フロンティアⅣへのクロスボーン・バンガード侵攻の際に捕らえられたF90Vの臨時パイロット、ナナ・タチバナは尋問官の質問に今日までずっと黙秘を貫いていた。尋問官の怒声など何処吹く風。恫喝、懐柔、その他に屈すること無く、今なお彼女はそれ続けている。
唾を飛ばして質問を繰り返す男には焦りが見える。
「―――埒が明かないな」
その様子を別室のモニターで見ていた少年が一人、呟いた。ディナハン・ロナ。フロンティアⅣに侵攻した謎の軍隊の首魁、その血族。
「薬やらは使ってないのでしたね?」
「はい、自白剤や催眠導入はまだ行なっていません」
彼はモニターを見つめながら口を開くと、すぐに答えが帰ってきた。ディナハンの後ろで控えていたのは情報部の士官であった。
「そうですか。そこまでする必要があると思いますか?」
「いえ。彼女は、ガンダムのパイロットとはいえ元々の職務は違ったようですので……」
「そうですか」
しばし、変わらず黙秘を続けるナナを見つめていた彼は、ふと気がついたように後ろを振り返る。
「今後の彼女の取り扱いについては?」
「このまま非協力的な態度を取り続けるようであれば、捕虜として遇せざるをえません」
「そうですね」
次の士官の言葉を待っていたディナハンだったが、中々続きを話しだされないことに自分の意見を口にするのを待たれているのだと少し経って気がついた。
「……彼女を特別扱いしろなどとは言いませんし必要もないですから、他の連邦の将兵と同じで構いませんよ」
そしてディナハンはピッと人差し指を掲げて見せ、
「ですが、彼女は不利と分かっていて自分の身を艦隊の盾にするほどの方です。
そのように他者を助くるために行動を起こせる人こそ我らが謳うコスモ・貴族主義にある高貴なる者、コスモ・貴族です。それなりの扱いは分かっていますよね?」
「ハッ。他の連邦の将兵に関しても見込みがありそうな者には帰順を促しています。」
「……なら私から言うことはありません」
ディナハンは今の段階でナナ・タチバナが寝返る可能性は殆ど無いだろう、と思っていた。
基本、クロスボーン・バンガードは作る側であり、現存の秩序を壊す側である。その反対に連邦軍は維持し守る側。彼女は守る側であるなら銃もとれるだろうが、壊す側に回ることは出来はしないだろう。
それは、軍隊の命令だから相手を攻撃する、という小さなことではなくもっと大きな観点、イデオロギーや自己の規範のようなもののことであった。
親との軋轢の末、外に出た兄と、同じ環境下にいて親の側に居続ける妹。その事実もまた、彼女を今を変える行動に出ることを躊躇う人間ではないか、とディナハンに捉えさせる要素でもあった。
「……少し彼女に話を聞きたいのですが?」
その、ディナハンが当然叶えられるだろうという予想の下にお願いというスタンスを取って口にされた命令は、次の士官の言葉で拒否されてしまった。
「申し訳ありません。面会の許可は出ておりません」
「―――? どうしてです?」
「鉄仮面司令からの指示と聞いています」
「……」
その命令の出処がカロッゾということにディナハンは少しだけ眉根を寄せた。
モビルスーツに乗って戦うことを許されたとはいえ、所詮はお客さん。出しゃばること無く軍のことは軍に任せておけということだろうな、と彼は見当を付けた。
だが、事実は少し異なる。
確かにディナハンが察した意味合いもあるにはあったが彼がナナ・タチバナとの接触を許されなかったのは、とどのつまりディナハン・ロナが子供であるという一点に集約されてしまう。
いかにコスモ・貴族主義が能力主義だと言い張り、彼自身の意志によるものだと喧伝したとしても、子供を戦争に参加させている姿をを見て大衆が手放しに称賛するか否かを問えば、否と多くの者が答えるだろう。
ディナハンは父親譲りの紅顔の美少年と言って良い整った容姿の少年だ。あと五年、いや三年の時間の差があったならば現在のドレル・ロナと同様才気あふれる若者として大衆の目に映ったであろう。
だが、ディナハンは子供。
生物が種の存続、発展をその存在意義の一つとしている以上、個として人ではなく、大衆即ち群として人は幼体が成体になるのを強く臨むものだ。言い換えれば子供が、命の危険に晒される状況を望まないということだ。
そんな子供が戦争の片棒を担ぎ、嬉々として戦場に向かう様はクロスボーン・バンガード、ひいてはコスモ・バビロニアの正当性に疑義を持たれてしまうのは必定だろう。
だからだ。だからディナハンが軍に関わっているということが外に漏れるような行動に制限がかけられたのだった。
それがカロッゾ、そしてマイッツァーの考えであった。
ディナハンの内に自分に都合良く物事が動いていかない事への落胆と苛立ちが募る。が、それを表に出すほど子供ではない。
すぅぅと大きく息を吸って、ふぅと一気に吐き出す。そうして気持ちを切り替えた。
「そう……ですか。わかりました。せっかく来たのに残念です」
会えないのならば仕方がない。一応ではあるがシュン・タチバナとの義理は果たした。
そう結論づけたディナハンは頭のなかでこれ以上ここでやることはあるだろうかと自問し、特に見当たらないなと自答する。それよりも―――
―――他人様の家のことより自分の家の心配が先か
他所の家庭のことにまで頭を突っ込みつつあった自分の呑気さ加減に思い至ってしまい、深い溜息に似せた自嘲で鼻を鳴らした。
そうして彼は、ナナ・タチバナに会うこと無くその場を後にしたのだった。
◇
「お船が落ちてくる―!!」
訳の分からない悲鳴がシーブック・アノーの耳朶を打った。なんだなんだ、と体をよじるとスペースポートの天井部中央に備え付けられた出入り口からドサドサとジャガイモやら何やら野菜が降ってくるのが見えた。
次いで落ちるように降りてきたのは泣き虫の男の子、ミゲン・マウンジ。そして叫び声をあげた小さな女の子リア・マリーバ。最後に梯子を踏み外して落ちるベルト―・ロドリゲスだった。
何が起こっているのか想像もつかず、確認のためにはしごを登ったサム・エルグの悲鳴が響く。
「うわっ、船が落ちてくる!―――うぉっ!」
それは、やはり訳の分からない悲鳴だった。だが次の瞬間、ボートに脇腹に何かデカイものが当たり、その衝撃で船体が激しく揺れた。
その衝撃にのせいで走った腕の痛みに、うぐっ、と顔をしかめたシーブックだったが、妹のあげる悲鳴に目を見開き見やる。彼の妹リィズ・アノーが船体の揺れを堪えようと手近な物にしがみついていた。
「ジョージ!出せ!船出せ!前!」
サムが単語のみで構成された怒声を張り上げた。操縦席ではジョージ・アズマとドワイト・カムリが必死の表情でこの場からボートを離れさせようと操縦桿を握る。
そのおかげか否か、次第に船体に当たる瓦礫の大きさと量が少なくなって来ていた。
「止、まった……?」
誰ともなしに訊いたサムの問いには誰も答えなかったが、ただ一人、ジョージが別のことを口にする。その目はスペースポートのフロントガラス越しに“落ちてきたお船”を捉えていた。
「こいつ、巡洋艦タイプだ。――たぶん、鉱山の中央ハッチから入ってきたみたいだけど、なんだ?どうして入ってくるんだ?それに下手すぎるよ」
「……どういうの?」
「待ってよ。ああ、これあれだ。駐留艦隊に所属する練習艦だよ。スペースアークっていうクラップ級巡洋艦だね」
シーブックのそれは最初のアズマが口にした疑問と同じく、どうして巡洋艦がコロニー内部に入ってくるのかという疑問だったのだが、ジョージはそれを取り違えたようだった。
流石ジョージだな、と苦笑をするシーブック。その瞬間―――裏返ったドワイトの声と未だハッチから身を乗り出していたサムの素っ頓狂な声が聞こえた。
「うわっ」
「人が!」
船の慣性とコロニーの作る擬似重力の作用を見誤っていたのか、放り出されるようにオレンジ色をしたノーマルスーツが空中へと躍り出た。
ここはもう無重力地帯ではない。当然、地面へと叩きつけられるだろうし、落ちれば命の保証は何処にもない。
「クソ!」
ジョージはそう吐き捨てながら、操縦桿を握り締める。その意志に従ってボートとマニュピレータがまるで生き物のように蠢いた。
偶然か、奇跡か、それとも実力からかマニュピレータの先、マニュプレータハンドは見事に落下してくるノーマルスーツを着込んだ人物を掴み取ることに成功した。
「ナイスキャッチ!」
「やった!」
サムとドワイトが口々にそういうと、ジョージは吸い込んでいた息を盛大に吐き出し、安堵の溜息を吐いた。
「ん?……なんか言ってるぞ?」
シーブックが、そのドワイトの言葉に目を向けると、確かにヘルメットをしていないノーマルスーツ姿の中年男がマニュピレータハンドに掴まれたままで何やら喚き散らしている。指でスペースアークを指し示し、バタバタと手足をばたつかせて暴れていた。
そうした疑問にハッチから外に身を乗り出しているサムが答えてくれた。
「早く下ろせってさ。スペースアークだっけ?あれに連れてけってよ」
「……命の危機から脱して、気が立ってるのかな?あれ」
そう言って、今も怒鳴り続けている男を呆れを滲ませつつ評したジョージは、ボートを巡洋艦へと近づけるべく操縦桿を握る腕に力を入れた。
連邦軍の今までの対応と行動を見てきたシーブックは、だんだんと迫ってくるスペースアークの姿を目にして獏とした不安を抱かずにはいられなかった。
◇
「いいな!そいつらを何とかして甲板を使えるようにしておけ!わかったな!わしは他の抵抗派との繋ぎに行ってくる!」
「はっ……エーゲス“元”大佐」
「元は余計だ!もとはっ!」
そう捨て台詞を吐いてドスドスと奥へと引っ込んでいくエーゲス“元”大佐と呼ばれたシーブック達が助けたノーマルスーツ姿の中年、コズモ・エーゲスを見送った黒人の士官ナント・ルースは彼の姿が見えなくなると鬱陶しげに顔を歪めた。
そして溜息を一つ吐くと艦内通信用に壁に設置されている電話へと向かった。
その様子を目で追いながらもシーブックは、スペースアークに降り立ってから感じる違和感に首を捻った。一体何だ? とその正体を確かめるべくあたりを見回しても可怪しいところなど見当たらなかった。
そんな時、後ろから袖を引っ張られる感覚に意識を向けさせられた。見れば妹のリィズだった。
「お兄ちゃん、これ連邦の船なんだよね? お母さんの研究所ってここなんでしょ……連絡……」
「ああ……」
その少しばかり歯切れの悪い兄の返事が、リィズの心に悲しみと憤りと悔しさと……兎に角嫌な気持ちが沸き起こらせる。自然と表情はそんな負の感情に歪み、彼女は顔を俯かせた。
その様子にシーブックは自分と母の関係がこじれていることにが原因で返事をためらったのだろうと妹が判断したのだと分かり、慌てて口を開いた。
「ちがうんだ。あそこは軍の直轄の研究所だから真っ先に避難しているだろ。だから、あの人も一緒に逃げてるはずだって」
シーブックとリィズの母、モニカ・アノーと父レズリー・アノーは、丁度、彼等家族がフロンティアサイドに移住する直前にその夫婦関係を解消した。
その直接的な理由は、モニカが願った軍の研究機関、海軍戦略研究所《サナリィ》への移籍の希望にレズリーが強い難色を示したからだった。
彼女の研究、バイオテクノロジーの一分野にある情報伝達と遺伝因子の研究、すなわちバイオ・コンピュータの研究が出来る場所は広い地球圏と言えども数える程しか存在せず、更にいえば営利を目的とせず伸び伸びと研究できる場所は軍をおいて他に無かった。
レズリーもモニカ同様、分野は違えど研究者ではあったから彼女の言い分も分からないではなかった。だが彼女が、自身の仕事、自身の興味の対象である研究にこそ熱をあげ、妻、そして母親としての役割を億劫がる節があることにレズリーは憤ったのだ。
そうして自分の意が通らぬと見たモニカは自分から離婚を切り出したのだった。
しかし、離婚の理由が、よくある不義による男女の好悪の感情の結果ではなかったこともあって、それは飽く迄法的なことで実質は別居のようなものになった。事実、フロンティアⅣに借りたアノー家の住まいにモニカの荷物が置かれていた。
とは言え、当時のシーブックにとって母親が目の前からいなくなったことに変わりはなく、それは子供の心に傷をつけるのに十分過ぎる出来事でもあった。
だから、彼が母親のことをあまり好んでいないことは無理からぬ事だったのだ。
「……そうかな?」
「そうだよ。……きっとあの――母さんは無事さ。もしかしたらフロンティアⅣにだって……」
リィズはシーブックが母のことを「あの人」ではなく、「母さん」と言い直したことに目を見張る。
「大丈夫、きっと母さんにも父さんにだって直ぐにまた会えるさ」
シーブックが優しい声音で怪我をした反対の手でリィズの頭を撫でる。それでもリィズは不安を消しきれはしなかったが、「うん、うん!」と強く頷いた。そうなると信じて。
そんな時だった。急な大声が二人の耳に聞こえたのは。
「だから!……そんな……ゲリラどもの基地に……艦長代行は……ボート?ええ、はい。まだミルクを飲んでる子供までいるんですよ!エーゲス元大佐は彼等も参加させるって!ええ、Ⅳからの難民らしいです。は?ええ……はい、わかりました」
どうやら自分たちのことを言われているらしいと言うことが分かり、ボートに乗りあわせてきた少年少女達は各々に視線をナントへと向ける。自然、子供たちは一所に集まった。
「ゲリラって……」
「俺達の事かよ」
「そんな、だって……」
口々にそんなことを口にする友人やチビ達を尻目にシーブックは何故自分がこのスペースアークに違和感を感じたのか、それが分かった気がした。
―――そう、緊張感がないんだ、ここには。戦争をやってるっていう緊張感が。
そうして、よくよく思い出せばスペースアークには戦闘を行ったと思しき形跡が見当たらなかったし、破損どころか、撃てば付くであろうミサイル発射管の煤の汚れなども見当たらなかった。
モビルスーツも見当たらない。当然パイロットもいない。閑散としすぎている。そして艦長“代行”に“元”大佐。極めつけがゲリラの基地。
軍の、まともな艦での事とは思えない単語がポンポン飛び出してくる。
―――もしかして、こいつら、まともに敵の姿も見たこと無いんじゃないのか?
シーブックが仲間たちとは違った視点で頭を巡らせていたとき、彼等の中で一番の年長者であるドワイトが憤慨した顔でナントへと歩み寄っていった。そして身振り手振りを交えて何事かを喚いた後、その頬にナントの拳骨をもらっていたりした。
「うわっ、痛そ」
「大方、将軍の息子で御座い、控えおろう。とか言ったんだじゃねーの?」
「止めなよ。生徒会長だし、三年だしドワイトなりに何とかしようっていうんだろ」
ドワイトがナントを恨めしげに睨みながら彼の後に付いて此方へと戻ってきた。
「怪我人ってお前か?―――どうしたんだ?」
ジロジロと訝しげに見るその視線にシーブックは見て分かるだろうに、と心のなかで悪態をつく。
「はい、銃で撃たれました」
「―――そ、そうか……」
受け答えを耳にして目を開いて見せたナント。その一瞬の驚き。それを見たシーブックは、やっぱりなと自分が感じた違和感が正しいことを確信した。
だから口を開いた。それは若さゆえの情動が起こす行動だった。
「それより、どうしたんですか?この艦《ふね》」
「何がだ?」
「デッキにはモビルスーツはいないし、全部落とされちゃったにしては艦《ふね》は綺麗だし、それに人がいなさすぎません?もしかして艦長とか正規のパイロット達はモビルスーツで逃げちゃったんじゃありません?」
「ッ、何?――――モビルスーツなら……新型が一機いる」
明らかな焦りを見せたナントは睨むようにシーブックを見たが、やがてツイッと顎でデッキの奥を示した。二人のやり取りに目を丸くしていた皆が釣られてそちらの方向に目を向ければ、モビルスーツベッドに寝ているらしいモビルスーツの足の裏の一部が確かに見えていた。
「やっぱり落とされちゃったんですか?」
「……それ以前の問題だ。調整がうまく言ってなくてな。昨日は戦闘に出て行ったんだが、調子悪くて直ぐ戻ってきた」
「へぇ」
シーブックが曖昧な返事を返す傍ら、それを聞いていたジョージたちがそのモビルスーツを見やりながら思い思いに口を開く。
「新型だってよ」
「連邦に新型なんていたんだ?」
「そりゃいるさ。ここにある連邦の研究所が作ってるってのは有名だぜ。軍人の子供のくせに知らないの?」
「そんなの興味ないよ、私は。アズマと違って」
「えー、おもしろいのに」
そんな彼等の雑談を見切ってからナントは、「と、に、か、く―――」と発した言葉の音を区切って皆の注目を自分へと持って来させると彼等を見渡すように睨んで、
「ここにいてもいいが、いるならいるで色々やってもらうことになる。偉いさんの息子だろうと怪我人だろうと、な。
……正直充てがあるなら自分たちだけでそっちへ行ったほうがいい。ここは退役将校殿が鬱陶しいからな」
最後は苦虫を潰したようにそれだけ言うとナントは背を向け離れていった。
軍が難民の保護を放棄する。それを無責任となじることも出来るのだろうが、言った所で自分たちの境遇が変わるでもないことは頬を擦るドワイトを見れば一目瞭然だった。
シーブックは、これからどうすればいいのか、行き先を思い深い溜息を吐いた。
◇
サイド4にいる一族が一堂に介した食事を終え、歓談へと移った中、セシリーは自分が何故今更家族に必要とされたのかを知らされた。
交わされる問答の中に、一族が自分に何を求め、何をさせようとしているのかを見た。自身の意志の介在しないそれに彼女は耳を傾けるも、やはり生まれて来るのは戸惑いのみ。
それは彼女は未だセシリー・フェアチャイルドでありベラ・ロナではないからでもあった。
「わたしには、わかりません」
首を横に振る彼女に、祖父は優しい笑みを浮かべた。
「良い。全てはこれからだ。今はただ、こうしてベラが再び話を聞いてくれていることを本当に嬉しく思う」
マイッツァーはベラ・ロナを見ながら在りし日の彼女の姿を思う。自分の膝の上に乗って大人しく話に耳を傾けていた幼い孫。それが見違えるほど大きく、そして美しく成長していた。
そして何より、市井の中にあってもその聡明さと気高さは失われること無く十分に養われている、と彼の目に映った。素行や性向の調査によって分かっていたことだが、こうまで自身の願いどおりに育ってくれたことにマイッツァーは喜びを隠せない。
―――それでも、あと五年、いや四年もあれば十分か。
嬉しさの中でもマイッツァーの冷静な部分は、ベラが女王として成熟するのにかかる時間をそう見積もっていた。
この四、五年の間に多くのことを学ばせ、その存在を周知させ、彼女自身の意識を女王へと向けさせと周囲の意識を女王戴冠へと向けさせ、大衆に女王を待望させる。
セシリーは、マイッツァーの言葉に少しばかり躊躇っていたが、今は素直に頷くことにした。それは祖父が感じさせる肌合い、懐かしさが彼女の幼少の頃の体験と重なり、そこはかとない安らぎを与えてくれていたからでもあった。
そうした触れ合いは代償行為ではないだろうか? と、彼女自身確信を持って疑っていたが、その事実は彼女にとって認めたくない事実でもあった。
そのくらい彼女は打ちのめされていたのだ。
◇
昼間、ザビーネ・シャルという眼帯をした青年士官に連れられてセシリーは、シーブック達と離れ離れになった二十四桟橋近くの地下倉庫区へと向かった。そこで彼女は、現実を突き付けられることになる。
酷く大破したガンタンクのコックピットはビームででも焼かれたのだろう、大きく焼け焦げていた。それでも、辛うじて残っていたシートにこびりついていたものを指でなぞった際にできた指の腹に出来た赤黒い汚れ。セシリーが恐る恐る口に含めば、鉄錆の味が広がった気がして、それはすなわち、ここに座っていた少年の流した血なのだと理解させられる。
「そんな……」
彼女の脳裏に彼との出会いから、あの時までの様々な場面が蘇る。
セシリーとシーブックが出会ったのは薄闇に暮れるハイスクールの自転車置き場が初めてだった。大したことではなかったが、ちょっとした危機を彼が救ってくれたことが始まりで、その後自宅近くまで送ってくれた。何度か謝罪の言葉を口にしたのをセシリーは覚えている。
その次に出会った時も自転車置き場だった。そこで彼に照れくさそうに好意を告げられると、セシリーは少しばかり驚きを内に秘めて嬉しさと感謝を表した。良い友人になれると思った。前回同様、家まで送ってくれる際にそれは確信に変わる。
その次に話をしたのは学園祭当日、やはり自転車置き場へと続く道すがらだったように思う。クラブの演劇を見に来てくれると思っていた。別に約束したわけではない。でも来てくれると思った。それは彼が自分を好いていてくれるという驕りから来るものだけではなかった。彼女自身の淡い願望でもあった。
諍い。全面的に彼が悪い。工科にしてはいい人だと、いいインテリジェンスの持ち主だと思っていた。裏切られた。でも、そんな男に為されるがままにされる自分にも呆れた。朴訥として時に強引、そして自分の愚かしさを指摘してくれる異性。彼女は本当の意味で彼に興味を持った。その時は目にもの見せてやろうと言う思いではあったが。
そして始まる戦争。
逃げる途中で彼女は彼に見つけられた。以前にジーンズ姿を披露しているとはいえ、小さな女の子、リア・マリーバとその手に引いていたのだ。良くぞ見つけてくれたと言っても良い。
友人の死。無残な死。それを胸の奥へと仕舞いこみながら、気丈に振る舞うシーブックの後ろ姿をずっと彼女は見ていた。
「ここでも戦闘がありました。」
確かに彼の声を聞いた。「セシリー!」と自分を呼ぶ声を。なのに―――それなのに、彼は、ここにいない。
「あのシーブック……」
そうしてセシリーは、シートを擦って手についた赤黒い粉を握りしめながら、ぎゅっと目を瞑って流れ出ようとする涙をこらえるのであった。
朝方考えた嫌な考えが本当のことのように思えてきた。可能性はそれしか無いのではないかと思えてくる。
シーブックの姿が次から次へと浮かんでは消えていく。あの光り輝く宝石の原石は永遠に失われてしまったのだ。取りこぼしてしまった雫はもう二度と手に入らない。
そうしてセシリーは寄る辺を失ってしまったのだと理解する。その理解は帰る場所を失ってしまったという諦観を容易く生み出した。そしてそれは、既に忘れかけていた家族が持つ温もりへと縋らせるのを後押しするのに十分なものだった。
◇
<お祖父様の言うとおりだ。ようやく家に戻ってきたばかり。学習はこれからで良い。お前ならば直ぐに理解できる>
機械によって冷たく歪みながらも優しげな声音を作りだす声にセシリーは現実へと引き戻された。顔を上げると鉄仮面がこちらを見ていた。
「……」
<どうした?>
目の前の男は父である、と言う理解はあったがその異形には理解が追いついていかない。
「些細な事ですし、こんなことを聞いて良いか迷うのですが……」
<ふむ?>
「父上はお食事を取られないのでしょうか?」
<確かに気にはなるところだろうな>
かすかな笑いを漏らしながら鉄仮面が言う。
<別にこの身は機械だらけのサイボーグになってしまっているわけではないからな、勿論、食事もする。
―――だが許せ。コスモ・バビロニアを建国し、その基礎が安定するまで人前でこの仮面を外すまいと決めた。願掛けのようなものだ。
そうでもしないと私は偉業の大きさに押しつぶされてしまうだろう。そうした弱さを持ってしまっている私を鎧うために仮面なのだ、これは>
「はい、それは聞きましたが……」
まるでこちらが質問をするのを予め分かっていたような、そんな回答にどこか違和感を覚えセシリーは、真偽の是非を求めその場にいる他の三人の様子を伺った。
そういったセシリーの視線を受け取ると祖父マイッツァーは静かに頷いてみせた。
カロッゾの言葉に嘘はなかった。ただ全てを話してもいなかった。つまり鉄仮面がコスモ・バビロニアの持つ強権を象徴するための偶像であるという事柄は敢えて伏せられていた。
それは、まだ伝えるべきではない、もしくは自ら気がつくべきことだとマイッツァーが考えていたからだった。
他方、兄ドレルがカロッゾに向ける視線には蔑みの色が滲んでいることをセシリーは感じ取った。。
ドレルにもマイッツァーが考えているように鉄仮面がコスモ・バビロニアの恐怖を表すための道具だということは分かっていた。しかし仮面とはカロッゾ本人が言ったとおり己を守るための鎧でもあり、そして何より己を飾り、己を姿を偽る道具だ。そんなものに頼らなければ理想を語ることも出来ず、衆人の前に立つことも出来ぬなどということは人の惰弱の現れだと彼の眼には映った。それはコスモ・貴族主義を標榜する高貴な者のすることではない、と思いに至らせる。
故にドレルは父カロッゾの姿を蔑んでいるのだった。
そしてセシリーが最後に大人しくしている従弟ディナハンへと目を向けた。彼は、何故かじぃっと鉄仮面を見つめていた。
ディナハンには疑問があった。それはカロッゾが言った「サイボーグではない」という言葉の真偽についてだった。
彼の持つ特異な記憶『前世の知識』には、鉄仮面の銃で撃たれても血は出ないし怪我も負わない、生身のまま宇宙空間に躍り出る、モビルスーツのハッチを素手でべりべりと剥ぎ、引きちぎると言った、あまりに人間離れした様が残されていた。いくら強化したとはいえ生身の人間に出来るのだろうか?
カロッゾ・ビゲンゾンの研究テーマ。SFに出てくるような精神のみの生き物へと人を強化させるための第一歩。その具体的な方法、ラフレシア・プロジェクト。
その産物の一つであるネオ・サイコミュ・システムは従来の方法によらずパイロットの意志を汲み取り、考えるだけでモビルスーツを制御できてしまう。そしてモビルスーツの研究は義手や義足の発展に大きく寄与している。
鉄仮面はサイボーグなのではないか?いや、脳をバイオコンピュータに置き換えたアンドロイドになってはいないだろうか?
そうした思いを後押ししたのは、カロッゾが鉄仮面になる前に家族で撮ったであろう写真を見たからだった。彼が鉄仮面となる以前は今程大柄ではなかった。筋肉云々の話ではない。骨格からして違っているのだ。それはまるで別人のように。
<勿論、独り隠れて食事というものは寂しいし辛い。料理も味気ないものに感じてしまう。だから私も早く皆と共に食卓を囲める日が来るようにと願っているよ。
―――今はこれで勘弁してくれないかね、ベラ>
「はい、そう仰るのでしたら……」
カロッゾの柔らかな声音が部屋に響く。
セシリーは父にそう言われては、頷くことしか返す言葉を持たなかった。そんな時―――
「そう言えば従姉上、ご学友の安否は如何でしたか?」
場の空気も彼女の心情も斟酌しない無神経な言葉が降って湧いてきた。それを耳にした途端、セシリーが息を呑む。
ディナハンのものだった。
「一緒に逃げてきた人達は居なくとも、迎賓館の前にいる難民の中にも見知った顔があったりするのでは?」
「あっ……それは―――」
「ふむ……」
セシリーの態度にマイッツァーがほんの少し思案顔になった。確かにその可能性が有った。
「お祖父様、焼け出されてきた人々を迎賓館から遠ざけることは出来ないでしょうか?」
「何故かな、ディナハン」
今も家を失った者達にテントと炊き出しを行い食料を提供しているが、それは勿論侵攻軍としての務めでもあり、政治的喧伝のためでもあった。
確かに連邦でも気骨のある者ならば、一矢報いよ、もしくは蛇の頭を潰せとばかりに決死を見せることは大いに有り得た。ならばロナ家の側にいることで巻き添えを食っていしまうこともあるやもしれない。
避難民を人間の楯として扱うつもりは毛頭なかったが、連邦軍の出方によってはそうなることもありえた。
その際、軍が守るべき市民に銃を向けることを厭うこともあるかも知れず、またそうでなくとも市民に犠牲が出たならば、それこそが連邦の腐敗だと追求、弾劾するも良し。
そして、事前にそのような想定を周知し難民を遠ざけることで、後の統治のために人心を把握するも良し。
どちらに転ぼうとも問題はない。
また―――ベラをセシリーと知る人間を遠ざける観点を加えてみればディナハンの言はもっともに思えてくる。
そうマイッツァーはディナハンに問いながら思考を巡らす。
「はい。戦場に出て分かったことがあります。確かに連邦の上層は腐敗し、堕落しているかもしれません。でも、その枝葉もまた腐っている、というわけではないようです。自ら剣を取り、前に出る者も確かにいるのです」
マイッツァーは鷹揚に頷く。
「であるならば―――間違いなく奇襲があるでしょう。フロンティアⅡ、Ⅲの制圧にこちらが動いた時を狙って」
ドレルがディナハンへと視線を向けた。表には出さなかったが、思わず「ほぉ」と関心の溜息と表情を漏らしそうになる。
「その際最も狙われるだろう場所は此処。ロナ家がいる迎賓館区画です。」
マイッツァーは顎に手をやり瞑目する。そして視線を鉄仮面に向けると、カロッゾは頷いた。ディナハンの言葉の妥当性に彼は同意を示したのだ。
「私達だけならば良いのです。それは覚悟の上のことなのですから。ですが、その巻き添えによって守るべき者を危険に晒すのは得策ではありません。ですから、私は難民の移動をお願いしています」
セシリーは自分はナント場違いなところにいるのだろうと思った。ディナハンが淡々と語る異常を聞くにつけ、語られた内容を当然のことと受け入れている異様を見るにつけその思いは強くなる。
「ドレルはどう思う?」
「はい、お祖父さま。ディナハンの言うことは最もです。加えて言うならば避難民を遠ざけた場合の利点としては彼等に紛れた不逞の輩への対処がしやすくなることでしょうか、反対にそのことでロナ家を侮ったり隔意を持たれることも懸念されるかと。そして―――」
ドレルがセシリーにチラリと視線を送った。そのことに気がついた彼女はその意味が分からなかった。
「そして、彼等避難民が我らの近くにいることは―――」
「いや、良い」
マイッツァーがそこでドレルの口を遮った。
「そこから先はこれから勉強させていけば良い。今は違った視点があることを教えるだけに留めておこう」
大義名分、政治駆け引き、人間の盾云々は、未だ子供であるディナハンにも、まだ戻ったばかりのベラにも刺激が強すぎる言葉になってしまうとのマイッツァーの判断だった。
ドレルもそれが分かったらしく、大人しく口を噤んだ。
「……そうだな。避難民を犠牲にするわけにも行くまい。カロッゾ?」
<わかりました。早急に手配しましょう>
「ベラ。知人の安否も気にかかろう?ハイスクールのクラスメイトで良いか?」
「あ、はい。ならば演劇部の子たちも分かりますでしょうか?」
「ん、後で話しておくと良い」
一段落してドレルが席を立つ。カロッゾがそれに釣られて壁掛けの時計を見ると<もうこんな時間か>と呟いた。
「お祖父さま、部隊へ戻ります」
「ん」
そう言うとドレルはセシリーとディナハンにも別れを告げて部屋を出て行った。同じようにカロッゾが立ち上がり、皆に一言断ってからドレルの後を追うように扉をくぐっていく。
二人が出て行くのが合図だったかのように少年もまた口を開いた。
「お祖父様、従姉上。私も先に失礼します」
「そうか?」
「はい。おやすみなさいお祖父様、従姉上」
「うむ、おやすみ」
「おやすみなさい、ディナハン」
そうして立ち上がり、ペコリと頭を下げて出て行くディナハンの後には、マイッツァーとセシリーだけが残されるのだった。
【独自解釈&俺が考えた設定】
○ディナハンの容姿。
小説、映画F91、漫画機動戦士クロスボーン・ガンダムにはディナハン・ロナの容姿の説明は無い。
が、小説F91に親であるハウゼリーの容姿に関して親の欲目もあったろうがマイッツァーは「良い顔」と評し、「ミーハー人気」をとれば連邦議会議員選挙に勝てると言葉にしている。
また、クロスボーン・ガンダムで姉シェリンドン・ロナが(長谷川的?)美少女になっているので、それら二つのことから同じ遺伝子を持つディナハンも美少年と言う設定になっている。
○スペースアークの戦闘
漫画クライマックスUCにおいてフロンティアⅠのコロニー内での戦闘及びコロニー外での戦闘が描かれている。
が、小説F91においてシーブック達がスペースポートでフロンティアⅣを脱出する際、フロンティアⅠには「謎の敵の侵攻はない」とⅣの参謀本部から聞いた情報としてだが明確に書かれている。
クロスボーン・バンガードの第一大隊がⅣの宙域を確保していたとあるので、スペースアークは応援に駆けつけようとしたが、やっぱガンダム動かへんし無理だわ となったと考えるのが妥当。
とこの小説では判断した。
○シーブック・アノーとセシリー・フェアチャイルドの出会いと交際
小説F91では出会ってから学園祭(つまりクロスボーン・バンガードの侵攻が始まる日)までの数回の逢瀬に「自転車場でしか会えない」とセシリーは口にしている。
一方、クロスボーン・ガンダムではセシリーはトビアに「学生の頃はよく皆で遊びに行った」「シーブックが直ぐ私を連れてボートを漕ぎたがって…」と語っている。
この小説では小説版からのパクリが大である。
○ Q:カロッゾ・ロナ(鉄仮面)はサイボーグか?
A:否。ただの強化人間です。
というのが通説であるが、小説F91では演説中の鉄仮面が狙撃されるシーンにおいて彼自ら頭部と胸に銃撃を受けたと語っている。
そしてその直前、セシリーは「キューン! チーン!」と金属音が鉄仮面から発したのを聞いている。
次に映画においてビギナ・ギナのハッチを破壊した鉄仮面にセシリーが銃を発射した際、手袋が破損する描写がされているが、血が流れる等の描写はされておらずただ「肌色」が見えるのみである。
また、未確認ながらネットの情報だと鉄仮面は実は複数いたとか何とか、どこぞのおじいさんなのに若い娘を貰ってハッスルした偉い人みたいなことになっている。
この小説では今のところ謎な予定である。
○ネオ・サイコミュ・システム
手足を使わずにMAやMSを自在に操れるとの謳い文句通り、腕を負傷したバズ・ガレムソン(がれむそぉおおん!!)中佐は何ら遜色なくネオガンダムを動かしている。
小説によるとF91も意志だけで動かせるが、マニュアル操縦が優先されるというのが開発担当者の一人であるモニカ・アノー博士の談である。
この小説では、これがあそこにわたってアレになってああなる予定である。
○強化前カロッゾの写った家族写真
小説F91より。美樹本画。
○セシリーの部活は演劇部
小説F91より推測される。より正確にはクラブ。らしい。
○原作沿い。原作と同一シーン
小説F91の丸コピーではないが、配役、シーンの流れ、会話の内容、その意味、登場人物の行動がそっくりそのまま。