一休みする為に使う事にした空洞内。そこに負傷した柚木と、気絶している唯。篠宮零士の三人が居た。柚木の痛めた足は、
真剣な表情を見せる柚木は、恐る恐るといった様子で、パチパチと目の前で燃える焚き火に視線を向けた。この焚き火は零士が作ったものであり、驚いた事に細枝だけで作ったのである。しかし、問題はそこではない。何故、焚き火を作ったのか? 明かりだけなら、彼が生み出した光球だけで充分だ。火を点ける必要性はない。では、何故こうして必要のないものを作ったのか。その答えは、柚木の視線の先にあった。
「……………篠宮」
「ん? なんですか?」
「なんだ………それは?」
目の前で鼻歌を歌う少年に、焚き火から、いや、焚き火の前にあるモノから視線を外さずに疑問を口にした。
「あぁ、これですか。これは魚ですよ」
「これが魚だと……………?」
柚木の疑問になんでもないかのように、彼は答えて見せる。それに信じたくなかった答えに、柚木は口を開いた。彼女が信じたくないのも仕方がない。何故なら、今目の前で焼かれているモノ。零士が言う魚は、彼女達が知るものとは余りにも掛け離れた姿をしているからだ。というか、これが魚だと断じて認めたくない。黒い光沢をした鱗に、まるで爬虫類のように縦に割れた瞳。まるでノコギリのようにキザキザに尖った歯。そしてなによりも、全体的に気色が悪い形をしている。そんな魚とは思えないモノに、細枝を刺して火で炙っていた。
嫌悪感すら湧き上がって来る程の魚の形をしたナニカは、ジュウジュウと音を鳴らして、美味しそうな匂いを漂わせているのだから、眉を顰めてしまう。
「まぁ、見た目はグロテスクだと思いますけど、案外、食うと行けると思いますよ」
柚木がなにに対して眉を顰めているのかを理解して、零士がそう告げると、刺さっている枝ごと手に持ち、その身を咀嚼した。パリッと程良い感じの音を鳴らし、口を動かす。
昔の自分もこんな時期があったなぁ、と懐かしく思う。あの時は、本当に嫌がったものだ。しかし、日が経つに連れ、食べる物が無くなり餓死寸前まで行った時に、遂に手を付けた物だ。カエルや変な鳥、虫なども口に入れて行ったのだから、あの時どれだけお腹が空いていたのかが理解出来る事だろう。アレからというもの、零士はグロテスクな見た目でも食べる事にしているのだ。
まぁ、中には味が美味しい当たりがあるのだが。そして、如何やら今回はその当たりらしい。適度な魚特有の甘さが口内に広がり、一口、二口と咀嚼していく。
「…………うん、美味い。この魚は当たりだな」
一つ頷きをして魚の感想をする彼に、柚木は一度魚を見た後に再度、零士に視線を向けた。それが何度も行われている。そんな彼女の表情は、終始、あり得ないという感情が有り有りと書かれていた。ムシャムシャと口を動かしながら、内心で零士は苦笑する。
「ほら、先生も食べて下さい」
「…………コレを私に食えと?」
「勿論です。その為に取って来たんですから」
「……………」
胸を張って答える零士に、彼女は再度、魚?に視線を向ける。焚き火で炙られている魚は、今彼が食べているのを入れて三匹。その内の二匹の魚が炙られて美味しそうな匂いを放つ。チラッと美味そうに食べる少年に、顔を向けると、それに気付いたのか彼は口を開いた。
「大丈夫です。心配するようなモノはないですよ。ちゃんと調べましたから。それに、美味しいですよ」
安心させるように言葉を紡ぐ彼に、柚木は表情が歪んだ。しかし、零士が放った次の言葉が、決意させた。
「それに、ここに落ちてから時間が経ったし、辺りの暗闇で精神的にも来てます。お腹が空いていると、重要な時に支障がきたしますよ」
正しくその通りだ。この谷底に来てから、数十分は経過している。加えて、暗闇に包まれている空間だ。精神的疲労が凄まじい。その疲労の所為もあってか、お腹が空いてるしまつだ。なにかを口に入れなければ、衰弱は免れないだろう。それをさせない為に、零士はこうして食料を調達してきたのだ。………如何やって安全か確かめたのかは分からないが。
その事を理解した彼女は、口を噤む。そして恐る恐ると、炙られている魚にへと腕を伸ばした。魚が刺さっている枝を掴み、口元に持っていく。近付く、魚の姿に小さく呻く。そして、柚木はソレを口に入れた。シャクリと。
「ッ⁉︎………なん……だと…………ッ⁉︎」
次の瞬間。彼女に衝撃が奔った。魚の身を口内に入れた時、焼き魚特有の匂いが鼻腔を擽る。信じられないと、あり得ないという風に、彼女は二口、三口と咀嚼する。だがそれでも変わらずに、信じられない程の美味しさが広がった。
「なんで…………こんな魚がここまで美味いんだ」
あんなにグロテスクなのに、と口にする彼女に零士がやれやれと言った風に首を振って答えた。
「なに言ってるんですか先生。グロテスクだから不味いなんて、誰が決めたんですか? アンコウだって、見た目はグロテスクだけど、美味いじゃないです」
それにグロテスクな食材は、美味いって相場ですよ、と言葉を紡ぐ少年に、柚木は何故か馬鹿にされたようでイラッとした。
「アンコウと一緒にするな篠宮。はっきり言って、コレはアンコウより気色悪いぞ」
「でも美味かったでしょ?」
「うっ⁉︎ ま、まぁ………美味いのは認めるが」
なら別に良いじゃないですか、と零士は言ってから食べるのを再開させた。それに柚木はなにも言わなくなり、同じく口を付ける。まぁ、美味いと分かっても、その見た目の所為か食べるのに少し躊躇が入ってしまうが。二人が黙々と魚を頬張っていると、横になって眠っていた少女が寝息を漏らした。
「………ん………んぅ………」
その甘い吐息に、食べる手を止めてそちらに顔を向けるのは、男として当然と言えた。気絶した唯は、寝ずらくないように零士の上着を下に敷いている。これが、あるとないとでは断然に違う。
(お、おぉ。…………これは)
無防備に眠る彼女の姿に、零士は感嘆な声を内心で漏らした。遠目からでは分からなかったが、近くから見れば、服ごしからでも分かる程の双丘があった。着痩せするタイプかと納得する彼は、何処からか殺気を感じた。そちらに顔を向けると、柚木が冷めた視線を、ぶつけて来ていた。
「え、えっと………違うんです」
「なにが違うんだ篠宮?」
軽蔑の眼差しに変化した柚木に、零士は弁明しようと口を開けば、冷たい声が返ってくる。
「その、俺はただ草壁が心配で、見ただけであって、邪な気持ちはありませんでした。すいませんっ‼︎」
言い訳を口にして、最後には何故か謝罪の言葉を告げて頭を下げる彼である。冷ややかな視線に耐え切れず、つい謝罪の言葉を口にしたのだ。その謝罪に彼女は、ジッと頭を下げる零士に視線を向ける。それに汗をダラダラと流す少年だ。すると、
「………んぅ……ぅぅ………ん? …………ここは?」
寝息を漏らしていた少女が、パチリと瞼を開けた。最初に視界に映るのは、空洞内の天井部分に打ち上げられた光球だ。全く別な場所に居る事に、寝惚け眼で彼女は口にする。だがそれも一瞬の事だった。数秒間、ボォ〜としていた唯は、そこで自分の身になにが起きたのかを思い出して、全身を震え出した。
「わ、私は攻撃されてッ⁉︎ 谷に落ち………ッ⁉︎」
「落ち着け草壁っ‼︎」
恐慌状態に陥りそうになる少女に、零士は駆け寄って肩に手を置いて叫ぶ。肩に手を置く際に、覇気を唯の中に流し込んでリラックス状態にさせる事も忘れない。すると、アルビノの少女はそこで周りに自分以外の人が居る事に気付いた。少し離れている所に、柚木の姿を捉える。
「…………黒原先生。と、篠宮君?」
「なんでそこは疑問形だ」
柚木の姿を見た後、近くに居る零士にも視線を向ける。だが、そこで何故か名前を疑問形で呟かれる彼だ。同じクラスになってから、大分、時間が経過した筈だ。なのに、何故、名前を覚えられていないのか。悲しみで精神的なダメージを負った少年である。ホロリと涙が溢れたのは、きっと気の所為だ。だが、唯はそれを見たのか、慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい篠宮君‼︎」
「い、いや良いんだ俺の事は。少し一人にしてくれ」
ハ、ハハハと乾いた笑い声を上げる。それに心配そうな視線を向ける少女。第三者から見れば、とんだカオス空間だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
零士が精神的に傷付いている時、柚木は目覚めたばかりの唯に事のあらましを説明した。その際に、やはり魔力がない零士の活躍に驚きを露わにした一幕もあったり、お腹が空いた彼女に、グロテスクな魚を食べさせたりと色々あった。その食べさせた時、ビクビクして涙目になりながらも口に入れる唯に少し罪悪感を芽生えたのは、如何でもいい話である。
「さて、草壁も眼が覚めた事だし、そろそろ行きましょうか先生」
「待て」
クラスメイト達も心配だし、と言ってから腰を上げようとする彼に、柚木は制止の言葉を掛ける。それに腰を上げた状態で止まる零士だ。
「まだ私達は聞いていないぞ。何故、篠宮がそんな力を持っていたのかをな」
「はぁ、やっぱり忘れてなかったですか」
「当たり前だ。さぁ、話してもらおうか」
うやむやにする零士の作戦は、脆くも崩れ去る。それでも、なんとか流せないかと、考える彼だが、こちらを見詰める柚木の真剣な瞳にため息を付いて折れた。唯は二人の間を、あわあわと小動物の如く視線を行ったり来たりしていた。
「…………分かりました。教えますよ」
「誤魔化す事はするなよ」
やっと話す気になった少年に、柚木はもう誤魔化すなと告げる。それに苦笑してから、零士は地面に座り直した。そして彼は簡単に、まるで軽い感じで答えて見せた。
「まぁ、俺があんだけの力や、この状況に慣れているのは、簡単に言えばこれが初めてじゃないからです」
「初めてじゃない?」
「え、えっと………篠宮君、如何言う事?」
「つまり、俺はこの世界に来るより前に────異世界に行った事があるだけです」
途中で言葉を止めて、その理由を説明した。沈黙が舞い降り、口を噤む彼女達であったが、なにを言われたのかを理解して眼を見開く。
「えっ…………⁉︎」
「なにっ…………⁉︎」
「これが、力を持ってる理由です。実に分かりやすいでしょ?」
「…………って事は、篠宮は一度異世界を体験したという事か」
驚きから返って来た柚木が、眼前の少年に問う。それに彼は一度だけじゃないんだけど、と内心で答えてから、別に言う程の事でもないなと決めて頷いた。
「そうです。俺は一度、異世界に召喚され、そこで戦闘の技術を、生きる術を、
「「………………ッ⁉︎」」
事もなげに言葉を紡いだ少年に、二人は眼を見開く。まるで、それが当たり前だという風に、ソレを知らなければ生きられなかったという風に、少年は言ったのだ。殺しの技を手に入れた、と。まだ十代の少年が、笑って答えられるようなものではない。しかし、こうして何でもないように笑う彼に、柚木はソレを手に入れた過程を想像して顔を歪めた。
この世界で、魔力が無い者の境遇を知ったが故に、簡単に想像が出来た。簡単ではなかった筈だ。楽だった道程では断じてない筈だ。恐らく、想像出来ない程の経験をしてきたのだろう。言葉を失くす二人だったが、唯がおずおずと零士に聞いた。
「な、なんでそんな力があったのに、国王様に言わなかったの?」
「そんなのは簡単だ。俺は国の連中を全く、信じてないからな」
「…………え?」
信じられる筈がない。異世界に召喚される度に、裏切って来た奴等を。確かに、中には裏切らない国も存在した。だが、それは指で数えられる程度に過ぎない。大半の異世界召喚してくる国の連中は、容易く裏切るのだ。『役立たず』と、『出来損ない』と、『無能者』と、勝手に召喚したのにも関わらず、そんな事を言い、終いには死刑にされかけた事だってある。
それを何度も経験しているのだから、信用が出来る筈もない。しまいには、魔力がなくても実力を示せば、その力を利用しようとしてきたなどもあった。異世界召喚を行った理由である、敵の討伐より、その零士の力で他国に攻め入ろうと考えた奴等も居た。断れば、親しくなった者達を人質にして。そんな事が何回も経験しているのに、如何して信用出来ようか。
今まで実力を目の前で見せなかったのも、それが理由だ。もしも、あの国王が自分の力を兵器として使うのなら、召喚されたクラスメイト達を人質に取るかも知れない。本当に、人質に弱いよな、と自身の弱点に少年は苦笑を浮かべる。
「先生。これが、俺が隠してきた全てです」
「………………」
まだ言っていない事もあるが、彼は言外にもう話さないと告げる。それに柚木は沈黙したまま、少年を見据えた。彼女は気付いている。確かに零士は、あれだけの力を持つ理由を話した。だが、それでもまだ、なにかを隠していると直感が囁く。しかし、彼女は言葉の裏にこれ以上聞かれても、答えない拒絶の意思を感じて口を噤む。
これ以上、聞いても雰囲気が悪くなるだけだ。ちゃんと理由も話したのだから、よしとしようと納得させる。
「さ、話はこれくらいにして、そろそろ行きましょう」
「…………そう、だな」
そして零士は、笑みを浮かべて立ち上がって言う。それに柚木と唯も頷いて立ち上がった。思えば、ここに落ちてから相当な時間が経過している。早く皆と合流しなければいけない。
「じゃあ俺が先頭を歩くので、先生達は着いてきて下さい」
「あぁ、分かった。ここはベテランの篠宮に任せよう」
「が、頑張って着いて行くよ」
零士の言葉に異論は無いと二人は言って、少年の背後に立つ。
「それじゃあ、行きますか」
そう言って、空洞内から一歩、外に彼は踏み出した。瞬間────
「………………ッッッ⁉︎」
全身に久しく忘れた死の気配を感じ取った。あのユニコーンの時や、魔人と戦った時以上の圧倒的な死の匂い。ざわり、と空気が汚染されていく。零士の耳に、誰かの呻き声らしきモノを聞き取る。しかし、それは完全に人のソレではない。全く別のナニカだ。
「如何したんだ篠宮?」
「…………篠宮君?」
後ろに居る二人は、まだ気付いておらず、立ち止まっている少年にへと視線を向けている。それに返事を返す事なく真剣な表情で、ある場所に鋭い眼光を向ける彼だ。一人だけなら、簡単に終わるだろう。だが、ここには零士一人だけではない。二人を護りながら戦う事になるのだ。この呻き声を放つ存在と。感じ取る。これまでの経験が、この存在の力を瞬時に予想させる。条件反射に近い感覚。だからこそ、理解出来た。
こいつは、この世界に来て一番強大な敵だと。彼はゆっくりと、違和感を感じさせない慣れている動きで、腰に差す剣を抜き払う。その動作に立ち止まっていた二人は、眼を見開き、警戒を露わにした。零士が語った説明に、柚木と唯は戦闘面では、とんでもない経験があると分かったから故の動きだ。未だに二人は、なにが起きているのかに気付いていない。
しかし、自分達よりも戦場を渡った少年がナニカを警戒しているのだ。恐らく彼は自分達が感じ取れないものを感じ取ったのだろう。唯がゴクリと唾を飲み込む。時間にして数十秒後────
「…………来るぞ」
「「─────ッッ⁉︎」」
─────彼等の前に悍ましい怨念が具現した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
御手洗和樹は、全身に憤怒の感情を漲らせて激怒していた。その感情を向ける相手は一人の兵士だ。甲冑を着た彼は、酷く怯えた様子で和樹と向き合っている。その周囲には和樹と同じく怒りの顔を浮かべる少年少女達が居る。ステラ皇女もその中の一人だ。離れた場所では、五人の聖女が事の成り行きを見ていた。現在、彼等が居る場所は『嘆きの渓谷』から抜けて、少し離れた位置にある荒野だ。
渓谷の底に落ちて行った友人に、茫然自失となった和樹だったが、未だに現れるワイバーンや魔物とかに、まずは離れる事が先だと理解したステラや、聖女達によってなんとか渓谷を抜けたのだ。そして安全な場所に来て、彼は爆発した。和樹は見ていたのだ。いや、和樹だけではない。数人の生徒達も瞳に捉えていた。一人の兵士が、全く別方向に魔法を放った姿を。ソレがリンドヴルムの咆哮によって、向きがそれたのだと。
ギリッと歯を噛み締めて、彼は兵士を睨み付ける。
「…………なんでだ。なんで、お前だけが別方向に魔法を撃った」
低い声で和樹は兵士を尋問する。尋ねられた兵士は、顔を青くして、団長であるジークを見てから和樹に視線を行ったり来たりさせていた。その動作が一層、彼を苛立たせる。
「ッ、答えろよっ‼︎」
怒りに任せて怒声を上げる。突然の大声に、数人の女生徒がビクッとした。
「…………あ、ぁぁ………じ、自分は………」
「もう良いだろう勇者様。彼もこうして反省している。許してやってくれないか」
すると、間にジークが割って入り告げた。しかし、それで許せる筈がない。渓谷に落ちて行った三人が如何なったかなど分からないのだ。もしかしたら、その落下で死んでいるかもしれない。それを反省しているから、許してくれ? 巫山戯るな。人の命をなんだと思っているんだ、と和樹は口を開きかけて、ジークの言葉に閉じた。
「それにここで糾弾するよりも、早く落ちて行ったユズキ様達を探しに行った方が得策ではないか」
「…………ッ」
今も生きているか如何か分からない。しかし、まだ生きている可能性があるのなら、それに賭けて一刻も早く捜索した方がいい。ジークにそう告げられて、なにも言えなくなる。その通りだ、と和樹も心の中では分かっているのだ。黙った和樹に視線を向けて、ジークは更に周りの者達に言葉を告げる。
「まず目的を決めておこう。最初にアルビオン連盟に向かい、そこで至高の聖女の護衛に付いた後、『嘆きの渓谷』の底に落ちた
そう言って聖女達に視線を向けると、彼女等は頷いて「私達も捜索の手伝いを微力ながらさせていただきます」と答える。だが、和樹はジークが紡いだ言葉に衝撃を覚えた。余りに自然に言うものだから、大半の者達は気付いていない。気付いているのはステラ皇女やそのメイド、柚木とよく一緒に行動する翡翠達と和樹ぐらいだろう。その他にも、何処か違和感を覚えていた者達も居るが、今は関係無い。
頭に熱が帯びる。今、この男はなんと言った? 二人の勇者を探すと言ったのだ。全員が谷底に
(ふっざけるなよ─────ッッッ⁉︎)
和樹は力強く拳を握る。余りに強く握り締めているのか、拳から血が滴り落ちた。我慢ならないと一歩、彼は前に踏み出す。その理由は巫山戯た事を抜かす男に殴り付ける為だ。しかし、そこで和樹を抑え込むようにして邪魔者が現れた。
「カズキ様落ち着いて下さいっ」
「邪魔だステラ。あいつは殴らないと気が済まねぇっ」
「お気持ちは分かります‼︎ ですが、ここは抑えてください。お願いします」
和樹の背後をミントが抑え付け、進行方向にステラが立ち塞がる。頼み込むように、真摯に言うステラに和樹は少しだけ冷静になっていく。ここで問題でも起こしたら、それこそ彼等の捜索が遅れる。なんとか怒りを収めた和樹にステラは、ホッと息を吐き、声を掛けた。
「落ち着けましたか?」
「あ、あぁ。………悪い、ステラ」
自分の所為で捜索が遅れる所だったと、頭を下げる。それに、ステラは首を振った。
「謝る必要はないです。あぁいう風に言われたら、怒るのは当然です。ですが、その怒りはまだ」
「…………分かってる。もう頭に血が上らないようにするよ」
「はい。…………それとカズキ様、覚悟はしておいて下さい」
「覚悟………?」
突然、真剣な声音で言葉を紡ぐステラに、彼は首を傾げた。そしてそんな和樹に、彼女は語る。
「レイジ様達が落ちたのは、『嘆きの渓谷』の底。誰も抜け出た者は居ないと言われる場所です」
「……………ッ⁉︎」
そこまで言われれば、なにを覚悟すればいいのか分かる。それは篠宮零士達が、もしかしたら物言わぬ体として見付かるかも知れないという事だ。
「……………あぁ、覚悟を決めるさ」
彼は俯き、ステラにしか聞こえない声量で答えた。恐らく、ありえるかも知れない未来を想像してしまったのだろう。
(…………私は一体、彼等にどのような償いをすれば良いのでしょう?)
俯く少年を見て、ステラは胸中で呟く。そもそもの始まりは、己の父を止める事が出来ず、召喚魔法を使ってしまった彼女が元凶だ。なのに、彼等はそんな自分を責めようとしない。平穏な日常から、戦場の世界に連れて来たというのに。それが彼女にとって、罪悪感が湧き上がり、胸を締め付ける。すると、隣に一番の親友であり、信頼出来るメイドが寄っていた。
まるで、ステラがなにを思っているのか分かっているかのように、何時もの無表情で立っている。それに少しだけ、笑みを浮かべる。
(ありがとう。ミント)
心の中で親友たるメイドに礼を言い、彼女は顔を上げる。そして、ジークの言う通りにアルビオン連盟に向けて再度、足を動かし始める。
(やはり、なにか思い悩んでたみたいですね)
ミントは己の主である少女の背中を見詰める。彼女は何時もそうだ。成長しても全く変わらない。自分一人で抱え込んでしまうのだ。全く困り物だと、ミントはため息を溢す。少しは自分にも頼って欲しいと思う。だが、それは無理だろうな、とミントは頭を振った。彼女のソレは性分なのだ。直せと言われて簡単に直せるものではない。
ならば、何時もと変わらない。頼って貰えるように、隣に寄り添うだけだ。そうして、メイドの少女も主の後を着いて行こうと足を踏み出した。すると、
「…………? 呻き声?」
微かだが。彼女は確かに聞いた。渓谷の底から、まるで呪詛のような、低い低い呻き声を。負の感情を撒き散らし、全てを呪わんとする声を。
零士君は人殺しを経験しています、という話でした。