃん」
もう形振りなんて構っていられない。生命的に死ぬ前に、社会的に死ぬ前に、この危険極まりない怪異をどうにかしなければならない。
さて、扇ちゃんはその方法を告げた訳だが――これについては、僕が先に思いつくべき方法であった。
忍野忍と生死を誓い合った僕だからこそ――思いつくべきであった。
「忍野忍さん――旧ハートアンダーブレードの持つ『妖刀・心渡』を使って、その兜を斬ってしまえばいいんです」
――妖刀・心渡。
旧怪異殺しが、嘗ての忍野忍、即ちキスショットを殺す為、己の骨身を以って作り上げた一振りの刀。
怪異のみを斬り殺す刀であり、怪異に対しては一撃必殺の威力を持つ、最大の横紙破り。
そうだ、それがあった。
どうして忘れていたのだろう――怪異絡みの事は忘れたことがないと豪語した僕が、何故忘れていたのだろうか?
「恐らく、無意識のうちに反則と思っていたのでしょう。これを使うのは卑怯だと――正しくないと」
正しくない。不正。チート。
確かに、このチート極まる刀を反則と思ったことが無いとは決して言えない。ブラック羽川のみを斬り裂き、苛虎を一刀の元に伏せた、怪異殺し。
とは言え、最早これしか方法はないのである。そんなこと言ってられるような余裕はない。
では、次のミッションである。
「忍ー! 起きろー!」
忍野忍を召喚する。
また骨が折れそうな作業ではあるが――しかし、ここはもう財布に空腹を我慢して頂くことにしよう。
出なければ、僕が空腹で死んでしまう。
「忍ー!! 今出てきたら、ドーナツ最低10個は絶対買ってやる! 神に誓う! 八九寺に誓う!!」
「ぱないの!!」
「うわっ」
僕の心の叫びが通じたのか――なんと、異例の速さで忍野忍を召喚することに成功した。影の中から勢いよく飛び出してくる。
その代償として、顎に一撃を喰らったが――大したダメージにはならなかった。
それどころか、ノーダメージ。
兜を被っていたおかげで助かった――人生、何が助けてくれるか分かったものではない。
「くうっ……!!」
拳を抑えて痛そうな呻き声をあげながら蹲る金髪金眼の吸血鬼。即ち、忍野忍。
「ぬうっ……」
ギロリと、忍が僕を睨んだ。涙目になっている。すげー可愛い。
いや睨まれても、僕は別に悪くないのだけれど……寧ろ、登場していきなりアッパーカットを食らわせてきたお前が全面的に悪いのだが。
自業自得である。
「お前様よ……それは卑怯ではないか? 防具をつけるというのは、流石に卑怯とは思わんのか?」
「知らん。僕は悪くない」
「ぬぅっ……」
不満気に睨む忍――だが、それだけであった。
おや?
おかしいな――普段の忍なら、地団駄を踏んで悔しがったり、大人気なく僕の小指を全力で蹴飛ばしてきそうなものだが。
「お前様は儂をなんだと思っておるのじゃ――ふん、仕方あるまい。よりにもよって此奴がおるんじゃからの」
忍は横目で扇ちゃんを見た。扇ちゃんは表情を崩さず、にこにこと笑みを浮かべている。
「初めまして――というべきかの。一応貴様に会うのは初めてじゃからのう、忍野扇」
「はっはー、そうですね。私もこの目で貴女を見るのは初めてです。初めまして、忍野忍さん」
「貴様に会ったら一度文句を言ってやろうと思っておったところじゃ――よくも我があるじ様及び儂の邪魔をしてくれたな。儂が全盛期の力を取り戻しておれば、貴様なんぞすぐにでも喰ろうてやったものを」
「これはこれはお厳しいお言葉。私のような若輩者を相手にして下さっているだけでも感激なのに、まさか邪魔と思われていたとは! 嬉しいなあ、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼であったところの旧キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに、私程度の者が邪魔できていたなんて、天にも昇りそうな心地ですよ」
……あれー?
なんだこの険悪なムードは……っていうかそうか、忍って実は扇ちゃんと直接会った事なかったんだよな……。
「かかっ、そのまま昇天してしまえば良かったものを。ぬけぬけとあの『くらやみ』から逃れおってからに」
「いやあ、私もまさか貴女でさえも回避不可能だったあの『くらやみ』から逃げる事が出来るとは思いませんでしたよ。阿良々木先輩の助けもあってのことですが、いやあ、貴女でさえも出来なかったことを成し遂げたなんて、照れますねえ」
あ、ヤバい。忍が押されてる。
「か……かかっ。口だけは達者なようじゃのう小娘。うぬが何を知っておるというのじゃ」
「私は何も知りません。阿良々木先輩が知ってるんです――尤も、貴女の知っている事は、私も余すところなく知っていますがね」
「…………」
あ、黙った。
「おや? どうしました忍さん? 黙っちゃって。はっはー、もしやアレですか。私如き三下とはもう何も話す事はない、ってかんじですか。サービスタイムは終わりですかー。残念だなー。もっとお話ししたかったなー」
「…………」
「まさか今は力を大幅に封印されているとはいえ、嘗ては伝説の吸血鬼、怪異の王とまで呼ばれた貴女が、私みたいなつい最近生まれた怪異に弁舌で負け、あまつさえ拗ねているなんてことはありませんよねえ」
「…………」
止めて!
止めてあげて!
ほらもうそうやって虐めるから忍が涙目になってる! 可愛い!
「……儂はもう帰る」
「待って待って待って待って忍ちゃん待ーってー!!」
影に再び沈み込もうとした忍の手を捕まえ、必死に引っ張り上げる。
「もういいじゃろう……どうせ儂よりもあやつの方が今は優れておるのじゃ……儂はもう疲れた」
「待ってくれ忍!! お前にしか出来ないことがあるんだ!!」
「儂にしか出来ないこと?」
忍が上目遣いで僕を見た。すげー可愛い。さっきから可愛いしか言ってないような気がするけれど、可愛いのだから仕方ない。
「そうだ、お前にしか出来ないことだ」
「儂にしか出来ないこと……」
忍は扇ちゃんを見た。扇ちゃんは肩を竦める。
「はい。貴女にしか出来ないことです。貴女以上の知識量を保有する私であっても、出来ないことです」
「儂にしか出来ないこと……!」
「そうだ、お前だけが頼りなんだよ忍! 僕を助けてくれ!」
「儂にしか出来ないこと!!」
忍は影から再び飛び出した。当たらないように避ける――双方にとって最善のパターンである。
「かかっ、かかかっ! そうかそうか、お前様達がそこまで頭を垂れてこの儂に乞うのであれば是非もない! よかろう! 何でも言ってみよ! 儂はその全てを可能にする怪異の王、忍野忍であるぞ!」
僕達を見上げながら見下ろす忍。完全復活したらしい。怪異の王としてのプライドを無事取り戻したのだ。
「じゃあ忍」
「なんじゃ! 言うてみよ!」
「心渡で、この兜を斬ってはくれないだろうか」
「なんじゃそんなことか! お安い御用!」
えっ、マジ?
早くない?
もうちょっと問答が要ると思っていたが――あのゴールデンウィーク程ではないにせよ、あっさりとやってくれるとはまるで思っていなかったのだが。
「なんじゃお前様、意外そうな顔をして」
「いや……そんなに軽いノリでそれ使ってもらえると思ってなくてさ」
「かかっ、儂の懐のデカさを舐めるなよ。伊達に600年生きてはおらん!」
忍は自慢げにそう言うと、口の中にその右腕を突っ込み――そして、『それ』を引き出した。
まるで大道芸のように取り出したのは、全長2mほどの大太刀。美しい芸術品のような刀身に、黄金の紋様が刻まれた柄。鍔はない。
これこそ、規格外の横紙破り、『怪異殺し』妖刀・心渡である。
「ほう」
扇ちゃんはそれを目を細めて見る――これもまた、扇ちゃんは初見なんだったか。
忍は腕を慣らすように、心渡を何度か振ると――遂に構えた。
「お前様、動くなよ」
「あ、ああ」
動くな、と言われれば、勿論動くわけにはいかないのだが――しかし、その刀身を見ると、自然と身が竦む。
北白蛇神社。あそこで起こった出来事を思い出す――結果として僕は助かったものの、あの出来事はどうやら僕にとって、軽くトラウマになっているらしい。
「し、忍。止めろよ。手が滑ったとか、そういう冗談はマジでやめろよ。兜だけを斬ってくれよ。頼むぞ」
「注文の多い奴じゃのう。ビビりか」
「ビビりだ」
少なくともこの件に関しては、この剣に関しては、ビビらずにはいられない。
「では……ゆくぞ!!」
「よ、よし! 来い!!」
忍が心渡を振りかぶる――僕は身を硬くした。絶対に動かないように――。
「はぁっ!!」
「ひぃっ!!」
居合の掛け声と共に、心渡が振り抜かれた。思わず恐怖の声が漏れる。目を瞑った。
だが、それと同時に安堵の気持ちがどこかにあった。良かった、これで妹達に殺されずに済むんだ――と。
思った。
思ったのに。
ガキィン!!
「なっ……!?」
「おや」
「え?」
え?
何だ今の音は――金属音は。
まるで、刀が鎧に弾かれたかのような――。
目を開きたくない。
だが、現実を直視しなければならない――受け入れなければならない。それは、どう足掻いても避けられない運命なのだから――。
僕はゆっくりと目を開いた。
写ったのは、笑顔を張り付かせた忍野扇。
写ったのは、刀を取り落とし、困惑したように己の手と刀を見つめている忍野忍。
僕は、兜に手をやった。
「…………っ!!」
その兜には――どこにも、傷は無かった。
思わず僕は、目を閉じた。
■ 以下、豫告 ■
「火憐だぜー!」
「月火だよー!」
「「二人合わせてファイヤーシスターズ!!」」
「いやあ遂に始まったね!」
「始まっちゃったねー」
「果たしてちゃんと最後まで保つのか!?」
「保たないと思うなー」
「保たなかったらどうするんだよ!」
「保たなかったらその時はその時だよね」
「バッシングの嵐を耐えられるのか!」
「耐えられないと思うなー」
「紙耐久なら紙耐久なりにちゃんとやれ!」
「言い訳するなー!」
「予告編クイズー!」
「クイズー!」
「とまあ色々言ったけどお手柔らかにお願いします」
「一話にしてクイズじゃない!?」
「「次回、衣物語 おうぎヘルメット 其ノ貮!!」」
「レッツ、クッション!」
「動詞扱い!?」