アナこれ!『another fleet collection』 作:鉢巻
パチッ、パチッ、とマグネット式の駒が盤に貼り付く音が静かな部屋に響く。
対局する二人の内、一人は余裕のある笑みを、もう一方は額にしわを寄せて険しい表情を浮かべている。
「はい、王手です」
そう言ってル級が盤上の駒を前へ動かして宣言した。
「――――だああああぁぁァァくそったれぇぇぇ!」
ベッドの上で上体を起こして向かい合うショートヘアの女性が頭を抱えながらそう叫んだ。
「これで五勝目。そろそろやめにしておきますか、摩耶さん」
「いやまだだ!後一回、後一回だけ…」
摩耶と呼ばれた女性はそう言いながら駒を最初の位置へと戻し始める。
ここは鎮守府にある病棟の一室である。現在この病棟にいる者は皆、先日の比叡カレーでダメージを負った者達だ。
ル級は遠征から帰投後彼女達の見舞いに来ていたのだが、最後に訪れたこの部屋で、暇を持て余していた摩耶に捕まってしまい、そして現在に至る訳である。
「それにしても、摩耶さんも将棋するんですね。何だか意外です」
「ん、ああ。前に提督と叢雲がやってるとこ見てよ、それでなんとなくな……って、待て。その一手待て」
「待ちません。はい、どうぞ」
「くっ…なら……これでどうだ!」
「あ、じゃあこれ貰いますね」
「アタシの飛車があああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
摩耶が再び叫び声を上げる。病室では静かにするのが原則だが、最早お構いなしである。
当然、それが気に食わない者もいるようで――――
「うるさい!」
その声と共に摩耶の額に目覚まし時計が飛んできた。モロに喰らった摩耶は頭を押さえながらベッドに倒れ込む。
「ッてえ…何しやがるタ級!」
「アンタのせいで眠れないでしょ!せっかく平日に合法的に休めてるっていうのに!」
上は白のセーラー服に下は水着のようなパンツ一枚というなかなか際どい格好の彼女はタ級という。摩耶の大声が余程気に障ったようで、かなりご機嫌斜めの様子だ。
「だからって物投げる事はねぇだろうが!そんなにうるさけりゃ耳栓でもしてろ!」
そう言って摩耶がタ級に時計を投げ返す。
「アンタの声は耳栓してても通ってくるのよ!口にガムテープでも貼ってなさい、このバカ!」
それをキャッチしたタ級がまた摩耶に向かって投げつける。
「テメェ誰がバカだと!」
「バカでしょうが!将棋でル級に五連敗してるくせに。脳みそ筋肉になって固まってんじゃないの⁉」
「ンだとこの痴女が!あからさまにおっさん誘ってそうな格好しやがって、よくそんな姿で歩き回れるな!ある意味尊敬するぜ!」
「誰が痴女だゴラアアアアア‼」
「テメェの事だよド変態‼」
「「ぶっ殺す‼‼‼」」
二人は瞬時に艤装を展開して銃口を向け合う。その光景を目の前にしているル級は背筋が凍る思いだった。
病室で重巡と戦艦の喧嘩。洒落にならない。
二人を止める為、ル級も艤装を展開しようとしたその時だった。背後から飛んできた何かが二人の頭部に直撃した。
「病棟内で艤装の展開は厳禁。まさか忘れたわけじゃないでしょうね」
そう言って叢雲が病室へと入ってきた。片手には分厚い本を抱えている。どうやら資料室からの帰りのようだ。
「助かりました。一時はどうなる事かと…」
「別にいいわよ。アンタも遠慮しないで、この位やってやればいいのに」
「―――――ッたぁ…!叢雲ぉ、テメェやりやがったなぁ……」
「一体何ぶつけてくれたのよ。滅茶苦茶痛いんだけど……」
涙目の二人は今し方投げつけられた物を見る。その物体は長方形の形をしており、縦およそ二十五センチ、横十八センチ、厚さ十センチの書物。この世に存在するありとあらゆる言葉とその意味が記された書物の名は――――
「広辞苑じゃねえか!」
「ちょ、叢雲!アンタ殺す気⁉これ鈍器よ⁉」
「艦娘なんだからその程度で死にはしないでしょ。大げさね」
「艦娘艦娘ってよく言うけど元は人間だからな⁉打ち所が悪かったら普通に死ぬぞ⁉」
「しょうもない喧嘩で主砲ぶっ放そうとしてた奴がどの口言ってんのよ」
そう言われるとぐうの音も出ない。二人は揃って押し黙る。
「それよりアンタ達、そんな元気あるならさっさと通常業務に戻りなさいよ。人手足りてないんだから」
「は?やだし」
「即答ですか…」
「理由を聞かせてもらおうかしら」
「だってアタシは今日一日休んでいいって提督に 正 式 に 許可貰ってるからね。テコでも動かないわよ」
「アタシもル級に勝つまでは戻れねえな」
摩耶の言葉を聞いたル級は「え?聞いてないんですけど…」といった様子だ。
「勝つって一体何に……ってうわ、摩耶アンタ将棋なんてやってるの?似合わないわね…」
「うっせえな、アタシの勝手だろ」
「叢雲さんと提督が対局してる所を見て興味持ったらしいですよ」
「どうせアレでしょ、二人が将棋してるとこ見て『何かカッケェ』とか思って始めんでしょ。摩耶は単純だからねー」
「べ、別にカッケェとか思ってねえし!ただおもしろそうだなと思って……!」
「別に何でもいいわよ。とにかく、病室では静かにしてなさいよね。次騒ぎを起こしたら、アンタ達向こう一年休暇無しよ」
言葉の最後の部分に特に威圧を込めてそう言うと、叢雲は病室から出て行った。
「………ありゃ本気だな」
「あれは私も含まれるんでしょうか…」
「さすがに一年も休み無しはごめんね。今日はもう大人しくしてよ」
「だな…あ、ル級続きやろうぜ」
「まだ続けるんですか……」
そうして摩耶とル級は対局を再開した。しばらく続けているとタ級がその様子を見にやってきた。どうやら先程の出来事で目が完全に冴えてしまったらしい。
「へぇー、そうやってするんだー」
「タ級さんもやってみますか?最初は難しいかもしれませんど、分かってくると結構面白いですよ」
「おいおいやめとけル級。ただでさえ小さいこいつの脳みそがパンクしちまったらどうする」
「何だとこんにゃろめ…!アタシだって大体のルールくらい分かるわ!」
「ほぉ、じゃあ言ってみろ」
「敵の王を指したらチェックメイト!」
「タ級さんそれチェスです」
やっぱり分かってねぇじゃねぇか と摩耶は爆笑である。顔を真っ赤にしてタ級が悔しがっていると、再び扉を開く音が。今度は一体誰だ?と三人が目を向けると、
「クマー、調子はどうクマー」
バネのような独特のアホ毛が特徴の艦娘、球磨型一番艦の球磨がビニール袋を片手にやってきた。
「球磨さんもお見舞いですか?」
「クマ。ウチの妹達の見舞いのついでクマ」
「妹達っつうと大井と木曾か。多摩と北上は無事だったんだよな」
「そうクマ。妹達の世話は妹達に任せてるクマ。といっても、二人共もうすっかり元気になってるクマから、明日には現場に復帰できるクマよ」
「ねえねえ、それよりお見舞いの品、何持ってきてくれたの?」
タ級が嬉々とした表情で球磨の持つビニール袋に目をやっている。ビニール袋はまるでボールが入っているかのように丸く膨らんでいる。
「気になるクマ?しょうがないクマね~」
そう言うと球磨はビニール袋に手を入れて中の物を取り出し始める。病人のお見舞いに渡す丸い物、それに期待を膨らませてタ級は目を輝かせている。
「じゃ~ん、電脳迷路ゲーム○――!クマ。これで退屈な時間ともおさらばクマ!」
それは透明なボールの中に組まれた複雑な迷路を、小さな鉄球を用いて攻略するというおもちゃだった。ボールを回転させたり傾けたりする事で様々なルートが開けるのだが、これがなかなか難しい。
「あー懐かしいですね。子供の頃よくそれで遊びましたよ」
「よかったなぁタ級、これで暇つぶしができるぜ」
「アタシのメロン……」
シュンとするタ級はさておき、球磨がル級と摩耶が行っているゲームに気が付いた。
「将棋クマ?」
「ああ、そうだ。今で丁度十戦目。そんでもってこれで…」
「私の十勝目です」
「あああぁぁぁぁぁちくしょぉぉぉ……」
摩耶が頭を抱えて項垂れる。さすがに十連敗は応えたようだ。
「なぜだ…なぜ勝てない……」
「摩耶さんは何というか…分かりやすいんですよね。どこを狙っているかとかすぐに分かるというか…。とりあえず、飛車で真っすぐ突っ込んでくるのやめましょう?」
「な…!ル級お前アタシが単純だって言いたいのか!」
「実際そうクマ。この前深雪達にからかわれてマジ切れした時なんか、闘牛祭りの暴れ牛みたいだったクマ」
「ぶっ!何それ気になる、後で詳しく教えて!」
「テメェ球磨公…そんだけでかい口叩くっつう事は、相当腕に自信があんだろうな」
「当然クマ」
球磨は自信に満ちた顔でそう頷く。
「よぉーし言ったな。じゃあ早速それを証明してもらおうか」
「いいクマよ。どうせこの後も予定無いし、存分にやってやるクマ」
「よし、じゃあ行けル級」
「私がですか⁉」
当然の疑問である。しかし、そこをあえて押し通すのが摩耶という人物の特徴だ。
「当然だろ。お前はこのアタシに十連勝もしたんだぞ。だったらあのクソ生意気な軽巡沈めるくらい簡単だろ」
「そうだそうだー、やったれル級―」
そこにタ級の悪乗りも加わり引くに引けない空気になってしまう。こうなってしまってはやるしかないか、とル級はそれでもいいかという風に球磨に了承を求める。
「ええと、よろしいでしょうか球磨さん…」
「構わないクマ。ほら、盤の準備も整ったクマよ」
対する球磨はやる気十分、準備万端だ。盤の上には駒一式が綺麗に並べられていた。
「はぁ、仕方ないですね…。あ、先行はどちらにします?」
「どっちでもいいクマ。どうせ三十二手先でお前の負けクマ」
―――――――――あっさりと。
あまりに自然に発されたその言葉に、ル級達は一瞬自分の耳を疑った。
だがそれを否定するかのように球磨は言葉を続ける。
「なんなら賭けてもいいクマよ。そうクマね……もし球磨が負けたら、この先一ヶ月、三人の間宮での代金は球磨が持つクマ」
「ちょ、マジかよ⁉」
「い、今の聞き間違いじゃないよね⁉」
御食事処間宮。給糖艦間宮が営むその場所では、アイスや最中、羊羹といった様々な甘味が味わえる。艦娘だけでなく、多くの海兵からも親しまれる、まさに鎮守府のオアシスである。
しかしそれを楽しむためにはそれ相応の代金が発生する。艦娘達も給料を貰っている身とはいえ、生活費や消耗品の事もある為、そう何度も何度も通い詰めるような事はできない。
しかし、この勝負に勝てばそれが可能になる。摩耶とタ級が興奮するのも当然だ。
「…言ってくれますね。いいでしょう、なら私も同じ物を賭けます」
そんな中、ル級は静かに闘志を燃やしていた。
球磨の発言が挑発だという事は百も承知だ。だが、温和なル級にもプライドという物がある。人として、艦娘としてのプライドが彼女の心に火を付けていた。
そしてル級が一マス、歩兵を前へと進める。
「絶っっっっっ対勝ちなさいよル級!」
「お前にアタシ達の財政事情が懸かってるんだ、頼むぞ!」
「任せて下さい。この勝負、絶対に譲りません…!」
「ふーん。ま、精々足掻いてみるクマ」
こうして甘味を巡った戦いが始まった。
そして数十分後、丁度ル級が三十二手を打つ時、
盤上から、ル級の王の逃げ場は無くなっていた。
「じゃ、約束通り今日から一ヶ月クマよ。ちなみに今日はお風呂上りに間宮特製スペシャルストロベリーミックスサンデーがご所望クマ。頼んだクマよー」
パタン、と乾いた音を立てて病室の扉が閉めらる。
部屋に残されたのは頭の先から足の先まで真っ白になった戦艦二人と重巡一人。
(((……………………何者なんだ、あの人)))
三人の思いが、一つに重なった。
閲覧ありがとうございます!
超が付くほど久々の投稿、いかがでしたでしょうか。
見切り発車とは分かりながらも自分を止める事ができませんでした。
次のこちらの更新もしばらく未定であります。どうかご了承ください。
ではまた!